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      20
08.6
パリの裏通りをのんびり歩いてみたい、市場で庶民の暮らしぶりを見る、レスコー警部
のストーリーの雰囲気、カフエ、メトロのホーム、アラビア人街、ノートルダムとサン
トシャペルはじっくり見たい、ロンドンとヨークを組み合わせたようにアルザス地方の
町中に川の流れのある古い歴史のある街並みも歩いてみたい。何度も計画を変更して、
結局、あれもこれもと欲張った計画になった。パリに B&B はない、予算を考えホテルは
★★にした。 JAL/ANA は高いので無理、ならばとスケジュールのいい仁川経由のアシア
ナ航空にした。フランスの 6 月、ベストシーズンのはず。
旅行日程表
# 日付 訪問地 時間 交通機関 行動予定
1
6 月  9 日
( 月)
東京  ( 成田)  発
    Seoul   ( 仁川)
Seoul   ( 仁川)
    Paris   (CDG)  
09:00
11:35
13:15
18:20
OZ-107
OZ-501
舞浜 6:07 6:28⇒ 海浜幕張 06:45 発⇒成田
成田第一・南 Asiana 航空
Paris:CDG   Terminal #1
                      
    Hotel①
2
6 月 10 日
( 火)
Paris
モンマルトル散策(サクレクール寺院、モンマル
トル墓地、凱旋門、シャンゼリゼ、オペラ座
3
6 月 11 日
( 水)
Paris(Gare de L’Est-TGV)
Strasbourg (Gare)
16:24
18:43
TGV02443
ルーブル美術館
午後、 Strasbourg へ            
Hotel②
4
6 月 12 日
( 木)
Strasbourg
カテドラル、欧州議会、プティットフランス、イ
ル川遊覧
5
6 月 13 日
( 金)
Strasbourg Colmar オー・クニグスブール城、コルマール
6
6 月 14 日
( 土)
StrasbourgNancy
NancyParis  
10:26
11:52
15:15
16:45
Ter35050
TGV02541
ナンシー ・スタニスラス広場、ナンシー美術館
                    Hotel③
7
6 月 15 日
( 日)
Paris
バスティーユのマルシェ、近代美術館、オルセー
美術館、サントゥースターシュ教会
8
6 月 16 日
( 月)
Paris
クリニャンクールののみの市、エッフェル塔、
セーヌ川遊覧、サンゲルマンデプレ     
Hotel④
9
6 月 17 日
( 火)
Paris ヴェルサイユ宮殿、マリーアントワネットの離宮
10
6 月 18 日 Paris
21:20 OZ-502
シテ島(ノートルダム大聖堂、花の市場、サント
シャペル礼拝堂、コンシェルフーリー)、カルチ
6 月 14 日パリ日没:夜 9 時
55 分
航空券
e- Tic
ket
Airlink で手配
運賃
燃油Surcharg
e
航空保険料
諸税
合計@
2 人分
傷害保険
4 月に調べた時点ではアシアナ航空が一番
安かった。エアーリンクに手配を頼んで、
シンガポール航空が新型機を入れたのでど
うかという案内もあったが、いくらなんで
も Singapore 乗り換えは大変。アシアナ航空
にした。
宿泊リスト
訪問地・宿泊
日
宿泊先・連絡先 ( 電話・住所・ E-
Mail )
予約・料金 最終的支払い
Paris①
   ( イン )  
6/09
   ( アウト )  
6/11
Atlanta Frochot
9, rue Frochot, 75009 Paris
(Tel)+33-148783714
1 Twin :€ 100 、 B’st €9
Venere.com  
IHR5236171
CXL Limit::
CDG-RER/B-Gare du Nord
M2 - Pigalle
UFJ / VISA
7月10日払い
34,531
(@17,266)
Strasbourg
    ( イン )
  6/11
   ( アウト )  
6/14
Citotel des Arts
10 、 Place du Marche-aux-
Cochons-de-Lait
Strasbourg, 67000
(Tel)+33-388379837
1 Double :€ 72 、 B’st €
Venere.com  
IHR5237205
CXL Limit: 09 June
11:59pm
UFJ/VISA
7月10日払い
40,890
(@13,630)
Paris②
   ( イン )  
6/14
   ( アウト )  
6/16
Campanile Paris Bastille
9, rue du Chemin Vert, 75011,
    Paris
(Tel)+33-143385808
1 Twin : €93.50 、 B’st €8
Venere.com  
IHR5236982
CXL Limit:: 12 June
M8/Chemin Vert
M5Breguet-Sabin
Check-in/out:Noon
UFJ/VISA
8月 11 日支払
37,653
(@ 18,827)
Paris③
   ( イン )  
De Nantes
33, boulevard du Montparnasse,
1 Double :€ 97+ € 0.78
B’st €8
Venere.com  
UFJ / VISA
8 月 11 日払い
39,039
予約はすべてインターネットから Venere   Reservation Sysytem
支払は VISA カードでギャランティ、現地で VISA カード
平成 20 年(2008) 6 月 9 日(月) 成田からパリへ向かう
今日の予定
05:
45
バスで新浦安へ
06:
07
06:
28
京葉線で海浜幕張へ
海浜幕張 着
06:
45
07:
40
京成バスで成田へ (@1,100)
成田第 1 ターミナル南到着予定
ASIANA航空チェックイン
出国手続き、Gateへ
09:
00
11:
35
出発(定刻) 09:00 OZ
-107
仁川空港 11:35 ( 乗り換
え)
13:
15
18:
20
仁川空港 13:15 OZ-5
01
パリ・CDG 到着(定刻)18
:20
到着後、入国手続きを経て、
Termina1 #1→ Terminal #2
Terminal#2  で RER の切符購入
   TGV の現券購入( SNCF  
Shop)
朝一番のバスで新浦安
へ、新浦安から海浜幕
張に行き、空港行のバ
スを待つ。空港勤務者
か結構多くて、バスの
本数が少ないせいか混
んでいてあやうく締め
切られるところだった
。
南ウィングは全く新し
くなって ANA,UA の
スターアライアンス関
係航空会社が使ってい
る。アシアナ航空にチェックイン。初めての e-ticket だったが全く問
題 なし。
13:15 分の出発まで 1 時間以上ある。ト
ランジット手続きする人は少ない。日
本で一番安いパリ行きで日本中で販売し
ているのに、こんなもんか。仁川空港
はモダンで明るい。感じのいい空港だ
。
09:00  定刻に離陸、韓
国・ Inchoeon 国際空港にも
11 時半過ぎ予定通り到着し
た。
13:15 パリ遺棄 B-777 型、仁川を離陸。こんないい季節な
のに
申し訳ないほど空いている。横になっていける。離陸後や
がて
昼食、洋食はステーキ、韓国メニューにビビンバがある。
朝から食べていなかったので美味しかった。
機内食でビビンバ。ありがたい
。
ソウルからパリまでの飛行ルートに興味があって、とうとう寝ずじまいだった。成田からヨーロッパに直行する場合には新潟
の上空から
ハバロフスク-イルクーツクのルートだが、渤海湾上を西に進み、北京の東を北上してウランバートル、イルクーツク。あと
は同じだった。
空港に到着するとサテライトから長
いトンネルを抜けて、中央のターミ
ナルに入る。そこで入国審査を受け
、今度は荷物を受け取るためにパイ
プの中のエスカレーターで上にあが
る。
パスポートコントロー
ルは極めて簡単だった
のに、アシアナ航空に
預けたスーツケースが
なかなか出てこない。
後に着いたイギリスか
らの便のほうが先にで
てきている。 30 分ほど
かかって出てきた。
パリ市内へ行く RER の
B 線に乗るためにター
ミナル2に向かう。
荷物をもって、 CGDVAL の乗り場を探す。
ウロウロしてようやく見つけて、 VAL の
ホームへ。
CDGVAL はターミナル1、駐車場、ターミ
ナル2を結ぶ。ターミナル2は終点だから
安心だ。
もう 7 時過ぎているの
に外はまだ太陽がでて
いて明るい。
CDGVAL は 2006 年に開
通したばかりらしい。
ターミナルの 2 階と、広
いホールで結ばれている。
長い歩く歩道で、 VAL
のプラットホームに出た。
無料で切符を買う必要が
ない。乗客は少ない。や
がて新しい電車が入って
きた。すべて無人運転で
ある。
切符の自動販売機ぐらい使いこなせなきゃ、と挑戦したがわからな
い。 TGV の予約を切符現物に換える必要もあり、 SNCF 事務所で予約
シートを見せて交換し、ついでに PAR 市内行きの RER とカルネ 1 組を
買った。スムーズだった。
16.40 とある。大体
、 16.40 ものコイ
ンがない。諦める
。
SNCF の自動販売機。
Navette ? Suica みたいなもの?
わからぬ。
RER (エルウーエル)でパリ北駅( Gare du Nord) へ向
かう。
約40分ぐらいらしい。しばらく地下を走って上に出
る。パリの郊外もロンドン同様壁にいたずら書きが
あって、汚い。どこも同じ都会の小僧の悪癖。
北駅に着いた。 8 時半を過
ぎている。ここから計画で
は地下鉄 4 番線でとなりの
Barbes
Rochechouart で 2 番線に乗り
換え、 Pigalle 駅に行けばい
いと予定していたが、駅に
着くと La Chapelle 駅はこち
ら、という案内がある。そ
んなら2番線で、乗り替え
なくて済む、やれやれ、 La
Chapelle 駅に向かう。
長い通路でもしかして間違って
いないかと心配になったが、地
下道からエスカレーターをあが
ると La Chaplle の駅があった。
ピガール( Pigalle) でメトロを降り、外にでる。駅
前広場を中心に放射線状に何本かのみちがある。
交差点をわたったところに Monop' というコンビ
ニ風があったので、水を買う。ホテルのある Rue
Frochot は
      すぐにわかった。
6/9,10 Hotel Atlanta Frochot
水 1 本 0.70 ユー
ロ、 120 円だか
ら日本と同じ。
この中に 5.5% の
消費税が含まれ
ている内税形式。
フランスの消費
税は 19.6% と高
いが、食料品は
5.5% 。安くして
生活に負担をか
けないようにし
ている。エラ
夜、 9 時半を過ぎたのにまだ明るい。さす
がピガールだ。浅草の六区にあるホテルの
ようなものだから、店に客を呼び込む声、
娼婦が通りすがりの男を捕まえて交わして
いるのだろうなんとなくひそやかな会話、
窓に点滅するネオンの光 ..... 。日本時間 10
日の朝 4 時半で、昨日から一睡もしていな
いのになかなか寝付かれない。
カーテンの向こうのアパルトマンをみると
老人の一人暮らしなのかフランス窓を開い
てじっと下を眺めている。
明日からの計画を練ろうとして地図を開い
ているうちにうとうとした。
フロントに入ると小柄で愛想のいい
おばさんが受付をやってくれた。パ
ソコンもテキパキと処理してくれる。
4 階の表通りの部屋になった。
ホテルはすぐにわかった。立派なロビーがある
とはまったく期待していなかったので何も驚か
ない。料金からこんなところだろう。
明日は 6 月 10 日(火曜日)
空港からパリへ、地下鉄に乗り換えてピガールという駅で降り
る。
ホテルは駅に近く、疲れた体にはありがたかった。部屋は小さ
かった。ベッドだけでいっぱいという感じ。シャワーのみ。
部屋はホテルの正面の上らしく、細い通りに面していてカーテ
ンを開けると向かいの建物。アパートらしいのだが下を見ると
1階はストリップ小屋。そういう界隈らしい。夜中に大きな話
し声、覗いてみると数人の男女がおしゃべりをしていた。
いつも寝つきが悪い私が今回はすぐ眠ってしまった。時差もあ
るので最初の夜は特にだめなのに。(飛行機の中で食べた食事
など全部戻してしまった。暑さにあたったのか、疲れか)。
(明子)
6/10 (火)パリの初日、朝、モンマルト
ル散策
パリ市街を見下ろす海抜 130m の丘、モンマルトル。その名は「殉教者の丘」 Mont de
Martyrs 、あるいは「マルス ( 軍神 ) の丘」 Mont de Mars を語源とすると言われる。頂上
には、エッフェル塔や凱旋門と並ぶパリのシンボル、サクレ・クール大聖堂が壮観な
姿を見せる。ユトリロ、ピカソをはじめとする芸術家たちが愛した街角を散策したい
。
6 月 10 日(火・ mardi ) モンマルトル~凱旋門~コンコルド広場
今日の予定
朝食 07 :
30
ホテルにて
午前 モンマルトル散策
①サクレクール寺院
②テルトル広場
③モンマルトル墓地
Porte de Clichy/M2(Porte Dauphine)
→Charles de Galle Etoile
④ 凱旋門
⑤シャンゼリゼー
・ Fnac で Versaille 予約
Lunch
シャンゼリゼー通りのどこかでサンドイッ
チ程度
DELLI’S Café   Flora Danica
⑥ コンコルド広場
Madeleine / M12 (Pt.de
Chapelles)
Pigalle→  いったんホテルで休息
Pigalle/M12 ( Malrie d'Issy) Madleine→
⑦ オペラ座周辺
オスマン大通りデパート街
夕 食
Doumaine de Lintillac
54 rue Blanche,9e(M12/Trinite-d’Estienne d’Orve)
19:00 ~ 22:30   01-48-74-84-36
近いので歩いてホテルへ戻る
[ Memo ] money
◆ サクレ・クール寺院
【開】寺院 6:00 ~ 22:30  ドームとクリプト
9:00 ~
Dome+Crypt
€ 5
◆ モンマルトル墓地
20Av.Rachel, 18e    M2/Place de Clichy    8:00
~
無料
◆ 凱旋門 Arc de Triomphe
住所: Arc de Triomphe, Place Charles-de-Gaulle, 75008
Paris エトワール広場のロータリーの中心にあり
、門まではシャンゼリゼー通りからの地下道を
利用する。
Metro 駅: 1 号線/ Charles de Gaualle-Etoile
サイト: www.monum.fr ( 英文あり )
Open  
10:00-23:00
€ 8
●FNAC で Versaille Passport の購入
   Gallerie de Claridge,74 、 Ave. des Champs-
    Elysee 、
@ 21.70 ?
7 時すぎ、1階におり
て
ロビーの後ろ側にある
朝食コーナーで朝ごは
ん。クロワッサンにバ
ター、蜂蜜、コーヒー
、紅茶と新鮮で美味し
かった。
50 席近くある。 Twin
が多いとしても 25 室は
あるか。客層はサラ
リーマン、学生、多分
フランスの田舎からの
シニア達。
モンマルトルで行ってみたいところ
  1)ぶどう畑(モンマルトルの丘は昔村だった(江戸時代の澁谷村・目黒と同じ)。その頃からの名残
である。
  2) Lapin Agile   ( パリの名所のシャンソニエ) 昔、夜暗いときに行ったことがある。どんな風だった
のかもう一度。
  3)サクレクール寺院からパリを見渡す。
  4)テルトル広場
  5)アベスの地下鉄
    の入り口写真
    アールデコ調の
    デザインは
    ここを含めて
     2 か所しかない
    という。
  6)モンマルトル
    墓地。誰の墓を
    見たいという訳
    ではないが、
    どんなところか
    見てみたいだけ。
モンマルトルの Mont
は
山、とにかく山に
なっているから、道
はくねくねしている
だろう。どのガイド
ブックにも迷う人が
多いと書いてある。
ちゃんとした地図を
買わねば。
まず地図を買わねば。ピガールのメトロ入口にあ
”るキオスクで Plan de Paris" (7ユーロ)を購入。
会社にいたころもよ
くパリに行く人に頼
んでこのポケット版
地図を買ってもらっ
たものだ。
以後、片時も離さな
いで持ち歩くことに
なるが、なにせ字が
小さい。もっと大き
い地図を買えばよ
かったと、後で反省
する。
モンマルトルで最初に行きたい葡萄畑やラパンアジール
へはメトロのラマルク・コウランクールへ行くのが近い。
       12 番線で 2 つ目で降りる。
コーランクールで降りると駅前に小さな広場がある。サクレ
クール寺院は山の頂上だから上に行けば間違いないと階段を上
がった。
▼ ”大失敗! 駅前広場から階段を上がったまではよかったが、 Rue Saint-Vincent" みつからない
ままに、逆に歩いてしまった。そのために 3 倍も大回り、しかもアップダウンのある道だっ
た。
Lapin = ウサギ、Agile=敏
捷な
なんか由来があるのだろう
昔一度いったことのあるラパンアジール。シャン
ソンは聞いても何も分からず面白くなかったこと
だけを憶えている。入口の看板はキャバレーとあ
るが、辞書をひくとキャバレーは居酒屋とか酒場
となっている。日本と随分違う。
まだ 8 時前、朝日が気持ちいい。母親に同伴さ
れた
子供たちが通学してくる。
ブドウ畑の前の坂
道をだらだらと
登っていくと、子
供たちが学校に急
いでいる。途中の
階段下に小学校が
あった。まだ学校
前にたむろしてい
たが、ちょうど 8
時 15 分、ブザー
がなって学校が開
門する。右手むこ
うにサクレクール
の真っ白な塔が朝
日を照り返してい
た。
● サクレ・クール大聖堂
(Basilique du Sacre Coeur)
自亜のファサードと高いドームが特徴的な、ロマネスク・ビ
ザンチン様式のバジリカ大聖堂。 1870 年の普仏戦争敗北、翌
年のパリ・コミューン反乱が続いた暗い時代にカトリック教
徒の心を癒す目的で建設が計画された。着工したのは 1877 年
だが、地盤が弱くて完成まで 40 年もの月日がかかっている。
正面扉には、キリストの生涯を描いた壮麗な彫刻が施されて
いる。堂内に入って、天井のモザイク画を見上げてみよう。
キリスト、マリア、法王の像と共に、聖フランスやパリの司
教たちの姿が生き生き
 と描かれている。また鐘楼には、世界最大級の大きさを誇
る約 18
  ㌧の鐘がある。見晴らしのよい Dome も宝物が奉納されて
いる
   地下礼拝堂 Crypte も見学可能だがまだオープンしない
ので
    行かなかった。寺院の右側に Jeanne d’Arc のブロンズ
像
    がある。右手がジャンヌダルク
左手に聖ルイ王(ルイ 9
世)
大きくて近くでは全体が撮れない。
インターネットから拾った全体像
● テルトル広場
午後になると画家
たちが大勢いて、
似顔絵描きの呼び
かけが煩いほどま
とわりつくのだが
、朝 9 時前の今は
2,3人しかいな
い。広場の木立の
下の何軒かのカフ
エの椅子がまだ積
み上げられたまま
になっている、静
かな朝のひととき
だった。
(インターネット
から)
モンマルトルを愛した画家モーリス・ユトリロ
の絵
画家のユトリロの作品に見
られる坂道や階段が { あち
こちに残る。
●Abbesse の地下鉄駅の入り口のデザ
インはパリに2つしか残っていない
というアールデコの貝殻デザインと
いうことで。
墓地に向かう。
地図が見ずら
くて随分と遠
回りしてし
まった。坂道
と交差する場
所が多くて道
筋が分りにく
い。
後でみたら相
当に遠回りし
てしまった。
足が痛くなる
はずだ。
歩いているうちに子ども達の姿を見かけるよ
うになった。お父さん、お母さんと一緒だっ
たり、友達同士だったり、幼稚園や学校の登
校時間なのだろう。頂上近くまで来た時、大
きなベルの音がした。一段下の通りに子ども
達がたむろしている。そこが学校の門らしい
。
時計を見ると8時20分だった。
サクレクール寺院の裏手に出た。この寺院は
完成したのが1930年代とかで新しい教会
だということだ。中に入ると修道女の聖歌隊
が歌っていた。大聖堂の正面はパリの街が見
渡せる。まだ早いこともあって観光客もいな
い。正面の階段に割れたガラス瓶が散乱して
いて驚いた。
サクレクールから地図を頼りに迷いながら歩
いてモンマルトルの墓地へ。フランス語に慣
れていないから通りの名前などもすぐ頭に入
らない。通り一つ一つに名前が付いているの
はよいのだが、通りは入り組んでいるし、頭
が混乱してくる。でも私は全部主人におまか
せ。くっ付いて歩くだけ。
時々「〇〇通り探して」、と言われて、通り
の角で建物に付いている通りの名札を見てみ
たりする。
6月10日、6時半くらいに起きる。
7時40分頃ホテルを出る。ホテルの前は
静かだった。地下鉄に乗る前にキオスクの
ような店でパリの地図を買う。 
まずモンマルトルを歩く。天気は上々、涼
しくて歩くのには丁度良かった。山の斜面
に沿って真っ直ぐ上に向かって石の階段、
鉄の手すり。階段の両脇にはアパートが建
っている。
アパートの窓のよろい戸、色とりどりの花
の植木鉢、パリだなぁ。住人たちは朝の支
度で忙しい頃だろう。
パン屋さんが店を開いている。ケーキ類な
ども並んでいた。外からうっとり眺めてし
まった。持って歩くわけにも行かないから
買わなかったけど。モンマルトルに一つだ
けあるブドウ畑の横を通る。
階段を横切るように棚地というか踊場とい
うような感じで道路がある。狭い道路だけ
れど車も通って、道に沿って大きなプラタ
ナスやマロニエの並木もある。その細い道
片側にびっちりと縦列駐車。どうやって駐
車したか、どうやって出て行くのか。完全
に前後接触している車もあるのだから。
モンマルトルの墓地はいかにも都会の墓地
と言った感じで、青山墓地とか雑司が谷の
墓地に雰囲気が似ている。石畳の道に沿っ
て大きな木がうっそうとしている。歩いて
いるうちにゾラの墓石と、スタンダールの
墓石を見つけた。案内の地図もあってかな
り有名な方々があちらこちらで眠っている
らしい。
ドガ、ハイネ、スタンダール、エミール・ゾラ、ベルリ
オーズ、ニジンスキーなど芸術家、小説家などの墓がある
というが、墓標の文字はもう崩れているので判読不能。ゾ
ラだけがわかった。墓の所在が判ったからってなんてこと
もない。カトリック信者のお墓の印象を深めことと、結構
新しい花が供えられているということはキリスト教でも故
人・お墓を大切にすることには変わりはないな、と納得し
て適当に切り上げた。
6/10 (火) モンマルトルから凱旋門へ
エトワール広場のロータリーの中心にあり、門まではシャ
ンゼリゼー通りからの地下道を利用する。シャンゼリー大
通りの北東側にトンネルの入り口。ここがトンネルの出入
口。凱旋門に登るには 10 時オープンである。
墓地を出てクリシー大通りに出る。少し戻ると Blanche 駅が
ある。角にムーラン・ルージュがあった。ここから凱旋門
のあるエトワール駅までは M2 で3つ目である。
ナポレオンは、勝利につぐ
勝利で、兵士たちが誇りを
持って凱旋し、市民に歓声
で迎えられるよう、ローマ
帝国時代の凱旋門のような
ものが欲しかった。
1806 年オーステリッツの戦いの後ナポレオンは、ローマ皇帝ティトウスの凱旋門をモデ
ルにして
遠くからよく見えるよう派手な装飾を取り去ってすっきりしたものを作るよう指示した。
しかし完成は 1836 年で、その 4 年後ナポレオンはセントヘレナ島から遺骸でこの門をく
シャンゼリゼの正面の柱上に浮き彫
りされているのは、フランソワ・
リュード作の「マルセイエーズ」と
呼ぱれる「義勇兵の出陣」。 1792
年にフランスを守るために召集され
た 20 万人の兵士が描かれている。
翼を持った女性は自由の神で、民衆
に戦闘を呼びかけている。
国のため散った兵士の名誉を称えてるた
めに、無名の一兵士の名誉を称えること
によって、国のために前線で戦死したす
べての兵士を象徴的に追悼するという考
えは、 1916 年の第一次世界大戦時に生ま
れた。 1918 年 11 月 11 日の休戦を受けて
、下院と元老院は満場一致で、ある身元
の分からない兵士の遺骸をパンテオンに
祀ることを決定したが、これに対し、在
郷軍人会がパンテオンの使用を反対し、
結果、凱旋門でこの象徴的な死が称えら
れることとなった。
内壁には 1895
年に至るまで
、フランス革
命および帝政
下における戦
争と将軍の名
が刻まれてい
る。軍人の名
はレジオン・
ドヌール勲章
と棕櫚の葉と
ともに彫板に
記されている
。
メトロを出たとこで金をくれ
と声をかけてきた女の子。イ
ンド系の顔立ちでロマ人(ジ
プシー)であることがすぐわ
かる。
「義勇兵の出
陣」
「ラ・マルセイエー
ズ」
シャンゼリゼーからトンネルをく
ぐって行く。凱旋門広場に出る階
段の手前に入場券うりばがある。
理由は分からないが入場券発売が 9:30 でなく、 10 時
だった。並んで 20 分ぐらい待った。入場券を買った人
が、次から次に真っ暗ならせん階段をすごい勢いで
登っていく。狭いので下から下から続く人にお先に
どうぞという訳にいかない。こちらも煽られる。休みも
なしに登るしかなかった。中2階までに階段が264段
という。中2階で横になって少し休んでから、奥の階段で2階
の展示コーナーのあるフロアーへ上がり、そしてやっとテラスへ出た。
降りるときはエレベーターだった。こんなことなら登るときにもエレベーター
にすればよかった。あわてて登っていく列につられて螺旋階段に入ってしまっ
た。ただ、障害者専用用みたいなマークはあったので、断られたのかな。
1853 年、オスマン男爵がパリ改造計画に着手し、 15 年後エトワール広場が完成する。エトワール(星)という名は
、この広場を中心として 12 の大通りが放射状に広がっていることに由来している。大通りには、戦闘名(イエナ、
ヴァグラムなど)、あるいはフランス革命期とナポレオン帝政期におけるフランスの軍事史上の人物(オッシュ、ク
レベールなど ) の名前が付けられている。凱旋門はパリを東西に横切る主軸上に位置し、ルーヴル宮脇のカルーゼル
凱旋門、チュイルリー公園、コンコルド広場のオベリスク、シャンゼリゼ通り、グランド・アルメ通り、デファンス
のグランド・アルシュ (1989 年完成 ) を結び付けている。 1944 年のっぽの将軍シャルル。ド。ゴールがここに凱旋す
る。現在はドゴール広場のほうが通りがいい。
今回の旅行で第1日目に貧血を起こしてし
まいました。モンマルトルを歩いてから地下
鉄を二駅のってエトワールへでました。凱旋
門です。
凱旋門の屋上に上ることになったんですが
、チケットを買うまで、場所がわからずうろ
うろしました。凱旋門の周りは車が入れない
ようになっていて、観光客も地下道を通って
凱旋門の下に出ます。この地下道の出口にチ
ケット売り場があるのですが、シャッターが
通路の壁と全く同じ材質なので、その壁の裏
にチケット売り場があるなんて思えないので
す。
屋上に上る階段は螺旋階段で1mちょっと
の幅しかありません。エレベーターはあるの
ですが、上りは身障者しか使えません。
階段は300段以上あって歩いて上ること
になっているそうです。観光客がぞろぞろ続
いて上るのですが、階段が大理石で出来てい
て角が摩滅して滑りそうで怖いし、螺旋階段
は扇形ですから一つのステップの奥行きが充
分ありません。
シャンゼリゼーが真っ直ぐコンコルド
広場まで繋がっています。それで足元を
見ながら上るのですが、螺旋の幅も狭い
し、だんだん目が回ってきてしまいまし
た。それに300段以上の階段なんて普
段運動不足の私は息切れがしてくるし足
は上がらなくなるし、どんどん後ろの人
に追い抜かれました。
最後の屋根裏部屋のようなところに着
いた時はふらふらで、恥ずかしかったん
ですがそこのベンチにひっくり返ってし
まいました。
顔も血が引いてしまって青くなってい
たそうです。動悸が治まるまでしばらく
そこで休みました。
落ち着いてから屋上に上りました。も
のすごく良い天気になって陽射しが暑い
くらいで、日陰に座って風に吹かれてい
るとだいぶ楽になってきました。
凱 旋 門
戦士帰還のセレモニー
1920 年 11 月 11 日の第一次大戦戦勝セレモニー
において、第三共和国 50 周年を記念して愛国
の政治家レオン・ガンベッタの心臓がパンテオ
ンに祀られるとともに、ある無名の兵士が荘厳
に凱旋門入りした。 1921 年、英国首相、元帥
、フランス政府代表者の参列のもとで、この無
名の兵士はレジオン・ドヌールを叙勲されアー
チ下に埋葬された。 1923 年 11 月 11 日、陸相
アンドレ・マジノによって追悼の火が点火され
、以来、この炎は絶えたことがありません。毎
日 18 時 30 分に、 900 あるフランス在郷軍人
会のうちのひとつによって点火され続けていま
す。
床には重要な出来事を記念した碑文― 1870
年の共和国宣言、 1918 年のアルザス・ロ
レーヌ地方のフランス返還、第二次世界大
戦での戦死者追悼、 1940 年 6 月 18 日のド
” ”ゴール将軍による 呼びかけ 、インドシナ
半島およびアルジェリアでの戦死者追悼―
がある。
1820 年の凱旋門 (Internet)
映画「冒険者たち」でアランド
ロンが凱旋門を飛行機でくぐろ
うとして
飛行機免許をはく奪される。
1944.8.26パリ
解放後。フランス自由軍
を率いてシャンゼリゼー
に凱旋するド・ゴール将
凱旋門から南東に真っ直ぐシャ
ンゼリゼー大通りが伸びてコン
コルド広場にぶつかる。ぶつか
る手前右側に、グランパレ・プ
チパレの建物がある。コンコル
ド広場のオベリスクが目標。
シャンゼリゼー大通りを歩く
Avenue des Champs-Elysees 全長
2km 、幅約 100m の並木道。
シャンゼリゼーが真っ直ぐコンコルド
広場まで繋がっています。
シャンゼリゼー通りは広いですね。歩
道と車道の境に並木が一列、歩道の真
ん中にもう一列並木があります。それ
が丁度日陰になったりします。歩道に
テーブルや椅子を出しても充分余裕が
あります。
それにしても車の通行量の多いこと。
 スピードも音もすごいです。途中で
ヴェルサイユ宮殿の入場券を買ったり
、食事したりしましたが、コンコルド
広場まで歩きました。
ようやく
FNAC を探し
たはいいが
売っている
のは携帯電
話。地下 2
階の隅のほ
うでヴェル
サイユの入
場券を売っ
ていた。 6
月 17 日の入
場券を買っ
て、これで
FNAC でヴェルサイユ
の入場券を無事手に
入れてから食事。歩道
の並木のあいだにテン
トを張って日陰にして、
その下にテーブルと椅
子。
自分の食べたいものを
選ぶのも大変。丁度昼
時で近くのオフィスから
も人がどんどん出てき
てその人達に混じって
注文するのだから、そ
れも大変。どうにかこう
にか水とハムサラダやフルーツサラダ
を買いテラスで食べる。 (17.10 ユー
ロ)
サンドウィッチを買って食べる。おい
しいんだかまずいんだか良く分からな
い。
コンコルド
広場
また、シャンゼリゼー大通りのつづきを歩いた
Grand Palais   1900 の世界博会場
涼しい木陰を選んで歩いた。太
陽が照りつけ、風がなまぬるい
シャンゼリゼ公園の木々
がよく茂っている。
ついにコンコルド広場に出る。しかし暑い。
ルイ 15 世に捧げられた「ルイ 15 世広場」であったが、フランス革
命当時は「革命広場」となり、ギロチンがおかれ、ルイ 16 世、マ
リーアントワネット、革命派のダントン、ロベテピエールも処刑さ
れた。 1795 年になって、コンコルド ( 融和 ) 広場となった。
コンコルド広場までゆっくり休み休み歩いた。
夫があの建物はどうこう・・・と説明してくれる
のだけれど、聞いた端から忘れていく。(ごめん
なさい)
とにかく暑いので水分を取りながらコンコル
ド広場へ着いた。振り返るとシャンゼリゼー通り
の向こうの端に凱旋門が見える。
暑さと排気ガスでもやが立っているような通
りだった。車の交通量が多い。それもスピードも
音も東京の比ではない。
ナポレオンがエジプトから持ってきたという
オベリスクが建つ。マリー・アントワネットが処
刑された場所。パリは歴史をわかっていると楽し
みも倍になりそうです。
砂というか砂利というか、靴が埃で白くなる。
疲れも出てきてひとまずホテルへ帰ろうというこ
とになった。マドレーヌという地下鉄の駅まで歩
く。その通りにはマキシムの本店やエルメスなど
老舗の有名店が並ぶ。
はるかにエッフェル塔
ナポレオンのエジプト遠征のとき、持ち帰らせたものと
思っていたが、 1830 年、エジプト総督ムハンマド・ア
リが、ルイ・フィリップに贈ったものだそうだ。なんで
も、ルーブルから贈られた時計の返礼にこんな大きいも
のをくれたという。ラムセス 1 世時代のもので、花崗岩
の1枚岩で、高さ 23m 、重さは 220 トンを越えるとい
振り返れば凱旋門が熱気で霞む
オテル・クリヨン。第二次大戦でパリを占領し
たドイツ軍はここに本部をおいた。「パリは燃
えているか」と
ヒットラーから催促の電話があったのもこのな
か。
マドレーヌ寺
院
マドレーヌ寺
院
もう暑くてげんなり。ホテルに戻って休みたい。
コンコルドの地下鉄の入口を探しているあいだ
にマドレーヌ近くまできてしまった。途中左手
に Maxim があった。ピガールまで 1 本で行ける
のだが、どうして も
アベスの駅を写 真
にとりたくて、足 が
痛いのだがアベ ス
まで行く。
メトロのアベス( Abbesses) 駅へ
アベス広場にあるメトロ駅の入口は、巨匠ギマールがデザインした
アーチで、このアールヌーボの貝殻入口は、こことポルト・ドー
フィーヌ駅だけに現存する貴重なものというので、わざわざピガール
を乗り越して次のアベスまできた。。ホテルへは歩いて戻る。
ピガール広場まで降
りてきたら白い小さ
な電車風の乗り物が
ある。ガイドブック
”に書いてあった ぷち
”とらん らしい。これ
に乗ればよかったの
かな。あとのまつり
。
ピガールの Monop' に
寄って水やコーラを
勝てホテルへ戻り 4
時ぐらいまで休んだ
。
4 時過ぎて、あまり疲れがと
れた気はしないが、出かけよ
う。オペラ座めざしてマド
レーヌ駅に行く。
この辺にヴァンドーム広場
がある。(行かなかった)。
ナポレオンが 30m の円柱か
ら見下ろす広場で、ホテ
ル・リッツ、カルチェの本
店などがある。
ここをまっ
すぐ行くと
ルーブル美
術館へ。
メトロでマドレーヌ広場に出る
こちらに行けば、フランスを代
表するブティックの本店のある
サントノーレ通り、そして大統
領官邸であるエリゼー宮がある
。
ここを行くとす
ぐにコンコルド
広場に出る。
建物の角にレン
タサイクルがあ
る。どうやって
借りるのだろう。
研究の余地あり
。
マドレーヌ寺院~オペラ座
   周辺を歩く~夕食
オペラ座(残念ながら今日は中に入れないとのこ
と)
オペラ座の装飾
夕食をとろうと予定していたレストランはトリニテ教会の脇の通り
、 Rue Blanche にある。オペラ座の裏手のオスマン通り( Bd
Haussmann) には BonMarche 、 Galerie La Fayette, Le Printemps の3大百貨店
が並ぶ。オープランタンの建物の間を通ってサンラザール通りに出
たところで道がわからなくなってしまった。へんなじいさんに聞い
たり、落ち着いて地図を見て、トリニテ教会にでたら、ブランシュ
通りがみつかった。
予定した Domaine et Lintillac
レストランは予約すべき
     予定していたレストラ
ンは
      54  Rue Blanche で
あった。
      トリニテ教会から坂
道を上
      がっていって右手の
偶数の
      住居番号を見て行っ
たが
     54がなかなか出て
こない。
      ガイドブックで見た
店だから
もしかしてもうないのかも
し
れない、と諦めて代わりに
と角にイタリアンがあった
の で入った。食後にホテルま
で
歩き出すとすぐ先に本来の
レストランがあるではない
か。
食欲がないというので当
店のおすすめサラダと炒
めたほうれんそうたっぷ
りの上に焼いた鮭、の2
皿をとった。サラダも味
付けが良かったし、酒も
塩味がよく美味しかった
。
” ”店は Le Lorenzo という名
前で、
兄と妹が店にでて、奥で親か親戚が
調理しているような家庭的な店だっ
た。
長い1日がようやく暮れました。今日はモンマルトルの坂道
を上ったり、下ったり、凱旋門の暗くて数多い螺旋階段を息
を切らして上ったり、6月のもう夏の日差しが容赦なく照り
つけるシャンゼリゼ通りをだらだら下ったり、最後にはブラ
ンシュ通りの長い坂道を上がったり、とにかくよく歩きまし
た。風呂につかってゆっくり足を休ませてやりたい。
ピガールは夜寝ない街だけど、こちらは休ませてもら
う
レストランからブランシェ通りをのぼりつ
めブランシュ駅に来ると、向かい側にナイ
” ”トスポットの代名詞 ムーランルージュ があ
る。
明日6月11日はルーブル美術館へ行く予定。午後に
は
TGVに乗ってストラスブールへ行く。汽車の旅はス
ムーズにいくだろうか。
 3日目 6 月 11 日(水曜)
ルーブル美術館
パレ・ロワイヤル
そして
アルザスへ
③ 6 月 11 日(水・ mercredi ) 午前パリ、午後ストラスブールへ
今日の予定
朝食 07:00 朝食後、チェックアウト、
スーツケース預ける
Pigalle/M12 ( Mairie d’Isay)
→Pl.Concorde
08:00
09:00
① チュイルリー公園
②ルーブル美術館
Lunch
ルーブル美術館のなか、あるいは
Le Fumor ( 6, rue de l’Amiral-Coligny)
③Passage 散策
④パレ・ロワイヤル
⑤証券取引所  Bourse
14:45 Bourse/M3 Villiers/M→ 2→ Pigalle
ホテルに戻り、スーツケースを取る
15:20
15:45
Pigalle/M2 ( Nation)
→Barbes Rochechouart/M4(P.Orlean)
→Gare de L’Est
16:24
18:43
Gare de L’Est
Gare Strasbourg
TGV02443
13 号車 63 ・ 64
駅から路線バスでホテルの最寄りの停留
所げ、そこから歩いてホテルへ
チェックイン
夕 食
Le Gruber : 11 rue du Maroquin (Choucrout)
Patisserie Christian Meyer
Brasserie au Dauphin:13, pl.Cathedral
[ Memo ]
● ルーブル美術館  Musee du Louvre
●Open : 9:00 ~ 18:00  水・金曜は 21:45 [休み]火
    http://www.louvre.or.jp
   住所: Place du Carrousel, 75001 Paris
    Metro 駅: 1 、 7 号線/ Palais Royal 、 Musee
      du   Louvre
   入り口に日本語の館内マップがあるのでもらっ
ておく
   入場料 9 ユーロ
●Passge 散策
  ① Galerie Vere Dodat 19 世紀のパリ、市松模様
     1826 から。ネオクラシック様式、昔ながら
の店
  ② Galerie Vivienne  パリで最もエレガント
     Bourse/M3/(Port de Levallois)
       → Villiers/M2(Nation)→Pigalle
【 Strasbourg 】
① 観光案内所 :17,pl. de la Cathedrale 0388522828
  http://www.ot-strasbourg.fr 9:00 ~ 19:00 休み:なし ,
 駅前広場 Pl.delaGare の地下 1 階にもあり
② 市内交通 :  1 トラム A ~ D 線の 4 本ととバス路
線あり。
  旧市街は徒歩でも 可能。市内の広さ:観光所要時
間の
  目安は約 8 時聞。
  観光案内所で「ストラスブールパス」は
     3 日間有効で 10.90ξ 。
  美術館やクルージング、レンタサイクルが無料ま
たは
7 時半、朝食をとりにロ
ビーへ。
朝食後、スーツケースを整
理して部屋をクリア、フロ
ントで
予約をした時のカード
( ViSA) で払った。カード
の支払いには暗証番号が要
る。2泊分の部屋と朝食で
204ユーロだった。フラ
ンスの消費税は一般的に
19.7% だが、ホテルは 5.5%
と安い。やはり観光客誘致
のための政策か。
午後 2 時過ぎまでというこ
とで、スーツケースを預
かってもらう。ロビーは狭
いが、奥の朝食用の部屋や
荷物保管場所は結構ひろく
清潔だった。
ホテルをチェックアウト
メトロでコンコルド広場に着く。 8 時半過ぎ、広場に人影は
少ない。今朝は曇っていて少し涼しい。
● コンコルド広
場
テュイルリー公園を横断する
ここはもともと宮殿があった。 1563 年に当時
の摂政であった王母カトリーヌ・ド・メディ
シスが建造を命じ、約 100 年の時を費やして
完成した宮殿があった。 1664 年にはルイ 14
世の命で、ヴェルサイユ宮殿の庭園なども手
掛けたル・ノートルによって泉水や散歩道な
どが整備され、現代に残る庭園を作り上げた
が、 1683 年に王宮はヴェルサイユ宮殿に移る。
再びテュイルリーに王宮が戻るのは、フラン
ス革命の最中であった 1789 年のことであった。
革命によりルイ 16 世が捕らえられたのちは、
国民公会、公安委員会の拠点として使用され
る。のちにナポレオン・ボナパルトが再び王
宮としたが、 1871 年のパリ・コミューンの際
に焼失し、現在では庭園(テュイルリー庭園
Jardin des Tuileries )のみが残り、当時の面影を
伝えている。
コンコルド広場→チュイルリー公園を歩いて→ルーブル美術館へ
オランジュリー美
術館
1871 年に焼失する前の
テュイルリー宮殿。
コンコルド広場では曇っていたのに、テュイル
リー公園を歩いているうちにいつのまにか空は
真っ青。今日も暑い1日になりそうだ。公園に
敷き詰めた砂利が埃っぽい。花はほとんど咲か
せていない。もう水やりが大変なのだろう。
ジョギングをするひと、ベンチで新聞読む人、
いろいろな彫刻。
テュイルリー公園とルーブル美術館の間のカルーセル凱旋門
ルーブル美術館  Musee du Louvre
住所: Place du Carrousel, 75001
Metro 駅: 1 、 7 号線/ Palais Royal か、 Musee du
Louvre  サイト :http://www.louvre.fr/
9:00 ~ 18:00  水・金曜は 21:45 まで。火曜:
休み。
9ユーロ
6/11 (水) ルーブル美術館へ
9 時半になってオープン。ぞろぞろと
ガラス張りのピラミッドの中に入っ
て行く。螺旋階段を降りると地下 2
階で入場券売り場がある。
ピラミッドの地階
ここのカフェテリ
アで
昼食をとった。
入場券はドラクロワ美術館と合わせて9ユーロ
だった。
      書店 / 売店 帰りにここ
      でお土産を買った。
子供たちの一群が先生に率いられて来て
いる。世界の名画を見られる美術館が近
くにあって、小さい時から先生から絵画
の見方を教えられる、なんとも羨ましい
環境だ。やはりこういうことが、積もり
積もって芸術家が輩出され、芸術作品を
評価するレベルも日本とは格段の違いが
でてくるのだろう。
入口
出口
パンフレットを見るとリシュリュー翼の 3 階に
オランダ・フランドル絵画の部屋があって、そ
こにフェルメールもあると出ている。
ピラミッドの地階からリシュリュー翼に入った
が、
内部の順路が解らない。 2 階と 3 階は吹き抜け
になっている。大理石の固い階段を上がったり
、下がったりして、ようやく行ってみたら、オ
ランダ絵画コーナーはクローズしている。やっ
とここまでやってきたのに。日本でフェルメー
ル展を開くので、作品
は日本に行ってしまったのだろうか。
ルーベンスホールにも行けなかった。
吹き抜
け 吹き抜
け
リシュリュー館
半地階(ピラミッドと同じレベル)と1階にはフランス彫
刻
2 階には中世、ルネッサンス時代の工芸品、ナポレオン3
世の
居間
3 階に、オランダ、フランドル、ドイツの、 14-17 世紀絵
まず、リシュリュー へ。翼
  ドゥノン へ本命 翼
1 階から幅の広い階段を2階に
上がっていくと、中二階の大き
く翼を広げた「サモトラケのニ
ケ」の像がある。
” ”いわゆる ルーブル美術館 というと、このドゥノン館にある絵画
や彫刻を見ることで終わる。時間のない人はもとより、リシュ
リューやシェリー翼にはよほど特定の分野に興味がない限り行
かない。
ナポレオンの戴冠式。メ
デューサ号の遭難などフ
ランス 17 世紀の大作、
セーヌ川沿いにはイタリ
アの 13 から 17 世紀にか
けての絵画が並び、一番
奥にはスペイ絵画の部屋
がある。
まず、フランス 17 世紀絵
画を見て、一番奥へ行き
、戻って、イタリア絵画
を見ることにする。
まずはミロノヴィーナスを鑑賞
” ”王位は教皇から 下賜される のではなく、皇帝自ら戴冠し
、さらに、皇妃にも授けるという前代未聞の演出を描い
たのはナポレオンの首席画家ダヴィッド。縦 6.2 x横 9.8
mの大作。
舞台はノートルダム大聖堂、参列者の顔も衣装も参列者
の実物を克明に描いたという。
ドラクロア「民衆を導く自由の女神」
ジェリコー
「メデュー
ス号の筏」
(1816)
ドラクロア
は異国の出
来事を多く
描いている
。
ラファエロ「美しき女庭師」 (1508) 。正式
には「聖母子と幼子聖ヨハネ」。ラファエロ
24 歳の作品。
心のふれあいと慈愛を表現するために、マリ
アとイエスが直接視線を交わしあうというの
は、聖母子像では他に例がないという。それ
までのキリスト教絵画では聖母やイエスの神
秘性や厳粛さを重んじるために、人間の自然
な表情を描くことを重視されなかったが、ラ
” ”ファエロは親しみのある 人間 を描いている
カラヴァジョがあっ
た。「ジプシーと兵
士」
カラヴァジョ (1565-
1609) はイタリア・
バロックの第一人者
といわれる。現実感
と迫真性を追求し、
宗教がデモ好んで激
情的なシーンを描い
一番奥にあるスペイン画家のコレクション。ベラスケス、エル・グレ
コ、ムリーリョ、そしてゴヤがあった。
ヴェラスケス「マル
ガリータ王女」
コロー「マントの
橋」( 1835)
フランドル派の一人。
古典的で優雅なひょ
うげんのbなかに細
かい自然描写を行い
、自然の光や大気を
しっとりと描き出し
た。
ミレー( 1814-75) バルビゾン派といわれるイギリスの風景画の影響をうけた
自然描写を主題として、新たな自然主義絵画を起こした。
昔美術書などで見たことがある絵が沢山あるが、、作者名や年代を近づいて読むのも煩わしい。「これも見たことがあ
る」で過ぎた。
「モナリザ」は特出しだ。大広間の一方において、周りをロープで囲んで近づ
かないようにしてある。いろいろな国からの人たちが絵に見入っていて、こち
らを見ている方が面白い。ダヴィンチ・コードの影響も大きいのだろう。
ルーブル美術館を代表するのは「ミロのヴィーナス」「サモトラケのニケ」「ナポ
レオンの戴冠式」そして「モナリザ」なのだろう。観光ツアーで時間をとってガイ
ドが説明するのは大体この4点だ。一応このベスト4を鑑賞したので、美術鑑賞を
終了することにした。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
「モナリザ」 (1503 )
世界の美術館によればこの顔
にはいろいろな謎があって、
1.顔の左半分は悲しんでい
る男の顔、右半分は微笑んで
いる女性の顔と、両性を持っ
ている
2.最新の感情認識ソフトに
よると、この顔は 83% の幸せ
、9%の嫌悪、2%の怒りを
含むという。
地階のピラミッドからリシュリュー館に入った左手のカフェテリアで昼食をとって
から、売店で、本やお土産を買って、ピラミッドの外に出た。リシュリュー館の1
階の通路を通ってリボリ通りに出る。ガイドブックにパリの是非行ってみたいとこ
ろに "Galerie Passage" ”、いわゆるアーケード商店街がある、その代表が Galerie Vero
Dodat" だと出ているので、いってみることにしていた。パレ・ロワイヤルに近いの
で、まず” Galerie Vero Dodat" そこへ行ってみた。
リシュリー館とリボリ通り(疲れて写真も撮るのを忘れたのでインターネットか
ら)
パッサージュ (Passage) に入る。
人通りは少なく、薄暗くて大正
時代から取り残された商店街と
いう古き(良きとはいえない
が)感じがする。同じ形の商店
がずらっと並んだ 50 mぐらい
の短いパッセージだった。
売っているものも、個性の強い
デザイン嗜好性が強いもの、あ
るいは骨董品が多い。こんなも
のを置くほどの立派な家に住ん
でいる訳でもないので、立ち止
まりもせず通ってオアレ・ロワ
イヤルに向かった。
Galerie Vero-Dodat へ入ってみた
映画シャレード、ヘップバーンが追いかけられたパレ・ロワイヤル
パレ・ロワイヤルは映画シャ
レードで、オードリーが誰か
解らない相手に追いかけられ
る円柱が並ぶシーンの背景に
なった。
パレ・ロワイヤル=王宮。4階建ての安アパートに見えるが
、もとはルイ 13 世の宰相リシュリューの城館。彼の死後、
主君に寄贈され、ルイ 13 世の死後、 1643 年に当時 5 才のル
イ 14 世がルーブル宮殿から移り住んだことで、パレ・ロワ
イヤル(王宮)と呼ばれるようになった。ルイ 14 世は14
歳の時ジロンド党の反乱がおき、パリが嫌いになっり、ここ
を弟オルレアン公フィリップ 1 世に譲ってヴェルサイユに住
むようになった。ところがフィリップは困窮して、屋敷の庭
園をぐるりとコの字を描くように建物を建て、商人たちに貸
し出した。一種の不動産経営のようなものでもあるが、開放
された一階にはレストランや商店が並び、中庭にはカフェ、
パッサージュのはしりができた。
繁華街となったばかりではなく、警察の立ち入りを禁じ
たので、革命家のたまり場となり、民衆の政治論議の中
心となったり、娼婦や怪しげな商売をする人たちで溢れ
てもいた。革命後は、劇場、賭博場、証券取引所、高級
アパートなど、用途が転々と変わったが、 1 階回廊にカ
フェ、商店、ダンスホールなどが店を構え、市民の集会
、娯楽の中心地となった。
現在は文化省などが入る建物だが、軒にはブティック、
画廊、骨董品店などが並び、気軽にウインドーショッピ
ングが出来る。中世の建物に現代芸術の円柱や噴水が不
調和だが、パレ・ロワイヤルの数奇な歴史を象徴してい
るかのようで、フランス人にも愛着をもたれているよう
である。
NTB 時代に何度か訪問したパリ証券取引所( Burse) 。パレロワイヤ
ルに近いので、行ってみたいと計画していたので、酷暑で疲れたけ
ど行ってみる。黒の背広を着たビジネスマンの群れがあちこちに
懐かしい光景だ。
証券取引所へ
     そろそろ東駅から
ストラ
     スブールに向かう
ため
     にホテルに戻って
ガイドブックに代表的なパッ
サージュとして Galerie Colbert
(ギャルリー・コルベール)
やGalerie Vivienne
( ギャルリー・ヴィヴィエン
ヌ)があると書かれている。
証券取引所に行く途中なので
一応通ってみる。さっきの
Vero-Dodat
と同じく、人通りもなく一部
会議室になっていたりして、
冴えない場所だった。ガイド
ブックはあてにならない。
Parsi-Est ・東駅、そしてストラスブールへ
Barbes   Roche-chouart 駅で M 4
に乗り換える。ここは地上階
にあるので、スーツケースを
持って階段を下りるのが大変
だった。 M4 線へ、東駅へ向か
う。
東駅は全列車が頭(最後尾?)を揃えて入っ
てくる。最後尾の機関車を切り離し、頭に機
関車を連結しなおして出て行くのだろう。
ホームの上は丸いガラス張りの半円筒のよう
になっていて明るい。
ホテルに戻って
スーツケースを
引き取る。フロント
で事務をしていた、
スペイン系の顔立ちの女性。この
ホテルの看板らしく、ホテル紹介
のホームページにも載っている。
サイトで見たよ、って言ったら、
にこにこして、さよならを言って
くれた。
切符の改札はない。ホームの入口にある黄色い打刻機( Composteur) に切符を差し
込んで打刻しておけばいい。打刻しないで検札にバレたら、相当の罰金をとら
れる。
ホーム (Voie) を覗くと、ドイツの特急 ICE が入ってい
る。まっすぐ東にいけば、スツットガルトはすぐ近く
だ。
ホームの入口には、そのホームを使う電車の行き先が順番にモニ
ターに映っている。 16:24 発ストラスブール行きはまだ入ってき
ていない。
この 16:24 発 Strasbourg 行きにの乗る予定
なのだが、まだ入線しない。乗客のほと
んどがビジネスマン風、イライラしてい
る。
予定より 30 分近く遅れて TGV は出発。後ろの座席の男が 1 時間近くもべらべ
らべらと
携帯で話をしていて煩さかったが、それもやんで車窓に映る北フランスの田
園を
眺めながらストラスブールへ。座席の背のフォームも曲線でさすがフランス
。

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