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- 5. その後、三島市六反田より久保町を経て三島町(待現三島田町)及び久保
町より分岐して三島伝馬町(現三島神社付近)に至る路線の延長を計画,
明40.9.25認可.翌41.1.7伊豆鉄道踏切交差点を除き工事施行の認可がおり。
夏ごろ久保町を経て三島町間が開業した.ただし伊豆鉄道との平面クロスが
認可されないため,お客は踏切を挾んで徒走連絡しなければならなかった。
しかし明41.10.1伊豆鉄道よりその承諾が得られ,
明41年末初めて沼津駅前一三島町間が全通し,三島の中心街と沼津の連絡
がほぼ完成したが,久保町一伝馬町間は未着工のまま終わってしまった。
この後,駿豆電気鉄道は明45.4.1伊豆鉄道(三島町一大仁間,現伊豆箱根本
線の一部)を傘下におさめて今日の伊豆箱根の基礎を作ったのである。
大3(1914)限りで三島広小路一三島町間の市内線が運転を休止し,大4・1限
りで廃止されている。
こうして,車庫も三島町に移され,三島広小路一三島町間は本線に乗入れて
沼津一三島町間の直通運転が行なわれ,大東亜戦争中の数年を除き
昭24.3.31まで続いてきたのである。
- 14. 駿豆電気鉄道年譜
明治
29年 5月 3日:駿豆電気株式会社 創立
36年11月12日:三島市六反田(現三島広小路)~沼津市三枚橋(現平町)間、免許
38年11月 1日:三島市六反田より沼津駅前間のうち、5.9kmの敷設工事開始
工費約15万円
39年 4月 :車庫建設工事完了
39年 5月 :電車専用の黄瀬川架橋工事完了
39年 6月~ :道路拡張工事着手
39年 6月25日:沼津三枚橋~上土291番地間、免許
39年 6月30日:沼津三枚橋平町~志多町~城内字城内~城内字城内291番地(現
沼津駅前)間、免許
39年 7月~ :軌道敷設工事に着手
39年 9月~ :架線工事に着手
39年11月 1日:社名を駿豆電気鉄道株式会社と改称
39年11月10日:鉄道敷設工事 竣工
軌間1,067mm 架線電圧600ボルト
4輪電動車6両 付随車1両 付随4輪貨車4両
待避線4箇所
39年11月28日:営業開始 開通祝賀式行う(日本で9番目、静岡県下では初)
三島町六反田(現広小路町)から沼津三枚橋間を運転開始しました。
40年10月5日三枚橋から沼津駅まで延長きれる。
年譜
- 16. 昭和
13年 4月:箱根遊船株式会社と合併 社名を駿豆鉄道箱根遊船株式会社と改称。
15年11月:社名を駿豆鉄道株式会社と改称。
16年 8月23日:大雄山鉄道株式会社(小田原~大雄山)を合併。
*駿豆線、沼津~三島広小路間の軌道線(チンチン電車)、大雄山線の3線を有する。
20年 7月17日:沼津市石田坂で激しい空襲にあい、モハ1型No.2が戦災車となる
*戦争で男子社員が減少、大半の従業員が女性となり、軌道線のハンドルも女性が握る
ことが多かった。
32年 6月 1日:社名を伊豆箱根鉄道株式会社と改称。
36年 6月28日:大雨により黄瀬川橋流失 バスによる代行運転開始(沼津駅前~国立
病院前)。
*その後も国立病院前~三島広小路は電車運転を続けたが、競走路線のバスの跳梁、
モータリゼーションの発達、国道1号線三島バイパスとの交差問題など、その他諸問題も
ある。
昭和37年廃線を決定
38年 2月 4日:沼津~三島広小路間軌道線 廃止
*57年間にわたる歴史に幕を閉じる バスによる代行運転開始(1日80往復を運転)