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《計画と記録》
カナダとアラスカ極北の自然と歴
史を
鉄道と船で訪ねる一人旅
第4部(2):船でアラスカ
内航路
    のフィヨルドを南下
する
旅人 :沖原さん(川口市)
2005年6月22日~7月1
8日
スカグウ
エー
プリンスルパー
ト
ジュノー ( アラスカ
州都)
日
中
アラスカ・マリンハイウエー・
ルート
夜
間
日
中
10 日
9 日
11 日
12 日
ペータースバーグ
港
ペータースバーグはノルウ
エーの遺産が見られることで
有名。北米で最も南の沿岸に
位置するルコンテ氷河を見る
ことができる。
ウランゲリ港
ウランゲリはアラスカで
4番目に古い町で、トリン
ギット、ロシア、英国、米
国の支配を受けた。先史時
代の彫刻や、トーテムポー
ル等を見ることができる。
フィヨルドを行く (そのⅠ:
アラスカ )
14 日
アラスカのスカグウエーからカナダの
ポートハーディーまで、約1800kmの
フィヨルド海岸を6日間かけてクルーズす
る。
9 日:スカグウエーからヘインズまでのリ
ン水
道を双胴船で。
10日:ヘインズからジュノーまでのリン水
道を
アラスカマリンハイウエーの高速船
で。
11・12日:ジュノーからプリンスルパー
ト、迄を
アラスカマリンハイウエーの
フェリーで。
13日:プリンスルパート滞在(乗り継ぎの
ため)
14日:プリンスルパートからポートハー
ディー
迄を BC フェリーで。(そのⅡ)
13 日
ヘインズ
途中寄港地
ペータースバー
グ
ウ ラ ン ゲ リ
ケ チ カ ン
9日のヘインズまでの航路に
始まって、14日夜にポート
ハーディー到着するまで、アラス
カ南部とカナダのフィヨルド海
岸を、クロンダイカーとは逆方向
にその足跡を辿る。アラスカ州
都ジュノーも金の採掘のために
拓かれた町であり、この付近は金
と縁の深い場所が多い。
この沿岸一帯は雨林地帯で降
雨
量が多く、ウランゲリは米国で
一番、
プリンスルパートはカナダで一
番雨
量の多い町である。
運 賃
船室料 設備により異なる
(2,3,4人室、海側・
内側あり )
座席利用の場合は不要
アラスカ・マリンハイウエー・システム 運航スケ
ジュール と 料金
アラスカ・マリンハイウエー・システム
アラスカ州営の旅客海運会社が運行しているシステムである。幾つか
のルートがある中で , 今回利用するのは「インサイド・パッセージ」と
呼ばれる太平洋の荒海と遮られたフィヨルド海岸と島々の間の狭い運
河のような内水路を南アラスカと , カナダ、アメリカ本土の間を結ん
で運行しているルートである。ここでは7隻の船が運行している。ス
キャグウエーとプリンスルパートを結ぶ便、スキャグウエーとワシン
トン州のベリンガムを結ぶ便、区間運航の便がある。
チケットとレシー
ト
運
航
社
スカグ
ウエー
発
ヘイン
ズ発
ジュノー
発
シトカ ペーター
スバーグ
ウランゲ
リ
ケチカ
ン
プリンス
ルパート
着
運航スケジュール
利用した航路
9 日
10 日
第1日目:スカグウエー~ヘインズ間(チル
カット・クルーズ)
第2日目:ヘインズ~ジュノー間(アラスカ・マリ
ンハイウエー)
就航高速フェ
リー
オークベイ・
フェリーターミ
ナル
航路その
1
19日目[7月10
日] ( 日 )
今日の移動予定
Haines Juneau 宿 泊
0945
(アラスカ
マリン・
ハイウ
エー)
1155 Juneau
(歴史地区にある
バー
を兼ねた古いホテ
ル)
注意:チエックインは1時間
前
リン水道をアラスカ州都ジュ
ノーへ
ヘインズを立ち、州都ジュノーへ
ヘインズの宿泊ホテルは、1867年に
ロシアからのアラスカ買収交渉にあたった
長官の名に因んだアラスカ最初の米軍駐屯
地のあった歴史地区、 Fort William H.Seward に
ある。ホテルも当時の建物を使用したビクト
リア調の古いもので、ヘインズただ一つのフ
ルサービスのホテルということになってい
るのだがが、朝はフロントに若いお兄さんが
一人いるだけで、朝食を食べることもでき
なかったし、20km 離れたフェリーター
ミナルまでの送りの車を8時30分にと頼
んだが来たのは9時15分であった。同じ車
を待つ一ヶ月ラフティングをしてきたとい
う若いアメリカ人の兄妹は、小さいときで覚
えてはいないが父が軍人で横須賀にいたの
で日本生まれだと言っていた。
フェリー乗場は町の中心部から随分と遠
いところにある。これから行くジュノーも
プリンスルパートもクルーズ船の停泊場所
は町の一等地にあるのに、定期船のターミナ
ルは非常に不便なところにあって交通機関
もないというのは何故なのだろうか。昨日朝
スカグウエーのフェリーターミナルでピッ
クアップしてあったチケットでチエックイ
ンする。船は週に3~4便あるヘインズ・
ジュノー間直行の高速フェリーである。9時
45分に乗船開始して、25分遅れの10
時10分の出航、乗船の際にはパスポート
の提示を求められる。
船にはフォレスト・サービスの係官が乗
務していて、航行地域の地理や自然、歴史
等について説明してくれる。双眼鏡で動物
が見えると知らせてくれるらしいが残念な
がらジュノーまでの間で見ることはできな
途
中
で
見
え
た
氷
河
フォリストサービスの職
員
チケットとレシー
ト
ジュノーに着いて
オークベイにあるジュノーのフェリーター
ミナルに到着した。明朝早くまたプリンスル
パート行きのフェリーに乗るので、ターミナ
ルで荷物を預かってくれるなら預けようと
思ったが、預からないとのこと。やむなく一
旦ホテルへ行った後行動することにした。と
ころが、州都の主要交通機関であるフェリー
ターミナルから20km以上の遠い市内まで
タクシー以外の移動手段がないのである。一
人旅では高くつくタクシーは敬遠したいとこ
ろだが止むを得ない。ダウンタウンのホテル
までチップ共で$33であった。明朝もこれ
だけ必要なのでかなり高い。
ホテルは、ダウンタウンの歴史地区にあり
、ホテル自身も国の歴史遺産に指定されてい
る1913年創業のバーを兼ねた一番古いホ
テルで、この後乗った観光バスが前を通る際
…には紹介があったほどなのだが 。禁煙室を
希望してキーを受け取って入ると強烈なタバ
コの臭い。我慢がならずフロントに戻って話
すと、ここなら少しはましと言って別の部屋
に替えてくれた。前の部屋が強烈だったので
確かに少しはましだったが100年間のヤニ
が染み付いているのだろうか。しかし値段が
安いとはいえ、シャワーはおろか、トイレも
なし、ドアのロックは一つだけで内部からは
ロックされているかどうかも分からない。ク
ラシックはいいのだが、本当に古いままでリ
ニューアルされていないようなので、興味の
ある方以外にはお勧めできない。
ジュノーでの時間は午後の半日だけなの
で、ロバーツ山へ行くトラムウエーに乗って
600mの高さから内海と山並を展望するこ
とと、メンデンホール氷河を見ることだけを
考えていた。事前の調査では、トラムウエー
の乗場は町の中心部であるらしいことは分
かったが、位置など詳しいことは分からな
かった。ホテルから徒歩数分のところにク
ルーズ船のドックがあり、そこに観光案内所
氷河見物はタクシーやバスでもできるのだが、
手っ取り早く Mighty Great Trips の市内ツ
アー“ Juneau’s Best”( $23 ) を利用しようと考えて
いた。観光案内所の付近は幾艘も入港しているク
ルーズ船の客でごった返していた。ここでもフェ
リーとは違って、クルーズ船のドックは至便の場
所にあるが、ジュノーの年間観光客96万人中8
8万人がクルーズ船の客だと言うから止むを得な
いのだろう。
観光案内所の周囲には、20くらいのツアー会
社の出店が小間を並べて客を呼び込んでいる。私
が考えていた会社もその中にあったので、14時
のツアーを予約して遅い昼食を摂ろうと思ったが
、土産物屋ばかりで短時間で食事をする場所や
テークアウトの店が見付からず昼食抜きとなっ
た。ウエブページで調べたツアー料金は$23
だったが、競争が激しくてダンピングしているの
か$20で済んだ。バスは10人程の客を乗せて
出発。お決まりの市内案内をしながら、郊外のア
ラスカ大学や、湖の見える教会などに寄って、氷
河のヴィジターセンターのある駐車場へ。そこか
らも氷河は見えるが、数分歩いて湖岸から見物。
都会にも近く、衰退期にあるためか、美しさとか
壮麗さはあまり感じられなかった。ダウンタウン
帰着は16時30分であった。
地球温暖化により続く氷河縮小の説
明
ジュノーは険しい山とガステノー
水道の間に挟まれた活気に満ちた市
であり , グレイシャーベイへの入口
でもある。メンデンホール氷河観察
や自然観察のプログラムが整備され
ている。
ホテル
市博物館
州博物館
歴史地
区
観光案内所
クルーズ船ドッ
ク
トラム乗場
ジュノーの歴史
数百人のトリンギット族が暮らしてい
たこの地に Jope Juneau 等が1880年探
鉱のためにやってきて、金鉱を発見した。
その後幾つもの金の採掘会社が設立され、
1900年にはアラスカ州の州都がシトカ
からここに移った。しかし、1920年頃
には金鉱山は閉山が始まった。
1968年のアラスカの油田発見が州
都としてのジュノーに潤いをもたらしたよ
うだが、1963年にアラスカ・マリンハイ
ウエーシステムが作られてから新しい観光
の時代に入った。ただ、今も外部からの道
路はなく、海路と空路に頼らざるを得ない
都である。現在の人口は約31000人。
Gasutineau 水路を挟んで Douglas 島と
向かい合っているが水路は浅瀬であるため
に船舶の航行ができないが、南側から大型
船が入港することができる。
本日の行動経過
0630
~
起床、周辺散策
1010 ヘインズ出航
1225 ジュノー着
1400
~163
0
ツアーバス乗車
1630 ハンバーガー店
で昼兼夕食
西部劇の舞台を思わせ
るホテルのバー
20日目[7月11
日] ( 月 )
今日の移動予定
Juneau
(USA アラスカ州)
Prince Rupert
(カナダ BC
州)
宿 泊
0530
(アラスカマリ
ン・
ハイウエー)
0900 ( 時差
あり )
(12日着)
船 中
注意:チエックインは1時間
前 , タクシーを予約しておく
フィヨルドの旅の3日目、プリンスルパート
へ
4時30分のチエックイン開始なので、ホテルのチエッ
クアウトは前日済ませ、4時にタクシーを予約しておいた
のですぐにターミナルに向かう。チケットも9日の朝ス
カグウエーでピックアップしてある。船は1時間の遅れ
で到着し、6時40分出航。船内のパーサーから船室の
鍵を受け取り、荷物を置いた後、最前部の船室とデッキに
出て時間を過ごすことにする。
あいにくと雨は降っていないものの、雲が低く立ち込
め、眺望は利かず周囲の山の全貌も見えないが、雲間から
覗く氷河やアイスフィールドに覆われた山の美しさは素
晴らしい。海にはところどころ氷も漂っておりデッキに出
ると肌寒い。この船にもフォレストサービスの職員が乗
務しており、2時間に一回10分ほど解説をしてくれる。
主な船には全て乗務しているようだ。
船内には、 Observation Lounge と呼ばれる最前部の船室、
Recliner Lounge と呼ばれるリクライニングシート席、カ
フェテリアとカクテル・ラウンジ、カフェテリアの屋上
のロッキング・チェアを置いたオープンフロアがあり、こ
こで寝袋で寝ている人も多い。子供の遊ぶコーナーもあ
る。食事はカフェテリアで摂るが、材料を持ち込んでサ
フォレストサービスの職
員
ここでシュラーフで寝る
人も
Matanuska
号
沢山の鯨
が
見えた場
所
サンダム氷河
残念ながらこのような
光景は見られなかった
鯨を見ているとき
にさかんに話し掛
けてきた、祖父母
と一緒に旅行して
いるというミシガ
ンからきた大学3
年生のダン君。そ
の後顔を合わせる
たびに政治問題ま
で議論を吹きかけ
てくるのでいささ
か閉口。
航路その
2
ジュ
ノー
オークベイ
注:この地図にはジュノー地先の水道
に航路が記入されているが誤りで、航
行不可
鯨の遊ぶ海
雲が立ち込め、氷が浮かぶ海を暫く
行くと、サンダム氷河が見える辺りで、
多くの鯨が泳ぐ水域に入った。チャー
チルのベルーガと同じで、写真はうま
く撮れない。説明してくれたようだが、
鯨の種類(多分ザトウクジラ)は理解
できなかった。
11 日
第3・4日目:ジュノー~プリンスル
パート間
(アラスカ・マリンハイウエー)
航路その
3
ペータースバーグ
ウランゲリ
11 日
ベアード氷
河
圧巻ウランゲリ水道通過
ベアード氷河などを見ているうちに、定
刻14時30分ペータースバーグ着。ここ
から今日のハイライト、長さ18kmで幅
100mあるかないかの川のような「ウラン
ゲリ・ナローズ(水道 ) 」に入る。
ペータースバーグはヴァイキングの末裔
ペーター・ブッシュマンによって1897
年から
計画的に発展してきた人口約3500人の
漁
業の町である。風景や町の美しさから写真
家の憧れの地であるという。18kmの距離
を
1時間掛けて通過。18時15分ウランゲ
リ着。
ペータースバーグ港
ウランゲリ・ナローズの
海図
ペータースバーグ
船首に見張りを
付けての操船
航路その
4
ウランゲ
リ
ケチカ
ン
アラスカの海の夕暮れ
ウランゲリは1834年にロシア
がハドソンベイ社に対抗するため、
1834年にディオニシュース基地
を作ったことに始まり、1867年
アラスカの米国譲渡に伴い、名前を
ウランゲリに変更した。1874年
の Cassiar と1897年の Klondike
ゴールドラッシュ時には Stikine 川
ルートとして人が押しかけた。アラ
スカで最初の学校が作られ、新聞が
発行された。今は周辺観光の基地と
なっている。
18時35分ウランゲリ出航、2
1時30分日没。
ここらで日
没
ウランゲリ
港
11 日
航路その
5
プリンスルパー
ト
ケチカ
ン
水上の町、ケチカン
ケチカンは深夜の入港のため見ら
れなかったが、 1883年に一人
の男が鮭の塩蔵施設を作ったことに
端を発して漁業の取引が増え、19
00年に人口800人になった。一
時鉱業や林業も栄えたこともあるが
、今は観光の町となっている。急峻
な崖に家を建てられないため、14
000人の人が水上で暮らしている。
ケチカンは先住民の言葉で“弱った
”鷲の広げた翼 を意味する。
朝4時に目を覚ますが霧で何も
見えない。営業していないカフェテ
リアへ行ってコーヒーをもらってき
て、昨日昼の残りのサンドイッチで
朝食にする。プリンスルパートが近
づいてくると、大きなビルのような
穀物の積み出し設備が遠くから目に
入ってくる。到着は8時50分だが
、これはカナダ時間なので、アラス
カ時間ではまだ7時だ。
本日の行動経過
0400 ホテル出発
0640 ジュノー出航
1430 ペータースブルグ
寄港
1540 ナローズ通過
1815 ウランゲリ寄港
2130 日没
船内泊
夜間に Ketchikan 通過
12 日
左にトイレ、右にシャ
ワー夜間航路
今日の移動予定
Juneau Prince Rupert 宿 泊
0530(11日
発)
0900 ( 時差
あり )
Prince Rupert
歴史と自然の町プリンスルパートに到着
21日目[7月12
日] ( 火 )
プリンスルパート到着 (カナダ再入国)
8時50分に着いて入国審査だ。帰りの航空券の提示を求め
られたり、なにしおうアメリカの入国より時間が掛かる。ここ
も、ジュノーと同じくフェリーターミナルは町の中心部から離
れており、公共の交通機関はないためタクシーで予約のモーテ
ルへ向かう。あいにく部屋の準備が出来ていないとのことで、
荷物を預け、早すぎた朝食だったのでモーテルサービスのパン
とコーヒーで腹ごしらえをすると、行動に丁度良い時間となっ
た。明後日の朝 BC フェリーに乗船するまで丸二日あるので、ま
ずカウベイにあるインフォメーションセンターへ向かう。プリ
ンスルパートの中心部はどこも徒歩10分の範囲内である。
幾つかのツアーがあることは分かっていたが、詳細が不明の
ため、 まず10分ほど歩いてカウベイにあるインフォメー
ションセンターに行った。係員が親切に対応してくれる。一番
の人気というのが船でカイエン島を一周しながら自然美と野生
動物を観察するツアー(2時間、$45 ) だと言うので、これに
参加することにして、センターの隣にある窓口に行ったが、残
念ながら今日は既に満員で、明日は催行なしとのこと。このあと
バスでポートエドワードへ行ったのだが、島の周囲の美しさは
格別のものがあったので、残念さはひとしおであった。この他
に矢張り船で行くグリズリーベアのサンクチュアリツアー(6
時間、$145 ) があるのだが、これは日曜のみとのことで、今
日は今から参加できるツアーは他になかった。それで、係員に
勧められて午後のバスで1985年に国の歴史遺産の指定され
たポートエドワードにある「北太平洋缶詰工場」を訪れる事に
して、それまでは「北ブリティッシュ・コロンビア博物館」を
見学することにした。明日は沖合いのパイク島に残る1800
年前の先住民集落のガイドツアー(4 . 5時間、$60昼食
付)がある。
12日夜明け前・近づいてきたプリンスル
パート
明日からカナダ BC 州の内航路へ。旅も最
終行程

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