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【源氏物语~中日对照版】第十章:賢木(さかき)


    光る源氏の 23 歳秋 9 月から 25 歳夏まで近衛大将時代の物語


        六条御息所の物語     秋の別れと伊勢下向の物語


            光る源氏の物語     父桐壷帝の崩御


                    藤壷の物語


                 光る源氏の物語 1


            藤壷の物語    法華八講主催と出家


                 光る源氏の物語 2


           朧月夜の物語    村雨の紛れの密会露見




        六条御息所の物語     秋の別れと伊勢下向の物語

斎宮の御下り、近うなりゆくままに、御息所、もの心細く思ほす。やむごとなくわづらはしきも
のにおぼえたまへりし大殿の君も亡せたまひて後、さりともと世人も聞こえあつかひ、宮のうち
にも心ときめきせしを、その後しも、かき絶え、あさましき御もてなしを見たまふに、まこと
に   憂しと思すことこそありけめと、知り果てたまひぬれば、よろづのあはれを思し捨てて、ひ
たみちに出で立ちたまふ。
 親添ひて下りたまふ例も、ことになけれど、いと見放ちがたき御ありさまなるにことつけて、

                                          1 / 41
「憂き世を行き離れむ」と思すに、大将の君、さすがに、今はとかけ離れたまひなむも、口惜し
く思されて、御消息ばかりは、あはれなるさまにて、たびたび通ふ。対面したまはむことをば、
今さらにあるまじきことと、女君も思す。
                  「人は心づきなしと、思ひ置きたまふこともあらむに、
我は、今すこし思ひ乱るることのまさるべきを、あいなし」と、心強く思すなるべし。
 もとの殿には、あからさまに渡りたまふ折々あれど、いたう忍びたまへば、大将殿、え知りた
まはず。たはやすく御心にまかせて、参うでたまふべき御すみかに はたあらねば、おぼつかな
くて月日も隔たりぬるに、院の上、おどろおどろしき御悩みにはあらで、例ならず、時々悩ませ
たまへば、いとど御心の暇なけれど、「つらき者に思ひ果てたまひなむも、いとほしく、人聞き
情けなくや」と思し起して、野の宮に参うでたまふ。


    九月七日ばかりなれば、「むげに今日明日」と思すに、女方も心あわたたしけれど、「立ち
ながら」と、たびたび御消息ありければ、「いでや」とは思しわづらひながら、「いとあまり埋
もれいたきを、物越ばかりの対面は」と、人知れず待ちきこえたまひけり。
 遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。秋の花、みな衰へつつ、浅茅が原も
枯れ枯れなる虫の音に、 松風、すごく吹きあはせて、そのこととも聞き分かれぬほどに、物の
音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。
 むつましき御前、十余人ばかり、 御随身、ことことしき姿ならで、いたう忍びたまへれど、
ことにひきつくろひたまへる御用意、いとめでたく見えたまへば、御供なる好き者ども、所から
さへ身にしみて思へり。御心にも、「などて、今まで立ちならさざりつらむ」と、過ぎぬる方、
悔しう思さる。
 ものはかなげなる小柴垣を大垣にて、板屋どもあたりあたりいとかりそめなり。黒木の鳥居ど
も、さすがに神々しう見わたされて、わづらはしきけしきなるに、神司の者ども、ここかしこに
うちしはぶきて、おのがどち、物うち言ひたるけはひなども、他にはさま変はりて見ゆ。火焼
屋   かすかに光りて、人気すくなく、しめじめとして、ここにもの思はしき人の、月日を隔てた
まへらむほどを思しやるに、いといみじうあはれに心苦し。
 北の対のさるべき所に立ち隠れたまひて、御消息聞こえたまふに、遊びはみなやめて、心にく
きけはひ、あまた聞こゆ。
 何くれの人づての御消息ばかりにて、みづからは対面したまふべきさまにもあらねば、「いと
ものし」と思して、
「かうやうの歩きも、今はつきなきほどになりにてはべるを、思ほし知らば、かう注連のほか
にはもてなしたまはで。いぶせうはべることをも、あきらめはべりにしがな」
 と、まめやかに聞こえたまへば、人々、
 「げに、いとかたはらいたう」
 「立ちわづらはせたまふに、いとほしう」
 など、
   あつかひきこゆれば、いさや。
            「   ここの人目も見苦しう、かの思さむことも、若々しう、 出
でゐむが、今さらにつつましきこと」と思すに、いともの憂けれど、情けなうもてなさむにもた


                                          2 / 41
けからねば、とかくうち嘆き、やすらひて、ゐざり出でたまへる御けはひ、いと心にくし。
 「こなたは、簀子ばかりの許されははべりや」
 とて、上りゐたまへり。
 はなやかにさし出でたる夕月夜に、うち振る舞ひたまへるさま、匂ひに、似るものなくめでた
し。月ごろのつもりを、つきづきしう聞こえたまはむも、まばゆきほどになりにければ、榊をい
ささか折りて持たまへりけるを、挿し入れて、
 「    変らぬ色をしるべにてこそ、 斎垣も越えはべりにけれ。さも心憂く」
 と聞こえたまへば、
 「神垣は しるしの杉もなきものを
     いかにまがへて折れる榊ぞ」
 と聞こえたまへば、
 「    少女子があたりと思へば榊葉の
     香を


なつかしみとめてこそ折れ」
 おほかたのけはひわづらはしけれど、御簾ばかりはひき着て、長押におしかかりてゐたまへ
り。
 心にまかせて見たてまつりつべく、人も慕ひざまに思したりつる年月は、のどかなりつる御心
おごりに、さしも思されざりき。
 また、心にうちに、「いかにぞや、疵ありて」、思ひきこえたまひにし後、はた、あはれもさ
めつつ、かく御仲も隔たりぬるを、めづらしき御対面の昔おぼえたるに、「あはれ」と、思し乱
るること限りなし。来し方、行く先、思し続けられて、心弱く泣きたまひぬ。
 女は、さしも見えじと思しつつむめれど、え忍びたまはぬ御けしきを、いよいよ心苦しう、な
ほ思しとまるべきさまにぞ、聞こえたまふめる。
 月も入りぬるにや、あはれなる空を眺めつつ、怨みきこえたまふに、ここら思ひ集めたまへる
つらさも消えぬべし。やうやう、「今は」と、思ひ離れたまへるに、「さればよ」と、なかなか
心動きて、思し乱る。
 殿上の若君達などうち連れて、とかく立ちわづらふなる庭の たたずまひも、げに艶なるか
たに、うけばりたるありさまなり。思ほし    残すことなき御仲らひに、聞こえ交はしたまふこと
ども、まねびやらむかたなし。
 やうやう明けゆく空のけしき、ことさらに作り出でたらむやうなり。
 「暁の別れはいつも露けきを
     こは世に知らぬ秋の空かな」
 出でがてに、御手をとらへてやすらひたまへる、いみじうなつかし。
 風、いと冷やかに吹きて、松虫の鳴きからしたる声も、折知り顔なるを、さして思ふことなき
だに、聞き過ぐしがたげなるに、まして、わりなき御心惑ひどもに、なかなか、こともゆかぬに


                                           3 / 41
や。
 「おほかたの秋の別れも悲しきに
     鳴く音な添へそ野辺の松虫」
 悔しきこと多かれど、かひなければ、明け行く空もはしたなうて、出でたまふ。道のほどいと
露けし。
 女も、え心強からず、名残あはれにて眺めたまふ。ほの見たてまつりたまへる月影の御容貌、
なほとまれる匂ひなど、若き人々は身にしめて、あやまちも しつべく、めできこゆ。
 「いかばかりの道にてか、かかる御ありさまを見捨てては、別れきこえむ」
 と、あいなく涙ぐみあへり。


     御文、常よりもこまやかなるは、思しなびくばかりなれど、またうち返し、定めかねたまふ
べきことならねば、いとかひなし。
 男は、さしも思さぬことをだに、情けのためにはよく言ひ続けたまふべかめれば、まして、お
しなべての列には思ひきこえたまはざりし御仲の、かくて背きたまひなむとするを、口惜しうも
いとほしうも、思し悩むべし。
 旅の御装束よりはじめ、人々のまで、何くれの御調度など、いかめしうめづらしきさまにて、
とぶらひきこえたまへど、何とも思されず。あはあはしう心憂き名をのみ流して、あさましき身
のありさまを、今はじめたらむやうに、ほど近くなるままに、起き臥し嘆きたまふ。
 斎宮は、若き御心地に、不定なりつる御出で立ちの、かく定まりゆくを、うれし、とのみ思し
たり。世人は、例なきことと、もどきもあはれがりも、さまざまに聞こゆべし。何ごとも、人に
もどきあつかはれぬ際はやすげなり。なかなか世に抜け出でぬる人の御あたりは、所狭きこと多
くなむ。


     十六日、桂川にて御祓へしたまふ。常の儀式にまさりて、長奉送使など、さらぬ上達部も、
やむごとなく、おぼえあるを選らせたまへり。院の御心寄せもあればなるべし。出でたまふほど
に、大将殿より例の尽きせぬことども聞こえたまへり。「かけまくもかしこき御前にて」と、木
綿につけて、
 「    鳴る神だにこそ、
     八洲もる国つ御神も心あらば
     飽かぬ別れの仲をことわれ
 思うたまふるに、飽かぬ心地しはべるかな」
 とあり。いとさわがしきほどなれど、御返りあり。宮の御をば、女別当して書かせたまへり。
 「国つ神空にことわる仲ならば
     なほざりごとをまづや糾さむ」
 大将は、御ありさまゆかしうて、内裏にも参らまほしく思せど、うち捨てられて見送らむも、
人悪ろき心地したまへば、思しとまりて、つれづれに眺めゐたまへり。
 宮の御返りのおとなおとなしきを、ほほ笑みて見ゐたまへり。「御年のほどよりは、をかしう

                                           4 / 41
もおはすべきかな」と、ただならず。かうやうに例に違へるわづらはしさに、 かならず心かか
る御癖にて、「いとよう見たてまつりつべかりしいはけなき御ほどを、見ずなりぬるこそねたけ
れ。世の中定めなければ、対面するやうもありなむかし」など思す。


    心にくくよしある御けはひなれば、物見車多かる日なり。申の時に内裏に参りたまふ。
  御息所、御輿に乗りたまへるにつけても、父大臣の限りなき筋に思し志して、いつきたてまつ
りたまひしありさま、変はりて、末の世に内裏を見たまふにも、もののみ尽きせず、あはれに思
さる。十六にて故宮に参りたまひて、二十にて後れたてまつりたまふ。三十にてぞ、今日また九
重を見たまひける。
  「そのかみを今日はかけじと忍ぶれど
    心のうちにものぞ悲しき」
  斎宮は、十四にぞなりたまひける。いとうつくしうおはするさまを、うるはしうしたてたてま
つりたまへるぞ、いとゆゆしきまで見えたまふを、帝、御心動きて、別れの櫛たてまつりたまふ
ほど、いとあはれにて、しほたれさせたまひぬ。
  出でたまふを待ちたてまつるとて、八省に立て続けたる出車どもの袖口、色あひも、目馴れぬ
さまに、心にくきけしきなれば、殿上人どもも、私の別れ惜しむ多かり。
  暗う出でたまひて、二条より洞院の大路を折れたまふほど、二条の院の前なれば、大将の君、
いとあはれに思されて、榊にさして、
  「振り捨てて今日は行くとも鈴鹿川
    八十瀬の波に袖は濡れじや」
  と聞こえたまへれど、
           いと暗う、ものさわがしきほどなれば、
                            またの日、関のあなたよりぞ、 御
返しある。
  「鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず
    伊勢まで誰か思ひおこせむ」
  ことそぎて書きたまへるしも、御手いとよしよししくなまめきたるに、「あはれなるけをすこ
し添へたまへらましかば」と思す。
  霧いたう降りて、ただならぬ朝ぼらけに、うち眺めて独りごちにおはす。
  「行く方を眺めもやらむこの秋は
    逢坂山を霧な隔てそ」
  西の対にも渡りたまはで、人やりならず、もの寂しげに眺め暮らしたまふ。まして、旅の空は、
いかに御心尽くしなること多かりけむ。


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                     光る源氏の物語       父桐壷帝の崩御


                                             5 / 41
院の御悩み、神無月になりては、いと重くおはします。世の中に惜しみきこえぬ人なし。内
裏にも、思し嘆きて行幸あり。弱き御心地にも、 春宮の御事を、返す返す聞こえさせたまひて、
次には大将の御こと、
 「はべりつる世に変はらず、大小のことを隔てず、何ごとも御後見と思せ。齢のほどよりは、
世をまつりごたむにも、をさをさ憚りあるまじうなむ、見たまふる。かならず世の中たもつべき
相ある人なり。さるによりて、わづらはしさに、親王にもなさず、ただ人にて、朝廷の御後見を
せさせむと、思ひたまへしなり。その心違へさせたまふな」
 と、あはれなる御遺言ども多かりけれど、女のまねぶべきことにしあらねば、この片端だにか
たはらいたし。
 帝も、いと悲しと思して、さらに違へきこえさすまじきよしを、返す返す聞こえさせたまふ。
御容貌も、いときよらにねびまさらせたまへるを、うれしく頼もしく見たてまつらせたまふ。限
りあれば、急ぎ帰らせたまふにも、なかなかなること多くなむ。
 春宮も、 一度にと思し召しけれど、ものさわがしきにより、日を変へて、渡らせたまへり。
御年のほどよりは、大人びうつくしき御さまにて、恋しと思ひきこえさせたまひけるつもり
に、    何心もなくうれしと思し、見たてまつりたまふ御けしき、いとあはれなり。
 中宮は、涙に沈みたまへるを、見たてまつらせたまふも、さまざま御心乱れて思し召さる。よ
ろづのことを聞こえ知らせたまへど、いとものはかなき御ほどなれば、うしろめたく悲しと見た
てまつらせたまふ。
 大将にも、朝廷に仕うまつりたまふべき御心づかひ、この宮の御後見したまふべきことを、返
す返すのたまはす。
 夜更けてぞ帰らせたまふ。残る人なく仕うまつりてののしるさま、行幸に劣るけぢめなし。飽
かぬほどにて帰らせたまふを、いみじう思し召す。


     大后も、参りたまはむとするを、中宮のかく添ひおはするに、御心置かれて、思しやすらふ
ほどに、おどろおどろしきさまにもおはしまさで、隠れさせたまひぬ。足を空に、思ひ惑ふ人多
かり。
 御位を去らせたまふといふばかりにこそあれ、世のまつりごとをしづめさせたまへることも、
我が御世の同じことにておはしまいつるを、帝はいと若うおはします、祖父大臣、いと急にさが
なくおはして、その御ままになりなむ世を、いかならむと、上達部、殿上人、皆思ひ嘆く。
 中宮、大将殿などは、ましてすぐれて、ものも思しわかれず、後々の御わざなど、孝じ仕うま
つりたまふさまも、そこらの親王たちの御中にすぐれたまへるを、ことわりながら、いとあはれ
に、世人も見たてまつる。 藤の御衣にやつれたまへるにつけても、限りなくきよらに心苦しげ
なり。去年、今年とうち続き、かかることを見たまふに、世もいとあぢきなう思さるれど、かか
るついでにも、まづ思し立たるることはあれど、また、さまざまの御ほだし多かり。
 御四十九日までは、女御、御息所たち、みな、院に集ひたまへりつるを、過ぎぬれば、散り散

                                           6 / 41
りにまかでたまふ。師走の二十日なれば、おほかたの世の中とぢむる空のけしきにつけても、ま
して晴るる世なき、中宮の御心のうちなり。大后の御心も知りたまへれば、心にまかせたまへら
む世の、はしたなく住み憂からむを思すよりも、馴れきこえたまへる年ごろの御ありさまを、思
ひ出できこえたまはぬ時の間なきに、かくてもおはしますまじう、みな他々へと出でたまふほど
に、悲しきこと限りなし。
 宮は、三条の宮に渡りたまふ。御迎へに兵部卿宮参りたまへり。雪うち散り、風はげしうて、
院の内、やうやう人目かれゆきて、しめやかなるに、大将殿、こなたに参りたまひて、古き御物
語聞こえたまふ。御前の五葉の雪にしをれて、下葉枯れたるを見たまひて、親王、
 「蔭ひろみ頼みし松や枯れにけむ
  下葉散りゆく年の暮かな」
 何ばかりのことにもあらぬに、折から、ものあはれにて、大将の御袖、いたう濡れぬ。池の隙
なう氷れるに、
 「さえわたる池の鏡のさやけきに
  見なれし影を見ぬぞ悲しき」
 と、思すままに、あまり若々しうぞあるや。王命婦、
 「年暮れて岩井の水もこほりとぢ
  見し人影のあせもゆくかな」
 そのついでに、いと多かれど、さのみ書き続くべきことかは。
 渡らせたまふ儀式、変はらねど、思ひなしにあはれにて、旧き宮は、かへりて旅心地したまふ
にも、御里住み絶えたる年月のほど、思しめぐらさるべし。


  年かへりぬれど、世の中今めかしきことなく静かなり。まして大将殿は、もの憂くて籠もり
ゐたまへり。除目のころなど、院の御時をばさらにもいはず、年ごろ劣るけぢめなくて、御門の
わたり、所なく立ち込みたりし馬、車うすらぎて、宿直物の袋をさをさ見えず、親しき家司ども
ばかり、ことに急ぐことなげにてあるを見たまふにも、「今よりは、かくこそは」と思ひやられ
て、ものすさまじくなむ。
 御匣殿は、二月に、尚侍になりたまひぬ。院の御思ひにやがて尼になりたまへる、替はりなり
けり。やむごとなくもてなし、人がらもいとよくおはすれば、あまた参り集りたまふなかにも、
すぐれて時めきたまふ。后は、里がちにおはしまいて、参りたまふ時の御局には梅壷をしたれば、
弘徽殿には尚侍の君住みたまふ。登花殿の埋れたりつるに、晴れ晴れしうなりて、女房なども数
知らず集ひ参りて、今めかしう花やぎたまへど、御心のうちは、思ひのほかなりしことどもを忘
れがたく嘆きたまふ。いと忍びて通はしたまふことは、なほ同じさまなるべし。「ものの聞こえ
もあらばいかならむ」と思しながら、例の御癖なれば、今しも御心ざしまさるべかめり。
 院のおはしましつる世こそ憚りたまひつれ、后の御心いちはやくて、かたがた思しつめたるこ
とどもの報いせむ、と思すべかめり。ことにふれて、はしたなきことのみ出で来れば、かかるべ
きこととは思ししかど、見知りたまはぬ世の憂さに、立ちまふべくも思されず。


                                         7 / 41
左の大殿も、すさまじき心地したまひて、ことに内裏にも参りたまはず。故姫君を、引きよき
て、この大将の君に聞こえつけたまひし御心を、后は思しおきて、よろしうも思ひきこえたまは
ず。大臣の御仲も、もとよりそばそばしうおはするに、故院の御世にはわがままにおはせしを、
時移りて、したり顔におはするを、あぢきなしと思したる、ことわりなり。
 大将は、ありしに変はらず渡り通ひたまひて、さぶらひし人々をも、なかなかにこまかに思し
おきて、若君をかしづき思ひきこえたまへること、限りなければ、あはれにありがたき御心と、
いとどいたつききこえたまふことども、同じさまなり。限りなき御おぼえの、あまりもの騒がし
きまで、暇なげに見えたまひしを、通ひたまひし所々も、かたがたに絶えたまふことどもあり、
軽々しき御忍びありきも、あいなう思しなりて、ことにしたまはねば、いとのどやかに、今しも
あらまほしき御ありさまなり。
 西の対の姫君の御幸ひを、世人もめできこゆ。少納言なども、人知れず、「故尼上の御祈りの
しるし」と見たてまつる。父親王も思ふさまに聞こえ交はしたまふ。嫡腹の、限りなくと思すは、
はかばかしうもえあらぬに、ねたげなること多くて、継母の北の方は、やすからず思すべし。物
語にことさらに作り出でたるやうなる御ありさまなり。
 斎院は、御服にて下りゐたまひにしかば、朝顔の姫君は、替はりにゐたまひにき。賀茂のいつ
きには、孫王のゐたまふ例、多くもあらざりけれど、さるべき女御子やおはせざりけむ。大将の
君、年月経れど、なほ御心離れたまはざりつるを、かう筋ことになりたまひぬれば、口惜しくと
思す。中将におとづれたまふことも、同じことにて、御文などは絶えざるべし。昔に変はる御あ
りさまなどをば、ことに何とも思したらず、かやうのはかなしごとどもを、紛るることなきまま
に、こなたかなたと思し悩めり。


  帝は、院の御遺言違へず、あはれに思したれど、若うおはしますうちにも、御心なよびたる
かたに過ぎて、強きところおはしまさぬなるべし、母后、祖父大臣とりどりしたまふことは、え
背かせたまはず、世のまつりごと、御心にかなはぬやうなり。
 わづらはしさのみまされど、尚侍の君は、人知れぬ御心し通へば、わりなくてと、おぼつかな
くはあらず。五檀の御修法の初めにて、慎しみおはします隙をうかがひて、例の、夢のやうに聞
こえたまふ。かの、昔おぼえたる細殿の局に、中納言の君、紛らはして入れたてまつる。人目も
しげきころなれば、常よりも端近なる、そら恐ろしうおぼゆ。
 朝夕に見たてまつる人だに、飽かぬ御さまなれば、まして、めづらしきほどにのみある御対面
の、いかでかはおろかならむ。女の御さまも、げにぞめでたき御盛りなる。重りかなるかたは、
いかがあらむ、をかしうなまめき若びたる心地して、見まほしき御けはひなり。
 ほどなく明け行くにや、とおぼゆるに、ただここにしも、
 「宿直申し、さぶらふ」
 と、声づくるなり。「また、このわたりに隠ろへたる近衛司ぞあるべき。腹ぎたなきかたへの
教へおこするぞかし」と、大将は聞きたまふ。をかしきものから、わづらはし。
 ここかしこ尋ねありきて、


                                         8 / 41
「寅一つ」
  と申すなり。女君、
  「心からかたがた袖を濡らすかな
     明くと教ふる声につけても」
  とのたまふさま、はかなだちて、いとをかし。
  「嘆きつつわが世はかくて過ぐせとや
     胸のあくべき時ぞともなく」
  静心なくて、出でたまひぬ。
     夜深き暁月夜の、えもいはず霧りわたれるに、いといたうやつれて、振る舞ひなしたまへる
しも、似るものなき御ありさまにて、承香殿の御兄の藤少将、藤壷より出でて、月の少し隈ある
立蔀のもとに立てりけるを、知らで過ぎたまひけむこそいとほしけれ。もどききこゆるやうもあ
りなむかし。
  かやうのことにつけても、もて離れつれなき人の御心を、かつはめでたしと思ひきこえたまふ
ものから、わが心の引くかたにては、なほつらう心憂し、とおぼえたまふ折多かり。


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                                   藤壷の物語

     内裏に参りたまはむことは、うひうひしく、所狭く思しなりて、春宮を見たてまつりたまは
ぬを、おぼつかなく思ほえたまふ。また、頼もしき人もものしたまはねば、ただこの大将の君を
ぞ、よろづに頼みきこえたまへるに、なほ、この憎き御心のやまぬに、ともすれば御胸をつぶし
たまひつつ、いささかもけしきを御覧じ知らずなりにしを思ふだに、いと恐ろしきに、今さらに
また、さる事の聞こえありて、わが身はさるものにて、春宮の 御ためにかならずよからぬこと
出で来なむ、と思すに、いと恐ろしければ、御祈りをさへせさせて、このこと思ひやませたてま
つらむと、思しいたらぬことなく逃れたまふを、いかなる折にかありけむ、あさましうて、近づ
き参りたまへり。心深くたばかりたまひけむことを、知る人なかりければ、夢のやうにぞありけ
る。
  まねぶべきやうなく聞こえ続けたまへど、宮、いとこよなくもて離れきこえたまひて、果て果
ては、御胸をいたう悩みたまへば、近うさぶらひつる命婦、弁などぞ、あさましう見たてまつり
あつかふ。男は、憂し、つらし、と思ひきこえたまふこと、限りなきに、来し方行く先、かきく
らす心地して、うつし心失せにければ、明け果てにけれど、出でたまはずなりぬ。
  御悩みにおどろきて、人々近う参りて、しげうまがへば、我にもあらで、塗籠に押し 入れら
れておはす。御衣ども隠し持たる人の心地ども、いとむつかし。宮は、ものをいとわびし、と思
しけるに、御気あがりて、なほ悩ましうせさせたまふ。兵部卿宮、大夫など参りて、
  「僧召せ」

                                           9 / 41
など騒ぐを、大将、いとわびしう聞きおはす。からうして、暮れゆくほどにぞおこたりたまへ
る。
 かく籠もりゐたまへらむとは思しもかけず、人々も、また御心惑はさじとて、かくなむとも申
さぬなるべし。昼の御座にゐざり出でておはします。よろしう思さるるなめりとて、宮もまかで
たまひなどして、御前人少なになりぬ。例もけ近くならさせたまふ人少なければ、ここかしこの
物のうしろなどにぞさぶらふ。命婦の君などは、
 「いかにたばかりて、出だしたてまつらむ。今宵さへ、御気上がらせたまはむ、いとほしう」
     など、うちささめき扱ふ。
 君は、塗籠の戸の細めに開きたるを、やをらおし開けて、御屏風のはさまに伝ひ入りたまひぬ。
めづらしくうれしきにも、涙落ちて見たてまつりたまふ。
 「なほ、いと苦しうこそあれ。世や尽きぬらむ」
 とて、外の方を見出だしたまへるかたはら目、言ひ知らずなまめかしう見ゆ。御くだものをだ
に、とて参り据ゑたり。箱の蓋などにも、なつかしきさまにてあれど、見入れたまはず。世の中
をいたう思し悩めるけしきにて、のどかに眺め入りたまへる、いみじうらうたげなり。髪ざし、
頭つき、御髪のかかりたるさま、限りなき匂はしさなど、ただ、かの対の姫君に違ふところなし。
年ごろ、すこし思ひ忘れたまへりつるを、「あさましきまでおぼえ たまへるかな」と見たまふ
ままに、すこしもの思ひのはるけどころある心地したまふ。
 気高う恥づ かしげなるさまなども、さらに異人とも思ひ分きがたきを、なほ、限りなく昔よ
り思ひしめきこえてし心の思ひなしにや、さまことに、
                  「      いみじうねびまさりたまひにけるかな」
と、たぐひなくおぼえたまふに、心惑ひして、やをら御帳のうちにかかづらひ入りて、御衣の褄
を引きならしたまふ。けはひしるく、さと匂ひたるに、あさましうむくつけう思されて、やがて
ひれ伏したまへり。「見だに向きたまへかし」と心やましうつらうて、引き寄せたまへるに、御
衣をすべし置きて、ゐざりのきたまふに、心にもあらず、御髪の取り添へられたりければ、いと
心憂く、宿世のほど、思し知られて、いみじ、と思したり。
 男も、ここら世をもてしづめたまふ御心、みな乱れて、うつしざまにもあらず、よろづのこと
を泣く泣く怨みきこえたまへど、まことに心づきなし、と思して、いらへも聞こえたまはず。た
だ、
 「心地の、いと悩ましきを。かからぬ折もあらば、聞こえてむ」
 とのたまへど、尽きせぬ御心のほどを言ひ続けたまふ。
 さすがに、いみじと聞きたまふふしもまじるらむ。あらざりしことにはあらねど、改めて、い
と口惜しう思さるれば、なつかしきものから、いとようのたまひ逃れて、今宵も明け行く。
 せめて従ひきこえざらむもかたじけなく、心恥づかしき御けはひなれば、
「ただ、かばかりにても、時々、いみじき愁へをだに、はるけはべりぬべくは、何のおほけな
き心もはべらじ」
 など、たゆめきこえたまふべし。なのめなることだに、かやうなる仲らひは、あはれなること
も添ふなるを、まして、たぐひなげなり。


                                        10 / 41
明け果つれば、二人して、いみじきことどもを聞こえ、宮は、半ばは亡きやうなる御けしきの
心苦しければ、
「世の中に ありと聞こし召されむも、いと恥づかしければ、やがて亡せはべりなむも、また、
この世ならぬ罪となりはべりぬべきこと」
 など聞こえたまふも、むくつけきまで思し入れり。
 「逢ふことのかたきを今日に限らずは
  今幾世をか嘆きつつ経む
 御ほだしにもこそ」
 と聞こえたまへば、さすがに、うち嘆きたまひて、
 「長き世の恨みを人に残しても
  かつは心をあだと知らなむ」
 はかなく言ひなさせたまへるさまの、言ふよしなき心地すれど、人の思さむところも、わが御
ためも苦しければ、我にもあらで、出でたまひぬ。


  「いづこを面にてかは、またも見えたてまつらむ。いとほしと思し知るばかり」と思して、
御文も聞こえたまはず。うち絶えて、内裏、春宮にも参りたまはず、 籠もりおはして、起き臥
し、「いみじかりける人の御心かな」と、人悪ろく恋しう悲しきに、心魂も失せにけるにや、悩
ましうさへ思さる。もの心細く、「なぞや、世に経れば憂さこそまされ」と、思し立つには、こ
の女君のいとらうたげにて、あはれにうち頼みきこえたまへるを、振り捨てむこと、いとかたし。
 宮も、その名残、例にもおはしまさず。かうことさらめきて籠もりゐ、おとづれたまはぬを、
命婦などはいとほしがりきこゆ。宮も、春宮の御ためを思すには、「御心置きたまはむこと、い
とほしく、世をあぢきなきものに思ひなりたまはば、ひたみちに思し立つこともや」と、さすが
に苦しう思さるべし。
「かかること絶えずは、いとどしき世に、憂き名さへ漏り出でなむ。大后の、あるまじきこと
にのたまふなる位をも去りなむ」と、やうやう思しなる。院の思しのたまはせしさまの、なのめ
ならざりしを思し出づるにも、
             「よろづのこと、ありしにもあらず、変はりゆく世にこそあめれ。
戚夫人の見けむ目のやうにあらずとも、かならず、人笑へなることは、ありぬべき身にこそあめ
れ」など、世の疎ましく、過ぐしがたう思さるれば、背きなむことを思し取るに、春宮、見たて
まつらで面変はりせむこと、あはれに思さるれば、忍びやかにて参りたまへり。
 大将の君は、さらぬことだに、思し寄らぬことなく仕うまつりたまふを、御心地悩ましきにこ
とつけて、御送りにも参りたまはず。おほかたの御とぶらひは、同じやうなれど、「むげに、思
し屈しにける」と、心知るどちは、いとほしがりきこゆ。
 宮は、いみじううつくしうおとなびたまひて、めづらしううれしと思して、むつれきこえたま
ふを、かなしと見たてまつりたまふにも、思し立つ筋はいとかたけれど、内裏わたりを見たまふ
につけても、世のありさま、あはれにはかなく、移り変はることのみ多かり。
 大后の御心もいとわづらはしくて、かく出で入りたまふにも、はしたなく、事に触れて苦しけ


                                        11 / 41
れば、宮の御ためにも危ふくゆゆしう、よろづにつけて思ほし乱れて、
 「御覧ぜで、久しからむほどに、容貌の異ざまにてうたてげに変はりてはべらば、いかが思さ
るべき」
  と聞こえたまへば、御顔うちまもりたまひて、
  「式部がやうにや。いかでか、さはなりたまはむ」
  と、笑みてのたまふ。いふかひなくあはれにて、
 「それは、老いてはべれば醜きぞ。さはあらで、髪はそれよりも 短くて、黒き衣などを着て、
夜居の僧のやうになりはべらむとすれば、見たてまつらむことも、いとど久しかるべきぞ」
  とて泣きたまへば、まめだちて、
  「久しうおはせぬは、恋しきものを」
  とて、涙の落つれば、恥づかしと思して、さすがに背きたまへる、御髪はゆらゆらときよらに
て、まみのなつかしげに匂ひたまへるさま、おとなびたまふままに、ただかの御顔を脱ぎすべた
まへり。御歯のすこし朽ちて、口の内黒みて、笑みたまへる薫りうつくしきは、女にて見たてま
つらまほしうきよらなり。「いと、かうしもおぼえたまへるこそ、心憂けれ」と、玉の瑕に思さ
るるも、世のわづらはしさの、空恐ろしうおぼえたまふなりけり。


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                              光る源氏の物語 1.

    大将の君は、宮をいと恋しう思ひきこえたまへど、「あさましき御心のほどを、時々は、思
ひ知るさまにも見せたてまつらむ」と、念じつつ過ぐしたまふに、人悪ろく、つれづれに思さる
れば、秋の野も見たまひがてら、雲林院に詣でたまへり。
  「故母御息所の御兄の律師の籠もりたまへる坊にて、法文など読み、行なひせむ」と思して、
二、三日おはするに、あはれなること多かり。
  紅葉やうやう色づきわたりて、秋の野のいとなまめきたるなど見たまひて、故里も忘れぬべく
思さる。法師ばらの、才ある限り召し出でて、論議せさせて聞こしめさせたまふ。所からに、い
とど世の中の常なさを思し明かしても、なほ、「憂き人しもぞ」と、思し出でらるるおし明け方
の月影に、法師ばらの閼伽たてまつるとて、からからと鳴らしつつ、菊の花、濃き薄き紅葉など、
折り散らしたるも、はかなげなれど、
 「このかたのいとなみは、この世もつれづれならず、後の世はた、頼もしげなり。さも、あぢ
きなき身をもて悩むかな」
  など、思し続けたまふ。律師の、いと尊き声にて、
  「念仏衆生摂取不捨」
  と、うちのべて行なひたまへるは、いとうらやましければ、「なぞや」と思しなるに、まづ、
姫君の心にかかりて思ひ出でられたまふぞ、いと悪ろき心なるや。

                                                12 / 41
例ならぬ日数も、おぼつかなくのみ思さるれば、御文ばかりぞ、しげう聞こえたまふめる。
 「行き離れぬべしやと、試みはべる道なれど、つれづれも慰めがたう、心細さまさりてなむ。
聞きさしたることありて、やすらひはべるほど、いかに」
 など、陸奥紙にうちとけ書きたまへるさへぞ、めでたき。
 「浅茅生の露のやどりに君をおきて
  四方の嵐ぞ静心なき」
 など、こまやかなるに、女君もうち泣きたまひぬ。御返し、白き色紙に、
 「風吹けばまづぞ乱るる色変はる
  浅茅が露にかかるささがに」
 とのみありて、「御手はいとをかしうのみなりまさるものかな」と、独りごちて、うつくしと
ほほ笑みたまふ。
  常に書き交はしたまへば、わが御手にいとよく似て、今すこしなまめかしう、女しきところ
書き添へたまへり。「何ごとにつけても、けしうはあらず生ほし立てたりかし」と思ほす。


  吹き交ふ風も近きほどにて、斎院にも聞こえたまひけり。中将の君に、
 「かく、旅の空になむ、もの思ひにあくがれにけるを、思し知るにもあらじかし」
 など、怨みたまひて、御前には、
 「かけまくはかしこけれどもそのかみの
  秋思ほゆる木綿欅かな
  昔を今に、と思ひたまふるもかひなく、とり返されむもののやうに」
 と、なれなれしげに、唐の浅緑の紙に、榊に木綿つけなど、神々しうしなして参らせたまふ。
 御返り、中将、
「紛るることなくて、来し方のことを思ひたまへ出づるつれづれのままには、思ひやりきこえ
さすること多くはべれど、かひなくのみなむ」
 と、すこし心とどめて多かり。御前のは、木綿の片端に、
 「そのかみやいかがはありし木綿欅
  心にかけてしのぶらむゆゑ
 近き世に」
 とぞある。
「御手、こまやかにはあらねど、らうらうじう、草などをかしうなりにけり。まして、朝顔も
ねびまさりたまふらむかし」と思ほゆるも、ただならず、恐ろしや。
「あはれ、このころぞかし。野の宮のあはれなりしこと」と思し出でて、「あやしう、やうの
もの」と、神恨めしう思さるる御癖の、見苦しきぞかし。わりなう思さば、さもありぬべかりし
年ごろは、のどかに過ぐいたまひて、今は悔しう思さるべかめるも、あやしき御心なりや。
 院も、かくなべてならぬ御心ばへを見知りきこえたまへれば、たまさかなる御返りなどは、え
しももて離れきこえたまふまじかめり。すこしあいなきことなりかし。


                                         13 / 41
六十巻といふ書、読みたまひ、おぼつかなきところどころ解かせなどしておはしますを、「山
寺には、いみじき光行なひ出だしたてまつれり」と、「仏の御面目あり」と、あやしの法師ばら
までよろこびあへり。しめやかにて、世の中を思ほしつづくるに、帰らむことももの憂かりぬべ
けれど、人一人の御こと思しやるがほだしなれば、久しうもえおはしまさで、寺にも御誦経いか
めしうせさせたまふ。あるべき限り、上下の僧ども、そのわたりの山賤まで物賜び、尊きことの
限りを尽くして出でたまふ。見たてまつり送るとて、このもかのもに、あやしきしはふるひども
も集りてゐて、涙を落としつつ見たてまつる。黒き御車のうちにて、藤の御袂にやつれたまへれ
ば、ことに見えたまはねど、ほのかなる御ありさまを、世になく思ひきこゆべかめり。


  女君は、日ごろのほどに、ねびまさりたまへる心地して、いといたうしづまりたまひて、世
の中いかがあらむと思へるけしきの、心苦しうあはれにおぼえたまへば、あいなき心のさまざま
乱るるやしるからむ、「色かはる」とありしもらうたうおぼえて、常よりことに語らひきこえた
まふ。
 山づとに持たせたまへりし紅葉、御前のに御覧じ比ぶれば、ことに染めましける露の心も見過
ぐしがたう、おぼつかなさも、人悪るきまでおぼえたまへば、ただおほかたにて宮に参らせたま
ふ。命婦のもとに、
「入らせたまひにけるを、めづらしきこととうけたまはるに、宮の間の事、おぼつかなくなり
はべりにければ、静心なく思ひたまへながら、行ひもつとめむなど、思ひ立ちはべりし日数を、
心ならずやとてなむ、日ごろになりはべりにける。紅葉は、一人見はべるに、錦暗う思ひたまふ
ればなむ。折よくて御覧ぜさせたまへ」
 などあり。
 げに、いみじき枝どもなれば、御目とまるに、例の、いささかなるものありけり。人々見たて
まつるに、御顔の色も移ろひて、
「なほ、かかる心の絶えたまはぬこそ、いと疎ましけれ。あたら思ひやり深うものしたまふ人
の、ゆくりなく、かうやうなること、折々混ぜたまふを、人もあやしと見るらむかし」
 と、心づきなく思されて、瓶に挿させて、廂の柱のもとにおしやらせたまひつ。


  おほかたのことども、宮の御事に触れたることなどをば、うち頼めるさまに、すくよかなる
御返りばかり聞こえたまへるを、「さも心かしこく、尽きせずも」と、恨めしうは見たまへど、
何ごとも後見きこえならひたまひにたれば、「人あやしと、見とがめもこそすれ」と思して、ま
かでたまふべき日、参りたまへり。
 まづ、内裏の御方に参りたまへれば、のどやかにおはしますほどにて、昔今の御物語聞こえた
まふ。御容貌も、院にいとよう似たてまつりたまひて、今すこしなまめかしき気添ひて、なつか
しうなごやかにぞおはします。かたみにあはれと見たてまつりたまふ。
 尚侍の君の御ことも、なほ絶えぬさまに聞こし召し、けしき御覧ずる折もあれど、
「何かは、今はじめたることならばこそあらめ。さも心交はさむに、似げなかるまじき人のあ
はひなりかし」

                                          14 / 41
とぞ思しなして、咎めさせたまはざりける。
 よろづの御物語、書の道のおぼつかなく思さるることどもなど、問はせたまひて、また、好き
好きしき歌語なども、かたみに聞こえ交はさせたまふついでに、かの斎宮の下りたまひし日のこ
と、容貌のをかしくおはせしなど、語らせたまふに、我もうちとけて、野の宮のあはれなりし曙
も、みな聞こえ出でたまひてけり。
 二十日の月、やうやうさし出でて、をかしきほどなるに、
 「遊びなども、せまほしきほどかな」
 とのたまはす。
「中宮の、今宵、まかでたまふなる、とぶらひにものしはべらむ。院ののたまはせおくことは
べりしかば。また、後見仕うまつる人もはべらざめるに。春宮の御ゆかり、いとほしう思ひたま
へられはべりて」
 と    奏したまふ。
 「春宮をば、今の皇子になしてなど、のたまはせ置きしかば、とりわきて心ざしものすれど、
ことにさしわきたるさまにも、何ごとをかはとてこそ。年のほどよりも、御手などのわざとかし
こうこそものしたまふべけれ。何ごとにも、はかばかしからぬ みづからの面起こしになむ」
 と、のたまはすれば、
「おほかた、したまふわざなど、いとさとく大人びたるさまにものしたまへど、まだ、いと片
なりに」
 など、その御ありさまも奏したまひて、まかでたまふに、大宮の御兄の藤大納言の子の、頭の
弁といふが、世にあひ、はなやかなる若人にて、思ふことなきなるべし、妹の麗景殿の御方に行
くに、大将の御前駆を忍びやかに追へば、しばし立ちとまりて、
 「    白虹日を貫けり。太子畏ぢたり」
 と、いとゆるるかにうち誦じたるを、大将、いとまばゆしと聞きたまへど、咎むべきことかは。
后の御けしきは、いと恐ろしう、わづらはしげにのみ聞こゆるを、かう親しき人々も、けしきだ
ち言ふべかめることどももあるに、わづらはしう思されけれど、つれなうのみもてなしたまへり。


     「御前にさぶらひて、今まで、更かしはべりにける」
 と、聞こえたまふ。
 月のはなやかなるに、「昔、かうやうなる折は、御遊びせさせたまひて、今めかしうもてなさ
せたまひし」など、思し出づるに、同じ御垣の内ながら、変はれること多く悲し。
 「九重に霧や隔つる雲の上の
     月をはるかに思ひやるかな」
 と、命婦して、聞こえ伝へたまふ。ほどなければ、御けはひも、ほのかなれど、なつかしう聞
こゆるに、つらさも忘られて、まづ涙ぞ落つる。
 「月影は見し世の秋に変はらぬを
     隔つる霧のつらくもあるかな


                                        15 / 41
霞も人のとか、昔もはべりけることにや」
  など聞こえたまふ。
  宮は、春宮を飽かず思ひきこえたまひて、よろづのことを聞こえさせたまへど、深うも思し入
れたらぬを、いとうしろめたく思ひきこえたまふ。例は、いととく大殿籠もるを、「出でたまふ
までは起きたらむ」と思すなるべし。恨めしげに思したれど、さすがに、え慕ひきこえたまはぬ
を、いとあはれと、見たてまつりたまふ。


     大将、頭の弁の誦じつることを思ふに、御心の鬼に、世の中わづらはしうおぼえたまひて、
尚侍の君にも訪れきこえたまはで、久しうなりにけり。
  初時雨、いつしかとけしきだつに、いかが思しけむ、かれより、
  「木枯の吹くにつけつつ待ちし間に
     おぼつかなさのころも経にけり」
     と聞こえたまへり。折もあはれに、あながちに忍び書き たまへらむ御心ばへも、憎からね
ば、御使とどめさせて、唐の紙ども入れさせたまへる御厨子開けさせたまひて、なべてならぬを
選り出でつつ、筆なども心ことにひきつくろひたまへるけしき、艶なるを、御前なる人々、「誰
ばかりならむ」とつきじろふ。
 「聞こえさせても、かひなきもの懲りにこそ、むげにくづほれにけれ。 身のみもの憂きほど
に、
     あひ見ずてしのぶるころの涙をも
     なべての空の時雨とや見る
  心の通ふならば、いかに眺めの空ももの忘れしはべらむ」
  など、こまやかになりにけり。
  かうやうにおどろかしきこゆるたぐひ多かめれど、情けなからずうち返りごちたまひて、御心
には深う染まざるべし。


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                     藤壷の物語            法華八講主催と出家

     中宮は、院の御はてのことにうち続き、御八講のいそぎをさまざまに心づかひせさせたまひ
けり。
  霜月の朔日ごろ、御国忌なるに、雪いたう降りたり。大将殿より宮に聞こえたまふ。
  「別れにし今日は来れども見し人に
     行き逢ふほどをいつと頼まむ」
  いづこにも、今日はもの悲しう思さるるほどにて、御返りあり。
  「ながらふるほどは憂けれど行きめぐり


                                                  16 / 41
今日はその世に逢ふ心地して」
 ことにつくろひてもあらぬ御書きざまなれど、あてに気高きは思ひなしなるべし。筋変はり今
めかしうはあらねど、人にはことに書かせたまへり。今日は、この御ことも思ひ消ちて、あはれ
なる雪の雫に濡れ濡れ行ひたまふ。


     十二月十余日ばかり、中宮の御八講なり。いみじう尊し。日々に供養ぜさせたまふ御経より
はじめ、玉の軸、羅の 表紙、帙簀の飾りも、世になきさまにととのへさせたまへり。さらぬこ
とのきよらだに、世の常ならずおはしませば、ましてことわりなり。仏の御飾り、花机のおほひ
などまで、まことの極楽思ひやらる。
 初めの日は、先帝の御料。次の日は、母后の御ため。またの日は、院の御料。五巻の日なれば、
上達部なども、世のつつましさをえしも憚りたまはで、いとあまた参りたまへり。今日の講師は、
心ことに選らせたまへれば、「薪こる」ほどよりうちはじめ、同じう言ふ言の葉も、いみじう尊
し。親王たちも、さまざまの捧物ささげてめぐりたまふに、大将殿の御用意など、なほ 似るも
のなし。常におなじことのやうなれど、見たてまつるたびごとに、めづらしからむをば、いかが
はせむ。
 果ての日、わが御ことを結願にて、世を背きたまふよし、仏に申させたまふに、皆人々おどろ
きたまひぬ。兵部卿宮、大将の御心も動きて、あさましと思す。
 親王は、なかばのほどに立ちて、入りたまひぬ。心強う思し立つさまのたまひて、果つるほど
に、山の座主召して、忌むこと受けたまふべきよし、のたまはす。御伯父の横川の僧都、近う参
りたまひて、御髪   下ろしたまふほどに、宮の内ゆすりて、ゆゆしう泣きみちたり。何となき老
い衰へたる人だに、今はと世を背くほどは、あやしうあはれなるわざを、まして、かねての御け
しきにも出だしたまはざりつることなれば、親王もいみじう泣きたまふ。
 参りたまへる人々も、おほかたのことのさまも、あはれ尊ければ、みな、袖濡らしてぞ帰りた
まひける。
 故院の御子たちは、昔の御ありさまを思し出づるに、いとど、あはれに悲しう思されて、みな、
とぶらひきこえたまふ。大将は、立ちとまりたまひて、聞こえ出でたまふべきかたもなく、暮れ
まどひて思さるれど、「 などか、さしも」と、人見たてまつるべければ、親王など出でたまひ
ぬる後にぞ、御前に参りたまへる。
 やうやう人静まりて、女房ども、鼻うちかみつつ、所々に群れゐたり。月は隈なきに、雪の光
りあひたる庭のありさまも、昔のこと思ひやらるるに、いと堪へがたう    思さるれど、いとよう
思し静めて、
 「いかやうに思し立たせたまひて、かうにはかには」
 と聞こえたまふ。
「今はじめて、思ひたまふることにもあらぬを、ものさわがしきやうなりつれば、心乱れぬべ
く」
 など、例の、命婦して聞こえたまふ。


                                          17 / 41
御簾のうちのけはひ、そこら集ひさぶらふ人の衣の音なひ、しめやかに振る舞ひなして、うち
身じろきつつ、悲しげさの慰めがたげに漏り聞こゆるけしき、ことわりに、いみじと聞きたまふ。
  風、はげしう吹きふぶきて、御簾のうちの匂ひ、いともの深き黒方にしみて、名香の煙もほの
かなり。大将の御匂ひさへ薫りあひ、めでたく、極楽思ひやらるる夜のさまなり。
  春宮の御使も参れり。のたまひしさま、思ひ出できこえさせたまふにぞ、御心強さも堪へがた
くて、御返りも聞こえさせやらせたまはねば、大将ぞ、言加はへ聞こえたまひける。
  誰も誰も、ある限り心収まらぬほどなれば、思すことどもも、えうち出でたまはず。
  「月のすむ雲居をかけて慕ふとも
      この世の闇になほや惑はむ
  と思ひ たまへらるるこそ、かひなく。思し立たせたまへる恨めしさは、限りなう」
  とばかり聞こえたまひて、人々近うさぶらへば、さまざま乱るる心のうちをだに、え聞こえあ
らはしたまはず、いぶせし。
  「おほふかたの憂きにつけては厭へども
     いつかこの世を背き果つべき
  かつ、濁りつつ」
  など、かたへは御使の心しらひなるべし。あはれのみ尽きせねば、胸苦しうてまかでたまひぬ。


     殿にても、わが御方に一人うち臥したまひて、御目もあはず、世の中厭はしう思さるるにも、
春宮の御ことのみぞ心苦しき。
 「母宮をだに朝廷がたざまにと、思しおきしを、世の憂さに堪へず、かくなりたまひにたれば、
もとの御位にてもえおはせじ。我さへ見たてまつり捨ててはなど、思し明かすこと限りなし。
 「今は、かかるかたざまの御調度どもをこそは」と思せば、年の内にと、急がせたまふ。命婦
の君も御供になりにければ、それも心深うとぶらひたまふ。詳しう言ひ続けむに、ことことしき
さまなれば、漏らしてけるなめり。さるは、かうやうの折こそ、をかしき歌など出で来るやうも
あれ、さうざうしや。
  参りたまふも、今はつつましさ薄らぎて、御みづから聞こえたまふ折もありけり。思ひしめて
しことは、さらに御心に離れねど、まして、あるまじきことなりかし。


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                               光る源氏の物語 2

     年も変はりぬれば、内裏わたりはなやかに、内宴、踏歌など聞きたまふも、もののみあはれ
にて、御行なひしめやかにしたまひつつ、後の世のことをのみ思すに、頼もしく、むつかしかり
しこと、離れて思ほさる。常の御念誦堂をば、さるものにて、ことに建てられたる御堂の、西の
対の    南にあたりて、すこし離れたるに渡らせたまひて、とりわきたる御行なひせさせたまふ。


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大将、参りたまへり。改まるしるしもなく、宮の内のどかに、人目まれにて、宮司どもの親し
きばかり、うちうなだれて、見なしにやあらむ、屈しいたげに思へり。
 白馬ばかりぞ、なほひき変へぬものにて、女房などの見ける。所狭う参り集ひたまひし 上達
部など、道を避きつつひき過ぎて、向かひの大殿に集ひたまふを、かかるべきことなれど、あは
れに思さるるに、千人にも変へつべき御さまにて、深うたづね参りたまへるを見るに、あいなく
涙ぐまる。
 客人も、いとものあはれなるけしきに、うち見まはしたまひて、とみに物ものたまはず。さま
変はれる御住まひに、御簾の端、御几帳も青鈍にて、隙々よりほの見えたる薄鈍、梔子の袖口な
ど、なかなかなまめかしう、奥ゆかしう思ひやられたまふ。「解けわたる池の薄氷、岸の柳のけ
しきばかりは、時を忘れぬ」など、さまざま眺められたまひて、「 むべも心ある」と、忍びや
かにうち誦じたまへる、またなうなまめかし。
 「ながめかる海人のすみかと見るからに
  まづしほたるる松が浦島」
 と聞こえたまへば、奥深うもあらず、みな仏に譲りきこえたまへる御座所なれば、すこしけ近
き心地して、
 「ありし世のなごりだになき浦島に
  立ち寄る波のめづらしきかな」
 とのたまふも、ほの聞こゆれば、忍ぶれど、涙ほろほろとこぼれたまひぬ。世を思ひ澄ました
る尼君たちの見るらむも、はしたなければ、言少なにて出でたまひぬ。
 「さも、たぐひなくねびまさりたまふかな」
「心もとなきところなく世に栄え、時にあひたまひし時は、さるひとつものにて、何につけて
か世を思し 知らむと、推し量られたまひしを」
「今はいといたう思ししづめて、はかなきことにつけても、ものあはれなるけしけさへ添はせ
たまへるは、あいなう心苦しうもあるかな」
 など、老いしらへる人々、うち泣きつつ、めできこゆ。宮も思し出づること多かり。


  司召のころ、この宮の人は、賜はるべき官も得ず、おほかたの道理にても、宮の御賜はりに
ても、かならずあるべき加階などをだにせずなどして、嘆くたぐひいと多かり。かくても、いつ
しかと御位を去り、御封などの停まるべきにもあらぬを、ことつけて変はること多かり。皆かね
て思し捨ててし世なれど、宮人どもも、よりどころなげに悲しと思へるけしきどもにつけてぞ、
御心動く折々あれど、「わが身をなきになしても、春宮の御代をたひらかにおはしまさば」との
み思しつつ、御行なひたゆみなくつとめさせたまふ。
 人知れず危ふくゆゆしう思ひきこえさせたまふことしあれば、「我にその罪を軽めて、宥した
まへ」と、仏を念じきこえたまふに、よろづを慰めたまふ。
 大将も、しか見たてまつりたまひて、ことわりに思す。この殿の人どもも、また同じきさまに、
からきことのみあれば、世の中はしたなく思されて、籠もりおはす。


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左の大臣も、公私ひき変へたる世のありさまに、もの憂く思して、致仕の表たてまつりたまふ
を、帝は、故院のやむごとなく重き御後見と思して、長き世のかためと聞こえ置きたまひし御遺
言を思し召すに、捨てがたきものに思ひきこえたまへるに、かひなきことと、たびたび用ゐさせ
たまはねど、せめて返さひ申したまひて、籠もりゐたまひぬ。
 今は、いとど一族のみ、返す返す栄えたまふこと、限りなし。世の重しとものしたまへる大臣
の、かく世を逃がれたまへば、朝廷も心細う思され、世の人も、心ある限りは嘆きけり。
 御子どもは、いづれともなく人がらめやすく世に用ゐられて、心地よげにものしたまひしを、
こよなう静まりて、三位中将なども、世を思ひ沈めるさま、こよなし。かの四の君をも、なほ、
かれがれにうち通ひつつ、めざましうもてなされたれば、心解けたる御婿のうちにも入れたまは
ず。思ひ知れとにや、このたびの司召にも漏れぬれど、いとしも思ひ入れず。
 大将殿、かう静かにておはするに、世ははかなきものと見えぬるを、ましてことわり、と思し
なして、常に参り通ひたまひつつ、 学問をも遊びをももろともにしたまふ。
 いにしへも、もの狂ほしきまで、挑みきこえたまひしを思し出でて、かたみに今もはかなきこ
とにつけつつ、さすがに挑みたまへり。
 春秋の御読経をばさるものにて、臨時にも、さまざま尊き事どもをせさせたまひなどして、ま
た、いたづらに暇ありげなる博士ども召し集めて、文作り、韻塞ぎなどやうのすさびわざどもを
もしなど、心をやりて、宮仕へをもをさをさしたまはず、御心にまかせてうち遊びておはするを、
世の中には、わづらはしきことどもやうやう言ひ出づる人々あるべし。


  夏の雨、のどかに降りて、つれづれなるころ、中将、さるべき集どもあまた持たせて参りた
まへり。殿にも、文殿開けさせたまひて、まだ開かぬ御厨子どもの、めづらしき古集のゆゑなか
らぬ、すこし選り出でさせたまひて、その道の人々、わざとはあらねどあまた召したり。殿上人
も大学のも、いと多う集ひて、左右にこまどりに方分かせたまへり。賭物どもなど、いと二なく
て、挑みあへり。
 塞ぎもて行くままに、難き韻の文字どもいと多くて、おぼえある博士どもなどの惑ふところど
ころを、時々うちのたまふさま、いとこよなき御才のほどなり。
 「いかで、 かうしもたらひたまひけむ」
 「なほさるべきにて、よろづのこと、人にすぐれたまへるなりけり」
 と、めできこゆ。つひに、右負けにけり。
 二日ばかりありて、中将負けわざしたまへり。ことことしうはあらで、なまめきたる桧破籠ど
も、賭物などさまざまにて、今日も例の人々、多く召して、文など作らせたまふ。
  階のもとの薔薇、けしきばかり咲きて、春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるに、
うちとけ遊びたまふ。
 中将の御子の、今年初めて殿上する、八つ、九つばかりにて、声いと   おもしろく、笙の笛吹
きなどするを、うつくしびもてあそびたまふ。四の君腹の二郎なりけり。世の人の思へる寄せ重
くて、おぼえことにかしづけり。心ばへもかどかどしう、容貌もをかしくて、御遊びのすこし乱


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れゆくほどに、「 高砂」を出だして謡ふ、いとうつくし。大将の君、御衣脱ぎてかづけたまふ。
  例よりは、うち乱れたまへる御顔の匂ひ、似るものなく見ゆ。薄物の直衣、単衣を着たまへる
に、透きたまへる肌つき、ましていみじう見ゆるを、年老いたる博士どもなど、遠く見たてまつ
りて、涙落しつつゐたり。「逢はましものを、小百合ばの」と謡ふとぢめに、中将、御土器参り
たまふ。
  「それもがと今朝開らけたる初花に
      劣らぬ君が匂ひをぞ見る」
  ほほ笑みて、取りたまふ。
  「時ならで今朝咲く花は夏の雨に
      しをれにけらし匂ふほどなく
  衰へにたるものを」
  と、うちさうどきて、らうがはしく聞こし召しなすを、咎め出でつつ、しひきこえたまふ。
  多かめりし言どもも、かうやうなる折のまほ ならぬこと、数々に書きつくる、心地なきわざ
とか、貫之が諌め、たふるる方にて、むつかしければ、とどめつ。皆、この御ことをほめたる筋
にのみ、大和のも唐のも作り              続けたり。わが御心地にも、いたう思しおごりて、
  「    文王の子、武王の弟」
  と、うち誦じたまへる御名のりさへぞ、げに、めでたき。「成王の何」とか、のたまはむとす
らむ。そればかりや、また心もとなからむ。
  兵部卿宮も常に渡りたまひつつ、御遊びなども、をかしうおはする宮なれば、今めかしき御あ
はひどもなり。


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                  朧月夜の物語              村雨の紛れの密会露見

      そのころ、尚侍の君まかでたまへり。瘧病に久しう悩みたまひて、まじなひなども心やすく
せむとてなりけり。修法など始めて、おこたりたまひぬれば、誰も誰も、うれしう思すに、例の、
めづらしき隙なるをと、聞こえ交はしたまひて、わりなきさまにて、夜な夜な対面したまふ。
  いと盛りに、にぎははしきけはひしたまへる人の、すこしうち悩みて、痩せ痩せになりたまへ
るほど、いとをかしげなり。
  后の宮も一所におはするころなれば、けはひいと恐ろしけれど、かかることしもまさる御癖な
れば、いと忍びて、たびかさなりゆけば、けしき見る人々もあるべかめれど、わづらはしうて、
宮には、さなむと啓せず。
  大臣、はた思ひかけたまはぬに、雨にはかにおどろおどろしう降りて、神いたう鳴りさわぐ暁
に、殿の君達、宮司など立ちさわぎて、こなたかなたの人目しげく、女房どもも怖ぢまどひて、
近う集ひ参るに、いとわりなく、出でたまはむ方なくて、明け果てぬ。

                                                     21 / 41
御帳のめぐりにも、人々しげく並みゐたれば、いと胸つぶらはしく思さる。心知りの人二人ば
かり、心を惑はす。
 神鳴り止み、雨すこしを止みぬるほどに、大臣渡りたまひて、まづ、宮の御方におはしけるを、
村雨のまぎれにてえ知りたまはぬに、軽らかにふとはひ入りたまひて、御簾引き上げたまふまま
に、
 「いかにぞ。いとうたてありつる夜のさまに、思ひやりきこえながら、参り来でなむ。中将、
宮の亮など、さぶらひつや」
 など、のたまふけはひの、舌疾にあはつけきを、大将は、もののまぎれにも、左の大臣の御あ
りさま、ふと思し比べられて、たとしへなうぞ、ほほ笑まれたまふ。げに、入りはててものたま
へかしな。
 尚侍の君、いとわびしう思されて、やをらゐざり出でたまふに、面のいたう赤みたるを、「な
ほ悩ましう思さるるにや」と    見たまひて、
 「など、御けしきの例ならぬ。もののけなどのむつかしきを、修法延べさすべかりけり」
 とのとまふに、薄二藍なる帯の、御衣にまつはれて引き出でられたるを見つけたまひて、あや
しと思すに、また、畳紙の手習ひなどしたる、御几帳のもとに落ちたり。「これはいかなる物ど
もぞ」と、御心おどろかれて、
「かれは、誰れがぞ。けしき異なるもののさまかな。たまへ。それ取りて誰がぞと見はべらむ」
 とのたまふにぞ、うち見返りて、我も見つけたまへる。紛らはすべきかたもなければ、いかが
は応へきこえたまはむ。我にもあらでおはするを、「子ながらも恥づかしと思すらむかし」と、
さばかりの人は、思し憚るべきぞかし。されど、いと急に、のどめたるところおはせぬ大臣の、
思しもまはさずなりて、畳紙を取りたまふままに、几帳より見入れたまへるに、いといたうなよ
びて、つつましからず添ひ臥したる男もあり。今ぞ、やをら顔ひき隠して、とかう紛らはす。あ
さましう、めざましう心やましけれど、直面には、いかでか現はしたまはむ。目もくるる心地す
れば、この畳紙を取りて、寝殿に渡りたまひぬ。
 尚侍の君は、我かの心地して、 死ぬべく思さる。大将殿も、「いとほしう、つひに用なき振
る舞ひのつもりて、人のもどきを負はむとすること」と思せど、女君の心苦しき御けしきを、と
かく慰めきこえたまふ。


     大臣は、思ひのままに、籠めたるところおはせぬ本性に、いとど老いの御ひがみさへ添ひた
まふに、これは何ごとにかはとどこほりたまはむ。ゆくゆくと、宮にも愁へきこえたまふ。
「かうかうのことなむはべる。この畳紙は、右大将の御手なり。昔も、心宥されでありそめに
けることなれど、人柄によろづの罪を宥して、さても見むと、言ひはべりし折は、心もとどめず、
めざましげにもてなされにしかば、やすからず思ひたまへしかど、さるべきにこそはとて、世に
穢れたりとも、思し捨つまじきを頼みにて、かく本意のごとくたてまつりながら、なほ、その憚
りありて、うけばりたる女御なども言はせ       たまはぬをだに、飽かず口惜しう思ひたまふるに、
また、かかることさへはべりければ、さらにいと心憂くなむ思ひなりはべりぬる。男の例とはい


                                             22 / 41
ひながら、大将もいとけしからぬ御心なりけり。斎院をもなほ聞こえ犯しつつ、忍びに御文通は
しなどして、けしきあることなど、人の語りはべりしをも、世のためのみにもあらず、我がため
もよかるまじきことなれば、よもさる思ひやりなきわざ、し出でられじとなむ、時の有職と天の
下をなびかしたまへるさま、ことなめれば、大将の御心を、疑ひはべらざりつる」
  などのたまふに、宮は、いとどしき御心なれば、いとものしき御けしきにて、
 「帝と聞こゆれど、昔より皆人思ひ落としきこえて、致仕の大臣も、またなくかしづく一つ女
を、兄の坊にておはするにはたてまつらで、弟の源氏にて、いときなきが元服の副臥にとり分き、
また、この君をも宮仕へにと心ざしてはべりしに、をこがましかりしありさまなりしを、誰も誰
もあやしとやは思したりし。皆、かの御方にこそ御心寄せはべるめりしを、その本意違ふさまに
てこそは、かくてもさぶらひたまふめれど、いとほしさに、いかでさる方にても、人に劣らぬさ
まにもてなしきこえむ、さばかりねたげなりし人の見るところもあり、などこそは思ひはべれど、
忍びて我が心の入る方に、なびきたまふにこそははべらめ。斎院の御ことは、ましてさもあらむ。
何ごとにつけても、朝廷の御方にうしろやすからず見ゆるは、春宮の御世、心寄せ殊なる人なれ
ば、ことわりになむあめる」
  と、すくすくしうのたまひ続くるに、さすがにいとほしう、「など、聞こえつることぞ」と、
思さるれば、
 「さはれ、しばし、このこと漏らしはべらじ。内裏にも奏せさせたまふな。かくのごと、罪は
べりとも、思し捨つまじきを頼みにて、あまえてはべるなるべし。うちうちに制しのたまはむに、
聞きはべらずは、その罪に、ただみづから当たりはべらむ」
  など、聞こえ直したまへど、ことに御けしきも直らず。
 「かく、一所におはして隙もなきに、つつむところなく、さて入りものせらるらむは、ことさ
らに軽め弄ぜらるるにこそは」と思しなすに、いとどいみじうめざましく、「このついでに、さ
るべきことども構へ出でむに、よきたよりなり」と、思しめぐらすべし。


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中文译文:



                                       贤木


          光源氏 23 岁秋 9 月至 25 岁夏 近卫大将时代的故事


               六条御所的故事 离别之秋与伊势下向的故事



                                                23 / 41
光源氏的故事 父桐壶帝驾崩


                 藤壶的故事


                光源氏的故事 1


           藤壶的故事 主持法华八讲与出家


                光源氏的故事 2


          胧月夜的故事 村雨绵绵时分密会见




       六条御所的故事 离别之秋与伊势下向的故事

六条妃子近出动中郁闷不乐,因女儿斋宫赴伊势之日日渐迫近。加之自源氏夫人葵姬病故后,众皆
谣传她将成为源氏续弦,自己及宫邸内人等亦为此高兴了一阵。孰料源氏大将竟连门也不上,继而
疏远她了。一时六条妃子不胜失望,心想:“许是为了那生魂事件,他尚在厌恶我吧户左思右想之
后,便决定将万缕情丝一刀斩断,准备一心陪女儿下伊势修行。此后,六条妃子便以女儿年幼无知
不便独行为由,拒绝来访客人,决心避开这令人伤心的京华重地。源氏大将闻知,心念妃子将离京
远去,甚为惋惜。但仅写了几封缠绵徘侧的情书,派人送去,以表达自己相思之意。六条妃子也知
此间一去,今后恐难再见。她想:别人既已嫌恶于我,倘再与之纠缠不休,不仅两方痛苦,而且也
遭人鄙薄。因此她与公子绝决的心情更是坚定了。


  离京之后,六条妃子不时也秘密回至京华私哪小住。但大多行迹隐蔽,只是源氏大将不得而知
罢了。况且野宫乃斋戒之地,他不便随意前去访问。虽近在眼前,然而不敢贸然造次。整日只是忧
心忡忡,磋跄度日。正值此时,桐壶院病了。虽非重疾,却时时发作,苦不堪言。源氏也为此操心
不已,然而更使他揪心的仍是六条妃子:她恨我薄情寡义,实属无奈。然终究对她不住。况且外人
闻知,亦会骂我,岂能如此无情不义?于是下定决心,定要前往野宫访晤致歉。



                                       24 / 41
斋宫赴伊势的日子,定于九月初七。行期在即,六条妃子甚是忙乱。源氏大将屡番去信:“但
望能小叙片刻。”六条妃子犹豫不决,继而又想:“我过分隐匿,也沉闷得很,不如与他隔帘一见
吧。”便悄悄等候他来。


  源氏大将到得野宫,只见景致异常萧索。秋花皆已枯萎,蔓草中凄清的虫鸣与远处松涛,合成
一曲不可言状的音调。不时飘来的隐约乐音,更觉清艳动人。随身侍从及十几位亲近前驱,服饰均
很简单,并不招摇。大将亦作微服打扮,然极讲究,容姿焕发。随大将同行者,皆为风流人物,如
今都觉得这身打扮甚是适合时俗,心中感慨。源氏大将自己也想:“往昔竟未前来饱览一番。”遂
感辜负良辰美景,有些后悔。


  野宫外围着一道柴篱,里面各处建有许多板屋,都很简陋。惟有门前那用原木造的牌坊,形式
颇为庄严宏大,令人肃然起敬。那些神官三五成群聚集一处,窃窃私语,不时传来一阵咳嗽声。这
光景与外间截然不同。神厨里火光幽微昏暗,隐隐约约,更觉万物凄清惨淡。源氏大将料想世间那
些万般柔肠之人,闲居此等荒凉孤寂之地,也真是悲苦凄凉,不由得同情之心更甚。


  源氏大将隐匿于毛内北厢房,见此处往来人少,便邀六条妃子来此晤谈。乐音骤停,室内一阵
响动之后,便有几个传女出来迎接,惟不见有六条妃子。源氏大将一时不快,便恳请道:“此次微
服来访,实乃不得已而为之,万望妃子体谅下怀,勿拒我于门外。”能求见妃子一面,亲面互诉衷
肠,我便称心了。 说罢,
        ”   略显凄楚之色。侍女们碍于往日情份,恐有失公子体面,便劝请妃子道:
“如此待人,倘叫外人看见,定有些不是!教他站于室外,实在有些狼狈,恐对他不住吧!”六条
妃子一时没了主意:“啊呀,教我如何是好?此间人目众多,倘让女儿斋宫知道,岂不怨我行为轻
率?如今再与他会面,万万使不得吧?”实在做不了决定。想断然拒绝,又没有这般勇气,左思右
想,还是决定见面为好。于是膝行而出,行至外间,步态甚为优美。


  源氏大将道:“此乃神宫圣地,只于廊下一叙,想必无妨吧?”使跨廓而坐了。适时月光清幽,
更显源氏大将丰采非凡。想到与她久不相见,定要将几月来胸中郁积悉数表达,但又觉无从说起。
便随手将析得的一枝杨桐塞入帘内,说道:“我心如这杨桐,常青不变。今番不顾禁地,冲撞神垣,
只为见你一面,略诉衷肠,不想却遭如此冷遇…”话未完,只听里面六条妃子吟道:


  “此地不长无情杉,摘来香木也徒然。”源氏大将答道:


  “闻得此中聚神女,故持香叶访仙居。”


  此时,氛围沉寂严肃,未敢稍有逾越。源氏大将终觉隔帘太不自然,便将上身深入帘内,倚于
横木上。忆起从前,六条妃子与己相见.如鱼游水般容易。那时,六条妃子一心眷恋他,自己却总
觉她不甚可爱,定有什么接疵,所以只是逢场作戏,应酬而已。加之后来发生了生魂祟人之事,更


                                        25 / 41
使源氏感到厌烦,终致这般疏远。但今日久别重逢,回想往日之情,便觉心绪缭乱,悔恨不已。源
氏大将前思后想,遂觉命运待他实在刻薄,不禁悲从中来,潸然下泪。六条妃子本不欲泄露真情,
竭力隐忍。但一见如此情景,便也勾起往日情思,竟不觉陪他掉下泪来。源氏大将见此情状,更为
伤心,便恳求她不必赴伊势。月亮渐渐西沉,天空一片惨淡,源氏大将仰头遗视,只觉苍天悠悠恨
事无限。那句句温情之言听来令人回肠荡气,六条妃子年来心中积怨已逐渐冰消瓦解。本已斩断的
情丝,殊料今日又相连接,她不免更觉烦恼无限。


     庭中景致原本清艳典雅,平日间资公子弟相邀来此观景,留连其间。而如今平添两个痴迷恋人,
间有娓娓情话,更是妙不可言。渐次明亮的天色,也似特意前来为此增光添彩。源氏大将不觉意气
风发,高声吟道:


 “朝别自古催人泪,此时秋尽更添愁。”他紧握六条妃子双手,恋恋不忍离去,那模样甚是多
情呢!此时凉风骤起,秋虫鼓噪而鸣,幽绝哀怨,似乎代为惜别。此情此景,即便无忧之人,听得
此等悲声也是肝肠寸断,更何况即将惜别的情人呢,岂有心情从容吟赋?六条妃子只是勉强答道:


     “秋别也是无限愁,虫声不绝离愁浓。”


     源氏大将追忆往昔,后悔之事甚多,但现已无可奈何。天亮时,源氏担心被众人瞧见,便匆匆
告辞而去。剩下六条妃子孤独一人,怅然若失,茫然仰视惨淡的天空。而众侍女皆痴迷地想着于月
光映照下源氏那丰俏的姿容,闻着犹未消散的衣香,不觉心驰神往,竟忘记了野宫的神圣。大家赞
不绝口:“如此俊秀之人,即使是忍受烈焚煎熬之苦,亦难离别啊!”说罢,竟无端为二人伤心落
泪。


     次日,源氏大将致信慰问六条妃子,比平常更为诚恳周到。六条妃子看了久久京绕于胸,难以
忘怀。无奈事已至此,后海已晚了。而源氏这人,于情爱之事,虽即泛泛之交,亦能博得别人欢心,
使之生死而肉骨,更何况自与六条妃子结交,情爱炽热,非同一般。故今当洒泪惜别,不觉悲苦交
加,怅们之极,然又有何办法呢?


     作别前,六条妃子离途中,一切用度及随从诸人赏赐等,源氏大将早已置备周全,珍奇丰盛不
在话下。但六条妃子毫无所动,她认定,既已留恶名于世,不若早些离开为好。启程之日渐近,惟
有朝夕愁叹。


     年幼无知的斋宫,惟怨行期不定,如今定了行期,自是高兴异常。然而古无前例,没有娘亲伴
赴女儿赴神宫修行之事。故朝野上下,对六条妃子陪赴帝宫此举一时哗然。有人讽评,亦有人同情。
倘为庶人,于此等事自无人问津,倒还自在;而今身为贵人,一言一行,尽皆惹人注目,多生烦忧,
自不待言。


                                           26 / 41
拔樱仪式九月十六日于桂川举行。仪式较往常隆重:随行使者,及参加仪式众公卿,皆为显贵
且圣眷深重的朝中重臣。离野宫出发前,源氏大将照例送来借别之信。并另附一信,开头写道:“献
予斋宫。亵渎神明,进言惶恐。”此信挂于白布之上,白布系于杨桐枝上。下面写着:“自古即有:
‘奔驰天庭之雷神,亦不拆散有情人。’同样:


  护国天神若释情,应解情侣难别离。总觉此别难堪之极。”当时虽行色匆匆,忙乱不堪,但六
条妃子觉得此信不可不回。斋宫叫侍女长代为答诗:


  “若教天神断此事,应先质问薄情人。”


  诸事受当,六条妃子便要带斋宫进宫辞行。源氏大将亦想进宫去看望二人。但念及自己与她已
清断义绝,再去见面送别,恐怕使人尴尬,便打消了此念头,只是茫茫然沉思冥想。看罢斋宫所附
答诗,似大人口吻,不禁微笑。想道:
                “她年方十四,于此等年龄,定落得很标致,且一定风流吧。”
不免动了心思。源氏此痛性,实在令人难以理喻,愈是不可求之事愈想得到。斋宫年幼之时,源氏
本可以随时见到,然而直到今天亦未曾见过,不知她长得怎样。他想:
                              “说不定将来有机会相见吧!”


  斋宫与六条妃子入宫这天,引来众多人夹道观瞻。且二人本仪容绝世,色艺双绝,更惹得众人
围观。两人于申时才入得官中。六条妃子乘于轿中,一路回想已故父大臣,当年悉心教养,仅指望
她入宫,日后能身居皇后高位。但后来屡遭不幸,事与愿违。今日再度入宫,不禁感慨万分。想当
年十六岁入宫,册封为已故是太子之妃,二十岁与皇太子死别,离宫十年,已人老珠黄。如今重见
九重宫闭,往事历历于心,感慨不已。便赋诗道:


  “未及忆起当年事,悲哀已自上心头。”


  斋宫大生丽质,妩媚袅娜。于盛妆点缀映衬下,更显娇怜可爱,楚楚动人。孰知她仅年方十四
呢?朱雀帝见之,不觉怦然心动,临别加林时,惟觉怅然怜惜,木禁掉下泪来。斋宫退出时,八省
院前有众多车子等候于此,皆为侍女所乘,甚显华丽。殿上与侍女相好之人,正匆匆惜别。夜幕下
垂时,车列从它中出发,前往伊势。由二条大街转入洞院路时,正好从二条院门前经过。源氏大将
正愁闷无绪,便写了封信,附于一枝杨桐上,送给六条妃子。信中诗道:


  “今朝翩然离我去,泪珠犹如铃鹿波。”


  其时天已近黑,加之路途忙乱劳顿,六条妃子当日未复信。次日车行逢报关口后,六条妃子才
回信作答:




                                        27 / 41
“铃鹿泪波碎无语,谁怜伊势寂寞人?”此信寥寥数字,字迹却优美端庄。源氏大将看后,甚
觉悲哀,想道:“若能稍加些哀愁之意便好了。”此时朝雾弥漫笼罩,晨景美妙动人。对此美景,
凝望雾天,源氏大将独自吟道:


   “欲望佳人归去处,逢板已被秋雾迷!”吟罢,便闭门独坐,连西殿也不去了。只觉悲哀:“六
条妃子此去旅途漫漫,前方路遥,不知定是何等伤心落魄啊!”
------------------------------



                         光源氏的故事 父桐壶帝驾崩



    十月,桐壶帝病情沉重,朝廷上下首忧心牵挂。朱雀帝亦是茶饭不思,不时前去探问。桐壶帝
御体虽更显衰微,但仍屡屡叮嘱他定要好好照顾皇太子。同时提及源氏大将,说道:“我死之后,
事无巨细,定与其商议,与我在世时一般。此子年纪虽轻,但老成持重,能胜任政治之事。视其相
貌,确为治国安邦之才。故此,我为避众亲王嫌忌,本册封为亲王,而将其降为臣下,视其为朝廷
后援人。你要明白我一片苦心啊!”


    听罢父皇遗言,朱雀帝不胜悲痛,声言决不违背父皇嘱托。桐壶院见朱雀帝仪态大方,威严清
爽,心里稍感宽慰。朱雀帝想到君臣有别,不得不洒泪离去,匆匆赶回宫中。皇太子年纪虽小,却
很有成人模样,容姿亦甚优美。本想随同前来,但恐人多嘈杂,惊扰御体,故改日再去。铜壶帝见
太子出落得如此秀美,不禁龙心大悦,对他亲切有加。而太子许久不见皇上,常怀念于心。今日得
见,满面乖觉可爱,仰望桐壶帝慈颜。闲谈甚久,嘱咐了太子许多事情,深恐其年幼无知,关心厚
爱之情溢于言表。桐壶帝曾数次托付源氏大将,要他勤理朝政,并善待太子。夜深之时,太子方才
告辞出它。临别时,殿上随从人等成来相送。上是本欲留他在身边,但时间已晚,只得让他回去,
心中不胜惆怅。


    弘徽殿太后亦欲前来探视,只因藤壶皇后常传在侧,而心有嫌忌,一时踌躇未定。恰逢此时,
桐壶院驾崩。噩耗传出,朝野震惊。请王侯公卿暗自思忖:“桐壶院虽说已让位退居,实际上仍然
摄政。今一旦驾崩,朱雀帝年事尚幼,其外祖父右大臣性情急躁,刚愎自用。今后任其所为,形势
将不堪设想。”因此众人心中更为忐忑不安,不知所措。藤壶皇后及源氏大将,更是悲拗欲绝,几
乎不省人事。到七七四十九日佛事供养之时,源氏大将身着葛布丧服,形容惟淬,态度虔诚郑重,
甚于诸皇子。众人无不赞其忠义。源氏大将去岁悼亡,今道丧父,连遇不幸,顿感人世可厌,命运
不公,颇想乘此机会,抛舍红尘,遁入空门。然而父皇临终有瞩,可虑之事尚多,安能撒手不管呢?


    众妃嫔四十九日内均于桐壶院举哀,之后各自散归。十二月二十是断七日。其时岁暮天寒,愁
云惨淡,藤壶皇后心绪悲愁烦乱,思虑颇多。她熟知弘徽殿太后性行,桐壶帝在时尚且任情弄权,

                                         28 / 41
如今她更为随意肆虐,恐怕痛苦之人就更多了。这倒还其次,如今相恋之人桐壶帝已舍她而去,往
日众亲近侍从人等,皆要离散。想到今后的孤寂清苦,不觉泪流涟涟。


  想到这些,藤壶皇后决定迁居三条私评,其兄兵部卿亲王前来迎接。此时正值寒风凛冽,大雪
纷飞,人迹罕至,景象衰败异常。源氏大将上门造访,谈起桐壶院在世时情状。兵部卿亲王望见庭
里雪中凋零的五叶松,便吟道:


  “陕蒙嘉荫松已搞,枝头叶散光华终。”此诗即景抒情,催人哀思,虽并无特别之处,然而源
氏大将不禁泪满盈眶。见地面全部封冻,随即吟道:


  “池面冰封如平镜,慈容难见吾心悲。”此诗略显稚气。藤壶皇后遗侍女王命妇赋道:


 “岁末天冻岩井封,斯人面影不再浪。”其它许多应景诗篇,不再—一赘述。藤壶皇后迁居三
条,仪式与往常无异。可总觉平淡凄凉,恐为睹物思人,心绪不佳所致。虽已回至故居,然颇觉陌
生,无异于他乡泊居,只管沉浸于往日回忆里。


  年光如流,又值新年。谅阁之时,世间免去了往夕欢庆之举,悄悄度过了新年。源氏公子近来
沉迷于旧事,早有些厌恶尘世,故一直闲闭家中。往年此时任免地方官时,早已宾客盈门。桐壶院
在位退位时皆是如此,而今年门庭冷落。值夜守更之人,已无踪影,惟有几个老仆无聊闲坐。源氏
大将看到如此光景,只道今后气数已尽,心中不胜凄凉。


  且说俄月夜本为弘徽殿太后六妹,又名林荷姬,已入选朱雀帝后宫,二月里又升任尚待。原尚
待遭桐壶院丧后,为追慕!日清,出家做了尼姑,此位便由林简姬代替。柿荷姬姿容秀美,艳若桃
李,身材玲呢苗条。且很会卖弄风情,讨人欢心,故尤受朱雀帝宠爱。弘徽殿太后常居私邪,入宫
后往人梅壶院,便将旧居弘徽殿让与尚待。林简姬旧居为登花殿,那里偏僻简陋。如今迁至富丽华
贵的弘徽殿,顿觉气象非凡很多。但见侍女如云,锦绣无比。从此,生活豪华富丽起来。然而她始
终不能忘记,当年与源氏公子于源俄月色之下的缠绵,不时心中暗自悲叹,私下照旧与源氏通信交
往。源氏也有顾虑:“倘走漏消息,为右大臣得知,不知如何是好?”然于他愈是难得愈是渴慕。
柿简姬入主禁宫后,对其恋慕越发强烈。然弘徽殿太后生性刚愎,。心胸狭隘。铜壶院在世之时,
尚有所顾忌.隐忍不发。而今时事易变,她要对多年来心中所积仇恨设法报复。近来源氏屡遭失意,
便也知道是太后从中作梗。可源氏不善世故人情,只得任其而为了。


  近来左大臣亦是意气消沉,难得入宫一回。朱雀帝作太子时,曾欲娶葵姬,左大臣拒绝了他,
而将葵姬嫁与了源氏。弘徽殿太后至今耿耿于怀,怀恨于心。加之他与右大臣一向不睦,桐壶院在
位时,他一揽朝纲,独善其事。如今失势,右大臣成了皇上的外祖父,例占尽优越。左大臣一瓶不
振,心灰意冷自在情理之中。


                                        29 / 41
倒是源氏大将仍念旧谊,常前往左家宅邪问候。对旧时众侍女,仍细致体贴;对小公子夕雾,
自是关怀备至。左大臣见其如此善良淳厚,不忘旧情,招呼应酬亦殷切诚挚,与往常无异。


  当年源氏自得桐壶院庞爱,故有恃无恐。而今沧桑逝变,行为已有所收敛。不敢再如以前那般
放肆,与以往厮混的女子渐渐断绝了往来。偷香传玉等轻薄行径亦为少了,变得沉默稳重,彬彬有
礼。众人皆称道西殿那少夫人好有福气。紫姬的乳母少纳言看到这模样,暗自思忖:此乃已故师姑
老太太勤修佛法的善报吧!紫姬的父亲兵部卿亲王,现亦能与女儿自由通信来往,兵部卿亲王正妻
所生的几个女儿,虽甚珍爱,然于诸方面并不如意。故众人妒羡紫姬,这反惹得亲王正夫人不快。


  却说贺茂斋院因父新丧,不得不回宫守孝。斋院之职暂由模姬代任。而从来贺茂斋院按旧例必
由公主担当,似模姬这样的亲王公主当斋院,鲜有所闻,只是迫于此次无适当人选可派。源氏爱慕
模姬,虽然多年失望,但不能相忘。现在闻知她当了斋院,深觉从此更难见面,不免惋惜不已。然
而源氏毕竟本性难改,虽然一时收敛,却不能持久。因此,仍托模姬的侍女代为传言,绵绵情话从
此不绝。而对于今日失势,却毫不在意,只管一心寻觅偷欢,以消解愁闷。


  上皇去后,朱雀帝谨守遗言,多方庇护源氏。然而他年纪尚轻,性情柔顺,缺少刚强独断之气,
万事皆由母后与外祖父右大臣作主。因此源氏处身行事,每多失意。但那位尚侍俄月夜偷偷恋慕源
氏,两人相晤虽非容易,但也不时暗中幽会。一次,五坛例行法会。朱雀帝洁身斋戒时,二人在侍
女中纳言巧妙安排下,将源氏带到一靠近廓下的房里,重温当年鱼水之欢。虽人多耳杂,提心吊胆,
但见俄月夜正值青春年华,轻狂中自有温柔优雅、天真灿烂的乐趣。源氏欣喜不已。


  无奈良宵苦短。天近黎明时,闻值夜近卫武官在近旁高声喝道:“奉旨巡夜!”源氏大将想:
“说不定另有一近卫武官,亦躲于此处幽会,而遭同辈护恨,告知了这值夜武官,教他来恐吓吧。”
随即想到自身亦为近卫大将,不觉好笑。值夜武官走来走去巡视,一会后,又高声报道:“寅时一
刻!”而俄月夜听此一报,随即吟道:


  “夜尽先听报晓声,疑是情绝悲泪起。”一副恋恋难舍的模样,令人怜爱不已。源氏答诗:


  “夜色虽尽情未尽,空自愁叹度今生!”当下心情不安,便匆忙溜出了房间。


  此时夜色残存,天光未明,月影清幽迷蒙,夜雾渐渐升起,远山近水笼罩其间,更觉孤寂清凉。
源氏大将身着便服,畏缩着匆匆前行。可巧承香殿女御之兄头中将正从藤壶院出来,隐约见是源氏
大将,心中纳闷,便急忙藏匿于暗处,欲瞧个仔细。见其行色举止匆匆,知他定是幽会回返,不免
冷笑不已。真是心惊偏遇鬼敲门,看来源氏公子又会出名了!




                                        30 / 41
这尚待如此容易接近,源氏反而怀念起与之相反的藤壶皇后来。此人刚直守贞,常拒人于外,
倒令人敬畏。但自己终觉得此人冷酷之至,实在可恼。
-----------------------------------------



                                   藤壶的故事



    朱雀帝继位之后,藤壶皇后渐觉进宫乏味,且无面子,便不常去了。然而心中又常常挂念皇太
子。他年幼无知,万事全靠源氏着顾。可源氏那种不良居心尚未消除,不时使她难堪心痛。她想:
“所幸桐壶院直至驾崩都不知我二人曾关系暧昧。如今想来,还觉羞恨惶恐。一旦泄露出去,对皇
儿前途一定不利啊!”她越想越怕,只得潜心修佛,妄图仰仗佛力保佑此事机密,割断情丝。孰知
一天,源氏大将居然暗地混进藤壶皇后的内室里。


    源氏大将小心翼翼,外人断未察觉。藤壶皇后在房中看见他,还以为是做梦呢。源氏站在屏外,
又重施手段,花言巧语、山盟海誓说得甚多。然而皇后心如磐石,不为所动。但心中哀痛不已,党
致晕去。侍女王命好与异君等人甚为惊慌,忙来扶持。如此一来,源氏懊恼万分。一时脑中恍格,
呆若木鸡,直到天明,他仍不想回去。众侍女闻知皇后患病,纷纷前来探望。源氏一时吓得失去知
觉,被王命妇一把推进壁橱暂且躲避。


    藤壶皇后深受刺激,气火上浮,头脑充血,愈发痛苦了。其兄兵部卿亲王及官中大夫等前来探
询,吩咐召请僧众举行法事,一时纷忙不堪。源氏大将躲在壁橱里静听外间情状,苦不堪言。日幕
时分,藤壶皇后渐渐苏醒过来,尚不知源氏大将躲在壁橱内。侍女们怕她懊恼,也未将此事告知于
她。觉得身体稍好些,她便膝行至日间的御座上休息。兵部卿亲王等见她已康复,便各自归去。平
日皇后近身侍女不多,别的待女也都退避了,室中人很少。于是王命妇便与共君悄悄地商量,怎样
打发公子出去:“若留他在此,今夜再惹娘娘生气,可不得了!”


    源氏躲在壁橱内,见那扇门关实,尚留一丝细缝。便将门推开,悄悄钻了出来,沿着屏风背后,
行至藤壶皇后居室。他久已不曾见得皇后姿容,如今窥见,悲喜交加,竟流下泪来。皇后侧身而坐,
脸向着外面娇弱无力地说道:“我心中难受得很,怕要过离人世了!”侍女送上精美水果,她却看
也不看,只叹尘世艰辛飘零。渐入沉思,倒显得更加可爱。源氏大将想:“她那飘逸光亮的长发,
秀美艳丽,被散下来,竟与西殿那人相同呢!多年来自从与那人相恋,对她印象倒淡薄了。如今再
一见到,二人果然削之极。”他以为紫姬稍可安慰他对藤壶的思恋。心想两人气度与神情相似。但
或心情所遣吧,倒觉得先前这思恋之人,更富娇艳之相。一想到此,不能抑制,悄悄钻进帐中,拉
住了藤壶里后衣据。


    藤壶皇后突闻得源氏身上那特有香气,吃了一惊,身子顿时俯卧于床。源氏大将只恨她不肯转

                                            31 / 41
中日对照《源氏物语》全书10
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  • 1. 【源氏物语~中日对照版】第十章:賢木(さかき) 光る源氏の 23 歳秋 9 月から 25 歳夏まで近衛大将時代の物語 六条御息所の物語 秋の別れと伊勢下向の物語 光る源氏の物語 父桐壷帝の崩御 藤壷の物語 光る源氏の物語 1 藤壷の物語 法華八講主催と出家 光る源氏の物語 2 朧月夜の物語 村雨の紛れの密会露見 六条御息所の物語 秋の別れと伊勢下向の物語 斎宮の御下り、近うなりゆくままに、御息所、もの心細く思ほす。やむごとなくわづらはしきも のにおぼえたまへりし大殿の君も亡せたまひて後、さりともと世人も聞こえあつかひ、宮のうち にも心ときめきせしを、その後しも、かき絶え、あさましき御もてなしを見たまふに、まこと に 憂しと思すことこそありけめと、知り果てたまひぬれば、よろづのあはれを思し捨てて、ひ たみちに出で立ちたまふ。 親添ひて下りたまふ例も、ことになけれど、いと見放ちがたき御ありさまなるにことつけて、 1 / 41
  • 2. 「憂き世を行き離れむ」と思すに、大将の君、さすがに、今はとかけ離れたまひなむも、口惜し く思されて、御消息ばかりは、あはれなるさまにて、たびたび通ふ。対面したまはむことをば、 今さらにあるまじきことと、女君も思す。 「人は心づきなしと、思ひ置きたまふこともあらむに、 我は、今すこし思ひ乱るることのまさるべきを、あいなし」と、心強く思すなるべし。 もとの殿には、あからさまに渡りたまふ折々あれど、いたう忍びたまへば、大将殿、え知りた まはず。たはやすく御心にまかせて、参うでたまふべき御すみかに はたあらねば、おぼつかな くて月日も隔たりぬるに、院の上、おどろおどろしき御悩みにはあらで、例ならず、時々悩ませ たまへば、いとど御心の暇なけれど、「つらき者に思ひ果てたまひなむも、いとほしく、人聞き 情けなくや」と思し起して、野の宮に参うでたまふ。 九月七日ばかりなれば、「むげに今日明日」と思すに、女方も心あわたたしけれど、「立ち ながら」と、たびたび御消息ありければ、「いでや」とは思しわづらひながら、「いとあまり埋 もれいたきを、物越ばかりの対面は」と、人知れず待ちきこえたまひけり。 遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。秋の花、みな衰へつつ、浅茅が原も 枯れ枯れなる虫の音に、 松風、すごく吹きあはせて、そのこととも聞き分かれぬほどに、物の 音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。 むつましき御前、十余人ばかり、 御随身、ことことしき姿ならで、いたう忍びたまへれど、 ことにひきつくろひたまへる御用意、いとめでたく見えたまへば、御供なる好き者ども、所から さへ身にしみて思へり。御心にも、「などて、今まで立ちならさざりつらむ」と、過ぎぬる方、 悔しう思さる。 ものはかなげなる小柴垣を大垣にて、板屋どもあたりあたりいとかりそめなり。黒木の鳥居ど も、さすがに神々しう見わたされて、わづらはしきけしきなるに、神司の者ども、ここかしこに うちしはぶきて、おのがどち、物うち言ひたるけはひなども、他にはさま変はりて見ゆ。火焼 屋 かすかに光りて、人気すくなく、しめじめとして、ここにもの思はしき人の、月日を隔てた まへらむほどを思しやるに、いといみじうあはれに心苦し。 北の対のさるべき所に立ち隠れたまひて、御消息聞こえたまふに、遊びはみなやめて、心にく きけはひ、あまた聞こゆ。 何くれの人づての御消息ばかりにて、みづからは対面したまふべきさまにもあらねば、「いと ものし」と思して、 「かうやうの歩きも、今はつきなきほどになりにてはべるを、思ほし知らば、かう注連のほか にはもてなしたまはで。いぶせうはべることをも、あきらめはべりにしがな」 と、まめやかに聞こえたまへば、人々、 「げに、いとかたはらいたう」 「立ちわづらはせたまふに、いとほしう」 など、 あつかひきこゆれば、いさや。 「 ここの人目も見苦しう、かの思さむことも、若々しう、 出 でゐむが、今さらにつつましきこと」と思すに、いともの憂けれど、情けなうもてなさむにもた 2 / 41
  • 3. けからねば、とかくうち嘆き、やすらひて、ゐざり出でたまへる御けはひ、いと心にくし。 「こなたは、簀子ばかりの許されははべりや」 とて、上りゐたまへり。 はなやかにさし出でたる夕月夜に、うち振る舞ひたまへるさま、匂ひに、似るものなくめでた し。月ごろのつもりを、つきづきしう聞こえたまはむも、まばゆきほどになりにければ、榊をい ささか折りて持たまへりけるを、挿し入れて、 「 変らぬ色をしるべにてこそ、 斎垣も越えはべりにけれ。さも心憂く」 と聞こえたまへば、 「神垣は しるしの杉もなきものを いかにまがへて折れる榊ぞ」 と聞こえたまへば、 「 少女子があたりと思へば榊葉の 香を なつかしみとめてこそ折れ」 おほかたのけはひわづらはしけれど、御簾ばかりはひき着て、長押におしかかりてゐたまへ り。 心にまかせて見たてまつりつべく、人も慕ひざまに思したりつる年月は、のどかなりつる御心 おごりに、さしも思されざりき。 また、心にうちに、「いかにぞや、疵ありて」、思ひきこえたまひにし後、はた、あはれもさ めつつ、かく御仲も隔たりぬるを、めづらしき御対面の昔おぼえたるに、「あはれ」と、思し乱 るること限りなし。来し方、行く先、思し続けられて、心弱く泣きたまひぬ。 女は、さしも見えじと思しつつむめれど、え忍びたまはぬ御けしきを、いよいよ心苦しう、な ほ思しとまるべきさまにぞ、聞こえたまふめる。 月も入りぬるにや、あはれなる空を眺めつつ、怨みきこえたまふに、ここら思ひ集めたまへる つらさも消えぬべし。やうやう、「今は」と、思ひ離れたまへるに、「さればよ」と、なかなか 心動きて、思し乱る。 殿上の若君達などうち連れて、とかく立ちわづらふなる庭の たたずまひも、げに艶なるか たに、うけばりたるありさまなり。思ほし 残すことなき御仲らひに、聞こえ交はしたまふこと ども、まねびやらむかたなし。 やうやう明けゆく空のけしき、ことさらに作り出でたらむやうなり。 「暁の別れはいつも露けきを こは世に知らぬ秋の空かな」 出でがてに、御手をとらへてやすらひたまへる、いみじうなつかし。 風、いと冷やかに吹きて、松虫の鳴きからしたる声も、折知り顔なるを、さして思ふことなき だに、聞き過ぐしがたげなるに、まして、わりなき御心惑ひどもに、なかなか、こともゆかぬに 3 / 41
  • 4. や。 「おほかたの秋の別れも悲しきに 鳴く音な添へそ野辺の松虫」 悔しきこと多かれど、かひなければ、明け行く空もはしたなうて、出でたまふ。道のほどいと 露けし。 女も、え心強からず、名残あはれにて眺めたまふ。ほの見たてまつりたまへる月影の御容貌、 なほとまれる匂ひなど、若き人々は身にしめて、あやまちも しつべく、めできこゆ。 「いかばかりの道にてか、かかる御ありさまを見捨てては、別れきこえむ」 と、あいなく涙ぐみあへり。 御文、常よりもこまやかなるは、思しなびくばかりなれど、またうち返し、定めかねたまふ べきことならねば、いとかひなし。 男は、さしも思さぬことをだに、情けのためにはよく言ひ続けたまふべかめれば、まして、お しなべての列には思ひきこえたまはざりし御仲の、かくて背きたまひなむとするを、口惜しうも いとほしうも、思し悩むべし。 旅の御装束よりはじめ、人々のまで、何くれの御調度など、いかめしうめづらしきさまにて、 とぶらひきこえたまへど、何とも思されず。あはあはしう心憂き名をのみ流して、あさましき身 のありさまを、今はじめたらむやうに、ほど近くなるままに、起き臥し嘆きたまふ。 斎宮は、若き御心地に、不定なりつる御出で立ちの、かく定まりゆくを、うれし、とのみ思し たり。世人は、例なきことと、もどきもあはれがりも、さまざまに聞こゆべし。何ごとも、人に もどきあつかはれぬ際はやすげなり。なかなか世に抜け出でぬる人の御あたりは、所狭きこと多 くなむ。 十六日、桂川にて御祓へしたまふ。常の儀式にまさりて、長奉送使など、さらぬ上達部も、 やむごとなく、おぼえあるを選らせたまへり。院の御心寄せもあればなるべし。出でたまふほど に、大将殿より例の尽きせぬことども聞こえたまへり。「かけまくもかしこき御前にて」と、木 綿につけて、 「 鳴る神だにこそ、 八洲もる国つ御神も心あらば 飽かぬ別れの仲をことわれ 思うたまふるに、飽かぬ心地しはべるかな」 とあり。いとさわがしきほどなれど、御返りあり。宮の御をば、女別当して書かせたまへり。 「国つ神空にことわる仲ならば なほざりごとをまづや糾さむ」 大将は、御ありさまゆかしうて、内裏にも参らまほしく思せど、うち捨てられて見送らむも、 人悪ろき心地したまへば、思しとまりて、つれづれに眺めゐたまへり。 宮の御返りのおとなおとなしきを、ほほ笑みて見ゐたまへり。「御年のほどよりは、をかしう 4 / 41
  • 5. もおはすべきかな」と、ただならず。かうやうに例に違へるわづらはしさに、 かならず心かか る御癖にて、「いとよう見たてまつりつべかりしいはけなき御ほどを、見ずなりぬるこそねたけ れ。世の中定めなければ、対面するやうもありなむかし」など思す。 心にくくよしある御けはひなれば、物見車多かる日なり。申の時に内裏に参りたまふ。 御息所、御輿に乗りたまへるにつけても、父大臣の限りなき筋に思し志して、いつきたてまつ りたまひしありさま、変はりて、末の世に内裏を見たまふにも、もののみ尽きせず、あはれに思 さる。十六にて故宮に参りたまひて、二十にて後れたてまつりたまふ。三十にてぞ、今日また九 重を見たまひける。 「そのかみを今日はかけじと忍ぶれど 心のうちにものぞ悲しき」 斎宮は、十四にぞなりたまひける。いとうつくしうおはするさまを、うるはしうしたてたてま つりたまへるぞ、いとゆゆしきまで見えたまふを、帝、御心動きて、別れの櫛たてまつりたまふ ほど、いとあはれにて、しほたれさせたまひぬ。 出でたまふを待ちたてまつるとて、八省に立て続けたる出車どもの袖口、色あひも、目馴れぬ さまに、心にくきけしきなれば、殿上人どもも、私の別れ惜しむ多かり。 暗う出でたまひて、二条より洞院の大路を折れたまふほど、二条の院の前なれば、大将の君、 いとあはれに思されて、榊にさして、 「振り捨てて今日は行くとも鈴鹿川 八十瀬の波に袖は濡れじや」 と聞こえたまへれど、 いと暗う、ものさわがしきほどなれば、 またの日、関のあなたよりぞ、 御 返しある。 「鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず 伊勢まで誰か思ひおこせむ」 ことそぎて書きたまへるしも、御手いとよしよししくなまめきたるに、「あはれなるけをすこ し添へたまへらましかば」と思す。 霧いたう降りて、ただならぬ朝ぼらけに、うち眺めて独りごちにおはす。 「行く方を眺めもやらむこの秋は 逢坂山を霧な隔てそ」 西の対にも渡りたまはで、人やりならず、もの寂しげに眺め暮らしたまふ。まして、旅の空は、 いかに御心尽くしなること多かりけむ。 -------------------------------- 光る源氏の物語 父桐壷帝の崩御 5 / 41
  • 6. 院の御悩み、神無月になりては、いと重くおはします。世の中に惜しみきこえぬ人なし。内 裏にも、思し嘆きて行幸あり。弱き御心地にも、 春宮の御事を、返す返す聞こえさせたまひて、 次には大将の御こと、 「はべりつる世に変はらず、大小のことを隔てず、何ごとも御後見と思せ。齢のほどよりは、 世をまつりごたむにも、をさをさ憚りあるまじうなむ、見たまふる。かならず世の中たもつべき 相ある人なり。さるによりて、わづらはしさに、親王にもなさず、ただ人にて、朝廷の御後見を せさせむと、思ひたまへしなり。その心違へさせたまふな」 と、あはれなる御遺言ども多かりけれど、女のまねぶべきことにしあらねば、この片端だにか たはらいたし。 帝も、いと悲しと思して、さらに違へきこえさすまじきよしを、返す返す聞こえさせたまふ。 御容貌も、いときよらにねびまさらせたまへるを、うれしく頼もしく見たてまつらせたまふ。限 りあれば、急ぎ帰らせたまふにも、なかなかなること多くなむ。 春宮も、 一度にと思し召しけれど、ものさわがしきにより、日を変へて、渡らせたまへり。 御年のほどよりは、大人びうつくしき御さまにて、恋しと思ひきこえさせたまひけるつもり に、 何心もなくうれしと思し、見たてまつりたまふ御けしき、いとあはれなり。 中宮は、涙に沈みたまへるを、見たてまつらせたまふも、さまざま御心乱れて思し召さる。よ ろづのことを聞こえ知らせたまへど、いとものはかなき御ほどなれば、うしろめたく悲しと見た てまつらせたまふ。 大将にも、朝廷に仕うまつりたまふべき御心づかひ、この宮の御後見したまふべきことを、返 す返すのたまはす。 夜更けてぞ帰らせたまふ。残る人なく仕うまつりてののしるさま、行幸に劣るけぢめなし。飽 かぬほどにて帰らせたまふを、いみじう思し召す。 大后も、参りたまはむとするを、中宮のかく添ひおはするに、御心置かれて、思しやすらふ ほどに、おどろおどろしきさまにもおはしまさで、隠れさせたまひぬ。足を空に、思ひ惑ふ人多 かり。 御位を去らせたまふといふばかりにこそあれ、世のまつりごとをしづめさせたまへることも、 我が御世の同じことにておはしまいつるを、帝はいと若うおはします、祖父大臣、いと急にさが なくおはして、その御ままになりなむ世を、いかならむと、上達部、殿上人、皆思ひ嘆く。 中宮、大将殿などは、ましてすぐれて、ものも思しわかれず、後々の御わざなど、孝じ仕うま つりたまふさまも、そこらの親王たちの御中にすぐれたまへるを、ことわりながら、いとあはれ に、世人も見たてまつる。 藤の御衣にやつれたまへるにつけても、限りなくきよらに心苦しげ なり。去年、今年とうち続き、かかることを見たまふに、世もいとあぢきなう思さるれど、かか るついでにも、まづ思し立たるることはあれど、また、さまざまの御ほだし多かり。 御四十九日までは、女御、御息所たち、みな、院に集ひたまへりつるを、過ぎぬれば、散り散 6 / 41
  • 7. りにまかでたまふ。師走の二十日なれば、おほかたの世の中とぢむる空のけしきにつけても、ま して晴るる世なき、中宮の御心のうちなり。大后の御心も知りたまへれば、心にまかせたまへら む世の、はしたなく住み憂からむを思すよりも、馴れきこえたまへる年ごろの御ありさまを、思 ひ出できこえたまはぬ時の間なきに、かくてもおはしますまじう、みな他々へと出でたまふほど に、悲しきこと限りなし。 宮は、三条の宮に渡りたまふ。御迎へに兵部卿宮参りたまへり。雪うち散り、風はげしうて、 院の内、やうやう人目かれゆきて、しめやかなるに、大将殿、こなたに参りたまひて、古き御物 語聞こえたまふ。御前の五葉の雪にしをれて、下葉枯れたるを見たまひて、親王、 「蔭ひろみ頼みし松や枯れにけむ 下葉散りゆく年の暮かな」 何ばかりのことにもあらぬに、折から、ものあはれにて、大将の御袖、いたう濡れぬ。池の隙 なう氷れるに、 「さえわたる池の鏡のさやけきに 見なれし影を見ぬぞ悲しき」 と、思すままに、あまり若々しうぞあるや。王命婦、 「年暮れて岩井の水もこほりとぢ 見し人影のあせもゆくかな」 そのついでに、いと多かれど、さのみ書き続くべきことかは。 渡らせたまふ儀式、変はらねど、思ひなしにあはれにて、旧き宮は、かへりて旅心地したまふ にも、御里住み絶えたる年月のほど、思しめぐらさるべし。 年かへりぬれど、世の中今めかしきことなく静かなり。まして大将殿は、もの憂くて籠もり ゐたまへり。除目のころなど、院の御時をばさらにもいはず、年ごろ劣るけぢめなくて、御門の わたり、所なく立ち込みたりし馬、車うすらぎて、宿直物の袋をさをさ見えず、親しき家司ども ばかり、ことに急ぐことなげにてあるを見たまふにも、「今よりは、かくこそは」と思ひやられ て、ものすさまじくなむ。 御匣殿は、二月に、尚侍になりたまひぬ。院の御思ひにやがて尼になりたまへる、替はりなり けり。やむごとなくもてなし、人がらもいとよくおはすれば、あまた参り集りたまふなかにも、 すぐれて時めきたまふ。后は、里がちにおはしまいて、参りたまふ時の御局には梅壷をしたれば、 弘徽殿には尚侍の君住みたまふ。登花殿の埋れたりつるに、晴れ晴れしうなりて、女房なども数 知らず集ひ参りて、今めかしう花やぎたまへど、御心のうちは、思ひのほかなりしことどもを忘 れがたく嘆きたまふ。いと忍びて通はしたまふことは、なほ同じさまなるべし。「ものの聞こえ もあらばいかならむ」と思しながら、例の御癖なれば、今しも御心ざしまさるべかめり。 院のおはしましつる世こそ憚りたまひつれ、后の御心いちはやくて、かたがた思しつめたるこ とどもの報いせむ、と思すべかめり。ことにふれて、はしたなきことのみ出で来れば、かかるべ きこととは思ししかど、見知りたまはぬ世の憂さに、立ちまふべくも思されず。 7 / 41
  • 8. 左の大殿も、すさまじき心地したまひて、ことに内裏にも参りたまはず。故姫君を、引きよき て、この大将の君に聞こえつけたまひし御心を、后は思しおきて、よろしうも思ひきこえたまは ず。大臣の御仲も、もとよりそばそばしうおはするに、故院の御世にはわがままにおはせしを、 時移りて、したり顔におはするを、あぢきなしと思したる、ことわりなり。 大将は、ありしに変はらず渡り通ひたまひて、さぶらひし人々をも、なかなかにこまかに思し おきて、若君をかしづき思ひきこえたまへること、限りなければ、あはれにありがたき御心と、 いとどいたつききこえたまふことども、同じさまなり。限りなき御おぼえの、あまりもの騒がし きまで、暇なげに見えたまひしを、通ひたまひし所々も、かたがたに絶えたまふことどもあり、 軽々しき御忍びありきも、あいなう思しなりて、ことにしたまはねば、いとのどやかに、今しも あらまほしき御ありさまなり。 西の対の姫君の御幸ひを、世人もめできこゆ。少納言なども、人知れず、「故尼上の御祈りの しるし」と見たてまつる。父親王も思ふさまに聞こえ交はしたまふ。嫡腹の、限りなくと思すは、 はかばかしうもえあらぬに、ねたげなること多くて、継母の北の方は、やすからず思すべし。物 語にことさらに作り出でたるやうなる御ありさまなり。 斎院は、御服にて下りゐたまひにしかば、朝顔の姫君は、替はりにゐたまひにき。賀茂のいつ きには、孫王のゐたまふ例、多くもあらざりけれど、さるべき女御子やおはせざりけむ。大将の 君、年月経れど、なほ御心離れたまはざりつるを、かう筋ことになりたまひぬれば、口惜しくと 思す。中将におとづれたまふことも、同じことにて、御文などは絶えざるべし。昔に変はる御あ りさまなどをば、ことに何とも思したらず、かやうのはかなしごとどもを、紛るることなきまま に、こなたかなたと思し悩めり。 帝は、院の御遺言違へず、あはれに思したれど、若うおはしますうちにも、御心なよびたる かたに過ぎて、強きところおはしまさぬなるべし、母后、祖父大臣とりどりしたまふことは、え 背かせたまはず、世のまつりごと、御心にかなはぬやうなり。 わづらはしさのみまされど、尚侍の君は、人知れぬ御心し通へば、わりなくてと、おぼつかな くはあらず。五檀の御修法の初めにて、慎しみおはします隙をうかがひて、例の、夢のやうに聞 こえたまふ。かの、昔おぼえたる細殿の局に、中納言の君、紛らはして入れたてまつる。人目も しげきころなれば、常よりも端近なる、そら恐ろしうおぼゆ。 朝夕に見たてまつる人だに、飽かぬ御さまなれば、まして、めづらしきほどにのみある御対面 の、いかでかはおろかならむ。女の御さまも、げにぞめでたき御盛りなる。重りかなるかたは、 いかがあらむ、をかしうなまめき若びたる心地して、見まほしき御けはひなり。 ほどなく明け行くにや、とおぼゆるに、ただここにしも、 「宿直申し、さぶらふ」 と、声づくるなり。「また、このわたりに隠ろへたる近衛司ぞあるべき。腹ぎたなきかたへの 教へおこするぞかし」と、大将は聞きたまふ。をかしきものから、わづらはし。 ここかしこ尋ねありきて、 8 / 41
  • 9. 「寅一つ」 と申すなり。女君、 「心からかたがた袖を濡らすかな 明くと教ふる声につけても」 とのたまふさま、はかなだちて、いとをかし。 「嘆きつつわが世はかくて過ぐせとや 胸のあくべき時ぞともなく」 静心なくて、出でたまひぬ。 夜深き暁月夜の、えもいはず霧りわたれるに、いといたうやつれて、振る舞ひなしたまへる しも、似るものなき御ありさまにて、承香殿の御兄の藤少将、藤壷より出でて、月の少し隈ある 立蔀のもとに立てりけるを、知らで過ぎたまひけむこそいとほしけれ。もどききこゆるやうもあ りなむかし。 かやうのことにつけても、もて離れつれなき人の御心を、かつはめでたしと思ひきこえたまふ ものから、わが心の引くかたにては、なほつらう心憂し、とおぼえたまふ折多かり。 -------------------------------------- 藤壷の物語 内裏に参りたまはむことは、うひうひしく、所狭く思しなりて、春宮を見たてまつりたまは ぬを、おぼつかなく思ほえたまふ。また、頼もしき人もものしたまはねば、ただこの大将の君を ぞ、よろづに頼みきこえたまへるに、なほ、この憎き御心のやまぬに、ともすれば御胸をつぶし たまひつつ、いささかもけしきを御覧じ知らずなりにしを思ふだに、いと恐ろしきに、今さらに また、さる事の聞こえありて、わが身はさるものにて、春宮の 御ためにかならずよからぬこと 出で来なむ、と思すに、いと恐ろしければ、御祈りをさへせさせて、このこと思ひやませたてま つらむと、思しいたらぬことなく逃れたまふを、いかなる折にかありけむ、あさましうて、近づ き参りたまへり。心深くたばかりたまひけむことを、知る人なかりければ、夢のやうにぞありけ る。 まねぶべきやうなく聞こえ続けたまへど、宮、いとこよなくもて離れきこえたまひて、果て果 ては、御胸をいたう悩みたまへば、近うさぶらひつる命婦、弁などぞ、あさましう見たてまつり あつかふ。男は、憂し、つらし、と思ひきこえたまふこと、限りなきに、来し方行く先、かきく らす心地して、うつし心失せにければ、明け果てにけれど、出でたまはずなりぬ。 御悩みにおどろきて、人々近う参りて、しげうまがへば、我にもあらで、塗籠に押し 入れら れておはす。御衣ども隠し持たる人の心地ども、いとむつかし。宮は、ものをいとわびし、と思 しけるに、御気あがりて、なほ悩ましうせさせたまふ。兵部卿宮、大夫など参りて、 「僧召せ」 9 / 41
  • 10. など騒ぐを、大将、いとわびしう聞きおはす。からうして、暮れゆくほどにぞおこたりたまへ る。 かく籠もりゐたまへらむとは思しもかけず、人々も、また御心惑はさじとて、かくなむとも申 さぬなるべし。昼の御座にゐざり出でておはします。よろしう思さるるなめりとて、宮もまかで たまひなどして、御前人少なになりぬ。例もけ近くならさせたまふ人少なければ、ここかしこの 物のうしろなどにぞさぶらふ。命婦の君などは、 「いかにたばかりて、出だしたてまつらむ。今宵さへ、御気上がらせたまはむ、いとほしう」 など、うちささめき扱ふ。 君は、塗籠の戸の細めに開きたるを、やをらおし開けて、御屏風のはさまに伝ひ入りたまひぬ。 めづらしくうれしきにも、涙落ちて見たてまつりたまふ。 「なほ、いと苦しうこそあれ。世や尽きぬらむ」 とて、外の方を見出だしたまへるかたはら目、言ひ知らずなまめかしう見ゆ。御くだものをだ に、とて参り据ゑたり。箱の蓋などにも、なつかしきさまにてあれど、見入れたまはず。世の中 をいたう思し悩めるけしきにて、のどかに眺め入りたまへる、いみじうらうたげなり。髪ざし、 頭つき、御髪のかかりたるさま、限りなき匂はしさなど、ただ、かの対の姫君に違ふところなし。 年ごろ、すこし思ひ忘れたまへりつるを、「あさましきまでおぼえ たまへるかな」と見たまふ ままに、すこしもの思ひのはるけどころある心地したまふ。 気高う恥づ かしげなるさまなども、さらに異人とも思ひ分きがたきを、なほ、限りなく昔よ り思ひしめきこえてし心の思ひなしにや、さまことに、 「 いみじうねびまさりたまひにけるかな」 と、たぐひなくおぼえたまふに、心惑ひして、やをら御帳のうちにかかづらひ入りて、御衣の褄 を引きならしたまふ。けはひしるく、さと匂ひたるに、あさましうむくつけう思されて、やがて ひれ伏したまへり。「見だに向きたまへかし」と心やましうつらうて、引き寄せたまへるに、御 衣をすべし置きて、ゐざりのきたまふに、心にもあらず、御髪の取り添へられたりければ、いと 心憂く、宿世のほど、思し知られて、いみじ、と思したり。 男も、ここら世をもてしづめたまふ御心、みな乱れて、うつしざまにもあらず、よろづのこと を泣く泣く怨みきこえたまへど、まことに心づきなし、と思して、いらへも聞こえたまはず。た だ、 「心地の、いと悩ましきを。かからぬ折もあらば、聞こえてむ」 とのたまへど、尽きせぬ御心のほどを言ひ続けたまふ。 さすがに、いみじと聞きたまふふしもまじるらむ。あらざりしことにはあらねど、改めて、い と口惜しう思さるれば、なつかしきものから、いとようのたまひ逃れて、今宵も明け行く。 せめて従ひきこえざらむもかたじけなく、心恥づかしき御けはひなれば、 「ただ、かばかりにても、時々、いみじき愁へをだに、はるけはべりぬべくは、何のおほけな き心もはべらじ」 など、たゆめきこえたまふべし。なのめなることだに、かやうなる仲らひは、あはれなること も添ふなるを、まして、たぐひなげなり。 10 / 41
  • 11. 明け果つれば、二人して、いみじきことどもを聞こえ、宮は、半ばは亡きやうなる御けしきの 心苦しければ、 「世の中に ありと聞こし召されむも、いと恥づかしければ、やがて亡せはべりなむも、また、 この世ならぬ罪となりはべりぬべきこと」 など聞こえたまふも、むくつけきまで思し入れり。 「逢ふことのかたきを今日に限らずは 今幾世をか嘆きつつ経む 御ほだしにもこそ」 と聞こえたまへば、さすがに、うち嘆きたまひて、 「長き世の恨みを人に残しても かつは心をあだと知らなむ」 はかなく言ひなさせたまへるさまの、言ふよしなき心地すれど、人の思さむところも、わが御 ためも苦しければ、我にもあらで、出でたまひぬ。 「いづこを面にてかは、またも見えたてまつらむ。いとほしと思し知るばかり」と思して、 御文も聞こえたまはず。うち絶えて、内裏、春宮にも参りたまはず、 籠もりおはして、起き臥 し、「いみじかりける人の御心かな」と、人悪ろく恋しう悲しきに、心魂も失せにけるにや、悩 ましうさへ思さる。もの心細く、「なぞや、世に経れば憂さこそまされ」と、思し立つには、こ の女君のいとらうたげにて、あはれにうち頼みきこえたまへるを、振り捨てむこと、いとかたし。 宮も、その名残、例にもおはしまさず。かうことさらめきて籠もりゐ、おとづれたまはぬを、 命婦などはいとほしがりきこゆ。宮も、春宮の御ためを思すには、「御心置きたまはむこと、い とほしく、世をあぢきなきものに思ひなりたまはば、ひたみちに思し立つこともや」と、さすが に苦しう思さるべし。 「かかること絶えずは、いとどしき世に、憂き名さへ漏り出でなむ。大后の、あるまじきこと にのたまふなる位をも去りなむ」と、やうやう思しなる。院の思しのたまはせしさまの、なのめ ならざりしを思し出づるにも、 「よろづのこと、ありしにもあらず、変はりゆく世にこそあめれ。 戚夫人の見けむ目のやうにあらずとも、かならず、人笑へなることは、ありぬべき身にこそあめ れ」など、世の疎ましく、過ぐしがたう思さるれば、背きなむことを思し取るに、春宮、見たて まつらで面変はりせむこと、あはれに思さるれば、忍びやかにて参りたまへり。 大将の君は、さらぬことだに、思し寄らぬことなく仕うまつりたまふを、御心地悩ましきにこ とつけて、御送りにも参りたまはず。おほかたの御とぶらひは、同じやうなれど、「むげに、思 し屈しにける」と、心知るどちは、いとほしがりきこゆ。 宮は、いみじううつくしうおとなびたまひて、めづらしううれしと思して、むつれきこえたま ふを、かなしと見たてまつりたまふにも、思し立つ筋はいとかたけれど、内裏わたりを見たまふ につけても、世のありさま、あはれにはかなく、移り変はることのみ多かり。 大后の御心もいとわづらはしくて、かく出で入りたまふにも、はしたなく、事に触れて苦しけ 11 / 41
  • 12. れば、宮の御ためにも危ふくゆゆしう、よろづにつけて思ほし乱れて、 「御覧ぜで、久しからむほどに、容貌の異ざまにてうたてげに変はりてはべらば、いかが思さ るべき」 と聞こえたまへば、御顔うちまもりたまひて、 「式部がやうにや。いかでか、さはなりたまはむ」 と、笑みてのたまふ。いふかひなくあはれにて、 「それは、老いてはべれば醜きぞ。さはあらで、髪はそれよりも 短くて、黒き衣などを着て、 夜居の僧のやうになりはべらむとすれば、見たてまつらむことも、いとど久しかるべきぞ」 とて泣きたまへば、まめだちて、 「久しうおはせぬは、恋しきものを」 とて、涙の落つれば、恥づかしと思して、さすがに背きたまへる、御髪はゆらゆらときよらに て、まみのなつかしげに匂ひたまへるさま、おとなびたまふままに、ただかの御顔を脱ぎすべた まへり。御歯のすこし朽ちて、口の内黒みて、笑みたまへる薫りうつくしきは、女にて見たてま つらまほしうきよらなり。「いと、かうしもおぼえたまへるこそ、心憂けれ」と、玉の瑕に思さ るるも、世のわづらはしさの、空恐ろしうおぼえたまふなりけり。 --------------------------------------------- 光る源氏の物語 1. 大将の君は、宮をいと恋しう思ひきこえたまへど、「あさましき御心のほどを、時々は、思 ひ知るさまにも見せたてまつらむ」と、念じつつ過ぐしたまふに、人悪ろく、つれづれに思さる れば、秋の野も見たまひがてら、雲林院に詣でたまへり。 「故母御息所の御兄の律師の籠もりたまへる坊にて、法文など読み、行なひせむ」と思して、 二、三日おはするに、あはれなること多かり。 紅葉やうやう色づきわたりて、秋の野のいとなまめきたるなど見たまひて、故里も忘れぬべく 思さる。法師ばらの、才ある限り召し出でて、論議せさせて聞こしめさせたまふ。所からに、い とど世の中の常なさを思し明かしても、なほ、「憂き人しもぞ」と、思し出でらるるおし明け方 の月影に、法師ばらの閼伽たてまつるとて、からからと鳴らしつつ、菊の花、濃き薄き紅葉など、 折り散らしたるも、はかなげなれど、 「このかたのいとなみは、この世もつれづれならず、後の世はた、頼もしげなり。さも、あぢ きなき身をもて悩むかな」 など、思し続けたまふ。律師の、いと尊き声にて、 「念仏衆生摂取不捨」 と、うちのべて行なひたまへるは、いとうらやましければ、「なぞや」と思しなるに、まづ、 姫君の心にかかりて思ひ出でられたまふぞ、いと悪ろき心なるや。 12 / 41
  • 13. 例ならぬ日数も、おぼつかなくのみ思さるれば、御文ばかりぞ、しげう聞こえたまふめる。 「行き離れぬべしやと、試みはべる道なれど、つれづれも慰めがたう、心細さまさりてなむ。 聞きさしたることありて、やすらひはべるほど、いかに」 など、陸奥紙にうちとけ書きたまへるさへぞ、めでたき。 「浅茅生の露のやどりに君をおきて 四方の嵐ぞ静心なき」 など、こまやかなるに、女君もうち泣きたまひぬ。御返し、白き色紙に、 「風吹けばまづぞ乱るる色変はる 浅茅が露にかかるささがに」 とのみありて、「御手はいとをかしうのみなりまさるものかな」と、独りごちて、うつくしと ほほ笑みたまふ。 常に書き交はしたまへば、わが御手にいとよく似て、今すこしなまめかしう、女しきところ 書き添へたまへり。「何ごとにつけても、けしうはあらず生ほし立てたりかし」と思ほす。 吹き交ふ風も近きほどにて、斎院にも聞こえたまひけり。中将の君に、 「かく、旅の空になむ、もの思ひにあくがれにけるを、思し知るにもあらじかし」 など、怨みたまひて、御前には、 「かけまくはかしこけれどもそのかみの 秋思ほゆる木綿欅かな 昔を今に、と思ひたまふるもかひなく、とり返されむもののやうに」 と、なれなれしげに、唐の浅緑の紙に、榊に木綿つけなど、神々しうしなして参らせたまふ。 御返り、中将、 「紛るることなくて、来し方のことを思ひたまへ出づるつれづれのままには、思ひやりきこえ さすること多くはべれど、かひなくのみなむ」 と、すこし心とどめて多かり。御前のは、木綿の片端に、 「そのかみやいかがはありし木綿欅 心にかけてしのぶらむゆゑ 近き世に」 とぞある。 「御手、こまやかにはあらねど、らうらうじう、草などをかしうなりにけり。まして、朝顔も ねびまさりたまふらむかし」と思ほゆるも、ただならず、恐ろしや。 「あはれ、このころぞかし。野の宮のあはれなりしこと」と思し出でて、「あやしう、やうの もの」と、神恨めしう思さるる御癖の、見苦しきぞかし。わりなう思さば、さもありぬべかりし 年ごろは、のどかに過ぐいたまひて、今は悔しう思さるべかめるも、あやしき御心なりや。 院も、かくなべてならぬ御心ばへを見知りきこえたまへれば、たまさかなる御返りなどは、え しももて離れきこえたまふまじかめり。すこしあいなきことなりかし。 13 / 41
  • 14. 六十巻といふ書、読みたまひ、おぼつかなきところどころ解かせなどしておはしますを、「山 寺には、いみじき光行なひ出だしたてまつれり」と、「仏の御面目あり」と、あやしの法師ばら までよろこびあへり。しめやかにて、世の中を思ほしつづくるに、帰らむことももの憂かりぬべ けれど、人一人の御こと思しやるがほだしなれば、久しうもえおはしまさで、寺にも御誦経いか めしうせさせたまふ。あるべき限り、上下の僧ども、そのわたりの山賤まで物賜び、尊きことの 限りを尽くして出でたまふ。見たてまつり送るとて、このもかのもに、あやしきしはふるひども も集りてゐて、涙を落としつつ見たてまつる。黒き御車のうちにて、藤の御袂にやつれたまへれ ば、ことに見えたまはねど、ほのかなる御ありさまを、世になく思ひきこゆべかめり。 女君は、日ごろのほどに、ねびまさりたまへる心地して、いといたうしづまりたまひて、世 の中いかがあらむと思へるけしきの、心苦しうあはれにおぼえたまへば、あいなき心のさまざま 乱るるやしるからむ、「色かはる」とありしもらうたうおぼえて、常よりことに語らひきこえた まふ。 山づとに持たせたまへりし紅葉、御前のに御覧じ比ぶれば、ことに染めましける露の心も見過 ぐしがたう、おぼつかなさも、人悪るきまでおぼえたまへば、ただおほかたにて宮に参らせたま ふ。命婦のもとに、 「入らせたまひにけるを、めづらしきこととうけたまはるに、宮の間の事、おぼつかなくなり はべりにければ、静心なく思ひたまへながら、行ひもつとめむなど、思ひ立ちはべりし日数を、 心ならずやとてなむ、日ごろになりはべりにける。紅葉は、一人見はべるに、錦暗う思ひたまふ ればなむ。折よくて御覧ぜさせたまへ」 などあり。 げに、いみじき枝どもなれば、御目とまるに、例の、いささかなるものありけり。人々見たて まつるに、御顔の色も移ろひて、 「なほ、かかる心の絶えたまはぬこそ、いと疎ましけれ。あたら思ひやり深うものしたまふ人 の、ゆくりなく、かうやうなること、折々混ぜたまふを、人もあやしと見るらむかし」 と、心づきなく思されて、瓶に挿させて、廂の柱のもとにおしやらせたまひつ。 おほかたのことども、宮の御事に触れたることなどをば、うち頼めるさまに、すくよかなる 御返りばかり聞こえたまへるを、「さも心かしこく、尽きせずも」と、恨めしうは見たまへど、 何ごとも後見きこえならひたまひにたれば、「人あやしと、見とがめもこそすれ」と思して、ま かでたまふべき日、参りたまへり。 まづ、内裏の御方に参りたまへれば、のどやかにおはしますほどにて、昔今の御物語聞こえた まふ。御容貌も、院にいとよう似たてまつりたまひて、今すこしなまめかしき気添ひて、なつか しうなごやかにぞおはします。かたみにあはれと見たてまつりたまふ。 尚侍の君の御ことも、なほ絶えぬさまに聞こし召し、けしき御覧ずる折もあれど、 「何かは、今はじめたることならばこそあらめ。さも心交はさむに、似げなかるまじき人のあ はひなりかし」 14 / 41
  • 15. とぞ思しなして、咎めさせたまはざりける。 よろづの御物語、書の道のおぼつかなく思さるることどもなど、問はせたまひて、また、好き 好きしき歌語なども、かたみに聞こえ交はさせたまふついでに、かの斎宮の下りたまひし日のこ と、容貌のをかしくおはせしなど、語らせたまふに、我もうちとけて、野の宮のあはれなりし曙 も、みな聞こえ出でたまひてけり。 二十日の月、やうやうさし出でて、をかしきほどなるに、 「遊びなども、せまほしきほどかな」 とのたまはす。 「中宮の、今宵、まかでたまふなる、とぶらひにものしはべらむ。院ののたまはせおくことは べりしかば。また、後見仕うまつる人もはべらざめるに。春宮の御ゆかり、いとほしう思ひたま へられはべりて」 と 奏したまふ。 「春宮をば、今の皇子になしてなど、のたまはせ置きしかば、とりわきて心ざしものすれど、 ことにさしわきたるさまにも、何ごとをかはとてこそ。年のほどよりも、御手などのわざとかし こうこそものしたまふべけれ。何ごとにも、はかばかしからぬ みづからの面起こしになむ」 と、のたまはすれば、 「おほかた、したまふわざなど、いとさとく大人びたるさまにものしたまへど、まだ、いと片 なりに」 など、その御ありさまも奏したまひて、まかでたまふに、大宮の御兄の藤大納言の子の、頭の 弁といふが、世にあひ、はなやかなる若人にて、思ふことなきなるべし、妹の麗景殿の御方に行 くに、大将の御前駆を忍びやかに追へば、しばし立ちとまりて、 「 白虹日を貫けり。太子畏ぢたり」 と、いとゆるるかにうち誦じたるを、大将、いとまばゆしと聞きたまへど、咎むべきことかは。 后の御けしきは、いと恐ろしう、わづらはしげにのみ聞こゆるを、かう親しき人々も、けしきだ ち言ふべかめることどももあるに、わづらはしう思されけれど、つれなうのみもてなしたまへり。 「御前にさぶらひて、今まで、更かしはべりにける」 と、聞こえたまふ。 月のはなやかなるに、「昔、かうやうなる折は、御遊びせさせたまひて、今めかしうもてなさ せたまひし」など、思し出づるに、同じ御垣の内ながら、変はれること多く悲し。 「九重に霧や隔つる雲の上の 月をはるかに思ひやるかな」 と、命婦して、聞こえ伝へたまふ。ほどなければ、御けはひも、ほのかなれど、なつかしう聞 こゆるに、つらさも忘られて、まづ涙ぞ落つる。 「月影は見し世の秋に変はらぬを 隔つる霧のつらくもあるかな 15 / 41
  • 16. 霞も人のとか、昔もはべりけることにや」 など聞こえたまふ。 宮は、春宮を飽かず思ひきこえたまひて、よろづのことを聞こえさせたまへど、深うも思し入 れたらぬを、いとうしろめたく思ひきこえたまふ。例は、いととく大殿籠もるを、「出でたまふ までは起きたらむ」と思すなるべし。恨めしげに思したれど、さすがに、え慕ひきこえたまはぬ を、いとあはれと、見たてまつりたまふ。 大将、頭の弁の誦じつることを思ふに、御心の鬼に、世の中わづらはしうおぼえたまひて、 尚侍の君にも訪れきこえたまはで、久しうなりにけり。 初時雨、いつしかとけしきだつに、いかが思しけむ、かれより、 「木枯の吹くにつけつつ待ちし間に おぼつかなさのころも経にけり」 と聞こえたまへり。折もあはれに、あながちに忍び書き たまへらむ御心ばへも、憎からね ば、御使とどめさせて、唐の紙ども入れさせたまへる御厨子開けさせたまひて、なべてならぬを 選り出でつつ、筆なども心ことにひきつくろひたまへるけしき、艶なるを、御前なる人々、「誰 ばかりならむ」とつきじろふ。 「聞こえさせても、かひなきもの懲りにこそ、むげにくづほれにけれ。 身のみもの憂きほど に、 あひ見ずてしのぶるころの涙をも なべての空の時雨とや見る 心の通ふならば、いかに眺めの空ももの忘れしはべらむ」 など、こまやかになりにけり。 かうやうにおどろかしきこゆるたぐひ多かめれど、情けなからずうち返りごちたまひて、御心 には深う染まざるべし。 ---------------------------------------------- 藤壷の物語 法華八講主催と出家 中宮は、院の御はてのことにうち続き、御八講のいそぎをさまざまに心づかひせさせたまひ けり。 霜月の朔日ごろ、御国忌なるに、雪いたう降りたり。大将殿より宮に聞こえたまふ。 「別れにし今日は来れども見し人に 行き逢ふほどをいつと頼まむ」 いづこにも、今日はもの悲しう思さるるほどにて、御返りあり。 「ながらふるほどは憂けれど行きめぐり 16 / 41
  • 17. 今日はその世に逢ふ心地して」 ことにつくろひてもあらぬ御書きざまなれど、あてに気高きは思ひなしなるべし。筋変はり今 めかしうはあらねど、人にはことに書かせたまへり。今日は、この御ことも思ひ消ちて、あはれ なる雪の雫に濡れ濡れ行ひたまふ。 十二月十余日ばかり、中宮の御八講なり。いみじう尊し。日々に供養ぜさせたまふ御経より はじめ、玉の軸、羅の 表紙、帙簀の飾りも、世になきさまにととのへさせたまへり。さらぬこ とのきよらだに、世の常ならずおはしませば、ましてことわりなり。仏の御飾り、花机のおほひ などまで、まことの極楽思ひやらる。 初めの日は、先帝の御料。次の日は、母后の御ため。またの日は、院の御料。五巻の日なれば、 上達部なども、世のつつましさをえしも憚りたまはで、いとあまた参りたまへり。今日の講師は、 心ことに選らせたまへれば、「薪こる」ほどよりうちはじめ、同じう言ふ言の葉も、いみじう尊 し。親王たちも、さまざまの捧物ささげてめぐりたまふに、大将殿の御用意など、なほ 似るも のなし。常におなじことのやうなれど、見たてまつるたびごとに、めづらしからむをば、いかが はせむ。 果ての日、わが御ことを結願にて、世を背きたまふよし、仏に申させたまふに、皆人々おどろ きたまひぬ。兵部卿宮、大将の御心も動きて、あさましと思す。 親王は、なかばのほどに立ちて、入りたまひぬ。心強う思し立つさまのたまひて、果つるほど に、山の座主召して、忌むこと受けたまふべきよし、のたまはす。御伯父の横川の僧都、近う参 りたまひて、御髪 下ろしたまふほどに、宮の内ゆすりて、ゆゆしう泣きみちたり。何となき老 い衰へたる人だに、今はと世を背くほどは、あやしうあはれなるわざを、まして、かねての御け しきにも出だしたまはざりつることなれば、親王もいみじう泣きたまふ。 参りたまへる人々も、おほかたのことのさまも、あはれ尊ければ、みな、袖濡らしてぞ帰りた まひける。 故院の御子たちは、昔の御ありさまを思し出づるに、いとど、あはれに悲しう思されて、みな、 とぶらひきこえたまふ。大将は、立ちとまりたまひて、聞こえ出でたまふべきかたもなく、暮れ まどひて思さるれど、「 などか、さしも」と、人見たてまつるべければ、親王など出でたまひ ぬる後にぞ、御前に参りたまへる。 やうやう人静まりて、女房ども、鼻うちかみつつ、所々に群れゐたり。月は隈なきに、雪の光 りあひたる庭のありさまも、昔のこと思ひやらるるに、いと堪へがたう 思さるれど、いとよう 思し静めて、 「いかやうに思し立たせたまひて、かうにはかには」 と聞こえたまふ。 「今はじめて、思ひたまふることにもあらぬを、ものさわがしきやうなりつれば、心乱れぬべ く」 など、例の、命婦して聞こえたまふ。 17 / 41
  • 18. 御簾のうちのけはひ、そこら集ひさぶらふ人の衣の音なひ、しめやかに振る舞ひなして、うち 身じろきつつ、悲しげさの慰めがたげに漏り聞こゆるけしき、ことわりに、いみじと聞きたまふ。 風、はげしう吹きふぶきて、御簾のうちの匂ひ、いともの深き黒方にしみて、名香の煙もほの かなり。大将の御匂ひさへ薫りあひ、めでたく、極楽思ひやらるる夜のさまなり。 春宮の御使も参れり。のたまひしさま、思ひ出できこえさせたまふにぞ、御心強さも堪へがた くて、御返りも聞こえさせやらせたまはねば、大将ぞ、言加はへ聞こえたまひける。 誰も誰も、ある限り心収まらぬほどなれば、思すことどもも、えうち出でたまはず。 「月のすむ雲居をかけて慕ふとも この世の闇になほや惑はむ と思ひ たまへらるるこそ、かひなく。思し立たせたまへる恨めしさは、限りなう」 とばかり聞こえたまひて、人々近うさぶらへば、さまざま乱るる心のうちをだに、え聞こえあ らはしたまはず、いぶせし。 「おほふかたの憂きにつけては厭へども いつかこの世を背き果つべき かつ、濁りつつ」 など、かたへは御使の心しらひなるべし。あはれのみ尽きせねば、胸苦しうてまかでたまひぬ。 殿にても、わが御方に一人うち臥したまひて、御目もあはず、世の中厭はしう思さるるにも、 春宮の御ことのみぞ心苦しき。 「母宮をだに朝廷がたざまにと、思しおきしを、世の憂さに堪へず、かくなりたまひにたれば、 もとの御位にてもえおはせじ。我さへ見たてまつり捨ててはなど、思し明かすこと限りなし。 「今は、かかるかたざまの御調度どもをこそは」と思せば、年の内にと、急がせたまふ。命婦 の君も御供になりにければ、それも心深うとぶらひたまふ。詳しう言ひ続けむに、ことことしき さまなれば、漏らしてけるなめり。さるは、かうやうの折こそ、をかしき歌など出で来るやうも あれ、さうざうしや。 参りたまふも、今はつつましさ薄らぎて、御みづから聞こえたまふ折もありけり。思ひしめて しことは、さらに御心に離れねど、まして、あるまじきことなりかし。 -------------------------------------------- 光る源氏の物語 2 年も変はりぬれば、内裏わたりはなやかに、内宴、踏歌など聞きたまふも、もののみあはれ にて、御行なひしめやかにしたまひつつ、後の世のことをのみ思すに、頼もしく、むつかしかり しこと、離れて思ほさる。常の御念誦堂をば、さるものにて、ことに建てられたる御堂の、西の 対の 南にあたりて、すこし離れたるに渡らせたまひて、とりわきたる御行なひせさせたまふ。 18 / 41
  • 19. 大将、参りたまへり。改まるしるしもなく、宮の内のどかに、人目まれにて、宮司どもの親し きばかり、うちうなだれて、見なしにやあらむ、屈しいたげに思へり。 白馬ばかりぞ、なほひき変へぬものにて、女房などの見ける。所狭う参り集ひたまひし 上達 部など、道を避きつつひき過ぎて、向かひの大殿に集ひたまふを、かかるべきことなれど、あは れに思さるるに、千人にも変へつべき御さまにて、深うたづね参りたまへるを見るに、あいなく 涙ぐまる。 客人も、いとものあはれなるけしきに、うち見まはしたまひて、とみに物ものたまはず。さま 変はれる御住まひに、御簾の端、御几帳も青鈍にて、隙々よりほの見えたる薄鈍、梔子の袖口な ど、なかなかなまめかしう、奥ゆかしう思ひやられたまふ。「解けわたる池の薄氷、岸の柳のけ しきばかりは、時を忘れぬ」など、さまざま眺められたまひて、「 むべも心ある」と、忍びや かにうち誦じたまへる、またなうなまめかし。 「ながめかる海人のすみかと見るからに まづしほたるる松が浦島」 と聞こえたまへば、奥深うもあらず、みな仏に譲りきこえたまへる御座所なれば、すこしけ近 き心地して、 「ありし世のなごりだになき浦島に 立ち寄る波のめづらしきかな」 とのたまふも、ほの聞こゆれば、忍ぶれど、涙ほろほろとこぼれたまひぬ。世を思ひ澄ました る尼君たちの見るらむも、はしたなければ、言少なにて出でたまひぬ。 「さも、たぐひなくねびまさりたまふかな」 「心もとなきところなく世に栄え、時にあひたまひし時は、さるひとつものにて、何につけて か世を思し 知らむと、推し量られたまひしを」 「今はいといたう思ししづめて、はかなきことにつけても、ものあはれなるけしけさへ添はせ たまへるは、あいなう心苦しうもあるかな」 など、老いしらへる人々、うち泣きつつ、めできこゆ。宮も思し出づること多かり。 司召のころ、この宮の人は、賜はるべき官も得ず、おほかたの道理にても、宮の御賜はりに ても、かならずあるべき加階などをだにせずなどして、嘆くたぐひいと多かり。かくても、いつ しかと御位を去り、御封などの停まるべきにもあらぬを、ことつけて変はること多かり。皆かね て思し捨ててし世なれど、宮人どもも、よりどころなげに悲しと思へるけしきどもにつけてぞ、 御心動く折々あれど、「わが身をなきになしても、春宮の御代をたひらかにおはしまさば」との み思しつつ、御行なひたゆみなくつとめさせたまふ。 人知れず危ふくゆゆしう思ひきこえさせたまふことしあれば、「我にその罪を軽めて、宥した まへ」と、仏を念じきこえたまふに、よろづを慰めたまふ。 大将も、しか見たてまつりたまひて、ことわりに思す。この殿の人どもも、また同じきさまに、 からきことのみあれば、世の中はしたなく思されて、籠もりおはす。 19 / 41
  • 20. 左の大臣も、公私ひき変へたる世のありさまに、もの憂く思して、致仕の表たてまつりたまふ を、帝は、故院のやむごとなく重き御後見と思して、長き世のかためと聞こえ置きたまひし御遺 言を思し召すに、捨てがたきものに思ひきこえたまへるに、かひなきことと、たびたび用ゐさせ たまはねど、せめて返さひ申したまひて、籠もりゐたまひぬ。 今は、いとど一族のみ、返す返す栄えたまふこと、限りなし。世の重しとものしたまへる大臣 の、かく世を逃がれたまへば、朝廷も心細う思され、世の人も、心ある限りは嘆きけり。 御子どもは、いづれともなく人がらめやすく世に用ゐられて、心地よげにものしたまひしを、 こよなう静まりて、三位中将なども、世を思ひ沈めるさま、こよなし。かの四の君をも、なほ、 かれがれにうち通ひつつ、めざましうもてなされたれば、心解けたる御婿のうちにも入れたまは ず。思ひ知れとにや、このたびの司召にも漏れぬれど、いとしも思ひ入れず。 大将殿、かう静かにておはするに、世ははかなきものと見えぬるを、ましてことわり、と思し なして、常に参り通ひたまひつつ、 学問をも遊びをももろともにしたまふ。 いにしへも、もの狂ほしきまで、挑みきこえたまひしを思し出でて、かたみに今もはかなきこ とにつけつつ、さすがに挑みたまへり。 春秋の御読経をばさるものにて、臨時にも、さまざま尊き事どもをせさせたまひなどして、ま た、いたづらに暇ありげなる博士ども召し集めて、文作り、韻塞ぎなどやうのすさびわざどもを もしなど、心をやりて、宮仕へをもをさをさしたまはず、御心にまかせてうち遊びておはするを、 世の中には、わづらはしきことどもやうやう言ひ出づる人々あるべし。 夏の雨、のどかに降りて、つれづれなるころ、中将、さるべき集どもあまた持たせて参りた まへり。殿にも、文殿開けさせたまひて、まだ開かぬ御厨子どもの、めづらしき古集のゆゑなか らぬ、すこし選り出でさせたまひて、その道の人々、わざとはあらねどあまた召したり。殿上人 も大学のも、いと多う集ひて、左右にこまどりに方分かせたまへり。賭物どもなど、いと二なく て、挑みあへり。 塞ぎもて行くままに、難き韻の文字どもいと多くて、おぼえある博士どもなどの惑ふところど ころを、時々うちのたまふさま、いとこよなき御才のほどなり。 「いかで、 かうしもたらひたまひけむ」 「なほさるべきにて、よろづのこと、人にすぐれたまへるなりけり」 と、めできこゆ。つひに、右負けにけり。 二日ばかりありて、中将負けわざしたまへり。ことことしうはあらで、なまめきたる桧破籠ど も、賭物などさまざまにて、今日も例の人々、多く召して、文など作らせたまふ。 階のもとの薔薇、けしきばかり咲きて、春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるに、 うちとけ遊びたまふ。 中将の御子の、今年初めて殿上する、八つ、九つばかりにて、声いと おもしろく、笙の笛吹 きなどするを、うつくしびもてあそびたまふ。四の君腹の二郎なりけり。世の人の思へる寄せ重 くて、おぼえことにかしづけり。心ばへもかどかどしう、容貌もをかしくて、御遊びのすこし乱 20 / 41
  • 21. れゆくほどに、「 高砂」を出だして謡ふ、いとうつくし。大将の君、御衣脱ぎてかづけたまふ。 例よりは、うち乱れたまへる御顔の匂ひ、似るものなく見ゆ。薄物の直衣、単衣を着たまへる に、透きたまへる肌つき、ましていみじう見ゆるを、年老いたる博士どもなど、遠く見たてまつ りて、涙落しつつゐたり。「逢はましものを、小百合ばの」と謡ふとぢめに、中将、御土器参り たまふ。 「それもがと今朝開らけたる初花に 劣らぬ君が匂ひをぞ見る」 ほほ笑みて、取りたまふ。 「時ならで今朝咲く花は夏の雨に しをれにけらし匂ふほどなく 衰へにたるものを」 と、うちさうどきて、らうがはしく聞こし召しなすを、咎め出でつつ、しひきこえたまふ。 多かめりし言どもも、かうやうなる折のまほ ならぬこと、数々に書きつくる、心地なきわざ とか、貫之が諌め、たふるる方にて、むつかしければ、とどめつ。皆、この御ことをほめたる筋 にのみ、大和のも唐のも作り 続けたり。わが御心地にも、いたう思しおごりて、 「 文王の子、武王の弟」 と、うち誦じたまへる御名のりさへぞ、げに、めでたき。「成王の何」とか、のたまはむとす らむ。そればかりや、また心もとなからむ。 兵部卿宮も常に渡りたまひつつ、御遊びなども、をかしうおはする宮なれば、今めかしき御あ はひどもなり。 ----------------------------------- 朧月夜の物語 村雨の紛れの密会露見 そのころ、尚侍の君まかでたまへり。瘧病に久しう悩みたまひて、まじなひなども心やすく せむとてなりけり。修法など始めて、おこたりたまひぬれば、誰も誰も、うれしう思すに、例の、 めづらしき隙なるをと、聞こえ交はしたまひて、わりなきさまにて、夜な夜な対面したまふ。 いと盛りに、にぎははしきけはひしたまへる人の、すこしうち悩みて、痩せ痩せになりたまへ るほど、いとをかしげなり。 后の宮も一所におはするころなれば、けはひいと恐ろしけれど、かかることしもまさる御癖な れば、いと忍びて、たびかさなりゆけば、けしき見る人々もあるべかめれど、わづらはしうて、 宮には、さなむと啓せず。 大臣、はた思ひかけたまはぬに、雨にはかにおどろおどろしう降りて、神いたう鳴りさわぐ暁 に、殿の君達、宮司など立ちさわぎて、こなたかなたの人目しげく、女房どもも怖ぢまどひて、 近う集ひ参るに、いとわりなく、出でたまはむ方なくて、明け果てぬ。 21 / 41
  • 22. 御帳のめぐりにも、人々しげく並みゐたれば、いと胸つぶらはしく思さる。心知りの人二人ば かり、心を惑はす。 神鳴り止み、雨すこしを止みぬるほどに、大臣渡りたまひて、まづ、宮の御方におはしけるを、 村雨のまぎれにてえ知りたまはぬに、軽らかにふとはひ入りたまひて、御簾引き上げたまふまま に、 「いかにぞ。いとうたてありつる夜のさまに、思ひやりきこえながら、参り来でなむ。中将、 宮の亮など、さぶらひつや」 など、のたまふけはひの、舌疾にあはつけきを、大将は、もののまぎれにも、左の大臣の御あ りさま、ふと思し比べられて、たとしへなうぞ、ほほ笑まれたまふ。げに、入りはててものたま へかしな。 尚侍の君、いとわびしう思されて、やをらゐざり出でたまふに、面のいたう赤みたるを、「な ほ悩ましう思さるるにや」と 見たまひて、 「など、御けしきの例ならぬ。もののけなどのむつかしきを、修法延べさすべかりけり」 とのとまふに、薄二藍なる帯の、御衣にまつはれて引き出でられたるを見つけたまひて、あや しと思すに、また、畳紙の手習ひなどしたる、御几帳のもとに落ちたり。「これはいかなる物ど もぞ」と、御心おどろかれて、 「かれは、誰れがぞ。けしき異なるもののさまかな。たまへ。それ取りて誰がぞと見はべらむ」 とのたまふにぞ、うち見返りて、我も見つけたまへる。紛らはすべきかたもなければ、いかが は応へきこえたまはむ。我にもあらでおはするを、「子ながらも恥づかしと思すらむかし」と、 さばかりの人は、思し憚るべきぞかし。されど、いと急に、のどめたるところおはせぬ大臣の、 思しもまはさずなりて、畳紙を取りたまふままに、几帳より見入れたまへるに、いといたうなよ びて、つつましからず添ひ臥したる男もあり。今ぞ、やをら顔ひき隠して、とかう紛らはす。あ さましう、めざましう心やましけれど、直面には、いかでか現はしたまはむ。目もくるる心地す れば、この畳紙を取りて、寝殿に渡りたまひぬ。 尚侍の君は、我かの心地して、 死ぬべく思さる。大将殿も、「いとほしう、つひに用なき振 る舞ひのつもりて、人のもどきを負はむとすること」と思せど、女君の心苦しき御けしきを、と かく慰めきこえたまふ。 大臣は、思ひのままに、籠めたるところおはせぬ本性に、いとど老いの御ひがみさへ添ひた まふに、これは何ごとにかはとどこほりたまはむ。ゆくゆくと、宮にも愁へきこえたまふ。 「かうかうのことなむはべる。この畳紙は、右大将の御手なり。昔も、心宥されでありそめに けることなれど、人柄によろづの罪を宥して、さても見むと、言ひはべりし折は、心もとどめず、 めざましげにもてなされにしかば、やすからず思ひたまへしかど、さるべきにこそはとて、世に 穢れたりとも、思し捨つまじきを頼みにて、かく本意のごとくたてまつりながら、なほ、その憚 りありて、うけばりたる女御なども言はせ たまはぬをだに、飽かず口惜しう思ひたまふるに、 また、かかることさへはべりければ、さらにいと心憂くなむ思ひなりはべりぬる。男の例とはい 22 / 41
  • 23. ひながら、大将もいとけしからぬ御心なりけり。斎院をもなほ聞こえ犯しつつ、忍びに御文通は しなどして、けしきあることなど、人の語りはべりしをも、世のためのみにもあらず、我がため もよかるまじきことなれば、よもさる思ひやりなきわざ、し出でられじとなむ、時の有職と天の 下をなびかしたまへるさま、ことなめれば、大将の御心を、疑ひはべらざりつる」 などのたまふに、宮は、いとどしき御心なれば、いとものしき御けしきにて、 「帝と聞こゆれど、昔より皆人思ひ落としきこえて、致仕の大臣も、またなくかしづく一つ女 を、兄の坊にておはするにはたてまつらで、弟の源氏にて、いときなきが元服の副臥にとり分き、 また、この君をも宮仕へにと心ざしてはべりしに、をこがましかりしありさまなりしを、誰も誰 もあやしとやは思したりし。皆、かの御方にこそ御心寄せはべるめりしを、その本意違ふさまに てこそは、かくてもさぶらひたまふめれど、いとほしさに、いかでさる方にても、人に劣らぬさ まにもてなしきこえむ、さばかりねたげなりし人の見るところもあり、などこそは思ひはべれど、 忍びて我が心の入る方に、なびきたまふにこそははべらめ。斎院の御ことは、ましてさもあらむ。 何ごとにつけても、朝廷の御方にうしろやすからず見ゆるは、春宮の御世、心寄せ殊なる人なれ ば、ことわりになむあめる」 と、すくすくしうのたまひ続くるに、さすがにいとほしう、「など、聞こえつることぞ」と、 思さるれば、 「さはれ、しばし、このこと漏らしはべらじ。内裏にも奏せさせたまふな。かくのごと、罪は べりとも、思し捨つまじきを頼みにて、あまえてはべるなるべし。うちうちに制しのたまはむに、 聞きはべらずは、その罪に、ただみづから当たりはべらむ」 など、聞こえ直したまへど、ことに御けしきも直らず。 「かく、一所におはして隙もなきに、つつむところなく、さて入りものせらるらむは、ことさ らに軽め弄ぜらるるにこそは」と思しなすに、いとどいみじうめざましく、「このついでに、さ るべきことども構へ出でむに、よきたよりなり」と、思しめぐらすべし。 --------------------------------------------- 中文译文: 贤木 光源氏 23 岁秋 9 月至 25 岁夏 近卫大将时代的故事 六条御所的故事 离别之秋与伊势下向的故事 23 / 41
  • 24. 光源氏的故事 父桐壶帝驾崩 藤壶的故事 光源氏的故事 1 藤壶的故事 主持法华八讲与出家 光源氏的故事 2 胧月夜的故事 村雨绵绵时分密会见 六条御所的故事 离别之秋与伊势下向的故事 六条妃子近出动中郁闷不乐,因女儿斋宫赴伊势之日日渐迫近。加之自源氏夫人葵姬病故后,众皆 谣传她将成为源氏续弦,自己及宫邸内人等亦为此高兴了一阵。孰料源氏大将竟连门也不上,继而 疏远她了。一时六条妃子不胜失望,心想:“许是为了那生魂事件,他尚在厌恶我吧户左思右想之 后,便决定将万缕情丝一刀斩断,准备一心陪女儿下伊势修行。此后,六条妃子便以女儿年幼无知 不便独行为由,拒绝来访客人,决心避开这令人伤心的京华重地。源氏大将闻知,心念妃子将离京 远去,甚为惋惜。但仅写了几封缠绵徘侧的情书,派人送去,以表达自己相思之意。六条妃子也知 此间一去,今后恐难再见。她想:别人既已嫌恶于我,倘再与之纠缠不休,不仅两方痛苦,而且也 遭人鄙薄。因此她与公子绝决的心情更是坚定了。 离京之后,六条妃子不时也秘密回至京华私哪小住。但大多行迹隐蔽,只是源氏大将不得而知 罢了。况且野宫乃斋戒之地,他不便随意前去访问。虽近在眼前,然而不敢贸然造次。整日只是忧 心忡忡,磋跄度日。正值此时,桐壶院病了。虽非重疾,却时时发作,苦不堪言。源氏也为此操心 不已,然而更使他揪心的仍是六条妃子:她恨我薄情寡义,实属无奈。然终究对她不住。况且外人 闻知,亦会骂我,岂能如此无情不义?于是下定决心,定要前往野宫访晤致歉。 24 / 41
  • 25. 斋宫赴伊势的日子,定于九月初七。行期在即,六条妃子甚是忙乱。源氏大将屡番去信:“但 望能小叙片刻。”六条妃子犹豫不决,继而又想:“我过分隐匿,也沉闷得很,不如与他隔帘一见 吧。”便悄悄等候他来。 源氏大将到得野宫,只见景致异常萧索。秋花皆已枯萎,蔓草中凄清的虫鸣与远处松涛,合成 一曲不可言状的音调。不时飘来的隐约乐音,更觉清艳动人。随身侍从及十几位亲近前驱,服饰均 很简单,并不招摇。大将亦作微服打扮,然极讲究,容姿焕发。随大将同行者,皆为风流人物,如 今都觉得这身打扮甚是适合时俗,心中感慨。源氏大将自己也想:“往昔竟未前来饱览一番。”遂 感辜负良辰美景,有些后悔。 野宫外围着一道柴篱,里面各处建有许多板屋,都很简陋。惟有门前那用原木造的牌坊,形式 颇为庄严宏大,令人肃然起敬。那些神官三五成群聚集一处,窃窃私语,不时传来一阵咳嗽声。这 光景与外间截然不同。神厨里火光幽微昏暗,隐隐约约,更觉万物凄清惨淡。源氏大将料想世间那 些万般柔肠之人,闲居此等荒凉孤寂之地,也真是悲苦凄凉,不由得同情之心更甚。 源氏大将隐匿于毛内北厢房,见此处往来人少,便邀六条妃子来此晤谈。乐音骤停,室内一阵 响动之后,便有几个传女出来迎接,惟不见有六条妃子。源氏大将一时不快,便恳请道:“此次微 服来访,实乃不得已而为之,万望妃子体谅下怀,勿拒我于门外。”能求见妃子一面,亲面互诉衷 肠,我便称心了。 说罢, ” 略显凄楚之色。侍女们碍于往日情份,恐有失公子体面,便劝请妃子道: “如此待人,倘叫外人看见,定有些不是!教他站于室外,实在有些狼狈,恐对他不住吧!”六条 妃子一时没了主意:“啊呀,教我如何是好?此间人目众多,倘让女儿斋宫知道,岂不怨我行为轻 率?如今再与他会面,万万使不得吧?”实在做不了决定。想断然拒绝,又没有这般勇气,左思右 想,还是决定见面为好。于是膝行而出,行至外间,步态甚为优美。 源氏大将道:“此乃神宫圣地,只于廊下一叙,想必无妨吧?”使跨廓而坐了。适时月光清幽, 更显源氏大将丰采非凡。想到与她久不相见,定要将几月来胸中郁积悉数表达,但又觉无从说起。 便随手将析得的一枝杨桐塞入帘内,说道:“我心如这杨桐,常青不变。今番不顾禁地,冲撞神垣, 只为见你一面,略诉衷肠,不想却遭如此冷遇…”话未完,只听里面六条妃子吟道: “此地不长无情杉,摘来香木也徒然。”源氏大将答道: “闻得此中聚神女,故持香叶访仙居。” 此时,氛围沉寂严肃,未敢稍有逾越。源氏大将终觉隔帘太不自然,便将上身深入帘内,倚于 横木上。忆起从前,六条妃子与己相见.如鱼游水般容易。那时,六条妃子一心眷恋他,自己却总 觉她不甚可爱,定有什么接疵,所以只是逢场作戏,应酬而已。加之后来发生了生魂祟人之事,更 25 / 41
  • 26. 使源氏感到厌烦,终致这般疏远。但今日久别重逢,回想往日之情,便觉心绪缭乱,悔恨不已。源 氏大将前思后想,遂觉命运待他实在刻薄,不禁悲从中来,潸然下泪。六条妃子本不欲泄露真情, 竭力隐忍。但一见如此情景,便也勾起往日情思,竟不觉陪他掉下泪来。源氏大将见此情状,更为 伤心,便恳求她不必赴伊势。月亮渐渐西沉,天空一片惨淡,源氏大将仰头遗视,只觉苍天悠悠恨 事无限。那句句温情之言听来令人回肠荡气,六条妃子年来心中积怨已逐渐冰消瓦解。本已斩断的 情丝,殊料今日又相连接,她不免更觉烦恼无限。 庭中景致原本清艳典雅,平日间资公子弟相邀来此观景,留连其间。而如今平添两个痴迷恋人, 间有娓娓情话,更是妙不可言。渐次明亮的天色,也似特意前来为此增光添彩。源氏大将不觉意气 风发,高声吟道: “朝别自古催人泪,此时秋尽更添愁。”他紧握六条妃子双手,恋恋不忍离去,那模样甚是多 情呢!此时凉风骤起,秋虫鼓噪而鸣,幽绝哀怨,似乎代为惜别。此情此景,即便无忧之人,听得 此等悲声也是肝肠寸断,更何况即将惜别的情人呢,岂有心情从容吟赋?六条妃子只是勉强答道: “秋别也是无限愁,虫声不绝离愁浓。” 源氏大将追忆往昔,后悔之事甚多,但现已无可奈何。天亮时,源氏担心被众人瞧见,便匆匆 告辞而去。剩下六条妃子孤独一人,怅然若失,茫然仰视惨淡的天空。而众侍女皆痴迷地想着于月 光映照下源氏那丰俏的姿容,闻着犹未消散的衣香,不觉心驰神往,竟忘记了野宫的神圣。大家赞 不绝口:“如此俊秀之人,即使是忍受烈焚煎熬之苦,亦难离别啊!”说罢,竟无端为二人伤心落 泪。 次日,源氏大将致信慰问六条妃子,比平常更为诚恳周到。六条妃子看了久久京绕于胸,难以 忘怀。无奈事已至此,后海已晚了。而源氏这人,于情爱之事,虽即泛泛之交,亦能博得别人欢心, 使之生死而肉骨,更何况自与六条妃子结交,情爱炽热,非同一般。故今当洒泪惜别,不觉悲苦交 加,怅们之极,然又有何办法呢? 作别前,六条妃子离途中,一切用度及随从诸人赏赐等,源氏大将早已置备周全,珍奇丰盛不 在话下。但六条妃子毫无所动,她认定,既已留恶名于世,不若早些离开为好。启程之日渐近,惟 有朝夕愁叹。 年幼无知的斋宫,惟怨行期不定,如今定了行期,自是高兴异常。然而古无前例,没有娘亲伴 赴女儿赴神宫修行之事。故朝野上下,对六条妃子陪赴帝宫此举一时哗然。有人讽评,亦有人同情。 倘为庶人,于此等事自无人问津,倒还自在;而今身为贵人,一言一行,尽皆惹人注目,多生烦忧, 自不待言。 26 / 41
  • 27. 拔樱仪式九月十六日于桂川举行。仪式较往常隆重:随行使者,及参加仪式众公卿,皆为显贵 且圣眷深重的朝中重臣。离野宫出发前,源氏大将照例送来借别之信。并另附一信,开头写道:“献 予斋宫。亵渎神明,进言惶恐。”此信挂于白布之上,白布系于杨桐枝上。下面写着:“自古即有: ‘奔驰天庭之雷神,亦不拆散有情人。’同样: 护国天神若释情,应解情侣难别离。总觉此别难堪之极。”当时虽行色匆匆,忙乱不堪,但六 条妃子觉得此信不可不回。斋宫叫侍女长代为答诗: “若教天神断此事,应先质问薄情人。” 诸事受当,六条妃子便要带斋宫进宫辞行。源氏大将亦想进宫去看望二人。但念及自己与她已 清断义绝,再去见面送别,恐怕使人尴尬,便打消了此念头,只是茫茫然沉思冥想。看罢斋宫所附 答诗,似大人口吻,不禁微笑。想道: “她年方十四,于此等年龄,定落得很标致,且一定风流吧。” 不免动了心思。源氏此痛性,实在令人难以理喻,愈是不可求之事愈想得到。斋宫年幼之时,源氏 本可以随时见到,然而直到今天亦未曾见过,不知她长得怎样。他想: “说不定将来有机会相见吧!” 斋宫与六条妃子入宫这天,引来众多人夹道观瞻。且二人本仪容绝世,色艺双绝,更惹得众人 围观。两人于申时才入得官中。六条妃子乘于轿中,一路回想已故父大臣,当年悉心教养,仅指望 她入宫,日后能身居皇后高位。但后来屡遭不幸,事与愿违。今日再度入宫,不禁感慨万分。想当 年十六岁入宫,册封为已故是太子之妃,二十岁与皇太子死别,离宫十年,已人老珠黄。如今重见 九重宫闭,往事历历于心,感慨不已。便赋诗道: “未及忆起当年事,悲哀已自上心头。” 斋宫大生丽质,妩媚袅娜。于盛妆点缀映衬下,更显娇怜可爱,楚楚动人。孰知她仅年方十四 呢?朱雀帝见之,不觉怦然心动,临别加林时,惟觉怅然怜惜,木禁掉下泪来。斋宫退出时,八省 院前有众多车子等候于此,皆为侍女所乘,甚显华丽。殿上与侍女相好之人,正匆匆惜别。夜幕下 垂时,车列从它中出发,前往伊势。由二条大街转入洞院路时,正好从二条院门前经过。源氏大将 正愁闷无绪,便写了封信,附于一枝杨桐上,送给六条妃子。信中诗道: “今朝翩然离我去,泪珠犹如铃鹿波。” 其时天已近黑,加之路途忙乱劳顿,六条妃子当日未复信。次日车行逢报关口后,六条妃子才 回信作答: 27 / 41
  • 28. “铃鹿泪波碎无语,谁怜伊势寂寞人?”此信寥寥数字,字迹却优美端庄。源氏大将看后,甚 觉悲哀,想道:“若能稍加些哀愁之意便好了。”此时朝雾弥漫笼罩,晨景美妙动人。对此美景, 凝望雾天,源氏大将独自吟道: “欲望佳人归去处,逢板已被秋雾迷!”吟罢,便闭门独坐,连西殿也不去了。只觉悲哀:“六 条妃子此去旅途漫漫,前方路遥,不知定是何等伤心落魄啊!” ------------------------------ 光源氏的故事 父桐壶帝驾崩 十月,桐壶帝病情沉重,朝廷上下首忧心牵挂。朱雀帝亦是茶饭不思,不时前去探问。桐壶帝 御体虽更显衰微,但仍屡屡叮嘱他定要好好照顾皇太子。同时提及源氏大将,说道:“我死之后, 事无巨细,定与其商议,与我在世时一般。此子年纪虽轻,但老成持重,能胜任政治之事。视其相 貌,确为治国安邦之才。故此,我为避众亲王嫌忌,本册封为亲王,而将其降为臣下,视其为朝廷 后援人。你要明白我一片苦心啊!” 听罢父皇遗言,朱雀帝不胜悲痛,声言决不违背父皇嘱托。桐壶院见朱雀帝仪态大方,威严清 爽,心里稍感宽慰。朱雀帝想到君臣有别,不得不洒泪离去,匆匆赶回宫中。皇太子年纪虽小,却 很有成人模样,容姿亦甚优美。本想随同前来,但恐人多嘈杂,惊扰御体,故改日再去。铜壶帝见 太子出落得如此秀美,不禁龙心大悦,对他亲切有加。而太子许久不见皇上,常怀念于心。今日得 见,满面乖觉可爱,仰望桐壶帝慈颜。闲谈甚久,嘱咐了太子许多事情,深恐其年幼无知,关心厚 爱之情溢于言表。桐壶帝曾数次托付源氏大将,要他勤理朝政,并善待太子。夜深之时,太子方才 告辞出它。临别时,殿上随从人等成来相送。上是本欲留他在身边,但时间已晚,只得让他回去, 心中不胜惆怅。 弘徽殿太后亦欲前来探视,只因藤壶皇后常传在侧,而心有嫌忌,一时踌躇未定。恰逢此时, 桐壶院驾崩。噩耗传出,朝野震惊。请王侯公卿暗自思忖:“桐壶院虽说已让位退居,实际上仍然 摄政。今一旦驾崩,朱雀帝年事尚幼,其外祖父右大臣性情急躁,刚愎自用。今后任其所为,形势 将不堪设想。”因此众人心中更为忐忑不安,不知所措。藤壶皇后及源氏大将,更是悲拗欲绝,几 乎不省人事。到七七四十九日佛事供养之时,源氏大将身着葛布丧服,形容惟淬,态度虔诚郑重, 甚于诸皇子。众人无不赞其忠义。源氏大将去岁悼亡,今道丧父,连遇不幸,顿感人世可厌,命运 不公,颇想乘此机会,抛舍红尘,遁入空门。然而父皇临终有瞩,可虑之事尚多,安能撒手不管呢? 众妃嫔四十九日内均于桐壶院举哀,之后各自散归。十二月二十是断七日。其时岁暮天寒,愁 云惨淡,藤壶皇后心绪悲愁烦乱,思虑颇多。她熟知弘徽殿太后性行,桐壶帝在时尚且任情弄权, 28 / 41
  • 29. 如今她更为随意肆虐,恐怕痛苦之人就更多了。这倒还其次,如今相恋之人桐壶帝已舍她而去,往 日众亲近侍从人等,皆要离散。想到今后的孤寂清苦,不觉泪流涟涟。 想到这些,藤壶皇后决定迁居三条私评,其兄兵部卿亲王前来迎接。此时正值寒风凛冽,大雪 纷飞,人迹罕至,景象衰败异常。源氏大将上门造访,谈起桐壶院在世时情状。兵部卿亲王望见庭 里雪中凋零的五叶松,便吟道: “陕蒙嘉荫松已搞,枝头叶散光华终。”此诗即景抒情,催人哀思,虽并无特别之处,然而源 氏大将不禁泪满盈眶。见地面全部封冻,随即吟道: “池面冰封如平镜,慈容难见吾心悲。”此诗略显稚气。藤壶皇后遗侍女王命妇赋道: “岁末天冻岩井封,斯人面影不再浪。”其它许多应景诗篇,不再—一赘述。藤壶皇后迁居三 条,仪式与往常无异。可总觉平淡凄凉,恐为睹物思人,心绪不佳所致。虽已回至故居,然颇觉陌 生,无异于他乡泊居,只管沉浸于往日回忆里。 年光如流,又值新年。谅阁之时,世间免去了往夕欢庆之举,悄悄度过了新年。源氏公子近来 沉迷于旧事,早有些厌恶尘世,故一直闲闭家中。往年此时任免地方官时,早已宾客盈门。桐壶院 在位退位时皆是如此,而今年门庭冷落。值夜守更之人,已无踪影,惟有几个老仆无聊闲坐。源氏 大将看到如此光景,只道今后气数已尽,心中不胜凄凉。 且说俄月夜本为弘徽殿太后六妹,又名林荷姬,已入选朱雀帝后宫,二月里又升任尚待。原尚 待遭桐壶院丧后,为追慕!日清,出家做了尼姑,此位便由林简姬代替。柿荷姬姿容秀美,艳若桃 李,身材玲呢苗条。且很会卖弄风情,讨人欢心,故尤受朱雀帝宠爱。弘徽殿太后常居私邪,入宫 后往人梅壶院,便将旧居弘徽殿让与尚待。林简姬旧居为登花殿,那里偏僻简陋。如今迁至富丽华 贵的弘徽殿,顿觉气象非凡很多。但见侍女如云,锦绣无比。从此,生活豪华富丽起来。然而她始 终不能忘记,当年与源氏公子于源俄月色之下的缠绵,不时心中暗自悲叹,私下照旧与源氏通信交 往。源氏也有顾虑:“倘走漏消息,为右大臣得知,不知如何是好?”然于他愈是难得愈是渴慕。 柿简姬入主禁宫后,对其恋慕越发强烈。然弘徽殿太后生性刚愎,。心胸狭隘。铜壶院在世之时, 尚有所顾忌.隐忍不发。而今时事易变,她要对多年来心中所积仇恨设法报复。近来源氏屡遭失意, 便也知道是太后从中作梗。可源氏不善世故人情,只得任其而为了。 近来左大臣亦是意气消沉,难得入宫一回。朱雀帝作太子时,曾欲娶葵姬,左大臣拒绝了他, 而将葵姬嫁与了源氏。弘徽殿太后至今耿耿于怀,怀恨于心。加之他与右大臣一向不睦,桐壶院在 位时,他一揽朝纲,独善其事。如今失势,右大臣成了皇上的外祖父,例占尽优越。左大臣一瓶不 振,心灰意冷自在情理之中。 29 / 41
  • 30. 倒是源氏大将仍念旧谊,常前往左家宅邪问候。对旧时众侍女,仍细致体贴;对小公子夕雾, 自是关怀备至。左大臣见其如此善良淳厚,不忘旧情,招呼应酬亦殷切诚挚,与往常无异。 当年源氏自得桐壶院庞爱,故有恃无恐。而今沧桑逝变,行为已有所收敛。不敢再如以前那般 放肆,与以往厮混的女子渐渐断绝了往来。偷香传玉等轻薄行径亦为少了,变得沉默稳重,彬彬有 礼。众人皆称道西殿那少夫人好有福气。紫姬的乳母少纳言看到这模样,暗自思忖:此乃已故师姑 老太太勤修佛法的善报吧!紫姬的父亲兵部卿亲王,现亦能与女儿自由通信来往,兵部卿亲王正妻 所生的几个女儿,虽甚珍爱,然于诸方面并不如意。故众人妒羡紫姬,这反惹得亲王正夫人不快。 却说贺茂斋院因父新丧,不得不回宫守孝。斋院之职暂由模姬代任。而从来贺茂斋院按旧例必 由公主担当,似模姬这样的亲王公主当斋院,鲜有所闻,只是迫于此次无适当人选可派。源氏爱慕 模姬,虽然多年失望,但不能相忘。现在闻知她当了斋院,深觉从此更难见面,不免惋惜不已。然 而源氏毕竟本性难改,虽然一时收敛,却不能持久。因此,仍托模姬的侍女代为传言,绵绵情话从 此不绝。而对于今日失势,却毫不在意,只管一心寻觅偷欢,以消解愁闷。 上皇去后,朱雀帝谨守遗言,多方庇护源氏。然而他年纪尚轻,性情柔顺,缺少刚强独断之气, 万事皆由母后与外祖父右大臣作主。因此源氏处身行事,每多失意。但那位尚侍俄月夜偷偷恋慕源 氏,两人相晤虽非容易,但也不时暗中幽会。一次,五坛例行法会。朱雀帝洁身斋戒时,二人在侍 女中纳言巧妙安排下,将源氏带到一靠近廓下的房里,重温当年鱼水之欢。虽人多耳杂,提心吊胆, 但见俄月夜正值青春年华,轻狂中自有温柔优雅、天真灿烂的乐趣。源氏欣喜不已。 无奈良宵苦短。天近黎明时,闻值夜近卫武官在近旁高声喝道:“奉旨巡夜!”源氏大将想: “说不定另有一近卫武官,亦躲于此处幽会,而遭同辈护恨,告知了这值夜武官,教他来恐吓吧。” 随即想到自身亦为近卫大将,不觉好笑。值夜武官走来走去巡视,一会后,又高声报道:“寅时一 刻!”而俄月夜听此一报,随即吟道: “夜尽先听报晓声,疑是情绝悲泪起。”一副恋恋难舍的模样,令人怜爱不已。源氏答诗: “夜色虽尽情未尽,空自愁叹度今生!”当下心情不安,便匆忙溜出了房间。 此时夜色残存,天光未明,月影清幽迷蒙,夜雾渐渐升起,远山近水笼罩其间,更觉孤寂清凉。 源氏大将身着便服,畏缩着匆匆前行。可巧承香殿女御之兄头中将正从藤壶院出来,隐约见是源氏 大将,心中纳闷,便急忙藏匿于暗处,欲瞧个仔细。见其行色举止匆匆,知他定是幽会回返,不免 冷笑不已。真是心惊偏遇鬼敲门,看来源氏公子又会出名了! 30 / 41
  • 31. 这尚待如此容易接近,源氏反而怀念起与之相反的藤壶皇后来。此人刚直守贞,常拒人于外, 倒令人敬畏。但自己终觉得此人冷酷之至,实在可恼。 ----------------------------------------- 藤壶的故事 朱雀帝继位之后,藤壶皇后渐觉进宫乏味,且无面子,便不常去了。然而心中又常常挂念皇太 子。他年幼无知,万事全靠源氏着顾。可源氏那种不良居心尚未消除,不时使她难堪心痛。她想: “所幸桐壶院直至驾崩都不知我二人曾关系暧昧。如今想来,还觉羞恨惶恐。一旦泄露出去,对皇 儿前途一定不利啊!”她越想越怕,只得潜心修佛,妄图仰仗佛力保佑此事机密,割断情丝。孰知 一天,源氏大将居然暗地混进藤壶皇后的内室里。 源氏大将小心翼翼,外人断未察觉。藤壶皇后在房中看见他,还以为是做梦呢。源氏站在屏外, 又重施手段,花言巧语、山盟海誓说得甚多。然而皇后心如磐石,不为所动。但心中哀痛不已,党 致晕去。侍女王命好与异君等人甚为惊慌,忙来扶持。如此一来,源氏懊恼万分。一时脑中恍格, 呆若木鸡,直到天明,他仍不想回去。众侍女闻知皇后患病,纷纷前来探望。源氏一时吓得失去知 觉,被王命妇一把推进壁橱暂且躲避。 藤壶皇后深受刺激,气火上浮,头脑充血,愈发痛苦了。其兄兵部卿亲王及官中大夫等前来探 询,吩咐召请僧众举行法事,一时纷忙不堪。源氏大将躲在壁橱里静听外间情状,苦不堪言。日幕 时分,藤壶皇后渐渐苏醒过来,尚不知源氏大将躲在壁橱内。侍女们怕她懊恼,也未将此事告知于 她。觉得身体稍好些,她便膝行至日间的御座上休息。兵部卿亲王等见她已康复,便各自归去。平 日皇后近身侍女不多,别的待女也都退避了,室中人很少。于是王命妇便与共君悄悄地商量,怎样 打发公子出去:“若留他在此,今夜再惹娘娘生气,可不得了!” 源氏躲在壁橱内,见那扇门关实,尚留一丝细缝。便将门推开,悄悄钻了出来,沿着屏风背后, 行至藤壶皇后居室。他久已不曾见得皇后姿容,如今窥见,悲喜交加,竟流下泪来。皇后侧身而坐, 脸向着外面娇弱无力地说道:“我心中难受得很,怕要过离人世了!”侍女送上精美水果,她却看 也不看,只叹尘世艰辛飘零。渐入沉思,倒显得更加可爱。源氏大将想:“她那飘逸光亮的长发, 秀美艳丽,被散下来,竟与西殿那人相同呢!多年来自从与那人相恋,对她印象倒淡薄了。如今再 一见到,二人果然削之极。”他以为紫姬稍可安慰他对藤壶的思恋。心想两人气度与神情相似。但 或心情所遣吧,倒觉得先前这思恋之人,更富娇艳之相。一想到此,不能抑制,悄悄钻进帐中,拉 住了藤壶里后衣据。 藤壶皇后突闻得源氏身上那特有香气,吃了一惊,身子顿时俯卧于床。源氏大将只恨她不肯转 31 / 41