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映画『ウリハッキョ』上映と朝鮮学校の生徒との座談会
- 1. 2010 年駒場祭講演会
映画『ウリハッキョ』上映と朝鮮学校の生徒との座談会
講師 : 朝鮮大学校生徒 3 名 (弁護士)
外国語学部 3 年 金玉順(キム・オッスン)さん
今日はお招きいただき、ありがとうございます。それではさっそく、朝鮮学校について、
今からお話ししたいと思います。至らない点が多いと思いますが、最後までお付き合いお
願いします。まず、私たちの母校である朝鮮学校について紹介をしたいと思います。
朝鮮学校の始まりは 65 年前の戦後まで遡ります。当時日本にいた朝鮮人の多くは祖国に
帰ろうとしました。しかし、朝鮮人たちが当時もっとも心に痛めていた問題がありました。
それは、日本で生まれ育った子供たちが母本語を知らないということでした。そこで、子
供たちが祖国に戻る前に自分の国の言葉を学べるように作られたのが国語講習所でした。
これが日本での民族教育の始まりになります。国語講習所は戦後すぐに、日本中のあちこ
ちに作られました。しかしすぐに状況が変わって、朝鮮人たちが容易に帰国できなくなり
ました。戦後すぐに朝鮮戦争がはじまり、南北が分断されたのが大きな理由になります。
そこで、朝鮮語だけではなく、長期的なスパンで朝鮮の歴史や地理や理科などを母国語で
教える形態に発展しました。ここで大きく変わったのは、帰国を断念せざるを得なかった
在日朝鮮人が日本に永住するようになって、教育自体も、祖国への帰国の準備を前提とし
たものから、徐々に日本に住みながら民族性を守っていくということを前提としたものに
代わっていったとのことです。このころから民族教育の体系化が押し進められ、朝鮮語の
教科書を使った教育が始められるようになりました。こうして学校としての体系が整って、
(日本政府から)認可を得たものが、今の朝鮮学校になります。
現在、朝鮮学校は全国に 10 校あります。(スライドを映しながら)ご覧のとおり、北は
北海道から南は九州まで各地方にあります。学生数は全国に約 1 万人、日本に住む在日朝
鮮人学生の 25%を占めます。これは決して多い数字ではありませんし、学生数減少がと
ても深刻な問題として当たっています。近年に至って、実際に多くの学校が運営難にあ
- 5. います。
高校無償化問題もその一つです。とりわけ在日朝鮮人問題の発生及び長期化の要因から考
えても、朝鮮学校除外は矛盾に満ちています。そもそも、日本の植民地支配の結果として
朝鮮学校が日本に存在することになったのであり、その根本問題が解決されないまま、戦
後半世紀以上に渡り問題が先送りされたことによって、今日の問題が生じているのです。
韓国併合条約が強制締結されて、日本が朝鮮半島の植民地支配を始めてから、(2010
年)8 月 29 日でちょうど 100 年を迎えました。日本は 1945 年の敗戦まで朝鮮半島を植民
地支配し、この間、1919 年の 3.1 抗日闘争などを武力で鎮圧し、神社参拝や日本語の使
用などを強制して、多くの朝鮮人を炭鉱や工場、軍隊などに動員しました。1945 年 8 月、
日本の敗戦によって朝鮮は解放されることになりました。日本の植民地政策の最も残酷な
罪悪の一つは、皇国臣民化教育、いわゆる同化教育を強力に推し進めることによって、朝
鮮の未来である朝鮮人子弟を徹底的に日本人化したことです。その結果、解放後、朝鮮人
子弟は母国語である朝鮮語を話すことができませんでした。朝鮮の解放と同時に、日本で
の生活を余儀なくされた朝鮮人は、奪われた我々の祖国の言葉と民族の歴史、文化を取り
戻そうと、差別と極貧の中から、自らの手で日本各地に国語講習所を開設し、子供たちに
対する民族教育を開始しました。過去清算の見地から考えても日本政府は当然のこととし
て朝鮮学校を優待すべきであるにも関わらず、無償化措置から除外することは、非道卑劣
としか言いようがありません。この問題は朝鮮と日本の外交問題ではなく、日本社会の人
権問題であり、日本人が面と向かって取り組まなければならない課題だと思います。
在日朝鮮人の人権問題は、言うまでもなく、日本の植民地統治の結果生じたものであり、
日本政府は被害回復のための、歴史的、法的、道義的責務を負っています。しかし、日本
政府はただの一度も、朝鮮植民地統治を謝罪し在日朝鮮人問題の改善に乗り出した例がな
く、民族教育(問題)に象徴されるように、一貫して在日朝鮮人の基本的人権を踏みにじっ
てきました。朝鮮高校を政治的理由でもって狙い打った高校無償化からの除外は、植民地
主義の隠蔽、正当化が潜んでいて、これは 100 年に渡って継続している植民地主義の具
体的な行為であるといえます。
朝鮮学校は在日同胞の抵抗と解放と誇りの象徴です。私たち在日朝鮮人にとってこの問題
は、日本社会がどのような社会であり、権利獲得の方とはどのようなものであるのか、を
- 7. じて、私たちの存在を理解し、手伝い、助けてくれる日本人が、こんなにもたくさんいる
んだということを知りました。最後に、高校無償化は適用されなければならない当然の権
利であり、私たちはその権利を獲得するまで、これからも活動を続けていきたいと思いま
す。
以上です。
教育学部 3 年 金泰優(キム・テウ)さん
アンニョンハシムニカ。僕が今日 3 人目で、最後にお話ししたいことは、民族教育、ウリ
ハッキョの魅力と素晴らしさについてお話ししたいと思うんですけど、先ほどウリハッ
キョの映画を皆さんご覧になったと思うんですけど、僕が説明しなくてもウリハッキョの
映画を見てもらえば全部分かっていただけるかな、というくらい素晴らしい映画だと思い
ます。
ウリハッキョの映画で色々見て分かる通り、本当に日本学校と民族学校(ウリハッキョ)
とは、全く違うと思います。何が違うかというと、具体的にお話ししたいと思うのですが、
最初にオスンさんが説明したんですけど、日本全国にある朝鮮学校、私たちのウリハッ
キョでは、何よりもまず、民族的自主意識というものを育てるための教育に力を入れてい
ます。日本で僕たちが生まれ育って生きていく中で、朝鮮人としての民族心を持たないと
いうのは、日本人として生きているのと同じだと思うし、自分が何者なのか分からないと
いうのは、世界中で国際化が進む中で、自分の民族のアイデンティティをしっかり守って
自分の民族のことをちゃんと知って、自分の国に対して誇りを持って、民族的自負心を抱
いて生きていくことは、今日非常に重要なことだと僕は思います。日本で生きる自分が一
体何者なのか、在日朝鮮人というのがどんな存在で、自分はこれから日本で何をするべき
なのか、また、自分の民族の言葉、文化、歴史、そういったものを学んで行く過程で、自
分も朝鮮の民族性を大事にして、自分が朝鮮人だという誇りを持ってほしいという願いを
込めて、在日一世二世の同胞たちがウリハッキョを建ててくれました。
また、ウリハッキョでは、「みんなは一人の為に、一人はみんなの為に」、'One for All,
All for One' というのがありますけれど、それを教育理念として結構重視しています。基
- 12. Q. 映画を見ていて民族教育は素晴らしいものであるとは思ったのですが、日本と朝鮮が
仲良くなろうという上で、朝鮮側もテポドンとか拉致とかの問題があって、そのような問
題はどのようにお感じなのか聞きたい。
A. (金玉順さん) まずは、テポドンに関してですが、テポドンは一般的に日本ではミサ
イルだと報道されていますが、これは、私も実際に朝鮮民主主義人民共和国に祖国訪問し
て聞いてきましたし、工学博物館にも訪ねて実際に模型を見たりしましたが、人工衛星で
す。決してミサイルではありません。
拉致問題に関しては、本当に私も最初に聞いた時には胸が痛かったですし、やはり人道的
にしてはいけないことだったと思って、胸が痛かったです。ですが、その後(拉致問題が
発覚した後の時期)に、(テポドンや拉致問題などについて)一般的に知られていること
はメディアを通して知られていくのですが、新聞やテレビ、雑誌などは、「朝鮮民主主人
民共和国」という単語が出なくて、「北」といえば朝鮮民主主義人共和国として通ってし
まっている、そのような(不正確な)メディア報道を通して、間違った報道がされている
ことが問題だ、と私は思います。一般市民の方々は学者でもないのでメディアを通して情
報を得るのですが、そのようなメディアを通して間違った情報が社会に溢れてしまって、
「朝鮮民主主義人民共和国=朝鮮総連=朝鮮学校」という(間違った)公式の中で、朝鮮
学校も色々弾圧を受けたりしている、ということに問題があると、さっきも申しあげまし
た。
(金星娘さん) (テポドンは)人工衛星なんですけど、仮に(朝鮮民主主義人民共和国
が)ミサイルを撃ったとしても、これは国際法にも違反していないことですし、今まで
40 ヶ国以上が毎年何百回ものミサイル実験を行っていて、これも国際法には触れていな
いので、朝鮮民主主義人民共和国が人工衛星を打ち上げたことを、あたかも国際法に違反
したかのように報道しているということです。日本も(人工衛星の)打ち上げをやってい
ることを朝鮮には知らせていないし、報道するなら朝鮮だけではなく全部の国を報道すれ
ばいいと思うし、そこまでいうのであれば日本も(人工衛星を)打ち上げることを自粛す
べきではないかと思います。
A. (朝鮮学校で学ぶ「民族性」というものは)ウリハッキョに通っている学生やその両