日本認知科学学会大40回大会 オーガナイズドセッション3 「愛」の定義を拡大する - 生物学的基盤からナラティブまで – 発表資料 概要： 人間同士の愛は、家族愛や人類愛のような社会的で抽象的なものから、性愛のようなより個人的で身体的なものまで幅広い。本講演では、講演者がこれまで携わってきた身体性認知の認知科学的研究から、広い意味での身体というものを通して、愛という現象にどこまでアプローチできるかを議論したい。例えば、ラバーバンド錯覚は、視覚と触覚の同期刺激により生じる身体所有感の錯覚だが、ただ触るよりも、ゆっくりとした優しい触れ方の方が錯覚が強くなることが知られている。一方で、身体完全同一性障害として知られる精神状態では、自分の四肢の存在への強烈な違和感から、手足の切断を試みる人もいる。このように自己の身体経験には、常に情動的側面が存在する。ここでは、予測情報処理による自己身体経験の認知プロセスの理解などを援用しつつ、身体そのものへの情動的欲求が、いかにして自己の身体を超えて、他者の身体への愛欲へまで広がるのかを議論したい。

1. 予測としての身体と愛
鈴木啓介
北海道大学
人間知・脳・AI研究教育センター
日本認知科学学会大40回大会 オーガナイズドセッション3
「愛」の定義を拡大する - 生物学的基盤からナラティブまで –
2023年9月9日（土）15:40-17:40

2. The Art of Loving (Erich Fromm, 1956)
精神分析家であり社会哲学者でもあるエーリッヒ・
フロムが1956年に発表した著書
愛は感情ではなく技術的な実践である
大多数の人々が「愛の問題を、愛する能力ではなく、愛
されることの問題」としてとらえている
他者を愛そうとする試みは、隣人を愛する能力、真の謙
虚さ、勇気、信仰、規律なしにすべて失敗に終わる
愛の種類
恋愛
親子の愛
兄弟愛
性愛
自己愛
Fromm, Erich (1995) [1956]. The Art of Loving. Dublin: Thorsons.

3. 恋愛とは？
人間はもともと動物界の一員であり調和の状態にあった。
人類は、理性を発達させることによって、この調和から離れ「自分自身を意識する生
命体」とし、動物界の牧歌的な状態から遠ざかってしまった
この調和からの離別こそが、フロムにとって「すべての不安の源」
である
男と女が互いの「違い」を意識するようになったときこそが、恥、罪悪感、不安の源
であり、愛による再会こそがこの「違い」の感覚を克服することを可能にする。
(Fromm 1995, p. 9.)
Fromm, Erich (1995) [1956]. The Art of Loving. Dublin: Thorsons.

4. 今日のはなし
調和としての愛：自己身体と他者身体の調和
 個人を超えて経験される身体体験から、他者を巻き込んだ自己
というものを考えてみたい
目次
 自己身体と情感性
 自己身体と他者身体の共有
 相互作用主義：自己と他者、２つで１つ

5. 自己身体と情感性

6. 幻肢
四肢の切断手術のあと、ないはずの手や足を感じたり、痛みを感じたりする
ミラーセラピーにより痛みが軽減する(Ramachandran et al., 1995）
身体感覚は物理的身体というよりも、脳の中で作り出されている
V S Ramachandran, D Rogers-Ramachandran, S Cobb (1995) Touching the phantom limb, Nature

7. 四肢切断愛(Apotemnophilia)
身体完全同一性障害 (Müller, 2009)
四肢（通常は脚）の切断や 麻痺への強烈な願望が特徴
精神的な身体イメージと物理的な身体との間のミスマッチ
自分で体を切断する人もいれば、外科医に切断を切断を依
頼する人もいる
性同一性障害との関係
性的嗜好と関連しているという証拠はないが、性同一性障
害や性的倒錯を持つ人との間には相関関係があるとされる
Müller S. (2009) Body integrity identity disorder (BIID)--is the amputation of healthy limbs ethically justified? Am J Bioeth. 9(1):36-43.

8. ラバーハンド錯覚
Botvinick & Cohen (1998) Rubber hands ‘feel’ touch that eyes see, nature
身体所有感の錯覚
視覚刺激と触覚刺激を一致させることで、ゴム製の偽物の手を自分の
もののように感じる (Botvinick & Cohen 1998)
視覚刺激と触覚刺激が同期していないと、錯覚は消失する
The Rubber Hand Illusion - Horizon: Is Seeing Believing?
https://www.youtube.com/watch?v=sxwn1w7MJvk - BBC Two

9. 内受容感覚ー身体内部からの情報
内受容感覚
身体内部からの生体維持に関わる生理状
態を伝える感覚情報であり、心房や頸動
脈の伸張受容器から感じる心拍や、血流
量、温度、酸素レベル、内蔵感覚を含む
(Craig 2009)
不安や気分障害の強さと内受容感覚の感
受性が関係 (Domschke et al., 2010;
Dunn et al., 2007)
身体所有感：ラバーハンド錯覚が強く生
じる人ほど、心拍感受性が低い
(Tsakiris et al, 2011)
Craig (2009) How do you feel — now? The anterior insula and human awareness, Nature Reviews Neuroscience
Tsakiris et al. (2004) Just a heartbeat away from one's body: interoceptive sensitivity predicts malleability of body-representations, Proc. R. Soc. B
Interoception: the perception of the physiological condition of the body
(Critchley et al 2004, Craig 2009)

10. Pulse Oximetry
(Nonin A8000)
Head mounted display
(Sony HMZ-T2)
Depth Camera
(Microsoft Kinect V1)
心拍ラバーバンド錯覚
拡張現実を用いた心拍信号の視覚フィードバック
深度カメラで取得した実験参加者本人の手の３Dモデル
をリアルタイムで作成
ヘッドマントディスプレイ越しに、実際の手とは20cm
離れた位置に「偽物の手」を呈示する
偽物の手には、心拍信号に同期（あるいは非同期）した
タイミングで、色を変化させる
Suzuki et al., (2013) Multisensory integration across exteroceptive and interoceptive domains modulates self-experience in the rubber-hand illusion, Neuropsychologia.

11. Suzuki, et al. (2013) Multisensory integration across exteroceptive and interoceptive domains modulates self-experience in the rubber-hand illusion, Neuropsychologia
主観的な固有感覚のずれで計測されるラバーバ
ンド錯覚の強さが、心拍に同期した視覚フィー
ドバックのときに大きくなることがわかった

12. ラバーバンド錯覚と「感情的な」タッチ
感情のこもった、心地良いタッチ
毛の生えた皮膚を、心地良い触感の素材で、遅い
速度（3cm/s）でなでるとき、ラバーハンド錯覚
が最も強く生じる (Stralen et al., 2014)
心地が良く、官能的な触覚刺激は、通常の触覚経
路（ Aβ線）とは異なるC触覚繊維による神経経
路で後部島皮質などに直接伝達される(Loken et
al., 2009, Morrison et al., 2011)
C触覚繊維：触覚によって快や不快、安心感や嫌
悪感といった情動を喚起させる官能機能をもつ
Stralen et al., (2014) Affective touch modulates the rubber hand illusion. Cognition
Crucianelli et al., (2018) Interoceptive ingredients of body ownership: Affective touch and cardiac awareness in the rubber hand illusion, Cortex
Stralen et al. (2014)

13. 前部島皮質(AIC)の活動
が生じるタスク
両側のAICの活性化
エラー検知・知っている感じ・自由不
意思・時間知覚
右のAICを活性化
痛み・冷たさ・熱さ・心拍への気付き
左のAICの活性化
母親が自分の子供の写真を見たとき
幸せな声を聞いているとき
心地よい音楽を聞いているとき
Craig (2009) How do you feel — now? The anterior insula and human awareness, Nature Reviews Neuroscience

14. 身体と情愛
自己身体の経験は、知覚的であるとともに情愛的である
心拍の視覚フィードバックによるラバーバンド錯覚
ラバーバンド錯覚と心地良いタッチ
C触覚繊維と島皮質
内受容感覚がつくる自己意識
 島皮質後部から島皮質前部にかけて、身体の生理
状態の一次表象から、感情的な意識を生み出す内
受容的表現へとの統合が進行し、ある瞬間の知覚
的自己である「グローバルな感情の瞬間」を作り
出す(Craig 2009)
 他にも、Damasio (2000), Seth & Friston (2016),
Seth & Tsakiris (2018), Solms & Friston (2018),
Solms (2021)など
Craig (2009) How do you feel — now? The anterior insula and human awareness, Nature Reviews Neuroscience

15. 自己身体と他者身体の共有

16. ミラーニューロン
サルの運動前野(F4領域)で見つかった多感覚ニューロンが、自分が運動するときと、他者の運動
の観察しているときで同じように活動することが分かった(Rizzolatti & Craighero, 2004)
自分の運動と他者の運動を区別しない、自他共有の運動を表象している
Rizzolatti & Craighero (2004) The mirror-neuron system Rizzolatti et al., (2009) Mirror neurons and their clinical relevance
Giacomo RIzzolatti BCBT 2017 Lecture
https://youtu.be/i3rZ8TKm_z0?t=441
Rizzolatti et al., (2009)

17. サルの頭頂領域（VIP/PFG)の
視覚・触覚バイモーダル
ニューロンの一部からミラー
タッチニューロンは見つかっ
た (Ishida et al. 2015)
触覚のミラーシステム
サルの頭頂領域から、自分が顔が触れられたときと、他者の
顔が触れれているのを観察しているときに同じように活動す
るニューロン群も見つかっている (Ishida, Nakajima, Inase,
& Murata, 2010)
自己と他者の身体表象を共有することで、共感などの機能と
関連か
Ishida et al (2010) Shared mapping of own and others' bodies in visuotactile bimodal area of monkey parietal cortex, J Cogn Neurosci.
Ishida & Suzuki, et al. (2015) Predictive coding accounts of shared representations in parieto-insular networks, Neuropsychologia
石田 裕昭
(東京都医学総合研究所)

18. ヒトにおける身体共有体験
ミラータッチ共感覚
他人の身体が触れられているのを見ているだけで、実際に自分の体が触られ
ているわけではないにも関わらず、自分の身体の対応する場所に触覚を感じ
る現象(Blakemore et al., 2005)
一部の人にのみに生じる現象で、共感覚の一種とされる
身体パラフレニア(somatoparaphrenia)
自己身体所有の否認：麻痺側身体を自分の身体であることを強く否認し、身
近な他人（家族や医者）のものだと信じ込む（作話や合理化をともなう）
自己身体を空間的に異なる場所に経験する（ラバーバンド錯覚）のでも、自
分と他者の知覚を混同する（ミラータッチ共感覚）のでもなく、まさに身体
所有感の変性が生じる
鈴木啓介(2016) 共感覚から見えるもの – アートと科学を彩る五感の世界（北村紗衣 編） 第一章「ミラータッチ共感覚と身体的自己意識 」

19. 予測情報処理による身体共有体験のモデル
ミラータッチ共感覚を多感覚統
合の予測情報処理モデルで説明
自分の体への視覚と体性感覚か
ら作られた自己と他者に共有の
身体表象があることで、他者へ
の触覚刺激の視覚による観察の
みから、擬似的な触覚体験が可
能になる
Ishida H., Suzuki K., & Grandi L.C., (2015) Predictive coding accounts of shared representations in parieto-insular networks, Neuropsychologia.

20. ２つの自己システムと身体パラフレニア
Ishida H., Suzuki K., & Grandi L.C., (2015) Predictive coding accounts of shared representations in parieto-insular networks, Neuropsychologia.

21. 自己身体と他者身体の共有 まとめ
自分と他人の身体感覚の共有が生じるケース
ミラータッチ共感覚
身体パラフレニア
ミラータッチ共感覚は触覚の共有であり、身体所有感は共有していない
一方、身体パラフレニアでは身体所有を他人に帰属してしまう
患者の身体所有は、親しい他者（家族や医者）の身体にしか帰属されない
物理的な自他を区別しない「自他共有」身体システムがあるようだ

22. 相互作用主義：自己と他者、２つで１つ

23. 自閉症・オキシトシン・内受容感覚
自由エネルギー原理
オキシトシン：幸せホルモン
 オキシトシン：内受容信号の伝達に影響し、生体恒常
性と生殖に関連する内部環境の情報を提供する(Ropper
and Samuels, 2009)
 中枢神経系では、オキシトシンが向社会的行動や所属
行動を増強することで、繁殖の成功に導く
内受容予測情報処理とオキシトシン
 内受容推論においてオキシトシンは、予測誤差の相対
的精度を調節する役割を持つとされる（cf. 知覚推論に
おけるドパミン）
自閉症とオキシトシン
 自閉症は、オキシトシンを介した内受容信号の調節の
機能障害による、自己モデルの発達障害や、他者の感
情推定の失敗として説明される
Quattrocki & Friston (2014) Autism, oxytocin and interoception. Neurosci Biobehav Rev.
社会的相互作用には、他者行為の観察時の固有感覚の減
衰と同じように、他者の情動状態を推測する時に内受容
感覚の減衰を必要とする
内受容信号の精度の調整に失敗すると、自己の感覚を支
える「階層的な自己モデル」の獲得が損なわれ、社会的
相互作用の機能障害につながる (Quattrocki & Friston
2014)

24. 自由エネルギー原理
変分自由エネルギーの最大化によって、知覚・行為・適応・学習・進化を説明し
ようとする規範的モデル（≒最適化理論）
変分原理（最小作用の原理）と情報論的な境界としてのマルコフ・ブランケット
Friston et al., (2023) The free energy principle made simpler but not too simple, Physics Reports
最小時間の原理
マルコフブランケットとしての
エージェントと環境の境界
自由エネルギー原理と最適化理論

25. マルコフブランケットとオートポイエーシス
マルコフブランケットは任意に定義で
きる(Bruineberg et al., 2021)
オートポイエティックな細胞膜をマル
コフブランケットと考えることできる
一方で、個体を超えた複数エージェン
トの変分自由エネルギーも当然考えら
れる
個体単位で考えなくてもいいのでは？
マルコフブランケットはエージェントと環境の境界
Bruineberg et al., (2021) The Emperor's New Markov Blankets, Behavioral and Brain Sciences
Suzuki, Miyahara & Miyazono (2022) Who tailors the blanket?, Behavioral and Brain Sciences
任意の内部状態にマルコフブランケットが定義可能

26. Interactionism
エナクティビズムの社会的領域への拡張
社会的な相互作用のプロセスでは、自分の動きや発話を他者と協調させ
ることが可能である
相互作用のプロセス自体が（操作的に定義される）自律性を持ちうる
社会的認知の問題を、相互作用過程の中でどのように意味が生成され、
変容されるか、という問題として捉え直すことを可能にする。
こうして、社会的理解の責任は、厳密に個人のみから離れて考えること
ができる
De Jaegher & Di Paolo (2007) Participatory sense-making: An enactive approach to social cognition. Phenomenology and the Cognitive Sciences
Di Paolo & De Jaegher (2012). The interactive brain hypothesis. Frontiers in Human Neuroscience

27. 知覚交差実験
２人の被験者は1 次元の空間を左右に動くこ
とができ、「何か」と接触するとお互いに指
に振動刺激を受ける
この空間に存在するのは
両者のアバター
全く動かないオブジェクト
アバターと一定の距離を保ってアバター
と全く同じ動きをする影オブジェクト
相手のアバターを、影オブジェクトや静的オ
ブジェクトから区別するタスク
お互いに触り合うことで、お互いをエージェ
ントとして認識できる
Auvray, Lenay & Stewart (2006). The attribution of intentionality in a simulated environment: The case of minimalist devices.
Di Paolo, et al.,(2008). Sensitivity to social contingency or stability of interaction? Modelling the dynamics of perceptual crossing.
Auvray, Lenay & Stewart (2006)

28. 相互作用を中心とした社会認知
知覚交差実験で生じている身体的な相互作用は、ミニマルで最小限のもので
あるが、我々の（言語を含めた）日常の社会的行動の勘所を捉えている
知覚交差実験での相手の行為者性の検知では、自分も能動的なエージェント
であることが本質的であり、仮に自分が完全に止まってしまったら、相手の
行為者性の検知はできない
つまり、自分の感覚行為は、他者のそれと共にループをなしており、一方を
取り出してきて、他者の心的状態の推論という見方で捉えることは適切な記
述ではないかもしれない

29. Take Home Message
愛とは、自己と他者の調和である
身体経験には「身体所有感覚」のような認知的な要素だ
けでなく、官能的・情感的な側面がある
脳の中の自己には、自分だけのものではなく、（近し
い）他者の身体も含めて表象している証拠がある
愛のような関係性に基づく概念にアプローチするには、
自己と他者をまとめて１つとして扱ったほうがいい（こと
もある）

30. 謝辞
Seth, A.K., Suzuki, K. & Critchley, H. D. (2011) An interoceptive predictive coding model of conscious presence. Frontiers in
Psychology, 2, 395.
Suzuki, K., Garfinkel, S. N., Critchley, H.D., Seth, A.K. (2013) Multisensory integration across exteroceptive and interoceptive
domains modulates self-experience in the rubber-hand illusion, Neuropsychologia, Nov;51(13):2909-17.
Ishida H., Suzuki K., & Grandi L.C., (2015) Predictive coding accounts of shared representations in parieto-insular networks,
Neuropsychologia 70, 442-454.
鈴木啓介(2016) 共感覚から見えるもの – アートと科学を彩る五感の世界（北村紗衣 編） 第一章「ミラータッチ共感覚と身
体的自己意識 」
Suzuki, Miyahara & Miyazono (2022) Who tailors the blanket?, Behavioral and Brain Sciences
@ksk_s
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