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Editor's Notes
- メディアで効用が紹介された食材が一日で完売したり、からだにいいといわれるヨーグルトの製法が口コミで広がったりと、日本人は「食」によって健康になろうとする意識が強い民族だが、そんな日本人のあいだで今「粗食」ブームが起きているが、その理論を誤解したり極端に実践することで健康を害している人も多い。また、肉は「脂っこい」と高齢者に敬遠されがちだが、実際に長寿な人の多くは、魚や野菜と同様、肉もよく食べている(例えば沖縄の人)。本日は「粗食」に対する間違った認識を正し、肉や乳製品も取り入れた本当にバランスのよい食生活について解説する。本当の健康の話。
- 「マクロビオティック」 (= フランス語。英語では「マクロバイオティックス」) すべての健康な肉体と精神、病気は食べ物と環境からくるものであり、現代人の多くが病んでいるのは、食の過ちによるという考え方です。
- 長寿県の「沖縄」では、豚肉は欠かせない食材で、長寿の秘密とされています。
- 本来の粗食という意味が見失われ、「粗食さえしていれば痩せられる」という考え方から、「粗食食品」と呼ばれるものを過食している例がたくさん見受けられ るようになりました。
- もともと欧米でも伝統的な食事は植物性食品が主体で、今日のように肉を多く食べるようになったのは、19世紀の後半と言われています。また寒さの厳しい気候風土のドイツなどの北欧では、野菜や穀物に恵まれず、草を牛に食べさせて、その肉や乳から栄養をとっていました。しかし彼らは、肉だけでなく、内臓、血までソーセージに加工するなど工夫して、あますことなく食べつくします。だからこそ、ビタミンやミネラルなど栄養をかたよることなく摂取できたのです。そして彼らは、何百年という時間をかけて肉を中心とした食生活に体がなじんでいます。 しかし日本人のように肉食の歴史が浅い人種が、しかもロースやヒレなど、片寄った部位だけを食べると脂肪過多になってコレステロールがたまったり、アレルギーをおこすのだと言われています 牛、豚、鶏ともに内蔵ではもっとも栄養価が高いのです。 高タンパク、低脂肪、カロリーも低く、鉄分などのミネラルや肉には珍しいビタミン C も含んでいます。その上、妊婦には必要不可欠な栄養素、 葉酸(青汁などによく含まれています)などもたっぷり 好きな素麺そうめんばかり食べていた小学 5 年生で超肥満児の例が印象に残っています。 彼はひどい栄養失調の状態で脚気や貧血があって、授業中も居眠りばかりでした。 これらの子どもたちが私の栄養指導を受けにきた結果、食生活の改善だけで肥満が改善していきました。医学的な治療を施したわけでもないのに、野菜も肉も魚 も取り入れた食事を始めると、体重が減っていったばかりでなく、学校へ通うことができるようになり、授業中も居眠りをしなくなりました。 豆腐やゴマなど、「粗食派」が推奨する食品を食べすぎるあまり、肥満に結びつくという例が目立っています。「粗食」は確かに現代の我 々の食生活に反省をうながすものですが、「粗食さえ実行すれば」という絶対視が新たな食の歪みをもたらしている。 人間は植物のように自分で光合成をして栄養を作り出すことはできないのですから、食べ物からエネルギーをもらわなければ生きていけません。
- 第二次世界大戦前と今との環境に違い 日本人は古くから「身土不二」とか「一物全体」といった食物観を備えていた。身土不二という考え方は「人間は身体(身)と環境(土)は密接に関係し合っている(不二)」ことをいう。 す なわち、「その土地に育ったそのときどきの滋養に満ちたもの(旬)を食べよう」という意味になる。東洋医学にも、これに近い食養生の考え方があり、食材に は身体を冷やす力「陰のもの」と、温める力「陽のもの」があり、旬の食材を食べることにより、夏は身体を内側から冷やし、冬には温め、環境の変化から身体 を守ってきた。 たとえば冬場が旬であるホウレンソウは夏場のものになると鉄分は 4 分の 1 に、ビタミン C は半減してしまう。 人類の長い歴史の中で、 99% は飢えの歴史でもあった。それゆえ、我々の身体は栄養の不足には強くできており、とりわけ日本人は、身体の中にとにかく栄養 を溜め込もうとする「節約遺伝子」という仕組みを持っていて、過剰摂取が続くとたちまち糖尿病などの健康破綻がもたらされやすいといわれる。 そのような食糧も自給率が 40% を切り、先進国の中では珍しいほど、食料を輸入に頼らなければならなくなっている。伝統的な食材が見失われるとともに、発がん性の疑いのある防腐剤、防カビ剤、ポストハーベスト、放射線などを浴びた農産物が氾濫していることも心配だ。 これまで日本人はたびたび、「これさえ食べれば健康になる」「これさえ飲めば痩せられる」といった食べ物情報に踊らされきた。これに対して、現在提唱され ている「粗食の見直し」は、従来の健康食ブームのように何か特別のものを無理して食べようということではない。それは飢えと隣り合わせの時代の中で生み出 された身土不二や一物全体という、かつてあたり前だった食べ方の知恵を思い出そうということなのではないだろうか。逆にいえば、私たちの飽食の中の食生活 はこれまで、きわめて自然に反し、歪んだものになっていたことへの反省だろう。 、「『食』という字は『人』を『良くする』と書く」という話です。食べ物はどれもヘルシーなもので あり、それをどう組み合わせて食べるのかが問題なのに、その食べ物で身体を壊していたりしたらこれほどナンセンスなことはありません。 ところが、近年「 ×× さえ食べれば健康になれる」とか「ダイエットできる」という栄養情報がマスコミによって流されてしまっているのです。 それなのに、現代の日本人は食べ物というものをコマーシャル化、ファッション化してしまっています。少し食べ物に対して傲慢になっているのではないでしょうか。 もっと謙虚な気持ちにかえって、「必要なだけのエネルギーを感謝していただく」という意味での「粗食」こそ、実は今の日本人がいちばん大切にしなければならないこ とのはずです。 そのことがひいては環境問題、食糧問題のうえでも良い方向に結びつく考え方だと思います。ですから、私は本来の意味での素食を決して否定しているわけではありません。