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沼津市水道事業事始め
昭和25年泉水源給水開始
先見性がある先人のお陰です。
沼津の宝 第一号
塩谷六太郎氏座談会シリーズより
塩谷六太郎座残会シリーズ(六太郎氏90歳時)
自分の一番の名誉と思っているのは、いま柿田川の(水の汚染)問題を騒いで
いますね、柿田川の水源を。誰もがあの柿田川の水源は、十分にあって清水
であるという。沼津で一番先に水源をあそこに求めて水道を引いたのは誰
かっていうと、これに対して市民は誰も理解していないけれども、私が海軍か
ら払い下げを受けて、湧水の権利を京都まで行って、元の(持ち主の)製紙会
社から買った。ただの二十万円で買って、沼津に初めて水道を引いた。水源
には、水がなくて困っていた時に。それを引いてから、東京都から二百万人の
人口分だけ分けてくれって言ってきたのを拒否したこともある。(補助者:当時
の建設大臣の河野一郎氏より要請)そういう風に若い時には、苦労もしたけど、
市民のために市長としての責務を果たしたつもりだが、今はみんな忘れてい
ますよ。この水源は沼津だけですよ。静岡県でも、一番先にしたのは柿田川。
それを今になって水は良い水だと。そんなことは昭和二六年に沼津が水道計
画した時にわかっている。
沼津市史研究第1号 塩谷六太郎氏座談 補正
ただ、当時の事情に詳しい沼津市役所職員(退職者)に聞く
と、この証言はやや正確さを欠くようである。正確には、柿
田川の水源はもともと海軍省(技術研究所)にあったが、敗
戦で海軍省が廃止されたため、国有財産の管轄権は大蔵
省にうつった。東海地方の国有財産は名古屋の大蔵省東
海財務局の管轄下にあったので、塩谷市長は名古屋まで
行って許可を得てきた。これにより、それまで井戸水で暮ら
していた沼津市民は、一○○万トン給水(昭和二五年、給
水開始)の恩恵を受けることになったというのである。
(沼津市史 通史編 「現在」平成21年3月31日発行)
昭和35年ごろの塩谷六太郎氏
海軍の遺産・沼津水源地
著者 今井三好
「海軍の遺産・沼津水源地・抜粋」 著者 今井 三好
ちょうど其の頃、東京水道局はこの地方の水源から水をとって箱根越え
で東京迄水を引く計画があるのを知って、水道局を訪れ情報を聞こうとし
たが海軍に取られては困ると考えてか詳細には教えて貰えず、やむなく
自力で現地を調べることになり、沼津駅から徒歩で半日も歩いて現在の
沼津市水源池である柿田川湧水にたどりつきました。それまで写真伝送
や伊豆大島でラジオビーコンの送信所の建設をしていて、水に悩まされ
続けていた私を驚かせたのは、一日の水量が何と一二〇万トンという清
らかな水が渾々と湧き出していることであった。
早速この豊富な水を利用することに決まり、艦政本部ではすぐ予算を
つけてくれたが、同時に地元の利害をも考え市と相談し、経費節減の意
味からも半額を出して貰って市にも水をやるようにとの事であった。早速、
名取沼津市長に其の旨申上げて議会に上程したが、急なことでもあり市
財政の赤字を理由に断って来たので止を得ず海軍だけでつくる事になっ
た。
水源地は静岡県駿東郡清水村八幡泉で清水製紙焼跡一帯がえ
らばれた。工事は横須賀海軍施設部が直営で、私はオーナー格で
指揮に当っていた。工事の中途で、韮山の江川代官がつくったとい
う用水取水口が出て来た。当時ここから田方平野に水を引いていた
と思われる代官の偉大さと遠大さにうたれました。
工事については狩野川の底を通す送水管の前例が我が国にはな
いので、技研の文献室にドイツの文献を取り寄せて貰い、ライン川
の川底の事例を頼りに川底工事に成功いたしました。送水管の径
一二〇ミリのものであった。こうして川底を渡した水をいったん高台
の五〇〇トン入り貯水池にポンプアップして、最高時で一五〇〇人
もいた技研の人達の生活用水と、研究用プールの使用にあてた。
その外の水源地としては江の浦の基地用と多比の工場用をつくりま
した。
その頃沼津海軍工廠が出来ることになって、
東京市水道局から嘱託として海軍工廠に猿
渡さんが来られ、私に協力を求められました
ので音響研究部の工事の忙しい中を許可を
得て香貫山中腹海抜五〇米のところに配水
池を建造した(送水管径五〇〇ミリ)。工事は
カンテラを吊して素掘工事であった。現在の
市水道の水瓶である(現在貯水池を香貫山の
中腹に貯えてポンプアップして大容量の準備
が出来ている)当時は海軍工廠に引く迄には
至らなかったが貯水池は完成していた。
終戦直後沼津市としてもこの水道を移管して貰い度い
との事で芝辻一郎沼津市長から混乱のさなか市産業
課長青木昇平(県会議員)さんを随行させるからという
事で横須賀海軍施設本部の焼津の疎開先又横須賀
の鎮守府にと懸命に廻り管財局に仮移管を御願した。
そのことは沼津市水道事業の沿革の一節に沼津市が
旧海軍から水道の移管を受けた当時の経緯が記され
ている。今にして思えば、沼津市の皆さんは生れなが
らにして良い水に恵まれ、どこを掘っても豊富に水が
出ていたので、何も高い施設費を払って水道をつくるこ
とはないという一般的な考えがあって、当時赤字財政
を理由に水道投資の辞退を申出たのでしょうが、それ
にしても朝に晩にこの水を飲むことが出来る市民は幸
である。
現在二〇万人口で八五パーセントが日量一〇万トン
のこの水でうるおって居り、水道料金も全国一安いと
いわれている。
(一)清水村八幡に水を洩らす話
或る日、八幡の代表数名の方が見えて地元の私
達に海軍の水を分けて貰い度いとの要求があり
ました。地元という事で上司に報告したところ、公
然と水を分けてやる事は出来ないが、洩れる分
には致し方なかろうという事で、私は地元に水を
洩らすことになり、これが現在の清水町に水が行
くことになった元だと思います。
これは概略の部分ですが、今井さんの著書の一
部です、海軍の上水道施設が沼津市のものに
なった経緯が分かると思います。
水道事業の沿革市(HPより)
2.2.1 水道事業等の沿革
本市の水道事業は、昭和 22 年 8 月に創設認可を受け、昭和 25 年 7
月に泉水源地からの送水を始めました。創設事業では、旧海軍が使
用していた施設を譲り受け、これらを活用し、水源地や配水池等の整
備を進めました。また、良質で豊富な水を湧出する泉水源地が清水村
に位置していたことから、両市村の協定により、沼津市と清水村を給
水区域としました。
その後、合併等による給水区域の拡張や簡易水道事業の統合など 5
期にわたる拡張を重ね、
現在、計画給水人口 237,110 人、計画 1 日最大給水量 148,700 ㎥/
日の認可を受け事業を運営しています。
昭和22年 8月 水道事業創設事業認可
昭和25年 7月 泉水源地送水開始
泉沼津上水場関連資料(清水町資料)
柿田川(泉川)
字八幡の一窪地を源としており、ここには大小+数個の自噴湧泉群がある。沖
積層の問な流下し柿田川(泉川)となり、柿田・堂庭地先を通って狩野川に合流
している。
その噴水量は毎秒約一〇立方メール、四季を通じて変化がなく、大雨にも濁る
ことがない。水質の清冷は他に見られない。町名はこの湧水に起因するといわ
れている。渇水期の狩野川本流は、この柿田川の流入によって命脈を保ってい
る。豊富な水量と優秀な水質に着目して、古くからこの利用が計画され、戦国時
代には泉頭城の堀として利川されたこともあったという。現在は沼津市上水道.
源・養鱒場・水田灌漑用水・工場用水などに利用されている。しかし灌漑用水に
利用されたのは近年のことで、この附近は古来から用水が不足し、遠く千貫樋
によって引水していたことは奇異に感ぜられるが、湧水の位置が低いため利用
の技術が及ばなかったためであろう。現在は揚水ポンプによってこの水不足が
解消された。沼津市の上水道源は、この湧水群の一つに護岸工事を施した面
積一〇アールの貯水池からタービンポンプによって香貴山の配水池へ直送して
いる。この送水管は清水町地内八幡・柿田を通って狩野川の底を横断して高さ
五〇メートルの配水池に揚水されている。配水池は香貫山天神洞に築造され、
貯水量三三〇〇立方メートルで、沼津市内・清水町の一部に給水されている。
(清水町誌原稿より)
昭和18年12月4日静岡新聞記事
柿田川から沼津市上水道敷設の見込み
一九四三(昭和18)・12・4
「静岡新聞」昭和18・12・4
沼津市に上水道設置の見込み
【沼津支局】沼津市では年来の懸案たる上水道設置について昨年来○○と折衝、
○○の上水道建設に便乗せんと運動してゐたが、その前途に曙光を見たので土木
課内に水道調査室を設け柳田技師他二名の技手を嘱託、水道建設調査に着手した。
市営水道は人口廿万を目標として計画、第一期工事としては人口十万に給水するも
ので、水源は駿東郡清水村泉、柿田川上流の湧水池に求め香貫山に貯水池を設置
するもので、資材も時局柄鉄管を用ひぬやう技術的な研究を行つてゐる
なほ市営水道実現が決定すれば現在市内各地域にある簡易水道(組合営)も統合買
収されるものと見られる
(清水町史より)
沼津市水道に関し清水村との契約締結式
沼津市水道に関し清水村との契約締結式の件
一九四九(昭和24)・6・6
久米田 峰田清一家所蔵
昭和二十四年六月六日
清水村長
清水村水源地委員長
村会議員 峰田泉殿
沼津市水道に関し清水村との契約締結式の件本村八幡泉水源地に端を発
する沼津市水道に関し今般沼津市と清水村との問に契約締結の運びと成り
ました就ては左記に依り其後の経過の報告式を施行致しますので御繁忙中
御迷惑ながら是非共御参集煩し度く御案内申し上げます
記
一、日時 六月七日 午前十時 式始め
午前十一時 終了の予定
一、場所 清水村役場
(清水町史より)
沼津市との水道に関する議決事項
沼津市との水道に関する議決事項
一九四九(昭和24)年6月か
久米田 峰田清一家所蔵
契約書
沼津市水道に関し沼津市と清水村との間に左記条項に依り契約を締結する
記
一、泉水源地の区分は両者の協定により別紙図面(略)に表示する境界線以西
を沼津市、以東を清水村の所有とすべく両者夫々払下げを申請をする
二、清水村地区への沼津市上水道施設は昭和二十五年度より工事に着手し別
紙図面(略)に表示する協定地域に沼津市と並行して施工する
三、清水村地区内の水道料金は本契約に調印の日から清水村で集金の上沼
津市に納付し沼津市はその三十五パアセントを清水村へ支払う。
清水村地区内の水道料金は沼津市給水条例、其の他の規定に準ずるも水道
料金の徴収等に関しては別に定める所による。
四、前号の契約期間は両者協議決定した配水幹線敷設完了の日より向う十カ
年とする。
但し清水村が他市町村と合併した場合は合併の日から契約は自然消滅する
右契約の證として弐通を作製し各壱通を保有する。
昭和二十四年月日 沼津市長 清水村長
(清水町史より)
ご静聴有難うございました。
平成30年1月6日(土)
沼津史談会会員 長谷川 徹

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