環境法政策学会第3回学術大会プログラム
第2分科会 環境管理とアセスメント
富山県呉羽丘陵健康とゆとりの森整備事業差止請求等事件控訴判決の検討
[報告者:桂木健次(富山大)・井口博(東京第二弁護士会)/コメント:
磯野弥生(東京経済大)]
1 事案の概要
呉羽丘陵は、富山市の西部で市中心部から2ないし3キロに位置し、東西1キロ、
南北4キロのわたる丘陵で、標高は145メートルである。植生は落葉樹を主体とす
る二次林で、きわめて多様な成熟度の植物群落を含むいわゆる里山である。またその
植生と平野部に突き出た半島状の地形により、鳥類の繁殖地、渡り鳥の中継地、越冬
地として有数の生息地である。多くの哺乳類も生息しているほか、絶滅危惧種である
ホクリクサンショウウオの数少ない生息地のひとつである。また同丘陵は県定公園の
指定を受けているほか、風致地区、鳥獣保護区、保安林指定地域を含んでいる。
富山市はかねて計画していた呉羽丘陵整備事業について、その一部につき平成3年
から開始された林野庁による全国数か所の「健康とゆとりの森整備事業」のひとつと
して補助金を得て実施することとした。本件整備事業の内容は、基本計画及び基本設
計の策定、森林空間整備(樹木の伐採、草木の除去植栽等)、付帯設備の整備などで
ある。富山市は、基本計画及び基本設計の策定について財団法人日本緑化センターと
の間で業務委託契約を随意契約の方法で締結した。また富山市は森林空間整備につき
婦負森林組合との間で工事請負契約を随意契約の方法で締結し、工事は平成3年10
月から開始された。ところがこの「森林空間整備」によってそれまでのうっそうとし
た森は広い範囲で伐採され、あとにはまばらな植栽がなされ、森の様子は一変した。
自然保護団体のその後の調査によると、良好なコナラ等が伐採され、ブルドーザーに
よる著しい土壌破壊がなされた。またそれまでの多様な林床植物群が壊滅状態となり、
地域全体にカラスザンショウや帰化植物が優勢となった。このような伐採のあとに植
栽された樹木にはもともと日本海側に自生しない種があったり、成長の悪い樹木が多
くあった。動物相については、種については45%、個体数においても40%もの減
少があり、ホクリクサンショウウオについては今後の繁殖は困難になり、オオタカも
営巣を放棄するなどの大きい影響があった。
事前に工事内容の説明を受けていなかった地元の環境保護団体は工事が開始された
後、本件事業の中止を求めて一斉に抗議した。しかし市は話し合いも拒否して工事を
続行した。そこで原告らは平成4年12月、住民監査請求をしたが、棄却されたため、
平成5年3月本件住民訴訟を提起した。
原告は、本件事業について、1主位的に、㈰本件整備事業自体が、自然破壊という
財産価値を侵害する違法な財産管理をした、㈪本件業務委託契約及び請負契約に基づ
く公金支出は、原因行為である本件整備事業が環境権ないし自然環境亨有権、生物多
様性条約、自然環境保全法、種の保存法、環境アセスメント義務違反等の違法性を承
継するから違法である、㈫富山市長が環境アセスメントを実施することなく、呉羽丘
陵の貴重な自然を破壊したことは執行機関の誠実管理執行義務(地方自治法138条
の2)に反する違法なものである等と主張し、本件事業の工事差止め、財産管理の違
法確認、富山市に代位して市長個人に損害賠償を求め、2予備的に、本件事業が適法
としても、富山市は日本緑化センターについては、林野庁が強く推薦していることだ
けで契約遂行能力を検討せず、実際にも同センターは本件委託業務すべてをエキープ
・エスパスという会社に再委託しており、また婦負森林組合については富山県農地林
務部の推薦していることだけで、他の業者と全く対比することなく同組合との請負契
約をいずれも随意契約の方法によって締結したことが違法であるとして、富山市に代
位して市長個人に対して損害賠償を求めた。
一審判決の富山地裁平成8年10月16日判決は、主位的請求を却下し、予備的請
求について一部認容した。1差止めについては工事が完了しているとして却下、2本
件整備事業自体は呉羽丘陵の自然環境を維持、保全、整備することが目的であり、そ
の財産的価値の維持、保全、実現を目的としたものではないので、財務会計行為に該
当しないとして却下、3原告らの請求は、本件整備事業自体に違法事由が存するか否
かの判断を求めていると解するしかないが、事業自体は非財務会計行為であるし、必
然的に財務会計上の違法な行為に結びつくものでもないとして却下、4しかし随意契
約の方法によったことについては、随意契約締結は違法とし、日本緑化センターにつ
いて、エキープ・エスパスとの再委託額との差額199万9230円を損害額と認定
したが、婦負森林組合については損害の立証がないとして棄却した。原告ら、被告ら
双方が控訴(差止め請求却下については不服申立せず)。
2 控訴審判決の内容
名古屋高裁金沢支部平成11年2月24日判決は、原判決の被告敗訴部分を取消し、一審原告
らの請求をすべて棄却した。1本件事業自体が違法であるとの点については、
原判決の判断を引用し、加えて、違法事由として環境権、自然環境亨有権の侵害など
種々の主張をするが、「住民訴訟において問題とされる『違法』は、もっぱら地方公
共団体の財務会計の適正を図る観点からの『違法』を意味するのであって、裁判所が
住民訴訟において右の地方公共団体の財務会計の適正を図る観点以外の観点から違法
事由の有無を審理・判断することを法は予定していない」から、「もっぱら呉羽丘陵
の自然保護の観点から本件整備事業の違法を問題として提起されたものと認められる
本件違法確認請求に係る訴えは住民訴訟として不適法であ」る、2違法性の承継につ
いては、「第一審原告が本訴において主張する本件整備事業の実施あるいは実施決定
の違法事由は、前記のとおり住民訴訟において裁判所が審理・判断することを予定し
ていない自然環境保護の観点からの違法事由にほかならないから、本件委託契約の締
結について右の本件整備事業実施決定の違法の承継を主張することは、主張自体失当」であると
した。一審原告らは上告した。
3 問題点の検討
(1)自然環境破壊に対する法的争訟手段としての住民訴訟の意義
わが国において、自然環境破壊のおそれ、あるいは破壊がなされたときに裁判で争
って勝訴することはきわめて困難である。その原因として、環境実体法が立ち遅れて
いるという点はもちろんあるが、裁判上の争訟方法が限定されているということも大
きな原因である。
そのような現状の中で、環境破壊に対しての訴訟形態として用いられてきているの
が地方自治法242条の2に規定されている住民訴訟である。この訴訟形態は、行政
処分の取消訴訟と異なり、いわゆる原告適格の問題、処分性の問題がなく、当該自治
体の住民であれば誰でも訴訟提起できる上に、自然環境の破壊を個人的な法益侵害に
還元せず、環境破壊を公共的な利益の侵害そのものとしての主張が可能であることが
この訴訟方法が多く利用されている理由であろう。
特に自然環境破壊について、形だけのアセスメントしかなかったり、情報開示や住
民参加がなされなかった場合に、住民訴訟の審理において検証によるいわば事後的ア
セスメント、裁判所を通じた証拠収集、行政担当者の証人尋問等による情報公開、住
民参加などが事実上実現することが、いわば行政の不備を事後的に補っている面も否
定できない。また住民訴訟の4号損害賠償請求が、自治体の執行機関または職員個人
の賠償責任を求めることが可能であることも、訴えられた側に他の訴訟とは異なるイ
ンパクトを持つ。
(2)住民訴訟における「財務会計行為」と「違法性の承継」について
しかし住民訴訟は、あくまで対象は地方公共団体の公金の支出など財務会計行為に
ついての違法な行為または違法な怠る事実があったときに認められる。このことから
事業による自然環境破壊を住民訴訟で争うときは、「財務会計行為の壁」が生じる。
そのため、このようなケースでは、住民訴訟の対象はあくまで当該公共事業に対す
る公金支出とし、この公金支出は原因行為の違法性を承継するから違法であると主張
することがなされる。本件訴訟でも、一審原告らはこの「違法性の承継」を主張した。
しかし本件控訴審は前記のとおり、本件整備事業の「違法」は、住民訴訟において裁
判所が審理・判断することを予定していない自然環境保護の観点からの違法事由であ
るから、本件整備事業の違法性の承継を主張することは、主張自体失当であるとした。 違法性
の承継についてのこれまで主な最高裁判決は次のとおりである。
㈰最判昭和52年7月13日(民集31巻4号533頁)(津地鎮祭事件)
「公金の支出が違法となるのは単にその支出自体が憲法89条の違反する場合だ
けでなく、その支出の原因となる行為が憲法20条3項に違反し許されない場合の
支出も、また違法となることが明らかである」として、神式起工式挙行決定の適法
性につき本案審理をした。
㈪最判昭和60年9月12日(判時1171号62頁)(川崎市収賄職員退職金事件)
「[財務会計]行為が違法となるのは、単にそれ自体が直接法令に違反する場合
だけではなく、その原因となる行為が法令に違反し許されない場合の財務会計上の
行為もまた違法となる。・・・本件分限免職処分は本件退職手当の支給の直接の原
因をなすものというべきであるから、前者が違法であれば後者もまた当然に違法に
なる。」としてやはり本案審理をした。
㈫最判平成4年12月15日(民集46巻9号2753頁)(一日校長退職手当事件)
教育委員会が勧奨退職に応じた教頭に対し、退職日一日だけ校長に任命し、この
号級を基準に退職手当を支給していたケースにつき、4号の損害賠償責任を問うこ
とができるのは、「原因行為に違法事由が存する場合であっても、原因行為を前提
としてされた当該職員の行為自体が財務会計法規上の義務に違反する違法なもので
あるときに限られる」とし、本件昇格処分及び退職承認処分が著しく合理性を欠き
そのためこれに予算執行の適正確保の見地から看過し得ない瑕疵の存するものとは
解しえないとして、当該職員の行為は財務会計法規上の義務に違反しないとした。
㈬最判平成5年9月7日(民集47巻7号4755号)(織田が浜埋立差止請求事件)
市長の埋立免許は瀬戸内海環境保全特別措置法及び公有水面埋立法に違反して違
法であるから、同免許に基づいてなされる埋立行為も違法であるとして、埋立工事
にかかる公金の支出の差止を求めたケースにつき、1号差止請求の対象としての特
定に欠けることはないとして原判決を破棄差戻した。そして差戻審の高松高裁平成
6年6月24日判決(判タ851号80頁)は、本案審理をして、埋立が隣接海岸
に与える影響は軽微であるから埋立行為は適法であるとして請求を棄却した。
(3)本件控訴審判決の検討
本件控訴審判決は、これまでの最高裁の判例における住民訴訟の財務会計行為にお
ける違法性の承継論について、自然環境訴訟への適用を否定したもので、今後の自然
環境訴訟に大きな影響を持つ。しかし控訴審判決には次の疑問がある(随意契約の点
は除く)。
㈰最高裁は財務会計行為における違法性の承継については、原因行為の違法性と後行
の財務行為との関係を問題しているのに、本件控訴審判決は単に原因行為の違法性
の主張が自然環境保護の観点からの違法性の主張であるからというだけで承継を否
定している。これは原因行為にも財務行為性を求めるもので不当である。
㈪控訴審判決は、一審原告らが地方自治法138条の2の誠実執行義務違反を主張し
ているのに、これも自然環境保護の観点からの違法事由の主張であると解して判断
を回避した。
㈫審理過程においても、一審では自然破壊についての詳細な裁判上の検証を行い、控
訴審では植物学の専門家証人を採用して証言を得たのに、一審原告らに何らの釈明
をすることなく不適法却下した。
(4)自然保護裁判における自然環境の経済評価
呉羽訴訟では、違法性の承継あるいは誠実執行義務違反については、その損害額と
して本件整備事業における違法な契約金額総額5億3784万5400円あるいは違
法な工事請負契約金額5億1786万3400円を主張したが、財産管理の違法につ
いては損害として自然破壊そのものの経済的評価が必要となった。
そこでその方法として「呉羽丘陵健康とゆとりの森整備事業」に関する富山市民の
意識調査を実施し、その中で仮想評価法(CVM法)による損害額の評価を行った。
その調査の概要は以下のとおりである。
㈰1998年4月30日、電話帳から無作為抽出した富山市民1028人に、呉羽丘
陵の現状を示す3枚の付図とその説明書、質問票を郵送し、同年5月末日までに返
送のあった255人からの回答を集計した(回答率24.8%)。
㈪仮想評価法(CVM法)に基づき、本件事業に伴う自然破壊によって市民が受けた
損害額を推定するため、呉羽丘陵の自然環境の回復のための支払意志額を質問した
ところ、回答者全般における平均金額は2779 2899円となり、これに富山
市全域の世帯数をかけて合計すると、推定損害額は316,275,211円とな
った。呉羽丘陵周辺地域について算定すると、推定損害額は329,739,72
9円となった。ボランティアとして提供してよいとする労働時間を尋ね、これに富
山県の最低賃金と人口をかける方法では、富山市全域では推定損害額は4,233,
418,239円、呉羽丘陵周辺地域では3,300,128,571となった。
以上から控え目な値として推定損害額は約3億1627万5211円とした。
これまで自然環境は金銭的に評価できないものとされ、その破壊に対しての
「損害」の金銭的評価という考え方は裁判において明確に主張されたことはほ
とんどなかった。本件訴訟においては、入口である財務会計行為に該当しない
とされたため、自然環境の経済的評価についての裁判所の判断は示されなかっ
たが、今後の自然環境裁判において、自然環境の経済的評価が必要なケースが
多くなるのではないだろうか。

法政策学会報告(呉羽)