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ヨシの水彩絵日記
日記など小学生の頃夏休みの宿題でいやいやつけ
た事があるだけの私だが、還暦を迎える頃からふ
と今日まで過ごしてきた自分の人生を思い返して
見たくなった。子供の頃、小学生の頃、中学生の
頃、大学生の頃、社会人となってからの日本での
思い出、ブラジルでの思い出、ポルトガルでの思
い出・・・思い出しているうちに絵を付けてみた
くなり水彩日記とすることにした。




プロフィール
宮川芳晴     Yoshiharu Miyakawa
1947年    岐阜県郡上郡八幡町出生
1965年    静岡県立静岡高校卒業
1969年    東京芸術大学美術学部工芸科卒業
1969年    いすゞ自動車入社
1971年    米国アートセンターカレッジオブデ
ザイン留学
1976年    ブラジル移住、GMブラジル入社
1991年    ポルトガル移住、MM Design 設立
         今日に至る

E-mail   yoshiharumiyakawa@gmail.com
ジャイアント/マツダオート三輪
トラック
(小学校1年の頃)

岐阜県郡上八幡で生まれ小学校1年を終了す
るまで郡上に住んでいた。両親が米屋/八百
屋を営んでいたので、定かではないが幼稚園
の頃には既にバーハンドルのオート三輪が家
にあったような気がする。比較的はっきりし
た「最初の思い出」はジャイアントの丸ハン
ドル三輪トラック、コンドルと呼ばれ2灯ヘ
ッドランプ、ベンチシート、水冷フラットエ
ンジン・・・など当時としては非常に進歩的
で高水準の三輪トラック、ボディーカラーは
グレーだったかな?同じ頃、近所の家のガレ
ージにはマツダのバーハンドルオート三輪が
停まっていて(動いているのを見た覚えはな
いが・・・)友達と一緒にサドルにまたがっ
たり荷台によじ登ったりして遊んだものだ、
ブラウンとブルーのくすれた(色の褪せた)
2トーンカラーボディーがなんとなく記憶に
残る。
ベイビーライラック号
(小学校1年の頃)

近所の文房具屋さんに少し赤味がかったブラ
ウン&ベイジュの2トーンカラーの小柄なオ
ートバイがあった、いつも2~3台の自転車
と一緒に店前に停められていたベイビーライ
ラック号は自転車より背が低いおもちゃみた
いなキュートなバイクで、子供心にも興味を
惹かれわざわざ見に行ったりした。1953
年に発売されたベイビーライラック号はヘッ
ドライトと燃料タンクを一体として重心を思
い切り下げ女性でも容易に乗れるユニークで
親しみ易いデザインでまとめられていた。他
の一般的ないかついブラックのオートバイと
は全く違った存在でチェーンの無い(シャフ
トドライブ)安全で進歩的な機能を備え、4
サイクル90ccのエンジンを積み無免許で
乗れる可愛い小型バイクとして市場で好評を
呼び大ヒット作となった。
寒天菓子/ふ菓子/ラムネ
(小学校1年の頃)

学校帰りにお菓子屋さんに寄って駄菓子を買
う悪い習慣がついていた、数え切れないほど
多くの駄菓子の中で特に好きだったものを3
つ挙げる。まずは寒天菓子、直径1センチ長
さ30センチくらいのガラス管に詰まってい
るレッド、イエロー、グリーンの寒天ゼリー
をチュルッと口に吸い込む、はっきり覚えて
いないが1本30銭くらいだったかな?。ふ
菓子は直径5センチ長さ25センチくらいで
白砂糖に覆われたピンクのおふと黒糖と呼ば
れる黒褐色のおふがあったが白砂糖の方が好
きだった、ふわふわシャリシャリと口当たり
の軽い感じがとてもいい。分厚いグリーンの
ガラス瓶のラムネは栓になっているビー玉を
栓抜きでポンと瓶の中に叩き落すとシューと
炭酸の泡が吹き出てくる、瓶の中のビー玉を
チャリチャリ音をたてながら出来るだけゆっ
くり飲むのが楽しみだった。
ウィリスジープ MB/フォードG
PW
(小学校1年の頃)

家からあまり遠くないところにある旅館「満
州屋」に軍服を着た進駐軍の兵隊さんがジー
プに乗ってやってきた。外人さんを見るのは
生まれて初めてだったが子供の好奇心という
やつで恐る恐るジープに近ずくと兵隊さんは
ニコニコしてなにやら言いながら(英語だか
らわかるはずが無いのだが・・・)チューイ
ンガムを1つくれた、グリーンのチューイン
ガムは今でもはっきり覚えている。つや消し
オリーブグリーンのジープは奥目で小さなヘ
ッドライトの旧式だったので多分ウイリスM
B型だったろう。ウイリスMB/フォードG
PWは第2次大戦中に高い耐久性と不整地走
破性を持って生まれた軍用小型四輪駆動車で
2.2リッター 4気筒エンジンを積んでい
た、タフで使い易くオールマイティーな性能
はその後多くのSUV、4x4ビークルの登
場に大きな拍車をかけた。
鮎の友釣り
(小学校1年の頃)

父と一緒に何度か鮎釣りに行った(と言うよ
り連れて行かれた)。郡上八幡は「水の都」
と言われるように吉田川(長良川上流)が町
中を流れる、清らかな水には鮎の泳いでいる
のが橋の上から見えた。鮎の縄張り争いの習
性を利用した「おとり釣り」で友鮎(おとり
鮎、父は種鮎と呼んでいた)は鼻輪(ハナカ
ン)をかけられ釣り糸の先につけられて泳ぎ
回る、縄張りに侵入された野鮎は怒り狂って
友鮎に体当たりをしてもつれ争っているうち
に友鮎に仕掛けられたカケ針に引っかけると
いう日本独特の釣り方だ。「 タネを逃がさ
ないようにしっかり持っとれよ・・・」と言
って父が竿を持たしてくれた、太ももあたり
まで水につかりながら重くて長い竿を必死に
抱えていたのを思い出す。鮎は滑らかなシル
バーの体にイエローの斑点が美しい。
小型四輪トラック オオタ号
(小学校1年の頃)

バーハンドルのオート三輪トラックが主流で
丸ハンドルのジャイアントが珍しかった当
時、近所のお菓子やさんにオオタ自動車工業
という会社が生産したオオタ号という1トン
積み小型四輪ボンネットトラックがあった。
お菓子屋さんの息子(たかしちゃんだったか
な?)は私より2~3級上級生だったと記憶
するがオオタ号のキャビンや荷台によじ登っ
て一緒によく遊んだものだ。当時オオタ号は
ダットサントラックと小型貨物車市場を2分
するほどであった、はっきりした記憶は無い
がフェンダーにヘッドライトが収まるクラシ
ックデザインのボディーはグレー味を帯びた
ブルーのボディーカラーだったような気がす
る。
日産 オースチン A40サマーセッ
ト
(小学校2年の頃)

A40サマーセットはニッサンと英国のブリ
ティッシュ モータース コーポレーション(B
MC)のオースチンとの技術提供により日本
でノックダウン生産された車で4気筒1.2リ
ッター 42馬力のエンジンを積んでいた。そ
の英国風クラシカルなたたずまいと剣道のお
面をフロントマスクにしたようなデザインは
なかなか好評を博した。当時日本の自動車業
界は開発及び生産技術導入のためいすゞがイ
ギリスのヒルマン、日野がフランスのルノー
4CV・・・という風に主にヨーロッパのオ
ートメーカーとの技術提携によるノックダウ
ン(CKD)生産販売をしていた。オースチ
ンA40サマーセットはよくタクシーとして
使われたので私の思い出に残る、ずんぐりと
して丸みを帯びたブラックのサマーセットタ
クシーは郡上八幡駅前(長良川鉄道越美南
線)にいつも2~3台停まっていた。
ザリガニ
(小学校2年の頃)

小学校2年の時、両親の仕事の都合で郡上か
ら静岡市に引っ越してきた。郡上では見たこ
とも無い「マッカチン」と呼ばれるアメリカ
ザリガニを見てびっくりした。ため池、田ん
ぼ、小川などどこにでも見られたが、腹にび
っしり子をつけた雌の真っ赤なマッカチンを
見つけるとうれしくなって必死に追いかけた
ものだ。そのうち友達からため池(堤)での
マッカチンの釣り方を覚えた。まず殿様ガエ
ルを捕まえる、皮をむいて腹を割き腹わたが
ぶら下がるようにして後ろ足をタコ糸に結び
つける、3~4メートル先へ投げ込む、大き
なはさみで餌にかぶりついたマッカチンを手
元の水中に沈めてあるタモの上まで静かに手
繰り寄せて素早く掬い上げる。稲作の大敵と
されたマッカチンは農薬DDTの散布で壊滅
してしまった。
麦笛
(小学校3年の頃)

学校が自宅から3km 以上も離れていたので近
所の小学生10人くらいがグループとなって
一緒(上級生が責任者として前後につく)に
通学した。通学路は最短距離を選ぶので田ん
ぼや畑のあぜ道がかなりあった。麦畑のあぜ
道を通る時、麦の穂の出始める頃(稲の田植
えの始まる前だから3~4月頃と記憶する
が)硬く青い穂をつまんで上方にキュッと引
き抜くと黄緑色をした空洞の茎が現れる、丸
い茎を5センチ程の長さにちぎり片側を舌と
唇で軽くつぶして口に含みクラリネットのリ
ードのように吹いて音を出す、それぞれの茎
はプーとかピーとか音の異なる麦笛になるの
で10人が一緒に吹き出すと自然をバックグ
ラウンドにした「即興子供吹奏楽」が出来上
がる。「畑荒らし」なのでお百姓さんに見つ
からないように密かに楽しまなければならな
い。
ダイハツミゼット
(小学校4年の頃)

我が家にテレビが入ったのは小学4年生の時
だった、ちょうどその頃バーハンドルでサド
ルシート1人乗りの軽3輪ダイハツミゼット
(DK型)が発売されまたたくまに大ヒット
し軽3の代名詞とまで言われた。単気筒エン
ジンでキャビンは屋根と後ろが幌、ドアは無
しというプリミティブなクルマだったが大村
コンちゃん/佐々十郎コンビのテレビコマー
シャル 「ミゼット ミゼット ミゼッ
ト・・・」 で日本中に笑いをふりまいた。ボ
ディーのグリーン&イエロー、ブルー&イエ
ロー(幌もイエロー)の2トーンカラーは軽
快で親しみやすいイメージを与えた。2年後
には2人乗り丸ハンドルでスチールキャビン
のMP型に生まれ変わったがボディーには2
トーンカラーは引き継がれずグレー、ブル
ー・・・のモノカラーとなった。
ヤマカガシ/シマヘビ/青大将
(小学校4年の頃)

現在のようにコンピューターやビデオゲーム
等の無い時代、子供たちの遊びと言えば野山
を走り回り野生のアケビやグミの実を食べた
り、昆虫や鳥を追い掛け回したりすることだ
った。トカゲや蛇などの爬虫類もずいぶんか
わいがった(いじめた?)、一番多く捕まえ
たのはヤマカガシ、赤/橙/黄3色のまだら
模様がきれいな蛇で茶畑のあぜ道でよく見か
けた、ヤマカガシが有毒蛇とは知らず頭のす
ぐ下(首)をつまんでおもちゃにして遊んだ
ものだ、幸いかまれた記憶は無い。シマヘビ
はヤマカガシと同じくらいよく見かけたが淡
褐色に何本かの黒褐色の縞模様があるのでこ
の名がついたのだろう、面白半分に何度か茹
でて食べたことがあるが味は何も無かったよ
うだ。濃褐緑色の青大将は当時家の中に稀に
現れたものだが父から「ねずみや害虫を食べ
る良い蛇だからそっとしておいてあげなさ
い」と言われていたので捕まえたことが無
い。
ホンダ ベンリイ号/ドリーム号
(小学校4年の頃)

ホンダ初の2気筒エンジンバイクで125c
cがベンリイ号(C90型) 、250cc
がドリーム号(C70型)。ヘッドランプ、
メーター、ミラー、ショックアブソーバ
ー・・・までがエッジの効いた角ばった四角
いイメージで統一されたデザイン(「神社仏
閣デザイン」と呼ばれた)は強烈に新鮮、個
性的で他社のバイクデザインと一線を画して
いた。ブラックのボディーにブラウンのシー
ト/グリップハンドルのコンビネーションは
明るい近代的なイメージを与えるのに一役買
っていた。スポーツモデルは穴あきのクロー
ムプロテクター付きのマフラー
が後ろ上方に跳ね上がるスポーティーなルッ
クスでアピール。テレビでは「正義の味方月
光仮面」が白い衣装に白ターバンと黒いサン
グラスのいでたちで「白いドリーム号」をか
っこよく乗り回し悪者を懲らしめていた、大
好きな番組でテレビにかじりついて見ていた
ものだ。
クマ蝉/ツクツクホウシ/アブラ蝉
/ニイニイ蝉
(小学校4年の頃)

クマ蝉は黒い体に透明の羽根を持つ大型蝉、
シャンシャンシャンシャンと鳴くので静岡で
は「シャンシャン」と呼んでいた、この蝉を
木に登り手ずかみで捕らえるのに大変な努力
とテクニックを要した。シャンシャンシャン
シャン・・・と鳴いている間に下からそっと
近ずく、ジィージィー・・・と警戒の鳴き声
に変わったら息を殺してジッと死んだふりを
している、ここで動くとオシッコをかけられ
て逃げられてしまう、シャンシャンシャンと
再び鳴き始めたら下からそーっと手を伸ばし
すばやく手ずかみにする、わくわくする瞬間
だ。ツクツクホウシはクマ蝉をミニチュア化
したように黒い体に透明の羽根を持つ小型
蝉、ツクツクホウシはすばしこい蝉だがクマ
蝉と同じ要領で捕らえる。アブラ蝉は茶色の
羽根の中型蝉、どこにでも多く見られた蝉で
ジジリージジリージジリーと暑苦しく鳴く。
「チーチー」と呼んでいたニイニイ蝉は羽根
に雲形の模様がある小型蝉、ジィージィーと
鳴くがあまり沢山いすぎて捕らえる気にもな
れなかった。
特急こだま号
(小学校5年の頃)

明るいクリーム(ベージュ)&レッドの2-
トンに塗られた斬新な「特急こだま号」を最
初に見たのは小学校の2階の窓からだったと
記憶する、今は校舎の周りに多くの建築物や
住宅が立ち並び窓から電車を見ることなど思
いもよらない。国鉄(JNR)最初の特急電
車で東海道東京ー大阪/神戸の日帰りを可能
にしたので「ビジネス特急」とも呼ばれた。
室内の騒音防止が主な目的でモーターなどを
前面に納めた珍しいレイアウトのボンネット
タイプで運転席が高位置に設けられたユニー
クな電車となった。カラースキムも従来黒、
茶色、ダークブルー・・・等低明度で目立た
ない落ち着いた色が列車カラーのスタンダー
ドとなっていたが「こだま号」は活気的なク
リーム&ダークレッドの2トーンカラーボデ
ィーにステンレスのJNRエンブレムを輝か
せて登場した。日本の鉄道車両の近代化に大
きな一歩を踏み出しただけでなくビジネス特
急として日本人の時間のコンセプトを大きく
変えた列車だ。
日野 ルノー 4CV
(小学校5年の頃)

4CVは日野とフランスのルノーとの技術提
携により1953年に国産化が始まったクル
マだがタクシーとして静岡の町中に多く見ら
れるようになったのは私が五年生ぐらいのこ
とだったと思う。当時小型タクシーといえば
日産ダットサン(110/210型)と初代
トヨペットコロナ(デザインが丸みを帯びて
いたので「ダルマコロナ」と呼ばれていた)
が多く見られた、競合車とは一味異なるオリ
ーブグリーンまたはサンドイエローのボディ
ーカラーに塗られた4CVはリアエンジンの
ためリアホイールアーチ前方におしゃれなク
ロームグリル(エアインテーク)とリアには
スロット(エアアウトレット)の入ったエン
ジンルームカバーを備えていた、ダットサ
ン、コロナとは全く異質な乾いたルノー特有
のエグゾ―ストノートを振りまきながら元気
に走っていた4CVタクシーがなつかしく思
い出される。
写生大会/ピンクの牛
(小学校5年の頃)

小5の時、毎年校庭で行われる写生大会の思
い出。その年は近くの農家から借り出した牛
を校庭の真ん中につなぎ、周りを輪になって
写生する大会だ。つながれた牛は普段はリヤ
カーを引いて農道を歩く薄茶色の牝牛だっ
た。牛は立ったり座ったり歩いたりするので
小学生にはなかなか難しい画題だが出来るだ
けまじめに形も色も忠実に見えるままを写生
するように努力した。絵は自分でもまあまあ
良く出来たと思えるほどに仕上がった。とこ
ろが翌日の入賞者発表を見てびっくり、金賞
をとったのは女の子でお尻とお乳(実際の倍
以上のプロポーション)を前面に大きく浮き
出し後方に小さな頭がかろうじて見える超パ
ースペクティブの効いたデフォルメ画ではな
いか!、校庭ではどういう見方をしてもああ
は見えない、色も茶色ではなくピンクにブラ
ックの斑点ではないか!私の絵の方が明らか
にうまく描けているのに銅賞はおろか佳作に
も入らなかった。何であんな絵が金賞なん
だ!!と1人でかなり憤慨したのを思い出
す。今考えてみると彼女は他人には無い自己
のユニークな創造力とカラーコントロールで
堂々と金賞を獲得したのだった。
メジロ/ウグイス
(小学校6年の頃)

メジロはウグイス色の体に、名のとおり目の
周りにくっきりと白い輪がある。メジロ捕り
はおとりのメジロを鳥籠に入れ上方四隅にト
リモチを巻きつけた細い木の枝を取り付け、
輪切りのみかんを鳥籠にのせてメジロが来そ
うな木につり下げる、野生のメジロはどこか
らかやってきてトリモチの巻きつけてある枝
に停まる、メジロはモチの枝に停まるとクル
ッと回転してさかさまに宙ずりになり、自分
の重みでモチから逃れる利口な鳥、他の鳥は
モチの枝に停まるとばさばさとあばれまわる
ので羽根から体からモチにびったりと張り付
いてしまう、そうなると「焼き鳥」以外の道
は無い。ウグイスはメジロよりもやや茶褐色
味を帯びたウグイス色、ウグイスの幼鳥を静
岡では「チャッチャ」と呼ぶ、冬の間チャッ
チャチャッチャと鳴くのでそう呼ぶのだろ
う、モチにはかからない鳥なのでカスミ網を
仕掛けて藪から追い出して捕らえた(カスミ
網が使用禁止とは知らなかった)、ウグイス
はメジロと異なり餌付けが難しくホーホケキ
ョーと美しく鳴いてくれるまで育ったことが
無かった。
ジャイアント コニー360
(中学校1年の頃)

ジャイアント(愛知機械工業)というオート
メーカーは小1の頃我が家にあった丸ハンド
ルオート3輪コンドルの影響でいつも身近に
感じている存在だった。初代コニー360
(AF3型)は水平対向2気筒エンジンをミ
ッドシップ(シートの下)に搭載したボンネ
ットスタイルの軽4輪トラックで他の軽自動
車に比べタイアサイズがひとまわり大きい特
異なプロポーションをしていた。タイアサイ
ズと言えばアキツ号といういかつい2トン積
のオート3輪もマツダやダイハツなど他のオ
ート3輪に比べ大きなタイアを履いていたよ
うな気がする。コニーで記憶に残るボディー
カラーはブルー&ホワイトとピンク&ホワイ
トの2トーンカラー、このカラーリングはコ
ニーをややおもちゃっぽく見せているようだ
ったが・・・
マツダ R360クーペ
(中学校1年の頃)



新聞広告で島田市にあるお寺の坊さんの所有
する中古のR360クーペを見つけた、電話
連絡の末、早速受け取りに出かけた(静岡登
録でナンバーは、い2083)。R360は
空冷Vツインエンジンをリア(RR)に載む
2ドア2+2シーター軽自動車で日本車とし
て初めて「クーペ」を名乗った。我が家の一
員となったブルーのR360は中古どころか
かなりの大古(1960年モデル)で毎朝お
湯で温めたタオルでヘッドカバーやシリンダ
ーを暖めないとエンジンがかからなかった。
なかなかかからないのでアクセルをあおり過
ぎ、プラグをかぶらせてしまう事もたまたま
で走り出すまでに大変な努力をしたものだ。
R360は私が初めて乗り回した4輪乗用
車、今はもう時効だから白状してしまうが実
は無免許で乗り回していたのだ。R360は
私が事故を起こした初めての車でもある、は
ずかしながら前方不注意で追突してフロント
が大破しオシャカにしてしまった。
ラビットスパーフロー/シルバーピ
ジョン
(中学校1年の頃)

R360と共に家にはグリーンの2トーンカ
ラーのラビットスーパーフロー(S601)
があった、トルコン付きでフワフワと乗り心
地の良い空気バネ、2サイクルのエンジンか
らは青白の煙がぼんぼん出たが柔らかい曲線
でまとめられた軽快でモダンなスクーターだ
った。父の目をかすめて夜中によく乗り廻し
ていたがある晩、大きな段差のマンホールの
蓋に気付かず転倒して右足の爪を4枚もはが
してしまった、その夜は父にしかられる恐ろ
しさに何枚かの手ぬぐいで足をぐるぐる巻き
にして布団にもぐりこんだがドッキンドッキ
ンと脈を打つたびに足が痛くて眠れるもので
はなかった、翌朝母が病院へ連れて行ってく
れた。近所の建材屋には新三菱重工のブルー
のシルバーピジョンがあった、スクーター初
のシャフトドライブが売り物でラビットとは
正反対の直線的でいかつい力強さを漂わせて
いた、4サイクルエンジンなので煙も吐かず
走る姿もラビットとは対照的だった。
彼岸花(中学校1年の頃)

別名マンジュシャゲ(曼珠沙華)は初秋の彼
岸の時期に花を咲かせるので彼岸花と呼ばれ
る。
初夏に地面からいきなり花茎がニョキニョキ
と伸びだし30~40センチくらいになると
鮮やかな炎のような朱赤の花を咲かせる, 開花
時には葉が無いが花が終わると葉が出てきて
冬と春を葉で過ごす、やがて葉が枯れ地表か
ら消えてしまう(地中に潜る球根だけにな
る)不思議な周期を繰り返す、近所の農道や
小丘にいくらでも見られた花で朱赤の花と茎
の黄緑が対照的で怪しい美しさを創り出して
いた。有害植物とは知らず茎は片面だけポキ
ポキと小刻みに折って首輪や腕輪を作ったり
竹鉄砲の弾にしたりして遊んだリ、摘み取っ
て家の仏壇に供えたりしたものだ。
ホンダ スーパーカブ/スポーツカ
ブ
(中学校2年の頃)

従来のスクーターとオートバイの長所をドッ
キングさせたコンセプトを基本とする機能的
で使い易いスーパーカブが2トーンブルーの
ボディーにレッドのシートという斬新なカラ
ーコンビネーション、プラスチック製の大型
レッグシールド/フェンダー・・・などなど
競合バイクを圧倒するニューアイデア、ニュ
ールックで登場した、50cc原付バイクは
2ストロークエンジンが主流の当時、空冷4
ストロークエンジンは注目の的となった(1
958年)。2年後に追加されたスポーツカ
ブは私が14歳(この年まで14歳で原付の
免許が取れたが翌年から16歳に変更され
た)の時父が買ってくれた最初のバイク、中
古(ほとんど新車)だったがブルーのボディ
ーにアイボリーホワイトのタンク、後方に跳
ね上がるアップマフラーはめちゃくちゃカッ
コいいので得意になって走り回った、楽しい
思い出でいっぱいのバイクだ。
マツダ オート3輪トラック
(中学校3年の頃)

小学4年からずっとクラスメートだった友人
の農家にブルーのマツダオート3輪トラック
があった、丸ハンドルはさほど珍しくなくな
っていたがコラムシフトの新しさと水冷4気
筒のエンジンの静かさにすこぶる驚いた、多
分1959年発売されたT1100型だろ
う。当時は小型オート3輪トラック全盛時代
で四輪トラックよりも小回りが効く(回転半
径が小さい)メリットが大きく、狭い路地で
の優位性などで大いに普及した、反面3輪な
ので走行安定性に欠けるデメリット(カーブ
で転倒するなど・・・)も持っていた。日通
(イエロー)とか消防車(レッド)等の特殊
車両を除くとこのクルマはブルー以外に見た
記憶が無い。ブルーのイメージがこれほどし
っくりくるオート3輪も珍しい。
ギンヤンマ/鬼ヤンマ/シオカラ
トンボ
(中学校2年の頃)

この頃、昆虫が大好きで将来はファーブル
(ジャン・アンリ・ファーブルはアフリカ生
まれの 博物学者だが著書「ファーブル昆虫
記」があまりに有名な為、一般的には昆虫学
者と思われている)の様な昆虫学者になりた
いと思っていた。トンボでは胴の辺りが青/
緑/ゴールドに輝く美しいギンヤンマが一番
好きだった、大型なのでパサパサパサと翅音
を立てて飛んでくる。2番目に好きだったの
は鬼ヤンマ、ギンヤンマよりほんの少し大型
で飛んでくる翅音はバサバサバサという感
じ、体は黒&黄色の縞模様。グレー味を帯び
た青灰色&黒のシオカラトンボと黄茶色&黒
のムギワラトンボは同じ種類でシオカラトン
ボが雄、ムギワラトンボが雌だったとはちっ
とも知らなかった。トンボを捕らえるのはタ
モで追いかけるよりも「おとり釣り」の方が
面白い、ギンチョッチョ(正式名は何だろ
う?)というこげ茶色の小型ちょうちょをさ
おの先の糸に生きたままつるし元気に飛ばせ
る、トンボが6本の足でギンチョッチョをし
っかり抱え込んだところをタモですばやく掬
い取るのだ。
マツダ オート3輪トラック
(中学校3年の頃)

小学4年からずっとクラスメートだった友人
の農家にブルーのマツダオート3輪トラック
があった、丸ハンドルはさほど珍しくなくな
っていたがコラムシフトの新しさと水冷4気
筒のエンジンの静かさにすこぶる驚いた、多
分1959年発売されたT1100型だろ
う。当時は小型オート3輪トラック全盛時代
で四輪トラックよりも小回りが効く(回転半
径が小さい)メリットが大きく、狭い路地で
の優位性などで大いに普及した、反面3輪な
ので走行安定性に欠けるデメリット(カーブ
で転倒するなど・・・)も持っていた。日通
(イエロー)とか消防車(レッド)等の特殊
車両を除くとこのクルマはブルー以外に見た
記憶が無い。ブルーのイメージがこれほどし
っくりくるオート3輪も珍しい。
アオスジアゲハ/黒アゲハ
(中学校3年の頃)

アオスジアゲハは日本の蝶では一番好きな
蝶、黒地に鮮やかな水色の縦帯のある美しい
翅で軽快にスマートに飛び廻る、真夏の暑い
盛りにはアスファルトの水溜りに水を飲みに
来るのをよく見かけた、花に停まって蜜を吸
っている時でも常に翅を小刻みに動かしてい
る、スピーディーなすばしこい蝶なのでなか
なか捕らえ難かった(必死になって追いかけ
たが何度も逃げられた)。黒アゲハはふわり
ふわりと優雅に飛ぶ大型蝶、黒い翅の後翅に
赤橙色の模様がある、カラスアゲハとの違い
は後翅の赤橙色の模様が違うらしいが私はど
ちらも黒アゲハもしくはカラスアゲハと呼ん
でいた、黒アゲハはあまり警戒心が無いらし
く花に停まって蜜を吸っている時などは素手
で簡単に捕まえることが出来た。親指と人差
し指で蝶の胴をそっと掴み羽根やら顔やら触
角やら・・・の形や色をじっくり観察してか
ら逃がしてやっていた。
昆虫採集
(中学校3年の頃)

中3の夏休みの自由課題に76種の蜂を採集
して先生をびっくりさせ金賞をもらった時は
ファーブルに一歩近ずいたような気がしてと
てもうれしかった。タモで捕らえた蜂に射さ
れないように注意しながら(とは言うものの
やっぱり時々射された)すばやく試験管(中
にはアルコールを浸した脱脂綿が入れてあ
る)に入れて窒息させる、死んでから3~4
時間以内の体が柔らかいうちに胴体、翅、
足・・・とかを形良く整える(時間が経つと
体が硬くなり無理に動かすとバラバラと壊れ
てしまう)。採集した中で一番記憶に残るの
はオオマルハナバチという中型蜂、富士山登
山中の7合目あたりで鉢巻にしていた手ぬぐ
いで捕らえた蜂だ。一番怖かったのはスズメ
バチを捕らえた時、タモの中の大きなスズメ
バチはお尻の針をせわしく出し入れしながら
大きな口/あごでぎしぎしとタモを食い破ろ
うとする、こいつに射されたら大変なので必
死に試験管を被せた。
スバル360
(高校生1年の頃)

通学の道筋にあるスバルディーラーのお姉さ
ん(いくつくらい年上だったのだろうか?)
に思いを寄せて学校帰りにしょっちゅうスバ
ル360(お姉さん)を見に行った、ディー
ラーにはいつもベージュのスバル360がデ
ィスプレーされていてお姉さんがいつも親切
にいろいろと説明してくれた。「てんとう
虫」というかわいいニックネームのついた丸
っこいスバル360は後方ヒンジの前開き2
ドア、ストロークが大きくソフトなサスペン
ション(かなりフニャフニャしていたが)、
リアエンジンリアドライブ(RR方式)の軽
自動車で空冷2サイクルエンジン特有のパラ
ンパランパランと白青のスモークを黙々と吐
きながら走っていた、1958年に発売開始
され庶民の足(大衆車)として軽自動車ブー
ムの先駆けを作り、日本のマイカー時代到来
に大いに貢献したクルマでもある。
時計のデザイン
(高校生1年の頃)

県立静岡高校1年の図工の時間に「 時計を
テーマの図案 」の課題が出された、サイズ
と度数の異なるいくつかのオーバル時計を立
体的に図案化し、ポスターカラーでパステル
調の柔らかいトーンに配色/着色したように
記憶する。図工の故大村政夫先生の「構図と
色がいいじゃないか! なかなかいいセンス
だ!」の一言で人生(進路)が決まってしま
った。それまでは数学と科学の得意な私は理
工系の大学を目指していたのだがその日から
は大村先生の御指導のもと東京芸大目指して
まっしぐらとなる(いのしし年は根が単
純)。芸大入試の学科は3科目しかないので
それ以外の科目の授業は一番後ろの席で寝て
いるか(野球部の連中はいつも寝ているか綻
びた練習用のボールを縫っているかしてい
た)クラスメートに代返(代わりに出席の返
事をしてもらう)を頼んで図工室でデッサン
をしていた(入試の実技は鉛筆デッサンと水
彩画なのでとにかく一枚でも多く描くしかな
い)、かなりの優等生だった私はあっという
間に劣等性扱いとなる、静高は進学校なので
美術を志す少数派はアウトサイダーにならざ
るを得なかったのだ。
アトリエ
(高校生1年の頃)

静岡高校の美術教師でもあり野球部の監督で
もあり彫刻家(日展参与)でもあられた大村
先生のアトリエで勉強をさせていただくこと
になった。先生のアトリエでは美大を目指す
20名ほどの受験生(浪人も含む)が基礎の
木炭デッサン(ベートーベンのデスマスク、
キリストの大顔面、ブルータス、メジチ、ア
リアスなどの白い石膏像をデッサン紙上に木
炭ステイックでデッサンする、紙上の木炭を
消すのに食パンの柔らかい白い部分を消しゴ
ム代わりとして使い、回りの硬いミミは食べ
てしまう)を始め入試に必用な鉛筆デッサ
ン、水彩画に取り組む、アトリエでデッサン
に集中している時間は何も考えない空白の時
間のように思えた、徹夜でデッサンを続け朝
5時半ごろ通りかかる牛乳配達さんから牛乳
を買い飲みした事も今は良い思い出だ。ある
時初めて裸婦のデッサン会に参加した、スケ
ッチブックを持って1番前の席に座ったまで
は良かったのだが素っ裸のモデルさんを目の
前に見てドキドキオドオドしてしまい、まと
もにデッサンが出来なかった、私にもそうい
うウブな時があったのだ。
トヨペット コロナ
トヨペットクラウン
(高校生2年の頃)
(高校生2年の頃)

父が中古のコロナを手に入れた、ずんぐりむ
私の思い出に強く残るクラウンは観音開きの
っくりでダルマとあだ名された初代コロナで
初代クラウンではなくフロントグリルがトヨ
はなく直線的で斬新なヨーロピアンデザイン
タの「T」をモチーフとする2代目(S40
に生まれ変わった2代目コロナだ( 20
型)、2代目は初代クラウンのクラシカルデ
型)。我が家に来たのはピンクのボディーに
ザインの皮を一気に脱ぎ捨てモダンでニュー
ホワイトのルーフの女性的でとてもファンシ
ルックな魅力あふれるクルマに生まれ変わっ
ーなやつだった(静岡登録でナンバーは ら
た。通学の道筋にある大きな旅館の玄関にお
5824)、コラムシフトにベンチシートと
客様送迎用のピカピカに磨かれたソリッドブ
いうレイアウト時一般的なものだが、コラム
ラックのクラウンがいつもフロントを道に向
シフトのクルマを運転するのはこのコロナが
けて誇らしげに停めてあった、ダークブルー
初めてだった(これももう時効だから白状す
の制服制帽に白手袋の運転手さんがこれもま
るが16歳で取れた軽免許は持っていたが普
た誇らしげに羽箒でクルマのほこりを落とし
通免許はまだ持っていなかった)。その頃ラ
ている姿をたびたび見かけた、私はこのクラ
イバルのニッサン ブルーバードとの販売競
ウンがとても好きだった。ほぼ同じ時期に発
争の激化が進み“BC(Bluebird/
売されたライバルのニッサン セドリックは
Corona)戦争”などと言われた、トヨ
タテ目4灯(1962年にヨコ目4灯にマイ
タとニッサンがほぼ互角で火花を散らしてい
ナーチェンジされた)のデザインで対抗した
た時代だ。
が「新鮮さ」ではクラウンの方が一段上、そ
の後のトヨタの快進撃はこのクルマから始ま
ったと言っても良いと思う。
トヨペット コロナ
(高校生2年の頃)

父が中古のコロナを手に入れた、ずんぐりむ
っくりでダルマとあだ名された初代コロナで
はなく直線的で斬新なヨーロピアンデザイン
に生まれ変わった2代目コロナだ( 20
型)。我が家に来たのはピンクのボディーに
ホワイトのルーフの女性的でとてもファンシ
ーなやつだった(静岡登録でナンバーは ら
5824)、コラムシフトにベンチシートと
いうレイアウトは当時一般的なものだが、コ
ラムシフトのクルマを運転するのはこのコロ
ナが初めてだった(これももう時効だから白
状するが16歳で取れた軽免許は持っていた
が普通免許はまだ持っていなかった)。その
頃ライバルのニッサン ブルーバードとの販
売競争の激化が進み“BC(Bluebir
d/Corona)戦争”などと言われた、
トヨタとニッサンがほぼ互角で火花を散らし
ていた時代だ。
プリンス グロリア
(高校生2年の頃)

トヨタ クラウン、ニッサン セドリックのラ
イバルとして1962年に発売されたグロリ
アは当時の国産車の中で一番豪華で優雅に感
じられた。エッジラインを効かせたクローム
モールドがラップラウンドするデザインは
「フラットデッキスタイル」と呼ばれトヨ
タ、ニッサン車には見られない不思議でユニ
ークな雰囲気を創り出していた、グロリアと
いう重厚さを感じさせる名前もクラウンやセ
ドリックより格が一段上の印象を与えた。国
道1号線沿いに在ったプリンスディーラーシ
ョールームに通学帰りにたびたび立ち寄って
眺めたものだ、カタログを家に持ち帰りエキ
ステリア、インテリアのデザインはもとより
エンジンやサスペンションのスペックなどを
調べて他車とじっくり比較して見るのがとて
も楽しみだった。グロリアで思い出に残るボ
ディーカラーは明るめのグレーグリーンとク
ロームのモールディング。
スバルサンバー
(高校生2年の頃)

高2の夏休み、クラスメートの両親の営むパ
ン/ケーキ屋さんでこずかい稼ぎのアルバイ
トをやることになった、パープル味を帯びた
グレーのボディーカラーのサンバーバンでパ
ン/ケーキを配達するのが主な仕事だった、
パンは大丈夫だがケーキは壊れやすいので急
発進急停車の乱暴な運転は禁物だ。サンバー
はスバル360のエンジンレイアウトと駆動
方式(RR)を踏襲したキャブオーバースタ
イル軽商業車、後ろから見るとネガキャンバ
ーのリアサスペンションが何ともキャシャで
かわいらしい。キャブオーバーの軽自動車を
運転するのは初めての経験で、運転席の前に
はとにかく何も無い(薄い鉄板一枚のみ)の
でぶつかったら一巻の終わりだろうと思っ
た、走り出すとややフワフワして左右前後に
揺れが大きく、慣れるまではひっくり返りそ
うで少し怖かったが2~3日で慣れてくると
無理をしても結構安全に走ってくれることが
わかった。スバル360と同じ2ストローク
エンジンなので白青い 煙をもうもうと吐きな
がらパランパランズーズー と良く走った。
ヤマハYDS/ホンダCB72
(高校生2年の頃)

東名高速道路は既に開通していたが名神高速
道路はまだ神戸まで完全に開通していなく彦
根までが開通したので友人と2人で彦根のイ
ンターチェンジまでバイクで往復することに
した。友人のバイクは発売されたばかりのホ
ンダスーパースポーツCB72,4サイクル
2気筒250ccでブラックのボディーにク
ロームメッキのタンクの精悍なデザイン、見
るからに走りそうなバイクだ。私のはヤマハ
スポーツYDS,2サイクル2気筒250c
cでCB72同様ブラックのボディーにクロ
ームのタンク、注目はヤマハオートルーブと
呼ばれる分離給油潤滑システム(従来の2サ
イクルエンジンは混合油潤滑)で専用の小さ
なオイルタンクを備えていた、このシステム
でも2サイクル特有の白青い煙は以前にも増
してモウモウと撒き散らしていた。YDSは
CB72と並ぶとやや丸っこく見えるデザイ
ンだ。YDSの2サイクルエンジンのトルク
の強さとダッシュ時の立ち上がりの速さに魅
了された記憶がもとで後に(1976年)ブ
ラジルへ移住後に購入したモトクロスバイク
もヤマハの2ストロークを選んだ。
日野コンテッサ900
(高校生2年の頃)

静岡では日野ルノー4CVに混じってコンテ
ッサのタクシーが良く見られた。フランスの
ルノー4CVのライセンス生産で学んだ技術
を基に4CVのレイアウトを基本的に守りな
がら日野が独自で開発(デザインも含む)し
た最初のモデルで4CV同様リアエンジンリ
ア駆動(RR方式)の5人乗り4ドアセダ
ン。4CVタクシーでパワー不足を指摘され
ていたエンジンは4CVの750cc21馬
力から900cc35馬力にパワーアップさ
れていた。リアエンジンなのでフロントにグ
リルの無いすっきりした2灯デザインがシン
プルでとても心地よい、4CVの名残でリア
エンジンをアピールするおしゃれなサイドエ
アインテークが何ともカッコいい、特別な理
由はないのだがどこかにイタリアンデザイン
を匂わせるこのクルマがとても好きだった。
コンテッサ900で最も記憶に残るボディー
カラーはクリーム系のベージュ。
東海道新幹線開通
(高校生2年の頃)

東京オリンピックが開催されたこの年(19
64年)10月に新幹線が開業した。世はま
さにスピードアップ時代、東京―新大阪間を
最高時速200kmプラスで走る12両編成
の 「 夢の超特急」は清潔なアイボリーホワ
イト&ブルーの新幹線イメージで颯爽と現れ
た。超特急ひかりと特急こだま(各駅停車)
の2本立て。開通して間もない頃こだま(ひ
かりは静岡に停まらない)で東京に出かけた
時、静岡駅のプラットホームで「こだま」を
待っていると「ひかり」がとんでもないスピ
ードで通過した、シュルシュルパシパシと送
電線とパンタグラフの擦れ合うすごい音を発
しながらアッという間に行ってしまった「わ
っすげえ~」と思わず叫んでしまった、すご
い勢いで回転する車輪と線路の出すドドドド
ッという音とプラットホームへの振動も新し
い経験だった。そういえば東京駅で発車の ベ
ルが鳴っている発射寸前の新幹線に飛び乗り
ドアが閉まり「滑り込みセーフ」と喜んだの
もつかの間、なんとこれがひかりだったので
静岡で降りられず名古屋まで行ってしまい、
こだまで静岡に戻るというオッチョコチョイ
も今になれば良い思い出だ。
フォード マスタング(高校生3年
の頃)

愛称「ポニーカー」として大人気を得たマス
タング(野生馬)は日本人にとって「自由な
大国アメリカ」を象徴する開放的で夢のよう
なスポーツカーだった。初代はハードトップ
とコンバーティブルの二本立てでグリルに
「ギャロッピング・ホース」を輝かして19
64年に発売され、翌年ファストバックが追
加された。ヤング層にも入手可能なようにベ
ース価格を低く設定し、豊富なオプションが
選べる「パーソナルチョイスコンセプト(フ
ルチョイスシステム)」が大ヒットした。私
があこがれたアメ車の第1号車でグレー味を
帯びたライトブルーのハードトップが記憶に
残る。残念なことに2代目、3代目とモデル
チェンジを重ねるごとに肥大化、ハイパワー
化が進みデザインの魅力無さも手伝って4代
目で生産中止になってしまった。2005年
に再生した現行車は5代目で、「夢よもう一
度」とばかり初代デザインをそのまま踏襲し
最新の技術で仕立て直したレトロモダンなク
ルマ。
湘南電車
(高校生3年の頃)

芸大目指してデッサンに明け暮れしていた私
は毎月1回東京に住む先輩に1ヶ月の間描い
たデッサン、鉛筆画、水彩画の批評をしても
らうために東京を往復した、その時一番多く
利用したのがグリーンの車両にオレンジの窓
周りのカラーリングの湘南電車だ。国鉄東海
道線の湘南地区を走り始めた(1950年)
ので通称「湘南電車」と呼ばれるようになっ
たという。高3の夏休みは上石神井にある芸
大男子寮の先輩の部屋に1週間程もぐりこ
み、寮の屋根裏の石膏デッサン室で鉛筆デッ
サンをさせてもらった、夜になると毎晩何人
かの先輩がデッサン室に現れて親切に批評し
たり指導したりして励ましていただいたうれ
しい思い出がある、ある先輩は「お前、芸大
に入ったら空手部に入れ!」と言う、「は
い、入ります」と言ってしまったので入学後
は空手部に入部した(させられた?)。あの
時、寮の食堂のおばさんに大盛りのご飯を朝
晩食べさせてもらったことが忘れられない、
おばさんありがとう!
長次郎
(高校生3年の頃)

夏休みで帰静した美大の先輩(アトリエの先
輩)が「長次郎の黒楽を造る、お前も一緒に
造れ」ということで生まれて始めて陶芸をや
ることになった。長次郎は陶芸「楽家」の初
代で代表作には千利休好みの黒楽茶碗、赤楽
茶碗がある。長次郎は茶の千利休の「侘びと
さび」を陶芸で表現しようとした、ロクロを
使わない(手とへらのみ)人間味のある素朴
な手ずくり造形で優美な茶碗を創作した一人
者。私は当時長次郎など聞いたことも無く全
く無知識のまま先輩の「長次郎はロクロなん
か使わなかったんだぞ・・・」とか言う指導
のもとに土をひねりまわし形の見せかけが長
次郎まがいに出来た茶碗を黒っぽく焼き上げ
てもらい、「ウン、なかなか渋くていい黒楽
が出来た」などと一人で勝手に喜んでいた。
デッサンという2次元表現に没頭していた時
期、「土いじり」という3次元表現はその後
のデッサンに良い影響を与えてくれたことだ
ろう。
国電-山手/中央/京浜東北/総武
線
(大学生の4年間)

大学の4年間(1965-1969年)国電
には本当にお世話になった。東京での最初の
下宿は三田で一番近い国電の駅は田町駅だっ
た、三田の下宿は4畳半の畳と小さな押入れ
のみで他に何も無かった。写真(撮影/現像
/焼付け)をやり始め「水」を使う為、台所
付きの下宿が必要になり予算の関係で下町の
下宿を物色して小松川に見つけることが出来
た。 小松川四丁目からの通学は総武線で平
井駅から秋葉原駅まで行き山手線もしくは京
浜東北線に乗り換え上野駅まで行った。まる
で子供のようだが1両目の運転席のすぐ後ろ
で電車が線路の上を走っていくのを見るのが
好きだった、電車が停車位置の30センチ以
内に停まらないときは「へたくそな運ちゃん
だ」と呟いたりしたものだ。国電は同じ車両
(実際は2車種で新車種が山手線、山手線で
使われなくなった旧車両を他の線で使うらし
い)を山手線はライトグリーン(ウグイ
ス)、中央線はコーラルオレンジ、京浜東北
線はライトブルー、総武線はイエロー(カナ
リア)でカラーが各線のアイデンティティー
という大切な役目を担う。
アサヒペンタックスSP/ニコン
F
(大学生1年の頃)

写真に大変興味を持ち、カメラ購入にあた
りニコン、ペンタックス、キャノン、ミノ
ルタ、オリンパス・・・等いろいろな機種
を調べ比べてみた。本当はニコンFが欲し
かったのだが標準レンズ付のボディーだけ
でなく広角28mm(F3.5)、105m
m(F2.8)、望遠200mm(F4.0)
3本の交換レンズも同時購入となるとニコ
ンFは値段が高すぎて手が出なかったので
ブラックボディーのペンタックスSPを購
入した。ペンタックスSPは1964年に
発売された世界初のTTL(Throug
h The Lens)測光式が話題の一
眼レフカメラ、しばらく使ってみてペンタ
ックスで正解だと思った、とにかく軽くて
使い易いし何よりも「ピント合わせ」が簡
単だった。下宿の台所付4畳半は夜になる
と雨戸を閉めてそのまま暗室に早変り、当
時はまだ白黒の時代なので自分の好みに合
わせて柔らかい写真、硬い写真、コントラ
ストの強い写真、弱い写真・・・などなど
自由に焼き上げる最高に楽しい瞬間だ。
繧繝彩色
(大学生1年の頃)

芸大初年度のカルキュラムに古美術研究の一
環として繧繝彩色(ウンゲンサイシキ)があ
る。インドに始まり中国を経て日本には奈良
時代に伝わったと言われる仏教美術彩色法で
同系色の色彩の濃淡を段階的(グラーデーシ
ョン)に彩色して立体感を造りだす手法。授
業では日本の絵の具、胡粉(ゴフン)、にか
わ、顔料、丸筆・・・などを使ってお寺の唐
草模様天井画を精密にコピーするのが課題。
すでに粉状になっている何色かの顔料を上野
の画材屋さんで購入し、にかわを入れ火で暖
めながら絵の具を一色一色作る、小皿の中の
暖かい絵の具は薬指(5本の指の中で最も敏
感でデリケートな指)で粉がねっとりと滑ら
かになるのを確かめる、下地一面(下層)に
塗る白の胡粉(貝殻を焼いて粉にしたもの)
も顔料と同様ににかわで溶いて使う、白い紙
になぜわざわざ白い下地を塗るのだろうと言
う疑問がわいたが紙の白はやがて変色するが
貝殻の白はいつまでも鮮やかな白を保つとい
う説明を聞いて納得、自然から学んだ古代人
の知識はすごいと思った。
三菱360ライトバン
(大学生2年の頃)

学友と2人で2週間程京都の寺回りをするの
が主目的で学友の実家長野の篠ノ井からグリ
ーンの三菱360ライトバンに乗って長野―
京都の旅に出たことがある。1961年に発
売された三菱360は三菱初の軽自動車で後
ろヒンジの前開き2ドアの4人乗り商業車、
リアシートを倒しキャンプ用品と2本のギタ
ーを積み込み有料道路をなるべく避けて旧道
をのんびり走っていった。「箱根の山は天下
の険」と歌われるのは本当だった、2ストロ
ーク空冷2気筒のエンジンは箱根の上がり坂
を一気に登りきることが出来ず2回ほどオー
バーヒートで停まってしまった、そういうハ
プニングも予想して、ギターをちゃんと2本
積んで来たのだ! 当時ブームを起こしていた
PPMやボブ・デュランのフォークソングを
2人で歌いながらエンジンの冷えるのを待つ
ものなかなか粋なものだった。京都の木仏像
でひときわ魅力に惹かれたのは広隆寺の弥勒
菩薩、飛鳥時代の半跏思惟像で台座に腰掛け
右足を左膝に乗せ右手の指を頬に寄せて微笑
む、あの素朴な暖かさと静けさは木彫のなせ
るわざだろう。
マツダ コスモスポーツ
スバル1000
(大学生2年の頃)

スバルから面白い車が出た、最初に見かけた
初代コスモスポーツを路上で初めて見かけた
シルバーのスバル1000は何か平べったく
のは通学中, 山手線の国電を降りて上野駅公
て地を這って走るような印象を受けた。大ヒ
園口に出た時だった、この年(1967年)
ットした軽自動車スバル360のRR方式
発売されたばかりのホワイトのコスモスポー
(リアエンジン リアドライブ)から正反対の
ツが駅前の路上にロータリーエンジンの静か
FF方式(フロントエンジン フロントドライ
な排気音を響かせながら誰かを待っている様
ブ)に宗旨替えしたこのクルマは国産乗用車
だった。とにかく平べったく車高が低く、葉
初の水平対向4気筒エンジン(ボクサーエン
巻のように細長いスポーティーなボディーは
ジン)を積んでいた。ボクサーエンジンは今
他の日本車とはかけ離れてカッコいい。初め
でも続くスバルの誇るアイデンティティ-と
て 聞くロータリーエンジン音と排気音に聞き
なっている。トヨタ 、ニッサン 、マツ
耳をたてながら走り去るまでずっと見とれて
ダ・・・等がまだFF方式を持たない時代で
いた。その1年前の第13回全日本自動車シ
スバル1000は国産車初の本格的FF車と
ョーの会場で市販前の生産型が展示されたの
して大きくアピールし、日本はもとより全世
を見た時、その斬新でオリジナリティーの強
界の小型車のFF化に大きな影響を与えた。
いデザインがすっかり気に入ってしまってい
トヨタ カローラ、ニッサン サニー等のライ
たのだ。今やロータリーエンジンは「ロータ
バルとは全く異なるフィーリングの排気音は
リーのマツダ」としてマツダの代名詞となっ
軽快でスポーティーな走りっぷりを象徴して
ているが、発売当時のコスモスポーツは世界
いた、4ドアセダンに1年遅れ(1967
初のロータリーエンジン(有名な10A型
年)で登場した2ドアスポーツセダンは私の
491ccx2)をフロントミッドシップに
大好きな車の1台だ。
積む量産車として大きな話題をまいた。
スバル1000
(大学生2年の頃)

スバルから面白い車が出た、最初に見かけた
シルバーのスバル1000は何か平べったく
て地を這って走るような印象を受けた。大ヒ
ットした軽自動車スバル360のRR方式
(リアエンジン リアドライブ)から正反対の
FF方式(フロントエンジン フロントドライ
ブ)に宗旨替えしたこのクルマは国産乗用車
初の水平対向4気筒エンジン(ボクサーエン
ジン)を積んでいた。ボクサーエンジンは今
でも続くスバルの誇るアイデンティティ-と
なっている。トヨタ 、ニッサン 、マツ
ダ・・・等がまだFF方式を持たない時代で
スバル1000は国産車初の本格的FF車と
して大きくアピールし、日本はもとより全世
界の小型車のFF化に大きな影響を与えた。
トヨタ カローラ、ニッサン サニー等のライ
バルとは全く異なるフィーリングの排気音は
軽快でスポーティーな走りっぷりを象徴して
いた、4ドアセダンに1年遅れ(1967
年)で登場した2ドアスポーツセダンは私の
大好きな車の1台だ。
白いクラウン
(大学生3年の頃)

「白いク~~~ラウン」のキャッチフレーズ
で颯爽と登場した3代目(S50型)クラウ
ン、クルマの宣伝にカラーがキャンペーンの
キャッチフレーズとして使われたのは日本で
は始めてのことだろう、素晴らしく「新鮮な
出来事」として記憶に残る。当時プリンス
グロリア、ニッサン セドリック・・・等、
クラウンクラスの乗用車は公用/社用車とし
て使われることが多く、黒のボディーカラー
のショファードリブンカーイメージが強く浸
透していた、3代目クラウンはそのイメージ
を一掃すべくオーナードリブン高級セダンの
イメージとして清潔で新鮮なホワイトを全面
的にアピールするキャンペーンを打った、
「白いクラウン, ハイライフセダン」とオ
ーナーカーへの脱皮を計ったキャンペーンが
大当たり、高級感あふれるデザインとホワイ
トが素晴らしいマッチを見せたクラウンは大
ヒット作となりライバルを大きく引き離すこ
とになった。
おしるこ
(大学生3年の頃)

みたらしだんごを食べに入った下宿の近くの
お饅頭屋さんで、お店で遊んでいた小学六年
生の息子さんの家庭教師をやることになって
しまった(なぜそうなったか未だにわからな
い)。算数、国語、理科、社会・・・全科目
の面倒を見るのだが小6の算数の問題を解く
のは予想以上に難しく私自身が息子さんより
真剣になってしまうことがたびたびあった
(そういう時は国語か社会の本を読ませて時
間を稼ぐ)、XY方式であらかじめ答えを出
しておき、それを小6の子供にわかるように
ツルカメ算方式で教えなければならない(当
時XY方式は小学校では教えなかった)。家
庭教師そのものはまずまず無事にこなせたの
だが最初の日の授業後、こんがり焼けた焼餅
が2つ入った大どんぶりのおしるこを出され
た、「お好きですか?」と聞かれてうっかり
「大好物です」と答えてしまったので授業後
は毎回毎回大どんぶりのおしるこを食べるハ
メになってしまった、がんばって食べた後の
お茶がなんとおいしかったことか、いやまい
ったまいった。
いすゞ117クーペ
(大学生4年の頃)

イタリアのカロッツェリア ギア社のジウジャ
ーロのデザインによる美しい4シーター2ド
アクーペで1968年に発売された。流れる
ように優雅なボディーラインもさることなが
ら通称「ナギナタ」と呼ばれたヘアライン仕
上げのステンレスウインドーガーニッシュや
唐獅子をあしらったフロントグリルなどがオ
リジナルなデザインエレメントとしてその優
雅さにインテグレートした。大学卒業後入社
したいすゞ自動車のデザイン部(当時デザイ
ン課)は藤沢工場内にあった、117クーペ
の生産ラインではボディーとウインドーガー
ニッシュを始めとするオーナメント類がクラ
フトに近い手加工過程でゆっくりと丁寧に生
産されていくのを見て驚いてしまった、まさ
に手造りの「走る芸術品」。グリーンに塗ら
れたエレガントな117クーペは他の国産車
をそばに寄せ付けぬほどスポーティーで美し
かった。
トヨペット コロナマークⅡ(大学
生4年の頃)

東京のあるホテルの中庭で催された初代マー
クⅡの新車発表会をクルマキチガイの学友と
連れ立って見に行った。コロナ路線の延長モ
デルという意味で正式にはトヨペット コロナ
マークⅡと呼ばれた。従来のコロナよりひと
まわり大きくなったボディーは高級感も増し
てずっと立派に見えた。発売当初「テーマカ
ラー」としてアピールしたイエローはそれ以
前には見られなかったすこぶる明るい新鮮な
ソフトイエローでマークⅡのニューカマーイ
メージアピールに一役買っていた。4灯ヘッ
ドランプを備える精悍なフロントエンドは
「イーグルマスク」と呼ばれるスポーティー
なルックスで、イーグルマスクの下で45度
下向けにスラントした大きめなターンシグナ
ルがクロームバンパーに反射して(意図的に
反射させる造形マジック)とてもモダンでカ
ッコ良かったのを思い出す。
ホンダ N360
(1969年)

1969年4月いすゞ自動車に入社した、神
奈川県戸塚の男子寮からデザイン部門のある
長後の藤沢工場までの足としてソリッドホワ
イトのN360T(ツーリング)を購入した
(自分のお金で手に入れた記念すべきクル
マ)。N360は発売された1967年から
「これがイイ!」と目をつけていた車だった
ので購入には何のためらいも無かった、「N
サン」とか「Nコロ」とかの愛称で呼ばれる
N360は空冷4ストローク2気筒31馬力
エンジンが標準だが私のは1968年に追加
されたTモデルのツインキャブ付で36馬力
にパワーアップされ、最高速120km/h
は当時の軽自動車としては大変な速さだっ
た。購入直後、近所の修理屋さんでフロント
サスペンションのコイルをひとまわり切り取
ってもらいジェットコースターみたいにゴツ
ゴツの走りになったNコロにレカロのフォグ
ランプを取り付けてジムカーナの真似事をや
ったのも楽しい思い出だ。イラストは私のN
コロでライセンスナンバーは「8横浜ぬ39
-15」。
ジャギュア Eタイプ
(1969年)

入社当時、アメリカ自動車業界全盛期で、
華々しさとカッコ良さに溢れ未来を感じさせ
る「アメリカン カーデザイン」にすっかり心
を奪われていたので真面目で地味な「ヨーロ
ピアン カーデザイン」は見落としがちであっ
た。そんな中でくっきりと記憶に残るヨーロ
ピアンスポーツカーがブリティッシュレーシ
ンググリーンに塗られたジャギュア Eタイ
プ! 1961年に発売され、素晴らしいス
タイリングとリーズナブルな価格でたちまち
大ヒットとなった。恐ろしく強調されたロン
グノーズ/ショートデッキの流麗なスポーツ
カーで3.8リッターの直6エンジン(196
4年に4.2リッターが追加された)を載み、
クーペとロードスターの2モデルが用意され
た。1968年以降、Eタイプのメイン市場
であるアメリカの安全基準に対応する為、バ
ンパー、グリル、灯器類・・・などが大型化
され、オリジナルデザインのシンプルで均整
の取れた美しさがスポイルされてしまったの
が残念だ。60年代を代表するのブリティシ
ュスポーツカーとしてその後のスポーツカー
デザインに大きな影響を及ぼしたクルマでも
ある。
ホンダCB750FOUR
(1969年)

近じか結婚するという同期入社の友人が「結
婚したらもう買う機会も無いだろうからチョ
ンガー(独身)のうちに買うんだ」とか言っ
て発売されたばかりのCB750FOURを
購入した。「ナナハン」の愛称で呼ばれるC
B750は空冷並列4気筒ビッグエンジンと
量産バイク初のフロントディスクブレーキ、
4本スポーツエキゾーストマフラー・・・等
で大迫力!まさにバイクの王様にふさわしい
貫禄だ、彼はグリーンタンクのやつを選ん
だ、翌年めでたく結婚したがナナハンは手放
さない「しっかり者」だった。アメリカでも
大ヒットとなり「King of The Ro
ad」のハーレーダビットソンを真っ青にさ
せたという話が残る。私はCBシリーズの中
では「4into1」の集合マフラーとレー
サー風の長めのタンクで1974年に登場し
たCB400Fがたまらなく好きだ、とくに
レッドタンクのやつが良い。
前2軸トラック
(1969年)

いすゞにはトラックがメシより好きで入社し
てくるおかしな仲間がいた、週末は国道一号
線の歩道橋の上で一日中トラックやバスのデ
ィーゼル排気音を聞きながら胸いっぱい排気
ガスを吸い込むのが好き?というおかしなや
つだ。彼は「トラックはデカイほどカッコい
い、特に前2軸はトラックの醍醐味だ、ちょ
っとうるさいけどいすゞV10ディーゼルエ
ンジンは世界一だ」と言う。トラックの車軸
の構造は全輪数x駆動輪数で表示されるので
いすゞ前2軸トラックの正式表示は「6x2
前2軸」となる。前2軸は回転半径が大きく
なる短所はあるものの直進安定性と乗り心地
が良いのでカーゴ車、タンクローリー車など
の重量級大型トラックの長距離、高速輸送に
本領を発揮する。ライバルの日野、三菱ふそ
うの大型トラックにも見られたがいすゞの前
2軸が彼の言うとおり一番迫力があった。彼
の影響か?私もその頃からトラックやバスに
興味を持ち始めた。
ディーノ
(1969年)

この頃日本ではレースが注目を浴びていて
「日本グランプリ」、「日本CAN-AM」で
トヨタ7、ニッサン382等のワークスマシ
ーンが火花を散らしていた、いすゞもベレッ
トR6、R7(真四角な造形なので「四畳
半」と呼ばれた)のワークスマシン2台でト
ヨタ、ニッサンに立ち向かっていた。R6,
R7の開発は藤沢工場内で行われプロトタイ
プのモデリングにはデザインスタッフが携わ
った、ある時ワークスチームのレーサーがモ
デリング中のプロトタイプをチェックしにデ
ザイン部を訪れた、そのとき乗ってきたのが
ディーノだった。ディーノはエンツォ フェラ
ーリが若くして世を去った愛息ディーノの名
を冠したフェラーリ最初のV6スモールフェ
ラーリでブランシングホースのエンブレムを
付けない唯一のフェラーリ。工場内の道路を
そろそろと運転させてもらっただけなのだが
すっかり魅了されてしまったのがイエローの
ディーノだった。他のフェラーリすべてのモ
デルはレッドがフェラーリらしくて良いのだ
がディーノだけはイエローが記憶から消えな
い。
BMW 1600-2
(1970年)

デザイン部門では「乗り比べ市場リサーチ」
とか何とか理由をつけて外国車も含めたいろ
いろな車を何台か連ねて一般道をドライブに
出かけることがあった。ドライブ終了後のミ
ーティングで参加者全員が感想/意見を出し
合えるよう何十キロか走ったら車を取り替え
て連れ出したクルマ全車をドライブするよう
にアレンジされている。1970年の春の
「乗り比べリサーチ」で連れ出した国産車/
外国車の中で最も印象に残ったのはBMW 1
600-2、多分1968年モデルだと思うの
だが今では定かでない。ペールグリーン(う
す草色)の2ドアスポーティーセダン、2灯
ヘッドランプとBMWアイデンティティーの
キドニーグリルのフロントはまがいも無いド
イツ車だ。公道を生まれて初めて運転したド
イツ車なので非常に興味深く、うきうきしな
がらハンドルを握った記憶が今も残る。
いすゞベレットMX
(1970年)

1969年の東京モーターショーに出展され
たメタリックオレンジのベレットMXは当時
提携中のイタリア ギア社のデザイナー トム
チャーダーのデザインを忠実にモデル化した
ミッドシップスポーツショーカー。ギア社か
ら送られてきたチャーダーのオリジナルレン
ダリング(イラスト)はカラーキャンソン紙
に色鉛筆とグアッシュで彩色してからホワイ
トのハイライトを効かせる「ハイライト描
法」で描かれていた。翌年の東京モーターシ
ョーには基本的なエッジデザインをキープし
ながら生産に向けてリデザインされたソリッ
ドホワイトのベレットMX-02へと発展した
プロトタイプを出展した。私のデザイナーと
しての初仕事はMX-02のMXエンブレムの
デザインだった、Mはミッドシップ、Xは将
来車/試作車を意味する。エンブレムはボデ
ィーのエッジデザインにあわせてシャープな
イメージのクローム字体(アウトライン)の
中をMはレッド、Xはグリーンの配色の「七
宝焼き」仕上げとした。ベレットMXは残念
ながら生産にこぎつけることがなかった。
ボーイング747ジャンボ(197
0年)

私は「クルマ/バイク少年」で「飛行機少
年」ではなかったので飛行機には大して興味
を持たなかったがジャンボが初めて羽田空港
に来るというのでジャジャ馬根性で友人と見
に出かけた。ジャンボは愛称で正式名ボーイ
ング747という超大型旅客機、1970年
6月に東京羽田国際空港に初めて姿を現し
た。空港階上のテラスではジャンボの大きな
機体の無事着陸に思わず大拍手が起こった。
4基ジェットエンジンの堂々とした機体はジ
ェット旅客機としては初の2階建て客室を持
つ、とにかくでっかいのにびっくり、鯨みた
いだと思った。ボーイング707やダグラス
DC-8などの150~200人の乗客数がい
きなり350~450人の2倍以上になった
のだから驚いてしまうのも当然だ。「鶴のマ
ーク」を尾翼につけた日本航空のジャンボ機
就航は羽田―ホノルル線から始まった。
歌舞伎/隅取り
(1970年)

米軍駐留兵として神奈川県の座間米軍基地
(通称座間キャンプ)内にあるポール夫妻
のお宅で毎週木曜日の夜、英会話を教えて
もらっていた。日本人はキャンプ内立ち入
り禁止なのでポールさんにキャンプのゲー
トまで車で迎えに来てもらわなければ入る
ことが出来ない、キャンプ内はアメリカな
のだ!ポールさんは陸軍音楽隊のバスーン
奏者、奥さんは看護婦さん,日本の文化と
美術に大変興味があると言うご夫婦からあ
る時英会話の中で歌舞伎が話題にあがっ
た、日本特有の動き、表現,極彩色の派手
な色合い・・・衣装のきらびやさも凄いけ
ど「顔のグラフィック」がまた凄い、なぜ
ああいうメークアップをするのか?と聞か
れた。私自身知らない事だったので来週ま
でのホームワークにしてもらい、調べ上げ
た歌舞伎特有の顔衣装「隈取リ」について
白、赤、茶、青の4色が有ること、電燈の
無い時代薄暗いろうそくの炎の下での歌舞
伎は役者の表情が遠くからでもわかるよう
に衣装も顔化粧も誇張表現になった
事・・・等、へたくそな英語で説明してあ
げた。
フォード マベリック
(1970年)

この年の末、アートセンター(ACCD)留
学でロスアンゼルスに渡り、留学期間中のト
ランスポーターとして先輩から譲り受けたの
がフォード マベリックだった。1968年式
のマベリックで直6エンジンに3速のオート
マティックトランスミッションが付いてい
た、当時流行りの「モノクロマティックカラ
ーコンセプト」でボディーカラーもインテリ
アもオールレッド、アメ車の雰囲気満点だ。
アートセンターのトランスポテーションデザ
イン教師キース ・ティーター先生がフォード
在籍時代にデザインされたそうだ。初めて乗
るアメ車、オートマティック車、先日まで日
本でサスペンションを硬くしたコチコチのホ
ンダN360に乗っていたのでフワフワフニ
ャフニャ感覚のマベリックにしばらくとまど
う。私のマベリックは高速道路で少しスピー
ドを上げるとドライブシャフトとデフがゴト
ゴトと音を立てて不安(いつ壊れるかわから
ない)なのでクラスメートに聞いたら「少し
ぐらい音がするのはフツーだから気にしなく
て大丈夫!」 と気楽な返事、とは言われても
気になるのであまりスピードを上げないよう
に心がけていた。
アートセンタースクール
(1971年)



1965年にアートセンタースクールとして
開校したアートセンターカレッジ・オブ・デ
ザイン(ACCD)は現在パサディナに立派
な校舎を構えるが‘70年代初めはロスアン
ゼルスの3rd ストリートに面した幼稚園みた
いな小さなかわいらしいい校舎で入口のドア
ーがアートセンターのシンボルカラー「オレ
ンジ」に塗られていた。アドバタイジングデ
ザイン、グラフィックデザイン、プロダクト
デザイン、ファッションイラストレーショ
ン、ペインティング、フォトグラフ、フィル
ム…と幅広いカルキュラムの総合的なアート
スクールだが、特にトランスポテーションデ
ザインはアメリカのビッグ3(GM/フォー
ド/クライスラー)の援助、そしてトランス
ポテーションクラスへのプロジェクト提供、
ビッグ3インハウスカーデザイナーのプロフ
ェッショナルなオリエンテーション・・・等
してオートモーティブデザイナーの育成に寄
与したスクールとして世界的に知られる。ヨ
チヨチ歩きの日本のオートメーカーはデザイ
ナーをアートセンターに留学させて、最先端
を走っていたアメリカンスタイルのデザイン
ワーク習得/吸収に躍起になっていた時代
だ、私もそのうちの1人。
ポルシェ 911
(1971年)

当時、日本ではあまり見かけなかった911
(ナインイレブン)がロスアンゼルスではよ
く見かけられ、ビバリーヒルやサンセットブ
ルバードにはごろごろいた。開発コードナン
バーそのままの901型として1964年に
空冷水平対向6気筒2リッターエンジンをリ
アに積んでデビューした、ポルシェは356
の頃から憧れのクルマの1台だったので通り
かかる911を1台1台見やりながらやっぱ
り欲しいといつも思ってしまうのだった、空
冷のあのパサパサしたエグゾ―ストノートが
何とも言えない。911は1974年にアメ
リカの保安基準に従った5マイルバンパーを
装着したアンバランスなビッグバンパーモデ
ルになってしまうが法律だから仕方が無い。
911は基本的なイメージ/スタイリングは
キープしながらも改良、発展を続け性能、居
住性、信頼性共に高い完成度を得て現在に至
っているが私が本当に好きなポルシェはビッ
クバンパーになる前の小ぶりな1972年型
911なのだ。
ポルシェ356
(1971年)

ロスアンゼルスでは911に混じり憧れの3
56が時折走りすぎて行く、リッチな国アメ
リカ、開放的なカリフォルニアにはオープン
の356がお似合いだ、サンセットブルバー
ドのカフェバーの前にパークしていたリアに
ゴールドのスーパー90のエンブレムが付く
スレートグレーの1600 S 90はヨダレ
が出るほど美しかった。リアエンジン車とし
て知られる356の試作第1号車は以外にも
ミッドシップにエンジンを積んでいた(試作
第2号車からリアエンジンレイアウトとなっ
た)。ポルシェ初の量産車となる356は1
948年に発売された。「エデンの東」、
「ジャイアント」・・・などの映画で有名な
ジェームス ディーンは愛車ポルシェ356
1500スピードスターで数々のレースに参
加していた。356スピードスターから本格
的なレースカーでアルミボディーの550ス
パイダー(1955年式)に乗り換えたディ
ーンはロスアンゼルスから550スパイダー
でサンタナのレース場に向かう途中交通事故
で命を落としてしまった。
シボレー カマロ
(1971年)

アートセンターのクラスメートが初代シボレ
ー カマロ1969年型に乗っていた、グリー
ンのボディーにホワイトのストタイプが入っ
たスポーツモデルで後輪に大きな太いタイア
を履いたマッスルカー、エンジンも少しチュ
ーンアップしてあるそうで、発進時はいつも
激しく後輪を鳴らしていた。カマロはマスタ
ングと並び1960年代に起きた「ポニーカ
ーブーム」の代表的なクルマでマスタングの
大成功に遅れまじと3年後の1967年にハ
ードトップとコンバーティブル2本立で発売
された。マスタング同様手ごろな価格でスポ
ーティーなカマロは大ヒットしSS,Z28
などパワフルでマッスルなモデルも追加しマ
スタングと共に「マッスルポニーカー」とい
う新しいジャンルを築き上げた。ロスアンゼ
ルス滞在中に見たアメ車の中で一番カッコい
いと思ったのはこのカマロSSだった。
ダットサン 240Z
(1971年)

もともと日本よりはアメリカ市場を主眼に置
いて開発されたダットサン240Z(日本名
ニッサン フェアレディー)はロングノーズ
ショートデッキのファストスバックタイルで
ハッチバックを備えていた。240Zはアメ
リカでは「Zカー(ジーカー)」の愛称で親
しまれ、その名が示すように2.4リッター
の直6エンジンを積んでいた。スポーツカー
としては驚くほど低価格(当時4000ドル
を割っていた)で程々に高性能なZカーはア
メリカ市場で「ポルシェよりナウでカッコい
い」と言う声を耳にするほど爆発的な人気を
呼んだ。アメ車全盛で日本車など目にもかけ
ない時代だったのでDATSUNをDODG
Eと思い違いしている人が結構いた(多くの
アメリカ人がソニーのテレビはアメリカ製と
思い込んでいた程日本の知名度が低かった時
代だ)。ホワイト、ブルー、ブラック、グリ
ーン・・・いろいろなボディーカラーのZカ
ーを見かけたがカルフォルニアではオレンジ
のZカーが一番スポーティーに見えた。
ランボルギーニ ミウーラP400
(1971年)

ある週末、アートセンタのトランスポテーシ
ョンデザイン教師ストローサー・ マックミン
先生(元GMデザイナー)に連れて行ってい
ただいたオレンジカウンティーに在るカニン
ガムミュージアムでランボルギーニ ミウーラ
に出会ったのはショッキングな出来事だっ
た。ミウーラはスーパースポーツカーとして
私の一番好きな車なのだ、ウーンウーンとた
め息をつきながらソリッドオレンジに塗られ
たミウーラの周りを何回廻ったことだろう。
地面にベタッと貼りついている姿はクルマと
いうより猛獣を見ているようでその迫力に圧
倒されてしまう。ミウーラは1966年に発
売された2シーターミッドシップエンジンの
スポーツクーペで流麗で力感あふれるデザイ
ンは当時ベルトーネのデザイナー マルチェ
ロ・ガンディーニによる、ポップアップヘッ
ドライトまわりの「マツゲグリル」が獰猛な
スーパースポーツカーにやさしさと親しみを
感じさせる。
フォルクスワーゲン バン
(1971年)

1960年代後期から1970年代初頭にか
けてヒッピーたけなわのカルフォルニアでは
フォルクスワーゲンバン(バス)のエキステ
リアをサイケデリックでポップアートの模様
やカラーで飾り、インテリアをリビングルー
ム風に絨毯でおおい、マリファナの匂いの漂
うヒッピー空間を造り上げた「フラワーチル
ドレンバン/ヒッピーバン」が多く見られ
た、彼らにとってホテル代わりで好きな時に
好きな所へ移動できる安価な自由で幸せな空
間なのだ。正式モデル名フォルクスワーゲン
T1はアメリカでは通称「VW バス(ビィ
ーダブリューバス)」として親しまれてい
る。フラワーチルドレンバンとして利用され
るVWバスは殆どがジャンクヤードから拾っ
てきてドレスアップしたような古いモデルで
パステルカラーの2トーンボディーカラー、
フロントに大きなVWエンブレムがスタンプ
してあるやつだ、タイアはたいてい磨り減っ
て溝がほとんど無い「再生タイア」。LOV
E&PEACE!!!!
ハーレーダビッドソン チョッパー
(1971年)

ヒッピーたけなわの1969年、ピーター・
フォンダ、デニス・ホッパー主演の「イージ
ーライダー」が放映された、麻薬密輸(メキ
シコからのコカイン)で儲けた大金をチョッ
パーのタンクに隠し、カルフォルニアからニ
ューオリンズへマリファナを吸いながら、保
守的なアメリカに反抗して自由を求める旅に
出る、2人で楽しげにチョッパーをライダー
中、近ずいてきたトラックからいきなり銃撃
されて殺されてしまうという衝撃的なラスト
シーン。それが「真の自由」を求める若者へ
の「保守的なアメリカ」の答えだった・・・
というストーリー。「イージーライダー」は
その頃すでに湧き上がっていたチョッパー熱
に火をかけ、1971年のロスアンゼルスで
は好みに合わせていろいろなオリジナルデザ
イン&カラーで創り上げられた多くのハーレ
ーダビットソン チョッパー「自由とカッコ
良さの象徴」がドドドド・・・と腹に響く大
排気量2気筒エンジン特有の「ハーレーサウ
ンド」を撒き散らしながらのんびりと走り回
っていた。
トライアンフ TR4
ロータス エラン
(1971年)
(1971年)

前記のパークミ-ティングにはロータ スエラ
ロスアンゼルス郊外の公園には週末になると
ン、MG、「かに目」のオースチンヒーレー
車好きな連中が愛車に乗って集まってくる、
などのブリティッシュライトウエートスポー
年に何回かのスペシャルイベントデーともな
ツカーが集まってくるがそれらの中で私が1
るとコルベット、カマロ、マスタング、チャ
番好きなのはトライアンフ TR4だ。トライ
ージャー・・・等のアメリカンマッスルカー
アンフのTR(トライアンフ ロードスターの
はもちろんのこと、フェラーリ、ランボルギ
頭文字)シリーズはTR2からTR8までの
ーニ、ポルシェ、ジャギュア・・・等のヨー
7シリーズ(TR1は世に出なかった)。前
ロピアンスパースポーツカーに混じり懐かし
モデルのTR2/
いブリティッシュライトウェートスポーツカ
TR3はMGやオースチンのクラシカルな優
ー達も見られる。ロータスエランはこの公園
しさが漂いトライアンフとしてのオリジナリ
でのミーティングの常連の1台でグリーン、
ティーを欠いているように思えた。TR4は
レッド、ホワイトのエランが何台かパークす
1961年、MGB、オースチンヒーレー3
る。F-1を始めとするレーシング/モーター
000をダイレクトコンペティターとして、
スポーツ界で天才振りを発揮したコーリン チ
ミケロッティデザインの個性溢れるダイナミ
ャップマンが1962年に発売開始した2ド
ックな「イタリアンブリティッシュ」ライト
アロードスター(後にクーペ/2+2が加わ
ウエイトスポーツカーとして生まれ変わっ
る)。ユニークな鋼板製のY字型バックボー
た。大きめなヘッドライトとダイナミックな
ンフレームに軽量なFRP製ボディーを組み
グリルが精悍なイメージを与える。TR4に
合わせ、レトラクタブル(格納式)ヘッドラ
は伝統的なブリティッシュグリーンがアメリ
イトで前面の空気抵抗を抑えるスマートなス
カで好評と聞くが私はレッドのほうが明るく
タイリングのエランは高性能なエンジン、快
力強くてこの車の性格に合っているように思
適な走りとハンドリング、手ごろな価格で大
える。TRシリーズはTR4がピークで、以
成功を納め、その後のライトウエートスポー
後TR8までの4モデルはいずれもデザイン
ツカーのお手本となった。
的にも商業的にも成功するには至らなかっ
た。
トライアンフ    TR4
(1971年)

前記のパークミ-ティングにはロータ スエラ
ン、MG、「かに目」のオースチンヒーレー
などのブリティッシュライトウエートスポー
ツカーが集まってくるがそれらの中で私が1
番好きなのはトライアンフ TR4だ。トライ
アンフのTR(トライアンフ ロードスターの
頭文字)シリーズはTR2からTR8までの
7シリーズ(TR1は世に出なかった)。前
モデルのTR2/
TR3はMGやオースチンのクラシカルな優
しさが漂いトライアンフとしてのオリジナリ
ティーを欠いているように思えた。TR4は
1961年、MGB、オースチンヒーレー3
000をダイレクトコンペティターとして、
ミケロッティデザインの個性溢れるダイナミ
ックな「イタリアンブリティッシュ」ライト
ウエイトスポーツカーとして生まれ変わっ
た。大きめなヘッドライトとダイナミックな
グリルが精悍なイメージを与える。TR4に
は伝統的なブリティッシュグリーンがアメリ
カで好評と聞くが私はレッドのほうが明るく
力強くてこの車の性格に合っているように思
える。TRシリーズはTR4がピークで、以
後TR8までの4モデルはいずれもデザイン
的にも商業的にも成功するには至らなかっ
た。
カンナムレース
(1971年)

CAN-AM(CANADIAN-AMERICAN
CHALLENGE CUP)は1966年に開始され、
カナダとアメリカで開催されていたビックマ
シーンプロトタイプレース。1971年シー
ズンはマクラーレンの独壇場で「イエローオ
レンジ旋風」を巻き起こしていた。昨年はマ
クラーレンM8D-シボレーを駆るデニス ハ
ルムがチャンピオンに輝き、私がリバーサイ
ドレース場に出かけたこの年はピーターレブ
ソンがM8F-シボレーでチャンピオンシッ
プを獲得した、風戸裕がカーナンバー88の
レッドのマシン(シボレーエンジンを積むロ
ーラT222)で挑戦し堂々10位に入った
のもこの年だ。元トヨタワークスチームドラ
イバーの鮒子田氏、大坪氏と知り合ったのも
この年、両氏はCAN-AM参戦の下準備
(参戦用のクルマ、スポンサー・・・)にロ
スアンゼルスに来ておられた。リバーサイド
レース場はビッグイベントの無い週末はファ
ミリームードの草レースが行われていたので
それに参加する友人に付いて時々訪れた親し
みのあるレース場だ。
ダッジ コロネット
(1971年)

アートセンターのセメスター休みに日本人学
友と3人でニューヨークまでドライブしよう
という事になった、どうせならアメリカの醍
醐味を味わえるビッグステーションワゴンが
良いと話がまとまりフルサイズのダッジステ
ーションワゴン コルネットをレンタルした、
ライトブルーメタリックのうすらデカイやつ
で、もちろんV8エンジン。ロスアンゼルス
を北上、サンフランシスコ、シカゴ、デトロ
イトを経由しカナダに入った。ちょうど私が
トロントからモントリオール目指してえんえ
んと続くまっすぐなハイウェーをドライブし
ていた時の事だ、どこに隠れていたのだろ
う?いきなり現れたおまわりさんに止められ
た、怖い顔をして「外に出て前輪のタイアの
臭いを嗅げ!」と言う、嗅いでみたらタイア
のこげている臭いだ、かなりのオーバースピ
ードで長時間走っていたから今にも煙が出そ
うな状態だった、「アイアムソーリー、アイ
アムソーリー」を連発してどうにか許しても
らった。空からヘリコプターでスピードチェ
ックをしたのだそうだ、なるほどヘリコプタ
ーが飛んでいる、なんと大陸的なことか!そ
れからしばらくは「上を向いて走ろう!」が
合言葉・・・・。
ポルシェ 914
(1971年)

昨年発売されたばかりの914が早くもロス
アンゼルスでちらほら見られるようになっ
た。、最初に見かけたのが明るいグリーン
(アマガエル色)の914だったが、その四
角いたたずまいは私のポルシェイメージから
遠く離れたものでいささかがっかりした思い
出がある。914/6はポルシェとフォルク
スワーゲンが共同で開発した最初のミッドシ
ップマウントエンジン2シータースポーツカ
ーでレトラクタブルヘッドライトを備える、
1.7リットルのフラット4エンジンを積む9
14と2リットルエンジンを積む914/6
の2モデルが用意された。フォルクスワーゲ
ンのパーツを多用して価格を下げた914は
「ワーゲンポルシェ」とも呼ばれピュアなポ
ルシェイメージは最初から無かった。ポルシ
ェは若者向けエントリーモデルとしてライン
アップに加えたのだが「プアマンズポルシ
ェ」のイメージが付きまとった。914は9
11の素晴らしさを再認識させるために生ま
れたモデルであったような気がする、ポルシ
ェが将来の方向(方針)に迷いを抱いていた
時代だ。
結婚式
(1972年)

ロスアンゼルスで知り合ったイダリナさん
(ポルトガルの人でUCLAでフランス語の
修士課程を取得するために滞米していた)を
日本へさらっていくことになった。当時私は
いすゞ自動車の戸塚男子寮に住んでいたのだ
がまさか男子寮に連れていくわけにもいかず
アートセンターでクラスメートだった森江さ
ん(後に武蔵野美術大学教授)の田園調布の
お宅に1ヶ月ほど居候させていただく事にな
った。彼女はロスアンゼルスの日本領事館で
日本人と結婚するためのスペシャルビザで渡
航したので3ヶ月以内に結婚しないと強制送
還されてしまう、幸い近所に「カトリック田
園調布教会」があったので早速そこで結婚式
を挙げる事になった。彼女はカトリック信者
だが私は無信教、とりあえず「仮の洗礼」を
受けるためオランダ人の牧師さんから聖書の
「聖パウロの手紙(エフェソ5章21~33
節)」、「キリストの言葉(ヨハネによる福
音5章12~17節)」などを教えていただ
く・・・なかなか良い教えだ。結婚式は英語
でやったので私の両親は何がなんだかわから
なかっただろう・・・とにかく無事結婚出来
た。
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