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長谷川ゼミ後期発表課題
2016年12月20日
池田伊央理
贈与と書面
最高裁昭和60年11月29日第二小法廷判決
(昭和57年(オ)第942号:所有権移転登記抹消登記手続請求事件)
(民集39巻7号1719頁,判時1180号55頁,判タ582号64頁)
【事実の概要】
A は昭和42年6月27日に72歳で死亡し、この X ら5名(原告・被控訴人=控
訴人・上告人)が A を相続した。A は死亡前の同年2月から5月にかけて、複数の土
地や数口の預金債権を次々と Y(被告・控訴人=被控訴人・被上告人)に贈与してい
た。土地の贈与については、1筆の宅地(以下、「本件土地」という」を除き、A から
Y への所有権移転登記または所有権移転請求権の移転付記登記がなされ、預金債権に
ついてはすべて贈与証書が作成された。
Y は戸籍上 A の子であるが、実際は A の亡妻と他男との子である。Y および A は X
らと生活を共にしてきたが、X らの1人や A との間にトラブルが生じ家を出た。しか
し、A と同居していた女性が昭和41年3月に A 方を出た後は、近くに住む Y が A の
世話などをしていた。
X らは、A から Y への各贈与は存在しないとして、対象である各土地の所有権およ
び各預金債権につき相続した旨を主張してその確認を求め、また各土地につきなされ
た登記の抹消登記手続を求めて訴えた。また、各贈与があったとしても当時 A に意思
能力はなかったとして効力を争い、仮に有効としても本件土地の贈与は書面によらな
い贈与であり取り消した(平成16年改正前の民法550条は「撤回」ではなく「取
消」の語を用いる。以下、主張および判旨は当時の用語による)と主張した。なお、
予備的請求として遺留分減殺に基づく権利の確認を求めた。
Y は、本件土地の贈与につき、A から本件土地の前主 B に宛てた内容証明郵便が贈
与の書面にあたると主張。これは、A が B から本件土地を購入し代金も完済したが登
記を経ていなかったため、A が司法書士 C に依頼し、本件土地を Y に譲渡したから B
から Y に対し直接所有権移転登記をするよう求めた書面を作成して B 宛に差し出した
ものである。
第一審はこの書面を民法550条にいう書面とは認めず、X らによる本件土地の贈
与の取消しを認めたが、原審は書面による贈与として取消しを認めず、予備的請求の
みを認容した。X ら上告。
【裁判の経過】
第一審(原原審)
名古屋地方裁判所岡崎支部判決
昭和42年(ワ)第140号
昭和53年07月27日
~事案の概要~
被相続人Aが前主Bから不動産を取得し、これを被告Yに贈与するとともに、司法書
士Cに依頼して、B宛てに、同不動産を被上告人Yに贈与したのでBから直接所有権
移転登記をするよう求める旨の内容証明郵便を差し出した場合において、Aの相続人
である原告Xらが、贈与の事実を争うとともに、同内容証明郵便は民法550条にい
う書面に当たらないとして、贈与の取消を求めるなどした事案で、贈与の事実を認め
た上で、同内容証明郵便は民法550条にいう書面に当たらないとして、原告Xらの
主張を認め、本件不動産につき相続分に従った原告Xらの持分を認めた事例。
~主文~
1.別紙第二目録記載の土地につき、原告らが各六分の一宛の持分権を有することを
確認する。
2.被告は原告らに対し金77万3575円宛を各支払え。
3.原告らのその余の主位的及び予備的各請求を棄却する。
4.訴訟費用はこれを五分し、その二を被告、その余を原告らの負担とする。
~事実~
①当事者の求めた裁判
・請求の趣旨
(ア)被告は原告に対し、別紙第一目録(一)記載の山林につき別紙登記目録一記載
の登記の、別紙第一目録(二)記載の土地につき別紙登記目録二記載の登記の、別紙
第一目録(三)記載の土地に対する権利につき別紙登記目録三記載の登記の各抹消登
記手続をせよ。
(イ)被告は、原告らに対し、金100万円と、これに対する昭和42年9月23日
から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。
(ウ)別紙第二目録記載の不動産につき、原告らが各自持分六分の一の権利を有する
ことを確認する。
(エ)別紙第三目録記載の預金債権につき、原告らが各六分の一の権利を有すること
を確認する。
(オ)訴訟費用は被告の負担とする。
(カ)第2項について仮執行宣言
また、主位的請求につき、
(ア)原告らの請求をいずれも棄却する。
(イ)訴訟費用は原告らの負担とする。
②当事者の主張
一.主位的請求の原因
1 原告ら及び被告は訴外亡Aの子であるが、右Aは昭和42年6月27日死亡し
た。
2
(ア)別紙第一目録(一)、(二)記載の土地の所有権及び同目録(三)記載の土地の
所有権移転請求権は右Aに属するものであつたが、原告ら及び被告はAの死亡に伴
い、これらを相続により取得した。
(イ)別紙第一目録記載の各土地及び権利には、前記請求の趣旨の主位的請求1記載
のとおり、Aから被告に対する贈与を原因として、同目録(一)の土地には別紙登記
目録一の、同第一目録(二)の土地には同登記目録二の、同第一目録(三)の権利に
は同登記目録三の各移転登記がなされている。
(ウ)しかし、右各登記は、被告がAより贈与をうけていないにもかかわらずなした
ものであり、右各登記は登記原因を欠き無効である。
3
(ア)被告は、Aの承諾を得ることなく、昭和41年12月から昭和42年6月まで
の間、岡崎信用金庫等に預金してあつたA名義の預金100万円以上を勝手に引き出
し、自己の物にしてしまつた。
(イ)従ってAは、被告に対し、右金員につき不当利得の返還請求権を取得したが、
原告らはこれを相続により取得した。
4
(ア)別紙第二目録記載の土地の所有権及び同第三目録記載の各預金債権はAに属す
るものであつたが、原告ら及び被告は前記相続により各六分の一宛の権利を取得し
た。
(イ)しかるに、被告はAより贈与を受けていないにも拘らず右土地及び預金債権を
含めてAの財産全部を同人から生前贈与を受けたと主張する。
5 よって、原告らは被告に対し、別紙第一目録記載の各土地及び権利になされた別
紙登記目録記載の各登記の抹消登記手続を、第3項記載の返還請求権につき内金10
0万円の支払と、これに対する訴状送達の翌日である昭和42年9月23日から支払
ずみまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を、別紙第二目録記載
の土地については原告らが各自六分の一宛の持分権を有することの確認を、同第三目
録記載の各預金債権については原告らが各自六分の一宛の権利を有することの確認
を、それぞれ求める。
二.主位的請求の原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2(ア)の事実中、別紙第一目録(一)、(二)記載の土地の所有権及び同目
録(三)記載の土地の所有権移転請求権がAに属するものであつたことは認め、その
余は否認する。同2(イ)の事実は認める。
3 同3の事実は否認する。
4 同4の事実中、別紙第二目録記載の土地の所有権及び同第三目録記載の各預金
債権がAに属するものであつたことは認め、その余は否認する。
三.抗弁
被告は、原告主張の物件及び権利につき、次の各日時に亡Aより贈与をうけた。
1 別紙第一目録(一)の土地につき昭和四二年二月一日、同(二)の土地及び同
(三)の土地に対する所有権移転請求権につき同年三月二六日
2 同第二目録記載の土地につき同年四月三日
3 同第三目録(一)、(二)の預金債権につき同年五月三一日、同(三)の預金債
権につき同年二月六日
四.抗弁に対する認否
抗弁事実は全部否認する。亡Aは次の諸事由により、他の子らをさしおいて被告に
全財産を贈与する理由は全く存在せず、贈与に関する文書はいずれも真正に成立した
ものとはいえない。すなわち、
1 被告はAの実子ではないこと。
2 Aは被告を嫌っており、被告に財産をとられては困ると言っていたこと。
3 被告はかつてAの財産を持ち出したため同人から出入を禁じられていたこと。
4 AはYと同居し、使用人として訴外Zを使っていたから、被告に扶養される必
要はなかったこと。
5 贈与日がそれぞれ異なって不自然であること。
6 Aは老いて医療費等出費が予想され、全財産を他に贈与する状況になかったこ
と。
7 被告は昭和36年にAの財産を取得しようともくろんで扶養義務者指定等の調
停申立をしたが、今回も昭和42年に同様の申立をしていること。
五.再抗弁
1 仮に被告主張の各贈与が存在するとしても、亡Aは明治28年7月20日生れ
で、昭和42年6月27日死亡した当時72歳11ケ月の高齢であるうえ、昭和36
年に交通事故に遭って以来頭の働きが鈍くなり、昭和41年末頃よりは完全に弁識能
力を失うに至っていたのであり、昭和42年2月1日から同年5月31日の間になさ
れたとする被告主張の各贈与はいずれも亡Aが意思能力を欠いた状態でなされたもの
で無効である。
2 更に、別紙第二目録記載の土地については、仮に被告主張の贈与が存在し、か
つ有効であるとしても、同贈与は書面によらない贈与であり、原告らは右贈与の取消
権を相続によって取得したから、昭和50年10月29日の本件口頭弁論期日におい
て取消の意思表示をした。
六.再抗弁に対する認否
1 再抗弁1の事実中、各贈与をなすにつき亡Aが意思能力を欠いていたとの点は
否認する。
2 同2の事実中、同贈与が書面によらない贈与である点は否認する。甲第九号証
の内容証明郵便がその書面である。
↓これに対してYが控訴↓
控訴審(原審)
名古屋高等裁判所民事第3部判決
昭和53年(ネ)508号
昭和57年5月24日
~事案の概要~
被相続人Aが前主Bから不動産を取得し、これを一審被告Yに贈与するとともに、司
法書士Cに依頼して、B宛てに、同不動産を被上告人Yに贈与したのでBから直接所
有権移転登記をするよう求める旨の内容証明郵便を差し出した場合において、Aの相
続人である一審原告Xらが主位的に贈与の事実を争うとともに、同内容証明郵便は民
法550条にいう書面に当たらないとして、贈与の取消を求めるなどし、予備的に遺
留分減殺請求及び価額弁償を求めた事案で、贈与の事実を認めた上で、本件書面は不
動産につきAと一審被告Yとの間に贈与の意思表示がなされた書面そのものではない
が、Aが一審被告Yに本件不動産を譲渡したことに基づき同人への所有権移転登記手
続という重要な手続を求めたものとして、Aから一審被告Yへの贈与の事実を確実に
認めることができるから、同書面は民法550条にいう書面に当たるとして、主位的
請求を斥け、予備的請求の一部を認容した事例。
~判旨~
1.もと所有者に宛てて「同人(もと所有者)から買受けた右土地を右同日付で受贈者
に譲渡したから、所有権移転登記手続は受贈者になされたい」旨の記載のある文書は
民法550条にいう書面に当る。
2.遺留分侵害の範囲を確定するための贈与財産の価額評価の基準時は相続開始時と解
するのが相当である。
3.遺留分権利者が選択的にせよ受贈者に対し民法1041条の価額弁償を請求してい
るときは受遺者において価額弁償の現実の履行または履行の提供をしたことの主張立
証がなくとも遺留分権利者の利益を害することがないから価額弁償を命ずることがで
きる。
4.価額弁償の制度が現物の返還に代るものである以上、価額は口頭弁論終結時を基準
とし、その時点における評価額を弁償すべきものと解する。
5.(ア)遺留分減殺の請求権は、遺留分権利者が相続の開始および減殺すべき贈与が
あったこと、すなわちその贈与が遺留分を侵害することを知ったときから進行する。
(イ)本訴につきいまだ一審判決もなされていない以前の段階である前記減殺請求
の意思表示の時点において、第一審原告らが、各贈与が遺留分を侵害することを知っ
ていたとは認め難い。
↓これに対してXらが上告↓
上告審
最高裁判所第二小法廷判決
昭和57年(オ)第942号
昭和60年11月29日
~主文~
本件上告を棄却する。上告費用は上告人らの負担とする。
~理由~
民法550条が書面によらない贈与を取り消しうるものとした趣旨は、贈与者が軽率
に贈与することを予防し、かつ、贈与の意思を明確にすることを期するためであるか
ら、贈与が書面によってされたといえるためには、贈与の意思表示自体が書面によっ
ていることを必要としないことはもちろん、書面が贈与の当事者間で作成されたこ
と、又は書面に無償の趣旨の文言が記載されていることも必要とせず、書面に贈与が
されたことを確実に看取しうる程度の記載があれば足りるものと解すべきである。こ
れを本件についてみるに、原審の適法に確定した事実によれば、上告人らの被相続人
である亡Aは、昭和42年4月3日 Y に宅地165・60平方メートルを贈与した
が、前主であるBからまだ所有権移転登記を経由していなかったことから、被上告人
に対し贈与に基づく所有権移転登記をすることができなかったため、同日のうちに、
司法書士Cに依頼して、右土地を被上告人に譲渡したからBから被上告人に対し直接
所有権移転登記をするよう求めたB宛ての内容証明郵便による書面を作成し、これを
差し出した、というのであり、右の書面は、単なる第三者に宛てた書面ではなく、贈
与の履行を目的として、亡Aに所有権移転登記義務を負うBに対し、中間者である亡
Aを省略して直接被上告人に所有権移転登記をすることについて、同意し、かつ、指
図した書面であって、その作成の動機・経緯、方式及び記載文言に照らして考えるな
らば、贈与者である亡Aの慎重な意思決定に基づいて作成され、かつ、贈与の意思を
確実に看取しうる書面というのに欠けるところはなく、民法550条にいう書面に当
たるものと解するのが相当である。論旨は、右と異なる見解に基づき原判決の違法を
いうか、又は原審の認定にそわない事実を前提として原判決を非難するものにすぎ
ず、採用することができない。
~判旨~
B から不動産を取得した A がこれを Y に贈与した場合において、A が司法書士 C に依
頼して、登記簿上の所有名義人である B に対し、右不動産を Y に譲渡したので B から
直接 Y に所有権移転登記をするよう求める旨の内容証明郵便を出したなどの事情があ
るときは、その内容証明郵便は、民法550条にいう書面にあたる。
【研究】
~本件関連条文~
◎549条
贈与は、当事者の一方が自己の財産を無償で相手方に与える意思を表示し、相手方
が受諾をすることによって、その効力を生ずる。
◎550条
書面によらない贈与は、各当事者が撤回することができる。ただし、履行の終わっ
た部分については、この限りでない。
△1029条
1.遺留分は、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与した
財産の価額を加えた額から債務の全額を控除して、これを算定する。
2.条件付きの権利又は存続期間の不確定な権利は、家庭裁判所が選任した鑑定人
の評価に従って、その価格を定める。
△1041条
1.受贈者及び受遺者は、減殺を受けるべき限度において、贈与又は遺贈の目的の
価額を遺留分権利者に弁償して返還の義務を免れることができる。
2.前項の規定は、前条第一項ただし書の場合について準用する。
△1042条
減殺の請求権は、遺留分権利者が、相続の開始及び減殺すべき贈与又は遺贈があっ
たことを知った時から一年間行使しないときは、時効によって消滅する。相続開始の
時から十年を経過したときも、同様とする。
~贈与の意義・要件・効果~1
贈与は、当事者の一方(贈与者)が相手方(受贈者)に対して無償で自己の財産
(財産権)を与える片務・諾成契約である。わが民法は当事者双方の意思表示の一致
(合意)を要件としており、贈与を契約として構成しているが、歴史的には贈与は契
約ではなく、無償の事実行為(引渡し)によって成立するのが通常であったし、現代
でも贈与を契約としない立法例も珍しくない。
贈与が成立すれば、贈与者が受贈者に対して目的となった財産を移転する債務を負
担し、引渡しや移転登記等をしなければならない。目的物が特定物である場合、引渡
しまで贈与者は善管注意義務を負担すると解される(民法400条)が、贈与の無償
1清水元『プログレッシブ民法[債権各論Ⅰ]』成文堂(2012)125~130頁
性から、「自己の財産におけると同一の注意義務」に軽減すべきであろう。
~民法550条の趣旨~2
550条の立法趣旨は、一般的に、贈与者が軽率に契約することをいましめるとと
もに、贈与者の意思の明確性を期し後日紛争を生ずることを避けるためである、と解
されている。この見解に対して、本条は、書面のないときは当事者の任意にのみ履行
すべき契約、すなわち、訴権のない紳士契約であると推定した規定であると解する立
場がある。
これらの立法趣旨に関して、贈与者が軽率に一時の感情に走ることをいましめ慎重
に熟慮の機会を与えようという警告的な目的に力点を置くべきではないかという批判
がある。その理由として、警告的な意味を強調して理解するときには、贈与と同時に
目的物を受贈者に移転してしまう場合においても、軽率を根拠として、取消を許す機
会を与えることが合理的でなければならない、ということが指摘される。確かに、実
際的には、軽率に贈与したことによって、後日、後悔をするのは、むしろ目的物を移
転してしまったような場合が多く、警告的な意味は、このような場合に強調されなけ
ればならない。したがって、書面によらない贈与の取消しを認められている根拠は、
このような個人的な理由に重点を置くべきではなく、受贈者が契約のあることによっ
て債務の履行を請求するに際して紛争を惹起したときに、贈与の性質上法律関係を確
定することが困難である事を考慮して、前もって、そのような紛争を惹起しないよう
に期図するという、いわゆる社会的な理由に基づいていると解するのが、より妥当で
あるということである。また、550条を書面によらない贈与契約のすべてから訴権
を奪ったものと解することは、行き過ぎであろう。
~贈与書面について~3
贈与が書面によったというのは、「贈与契約証書」が存在することを必要とする意味
ではなく、贈与者の財産を移転するという意思が書面によって表示されていれば足り
ると解されている。例えば、贈与の目的物と贈与の意思が書面に表示されていれば、
受贈者が誰であるか、およびその承諾の意思が他の証拠で認められるに限り、同じ書
面に表示されていなくてもよい(大判昭和2・10・31)。また、贈与契約の当時に
書面を作らなくとも、後日にこれを作成すれば、その時から取消すことができなくな
る(大判大正5・9・22)。のみならず、不動産の登録税(現在の登録免許税)を安
くするために贈与を売買に仮託して売買証書を作成したような場合にも、「書面によ
2中川淳「贈与と書面」:契約法体系刊行委員会編『契約法体系Ⅱ 贈与・売買』有斐閣
(1962)20~21頁
3我妻榮・有泉亨・清水誠・田山輝明『我妻・有泉コンメンタール民法 総則・物権・債
権』[第4版]日本評論社(2016)1048~1049頁
る」ものとされる(大判大正15・4・7)。
その他、書面によるとされたものに、次のような例がある。方式に欠陥があって、
遺言書としては無効とされても、贈与の書面と認められた場合(最判昭和32・5・
21)、県知事に対する農地所有権移転許可申請書に贈与の旨が表示されている場合
(最判昭和37・4・26)、AとBとの間の調停事件に、Cが利害関係人として参加
した調停が成立し、その調停証書にBからCへの土地の贈与が記載された場合(最判
昭和53・11・30)、などであり、本件判例の場合もこれに含まれる。
上と異なり、単に目的物を指示した書面があっても、これを贈与する旨の表示がな
ければ書面による贈与とはいえない(大判大正7・11・18)。また、贈与の意思自
体が書面に表示されることを要し、贈与があったことを証する書面があるだけでは足
りない。例えば、村会(現在の村議会)で、ある個人に贈与することを決議したこと
が議事録によって証明できても、それだけでは書面による贈与とはならず、その贈与
契約を550条によって取消すことの妨げとはならない(大判昭和13・12・8)。
~撤回と取消~4
550条の原条文では、「撤回することができる」という部分は、「之ヲ取消スコト
ヲ得」となっていた。2004年改正は、これを「撤回することができる」と直した
が、この贈与者の権利を撤回権と理解するか、取消権と理解するかについては、そも
そも贈与についてどう考えるかに絡んで、容易でない問題が存在する。そもそも撤回
は、ある意思表示についての概念であって、2個以上の意思表示の合致により成立す
る契約について用いられる概念ではない。贈与は契約であるから、これを一方的に撤
回できるとすることには、やはり疑問があろう。ここでは、一種の取消権と解するの
が妥当であると考える。
これを取消権と解しても、それが制限行為能力や意思表示の瑕疵を理由とする「取
消し」と、その性格を異にすることは明らかである。しかし、その効果、その方法に
ついては、それぞれ公社に関する、121条・123条を準用するべきである。ただ
し、126条は準用するべきでなく、履行が終わらない限り、何年後においても取消
すことができると解されている(大判大正8・6・3)。
なお、550条の取消権は主として贈与者に与えられる趣旨のものであるが、この
ような贈与は、受贈者において取消したいと考えるならば、これを拒否する理由はな
いので、550条は「各当事者」に取消権を認めたのである。
なお、当事者が死亡した場合には、取消権は、一般承継人である相続人に移転す
る。しかし、書面によらないで贈与された目的物の贈与者からの譲受人は、550条
の取消権を行使できないものと解される。なぜなら、贈与するかどうかは、贈与者
(一般承継人を含めて)の意思によるべきだからである。
4我妻榮・有泉亨・清水誠・田山輝明 前掲注(3)1049~1050頁
~550条の但書~5
「履行の終わった」ということは、各場合において決定するべき事項である。
1.動産はもちろん、不動産も目的物を引渡すときは履行を終わったものとされる
(大判大正9・6・17)。
2.不動産は、たとえ引渡しがなくとも、移転登記があれば履行を終わったものとするの
が正当である。判例は、かつて、まだ履行を終わらないと解して、これを否定したが(前掲
大判大正7・11・18)、その後、不動産の贈与者が移転登記の為に必要な登記済証(い
わゆる権利証)を交付することは不動産の占有を移転する通常の方法であるから、その交付
があるときは、引渡しがあったものと推定するべきであると判示し(大判昭和6・5・7)、
途中で引渡しを必要とした例もあったが(最判昭和31・1・27)、その後、移転登記が
経由されたときは、引渡しの有無を問わず、履行を終わったものとすると明言するに至った
(最判昭和40・3・26)。
3.その他、入院中の男性が内縁の妻に居住していた家屋を贈与し、家屋買受けの時の書
類と実印を妻に交付したことで簡易な引渡しがあり、占有移転により履行の終了があった
とした例(最判昭和39・5・26)、贈与者(所有者)の承諾なく目的不動産を占有し、
登記名義を有する者に対して、受贈者が起こした移転登記請求訴訟に贈与者が協力したな
どの事情に基づき履行の終了を認めた例(最判昭和56・10・8)などがある。
4.ただし、農地の贈与については、農地の引渡しがあっても、農地法3条1項による知
事の許可があるまでは取消しができるとされた(最判昭和41・10・7)。
~贈与書面に要求される事柄~6
1.内在的要素
内在的要素とは、書面に記載される事柄をいう。紛争を引き起こさない書面といい
うるためには、まず、贈与者名、受贈者名、贈与の目的、贈与(無償行為)する旨の
記載が必要であり、これがすなわち最小限求められる贈与者の意思の内容である。判
例は、この要素に関して、受贈者名の記載は必要でないとし(大判昭2・10・3
1)、贈与者の権利移転の意思が書面に表示されていれば無償という表現すら求められ
ていない(大判大3・12・25、大判大15・4・7、最判昭25・11・16)。
贈与者名や贈与の目的について争われた事例は見当たらない。我が国では、贈与は諾
成契約であり、書面がその効力発生原因でないのだから、受贈者の承諾の意思表示ま
では書面に求める必要はないと思われる(同旨:大判明40・5.6)。しかし、受贈
者名や無償性の表示は、贈与を行うにあたっての意思の内容であり、贈与者名および
贈与の目的とならんで、最小限、書面に書かれるべき事柄であると考える。したがっ
5我妻榮・有泉亨・清水誠・田山輝明 前掲注(3)1050頁
6柚木馨=高木多喜男編『新版注釈民法(14)』有斐閣(1993)42~44頁〔松川
正毅〕
て、やたらに書面外の証拠で内容を補完することを認めるのは問題である。しかし、
例外として認めるとするならば、これらの証拠は書面から類推できる範囲に限り許さ
れるべきものであると考える。
2.外在的要素
外在的要素とは、書面作成の過程、作成後の書面の扱い等、書面に記載されること
はないが、書面作成にあたって、当事者に求められる事柄である。具体的には、当事
者間での作成および書面の交付という2つの事柄がこの要素を形成している。贈与の
書面は、原則として、当事者間で作成され、その書面が受贈者に交付されることを必
要とする。単独行為である遺言の証書とは異なり、契約である贈与には、受贈者の関
与、受贈者への交付がなければ、原則として契約としての書面とはいいがたいからで
ある。しかし、贈与の書面が第三者との間で作成されても、その書面が贈与の当事者
双方の関与または了解のもとに作成され、その書面の性質上、贈与の当事者間で重ね
て書面を作成するまでもないと一般に思料される場合には、特別に、贈与当事者間で
作成・公布された書面に準じて考える。また、書面が、受贈者以外の第三者に交付さ
れた場合には、当事者間で重ねて書面を作成するまでもないと一般に思料される場合
のほか、その者が単なる第三者でなく、贈与の履行につき必要的地位にあれば、例外
的に当事者間で交付がなされた書面に準じて考えることができる。つまり、まず第1
に、当事者間で作成されることということについて、本件判例の内容証明郵便のケー
スでは、当該書面の作成にあたって当事者双方の関与があったかどうか不明であり、
書面の贈与とはいえないと考える。また、第2に、書面の交付に関し、本件判例の内
容証明郵便のケースでは、第三者に書面が差し出されたのであるが、この第三者は司
法書士であり、履行につき必要的地位にある者であったので、この意味においては、
当事者間で交付がなされたに準じて考えることができる。以上のように、贈与の書面
には、内在的要素と外在的要素の2つが原則として求められており、そのいずれかを
欠いても、贈与の書面とはいえないのである。
【参考文献】
○民法判例百選Ⅱ 債権[第7版]48番 森山浩江 有斐閣(2015)
○判例タイムズ582号64頁
○瀬川信久・内田貴『民法判例集 債権各論』[第3版]有斐閣(2012)41~
42頁
○D1-Law.com 第一法規法情報総合データベース
○LEX/DB インターネット TKC 法律情報データベース
○中川淳「贈与と書面」:契約法体系刊行委員会編『契約法体系Ⅱ 贈与・売買』有斐
閣(1962)20~21頁
○柚木馨=高木多喜男編『新版注釈民法(14)』有斐閣(1993)42~44頁
〔松川正毅〕
○清水元『プログレッシブ民法[債権各論Ⅰ]』成文堂(2012)125~130頁
○我妻榮・有泉亨・清水誠・田山輝明『我妻・有泉コンメンタール民法 総則・物権・
債権』[第4版]日本評論社(2016)1048~1050頁

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