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クルディスタン⾒聞記 並⽊宜史
はじめに本稿は、イラクのクルディスタン地域に、2017年3/1から3/21の約三週間滞在した記録の
⼀部である。そこは、少数⺠族クルド⼈が、イラク国家の枠内にあって半独⽴の「地域政
府」を組織し、軍隊をもち⾃衛しながら⾃治を⾏う地域である。何故、クルディスタンか
と⾔えば、それは約⼆年前に遡る。2015年1⽉にシリアのクルド⼈が、トルコ国境沿い
の町コバニでダーイシュ(アラビア語圏でのイスラム国の略称 )の包囲を耐え抜いて勝利し1
たというニュースを聞いたのがきっかけだった。⼥性を多数含む戦闘員が、スターリング
ラードのロシア兵の如く、家から家を駆け回って優勢なテロリストを翻弄し勝利したこと
に、滔々凶悪なテロ組織打倒の希望の星が現れたと世界が沸いた。それ以来、クルド問題
に興味を持ち現地のニュースを⾒るようになった。同じ年のTOSMOS駒場祭イベントに
クルド⼈を招いて以来、在⽇クルド⼈の活動に携わってきた。また、本邦初のクルド語教
室が開かれるに当たり、その⼀期⽣として数ヶ⽉クルド語を学習していた。ひと⽬クル
ディスタンを、⾃分の⽬でみたいとずっと思っていた。トルコの北クルディスタンは、去
年以降急速に軍事区域化されていき、治安部隊が多数展開しているので、⾏ったとしても
まともな活動ができないだろう。イランの東クルディスタンは、ササン朝の中⼼があった
⽂化的に優れた地域ではあるが、クルド問題という意味では魅⼒は薄い。注⽬されるシリ
アの⻄クルディスタンは、現在イラク側からしか⼊れない。そういうわけで、イラクの南
クルディスタンしか選択肢はなかった。
(出典:外務省海外安全ホームページ)
クルディスタン地域は、イラクにあって唯⼀安全な地域と⾔われる。危険そうなところは
とりあえず、オレンジ(渡航中⽌勧告)か⾚⾊(退避勧告)に塗っておく外務省安全情報にお
いても、クルディスタンは、⻩⾊(不要不急の渡航⾃制)の地域がある。⾸都からわずか数
⼗キロ先では、ダーイシュ掃討の激しい戦闘が⾏われているとはいえ、クルディスタン地
域にその余波が及ぶことはない。あるとすればテロ攻撃であるが、それもテロリストの劣
1 「islamic state of iraq and syria」のアラビア語「al-daw la al-islamiyya fil-iraq w ar al-sham」の頭⽂字。
1
勢と治安部隊の能⼒向上により激減している。安全なのは当たり前なので、少しでも⼀般
訪問者が⾒られないものを⾒るべく旅⽴った。
〜内容〜
1-スレイマニ⾒聞記
● YNKの⽴場
● 家庭内宗派
● マウラウィ通り
● PKKの存在感
● ゾロアスター協会
● スレイマニ博物館
● YNKの中⼼を超えたスレイマニ
2-ハラブジャ⾒聞記
● ハラブジャまでの道中
● ハラブジャ市内
● ハラブジャ事件記念館
● 少数⺠族地区
● IDPキャンプ
3-へウレル⾒聞記
● 道中
● アンカワ
● 城塞周辺
● 郊外
● ⾃由度
4-現地の⽣活
● 買い物
● ⾷事
● 飲酒
● 宗教
● 現⾦調達
5-トルコの影
● バザールに溢れるトルコの商品
● トルコの下⼼
2
1-スレイマニ⾒聞記
東京ースレイマニの往復チケットを買った関係で、スレイマニへの滞在⽇数がダントツで
⻑かった。空港から市内への距離は近く、道がわかり軽装備なら歩いてでも市内へいけ
る。スレイマニでは、「クルディスタン愛国者連盟」(以下YNK )の政治局員で、⽇本と縁2
深い⽅が、世話をしてくれることになっていた。YNKは、「クルディスタン⺠主党」(以
下PDK )と並ぶクルディスタン地域⼆⼤勢⼒の⼀つだ。スレイマニ空港に到着し迎えを待3
つ。いつまでも出迎えらしき⾞はなく、かといってバスの往来もない。そういうわけで
困っていたら、クルド語を話すアジア⾵⻘年に困っているのかと話しかけられる。彼は掃
除夫としてカトマンドゥから来たらしい。ソラニ という⾔葉を知らずただクルド語とだ4
け⾔っていた。またクルド語会話は、それほど難しくないと⾔っていた。彼と話していた
クルド⼈はハサカ出⾝ということでクルマンジ が通じた。彼らがタクシーしか⼿段がな5
いというので、流しを呼び⽌めて市内へ向かった。⽬的地前の歩道橋にYNK指導者タラバ
⼆の肖像画が掲げられていた。
ところどころでタラバ⼆の真影は⾒かける。そうこうしている内に、降ろされたのは⼤き
なショッピングモール前、周りに⾼層ビル、マンションは多く⾒かけるが、商店やレスト
ランが⾒当たらなく⽣活感がない。ホテルはそれなりにあるが、安そうなホテルは⾒当た
らない。試しに⼀つのホテルに⼊ってクルド語で宿泊料を聞いてみると、なんと5千円
だったので⾶び出した。それから、中東お馴染みのサンドイッチ店を⾒つけ、百円のレ
バー炒めサンドイッチを買い、腹ごしらえをしてホテル探しに本腰を⼊れた。ホテルにつ
いてネットにつなぎマップを⾒て初めて、運転⼿が市の中⼼部とショッピングモール「
CITYCENTOR」を間違っていたことに気づいた。⾃分がいたのは、街の周囲をとりまく
リングロードつまり外環道沿いだった。街は、同じ中東のヨルダン、パレスチナ、エジプ
トと⽐べて、⼤体清潔である。悪臭や⾹料の臭いもあまりせず無臭に近い。野⽝、⽜、ヤ
ギの類も全く⾒ない。翌⽇世話役の⼈と出会うことができた。
2
クルド語名:Yekîtiya Nîştimaniya Kurdistan、略称:YNK、英名:Patriotic Union of Kurdistan、略称:PUK、クルディスタ
ン以外ではPUKのほうがポピュラー。3
クルド語名:Partiya Demokrat a Kurdistanê、略称:PDK、英名:Democratic Kurdish Party、略称:KDP、クルディスタ
ン以外ではKDPのほうがポピュラー。4クルド語⼆⼤⽅⾔の⼀つ、主にイラク南部からイランで話される。5
クルド語⼆⼤⽅⾔の⼀つで、全クルド⼈の7割が話す。トルコ、シリア、イラク北部で話される。
3
◆YNKの⽴場
世話役の⼈は、無神論者でありイスラームを激しく敵視していた。具体的な理由は聞かな
かったが、イスラームは最悪の宗教であり、モスクはサダカ (喜捨)を推奨する乞⾷の元締6
め、というような⾔い⽅をしていた。彼に政治家仲間との飲み会への参加を招待され、⼆
つ返事でOKした。参加者のYNK党員と、クルド語を交え話をした。彼はYNK政治局員で
あるとのことだった。クルマンジを少し話せる⾃分を気に⼊ったようで、いろいろなこと
を話してくれた。家族のことや、政治についても聞いてみた。まずバルザニについては、
案の定「独裁者」と酷評していた。クルディスタン労働者党(以下PKK )についての評価は7
興味深かった。彼は、PKK⾃体は好きだが、指導者アブドゥッラー・オジャランや実質的
指導者ジェミル・バイクやカラユルンは嫌いとのことだった。これは、彼に限らず多くの
YNK党員またはシンパの市⺠に共通すると⾔える。全クルド⼈の団結及びPDKへの対抗か
ら、PKKゲリラにシンパシーを抱き友好関係を気づいていても、取り込まれはしないと⼀
線を画しているのだろう。
◆家庭内宗派
次の⽇、世話⼈の兄宅で昼⾷をご馳⾛になった。その家族の「宗派構成」は⾯⽩く、兄⽒
はクリスチャン、その奥さんはムスリム、そして娘さんはクリスチャンということだっ
た。妻が夫の宗教へ改宗を強要されることは、中東では⼀般的な結婚に伴う⼿続きの⼀つ
である。妻の親は、「啓典の⺠」とはいえ異教徒へ嫁ぐことに反対しなかったのか気に
なったが、聞いている限りあくまで宗教は個⼈の良⼼の問題にとどまっていた。
◆マウラウィ通り
スレイマニの第⼀印象は、清潔で中東らしい喧騒もない落ち着いた街というものだった。
それゆえ、多くの国で楽しんだバザール、スーク巡りができないのではないか⼼配してい
た。それは当然杞憂であった。中⼼部のスレイマニ・パレス・ホテルの⽬と⿐の先に、城
⾨らしき⼊り⼝があり、それをくぐると「マウラウィ通り」という商店街がる。その先に
バザール地区があるのを⾒つけた。露店、商店街、ショッピングコンプレックスがまとめ
て詰め込まれた場所だ。やや古びた映画館もあり、多くの娯楽が提供されている。ところ
どころにアーケードバザールの⼊り⼝がある。その中は、迷路のようで⼀度奥まで⾏くと
中々外に出られない。⽣鮮⾷料品店、⾁⿂屋、服屋、お菓⼦屋、茶店、⾷堂、宝飾店、電
器屋が、それぞれ同業者数軒で⼀⾓を占めている。
6
イスラムの喜捨には、サダカとザカートがあり、前者は⾃発的、後者は共同体内の義務的なものとされる。7
クルド語名: Partiya Karkerên Kurdistanê、略称:PKK。
4
ある⼀⾓には、軍の放出品を売る店が軒を連ねるゾーンがある。以前ニュースサイトで⾒
た、ペシメルゲの装備は⾃弁というニュースの真相を⾒たような気がした。バザール地区
の中⼼にはスレイマニ最⼤のマスジドがあり、その周囲には、⼦供や怪我⼈、障害者の乞
⾷が屯している。しばしばアジア系の顔⽴ちをした買い物客を⾒かける。ネパールから来
た出稼ぎ労働者がその⼤半を占める。バザールの中の、とある⼤きなサイクルで写真を
撮っていたら、アサイシュ(警察)らしき男に呼び⽌められた。彼は写真が問題であるとい
うジェスチャーをしきりにし、電話で誰かを呼んだ。暫くして来た上司らしき男は、パス
ポートを⾒せろといいそれについて本部だかに電話で報告した後、写真を消すよう要求し
た。常岡のせいなのか、外⼈による写真撮影に神経質になっているのか定かではない。
KRGは治安維持を名⽬に、ジャーナリストを弾圧しているという報告が出ているが、その
報告に近いものを感じた。
◆PYD代表と会⾒
シリア・クルディスタン、通称ロジャバの政権党・⺠主統⼀党(以下PYD )のイラク領事事8
務所はスレイマニにある。ロジャバをひと⽬みたいという思いから、その領事との会⾒を
取り計らってもらった。⼊域についていくつか事務的な質問をした。それらを要約する
と、現在イラク側の国境管理をPDKがやっているので、⼊域は難しいであろうと語ってい
た。ただもし⼊ることができれば、マンビジュまで⾏けると⾔っていた。ロジャバの現状
について質問をしてみた。シリア北部は、クルド⼈だけでなく多くの⺠族集団が⼊り乱れ
る複雑な地域である。トルコにけしかけられた⼀部のトゥルクメンがクルド⼈に攻撃をし
かけていることを除けば、概ね共⽣は保たれているという。ハーフィズ・アサドが⼿を焼
き、バッシャールが失敗した部族の統治についても、積極的に⾃治組織に組み込むことで
テロ集団協⼒にはしることを防ぐことができると⾔っていた。多くの集団が相争い、テロ
集団であっても保護してくれれば受け⼊れる、というダーイシュがシリアに居座る政治的
基盤は最早失われているという。彼は諸⺠族共⽣の鍵は、国境線を⺠族分布によって区切
るのではなく、エスノセントリズムに陥りがちな思考を変化させることにあると指摘し
た。そのために、教育が重要であることを語っていた。経済体制について、旧共産圏のよ
うな集産・中央指令経済はとらず、それぞれのカントン(州)で必要な経済政策をとると
⾔っていた。誰でも事業を興したい⼈は、それができるとも。現状では、コバニ他に⼩さ
な⼯場を建設するにとどまっているようだ。シリア反体制派について、⾃⺠族中⼼主義で
あるのは当然のこと、ダーイシュよりも過激な連中と語っていた。そして、クルド勢⼒こ
8クルド語名: Partiya Yekîtiya Demokrat、略称:PYD。
5
そ真の意味で反体制派であると⾔っていた。クルド語を学んでいることを話したら、ロ
ジャバで使われているクルド語教科書の話をしてくれ、お⼟産にと数冊頂いた。
◆PKKの存在感
YNKは、バルザニ・PDKとの対抗上外国を含む多数の勢⼒と、良好な関係を築いているの
は周知の事実だ。殴り書きされた「PKK」の⽂字や、ラッカーで描かれたオジャランのシ
ルエットはよく⽬につく。それから⼆⽇後街をスレイマニ・パレス・ホテル前の広場で騒
ぎがあったので、⾏ってみるとPKKやYPGの旗が並ぶ集会が⾏われていた。その2⽇前に
は、バルザニに雇われ、トルコが訓練を施したと⾔われるロジャバ・ペシメルゲ が、エ9
ジーディ(ヤジーディ)の街シェンガルを防衛する「シェンガル抵抗部隊」に、攻撃を仕掛
けるという事件があった。集会は、その事件を受けてバルザ⼆とエルドアンに対する抗議
をするためであった。PKKの旗を持ったエジーディと名乗る少年たちに出会った。
彼らは2014年のダーイシュによるシェンガル攻撃から逃れてスレイマニにたどり着いた
という。PKKと「アポ 」を⾮常に敬愛していた。PKKは、ダーイシュのシェンガル占領10
時に、撤退したペシメルゲに代わって抵抗を続け、⼤きな⽀持を集めた。エジーディの若
い世代へのPKKの影響⼒浸透を実感した。さらに奇遇なことに、そのデモに参加し帰る途
中であったPKKのスレイマニ代表と出会った。彼は、トルコから逃れてきたある種亡命者
であり、同じくトルコから逃れてきたクルド⼈やシリアの戦乱から逃れてきたクルド⼈た
ちを、組織化しその指導者の役割を担っていた。
9
シリア反体制派の流れを汲む「クルディスタン国⺠評議会(略称:KNC)」を⽀持するシリアのクルド⼈が、イラク側に逃
れ武装集団を組織して、⼈⺠防衛隊(略称:YPG)に代わる平和維持部隊としてシリア帰国の機会を伺っていた。10クルド語で「おじさん」、「オヤジ」の意で、 PKKの指導者アブドゥッラー・オジャランの愛称。
6
◆ゾロアスター協会
渡航の数ヶ⽉以上前クルディスタンのニュースサイトで、スレイマニに初のゾロアスター
寺院が開設されたという記事を⾒た。それから訪問したいと思っていたので、世話役の⼈
に頼んだらゾロアスター教施設の⽅々は快諾してくれた。外⾒からは宗教施設とはわから
ないところだった。スレイマニに事務所を設⽴したのはリーダーの出⾝地だからと⾔って
いた。へウレル(エルビル)では、新たな事務所を作るのは難しいと⾔っていた。PDKは少
数派を尊重せず迫害の憂き⽬にあう可能性がある。いずれにしろ、スレイマニはゾロアス
ター⽂化復興の揺籃として最適なのである。ゾロアスター教では、思考・⾔・動のバラン
スを重んじる。腰布に3つの結び⽬をつくることでそれを表す。彼らによればイスラーム
は、⾔っていることは⽴派だが、実際の⾏動と⽭盾している。コーランは、平和を説きな
がら⼀⽅で⼈殺しを勧めている。ダーイシュについては、あれこそ真のムスリムであると
主張していた。というのは、コーランは⼈々に平和を説く⼀⽅で、従わない⼈間の容赦無
い殺戮を命じているからと⾔っていた。ムスリムがムハンマドを通じた神の教えを絶対視
するのに対し、ゾロアスター教は⼈間性を最も重んじる。そして、ムスリムがイスラムを
⾄⾼とし他の宗教を誤りと位置づけるのに対し、全ての宗派を尊重することを強調した。
それゆえ、エジーディやカカイ、シャバクといったクルド⼈少数宗派とは良好な関係があ
ると⾔っていた。彼らによれば、ゾロアスターはクルド⼈である。それゆえ、アラブ⼈の
ムスリム軍がササン朝に決定的打撃を与えたニハーヴァンドの戦いにおいて、クルド⼈を
攻撃し多数を殺害した。多くは迫害を恐れ改宗したが、その宗教歴史の陰でずっと残り続
けた。そしてイスラム主義跋扈により中東が崩壊していく中、⽀配⺠族の軛を脱し⺠族の
復興を果たしつつあるクルド⼈の⺠族アイデンティティの柱として、ゾロアスター教は復
活を果たした。彼がイスラムと⽐べゾロアスター教の優れた点と⾔うことに、個⼈の宗教
選択の⾃由尊重がある。ゾロアスター教徒に⽣まれた⼦も16歳になれば別の宗教に移るこ
とができる。周知のようにイスラムは、他宗教からの改宗は推奨するがその逆は認めな
い。タブーはあまりなく、イスラムと異なって飲酒を許している。結婚についても、⻄洋
から野蛮視されるイスラムの⼀夫多妻は認めない。夫が持つことができる妻は⼀⼈だけで
ある。イスラムのようにマハル(夫から妻への婚資)はないが、夫は妻は妻に指輪を買って
あげる必要がある。近親結婚は奨励されないとのことだった。ムスリム国家に⽣まれる
と、基本的にムスリムとカウントされてしまうので、ゾロアスターのようなマイノリティ
の存在が無視されてしまうことが⼤きな問題であり、ムスリム⼈⼝は⽔増しされていると
指摘していた。祭壇にはロウソクが多く置かれたいた。聞けば、ロウソクは⽕を灯すため
の道具として⼤事かつ⼿軽な象徴であるとのことだった。ドイツで会った多くのクルド⼈
が、アポ(「親⽗」の意、PKK指導者オジャランの愛称)と英雄たちを飾る「神棚」のよう
な所に沢⼭置いていた理由が、初めて理解できた。
7
◆ネウローズ
ネウローズは、⽕を焚いて新年を祝うクルド⼈の祝祭である。今回は3⽉下旬まで滞在し
ていたので、本場のお祭りを体験することができた。今年はゾロアスター⽣誕から2717年
⽬のネウローズであった。
ネウローズが近づくと花⽕を売る露店がバザールに出始めるようになる。街⾓で、花⽕の
⾳を⽿にするようになる。情勢が情勢だけに、破裂⾳を聞くと⼀瞬何事かと⾝構えてしま
う。当⽇は多くの道路が通⾏⽌めになり、歩⾏者天国になる。スレイマニだけで、3つか
4つの場所でお祭りが開催される。そのうち最も賑やかと⾔われるお祭りに参加した。ま
ず、会場から少し離れた道路に、主催者を中⼼に集まり、軽くダンスをする。ゾロアス
ター聖職者の格好をした⼈、松明を持ち着飾った⼥性が、ゾロアスターの像とともに、⽕
を焚く会場まで練り歩く。会場につくと、鉄の籠に薪が積み上げられている。多くの⼈が
⾏進の到着を待ちわびながら、その薪の周りを取り囲んでいる。
それに出発地から運んできた松明で⽕を点けると、群衆の興奮度は最⾼点に達する。焚き
⽕が燃え盛りピークを過ぎると、今度は⽤意されたステージの⽅へ移動する。祝辞が読み
上げられた後、⼦供たちのお遊戯会が披露される。まだまだお祭りは続いたが、クルド⼈
8
が混みすぎて帰れなくなる前に帰ろうとアドバイスしてくれたので、名残惜しさを残しつ
つ会場を後にした。周囲には未熟なアプリコットを売る屋台が出て、多くの⼈が酸っぱい
だけで味のない⻘い実を齧っている。途中⾬天になったものの、ますます多くの⼈が会場
に訪れていた。
街は、どこでも⺠族⾐装を着た男性、綺麗なクルド・ドレスを着た⼥性、また⼦供たちで
溢れている。⼥性がこれだけ参加できるお祭りは、クルディスタン以外の中東・ムスリム
地域ではありえないとクルド⼈は誇っていた。クルド系テレビは、ネウローズ特集⼀⾊に
なり、夜通し続くお祭りを実況する。
◆スレイマニ博物館
スレイマニ中⼼部には⼩さな博物館がある。旅⾏も終盤に差し掛かったある⽇、博物館に
おける集まりに招待され訪れた。訪問以前に通りかかった時は、スレイマニに関係する⽂
物全般を展⽰・収蔵していると思っていたが、実際は周辺地域で発掘された出⼟品を展
⽰・収蔵する考古学博物館であった。⽇本からの発掘隊を率いる考古学教授が、収蔵品の
ラベル作り作業をしていた。教授は元シリアで発掘をしていたが、内戦の勃発によって他
の地域に活動の場を移す必要に迫られ、クルディスタンに辿り着いたらしい。彼によれば
クルディスタン地域は50年間発掘作業が⽌まっていた。中央政府とクルド⼈との戦争や、
サダムによる外⼈⼊域禁⽌が、その理由として挙げられた。そういう経緯があって、ここ
3年クルディスタンでの発掘が盛んになっている。外務省が遺跡エリアを危険地帯に指定
したせいで、学⽣を連れてこれず発掘の⼈⼿が⾜りないとのことだった。外務省はクル
ディスタン地域政府との外交ルート確⽴に出遅れたばかりか、⾃国⺠の進出も遅らせる安
定の仕事をしているようだ。
⽯器時代の鏃から、楔形⽂字が刻み込まれた粘⼟板、ササン朝時代の碑⽂、さらにオスマ
ン帝国時代の陶器の破⽚等々と、有史以来の中東の歴史を記録する遺物が展⽰されてい
た。クルド⼈にとって、考古学はアイデンティティ確⽴のため⾮常に重要な学問である。
トルコにおいて特に顕著であるが、クルド⼈は後から来た⺠族に⼟地を奪われ、今に⾄る
まで抑圧されているという感情が強い。PKK指導者オジャランは著書の中で考古学的発⾒
9
を引⽤しつつ、クルド⼈は、シュメール王国時代から「⼭の⺠」として、認知されていた
と主張している。ダーイシュが、モスル博物館の収蔵品を略奪・密売したり、ヨナのマス
ジド、ハトラ遺跡やニムロド遺跡を破壊したことで、イラクの考古学は⼤きなダメージを
受けた。⼀⽅のクルディスタンは、政府が領内の治安を守り遺跡を保護している。さら
に、外国の発掘隊を受け⼊れ、彼らによって発⾒された新たな遺跡が増えていく。クル
ディスタンがメソポタミアの考古学センターになる⽇も近いであろうと予感を抱きつつ、
博物館を後にした。
◆YNKの中⼼を超えたスレイマニ
スレイマニは、YNK統治地域の「⾸都」であるのに相応しく、⾄るところにタラバニの写
真、YNKの事務所が多い。YNKは、2009年ゴラン(変化運動)が分裂し唯⼀の有⼒野党では
なくなった。最近も、指導部の権限を巡って内紛が起きた。それでもPDK体制下では活動
が難しい、野党・マイノリティ・左派勢⼒のアジールとして、スレイマニを守り抜いてい
るようだった。イラク・クルディスタン地域の対⽴は、バルザニとタラバニ、PDKとYNK
の対⽴と⾔うように単純化されがちである。スレイマニに、安住の地を⾒出している⼈間
にとっては、市⺠的⾃由のないPDKの⽀配は受け⼊れがたい。それがタラバ⼆やYNK関係
者の利益を超えて、スレイマニの独⽴性を⽀えていると、訪れて初めて分かった。
10
2-ハラブジャ⾒聞記
スレイマニに滞在して数⽇、現地の平和団体の⽅が案内してくれるということで、ハラブ
ジャへ⾏くことになった。ハラブジャは、イラン・イラク戦争末期、決起したクルド⼈に
サダム・フセインが毒ガス攻撃「アンファール作戦」実施を命令し、親族でイラク軍将軍
アリー・マジードが実⾏した地として⾮常に有名である。クルド⼈は、「ヒロシマナガサ
キハラブジャ」とこの事件を位置づけ、⽇本にシンパシーを感じる⼀つの理由になってい
る。
◆ハラブジャまでの道中
街から⼀歩出るとすぐに⽺の群れの往来を⽬にした。また、ハラブジャから帰るときに
は、⽺を囲いに戻すため群れを追っているところを⾒た。平原が広がりその背後にはイラ
ン側の雄⼤なザグロス⼭脈が控えている。道の両脇には農閑期なのか畑は雑草が⽣えてい
るか鋤き返され、果樹には葉もない。村落には農業や放牧を営む⼈が多く、煉⽡を積んだ
だけの粗末な家に牧場がくっついた住居をよく⾒た。
道路の脇で⽇⽤品や果物を売っている連中がいた。荷台付きトヨタを路肩に停め、落ちそ
うなくらいスイカを積んだ商⼈、⼦供向けおもちゃを並べる商⼈、ティッシュを満載した
商⼈等々、道路脇が⼀つのバザールのようであった。アルバートやセイイド・サディーク
等途中の町に⼊ると、道路で野の花を売る⼦供や⻘年がいる。粗末とはいえ店を構えるの
ではなく、ただ⼿に積んだ花を持ち⽌まった⾞のサイドガラスを叩いて回り客を探すだけ
である。
◆ハラブジャ市内
11
ハラブジャ市内への⼊り⼝には、毒ガス攻撃時を捉えた写真として有名な⼦供を庇おうと
して亡くなった⽼⼈の象がある。商業は街の中⼼にあるモスクの周りのバザールと、その
近くの商店街に集中している。⽥舎の町だからか、スレイマニよりも伝統⾐装を着ている
男性が多く、それを供給する仕⽴て屋も多い。
◆ハラブジャ事件記念館
ハラブジャには、⽶軍のイラク侵攻と同年に設⽴された記念館がある。中⼼部ではなくや
や街外れにあるので、初めての訪問者にはややわかりにくい。今回は案内⼈がいたので、
問題なく到着した。記念館の敷地には、ペシメルゲまたは有志連合の攻撃で撃破されたと
思われる兵器が屋外に曝されており、⼦供たちのいい遊び場と化していた。
記念館の展⽰は、ハラブジャの歴史から始まっていた。ハラブジャは、早くから⺠族意識
に⽬覚めた⼈が多い都市であると紹介されていた。幾つかの当時の決起の写真には、若き
⽇のタラバニが写っていた。初等教育がイラク全⼟で整備されていなかった時代に多くの
学校があったこと、⼥性が中⼼となったデモ⾏進が、写真で記録されていた。ハラブジャ
は、ゲルニカと同じく⾃由を求める少数⺠族が住む進んだ⺠主的都市に、野蛮な独裁者が
攻撃を仕掛けたという構図があった。イラク侵攻の戦後処理の過程で、処刑されたサダ
ム・フセイン、毒ガス攻撃の実⾏者マジードや戦闘の過程で死亡したサダムの息⼦ウダイ
とクサイの死亡証明書も展⽰されていた。イラク戦争は、昨年イギリスが誤った国策で
あったとする報告書を出し、⽶英中⼼の介⼊は混乱を導いただけという⾔説が確定された
と⾔える。クルド⼈は、⼀般的⾔説に反し有志連合の侵攻に感謝している。パンドラの匣
を開けたのは間違いないが、そこからクルドという唯⼀の「希望」を⾒出したのもまた事
実である。
◆少数⺠族地区
ハラブジャにはクルド⼈マイノリティ・カカイが⼀万数千⼈ほど住んでいるらしく、その
地区を⾞で回ってもらった。他の地区と特にこれといった違いはわからなかった。その地
区内にPKKのオフィスがあるとのことだった。PKKは、エジーディの街シェンガルにて
ダーイシュの攻撃に抵抗し解放戦にも参加したことで若者中⼼に⽀持を受け、⼤きな根拠
地を築いている。ダーイシュがシェンガルを攻撃した時、ペシメルゲはエジーディを⾒捨
て逃げたとエジーディ達は⾮難しているが、PKKは町の裏⼭に防衛線を築き逃げた難⺠達
を守った。それと同様に、カカイの間にも主流のクルド⼈による差別の懸念から、PKKに
参加する⼈が多いのか定かではない。別の地区にはかつてユダヤ⼈が⼤勢住んでいたそう
12
だが、サダム・フセインの弾圧によって多くがイスラエルに移住したらしい。シナゴーグ
跡の⼀つすら⾒ることはできなかった。
◆IDPキャンプ
スレイマニに帰る途中、この地域最⼤のアシュティ・国内避難⺠(以下IDP )キャンプへ連11
れて⾏ってもらい、キャンプの責任者と話すことができた。このキャンプは2015年に設
⽴された。彼は国内避難⺠と難⺠を厳しく区別していた。シリア難⺠のような国際難⺠
は、世界のメディアに取り上げられ多くの⼈の知るところになり、難⺠キャンプにも⽀援
が弾みやすい。イラクのIDPはシリア難⺠と⽐べると知名度は低く世界の⽀援は後⼿に回
りがちだと不満を漏らしていた。
⽇本のNGOピース・ウィンズ・ジャパンが⽀援に携わるキャンプでもある。その⽇の夜
会⾷でお会いした⼥性によれば、電線の敷設を進めている。アシュティ・キャンプは、周
辺唯⼀の⺠族混成IDPキャンプであり、アラブ、エジーディ、トゥルクメンから構成され
ていると聞いた。キャンプ⺠はキャンプ内の施設で雇われていたり、⾃分で物を作り店を
やっている者もいると聞いた。避難⺠の⼤半は農⺠なのでこれといったスキルがなく、掃
除等の雑⽤しかできないと聞いた。それゆえ⽇本や欧⽶から技術指導があれば、ありがた
いといっていた。キャンプには未使⽤のスペースが結構あるので、何か⽀援事業をやりた
い⼈は誰でもそこを使えると⾔っていた。
11 Internally Displaced People,略称:IDP。
13
3-へウレル(エルビル)⾒聞記
滞在⽇数が短くあまり外に出ることもなかったので、スレイマニに⽐べると体験できたこ
とは限られている。ヘウレルには、PDKの関係者と会うために⼀度⾏く必要があった。当
初、交通⼿段を⾒つけることができなかった。スレイマニで、世話役の⼈にヘウレルに駐
在する領事である外務省参事官との会⾷に招待された。その後、領事に外務省からシリア
に⾏く可能性がある⼈物としてマークされていると伝えられた。その領事はその翌⽇ヘウ
レルに帰り、⾞に空きがあるので良ければ連れて⾏くと申し出てくれた。交通⼿段には
困っていたので、快諾した。かくして監視込みの準VIP待遇でへウレルまで送迎されるこ
とになった。
◆道中
スレイマニとへウレルの間にある町の中で、ドゥカンは⽐較的⼤きな町だ。ドゥカン付近
で、初めてYNKから分派したゴラン(変化運動)の事務所を⾒た。途中幾つか緩やかな川が
あり、その川辺がキャンプ村になっているところがいくつもあった。街中でキャンプ⽤品
を売っている店を⾒かけるのも納得できる。ヘウレルに近づくにつれてアラヤ・レンギン
(クルディスタンの旗の名前)、PDK党旗ほかクルドグッズを売る露店が道路脇に⽬⽴つ様
になる。スレイマニからへウレルへ、という⼆つの「王国」の⾏き来は不便極まりない。
道中でローカルバスを⾒かけることは稀で、⼤型バスは全く⾒なかった。特に⾃家⽤⾞が
あるか、そういう友⼈がいるのでもなければ、タクシーを使わざるを得ないことが多いと
聞いた。へウレルでは、⼤型バスを⾒たので、旅⾏会社に⼿配をすればタクシーを使うよ
りも安く⾏けるのかもしれない。
◆アンカワ
参事官の勧めで「安全」なアッシリア⼈地区というへウレル郊外のアンカワ(アイン・カ
ワ)に泊まることになった。そこは、クリスチャン地区、つまりマイノリティ地区とし
て、戦乱から逃れたトルクメン⼈が多く居住地を求めていると聞いた。どの公共施設、店
においてもアラビア語、ソラニ、アッシリア語他複数の⾔語で表記がなされていた。通り
すぎる⼈の顔⽴ちもクルド⼈やアラブ⼈とは違い、より⻄洋的であるように思われた。
◆城塞周辺
へウレルの中⼼部には、「カラ」と呼ばれる城がある。へウレルは地図を⾒てわかるよう
に、カラを中⼼にして数⼗メートルおきにリングロードがあり、最後に⼀番外側の外環道
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に到る、という⽟ねぎのような構造になっている。へウレル中⼼部は、城の前⾯と後⾯で
かなり様相が異なっている。前⾯にはマチコ・カフェのように有名な茶店を始め、
アーケードバザールもあり賑やかである。⼟産物店を⾒ないクルディスタンにあって、唯
⼀⼟産物店らしい店をみかける場所だ。⺠族⾐装やサーズといった楽器、その他マスー
ド・バルザニのタペストリーが店頭に並べられていた。⼀⽅後⾯は、ホテルと飲⾷店は多
いものの茶屋は少なく、家具屋始めとした⽣活⽤品店ばかりで味気ない。領事はアンカワ
にしか酒屋が軒を連ねる場所はないと⾔っていたが、へウレル中⼼部にも酒屋は結構多
い。スレイマニとの違いは、酒場がないのでホテルのバーか宅飲み以外で酒を楽しむ⼿段
がないことだ。へウレルというと、原油収⼊で発展している街というイメージがあり、実
際郊外に⾼級ホテルが⽬⽴つので、安宿は払底しているように最初思われた。カラの周り
には、20$ほどの安いホテルが多いので⼀般旅⾏者にとっても宿は困らない。建設中のマ
スジットに近いたら作業員の⻘年に声をかけられた。彼はコバニから来たクルド⼈と⾔っ
ていた。2014年に、ダーイシュの進出とそれを阻⽌するYPGとの戦闘から逃れイラクに
移ってきたらしい。カラの前には広場があり、さらにその先には、より庶⺠的で汚い⻘空
バザールがある。その、バザールでは「アラバ、アラバ」(⾞の意)と⾔いながら、⼿押し
⾞を押して周る⼦どもたちがいた。彼らは、露店を周りゴミ回収をすることで⽇銭を稼い
でいるようだった。そのうちある少年が話しかけてきたので、出⾃その他を聞いてみた。
モスル出⾝のアラブ⼈で、イラク治安部隊によるダーイシュ掃討戦から逃れてきたそう
だった。このバザールには、5メートルおきくらいに様々なバリエーションの乞⾷が⽴っ
ていた。⾞いすに乗った障害者と隣に⽴って⾦集めをする⼆⼈⼀組、⼀⼈で突っ⽴って通
⾏⼈に⾦をせびる⽼婆、袋を持って歩きまわる⼦供は乞⾷だ。
◆郊外
へウレルでは、⽇本のクルド⼈の友⼈が、泊めてくれる彼の友⼈を紹介してくれた。彼は
ロジヘラート(イラン側クルディスタン)・ケルマンシャー州出⾝のクルド⼈で、マレーシ
アで教育を修めた後、現在はイラク・クルディスタンで英語教師をしている。彼の家は、
リングロード外の住宅街にある。付近には、⾻組みだけで建設が⽌まった建物を多く⾒か
ける。彼によると、それらは2014年以前に建設計画がまとまり⼯事が着⼿されたが、間も
なくダーイシュの跋扈が始まったので、建設予算が戦費に回され⽌まってしまった。郊外
型とも⾔うべきショッピングモールはそこらにある。中⼼に⾏かずとも買い物には困らな
いようだった。彼は、イランの話を盛んにしていた。イランは欧⽶から⻑く制裁を受けて
いながら、アラブ諸国より遥かに発展し、産業も盛んでよく開発されていると語ってい
た。イラクで停電は⽇常茶飯事だが、イランではこのような電⼒事情は全く考えられない
と⾔っていた。彼の故郷の⽥舎町の写真を⾒せてもらい、イラク・クルディスタンよりは
るかに都市が整備されていることを実感した。クルド⼈にとって最善の戦略は、独⽴では
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なくコンフェデレーションであると⾔っていた。⼩国が独⽴することの困難について、こ
れまで使ってきたパスポートが使えなくなることを、考えてみろと⾔われた。
◆⾃由度
スレイマニと⽐べてそこら中で指導者の肖像を⾒ることはない。同様に、PDK以外の勢⼒
の旗や施設を⾒ることもない。スレイマニではPKKの存在を随所で確認することができる
⼀⽅、へウレルで⾒ることはまったくない。へウレルでも、ペシュメルゲによるシェンガ
ル攻撃に反対し、平和を訴えるデモがあったと聞いた。そのデモはPDKを⾮難するのでは
なく、武⼒衝突そのものを⾮難し、PKKにも⾃制を求めていた。そのような中⽴的な政治
集会でも逮捕者が出たとのことだったので、市⺠的⾃由は根付いているとは⾔えないこと
だけはわかった。ヘジャブを被っている⼈、飲酒を控える⼈は、スレイマニよりも多いよ
うに思えた。
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4-現地の⽣活
◆買い物
両「⾸都」の中⼼部の歴史地区とでも⾔えるような場所には、⼤きなバザールがある。
新しく建てられた⼤きなショッピングモールはそこかしこにある。商店街、バザールは⼤
体6時くらいには店じまいが始まるが、モールはもっと遅くまでやっている。オリーブは
現地メディアで⽣産が伝えられることが多いものの、スーパーやバザールで⾒るのは⼤抵
外国産だ。中国製はおいて、トルコ製、イラン製が⼤体あらゆる輸⼊品の⼤半を占めてい
る。クルディスタンのメディア・ネットで、蜂蜜やオリーブの⽣産が盛んになっているこ
とが伝えられたのを⾒たことがあり、期待してそれら商品の製造元を⾒ると、前者はイラ
ン産、後者はトルコ産であることが多かった。巣付き蜂蜜の蜂蜜はほぼ確実にイラン産で
ある。デーツは、インド・パキスタンや中東と同じく、イラン産が市場を席巻している。
商品の製造元が詳しく記してあるものを⾒ると、トルコやイランのクルディスタン地域を
確認できることもある。⼀応輸⼊品ではあるが、同じクルディスタンで、同胞によって⽣
産された商品が流通しているとも⾔える。かの有名なアレッポ⽯鹸は、バザール、ショッ
ピングモールを問わずどこでも⾒かける。パッケージングされているものに、アフリンと
書いてあるを⾒かけた。ロジャバを通って⼊ってきたのか定かではないが、もしそれが経
済封鎖の中外貨を稼ぐ⼀助になっていれば、個⼈的には喜ばしい。露店で量り売りされる
野菜果物、保存がきかないお菓⼦、切り売りするチーズ他乳製品はクルディスタンで作ら
れているのかもしれない。全体的に、旅⾏者向けの買い物環境整備がされていない。⼟産
物屋はほぼなく、それらしいのはマチコ・カフェのそばの店くらい。クルド関係のプリン
トTシャツの購⼊を楽しみにしていたが、ほんの少ししかなかった。⼀般⼈も買うクル
ディスタンや政治団体の旗は、各所で売られていた。
◆⾷事
クルド⼈の主⾷はナン、それをビリンジ(炊き込みご飯)、ムリーシュ(チキンスープ)、
ファースリヤー(トマト⾖煮込み)、タプシー(野菜煮込み)等々と⼀緒に⾷べる。これらが
ひと揃いで、⼤体300円から400円だ。
クルド⼈と⾷事を共にすると、パシュトゥーン⼈の⾷べ⽅である、ご飯をナンで掴んで⼝
に運ぶのをよく⾒る。勿論そのままご飯に煮込み料理をかけて、そのままスプーンです
くって⾷べるのも⼀般的である。街中そこらにナン焼き屋があり、⼀般⼈はもちろん窯が
無いレストランも買いに来る。
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中東で必ず⾒るサンドイッチは、こちらでもポピュラーな軽⾷である。アラブ諸国では、
フブズというポケットがあるパンの中に具を詰める。こちらではナンが多⽤され、ロール
状のサンドイッチになる。⽇本でドネルケバブとして親しまれるシュワルマも広く⾷され
ている。⾖コロッケが具の場合は50円、⾁が具なら100〜150円が相場だ。エジプトとヨ
ルダンについては、⾖コロッケがヨルダンではファラフェルなのに対しエジプトではター
メイヤ、といった違いがある。アラブ料理という基盤を共有しているように感じる。クル
ド料理はクルド料理としてしっかりあるように感じた。イラン料理で有名なゴルメは、名
前そのまま⾷堂で提供されていた。居候させてもらったイラン⼈によれば、ロジヘラート
(イラン側クルディスタン)も似たような物を⾷べている。ただ、イラク側のほうが味が濃
いらしい。パンの⽿が嫌い⼈は⽇本でも多いが、クルド⼈も同じで⾷事後のテーブルには
ナンの切れ端が⼤量に転がっている。イラクには有名な⿂料理マスグーフがある。クル
ディスタンでも⿂は広く⾷べられている。⿂屋、⽣け簀、焼き⿂はそこらで⾒かける。
チャイハネに多く⼈があつまるのはアラブ諸国と同様で、⽔タバコを吸っていたり、ナル
ド(バックギャモン)に興じていたりする。旅⾏者にとっては、出先で⼿軽に⾒つかり安く
使えるWi-Fiスポットでもある。お菓⼦は、中東諸国共通のヴァクラワ、クナーファ、
チュロスやジャムーンの類は、クルディスタンでもポピュラーである。⼤体のお菓⼦が、
中東諸国特有の砂糖を多量に⽤い、ナッツ類を使ったものである。他の中東諸国で⾒たこ
とのないお菓⼦も多い。
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グミのようなものでクルミを包んだ細⻑く⾦太郎飴みたいに切って⾷べる「セジュー
ク」、切り餅みたいな形状の飴「ジャシキ」はよく⾒た。
◆飲酒
最近バグダッドは禁酒令を発し多くの酒屋が店じまいをしたものの、クルディスタンでは
多くの酒屋、バーが営業を続けている。エジプトやヨルダンで⾒た飲酒のタブーがないク
リスチャンが酒屋を営むという、習慣はないように思われる。ヨルダンやインドでポピュ
ラーな、⼊り⼝が狭く開いているのか開いていないのかわからにくく、店主と商品は鉄格
⼦の中にいる、といったアングラな雰囲気はない。⼤ぴらに「シーバスリーガル」や「エ
フェス」が写った看板をデカデカと掲げ堂々と商売している。
万⼈が訪れるショッピングモールやスーパーには酒コーナーはないし、バザールの露店で
酒を売っているのも⾒かけない。そういう意味で、⽇本その他と異なり隔離はある。酒も
また、前述の⼀般⽇⽤品と同じく輸⼊物だ。酒屋を⾒かける度に、中へ⼊り地元のワイン
やアラックの有無を聞いたものの、遂に出会うことはできなかった。エジプトでは600ml
ほどのアラックが300円ほどで買える。こちらは輸⼊品なのでそうはいかない。多くの⼈
に聞く限りでクルディスタン地域に酒造業は存在しないようだ。かつてクリスチャンが酒
造業を営んでいたが、今は消滅したらしい。飲酒を楽しめる所に地酒無しという⽪⾁な状
況がある。
19
◆宗教
クルディスタンはムスリムが多数派を占めるものの、⼀般的にマイノリティが安⼼して暮
らすことができ、宗教には厳格でないとされる。中東、ムスリム地域ではおなじみのア
ザーンは、クリスチャン地域や新興地区以外ではどこでも聞こえる。礼拝の時間になれ
ば、多くの⼈がマスジドに⼊っていく。スレイマニは宗教の相対化はかなり進んでいる
が、ヘウレルは未だ宗教的な⼈が多いことは⾔えそうだ。ニカブを着る⼥性は普通に街を
歩いていて⾒かけることはほとんどないが、多くの⼈が集まるバザールでは⼀⼈⼆⼈⾒か
けることはある。アラブ諸国では、街を歩いていれば結構な頻度で、路上にゴザやダン
ボールを敷いて礼拝している⼈を⾒る。クルディスタンにおいては、そのような⼈を⾒る
ことは殆ど無い。かといって、路上礼拝をする必要がないくらい、マスジドがそこら中に
あるわけではない。⽴派なあごひげを蓄えた男性もほとんどいない。脱イスラムが進んで
いるとは断定できないが、相対化が他のムスリム地域より進んでいるのは間違いない。他
地域と⽐較して驚くべきことは、ムスリムであることを否定する⼈、「イスラムフォビ
ア」を堂々と⼝にする⼈と頻繁に会うことだ。ムスリム地域を旅して感じるのは、ムスリ
ム住⺠の宗教への誇りと、イスラムの良さを滔々と外国⼈である旅⾏者に説き改宗を進め
る⼈の多さである。これは、イスラム回帰が進む以前の世俗主義トルコでさえよく聞く話
であった。宗教の話を好まない⼈は会えど、普通に旅⾏をしていてイスラム批判をする⼈
に出会うのは⾄難の業である。その理由として思いつくことに、ダーイシュの登場があ
る。ダーイシュがシェンガルを占領し同胞を奴隷として扱ったことは、多くの⼈に⺠族意
識の⾼揚と反イスラム感情に⽕をつけた。⽇本で散⾒される薄っぺらいイスラムの解説に
おいて、イスラムはそれを⽣み出したアラブ⼈とそれ以外の⺠族は平等だと説明される。
実際には、アラブ⼈以外の⺠族は征服によって受け⼊れたので、マワーリー(被征服者)の
中にはイスラムに対して複雑な感情を抱いている⼈は少なくない。イスラムを棄教するク
ルド⼈はアラブ⼈の精神的束縛を捨てたいという理由がある。クルディスタン各地には潜
⼊テロリストが多数⼊り込んでおり、当局の油断に乗じて爆弾テロや最近のキルクーク襲
撃に⾒られる治安撹乱⾏動を起こす。2017年に⼊ってからは、⼤きなテロ攻撃は聞かない
ものの、未遂のニュースを聞くことはある。家族から受け継ぐパーソナリティの⼀つであ
る「ムスリム」はともかく、イスラム主義=テロという図式は先進国の我々と共有してい
るのではないだろうか。クルディスタンには、クルディスタン・イスラム連合(KIU)とク
ルディスタン・イスラム集団(KIG)の、⼆⼤イスラム政党がある。どちらも議会では弱⼩
勢⼒で、最近統合の話が何度も持ち上がった。クルド⼈に広まる世俗化、「イスラムフォ
ビア」に有効なカウンターができるとは思えない。彼らの党勢は今後も低空⾶⾏を続ける
だろう。
20
◆現⾦調達
旅⾏中最も困ったことは、ATMから現⾦を下ろすことができないことだった。クルディス
タンは、慢性的な財政⾦融危機状態にあり、公務員、兵⼠への給料遅配は頻繁である。そ
れゆえ銀⾏があまり機能しておらず、取扱表⽰されてるカードを使っても、現⾦を引き出
すことができなかった。住⺠は、市中ではイラク・ディナールを⽤い、決済には⽶ドルを
使⽤している。しっかりした店をもつ両替商だけじゃなく、路上にドルとディナール札を
⼊れたショーケースだけを置いた両替屋は、そこら中にいる。銀⾏が物凄い⼿数料を取る
のも問題だ。結局引き出せなかったとは⾔え、ATMで1,000円を引き出すのに350円の⼿数
料が表⽰された。また領事の話では、イラクの銀⾏は、送⾦の際振込と引出し両⽅に⼿数
料をかけるとのことだった。しかもそれが、合わせて50$にもなり、振込⾦額に関わらず
課せられる。これでは、市中銀⾏が利⽤されないのも無理はないと⾔っていた。不透明な
財政と並んで⾦融制度の不整備は、経済発展の⾜かせになってるのを実感した。
21
5-トルコの影
◆バザールに溢れるトルコの商品
クルディスタン地域は、ヘウレルにしろスレイマニにしろ、⼤都市では⾼級ホテルか林⽴
し⼤型ショッピングモールが建ち並び、表⾯的には繁栄してるように⾒える。その真の姿
は、混み合ったバザールの中綺麗なショッピングモールで、何かしら製品である商品を⼿
に取り製造国を⾒ればたちどころに現れてくる。既に述べたように、どの商品を⾒てもイ
ラク製のものはなく、ほぼ全てが外国製である。クルディスタンの現実は、中東産油国を
指して⾔われる「レンティア国家 」だ。輸⼊品の中で⽬⽴つのが、トルコとイランだ。12
イラン製品に⽐べれば、トルコ製品はそれほど価格競争⼒はない。それにイランは制裁を
受けていたとはいえ、周囲の市場に恵まれている。イランは、陸続きのアフガニスタンや
中央アジアそしてクルディスタン含むイラクに多くの商品を流し、さらに海路でオマーン
から湾岸にまで流通させている。果たして中東が安定状態にある時、トルコはどれほどの
近隣国市場を⾒出すことができるだろうか。イランの商品は、ハチミツやデーツ等特定の
商品で圧倒的によく⾒るということはある。トルコ製品は、韓⽇が席巻する電化製品、⾞
といった耐久消費財以外、ほぼ全ての商品で⽬にする。表がアラビア語表記でも、裏のど
こかには「made in Turkey」または「Türkiye」が書いてある。三つ編みような形のペイニ
ル(チーズ)の裏を⾒ると案の定トルコ産であった。とある靴商⼈の荷⾞の裏には、これみ
よがしにトルコ国旗柄にデザインされた空箱があるのを⾒た。酒に関しても、ビール「エ
フェソ」はポピュラーな銘柄だ。トルコで今後禁酒法が成⽴するのか定かではないもの
の、仮にそうなってもタリバンがアヘン⽣産・流通を黙認するのと同じく、輸出は⽌める
ことはまずない。
ショッピングモールには、多くの洋服ブランドの店がある。何気なく⾒ているだけではわ
からないが、それらブランドのほとんどがトルコのものである。⽣産国は中国が主と聞い
た。もしかしたら、トルコで問題になった、シリア難⺠の⼦供を低賃⾦で違法に雇⽤して
作らせたブランド服が、クルディスタンに出回っていることも考えられる。クルディスタ
ンがトルコ製品に対価として差し出すのは、ジェイハン・パイプラインを通じて輸出され
る⽯油である。バルザニ率いるPDKは、⽯油利権の分配を仕切る腐敗した封建的指導者で
ある。多くの有⼒なクルド勢⼒の中で、PDKは唯⼀の⾮⺠主的勢⼒と⾔っていい。PKK、
ロジャバ、YNK、またイスラム勢⼒とも仲が悪い。さらに、イラク中央政府、イランとも
仲が良くないので、近隣国ではトルコだけが頼りとなっている。外資を呼び込むことに積
極的でも、産業育成計画を⽴てることはしないし、その能⼒もない。バルザニが居座る限
りで、トルコの市場としてのクルディスタンは安泰なのである。トルコ軍がイラク中央政
12 地下資源取引の収益、つまり地代(レン⼘)で⽣計を⽴てる国。
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府のことわりなく兵を進め、モスル近郊のバシーカに勝⼿に基地を建設しようとも、PKK
掃討の空爆でドゥホークのクルド⼈農⺠が被害を受けようと、あくまでトルコの肩を持っ
てくれる。
◆トルコの下⼼
トルコは、ジャジーラ の戦乱に乗じて⾃国商品の販路を拡⼤している、と⾔えないだろ13
うか。ダーイシュは、密造⽯油をトルコに流しているのが話題になった。ダーイシュの⽀
配地には、住⺠の⽣活を⽀えるだけの⽣産⼒はないから、ブラック・オイルマネーはトル
コ製品の取引で使われたことは間違いない。トルコのシリアへの軍事介⼊「ユーフラテス
の盾」の序盤で奪取したジャラブルスにおいて、⼈道⽀援と称してトルコ側から電線を敷
いていた。
(出典:CNNTURK)
また、占領した都市各地で勝⼿にトルコ⾵の警察を組織していることも明らかになってい
る。トルコの介⼊にクルド⼈勢⼒拡⼤を抑えるため、という下⼼を感じ取るのは容易であ
る。それと並んで⼤きな⽬的と思われるが、トルコのインフラ規格、⾏政機構運営、商品
を、アレッポ県に押し付け併合せずとも従属関係におくことだ。クルド⼈の進出を武⼒で
抑えることと、政治・経済的に地域を依存関係に置くのは、⾞の両輪のような関係にあ
る。どちらか⼀⽅だけでは、トルコが恐れるクルド⼈の発展を⽌めることはできない。ト
ルコは、イラク、シリアにおいて、ダーイシュを含め多数のテロリストのパトロンである
ことは周知の通りだ。トルコは、かつて欧⽶列強がやっていたのよりもっと汚い⼿段を
もって、政治不安の近隣諸国に介⼊しトルコ製品のはけ⼝を⾒出している。エルドアンの
強権政治が⽬指す「新オスマン主義」の正体を⾒た気がした。それが、かつてのオスマン
帝国と異なるのは、「パクス・オトマニカ」の代わりにテロの恐怖を拡散することだ。
13 アラビア語で「島」の意。チグリス・ユーフラテス川に挟まれた地域を指して呼ばれる。
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