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◆沼津の歴史発掘教室(その3)
旧三津坂隧道の最近の調査から
1
渡邉美和*a 長谷川徹*b 奈良部通彦*c
*a WATANABE Yoshikazu 沼津史談会会員 沼津市南本郷町
*b HASEGAWA Toru 沼津史談会会員・沼津市上本通り商店街理事 沼津市大手町
*c NARABE Michihiko 沼津のたからマスター 沼津市大手町
沼津史談会 /フレッシュ150実行委員会共催 「市民公開講座」
2019年2月16日(土) 於 沼津市立図書館第3講座室
渡邉 連絡先 junowat@hi3.enjoy.ne.jp
1 そもそも
この調査は2018年に奈良部通彦が沼津の宝「ぬまづ
100選マスター」に認定されたことから始まった。
その際、奈良部から沼津市長に対して、「沼津の宝」
として選出されている旧三津坂隧道の情けない現状と何ら
かの対処をお願いした。
2
そのために、何よりも、現
状の実態調査や、その文化
財的価値を巡る、同隧道の
歴史的経緯などの調査が始
まった。
2 旧三津坂隧道とは
3
旧三津坂隧道とは、現在の沼津市内浦三津
(旧君沢郡三津村)と伊豆の国市長瀬(旧田方郡
川西村長瀬)の間を結ぶトンネルで、標高約70
メートルの峠の鞍部に建設されている。
なお、現在はすぐ脇に新トンネルが昭和36年
に開通し、旧三津坂隧道は道路としての役目を
終えている。
旧三津坂隧道に関する建設データとしては次のものなどがある。
・「三津の覚書」(*4)
隧道 長さ 九六間(172.8メートル) 幅 二間(3.6メートル)
着工 明治二十五年 竣工 明治二十九年八月三十一日
道路 長さ 六七四間一分(1,213メートル) 幅 二間(3.6メートル)
着工 明治二十九年八月一日 竣工 明治三十年一月三十一日
・旧内浦村史(*5)では以下のようになっている。
明治二十五年内浦街道三津坂隧道長九十六間幅二間の工を越し仝三十年四月
七日に至り隧道以西の道路竣工
3 旧三津坂隧道の建設と明治時代のマグロ物流
4
旧内浦村史は、その「第五節交通」に、以下のように隧道開削以前の状況を伝え
ている。
峯巒湾邊に沿ひ重圍するを以て古来陸路の通行甚だ不便にして何地に行かんとするも流
汗淋漓険路を越へざれば出ずること能はず唯海上舟によるあるのみなりしが明治二十五年内
浦街道三津坂隧道長九十六間幅二間の工を越し仝三十年四月七日に至り隧道以西の道路
竣工し爾後容易に川西村方面に往来することを得東馬の来復一際劇しくまた大船の停泊す
るもの多くなれり続いて同年晩夏新道の改修田村田京に及び茲に於て下田海道に連絡し伊
豆鐵道によるの便を得たり之れより三津海濱に馬車腕車或は自轉車を眸にし京濱地方に輸
送すべき薪炭石材等の埠頭上に堆積し宛然山をなすに至れり
豆州内浦漁民史料」は、昭和7年2月の長浜の大川四朗左衛門翁からの聞き取り
で次のように、おそらく明治初期以前の内浦の漁業の様子を伝えている。
・漁は鮪・メジ・鰹・ハガツヲ・ソウダガツヲなどの鯨に附いて来るために鯨子と云はれ
るものが主であった。(中略)
・シビやメジが捕れると「三津に居るナマシ(生師)が」買って江戸へ送った。
・江戸への出荷は、長瀬のあたりの百姓を集め、馬の背に載せ、行列で「三津坂を越し今の長
岡から湯ヶ島を通つて天城を越えて網代へ出て、そこから押し送り舟で相模灘を乗切り三浦
岬を廻つて江戸」へ出した。「一晩にメジが四千七百本、百七十頭の馬に積ん」だことも記憶
にあった。
4 江戸に内浦のマグロが運ばれていた
沼津江戸への出荷は、長瀬のあたりの百姓を集め、馬の背に載せ、
行列で「三津坂を越し今の長岡から湯ヶ島を通つて天城を越えて網代
へ出て、そこから押し送り舟で相模灘を乗切り三浦岬を廻つて江戸」
へ出した。
5
天城山
天城峠
湯ヶ島
三津
網代港
伊東(宇佐美)
下田 河津
徳永
「湯ヶ島を通つて天城を越え」るのは、
いかにも遠回りである。
例えば地図上で直線的に距離計測す
ると・三津から網代までは直線で約
18kmなのに対して
内浦漁民史料の通りに地名を追ってい
くと、-
・三津-(2.7km)-長瀬-(16.1km)-
湯ヶ島-(7.1km)-天城峠-(21.5km)-
下田-(9.0km)-河津-(32.2km)-伊東
-(9.0km)-網代 これ96.7kmとなる。
5 平伊豆長岡町史の先行研究
6
伊豆の国市の旧伊豆長岡町の町史には、近郊の市町史なども引用しながら、次の
ように江戸時代の現在の内浦地域から網代を経る物流が記載されている。
「江戸では、江戸湾近海で捕れた鯛が高級とされ、江戸っ子の食膳を賑わしたと
いわれる。江戸湾での鯛の不漁のときは仕方がないので伊豆西海岸の鯛を食べたと
されている。この真偽のほどは定かではないが、伊豆西海岸の鯛が江戸に大量に送
りこまれたことは事実である。
それでは、この鯛がどのようなルートを通って江戸まで送られたのであろうか。伊
豆西海岸で漁獲されたといっても、内浦・西浦地方(現 沼津市)である。この地方は
漁村であり、鯛ばかりではなく、鮪・イルカなどさまざまな漁獲物があった。これら漁
獲物を船に載せて江戸まで輸送した。内浦・西浦から直接船で江戸へ運び来んだの
ではなく、ここから馬背につけて韮山中村道を通り田中山を越えて東海岸まで運び、
宇佐美・網代から船に載せ輸送した。この漁荷物を陸路で運ぶ運送業者を「馬士」と
いった。原木村(現 韮山町)・江間村・古奈村などの農民が農業の合間に馬士として
活躍した。このルートでいつから運搬されるようになったのかは、まだ明らかにされ
ていないが、文化・文政期(1804~26頃)に江戸で江戸前寿司が食べられるようにな
り、食生活が豊かになると、韮山の多田家が幕府の活鯛御用を勤めるなど、伊豆の
魚がしきりに江戸へ送り出された。遅くとも文政四年(1821)以前に付け送りを開始し
ていたことがわかっている(『韮山』五下)。」
6 マグロの輸送ルート
これらの分析からのルートをまとめると、
・口野村(現沼津市口野)の魚荷物世話人の下に集められる(ただし、
口野を経由したか否かは不明)。
・長瀬近傍の農家がこれを三津坂経由で(どこまで?)輸送
・その後、原木村・江間村・古奈村などの農民が従事していた運送業者
「馬士」に引渡し。
・旧韮山町中村を経て、網代までの峠越えは田中山経由。田中山は途
中で網代への山伏峠と、宇佐美に向かう亀石峠に分岐。
7
伊豆長岡町史掲載の江戸へのルート
7 輸送ルートの疑問
しかし、まだ分からない点が多い。
8
①内浦からはどのようなルートで出荷されたのか?
②内浦-長瀬経由なら、なぜ直接田中山に向う三福ルートを取らないのか?
内浦-口野なら、そのルートは?なぜそのルートだったか?
内浦-長瀬経由なら、そのルートは?そのルートは無理がないか?
③江間からなぜ更に一旦北上して原木から南下したのか?
⑤なぜ、韮山中村を経由しなければならなかったのか?
④山伏峠越えはなぜ選択されたのか。
8 沼津沿海部と田方平野を結ぶ峠道
9
八重坂
横山峠
志下坂
下志峠(馬込?)
多比口峠
多比江間往還
旧口野切通し
金櫻神社参詣道
三津坂
沼津市の沿海部と田方平野の間の峠
9 内浦から口野への道
10
今でこそ、内浦地区から静浦へ出るのは、海沿いに設けられている道路を用いて
容易に通行できるが、江戸時代以前は海沿いの道ではなく山を越える道であった。
江戸時代天保六年の紀行文「雁がね日記」の記録
「(十月か?)二十六日。とくに立ちてきのふ来にける重須より長浜
の浦すぐる程、富士の峰を見れば、晴れ渡りたる空のちりばかりだ
に雲もかからず、むかひは千本の松原より浮島ヶ原まさやかに見
わたされたり。
三津の浦、小海も過ぎて、重寺といふ所の磯山を登る。(中略)
磯山のけはしさいふばかりなし。こごしきいはほの九折(つづらをり
)を下るほどは、踏みたらん足のたがひなば、やがて海にも落ちぬ
べくおもふより、目もくれ足もわななぐを、いはほ踏みさくみ伝い
行く程の恐ろしさ言はんかたなし。かかる道を十町ばかり過ぎ、か
らうじて口野といふ浦に出でぬ。
(中略) しばし憩ふほど、過ぎし道にこうじたることを語れば、
「そは磯の海士の通ふ道にて、木樵だに行きやらぬ所なり。この
わたりの行きかひの道は里の上なる方にあり。」と言ふ。
11
道路
この部分は山の影に河川が隠れている
道路、朱色との差異の意味不明
この二点印は峠の意か
河川 ここでは狩野川が二
流になっている
。
戸沢川
橋が架かっている場合は、このよう
に橋が図に示されている
10 三津と田方平野の連絡(江戸時代)
「伊豆長岡町教育委員会編集発行、
「天保絵図(部分)」、グラビア
分かりにくいが、長沢村などから続く三
津村、長瀬村付近、長岡村、墹上村、
南江間村、北江間村付近を経て、南江
間村から原木村に通じる朱線が明確に
読み取れる。
12
11 狩野川の渡河(江戸時代)
現在は多くの橋が狩野川にかかっているが、江戸時代までは少なくともその中
流域より下流には橋は架けられていなかった。そして狩野川中流域では「四日町」
と呼ばれていた村がその名のとおり市の立つ集散地であった。
四日町は北条の中心地に近く、現在も続いている八坂神社の「天王さん」の祭
礼は江戸時代も付近の人々を集めていた。現在の沼津市大平からも、人々がこの
夜参りに行っていることが以下のように記録されている。不定時法での当時の「五
ツ」はおよそ20時ころ。そのような時刻に狩野川の渡河が可能な地点であったの
だ。
「(明和七年)六月十三日之夜星月を貫キ、暮合ニハ月ニ近キ星有り、見付候ハ
夜之五ツ時也。貫キ候ハ五ツ半時也。西之方へぬけ飛、其夜北条天王夜参り
之者共見付出し、人々ニ教ヘ申候」
(沼津市立図書館編集発行、沼津資料集成8「大平年代記・大平旧事記」)
余談ではあるが、「星月を貫キ」とは、実際には月が木星を隠した星食又は掩
蔽と呼ばれる現象である。明和七年六月十三日はグレゴリオ暦1770年7月5日
で、観測地を大平としたシミュレーションで再現が確認されている。
12 原木、中村経由のナゾ
13
田中山は幕府が管轄する林であり、夜通行の際は火の番賃を支払う。
・火の番賃としての道路使用料は田中山の山元である中村(現伊豆の国市韮山
中村)が管理していた。
「馬士」は排他的な権利でもあり、誰もがなれもものではなかった。
狩野川の渡河地点は限定されていた。現在の松原橋あたりの渡河地点は、
古くから夜も利用可能なルートであった。
田中山から山伏峠への道は、途中で亀石峠経由で宇佐美にもでることができ、
網代への最短のとうげであった。
原木は、その地域の伝馬制度の下での集散地であった。
13 仮まとめ
14
江戸時代に内浦から江戸にマグロなどが輸送されて、
その経路として当時の三津坂(後の旧三津坂隧道)を経て、現在の伊豆の国市の長
瀬・戸沢を経て、江間からは当時の「馬士」により、原木から山伏峠の管理をしてい
ていた中村を通り、山伏峠から網代に運ばれていたことが推察できた。
内浦の三津坂は重要な駿河湾東海岸と田方平野を結ぶ物流ルートであったこと
が改めて認識できた。
口野経由のルートの検討や、口野切どおし経由の検討がまだ不十分であり、今
後も諸資料を洗い直したい。
とりあえずもう少し詳細なリポートを作成している(A4×17ページ)ので、興味のある方は渡邉宛てにお
問い合わせされたい。
15
14 進行中の2019年の奈良部調査
この土砂を除けて排水を確保すれば、坑内の水溜まりはほぼ解消され
ると考えられます。長瀬側の方が状態が悪い。
三津側はわりあいいです。排水路らしきものもあります。
覆工の石は、たぶん凝灰岩でしょう。凝灰岩は固結がゆるいので数十
年でぼろぼろになります。できれば安山岩を使ってほしかった。よく見
るとやはり目地にモルタルを使っていますね。モルタルが風化して剥落
したので石と石の間に隙間があいてしまう。なにしろ120年も経ってま
すからね。
2個所でPhを測ってみましたが、やはりPh7かせいぜい6でした。
(市委嘱のかつての青木リポートの)温泉成分の析出らしきものは
見受けられませんでした。
茶色っぽく風化した巻石のサンプルは採取してきました。指で簡単
にはがれてしまいます。すでに土になっていると言っても過言では
ありません。ある特定の個所だけです。このままにしておくといず
れ崩壊します。
なぜここだけこうなっているのかわかりません。凝灰岩の質が他と
ちがうのだろうと考えています。
おしまい

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