Mamina 2011 (1)
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プラトン
紀元前427年~紀元前347年(80歳没)
アテネの名門に生まれ。
父方は王政時代の最後の王様の子孫。
母方はギリシア七賢人(けんじん)の1人ソロンの親族の
子孫。
教育をしっかりと受けていた。
詩を書くことが趣味だった。
政治家を目指していた。
彼が生きた時代はまだ様々な政権の思想ができ始めたば
かりだった。すなわち、プラトンが唱えた理想の国家も
新たな政権の思想の一つだったといえる。
のちに、アリストテレスに大きな影響を与える。
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ソクラテスと出会う
プラトンは競演会に向かう途中で、
偶然ソクラテスの演説を聞き、そ
の演説に感動し政治に興味を持ち
始める。
20歳前後に、ソクラテスに弟子
入りする。当時のソクラテスは6
2歳だった。
ソクラテスから大きな影響を受け
る。
ソクラテスを尊敬し、のちに彼の
思想を書いた論文を発表する。
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ソクラテスの死
プラトンが28歳の時にソクラテスが死刑に
なる。
ソクラテスの死後、政治家の夢から身を引い
て哲学を学び始める。
ソクラテスが有罪だったため、その弟子だと
敵視されたためメガラに身を隠す。
イタリア、シチリア島、エジプトを旅する。
この時ピュタゴラス派と交流を持つ。
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プラトン主義
「永遠の真理」
「永遠の善」
「永遠の美」
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動機は・・・
ソクラテスを死に追い込んだ
アテネ社
会
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考え方の違い・・・
ソフィストとプラトン
プラトンの考え方
ソフィスト(法律家)
たちの考えは・・・ は・・・
悪い事の基準は、状況や 悪い事の判断をする確かな
場所によって変わる(何 基準は、人によっても場所
が正しいか正しくないか によっても変わらない永遠
は、時と場所・人によっ で絶対の判断基準
てちがう)
これがイデア論
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考え方の違い・・・
詩人とプラトン
詩人追放論をプラトンは彼自身の理想の「国家」で唱えた。
理由は「神々が姦淫(かんいん)したり、酒を飲んだり、悪巧(わる
だく)みしたりするような物語は、知らせないほうがよい」と考えた
からである。
しかし詩人の詩を全面的に否定していたわけではない。幼少年教育の
時期に悪影響とみなされていただけ、成人すれば教えてもよいと考え
ていた。
たとえば「パイス」(童歌)など、子供が寝る前に母親に読んでもら
うような物語は教えないほうがいいとプラトンは考えていた。
当時は神々の欠点や卑劣な部分を書いた詩が多かったため教育にはよ
くないとプラトンは判断した。
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イデアとは
「本当の自分」「本当のあの人」という言葉で表さられているのがプラトンの言う「イデ
ア」
現実の世界と真実(真の)世界の二つの視点を観察することを指す。
二次元論
現実の世界のものはイデアの世界の反映したもの。
プラトンは、現実に生きている人間が、その知性によってイデアを知ることができると考
えていた。
現実に存在する物・人にはイデアの世界(彼らが思っている・想像している理想の世界)
があるという思想。
そしてその中でも一番すぐれているものは「善のイデア」と考えられていた。
例:絵描きが絵を描こうとイメージする。このイメージがイデアの世界のもので、現実に
は全く同じ状態で存在しない。
イデアの世界
資料 のもの
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体がモデルの国家
プラトンの考える国と
は・・・
一部の欲の強い人たちにまかせ
人間の体の仕組みを参考 る民主主義ではなく、本当に存
在するイデアを認識した何人か
の哲学者が支配する。
現代の三権分立に繋がっている
体全体を管理(国家の先頭に立って
頭 国全体を治める人、すなわち王様)
胸 強い意志をもって国を守る兵士
国家の生活必需品を生産する農家や
下半身 商人
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しかし・・・
けれども、民
イタリアのシ
主主義の失敗
シリー島にあ
を目の前で見
自由を無視し るシュラクサ
ていたプラト
た社会主義と が、あまりに イで彼の理想
ンには、理想
思われがち も現実離れし の国を作ろう
的な国とはこ
だったプラト ていたため としたが、二
のような能力
ンの理想国家。 度試してみて
による国家し
二度とも失敗
か考えられな
した。
かった。
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プラトンのイデア論
は、作り物には当て
はまっても、生き物
には当てはまらない
ものだった
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なぜならプラトンが唱えたイデアの世界
ではすべてが永遠に存在する、または完
全な物、といわれていた。そして、私た
ちが現在生きている世界はイデアの反映
だといわれていた。しかし、私たちが存
在している世界がイデアの反映の世界と
いうのならば、私たちも永遠に存在して
いるはずである。しかし私たちは永遠に
生きているわけでもないし、完璧なわけ
でもない。よって、プラトンが唱えた説
は間違った説だったのだ。