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2/21 ~ 2/26, 2011  旅の設計図会・ Saito
後篇
今回の旅行計画表・後篇
# 月日・曜 発着・訪問・滞在地 時間 交通機関 予定
1 平成 23 年
2 月 21 日
 (月)
自宅→成田
東京(成田)  発
台北国際空港  着
台北国際空港  発
ホーチミンシティ着
07:40
09:40
12:40
13:55
16:25
CI-107
CI-783
成田空港第二ターミナル・ H カウンタ集合
China Airlines で台北乗換えで
ホーチミンシティ (HCMC) へ向かう
ベトナム入国手続き、ホテルへ
宿泊: Continental Hotel Saigon( 2泊)
朝:各自
昼:機内
夕:市内
2 2 月 22 日
 (火)
ホーチミンシティ
→ミトー (My Tho)
→ ホーチミンシティ
午前
午後
専用バス メコン河支流の集散地ミトーへ、河遊覧
午後、ホーチミン市内に戻り、統一教会、戦争証跡博物
館を見学
朝:ホテル
昼:ミトー
 市内で
夕:市内
3 2 月 23 日
 (水)
ホーチミンシティ
ホーチミンシティ発
ダナン国際空港 着
→ホイアン
午前
16:20
17:30
夕刻
VN-328
午前・午後  HCMC 市内観光と、自由散策
夕、 Vietnam Airlines 国内線で中部ダナン
 空港へ飛び、世界遺産の町・ホイアンへ
ホイアン宿泊:未定 ( 1泊)
朝:ホテル
昼: HCMC
 市内で
夕:市内
4 2 月 24 日
 (木)
ホイアン
→ミーソン遺跡
→ダナン国際空港
ダナン国際空港 発
ハノイ国際空港 着
午前
午後
16:55
18:05
専用バス
VN-312
早朝 世界遺産チャンパ王国のミーソン遺跡見学、
ホイアンに戻って昼食、世界遺産のホイアン旧市街
を
徒歩見学
ダナン空港へ戻り、首都ハノイに飛ぶ
ハノイ宿泊:未定 ( 2泊)
朝:ホテル
昼:ホイア
ン市内で
夕:ハノイ
5 2 月 25 日
 (金)
ハロン湾クルーズ
  
ハノイ
午前
↓
午後
夕刻
専用バス
クルーズ
世界遺産ハロン湾周遊(片道バスで 2 時間半)
 昼食は船上にて
夕刻ハノイ市内に戻る
ハノイ市内レストランで夕食
朝:ホテル
昼:船上
夕:ハノイ
6 2 月 26 日
 (土)
ハノイ国際空港 発
台北国際空港  着
台北国際空港  発
東京(成田)  着
11:35
15:15
16:50
20:45
CI-792
CI-106
ハノイ国際空港へ
China Airlines で台北国際空港乗り継ぎで
成田国際空港第二ターミナルに帰着後解散
朝:ホテル
昼:機内
夕:機内
2011.1.20 現在の計画
ホーチミンシティ
 
   (HCMC)
  in : 2/21
out: 2/23(2 泊 )
Hotel Continental Saigon (コンチネンタル・サイゴン)
住所  132 - 134 Dong Khoi St., Dist 1, Ho Chi Minh City
電話  (84.8) 38 299 201   Fax: (84.8) 38 290 936
E-Mail   continentalhotel@vnn.vn
URL   http://www.continentalhotel.com.vn/
ホイアン
   (Hoi An)
  in : 2/23
out: 2/24(1 泊 )
Vinh Hung Resort Hotel (ヴィンフン / リゾート)
住所  111 Ngo Quyen, An Hoi Islet, Hoi An
電話  (84.510 ) 3910393 、 3910577 Fax : ( 84.510 ) 3910576
E-Mail   info@vinhhunghotes.com.vn
URL   http://www.vinhhungresort.com/hoi-an-vinh-hung-
         riverside-resort.htm
ハノイ
   (Ha Noi)
  in : 2/24
out: 2/26(2 泊 )
Hoa Binh Hotel  (ホアビンホテル)
住所  27 Ly Thuong Kiet Str., Hoan Kiem Dist., Ha Noi
電話  (84-4) 38253315 、 38253692   Fax: (84-4) 38269818
E-Mail: kshoabinh@hn.vnn.vn
URL   http://hoabinhhotel.com
ホテル・リスト
自宅から  (KDD) 001-   (Vietnam) 84 -( 市外局番)(ホーチミン) 8 、(ホイアン) 510
  (ハノイ) 4   -  ホテルの電話番号
ベトナムの現地時間 = 日本時間 -  2 時間 (日本の朝8時はヴェトナムの朝6
時)
前篇のあらすじ
2月 21 日に南のホーチミン市に到着した翌日に、早速メコンデ
ルタの町、ミトーを訪ねました。ベトナムは日本同様コメ文化
、
その米をもたらしてくれるのは、はるばるチベットから南シナ
海へ
流れてくるメコンの水というわけで、
南部ベトナムの真髄はメコンにあり、と考えたのでした。
ホーチミンは、いま、日本では失われた喧騒に満ちた活気のあ
る
町でした。人々のひとりひとりが貧しいながらも豊かな将来を
求めて元気に満ちているのが良く分ります。老いも子供も懸命
に
働いていました。
戦争証跡博物館では、改めてベトナム戦争の跡を訪ねるこ
とが
できました。街はバイクが走り回って元気そのものだが、
その底には表には出さないが深い悲しみと痛みがあること
が
よくわかりました。3日目の夜、ダナンから真っ暗闇の道を走ってきて、突然開けたの
は
街中灯篭に照らされて淡く明るいホイアンの街、いわくいいがたい
幻想的な佇まいでした。ホイアンの夜は今夜かぎり、食事を楽しむ
時間も惜しくて、河畔を散歩しました。
旅の後篇は ..........
ベトナムの世界遺産、ホイアン旧市街、チャンパ王国の夢のあと・ミーソン遺
跡群、
そして、海の桂林・ハロン湾の探訪をテーマに、ベトナムの中部と北部を旅し
て
いきます。
betonamu
④2 月 24 日(木)今日の予定
予定時
刻
交通機
関
スケジュール
07:00
07:40
朝食、チェックアウト
西 40km (約1時間)ベトナム戦争で
激戦地となった地域を通り
中部山中のミーソン遺跡へ走る
09:15
 ↓
10:30
世界遺産①ミーソン遺跡の見学
ホイアン市内に戻る(約 1 時間)
11:45
12:30
ホイアン市内のレストランで昼食
12:30
14:30
世界遺産②ホイアンの旧市街を歩く
14:30
15:30
ミーソン遺跡を出る
ダナン国際空港へ(約 50km)
ベトナム航空にチェックイン
16:55
18 」 05
VN312 Vietnam Airlines#312 便で
ハノイ・ Noi Bai 国際空港へ飛ぶ
19:00
19:40
ノイバイ国際空港からハノイ市内へ、
ホテルにチェックイン
20;00 夕食市内レストランで
● メモ
今日の
ハイライ
ト
① チェックアウト
② チャンパ王国の遺跡ミーソン見学
 中部の農村地帯、暮らしぶり観察
③ 世界遺産ホイアンの旧市街を歩く
   暑さ対策
④ ハノイへ移動(航空機)
Hoa Binh Hotel  (ホアビン)
Add : 27 Ly Thuong Kiet Str., Hoan Kiem Dist.
Ha Noi
電話  (84-4) 38253315
2 . 2 4 ( 木) ホイアン 朝
Vinh Hung Riverside ResortVinh Hung Riverside Resort はのどかなはのどかな Thu BonThu Bon 川を望む、旧市川を望む、旧市
街から橋を渡って街から橋を渡って 400400 mぐらいの川中島にあった。静かでmぐらいの川中島にあった。静かで
緑の多いたたずまいの中に、3階建ての宿泊棟がいくつか緑の多いたたずまいの中に、3階建ての宿泊棟がいくつか
、レセプション棟、レストラン棟、屋外プールなどが配さ、レセプション棟、レストラン棟、屋外プールなどが配さ
れている。夜遅く暗い時間に着いて、朝7時半に出てしまれている。夜遅く暗い時間に着いて、朝7時半に出てしま
うには勿体ない、まだのんびりしたいホテルだった。日中うには勿体ない、まだのんびりしたいホテルだった。日中
はこの船着き場から川遊びの船が出るらしい。はこの船着き場から川遊びの船が出るらしい。
ミトーやホーチミンで食べられなかったサポジラや
スターフルーツが出ていたので、いろいろ試して
みたが、結局ザボンとパイナップルが旨い
朝 食
7時半チェックアウト。ロビーに色鮮やかな猫柳があってその色の濃
さにびっくり、桃の花と見間違える。片隅に神棚があった。財神なの
だろう。経営者は華人か、これは華僑文化だ。ミーソンへ出発。
世界遺産ミーソン遺跡へ
 世界遺産・ミーソン遺跡( Thanh Dia My Son) はホイアンから西南に 40km 、約 1 時間半の道のりで、チャンパの王都のあっ
たというチャキュウからわき道に入り、人家の消えたジャングルの中に入って行くと、道の終点に小さな管理小屋がある。
9時 15 分頃遺跡管理区域のくさび形のゲートをくぐり3 km ほど登ったところに駐車場に着いた。ここでバスを降りて入場
券を買う。すぐ川があって、吊り橋を渡って対岸へ。川の上にはユネスコ世界遺産のマークのついた看板があった。
橋の向こうで待つワゴン車に乗換え 3km ほど走って降りて 5 分ほど歩くと、木の間隠れに赤黒い建物が見えてきます。 そ
こから木立の間の石畳の道を5分ほど歩いたところに、1日1回 10 時から古代の舞踏のショーが実演されるという建物があ
り、その脇の広場で、ガイドの Houng ” ” ”君が遺跡について説明してくれた。「ミーソン のミーは漢字の 美 、ソンは〝山 です。
ミーソンは 2 世紀頃から 15 世紀にかけて中部一帯に築かれた「チャンパ王国」チャム族の、四方を高山で囲まれた盆地に建
造されただれも侵すことができない聖地でした」 なるほど、周囲は山にぐるっと囲まれており、聖域とい感じがする。
 ミーソンは 2 世紀頃から 15 世紀にかけて中部一帯に「チャンパ王国」
を打ちたてたチャム族の、四方を高山で囲まれた盆地に建造されただれも
侵すことができない聖地だった。 4 世紀にシヴァ神を祀った木製伽藍が初
めて建てられたが早くに焼失し、7世紀頃からレンガ作りに変わり、 13
世紀までに作られていたという 70 の伽藍が草に埋まっているという。
 遠くからは赤銅色の頑丈な建築物に見えるが、草木が生え、柱には亀裂
が走り、いまにも崩れるのではないかという状態。1千年に近い時が過ぎ
ていることを考えるとよく頑張っていると励ましたくなる。
 遺跡はチャンパ王国内の宗教対立、フエのキン族王朝の南進による破壊
、永い年月の自然破壊もあったが、これほどの壊滅的破壊をもたらしたの
は、 1946 年に始まるヴェトナム戦争だった。遺跡を基地とした北ヴェト
ナム軍を米軍の空爆が容赦なく叩き、この時、ほとんどの遺跡が瓦礫と化
した。
 ●チャンパ王国の光芒チャンパ王国の光芒
  チャンパは、現在のベトナムを支配している北方山岳民族を祖と
するキン族より以前にベトナム中南部に定住していた原住民チャム族
が紀元 2 世妃頃から現在のヴェトナムに築いた王国であった。 まだ
北方ベトナム地域が完全に南中国の南越国の支配下にあった時代に
チャンパ王国はすでに漢時代の中国に貢物し、中国はチャンパのこと
を「林巴あるいは占城」と呼び、インド化された国家として承認して
いた。
  チャンパ王国の歴史は中国史料、チャンパ碑文など記録されてい
て、これによれば、西暦 192 年、漢支配の最南端、現フエ付近で 原
住民が漢に対する叛乱を起こり「林邑国」が勃興した。現ベトナム中
部一帯を征服した林邑国は、中国に朝貢をして当初は中国文化の影響
を受けていたが、間もなくベトナム南部からカンボジアにかけて存在
した扶南の影響を受け、インド文明を受容した。ベトナム南部、カン
ボジアで1~7世紀にかけてインドシナ半島を支配した扶南国が衰え
、真蝋国(アンコール王朝)が勃興した 7 世紀初頭、林邑国でも政変
があり、占城国(チャンパ)が出現した。
  チャンパ王国は単一の民族国家ではなかったというのが定説と
なっている。中部地区に残るチャンパの遺跡は広範囲にわたり、年代
が違うと伽藍の形態も変化していることから、チャンパには多数の部
族で構成され、一番権力のある者が王の中の王として君臨していたこ
とが解っている。 2 世紀頃ホイアンの西のチャキュウ ( ミーソンの近
く ) に都を築き、徐々に南下しながら都も移動し、 16 紀頃に 衰亡
期をファンラン近くで迎えている。遺跡のほとんどが海岸線に近いと
ころに集中している。これはインドシナ半鳥東側に巨大なチュオンソ
ン山脈が走り、チャム族の進出を拒んだためであろうと思われる。ま
たチャム族は海洋民族と想定する歴史家も多い。
  チャム人はどこから来たのか、正確なところはまだ解明されてい
ない。言語学的にはマレー系に属し、昔からマレー系民族とはコミュ
ニケーションができ、それ故にジャワなどとの交易が生まれ、イン
ド・ヒンヅー文化が導入されたのだろうと言われている。海の民とし
て活躍していたことは海岸線に住んでいたことからも容易に想像でき
る。だが彼らは稲作の技術をすでに持っており、川を上って奥深く進
み、山岳民族とも交流していた。
 チャンパ王国は 10 世紀頃から戦いの歴史が続く。北部キン族の
大越国の侵出が原困であった。 11 世紀初頭の北部前黎 ( レ ) 朝の侵
入、更に 12 世紀後半から、山脈の向こうに巨大な勢力を持ったク
メールの侵入とも戦うことになる。 1177 年にはアンコールの都を
占領し破壌している。この戦いの様子はカンボジアのバイヨン遺跡
に壁画彫刻として鮮明に残されている。当然反撃も受けた。クメー
ルは 13 世紀前期にチャンパを占領している。 14 世紀には現ハノイ
のタンロン城を焼き打ちにするなど、北、西との戦いが続き次第に
疲弊していく。チャンパの強みは水軍で、各地の川、南のメコン河
を利用して北へ西へと縦横に活躍していた。非常に好戦的な民族に
も見える。だがタンロンやアンコールを攻撃したのは別の理由でも
あった。川を使った交易ネットワークの拡大を目指していたからで
ある。紅河は中国雲南省へ、メコン川もまたシャムを含めて中国へ
延びている。当時の川の利用価値は非常に高かった。チャンパ王国
は攻撃と交易を重ねていた。
  1428 年北に成立した黎 ( レ ) 朝は中国・明の侵入を撃退し、今
度は南に向かってチャンパ王国攻め込む。長い攻防があったが、結
局 1471 年チャンパの王権は壊滅する。チャンパの高木交易権を欲
した黎 ( レ ) 朝はチャム人を禁足して閉じ込める。チャンパが交易
の中心としていた香木 ( 高級品は伽羅という ) は山奥の製品であり
、チャム族はこの木の見分けができる才能があり、北のキン族は
チャムの力を借りなけれぱ香木貿易を継続することができなかった
からである。
 チャンパ王国は滅亡しチャム人は散らばる。山に住むチャム人は
キン族に使役され、海のチャム人は南シナ海の各地に起こったイス
ラム系海洋都市国家の軍人として、アジアに利権を求めて侵入して
きた西洋列強の手ごわい相手となった。チャムの軍事的能力は、こ
うしてその後も生かされたのである。大航海時代が終わるとチャム
の名前は歴史上から消えている。チャンパ王国の本当の終焉を迎え
、チャム人の国は再起していない。
 大半のチャム人はメコンデルタで農耕に従事し、一部はカンボジ
アに渡り、クメール人と共存し混血していった、運命はまた悲惨で
あった。 1973 年にカンボジア政権を握ったポルポトはベトナムを
追い出すためにベトナム系の大量虐殺を始める。この時、殺戮の対
象となったのがチャム系のクメール人であったという。現在ヴェト
ナムに残るチャムの末裔は6万人と言われている。多くがユアン・
チャムと呼ぱれる渥血児達で、服装もキン族 ( ヴェト族 ) と同じで。
なかなか見分けがつかないといわれる。
入り口わきのホールの中で、クメール
の伝統舞踏が演じられた。
ヒンズー教はでは創造神ブラフマー
(梵天)、世界を維持する慈愛の神
ヴィシュス、それと創造と破壊神シ
ヴァ(大自在天)が三大神としてあが
められている。
こお踊りのこの瞬間は、創造・維持・
破壊の三位一体を表しているという。
チャンパ王国を打ち立てたチャム人は紀元
3世紀ごろからインドシナ半島南部に勢力
をもった扶南の影響を受け、インド文明を受
容していた。
中国経由で日本に渡来した林邑(チャンパに
征服されたベトナム中部にあった国)の僧が
伝えたチャンパの舞踊は林邑楽として今日ま
で雅楽の中に伝承されている。
10 時半となり、これ
からホイアンに戻り
ます。
ホイアンへ戻る
元来た道をホイアンに戻りました。気温がやっぱり 30℃ 近くなり、遺跡のでこぼこ路をかなり歩いたのでいささか疲れました。バスでしっかり休みます。
また、田んぼ、集落、の繰り返しですが、午前中で終わりになる小学生の群れや、丸いライスペーパーを干している家がみえました。 12 時前にホイアン
に到着、まずはホイアン伝統産業であるシルク手工芸・展示販売店を訪ねました。
あっ!
あれ、ライス
ペーパー
だッ!
小学校は、午前、午後、夜間の 3 部
制
たっぷりと水をたたえてゆったりと流れる川が多い
キャベツと牛肉にスープ
2.24 Lunch
キャベツと牛肉のスープ
ホイアン名物
だそうな
野菜をふんだんに野菜をふんだんに
使ったメニューで使ったメニューで
満足、満足!満足、満足!
世界遺産ホイアン旧市街を歩く
ホイアンが世界遺産として指定されているのは、ホイアン全体
ではなく、トゥポン川沿いの Back Dang 通りと、その 2 本北を
走る Thanh Phu (チャンフー)通りに囲まれた古い市街の一画で、
歩いて見て回ることができる。市は訪れるべき対象の建物への
入場を独特な仕組みを敷いている。訪問すべき施設を5グループに
分け、1セットのクーポンでは1グループで1っ箇所しか
入れないことになっている。
■Group 1(4つの博物館)
・サ-フィン博物館(中部ベトナムに出土した紀元前の土器
などの展示)
・貿易陶磁博物館(海のシルクロード、御朱印船
の絵巻など日本との関係を知る唯一の場所である)、
・歴史文化博物館(ホイアンゆかりの遺物を展示)・民族
 博物館(1階は土産や2階に漁具や農具などを展示)
◆Group 2  潮州会館、福建会館、廣肇(広州と肇慶)会館
の3つの建物で、同郷人の集会所であるが、信仰の対象
である天后や関羽像をおいて供え物をあげ祈る場所である
●Group 3 ホイアンで財をなした中国商人の、建築様式で
際立った4件の家。馮興家、進記家、陳祠堂、廣勝家
☆Group 4 伝統音楽コンサート 10:15 、 15:15 の2回ベト
ナム民族音楽を演奏、同じ場所で伝統工芸の製作と即売
▼Group 5 来遠橋(日本橋)と關公廟
日本橋は最も有名であるが、木造屋根付きの橋だが、いか
にも中国的な様式で日本人が建造したとはとても思えない。
  一説にはこの名前を付けた阮朝の王が、はるばる遠くから
来た日本人を労わってつけたといわれる。關公廟は関聖帝
(関羽)を祀った寺。
日本人の墓:旧市街から 5km ほどの郊外の田んぼの中
(わかりにくい)に「谷弥次郎兵衛」の墓があり、地元民が墓
を守ってくれている。恋人と離れられずここに残った人と
いわれる。(詳細はここを訪ねた旅の設計図会中田さんの
設計図をみてください)
ホイア
ン市場
ホイアン
布市場
潮
州
会
館
◆
福
建
会
館
◆
廣
肇
会
館
◆
馮
興
家
●
進
記
家
●
● 廣勝家
● 陳祠堂
民族  ■
博物館
■ 歴史文化
博物館
■ サフィン
博物館
貿易陶器
■博物館
伝統音楽演奏☆
手工芸品
Workshop
▼ 關公廟
▼
来
遠
橋
 
 
(
日
本
橋
)
チャンフー通り
チャンフー通り
ファンチューチン通りファンチューチン通り
バクダン通り
バクダン通り
ト
ゥ
ポ
ン 川
馮興家(華僑商人の家)
ホイアンでは 16 世紀以降に南中国の広東省、福建省などから移住して
きてここで財をなした中国人の商家のなかで建築様式や内部装飾を残
したい家を4軒(馮興家、進記家、陳祠堂、廣勝家)を選んで管理し
、訪問者に開放している。まず馮興家に入ったが、どこが建築上の特
徴なのか良く掴めない。チーク材を多用しているせいかがっちりはし
て、涼しそうな家だ。年に何回か台風で前のトポゥン川が洪水を起こ
すために、重要なものは2階におき、生活の場も2階である。
天后様を祀り、航海の無事を祈る
2階にあった財神三人組
来遠橋(日本橋)
木造屋根付きの橋が日本人建築のものとされているが
、どちらかというと中国的な様式で日本人が建造した
とはとても思えない。ただもともとこの地域には日本
人居住地域があったという。阮朝の王が、はるばる遠
くから来た日本人を労わって「来遠橋」とつけたとい
われる。
橋の両側に猿と犬が2匹づつ鎮橋の両側に猿と犬が2匹づつ鎮
座。この橋の建立が申の年に始座。この橋の建立が申の年に始
まり戌の年に完成したとかまり戌の年に完成したとか。。
 日本がホイアンと最初に深い関係になったのは15世紀前半の珪球王朝であるが、1592年に秀吉は御朱印船制度を定め、鎖国政策をとって
いた明との貿易のためホイアンを中継地として利用する。中国の生糸や絹織物がまずホイアンに運ばれ、それを御朱印船で日本に運んだ。鎖国後
は日本と交易を続けていたオランダ船やポルトガル船もまた、このルートを利用する。島津藩をはじめ加藤清正、有馬晴住などの大名を筆頭に、
茶屋四郎次郎、末次平蔵などの商人が頻繁にフェイフォ(ホイアン)を訪れている。シャムで活躍した山田長政も またフェイフォに寄港した記
録が残っているという。
貿易陶器博物館(海のシルクロード博物館)
(海のシルクロード博物館)
ホイアン周辺で発掘された陶磁器や沈没船から
引き揚げた遺物を展示。日本からの御朱印船を
描いた絵巻は日本との関係を裏付ける数少ない
遺物。建物は伝統的な2階建民家。
福建会館
2層の門があり正面に3つの入り口がある。男
性は必ず右から、女性は左から、正面は身分の
高い人のみとのことであった。
福建省出身の華人達の集会所。内部に彼らが信じる海の安全の神、
天后聖母を祀ってある。赤や黄色の色遣いはまさしく中国のものを
思わせる。単なる集会所ではなく会員の互助組織で、財政支援、子
弟育成、結婚相談、葬祭、など身内組織の重要な機関である。
。
 ホイアンでは中国人の集会所のうち3つ(この福建会館、潮州会館、広肇会館)を公開している。ここは文字通り福建省を同郷とする人達
の集会所であり、信仰の本山である。台湾でも学んだが、移住した華人は故郷が違うと崇拝する神様も異なり絶対他郷人とは相いれない。
ホイアン、またくるよ
午後3時を過ぎた。ダナンの空港に行かな
くては。ホイアンは1晩と半日の滞在で
あった、
これでは思いが残る。満月の夜が一番よい
という。絶対にまたこよう。
◆◆ ホイアン土産ホイアン土産
なんといっても、ホイアンはシルクとラ
ンタン。ランタンだがこんなものを買っ
て帰って、果たして飾ることなんかある
か、土台、物によっては結構かさばるの
で、少し考えてしまうが、インテリアと
して友達にあげても、とても喜ばれるこ
とは請け合い。観光チケットでの入場対
象施設である手工芸品ワークショップを
始め、随所でランタンの販売 がされてお
り、場所によっては製造風景も見ること
ができる。これが夜ともなると各店舗が
ランタンに明かりを燈すので、とても幻
想的な風景となる。別に買わずともぼん
やりと明かりが灯ったランタンを多数掲
げた店の軒先を見て歩くだけでも楽しい
。
シルクは 2 日滞在すればブラウスなど翌
日仕上げをしてくれるので嬉しいのだが
、夜ついて翌日の出発では無理なので残
念。
お菓子: Banh Dau Xanh 緑豆の粉を使っ
た 落雁のようなお菓子
◆ ホイアン(フェイフォ)物語
 ホイアンは、紀元前から港であった。その要因は地図を見ると
良く分かる。ホイアンは半円を描いて南シナ海に接するインドシナ
半島のほぼ中心にあり、海に突き出たこの場所は南シナ海の海流が
ぶつかるところであった。季節風はホイアンに向かって吹きつけ、
海流と風を動力にして航海していると、自然にこの場所にたどり着
く。そこに港が生まれた。また南シナ海のほぼ中央にある西沙諸島
と南沙諸島という大暗礁地帯を避けるためには、大きく南側を迂回
するか、インドシナ半島の陸地沿いに北側を進むしかない。後者の
場合、ホイアンは海の拠点として最適の場所にあった。西洋と東洋
を結ぶ海のシルクロードの拠点はこうして誕生した。
  紀元 2 ~ 15 世紀に現在のベトナムを治めた海洋民族のチャン
パ王国がこの港を玄関口に南シナ海で交易を続け、国の基盤を作っ
ていた。ホイアンの町から南西約 50km の場所にチャンパ王国の聖
地「ミーソン遺跡」があり、ホイアンの港は聖地にも近い重要な拠
点であった。 15 世半ば北のキン族・黎朝の「大越国」がチャンパを
追い出し、中部を制圧する。 16 世紀にはフエを拠点として阮(グ
エン)朝が成立し、アジアに利権を求めてきたポルトガル、スペイ
” ”ン、オランダなど欧州列強に対して阮朝はその頃 フェイフォ と呼
ばれていたホイアンを玄関口として諸外国との窓口とする。そこに
明朝中国の貿易人が盛んにフェイフォを活用し、ホイアンは重要性
を増した。南シナ海は世界中の船が交錯し、その拠点としてフェイ
フォは発展し、同時に日本とも深く関わって行く。
 
  ホイアンと最初に深い関係になったのは 15 世紀前半の珪球王朝
であるが、 1592 年に秀吉は御朱印船制度を定め、鎖国政策をとっ
ていた明との貿易のためホイアンを中継地として利用する。中国の
生糸や絹織物がまずホイアンに運ばれ、それを御朱印船で日本に運
んだ。鎖国後は日本と交易を続けていたオランダ船やポルトガル船
もまた、このルートを利用する。島津藩をはじめ加藤清正、有馬晴
住などの大名を筆頭に、茶屋四郎次郎、末次平蔵などの商人が頻繁
にフェイフォを訪れている。シャム ( 現在のタイ ) で活躍した山田
長政もまたフェイフォに寄港した記録が残っている。いつしかフェ
イフォの町に日本人街が生まれ、 16 世紀初期には最盛期で、住み
着いた日本人は数百人とも一千人とも言われている。当時日本では
禁制であったキリスト教もこのフェイフォでは公認されていたため
、日本からこの町に逃れたキリシタンも少なくなかった。
  徳川家康はヴェトナム産の香木 ( 伽羅 ) がお気に入り、ホイ
アンとの貿易を熱心に推進した一人であった。 1602 年
オランダからの贈り物として家康に象が贈呈されたが、この象こ
そベトナムから運ばれたものであった。フェイフォの日本人町が
いつから存在して、どの程度のものであったのかこの点について
、正確な記録は現在のホイアンにも残っていないが、この日本人
町を実際に見てそれを記録した人物がいる。
  イギリス生まれのウィリアム・アダムス、後に徳川幕府の外
交顧問となった三浦安針である。東インド会社の東洋探検船の舷
海長としてアジアを航海、フェイフォに寄港後、大嵐に遭遇して
九州に漂着した。この日本人町も徳川幕府の 1635 年の鎖国令で
一気に衰退する。まもなく日本人は消え、日本人町の面影は中国
人によって次策に消されてしまう。現在、中国風の街並みの中の
「日本橋」と郊外の日本人墓地のみが昔を偲ばせる。
  しかし 19 世紀になると、土砂の堆積で港が浅くなり使いづ
らくなったこと、交易船の主役が帆船から大型の蒸気船へと交代
していくと河口を利用したホイアンの港は敬遠され、交易拠点が
次第にダナンなどに移っていった。街は急速に衰退し、一時人々
の間から忘れ去られたような格好となった。
  このような形で近代化から取り残されたことが逆にホイアン
にとって幸いする。近隣の大都市が近代化の影響のもとで古くか
らの姿を急速に失って行く中で、往時の面影をそのまま留めたよ
うな街並み全体が貴重な史料として認知されるようにな
り、 1999 年にはユネスコから、文化遺産としてはフエに次ぎ国
内2番目の世界遺産に登録されるに至った。現在ではベトナム国
内有数の観光地の一つとして栄えており、歴史的な街並みを見に
世界各国から多数の観光客が訪れている。
ダナン空港へ
  ホイアンより海にそった道をバスでダナン国際空港に向かう。この海を風に乗って行けは日本に辿りつくことに思いを馳せ、島崎藤村作詩
  の「椰子の実」を合唱した。海側に盛んにリゾート開発されているのが目立つ。アメリカ資本らしいが買うのは殆ど中国人だろう。米軍の
  中心的な拠点となったダナンにいまやアメリカは平和攻勢をかけている。3時半ダナン空港に到着。
ダナン空港ではガイドも
チェックインの手伝いが出来
るので助かった。ガイドの
Houng 君に別れた。 10 分程
遅れて午後5時過ぎ離陸、ハ
ノイまで約1時間 10 分の飛
行を予定する。朝早かったし
、ミーソン遺跡、暑い中ホイ
アン見物とよく歩いたので、
疲れきってハノイへ。機内は
例によって水1本。
ハノイ市内へ
  10 分ほど遅れて 18:15 分にハノイ( Noi Bai) 空港に到着。荷物を引き取って到着口に出たらもう6時 40 分になって
 しまった。ハノイの空港は市内まで 45km ”もあるので、1時間はかかる。レストラン Le Tonkin" に直行することにした。
ハノイ市内へ
  ノイバイ国際空港から市内の中心地までは約 45km 、道が
良くなって 40 分ほどで市内に入る。市の北西から南東に、遠
く雲南省に源を持つ Song Hong (紅河)が流れる。紅河が南に
折れる西南側に政府機構がおかれ、文化・商業の中心地となっ
ている。タイ湖とホアンキエム湖の一帯が旧市街である。
 北部の山岳狩猟部族が広い紅河の氾濫原におりてきて農耕で
定住したのは紀元前2~1千年とされている。その中から力の
ある部族が他部族を支配する歴史が始まるが、紀元後 10 世紀
まで北部ベトナムを支配したのは中国中原の漢人の手先となっ
た雲南・広西の民族であった。秦末期の紀元前 3 世紀には広州
の南越国、紀元前 1 世紀には漢の直接支配が始まる。漢の搾取
に対して何度か反乱を興したが、被支配民族が初めて自らの支
配を打ち建て、紅河の来たコーロンの地に都城を築いたのは紀
元後 938 年、後に自らをキン族と呼ぶ組織力、独立心に長け
た豪族であった。何度か短命の王朝が交替した後、 1010 年に
李氏が支配権を奪い、現ハノイのタイ湖の南岸のタンロン(昇
龍)城を築き李王朝を開く。国名を「大越国」とし中国のシス
テムを学び、この安定した 200 年で、北部支配の基礎が築か
れた。世界遺産となったタンロン城跡、観光名所である文廟
(孔子廟)も一柱寺もこの時代のものである。
  15 世紀初頭に支配層の内紛に乗じて中国の明が支配するが
、キン族は 20 年足らずで明の追い出し、返す刀で南のチャン
パ王国を撃破し南、南と膨張していく。政権を握る、搾取する
、そして反乱するの繰り返しで、中部フエにもキン族の国が成
立するが、ハノイは絶えず一方の都で有り続けた。ハノイが最
も虐げたのは 1882 年にやはり内乱に乗じてハノイを軍事占領
したフランスだった。フエの王朝は形骸化し、フランスはハノ
イとサイゴンを拠点にしてインドシナを経営する。当然のこと
ながらハノイは反フランスの拠点となる。第二次世界大戦後支
配を続けるフランスに対し第一次インドシナ戦争が勃発し、ハ
ノイでも市街戦がおこった。 1965 年米軍の空爆をうけるよう
になり、街はたこ壺だらけになったという。
 現在のハノイには 2 世紀にわたるレジスタンスの跡は見えな
い。並木の大木が豊かな静かな街である。
タイ湖
ハノイ
ノイバ
イ
国際空
港
● コーロア
 紀元前の都
跡
バチャン●
陶器村
● ヴァンフック
シルク村
● ホアンキエム湖
タ
ン
ロ
ン
遺
跡
●
● 旧市街
● 歴史博物館
紅 河
ホーチミン廟
●
文廟●
〔 Le Tonkin 〕
古きフレンチ・コロニアル・スタイルの古い住宅をレストランに使ってい
るようで、細竹を周囲に配した静かな庭に囲まれたセッテイングは佳いが
、店の中は、厨房、食間、階段、トイレなど複雑。凝りすぎて照明ももう
ひつつ、明るい店ではなかった。
初めはさほどと思えなかったオートバイの数が
市内に近づくにつれやはりもの凄くなる。7時
40 分ごろやっと旧市街の一画にあるベトナム料
” ”理店 ル・トンキン へ直行した。
2.24 Dinner
< Le Tonkin のメニュー>
   コーンスープ・
   と の サラダ・海老 野菜 甘酢
   げ き・揚 春巻
   り 、・牛薄切 焼肉 野菜添
え
   と の・茄子 白身魚 土鍋煮
み込
   と み め・海老 野菜辛 炒
   め・野菜炒
  ・果物
すっかり
お馴染の
ベトナム
ビール
Hoa Binh Hotel
 チェックイン
朝7時半から動き回って
、9時すぎホテルに
チェックイン、長い一日
でした。明日は8時には
ハロン湾へ向けて出発の
予定です。
朝ご飯は
この1階ロビー横の
レストランで
” ”お疲れさまでした
ホアビンホテル(漢字で和平ホテル)は 1926
年にフランスの建築家により建てられたホテル。
外国資本で新しいホテルが立つハノイの中で、
卓越したクラシックな建築美を当時のまま、館
内を彩る装飾も優雅なフレンチ・コロニアル様
式を留めている。周囲はハノイの中心地・ホア
ンキエム湖と南部の広がるオフィス街に挟まれ
た、東京でいえば下町、商店の多い地区にある
。
⑤2 月 25 日(金)今日の予定
予定時
刻
交通機関 スケジュール
07:00 起床、朝食、終日外出の準備
08:00
  /
11 :
00
ロビー集合、ハロン湾観光に出発
東、トンキン湾のハロン市(バイ
チャイ)へ向けてバスで約 2 時間
30 分の道のり(途中トイレ休憩)
11:00 バイチャイ( Bai Chai) の船着き場
からハロン湾クルーズに出る
途中、鍾乳洞のある島で下船、
鍾乳洞内を歩く。
船上で昼食(海鮮料理)
15:00
  /
18:00
ハロン市内を発ってハノイに向かう
ハノイ到着後ホテルに戻り、休憩
18:30 ロビー集合、レストランへ
バトナムで最後の夕食会
20:00 ホテルへ戻る
(希望者は水上人行劇を観賞)
● メモ
今日の
ハイライト
・長時間バスに乗るので車に酔う方は酔い
  ドメ剤を服用してください。
・(もしくもり空なら)ビニールかっぱを持参
  海の上は風があり、冷えるおそれあり。
・乗船すると早めに昼食
水上人形劇 最終回  20:00  カメラ持ち込みで 5.5VND
Hoa Binh Hotel  (ホアビン)
Add : 27 Ly Thuong Kiet Str., Hoan Kiem
Dist., Ha Noi
電話  (84-4)   38253315
2.25 ( 金)ハノイの朝
朝6時、傘をさすほどではないが細かい霧雨の中を朝6時、傘をさすほどではないが細かい霧雨の中を
オールド・ハノイの中心、ホアンキエム湖まで散策オールド・ハノイの中心、ホアンキエム湖まで散策
早朝散歩・ホアンキエム湖
ホアンキエム湖の周囲の公園遊歩道には朝の体操する老若男女やグループが一杯、我々もせっせと歩きました
。
ホテルのロビー横にあるレストランでビュッフェスタイルの朝食。仏蘭西人のシニアのグループが大勢いた。フランスパンとコーヒーが旨かった。
ホアビンホテルで朝食
ハノイ市内からハロン市までは 160km あり、交通制限
を良く守り、ある程度の渋滞を覚悟すると 4 時間。途
中高速道路があるが、バイクや自転車の一般路と混
じって高速道路ではなく単なる有料道路。運転手が罰
金覚悟で飛ばしてくれない限り 3 時間は難しい。
ハノイ
ハロン
5
1
0
Hanoi→ 走行距離 160km→
Halong Bay  さあ何時間かかるか?
世界遺産・ハロン湾へ出発
首都ハノイとベトナム最大の港湾のある第三の都市・ハフォンを結ぶ国道5号線はベト
ナムで最も運輸量の多い陸の幹線である。ハノイ周辺には住友商事系タンロン工業団地
を筆頭に台湾・韓国・中国・シンガポール系の工業団地がひしめき、ハイフォンには野
村證券系の工業団地の他 7 つの団地がありハイフォンは原材料の輸入、完成品の輸出で
まさにベトナム経済発展を象徴する物流拠点となっている。
車窓には田植え風景が続く車窓には田植え風景が続く
ホイアンからミーソン遺跡
に
行く途中のベトナム中部の
田んぼはそろそろ穂が出る
ころ
で、あと 1 か月もすれば収
穫
というところだった。
畦道をいくのは、病害予防
の消毒作業か。
ホーチミンからメコンデル
タ
への途中の田んぼは収穫が
済んで、これからまた、土
を起こして、田植えをする
(のか
種を直播するのかわからな
いが)、そのまえの一休み
の時期で、水牛ものんびり
していた。
ベトナムは米を3期作できる
という。この 2 月下旬の 1 週
間、
南から北へ上がってきたが、
今、北では田植え、中部では
そろそろ穂の出るころ、そし
て
南部は収穫が終わったところ
と、 3 期作を目の当たりにし
た。
同じく南北に長い日本では
こんな具合にはいかない。米
はやはり南の国の作物なんだ
と思う。米が安いということ
は
贅沢しなければ暮らしていけ
る
ということなのだろう。
田んぼの向こうにハロン湾の島々が見えてきた。田んぼの向こうにハロン湾の島々が見えてきた。
もうすぐ。もうすぐ。
こんな道で、飛ばせっていう方が無理で
す。
トイレ休憩はお土産屋で各 20 分、 3 店ス
トップ
  運転手はスピードを出さない。集落のあるところは時速 40 km、田園地帯で 60 km、ところどころに 20 kmの制限地帯があり、これを厳守する。他の
  バスがスイスイと追い抜いて行くのでイライラするが、ワイロで収入を上げたい警察の取締りがやたら厳しくて、罰金どころか車も使えなくなるとか
やっとピアへ入
れる
舟はわんさかあるが、我々の舟はどれ?
どうか不沈船であります様に。
我々の舟が接岸した。やっとハロン湾へ。
ハロン湾(越: V nh H Longị ạ /灣下
龍)
は、ベトナム北部、トンキン湾北西部にあ
る湾。漢字表記は下竜湾。クアンニン省の
ハロン市の南に位置し大小 3,000 もの奇岩
、島々が存在する。伝承では、中国の侵略
に悩まされていたその昔、龍の親子が舞い
降りて外敵を打ち破り、その際に吐き出し
た宝の玉が無数の岩に変化したという伝説
に基づいて、ハ=降りる、ロン=龍、つま
り「降龍」の意味をもつハ・ロンとなった
とされる。カットバ (Cat Ba) 島以外の島は
現在は無人だが、約 7,000 年前の新石器時
代にはわずかに人が住んでいた。また、数
世紀前までは海賊の隠れ家として利用され
、また モンゴル軍の侵攻の際には軍事的に
利用された。 1994 年にユネスコの世界自
然遺産に登録。
彫刻作品のような奇岩群は、中国の桂林か
らベトナム北部のニンビンまで広がる広大
な石灰岩台地が11万5千年ほど前の最終
氷河期に沈降し、長い年月をかけて海水や
風雨に浸食されてできたもの、太陽の位置
によって輝きが変化し、雨や霧によってま
た趣のある雰囲気を醸し出す。 地質学的に
は北は桂林から、南はニンビンまでの広大
な石灰岩台地の一角である。石灰岩台地が
沈降し、侵食作用が進んで、現在の姿と
なった。わずか3時間のクル-ズでは、そ
の全貌がつかめない。
ハロン湾クル-ズにはさまざまなツア-プログ
ラムが用意され、時間単位から1日~3日間の
設定があって、それぞれ料金が異なる。このほ
か、ジャンク船に寝泊まりしながらカヤックを
楽しんだりする2泊3日のクル-ズもある。宿
泊プランだと、サンライズやサンセットの風景
が楽しめるし、また月光に照らされる幽玄の世
界も楽しめて素敵なハロン湾が満喫できそうだ
。
ジャンク船のもつれる係留桟橋から船は沖へ向
かって静かにゆっくりと湾内へ向かいます。も
ともとスピ-ドが出ないので、風で海面に波が
立たない限り揺れず、ハロン湾の景観を観光す
るのにはちょうどいいスピ-ドでのんびりと航
行します。
舟
が
湾
内
に
滑
り
出
す
と
す
ぐ
に
料
理
が
運
ば
れ
て
く
る
。
魚
介
類
、
揚
げ
も
の
が
多
か
っ
た
。
霧
雨
は
す
っ
か
り
あ
が
り
、
風
が
無
く
て
暑
く
も
な
く
船
上
は
快
適
で
、
ハ
ロ
ン
湾
の
風
景
は
素
晴
ら
し
い
。
船上でランチ
船上生活者が魚を売る筏 ハロン湾のシンボル、闘鶏
島
鍾乳洞のある島にアプロー
  途中水上生活者が魚介類を売るいかだに立ち寄る。ここで買うと船内の板前が調理してくれるのだと。湾内で有名な岩の幾つかを巡航して、
  鍾乳洞が発見されたという島に行く。
鍾乳洞見物
クルーズの最後に、ティエン・クン(天
宮)という名の鍾乳洞に向かう。帰路に向
かう途中にあるこの島には、船着き場も設
けられて多数の遊覧船が出入りしている。
岸辺に着いて下船すると、入場口で遊覧券
にパンチを入れてもらう。乗船の時とここ
のパンチで2つ目である。鍾乳洞の入口は
断崖の中腹にあるので、そこまで百数十の
狭い階段を上ることになる。汗を流しなが
ら上りあがって洞窟の中に入ると、そこは
乳白色の別世界が広がっている。鍾乳洞初
体験の人には、息を呑む光景かもしれない。
が、秋吉台の巨大な秋芳洞をはじめ、沖縄
その他の各地で鍾乳洞を見ている方には、
それほどの目新しさはない。多色のライト
で投光していて
どぎつい仕掛けがいやらし。
鍾乳洞 鍾乳洞見物
クルーズの最後に、ティエン・クン(天
宮)という名の鍾乳洞に向かう。帰路に向
かう途中にあるこの島には、船着き場も設
けられて多数の遊覧船が出入りしている。
岸辺に着いて下船すると、入場口で遊覧券
にパンチを入れてもらう。乗船の時とここ
のパンチで2つ目である。鍾乳洞の入口は
断崖の中腹にあるので、そこまで百数十段
の狭い階段を上ることになる。汗を流しな
がら上りあがって洞窟の中に入ると、そこ
は乳白色の別世界が広がっている。鍾乳洞
初体験の人には、息を呑む光景かもしれな
い。が、秋吉台の巨大な秋芳洞をはじめ、
沖縄その他の各地で鍾乳洞を見ている方に
は、それほどの目新しさはない。多色のラ
イトで投光していて
どぎつい仕掛けがいやらし。
33 時半、念願の世界遺産ハノイ湾見物を時半、念願の世界遺産ハノイ湾見物を
終えて波止場へ戻った終えて波止場へ戻った
歩きにくい鍾乳洞を出てほっとした
  植生は貧しいが、緑が生き生きと見
える
ようやくレストランに到着ようやくレストランに到着
8時前8時前
再び、来た道、国道 10 号線から 5 号線をハノイに向かう。
30 分も走ったところで交通事故とかで渋滞が発生、
0 分もイライラさせられる。この分では
7時にたどりつけるかどうか解らない。
トイレ休憩でハロン湾観光往来の観光客を対象にした物産館に立ち寄る。行きと帰りの店は変えて、帰りのも結局 2 店に立ち寄る。
最後の店を出る頃にはもうすっかり暗くなってしまっていた。また、霧雨が落ち始めている。ハノイの冬は霧雨が名物というが本当だ。
橋を渡るころには7時を過ぎてガイドが「あと 30 分!」というが、市内が近づくにつれラッシュ。
旅行最後の夕食はフレンチで
Au Delice は 1998 年にベトナム風フレンチでなく本格的なフレンチとしてスタートして評判になったという店でした
ワインもベト
ナム産にこだ
わり中部ダラ
ト高原のもの
を
9時半レストランを後にした。朝 8 時に出かけて、ハロン湾
への往復8時間のバスの旅は流石に疲れました。
明朝はチェックアウトして日本に帰ります。ハノイに来て何
も見ないで空港直行では、わざわざ東京に来て浅草も、銀座
も見ないで帰るようなものです。せめてもホーチミン廟前で
写真を撮りたいと、ガイドに頼み、 30 分早く、7時半の出発
ということにしました。
⑥ 2月 26 日(土)帰国
時刻 スケジュール
起床 朝食、チェックアウトの準備
・旅券、お金など金庫のチェック
・機内持ち込み液体物のチェック
朝の散策へ
08:45 バス チェックアウトして、ホーチミン
廟を見た後、ノイバイ国際空港へ
(北 40km 、 1 時間はかかる )
China Airlines   CI-792 便に
チェックイン、出国手続き
●免税品購入の注意:下記
11:35
15:15
ハノイ発
・ CI792
台北 着
ハノイ・ Noi Bai 空港を出発
(時差1時間、時計を進める)
台北桃園国際空港到着、
China Airlines CI-106 便待合室へ
16:50
20:45
台北 発
・ CI106
成田 着
台北桃園国際空港 出発
(時差1時間、時計を進める)
成田・第 2 ターミナル 到着
成田空港到着後、帰国手続き
自宅へ 旅券
提示
● ハノイでの出国手続き
・税関の手荷物検査
  念入りな厳しい検査がある。外貨規制や報道規制が厳しい
外貨の持ち出し、ビデオが特に検査されます。
  入国時に申告書を提示した人は旅券と申告書の半片を提示
・出国審査では旅券の提示
注意:台北空港の乗り継ぎの際、 100 ミリリットル以上
  の液体物はセキュリティ検査で没収される。ハノイの空港
  で買った酒類等の免税品でも没収の対象になるので、
  台北空港の免税品店をご利用ください。
預ける手荷物はカウンターの後
ろで検査官が X 線検査をする
残った V 通貨の再両
替は US$200 まで1
F 到着口の銀行で可
能。
両替時の銀行の領収
書提示を求められる
。
2月 26 日(土)帰国
いろいろ見て、味わって、感じて、充実した旅でした。朝食には名残り惜しくフォーを食べ、チェックアウトして、午前7時半空港へ向けて出発。
11:30 発台北行きに乗る予定です。せめてもホーチミン廟だけでも見たいので、出発を 30 分早めました。オートバイの混みよう、路上で小さ
なプラスチックの椅子に座って朝ご飯を摂る人々、ベトナムの生活はこれからも同じように続いていくのでしょう。
ホ廟前の大きな広場の北東角にはベトナム共産党本部
ホーチミン廟への入場のために待つ行列。地方からの青年団
、農家のおじさん一行、リボンを付けて賑々しいおばさんた
グループ、小学生の団体など、列も乱さず、延々と待つ。
   1940 年 日本軍は北部ハイフォンに進駐。ベトナム共産党がフラ
ンス・日本に対して武装闘争を決定。翌 41 年には中部ニャチャンに
侵攻。 1944 年フランス本国からドイツが撤退すると大本営はインド
シナの完全支配を決定(明号作戦)日本軍は全域で武力行使しフラン
ス軍を武装解除し、バオ・ダイ帝を使ってベトナム国を造り、日本の
傀儡化を図り、次いで、カンボジア、ラオスも独立させた。しかし武
力行使によって拡大した戦線の補給が困難になり明号作戦は 2 カ月
で停止せざるをえなかった。
   5 年にわたる仏日にの二重支配で餓死者が 200 万を越えたと、
ホーチミンは 1945 年の独立宣言のなかで述べている。この件につい
てベトナム政府は日本に対し外交問題として取り上げたことはない。
より多くのベトナム人が、その後の第一次インドシナ戦争、ベトナム
戦争で亡くなっているためと考えられている。
   1945 年日本が降伏しフランスは支配を回復するが独立を宣言し
たベトナム民主共和国と第一次インドシナ戦争 に入る。この戦争に
仏越両軍に日本軍兵士が多数参加した。なかには、陸軍士官学校を創
設して、約 200 人のベトミン士官を養成した者もおり、 1986 年には
8 人の元日本兵がベトナム政府から表彰を受けている。 1951 年に日
本政府はベトナム国(南ベトナム)と平和条約を締結し、 1959 年に
140 億 4000 万円の戦争賠償支払いで合意した。一方、ベトナム民主
共和国(北ベトナム)は戦争賠償の請求権を留保し、ようやく 1973
年に外交関係が樹立する。
空港へ
通りすがりにハノイの名所「真武観」(道教の寺) ハノイ市外の北西の西湖を通過する
道の分離帯がハノイの歴史を物語る陶器板とガイドが自慢 市のはずれにあった花市場
紅河を渡る。
紅河を渡る。朝のラッシュでのろのろだがこれを渡れば、空港は近い。左に住友商事とベトナム政府が造成した Thang Long 工業団地が見え
てくる。キャノンを始め日系企業が多く入っている。ここで多くのベトナムの若者を雇い、教えていりことを思うと、有難く、またガン
バッて欲しいと思うのでした。ほぼ予定通り、ホーチミン廟を出発してから 1 時間足らずでハノイ Noi Bai 空港へ到着。出発は 2 階からに
なっている。物凄い混みよう、
なんだこりゃ!
成田
台北
ハノイ
●11 : 30  ハノイ発  CI-792
  ( 1 時間時計を進める)
● 15 : 15  台北着
  長く歩いてターミナルを移動
● 16 : 20  台北発  CI-106 便
  (時計を、また、1時間進める)
● 20 : 25  成田到着予定
2月 26 日(土) 成田に無事到着
いい旅でした。
ベトナムの人びとの暮らしぶり、外から見たっだけだけ
ど
そこから見えるベトナムの人びとの物の味方、考え方、
心情
など、これまで以上に親近感を覚えました。
これまで、漢字を使用した中国周辺の 3 カ国の人びと
(朝鮮人、台湾人、ベトナム人)をみたが、
ベトナムだけが、漢人の支配に対抗すことによって
生まれた国である。人びとはつましく、強欲ではない。
しかし、その底に秘めた他の支配を排除する力は
云い知れない。決して妥協する人達ではない。
漢字文化や儒教文化はとうに捨てている。常に
中国に従属し、未だに儒教が支配する韓国とは
100% 反対方向に進んでいる。日本はこの国の
人びとへの加害者であった時期があった。
軍部の米略奪で 100 万人以上が餓死したという。
今、日本の企業が盛んに進出して、ベトナムの若者を
雇用し育てている。企業側の独自の倫理にあるにしろ
とっても良いことだ。
ベトナム料理は美味しかった。食材が贅沢、飾り付けが
綺麗だというわけではない。しかし、どの皿も味つけが
合った。
ホイアンはきれいだった。こんな街がこの世にあると
思えないほどだった。
また来よう。今度は満月の頃に。

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