SlideShare a Scribd company logo
ガーフィンケルを読む I


EMCA研究会


古典読解講義
Part I.
2021.09.25
Parsons’Primer, Chapter V, “An Illustrative Reading of Parsons’ Revised Paradigms of the Components and
Processes of Action Systems of Rules (A Theory) For Assembling Stable Social Structures.”
1. 準備的論点
2. 講義の目的
3. Parsons (1960)
4. パターン変数図式
5. 安定的行為経路
6. 文化的自動人形のメタファー
7.「適正な」結合
8.困難
9. 困難の解決
10. 結論と展望
タイトルについて、Parsons’Primer の構成について、第V章の構成について
Garfinkel とParsons の関係、Garfinkel自身の解釈
Garfinkel による全体的評価、社会学理論の性質、行為経路(行為者)、単位行為
現在的(actual)、変数の組み合わせ図式、行為経路の可変性の記述
社会的機能的編成、統合的諸標準、分析的に提供される記述の問題
「規範性」の意味、不適正な対の「強行」、期待破棄実験
時間的過程の中の安定的対作成の生起の保障、「環境的緊急要件」、「ゲームが提供する条件」
ルールに支配される行為の適合的な記述方法
ゲームのモケイ、環境への適応、環境のシンボライゼーション、Garfinkelによる探求
GarfinkelのEMとParsonsのパターン変数図式、行為経路の強調、「現実」社会
目次
Parsons の行為者は文化的自動人形ではない
p.3
1-1 この章のタイトルと本書の構造は、1963年2月8日までに変更されている。第IV章末尾にはつぎの書き込みがある(Gar
fi
nkel 2019 では削
除)。
準備的論点:1-1 本章のタイトル; 1-2 本書の構造
Insert at this point a summary of the preceding four chapters so as to make a transition to Chapter V which presents an illustrative case of a
structured analysis by Parsons.)
 

(ここ
で
、先行する4つの章の要約を挿入し、Parsons による構造的分析の一例証を提示する第V章への移行を行う。)
1-1-2 この後の章(第V章「Parsons の解決」または「An Illustrative Reading of Parsons’ …」)に続く4つの章の原稿に章番号が付されていない。
1-2 本書は、前半5章(第I ∼V章)が、Parsons の方法の説明、後半4章(第VI~IX章)がParsons の方法の適用の例証になっている。
p.3
1-3 第V章の節構造はつぎの通り。()はGar
fi
nkel 2019, []は樫村手持ち原稿(1963年版)のページ番号
準備的論点:1-3 本章の組み立て
まえがき(pp.169~172)[p.121~
]

I. Parsons の方法の解説(pp.172~177)[p.123~
]

II. 可能な諸客体(pp.177~179)[p.134~
]

III. 可能な諸志向(pp.179~181)[p.137~
]

IV. 協調的行為の安定的組み合わせとしてこれらの集合を関係づけるルール(pp.181~185)[p.141~
]

V. 時間的諸過程(pp.185~187)[p.149~
]

VI. 諸前提/緊急条件(pp.187~195)[p.154~
]

VII. 緊急条件に対する行為システムの適応(pp.195~201)[p.167~[
p.4
1-3-2 Garfinkel自身の要約
説明は7つの部分からなる。第I節(Part I)は、「単位行為」を議論する。これは、ある客体に向けられた(directed to an object)行為経路(a course of
action)からなる。行為者という用語は行為経路を指示する。客体という用語は、環境的様相の集合(an ensemble of environmental features)であって、そ
の処遇経路にとって有意義な(relevant to the courses of treatment)ものを言う。第II節は、パターン変数を扱う。これらは、カテゴリー的観念であって、
それを用いることで「可能な行為経路」と「可能な客体」が観念されるものだ。残りの第III節から第VII節は、社会諸構造の安定的結合(a stable sets of
social structures)を集成し関連づけるルールを提示する。第III節は、安定的行為諸経路(stable courses of action)(諸志向(orientations))、安定的客
体、安定的な統合諸標準、そして環境的緊急要件の安定的知識を、集成するルールを提示する。第IV節は、協調行為の安定的結合としてそれらを関連づ
けるルールを提示する。第V節は、時間的過程の維持される産出物としての安定的社会諸構造を定義するルールを提示する。第VI節は、第III,IV,V節のル
ールの集合が、ルールのシステムとして定義されるために用いられる前想定(presuppositions)を提供する。[第VII節は、記号のシステムとしての複数セ
ルの表を議論し、その記号の文法的ルールを提示する。第II,IV,V節の集成ルールのそれぞれには、ひとつづつの定理が対応し、それぞれの定理には経験
的命題の集合が対応するということが示されるだろう。]・・・[ ]は書かれていない。
p.5
2-1 今回の講義では、GarfinkelのEMがParsons の理論とどんな関係にあるのかを、この第V章を読むことにより、理解していきたい
2 講義の目的
2-1 講義の目的
この問題については、これまでいくつかの解釈が示されてきた。
両者の関係を「対立的」に見るもの
両者の関係を「生活史的」に見るもの
両者の関係を「順接的」に見るもの
p.6
最初のものは、博士論文(Garfinkel 1952)であり、その前後に書かれたものがある(Garfinkel 2002)。『エスノメソドロジー研究』にも言及が
ある(Garfinkel 1967、樫村 2019, p.443)。また、Parsons の『社会的行為の構造』の発刊50周年をきっかけとして書かれたものがある(Garfinkel
1988[Evidence for..], 2007[Lebenswelt Origins])。


これらには、一貫して、Parsons に対する恩義の念と、内容上、表現上からはっきりした差異ないし断絶とが表明されている。しかし、両者の関
係を明確に理解するには、これらの表現は少なすぎた。


 以上から、Parsons’ Primer でGarfinkel がParsons 理論の解説を行なっているということが、非常に興味深い研究対象となることが理解される。
2 講義の目的
2-2 Garfinkel自身の言及
p.7
3-1 「まえがき」の部分では、Gar
fi
nkel による本章と密接に関連するParsons の論文へのGar
fi
nkelによる評価が述べられている。
3 Parsons (1960)
Parsons’ paper furnished revised paradigms of the “components and processes of action systems”. The revised paradigms
consist of rules for looking at everyday activities so as to make observable their essential features as assembled stable
social structures of interaction. In exactly the sense of the discussion in the previous chapter, “The Problem of Social
Order and the Concept of Ad- equate Description of Social Structures”, these rules of interpretive procedure have the
methodological status of a solution to the problem of social order. This is to say that the usage of Parsons’ concept,
“adequate description of social structures” is explained by the orderly exposition of these rules.


Parsonsの論文は、「行為システムの諸構成要素と諸過程」の修正された範型を与え た。この修正された範型
は、相互行為の編成された安定的社会的諸構造としてのそれらの 本質的諸様相を観察可能にするために日常
的諸活動を見るための諸ルールから構成されて いる。前章「社会秩序の問題と社会諸構造の適合的記述の概
念」
で
議論されたまさに その意味
で
、解釈的手続のこれらのルールは、社会秩序の問題の解決という方法論
的地位をもつ。これはつ
ぎ
のこと
だ
−Parsonsの概念「社会諸構造の適合的記述」の使用法は、 これらのルール
の秩序
だ
った解説によって説明されるの
で
ある。
p.170, §2
p.8
3-2  Gar
fi
nkelはParsons に限らず—とりわけSchutzも—社会学理論が社会秩序の問題の社会学者による解決だと考えている。Parsons も結果的にこの
考えに同意できていた。
3-2 社会学理論の作用
Parsons の理論(概念システム)は、もともと、社会を適切に記述するためのカテゴリーの必要十分なシステムとなることを
意図していた。Parsons が、功利主義システムを採用せず、システムに「規範的カテゴリー」が必要だとした理由は、規範的カ
テゴリーがなければ、経験的社会の適合的記述を行うことができないからだ。Parsons が念頭においていた事例は、なにより
も、プロテスタンティズムと経済活動の関係だった。
p.9
複数の行為者(a set of actors)、環境(environments)、処遇(treatments)
行為経路(処遇経路)(以下は同義。actions-in-their-course, courses-of-action or courses-of-treatment)、諸客体(objects)とその集成
(ensumbles)(Parsons の用語では、modalities of objects)、単位行為(unit acts)
3-3 行為の参照枠組(Action Frame of Reference = AFR)
3-4 単位行為
Grammatically speaking, the “unit act” speci
fi
es the constituent ideas that make up the meaning of the general concept, “an event of
conduct.” It furnishes the two sets of terms that a description of an empirical instance of an “event of conduct” must provide for if it is to
be counted an adequate description. Courses of treatment can be described without describing objects, but not without presupposing the
parameter of objects.
 

「単位」は 経験的というよりは文法的な言い方
だ
。文法的に言うと、「単位行為」とは、一般的概念 としての「行為とい
う出来事(am event of conduct)」の意味を作り出す本質構成的 (constituent)な観念を特定している。それは、「行為という出
来事」の経験的事例の記 述
が
、それ
が
適合的記述(an adequate description)とみなされうるなら、提供しなけれ
ば
ならない、
二集合の条件(terms)を特定している。処遇経路は客体を記述することなく記述
で
きる
が
、諸客体の基底変数を前想定するこ
となしには記述
で
きない。 p.172
p.10
When any actual features whatsoever of an object are attended under a rule of relevance that assigns priority of relevance to
expected use of these features as facilities in the attainment of some goal of the actor, this object is spoken of as an object of
utility.
 

ある対象の
ど
のようなもの
で
あれ現在的な様相
が
、その行為者のなんらかの目標の達 成において便宜(facilities)とし
てのそれらの様相の期待される仕様に、関連性の優先性を 割り当てるような、関連性ルールのもと
で
、注目される
とき、この対象は、効用の対象と呼
ば
れる。
4-1 図式の読み方p.177 Table 1
4-2  ここで「現在的actual」というのは、「まさにそこにある」という意味。それは、注目されている
その行為経路の処遇の客体となっているということ。これは、Parsons にしたがってGar
fi
nkelは、パター
ン変数を、(しばしば批判される)抽象的概念として扱っていず、具体的にそこに現前するものの記述の
装置として理解し利用していることを示す。Parsons理論が、抽象的概念の閉じたシステムではなく(その
ような外観をもつが)、現実の記述のために用いられているのだという立場は、Gar
fi
nkelがParsons を弁
護するために重要視した論点だ。
4 パターン変数図式
4-2  「現在的actual」
p.11
表1はParsons が客体の様式(modalities of objects)と呼んだものを定義する2組の変数(普遍主義-特別主義、遂行-存在)を表現する。Parsons-
Gar
fi
nkelによれば、それらは、志向様式を定義する別の2組の変数(中立性-感情性、限定性-非限定性)と組になることで、行為経路を適合的
に記述する。
4-3 パターン変数の2つの結合
4-4 中間まとめ
4-3までに、Parsons-Gar
fi
nkel が達成したことは、行為経路の可変性を適切に記述することができる概念システムを構成すること。
議論は、つぎにこの可変性を限定することに進む。
これは、行為経路の安定性を実現する組み合わせとそうでない組み合わせを区別することである。
p.12
5 安定的行為経路の(理論家による)選択
 観察された諸活動のいかなる現在的な集合
で
あれそれ
が
安定的社会構造の4つのシステム問題への解決として分析される
とき、もし理論家
が
その観察された社会構造の安定的様相を予測
で
きるとすれ
ば
、適応、目標達成、統合、およ
び
パ
ター
ン維持の4つの条件のそれ
ぞ
れについて、同等の関連性(equivalent relevance)を割り当てることは
で
きない。そう
で
はなく
て、安定性
が
一つの要請された推測として述
べ
られうるのは、その解決
が
それら自体位階的な優先性
で
並
べ
られるとき、ま
たそのときのみ
で
ある。たとえ
ば
、理論家の行為者の立場からは、理論家は、その行為者
が
、動機
づ
けと意味の維持とと
もに、諸便益の産出と配分における緊急要件に同等の価値をあたえ、同等の仕方
で
それらに注意を向けることは
で
きな
い、と言わなけれ
ば
ならない。もし理論家
が
そう言えるなら
ば
、観察された諸活動
が
安定的様相を展示する
だ
ろう。
pp.180~181
When any actual set of observed activities are analyzed as solutions to the four system problems of stable social structures,
the analysis cannot assign equivalent relevance to each of the four conditions of adaptation, goal attainment, integration,
and pattern maintenance if the theorist is to predict stable features of the observed social structures. Instead, stability can be
stated as a required inference if and only if the solutions are themselves arranged in a hierarchical priority. For example,
from the standpoint of the theorist’s actors, the theorist must say that the actor cannot simultaneously assign equivalent
value to, and attend in equivalent fashion, the exigencies in the production and allocation of facilities, together with the
maintenance of motivation and meaning, if the theorist is to say that the observed activities will exhibit stable features.
研究者は、一方で、パターン変数により人々の行為経路を観察するとともに、パターン変数によって記述
される行為経路について、パターン変数から引き出される根拠(表2のラベルが意味するもの)にもとづ
き、安定性の予測ができる。
p.13
 Parsons のAFRは、この根拠を「社会的機能(達成)」に求めた。これに対して、Gar
fi
nkelはあきら
かに留保的な仕方でつぎのように言う。
しかしな
が
ら、諸標準の「機能的」編成(”functional “ arrangement)
が
行為のそれ
ぞ
れの具体的経路に対応する(corresponds to each
concrete course of action)と想定して、出発してはならない。そう
で
はなくて、正しい出発点(the correct point of departure)は、
具体的記述の形式でその場面についてそのほかに何をいえるかにかかわらず(what else one might be prepared to say about that
setting by way of concrete description)、安定的活動の観察された現象(the observed phenomenon of stable activities))
で
ある。機能
的
パ
ラ
ダ
イム(The functional paradigm)は、理論家
が
それらを別の仕方でどう把握しようと決定するかにかかわらず
(regardless of how the theorist might otherwise choose to conceive them)、本質的かつ関連する活動という現象—観察された協調
的所活動の安定的性質をそれらが決定する—を決定する際に、研究者(the investigator)によって利用される
べ
き一方法として
用いられる
べ
き
で
あり、また完全にそれのみから成り立つの
だ
。
 これま
で
述
べ
てきた
パ
ターン変数の選択肢のいろいろな対
が
、理論家により、つぎのもの—理論家の行為者
が
処遇と対象様
相の評価的関連性の諸標準としてそれにコミットしている(be committed)といわれる、ある相互行為状態の評価的諸標準—とし
て扱われるとき、理論家によるこの点でのそれらの使用は、それらの対を「統合的標準」と呼
ぶ
ことにより、名付けられる。
そのそれ
ぞ
れの対に、一つの代替的対
が
対応するのだ。
5 安定的行為経路の(理論家による)選択(続き)
ガーフィンケルを読む I


EMCA研究会


古典読解講義
Part II.
2021.09.25
Parsons’Primer, Chapter V, “An Illustrative Reading of Parsons’ Revised Paradigms of the Components and
Processes of Action Systems of Rules (A Theory) For Assembling Stable Social Structures.”
p.14
統合的諸標準についての考え方は、Parsons (1960)の「パターン変数再考」の主要なテーマの一つだった。大きく言うと、Parsons が「主意主義」
理論から、「機能主義」理論へと変化する転換点を構成する論点。Gar
fi
nkel の説明もそれを示唆する。p.176, §5.
5-3 統合的諸標準
Parsons の当初の議論は、これらの評価的基準はなにかという問題に関わって いた。それらの標準は、そのような諸標
準の諸特性を直接に提供していた
パ
ターン変数を用いること
で
決定された。その修正—「
パ
ターン変数再考」—
で
は、
パ
ターン変数はそのかわりに、制度化されること
が
で
きる標準の集合と、そのよう
で
ないものの集合とを導出する
(generate)ために用いられている。
Parsons’ early argument was concerned with the problem of what these evaluative standards were. They were decided by using the
pattern variables to furnish directly the properties of such standards. In the revision, Pattern Variables Revisited, the pattern
variables are used instead to generate those sets of standards that are capable of being institutionalized as well as the set of those
that are not.
p.15
この議論は、上の機能的組み立ての使用についての注意に引き続く部分。p.182, §3.
 

Gar
fi
nkelは、パターン変数による分析的記述が、行為経路の具体性を犠牲にする危険性に気づいているが、Parsons 理論を擁護可能なものと見
ている。「文化的自動人形」の議論は、Parsons 理論が、その危険を回避するものとみられる理由として述べられる。
6 文化的自動人形のメタファー
さて、Parsonsの行為者は、思考しない、記憶しない、価値を知った、一意的に確約している、文化的
ゲ
ームを演
じ
る
人形(dope)—その行為者
が
何をするかを決定するという理論家の問題のために、その行為者に直面させる、想定され
た環境にかれ
が
直面するとき、その行為者は、かれは環境の諸対象の諸様相に典型的様相の諸事例として注意を向け
ると言われるから、その際に、その対象
が
同時的に唯一的
で
特別な(particular)諸様相をもまた持っているという側面
を世界から放逐してしまう—そのような存在
で
はない。
ド
ア
ベ
ル
が
なり、私はかれ
が
こういうの
で
はないかと心配す
る(wonder if)こと
が
で
きる—「私はあなたへの郵便を配達する
が
、た
だ
しつ
ぎ
の条件
が
ある。あなた
が
昨日私に友
人としての挨拶をしなかったことの説明をするなら。もしあなた
が
十分な説明をしないなら、私は、あなた
が
振る舞
い方を改めると決めたのちにのみ、あなたに郵便を配達しよう。」私はこれを心配すること
が
で
きる(can)。しかし、
それ
が
相互行為の筋としてはありそうにないと考え、また誤っていると、またまさにそれ
が
誤っているから(because it
is wrong)それはありそうにないと考える。もしかれ
が
私にこのような処遇をするなら、私 は、われわれ
が
互いに好意
をもっているかいなかにかかわら
ず
かれがそれでもなお私の郵便を配達することを固執
で
き、また同時に、この一方
のことは他方のことと「なんら関係
が
ない」ことを主張するこ とについて社会的支持を期待
で
きる。Parsons の行為
者は同
じ
こと
が
で
きる。
p.182
p.16
6-2 中間的まとめ
 以上までで、Gar
fi
nkel はつぎのことを説明した。
(1) 社会学理論の課題は、社会秩序の問題を解決することだということ、
(2) 社会秩序の問題の解決は、「適合的な」記述とParsons-Gar
fi
nkel が呼ぶものを通じて与えられること、
(3) Parsons のAFR が一つの「適合的な」記述を与えること、
(4) とりわけ、その記述はパターン変数による記述(分析的記述)によって与えられること、
(5) したがってそれは理論家に対して与えられること、
(6) 理論家はこのようにして社会秩序の問題を解決していること。
 Gar
fi
nkelは、Parsons 理論について、このような理解と判断をもっていたことがわかる。多くの解釈者が想定しがちなこととは異なって、Gar
fi
nkel は
Parsons 理論を全面的に/根本から/拒絶したわけではなかった。
p.17
「それ以外の組み合わせは不安定
だ
」という句は、「正しい」(”correct”、または”proper”)選択を定義す
る規範 とは異なる規範への同調へのコミットメントを強行するいかなる試みも、行為者の諸対象の環境を
「非規範化(anomicize=アノミー化)」し、その社会的諸構造の非組織化された諸特性(disorganized
properties)を倍加 させる
だ
ろうということを意味する。
7 パターン変数の「適正な」結合(”proper” matching)と文化的自動人形
p.184
The phrase, “alternative combinations are unstable,” means that any attempts to enforce commitments to compliance
with the alternative norms to those that de
fi
ne “correct” choices will anomicize the actor’s environment of objects and
multiply the disorganized properties of the social structures.
Parsons のAFRにおいて、「規範性」は、(理論家によるものだが)行為者(行為経路)を通じて維持/達成される、行
為の性質となる、「正しい/または正しくない」認識、表出、判断を特定する。
7-1 「適正な結合」の意味
7-2 「規範性」のAFRにおける意味
たとえば、ある特定の意義深い瞬間にある人が表情を作ることは、もしかれが友人なら「正しい」が、もしかれがプロの
相談者なら「正しくない」ことになる。この判断は、理論家が、理論家の行為者としてとらえられる人(行為経路)につ
いて行うもので、その判断の科学的な真理性は観察によって検証される—たとえば「正しくない」と判断される行為経路
に対しては、相互行為相手から否定的サンクションが引き続くことでわかる。
p.18
7-4  ここまでのまとめ
 前ページの引用では、「強行する」という語も大事。
「強行」とは、たんに「正しくない」行為経路を実行するだけにとどまらず、「正しくない」行為経路を「正しいもの」として相手に押し付けること。
Gar
fi
nkelの「期待破棄実験」の基礎にあるのは、この論理だ。
7-3 パターン変数を利用する試みが、EMを発展させた
安定的な相互性の集成のための条件は、行為者の行為
が
、この集成のルールの集合によって代表
されている規範によっ て支配されているときに、満たされる。
p.185
The conditions for the assembly of stable reciprocities are satis
fi
ed when the actor’s actions are governed by
the norms represented in the set of assembly rules.
「規範」を適合的に記述できるためには、パターン変数を利用する必要があり、規範は、パターン変数の特定の組み合わせとして表現され
る。
p.19
ひとつの重要な問い
が
残されている—これらの安定的相互性
が
、時間的諸過程( temporal
processes)としてのそれらの生起の経路を通
じ
て保証されるのか?もしParsons
が
これ以上のものを提
供しないとすれ
ば
、理論家
が
、この限りの
パ
ラ
ダ
イム(this much of the paradigm)を用いて、安定的遂
行と裁可を構築することができるのだ—もし理論家が、つぎのこと—行為者たち
が
た
だ
その諸選択
が
選択可能
で
あったという理由
だ
け
で
そう選択したということ—を仮定
で
きるとすれ
ば
だが。
8 時間的諸過程における安定的結合の生起の保障
p.185
A large question remains: How are these stable reciprocities guaranteed over the course of their occurrence as
temporal processes? If Parsons provided nothing more the theorist could use this much of the paradigm to
construct stable performances and sanctions if he could assume that actors made the choices they did only
because the alternatives were there to be chosen.
安定的行為経路を表現する規範(パターン変数によって表現された組み合わせ)が選択可能であるという理由だけで、行為者はそれを選択できるのか。
さきほどの郵便配達人の例をもちいれば、郵便配達人がその遂行の前提として友情の充足をもとめないことが観察されるのだが、配達人がその理由は、
そうすることが安定的行為経路だからという理由ないし事情だけか。
言い換えると、
困難は、適合的な記述という課題に関係があり、それは人がゲームを行うという状況を適
合的に記述できないということ( =保障がないこと)。
p.20
この困難は、つ
ぎ
の事実の中に存在する—「チェ スの
ゲ
ームのひとつの
プ
レイ」という出
来事の、規範的に規制された産出の一事例として の、ひとつのチェス
ゲ
ームのある観察さ
れた
プ
レイの産出
が
、(a)
プ
レイの諸ルールを 考慮することにより、また(b)行動の基準とし
てこれらの諸ルールを確約している、す なわちひと
び
と
が
プ
レイヤーのように行為するも
のとして、想定することにより、アカウ ントされるときには、その結果は、ルールに支配
された行動の記述的理論
で
はなく、その 規範的理論になるという事実。
8 時間的諸過程における安定的結合の生起の保障
p.187
The dif
fi
culties reside in the fact that when the production of an observed play of a chess game as an
instance of a normatively regulated production of the event “a play of a game of chess” is accounted
for (a) by consulting the rules of play and (b) by assuming that persons are committed to these rules
as maxims of conduct, i. e. that persons acted like players, the result is a normative instead of a
descriptive theory of rule-governed conduct.
この条件は、Parsons のAFR においては、「環境的緊急要件」という概念でとらえられて
いた。この概念は、AFRを現実の社会の観察に結びつけるため(それを検証可能なものと
して維持するため)に不可欠のものだった。
p.21
これに対して、Gar
fi
nkel がさまざまなゲーム状況を利用して研究を進めていたこと、ゲー
ムを構成する構成的、選好的ルール、「ゲーム提供的条件(game-furnished conditions)」
などの概念を用いたことは、Gar
fi
nkel (1963) を通じて、よく知られている。Gar
fi
nkel は、
これをゲームというモケイ(mock-up)の利用と言った。
8 時間的諸過程における安定的結合の生起の保障
たとえ
ば
、
プ
レイヤーは、かれ
が
一つ一つの手を指 す前に
ポ
ーン(pawns)を交換すること
が
かれのチ
ャンスを増やすの
だ
と主張するかもし れない。ひと
が
これに返答して、結局、チェスの基礎的ルー
ルを正しく理解しているあら ゆる
プ
レイヤーは、そのようなやり方
が
駒の実質的位置(material
positions)を変えること
が
ないことを理解すること
が
で
きると言っても、
プ
レイヤーたちの現在的な
諸例(actual instances of players)
が
この仕方
で
事態を扱う
だ
ろうか、という疑問
が
それにもかかわら
ず
残る。こうした予測不可能事態(contingencies)
が
「現実の
ゲ
ーム(real game)」の「そと(outside)」にあ
ると言うことは、つ
ぎ
の理由
で
十分
で
ない—そのようなことを言い張ると、記述的理論
が
必要なの
に、基礎的およ
び
選好的ルールからチェス
プ
レイの規範的理論を作り出してしまう。
p.22
8-4 それは、行為者がルールを知っていることとは同じでない
p.188
For example a player might insist that his chances were aided by interchanging pawns before he made each
move. Even if one asserts in reply that after all players who just understood the basic rules of chess could see
that such a maneuver in no way altered the material positions of the pieces, the question would nevertheless
remain whether actual instances of players would treat the matter in this way.To say that such contingencies are
“outside” the “real game” is not satisfactory since such an insistence makes of the basic and preferred rules of
chess a nor- mative theory of chess play, whereas a descriptive theory is needed.
これらの困難は、ルールに支配された行為の研究(the study of rule-governed actions)に特有的
(particular)なもの
だ
。それらにうまく調和して(coming to terms with)、規範的に規制された行動のある
記述的理論の成立を可能にするために、Parsons は緊急諸要件についてのかれの見方を提供する。
p.23
9 Parsons とGar
fi
nkel による困難の解決
p.189
These dif
fi
culties are particular to the study of rule-governed actions. For the purpose of coming to terms with
them so as to permit a descriptive the- ory of normatively regulated conduct to be constructed Parsons
furnishes his version of the exigencies.
われわれ
が
ゲ
ームを用いるのは、つ
ぎ
の問いについて生
じ
る決定的諸論点の提示を 助けるため
だ
—
いかにして、安定的相互性
が
、時間的過程としてのそれらの生起の経路を通
じ
て、保証される
(guaranteed)のか?Parsons の定式化は、日常生活の規範的に規制さ れた行為の特徴を明確にすること
に向けられており、
ゲ
ームの行為のそれらに向けられたもの
で
はない。それにもかかわら
ず
、われわ
れは、のちに見るように、日常的行為の安定的社会的諸構 造の緊急要件の性質を明確化するため
に、
ゲ
ームを参考にする
だ
ろう。
ゲーム利用についての注釈
We have used the game to aid our presentation of critical issues that arise with respect to the question: how are
stable reciprocities guaranteed over the course of their occurrence as temporal processes? Parsons’ formulation
is directed to clarifying the character of normatively regulated actions of everyday life, and not of games.
Nevertheless as we shall see later we can consult games to clarify the nature of the exigencies for the stable
social structures of everyday actions.
Parsons のこの間の考えでは、行為システムは、その「外部」(環境)と「内部」の双方について、安定化されていなければならなかった。行為シス
テムのサブシステムのうち、LとGは、欲求と充足にかかわり、行為システムを活動させる役割をもつ。これに対して、AとIは、それぞれ、外部と内
部の安定化を担当するものだ。ここでA(適応)が問題になるのは、この理由による。
p.24
9-4 Parsons の解決—行為の環境への適応の問題
 Parsons のパターン変数の枠組みは、Parsons & Shils (1951) で詳しく展開されていた。Dubin (1960) は、パターン変数枠組みの「操作化」をめざす、
当時としては友好的生産的な反応だったが、パターン変数枠組みを単なる行為の経験的分類学と見ていた点でParsons-Gar
fi
nkel の意図と無関係な方向
を向いていた。Parsons 自身の「操作化」の独自の努力は、Parsons, Shils, Bales (1953)[Working Paper]、Parsons, Bales (1955)などを中心に行われ、その
達成がParsons (1960)であった。
(1)ひとつの行為システムの環境のなかの諸客体の適応的意義(adaptive signi
fi
cance)をシンボライズするため(たとえば、それらを認
知的に「理解する」ことのため)には、それらの諸客体が現在的にまたは潜在的に「する」(遂行(performance))ことの観点からそれ
らをカテゴライズし、かつ(and)、感情的(affective)に中立的(neutral)に、すなわち、その行為者を充足するためのそれらの潜在能力
から独立に、それらに志向しなければならない。この「パターン」は、それを構成する諸客体の「客観的」理解を最大化することができ
る外部的環境へのあるオリエンテーションの安定性のための一条件として定義できる。パーソナリティ分析から用語を採用して、われわれ
はこのパターンを経験的「認知的シンボライゼーション(cognitive symbolization)」と呼ぶことができる[図1の左上のセルの左上の部分]。
(2)そのシステムにとって外部的な客体を、目標達成に対するそれらの有意義性にしたがってシンボライズしカテゴライズするために
は、限定的な関心の基礎—ないし「動機付け(motivation)」(限定性(speci
fi
city))にもとづき、かつ(and)、行為のそのシステムを
も定義づける諸意味のあるシステムへの潜在的な「共属性(blongingness)」(特別主義(particularism))にもとづいて、それらの可能な
意味に焦点を合わせることが必要だ。われわれはこれを「表現的シンボライゼーション(expressive symbolization)」—これは、特別主義
的意味の普遍主義的意味の水準への一般化だ—とよぶ[同じく右上の部分]。(3)そのシステムにとって外部的な諸規範(norms)の意義を
シンボライズしカテゴライズするためには、ある客観的に「所与の」事態(”given” state of affairs)あるいは「秩序(order)」の諸側面と
してそれらを扱うこと(属性(quality))、かつ(and)、それらを感情性をもって扱うこと—すなわち、その行為者は、問題の諸規範に
コミットメントを感じるかどうかについて、感情的に無関心であることはできないこと—が必要だ。これをわれわれは「道徳的—評価的
カテゴライゼーション(moral-evaluative categorization)」とよぶ[同じく右下の部分]。(4)「規範的権威の諸源泉」の意義をシンボライ
ズしカテゴライズするためには、そのシステムへの包摂に依存しない特性をもつものとしての、諸客体の普遍主義的定義を、非限定的な
(diffuse)関心の基礎と組み合わせ、その結果、問題の意味が志向する行為者と環境の間の揺れ動く関係に依存して取り扱われえないよう
にする必要がある。これをわれわれは「実存的解釈(existential interpretation)」とよぶ[同じく左下の部分]。
p.25
9-5 Parsons の解決—行為の環境への適応の問題(補充)
(1) In order to symbolize the adaptive signi
fi
cance of objects in475the environment of an action system (for example, to “understand” them cognitively),it is
necessary to categorize them in terms of what actually or potentially they “do” (performance), and to orient to them with affective neutrality, that is, independently of
their potentialities for gratifying the actor.This “pattern” is de
fi
ned as a condition for stability of an orientation to the external environment which can maximize
“‘objective”understanding of the objects comprising it; adopting a term from personality analysis we may term the pattern empirical “cognitive symbolization.” (2) In
order to symbolize and categorize objects that are external to the system according to their signi
fi
cance for goal-attainment, it is necessary to focus their possible
meaning on speci
fi
c bases of interest or “motivation”(speci
fi
city), and on their potential “belongingness” in a system of meanings which also de
fi
nes the system of
action (particularism).This we call “expressive symbolization,”’ the generalization of particularistic meanings to a universalistic level of signi
fi
cance. (3) In order to
symbolize and categorize the signi
fi
cance of norms that are external to the system, it is necessary to treat them as aspects of an objectively “given” state of affairs
or“order” (quality), and to treat them with affectivity—that is, the actor cannot be emotionally indifferent to whether or not he feels committed to the norms in
question. This we name “moral-evaluative categorization.” (4)In order to symbolize and categorize the signi
fi
cance of “sources of normative authority,” it is necessary
to combine a universalistic de
fi
nition of the object, as having properties not dependent on its inclusion in the system, with a diffuse basis of interest, so that the
meaning in question cannot be treated as contingent on the
fl
uctuating relations between the orienting actor and the environment. This we call “existential
interpretation.”
p.25
9-5 Parsons の解決—行為の環境への適応の問題(補充)
Parsons 1960, p.475.
Parsons は、これらの解決は、その緊急諸条件への、そのシステムの「適応」なの
だ
という。システムの行為は、この緊
急諸条件と「うまく折り合いをつけること(coming to terms with)」と考えよ。この適応、またはうまく折り合いをつける
ことは、いかに記述
で
きる
だ
ろうか。支配的な概念はこれらの緊急諸条件をシステムの様相の決定要因と定式化する
が、Parsons は拒否する。例:文化の生物学的基礎について述
べ
る教科書。経済的、政治的、地理的、生物学的、領地的、
気候的決定論。「もちろんそれらはす
べ
て重要
だ
」というのは、つまらぬ自明の理だ。残されている問題は、行為者と
理論家
が
これらの緊急諸条件に同一の仕方
で
—すなわち、かれら自身の行為の諸条件の彼らの知識を通
じ
て—出会うと
いう事実を認めつつ、いかにこの重要性
が
理解される
べ
きか
だ
。この問題は、自然的因果(naturalistic causation)の問題
で
はなく、行為の諸帰結
が
いかなるもの
で
あれそうなるための行為の諸戦術(strategies of action whereby the consequences
of action are whatever they are)の問題
だ
。Parsons の解決は、これらの「諸対象」の意味を「シン
ボ
ライ
ズ
」する行為者と
いうもの
だ
。つまり、行為者は、これらの緊急諸条件の知識を通
じ
ての適応の「メカニ
ズ
ム」の仕方
で
—すなわち、シ
ステムの環境、すなわち、その行為のその還元不可能な基盤としての行為のシステムにとっての現実世界(the real world
for the system of action as its irreducible grounds of action)のシン
ボ
リックな代理表象を通
じ
て—のみ、これらの緊急諸条件
に出会うということ
だ
。Parsons の行為者は、現実世界の知識を持たなけれ
ば
なら
ず
、そして、かれ
が
それを述べること
が
で
きるか
ど
うかにかかわら
ず
、その処遇に指向しなけれ
ば
ならない。かれの行為
が
それを示しているの
だ
。
p.26
9-6 Gar
fi
nkel の解決—ゲームというモケイの利用
pp.200~201
10-1 この講義では、Gar
fi
nkel がParsons 理論、とりわけパターン変数枠組みの改良に協力するなかから、文化的自動人
形のメタファーと、ゲームという模造品の利用を通じて、EMの構想を発展、充実させていったかを、断片的ながら説明
した。
 文化的自動人形は、Parsons 理論にも濃厚な、文化的決定論の拒絶を表現するものだ。
 すくなくともParsons においてはその一面は、1940年代まで支配的であった文化人類学における文化的相対主義の拒絶
でもあった(これについては、研究に値する問題があります。これに対してEMは、より人類学的相対主義に受容的と感
じられます。)
 ゲームというモケイの使用は、行為経路の、有能で、固有適合的な、観察と記述によって、置き換えられる。その典型
の一つは会話分析のプログラムと言える。
p.27
10 結論と展望
10-2 行為の時間的過程と行為経路の強調は、行為説明の現実性の要請とともに、Parsons にもかれなりの仕方で共有さ
れていた(Parsons & Bales 1953)。しかし、この点を、Parsons を(一部は促しながら)さらに超えて推し進めたのは、
Gar
fi
nkel だった。
 なおParsons は、EMに対して否定的な発言をしたとも伝えられ(Lidz 2009, p.59)、彼自身がコメントもあまりしてい
ないが、シュッツとの往復書簡の回顧(ガーフィンケルに言及)はよく知られている。
 その他に、1978年10月に関西学院大学に招待された際の見解がある。
 そこでParsons は、1960年代以来の社会学について触れ、「3つの主要な別の考え方について語ることができ、・・そ
れらは中心的[ウェーバー=デュルケム的]な伝統から逸脱しているものというりは若干考えを異にするもの」として、ネオ
マルクス主義、新実証主義とともに、現象学運動をあげ、シュッツの名とともにガーフィンケルの名を挙げて、「大切な
点はこれが日常生活の研究に強い関心を示している」と述べている(パーソンズ(中野秀一郎訳) 1979)。
 このエピソードは、Parsons がGar
fi
nkelのEMに晩年にいたるまで強く注目していたことを示唆する。
  本講義では、以上のいくつかの意味で、Gar
fi
nkel のEMは、Parsons 社会学の発展であるといえるということを述べ
た。
p.28
10 結論と展望(続)
ガーフィンケルを読む II


EMCA研究会


古典読解講義
Part I. 序論
2021.11.27
“What is Ethnomethodology?,” Chapter I of Studies in Ethnomethodology. (1967): 1-34.
1-1 EMCA研究実践の再発見・再確認
p.1
1 Gar
fi
nkel (1967) Chapter 1を読む理由
(1) Gar
fi
nkel (1967) Chapter 1はEMのもっとも「権威ある」教示の一つ
(2) Gar
fi
nkel (1967) Chapter 1の読解を通じて、EMの一つの解釈を提示する
—EMの独特性を理解することも大事
(3) EMの「定義」:「日常生活を『行為者の観点から』観察可能にする独特の一方法」
1967年の時点で、EMは何を指示対象としていたか? What was EM as of 1967
?

なぜそう言えるか?EMはどんなゲームなのか?何が得られるのか? Why so? What for? What’s the reward?
1-2 問いの焦点—What, How, and Why の問い
アイロニカルな解釈方法について(省略)
日常生活を「行為者の観点から」観察可能にする方法の実践的要点
エスノメソドロジストの避けるべきエラー(省略)
1-3 EM研究への教示または諸方針をどのように実践すべきか? How to practice EM studies?
p.2
1-3 実践的行為の 解(Glosses)としてのEMの用語集(表1)
ACTION系の用語 ENVIRONMENT系の用語
Treatments of Objects(諸客体の処遇) Practical Circumstances(実践的諸環境)
Methods(諸方法) Accomplishments(諸達成)
Competencies(諸能力) Members(メンバーたち)
Indexicality(指標性) Reflexivity(相互反映性)
Glosses( 解) Natural Language(自然言語)
Formulating(定式化) Settings(場面)
Accountability(アカウンタビリティ) Organization of Events(諸事象の組織化)
表1:EMの用語集
p.3
1-4 目次
1 Gar
fi
nkel (1967) Chapter 1を読む理由
2 Gar
fi
nkel (1967) Chapter 1 の内容
3 文献一覧
4 Gloss と言語ゲーム
5 Schutz 社会学と文化の発見
7-1 Gar
fi
nkel (1967) の3つの例示の要点
7-2 日常生活を「行為者の観点から」観察可能にする方法
Part I. 序論
Part II. エスノメソドロジーの方法的基盤
Part III. EMの研究方針とその実践
p.4
2 Gar
fi
nkel (1967) Chapter 1 の内容
2-1 宣言
2-2 方法と結果の両義性
2-3 歴史的法則の緩さ(”looseness” of historical law)
2-4 メンバーのアカウントの「緩い」性質
2-5 「進行中の、実践的達成としての実践的行為の合理的アカウンタビリティ」の3つの本質構成的様相
2-6 3つの例示
2-7 EMの研究方針
2-6–1 検死官の手続
2-6–2 データのコーディング実践
2-6–3 日常生活におけるいわゆる共通理解
p.5
2-1 宣言
本書の諸研究は
 

The following studies seek t
o

[1] 実践的諸活動、実践的諸環境、実践的社会学的推論を、経験的研究のトピックとして扱うこと、
[1] treat practical activities, practical circumstances, and practical sociological reasoning as topics of empirical study,
 

[2] 日々の生活のきわめてどこにもある諸活動に、異例な(extraordinary)事象に普通は(usually)与えられる注意を払うこと
によって、それら自身の資格での現象として、それらについて学ぼうとするものだ
[2] and by paying to the most commonplace activities of daily life the attention usually accorded extraordinary events, seek to learn about
them as phenomena in their own right.
[3] これらの諸研究の中心的勧告は、組織された日常的な事態(organized everyday affairs)の場面(settings)を産出し管理す
る、メンバーの活動が、それらの場面を「<アカウント-可能>(”account-able”)」にするメンバーの手続きと同一のものだ
ということである。
[3] Their central recommendation is that the activities whereby members produce and manage settings of organized everyday affairs are
identical with members’ procedures for making those settings “account-able.”
(What is, p.1)
p.6
2-2 方法と結果の両義性
素人であれ専門家であれ、社会学を行う人々の用いる実践的諸活動を観察可能にする諸方法と諸結果のある構造的
に両義的な様相は・・・
Some structurally equivocal features of the methods and results by persons doing sociology, lay and professional, of making
practical activities observable …
日常的諸活動のメンバーによるアカウント(members’ accounts of everyday activities)が、比較可能な諸機会を見つけ、わ
かり、分析し、分類し、認識可能にし、あるいはその中で自らの道を見出すための指示(prescriptions)として用いられ
るとき、それらの指示は、かれらによれば、<擬似法則的(law-like)>であって、時間空間的に制約され、かつ「ゆる
い(”loose”)」。「ゆるい」という意味は、それらのアカウントが意図的にその論理的形式において「その内容が完全
にまたはすべて明細にする(spell out)ことがしばしばできないようなしかたで、諸条件の本質」に依存するということ
だ。
(What is, p.2)
2-3 歴史的法則の緩さ(looseness of historical law)
歴史的法則のゆるさの一帰結は、それらが普遍的でなく、単に擬似一般的で(quasi-general)あるにすぎないこと—それ
らが諸例外を許すこと—である。その法則の適用の領域を限定する条件がしばしば明細化されないので、その法則の違
反と見られるものも、その事例において、その法則の適用可能性の、正当だが、いまだに定式化されていない、前提条
件が満たされていないことを示すことで、説明可能になるのである。*
a.
b.
c.
(What is, p.2) (Olaf Helmer & Nicholas Rescher (1958) On the Epistemology of the Inexact Sciences. Rand.)
* 樫村志郎(2016) 「アカウントの社会学的解釈—Florian Znaniecki の社会学方法論を手掛かりにして—」『振る舞いとしての法』法律文化社: 3-25.
p.7
2-4 メンバーのアカウントの「緩い」性質
アカウントの『認識可能な』意味、あるいは事実、または方法的特徴、または非人格性、あるいは客観性は、それ
らの使用の社会的に組織された機会から独立的ではない。それらの合理的諸様相は、この社会的に組織された実際
のそれらの使用機会において、メンバーがそれをどう扱うか、それをどう『理解する』かにより成立する。・・・
メンバーのアカウントに見出されるべき合理的様相は、社会的に組織されたその使用機会(socially organized
occasions of their use)に、状況内在的かつ本質的に(re
fl
exively and essentially)結びついている(tied)のである。と
いうのは、それらの様相は、社会的に組織されたその使用機会の様相であるからだ。
進行中の、実践的達成としての実践的行為の合理的アカウンタビリティ・・・の3つの本質構成的、問題的現象を検
討することで、このトピックを特定化したい。実践的行為と実践的推論の研究がかかわるところではどこでも、それ
ら[実践的行為と実践的推論]はつぎのものから成り立つ
—

(1) インデクシカル表現と客観的(文脈から自由な)表現の区別および前者の後者による代替可能性が、実行不可能
なプログラムであること、
(2) 実践的行為のアカウントの本質的リフレクシヴィティが「興味を惹かない」ものだということ、
(3) <コンテクストの中の行為>は実践的達成として分析可能であること。
(What is, p.3)
2-5 3つの本質構成的様相
d.
e.
(What is, pp.9-10)
(What is, pp.7-9)
(What is, pp.4-7)
p.8
2-6 3つの例示(インデクシカリティの修復不可能性・レフレクシヴィティの目立たなさ・状況の中の行為)
2-6–1 検死官の手続—不可避的に組織的実践的なアカウント作成
(What is, p.17)
2-6–2 データのコーディング実践—アドホックすること
2-6–3 日常生活におけるいわゆる共通理解
SPCの調査は、検死官が死の様式に関して両義的だとする死から始まる。その死をかれらは一つの先行条件(a precedent )として、
その死によって終了したかもしれない社会における生のさまざまなあり方を探索し、「遺物の中に」読む。
コーダーが、かれがそのアカウントを与えようとする編成(arrangements)の能力あるメンバーの「立場(position)」をとるので、
かれは、フォルダの現在的内容の中に「そのシステムを見る(”see the system”)」ことができる。これをかれが達成するのは、<
英語のなかの単語>としてある発話を認識するために英語の用法の秩序あるやり方をしらなければならないことや、<あるゲームに
おける動き>を理解するためにあるゲームのルールを知らなければならないこと—ある発話をや盤上の動きを理解する別のやり方が
いつでも想像可能であるという条件で—と同じようなやり方によってだ。
言われたことを認識することは、ある人がいかに話すことかを認識することだ—たとえば、この妻が「あなたのローファーは新しい
踵をつけるべきだ」と言うことで、物語的に、また隠喩的に、または婉曲的に、あるいはごまかして話していると認識することだ。
[だから] かれらがつまづいたのは、ひとがいかに話しているかの問題、あるひとの話しの方法を記述するという課題が、そのひとが
言ったことが、意味の一貫性、両立可能性、そして整合性を挙証する(demonstrate)ルールに従っていると示すことと同じでない、
という事実だ。
(What is, p.23)
(What is, p.30)
p.10
3 文献一覧(1960-1963): 青字は略称
[1] "The Rational Properties of Scientific and Common Sense Activities." Behavioral Science vol. 5(1): 72-83 (January, 1960).


[2] “Notes on Language Games as a Source of Methods for Studying the Formal Properties of Linguistic Events,” European Journal of Social Theory 2019 (written
in 1960), Vol. 22(2) 148–174. →[3], [4],[5] [Language Games]
[3]“The Program of Ethnomethodology” (Talk, 10/16/1961), A.W. Rawls (Ed.), Harold Garfinkel: Parsons’Primer, 327- 338.[Program]


[4] "A Conception of, and Experiments with, 'Trust' as a Condition of Stable Concerted Actions" In O.J. Harvey ed. Motivation and Social Interaction (New York:
Ronald Press. 1963): 187-238. (a paper presented at symposium on "Social Self" (University of Colorado & The Group Psychology Branch of Office of Naval
Research(ONR) (University of Colorado, Oct. 7-9, 1961) . [Trust]


[5] “Common sense knowledge of social structures: the documentary method of interpretation in lay and professional fact finding.” In: Scher J M (ed.) Theories of
Mind. Glencoe, IL: Free Press, pp. 689-712.(1962) (Presumably, a Paper presented at World Affairs Conference at University of Colorado 1961) [Documentary
Method]
[6, 7]”Mocking Up the Rules of Everyday Activities,”& "Reasonable Accounts" April 11 & 12, 1963.talks on "Reasonable Accounts" at The Sixteenth
Annual Conference on World Affairs, University of Colorado. (By invitation from E. Rose.)—(Participants: Bittner, Garfinkel, Sacks , Rose) *


[8] “Parsons' Solution of the Problem of Social Order as a Method for Making Everyday Activities Observable ‘From the Point of View of the
Actor’." (Chapter IV "Adequate Description of Social Structures" of Parsons Primer: Ad-Hoc Uses, pp. 121-179. (Dated, 2/8/1963)[Solution]
1960
1961
1963
→
→
→
→
* 参照、樫村「社会構造の産出—エスノメソドロジーの生成と社会秩序の問題」『法の経験的社会科学の確立に向けて』信山社,2019: 439-464
→
p.11
[9] "Studies of the Routine Grounds of Everyday Activities" Social Problems vol. 11(1964) :225-250.
[10] “Remarks on Ethnomethodology”. In: Gumperz, John J. & Hymes, Dell. Directions in Sociolinguistics. New York: Holt, Rinehart and Winston. p. 301-324.
(1972). (Presumably, "Remarks on Ethnomethodology", a paper presented to the Methodology Section of ASA meeting. 1965 (Source: Procedings of Purdue
symposium p.v, p.1). → [11], [12] [Remarks]
[11] “The Origin of the Term ‘Ethnomethodology’.” In Roy Turner (ed.) Ethnomethodology, (Penguin): 15-18 (Talk at The Purdue Symposium on
Ethnomethodology, April 7-8 1967 .)


[12] "Practical Sociological Reasoning: Some Features in the Work of the Los Angeles Suicide Prevention Center", In E. Schneidman (ed.) Essays in Self-
Destruction. Science House Inc.: 171-187.→[12] [Practical]


[13]“What is Ethnomethodology?” Studies in Ethnomethodology Prentice-Hall (1967): 1- 34. [What is]


[14] Garfinkel & Sacks "On 'Setting' in Conversation" (Invited presentation of a joint paper reporting their work on language" The San Francisco Annual Meetings
of American Sociological Association, Section on Sociolinguistics, August 31, 1967) . →[14][Setting]
1964
1965
1967
1969
[15] Garfinkel & Sacks "On Formal Structures of Practical Actions," in Theoretical Sociology: Perspectives and Developments, John C. McKinney &
Edward Tiryakian (eds.), Appleton-Century-Crofts.(1969) [Formal Structures]


[16] Final Report: Decision Making and Practical Action. (Principal Investigators: Harold Garfinkel(UCLA), Harvey Sacks (U.C. Irvine) & Lindsey
Churchill(Russell Sage)) ,p.1-p.14 (as of November 30, 1969, )(Garfinkel Papers Archive, at Young Library UCLA)
→
3 文献一覧(1964-1969)
→
→
→
→
ガーフィンケルを読む II


EMCA研究会


古典読解講義
Part II. エスノメソドロジーの基礎
2021.11.27
“What is Ethnomethodology?,” Chapter I of Studies in Ethnomethodology. (1967): 1-34.
p.12
4 解(Gloss) と言語ゲーム
Yesterday I
fi
nished a paper titled ‘Common Sense Knowledge of Social Structures: I. The Documentary Method of
Interpretation”. I shall submit it to AJS or ASR … The paper is the
fi
rst of a series of six which lead up to the program of
ethnoscience as a way of formulating and solving the problem of literal description of social reality, i.e. the evidence
problem in sociology. The
fi
rst paper formulates the thing we are up against i.e. the work of documenting and the fact that
this occurs in common sense situations of choice, both of which describe innumerable situations of actual sociological
inquiry, lay and professional, whereas prevailing discussions and text suppress these features by the idealization ((some
expressions deleted by x)) that adequate evidence is the product of rules of procedure employed in calculable situations of
choice
.

I started to write the combined paper, The Problem of Literal Description of Social Reality and the Program of
Ethnoscience”. Yesterday I bought all of Wittgenstein’s stuff and began to read. I must now delay the statement of the
ethnoscience program except in gross characterization. Wittgenstein permits me to get into marvelous details, but they
consist of enumerated remarks which I shall not be able to formulate under the auspices of a uni
fi
ed program by the time of
the meetings even if I thought it was a wise thing to do, which I don’t. Wittgenstein’s stuff is touching off a
fl
ow of fresh
and interesting thoughts and I want to keep it going.” --[Late March 1960. Gar
fi
nkel participated the panel on “Social
Reality” at the World Affairs Conference at University of Colorado.]
4-2-1 [March 11, 1960 Gar
fi
nkel wrote in a letter to Ed Rose,
Gar
fi
nkelが示唆しているWittgenstein の著作は、Gar
fi
nkel (1961) によれば主としてつぎのものと思われる。
Wittgenstein L (1953) Philosophical Investigations (translated by G. E. M. Anscombe). Oxford: Blackwell
.

Wittgenstein L (1958) The Blue and Brown Books. Oxford: Blackwell
.
p.13
(Language Games, pp.149-150)
a. この論文が主として言語的事象にかかわるということは、まったく選好的手続きの問題にすぎない。この選択は、言語的事象が原
型的な文化的事象だということによる。二者の本質的様相は一対一の対応にたつ。言語的事象についてなりたつことは、より一般的
に文化的事象についてなりたつことになる。この論文では、その関連する対応を指摘していくことにする。
b.「適合的認識」(”adequate recognition”)の問題:主張(claims)と挙証(demonstrations)の間の離隔—そうしたいくつかの離隔は、
私の論文「社会構造の常識的知識—解釈の証拠的方法」(Gar
fi
nkel 1963b)で記述された。その主旨はつぎのことだ—
[3] 文化的事象は、本質的に<規範的秩序のなかの諸事象>だということ、それらの生起は、このことによって、ひとびとが、行動の
格率(maxims of conduct)の組としてこの規範的秩序に服従しようとする可能性に本質的に依存し、
[4] また、そのような事象の文字通りの記述は、研究の対象たるそのコミュニティの、同時に一人のメンバーであり、かつ研究者でも
あるような観察者がいなければならないこと
[1] 人間行動の事象を記述するという課題に関する限り、文字通りの記述はまれだ。その代わりに、人々の証拠立てられた
(documeneted)代理表象が見出され、そのような代理表象は、解釈の証拠的方法により達成され、
[2]そして、そのワークは私が「常識的選択状況(Common sense situations of choice)」として記述した、探究の状況で実行され、そし
て、そのような諸結果は探究者により「相当な知見(reasonable
fi
ndings)」と呼ばれる。
4-2-2 言われたことから語られたものを知る—証拠的方法の記述と代替的記述
4 解(Gloss) と言語ゲーム
p.14
(Language Games, pp.152-153)
4-2-3 社会構造としての「言語的秩序」の記述の代替的方法としての「言語ゲーム」
4 解(Gloss) と言語ゲーム
d. 「社会における言語」のいかなる理論も、一つの「解決」を代表している。われわれが使用するその解決は、二つの定理で述べう
る。
1. 現在的または観察された言語的事象の画一性、すなわち現在的画一性—それらが「発話事象」または「意味」のどちらの画一性で
あるにせよ—は、一つの正当的秩序としてのその言語を構成する、使用の制度化された諸可能性から成り立つ。Wittgenstein の言葉で
は、言語は意図された可能な使用の範型である—すなわち、言語は一つの正当的秩序である。
2. 言語的諸構造の安定的様相は、一つの正当的秩序としての、すなわち意図された使用の範型としての(Wittgenstein参照)言語への
動機づけられた同調によって保障される。
e. まとめて考えると、これらの定理はつぎのことになる—社会学的観察者の(言語学者とも考えよ)記述の文字通りの記述という現
実的性質、およびその可能性は、つぎのものに依存し、また決定される—それは、言語使用者にとっての、意図された使用の範型と
しての正当的秩序としての言語の存在である。またそれは、次の可能性—かれらの言語的産出の中で使用者たちは、かれらの言語的
行動の格率としてこの範型への同調へと動機づけられていること—に依存する。構造的言語学の課題は、この範型の発見だ。使用者
の社会の中の使用法(usages)を効果的に再産出する方法を使用者から学習することというエスノサイエンスの準則(rule)は、この
発見の達成のための手続きの中心問題の表明として理解されるべきだ。(参照、Ward Goodenough)
(Language Games, p.152)
p.15
4-2-4 使用の範型の発見
4 解(Gloss) と言語ゲーム
(Language Games, p.152)
Parsons’ solution consists of two theorems:
 

(1) The real social structures consist of institutionalized
patterns of normative culture.
(2) The stable properties of the real social structures are
guaranteed by motivated compliance to a legitimate order.4
(Parsons’Primer, p.115)
これとともにいわゆるParsons の二つの定理の表現は、複雑になったことがわかる。
左右の表現を比較すると、これは主として「規範的構造」という概念が、Language Game 論文では「使用の範型」と
いう概念に置き換えられていることによる。
1. Actual or observed uniformities of linguistic events —
i.e. actual uniformities —whether they be uniformities of
‘speech events’ or ‘meanings’ — consist of institutionalized
possibilities of usage which comprise the language as a
legitimate order. In Wittgenstein’s phrase, the language is a
paradigm of intended possible usage, i.e. language is a
legitimate order
.

2. The stable features of linguistic structures are guaranteed
by motivated compliance to the language as a legitimate
order, i.e. as a paradigm of intended usag
e

(cf. Wittgenstein).'°
p.16
f. [景観的参照(Scenic reference)]—私は理論家の決定としてつぎのようにいうことにする—文化的諸事象は完全にまた一重に、
人の「行動的環境」の中の事象である。そのような諸環境は、テーブル、諸神、淡水湖、塩水魚などから成り立ち、そのメンバ
ーは貨幣、タバコ、等々について語っている。そこには脳しか見出されないから、頭蓋の中を見る理由はない。あらゆる文化的
事象は行為者に関する景観的参照(scenic reference)を与えられる—なぜなら、エスノサイエンスのプログラムそれ自体の前想
定により、それらはかれの行為の諸客体だ(they are objects of his actions)からだ。・・・問いは、その人にとって景観的な
(scenic)「事象」について遂行される作用(operations)に向けられる。その人「現実に頭のなかにあるもの」は、なんであ
れ、普通の言い方をすれば、「その人が直面するものごと」、「その人が対応するものごと」である。
g. [正常と知覚される環境(Perceivedly Normal Environment)]—一人の人が他者を「信頼する(’trusts’)」ということは、その人
がつぎのような仕方で—プレイの基礎的ルールの中で描出される事象の秩序(the order of events depicted in the basic rules of
play)を、かれの行為を通じて産出するか、あるいはプレイの条件として尊重するように—行為しようとすることだ。
f. はGar
fi
nkel の一定理ともいうべきもので、理論的決定だ。これはJames Olds によるParsons 理論の大脳
生理学的参照と代替的な方向性として選択されていた(Parsons Primerで見た)。
g. は、いずれにせよ、信頼とは、規範的秩序のものとでの(認識や信念ではなく)行為だという意味。
上の表現から、Gar
fi
nkel は大まかに言ってParsons ないしParsons Primer によって設定される行為論的準拠
枠のもとでこの問題を定式化している部分がある。
4-2-4 使用の範型の発見—「景観的参照」と「正常と知覚される環境」
4 解(Gloss) と言語ゲーム
(Language Games, p.153)
p.17
社会秩序の諸条件についての今日の観念は、ルールが聖的にみなされる程度を、安定的社会秩序の決定的条件と共通して見ている。しかし、
事象の構成的特性がゲームに限定されないことがわかると、モーレス、フォークウェイズ、等々[諸ルール]に描出される可能な事象の諸画一
性は、集団メンバーが「だれでもわかる(’anyone can see’)」と想定する意図された行為の諸事例として、その観点から、行為者が、行動的
事例に注意を向ける、「より基盤的な(’more fundamental’)」前想定の集合を通じて、構成されると想定すべきことになる。
4-3-1このもとで、Trust 論文(1963) の議論は行われている。その一つの見通しはつぎのものだ。尊重されるのは「ルール」で
はなく、「ゲーム」(正常なものと知覚される持続的状態)なのだということ。この所見はParsons とSchutz の視角の総合と
言える。
4-3-2 メンバーの方法としての 解(Glossing)—「何かについて言うこと= 解(glossing)」(=実践的言語使用)につ
いての、表現における対応中心の言語(構造)観ではなく使用における対応中心の言語(構造)観がとられた。 解とい
う視点は、現在的な現実的意味(ことばと現実の現在的対応性)を、ことばと現実の一般的対応性の想定を用いずに、理
解するという研究プログラムを表す。
たとえば、あなたが 解し(gloss)たいなら?きみがつぎのようにすればきみは 解している。より適切には、 解するには、
つぎのように行え—最初きみが他の人の言葉を知らないのときには、きみの言葉の中の、君がそこでのその意味を知っている語
を、相手がその語をもちいるときにかれが意味したいことを意味するために用いよ。二つの語をそれらの使用上の代替可能性に
ついて対応するようにして、君の語を文法的に正しく使う機会が、同時に相手方の語を正しく使用する機会であるように用い
よ。きみの語の意味を、相手方がかれの語で意味することが「なんであれ」その観点から、解釈せよ。その際、この観点は、つ
ぎのような基礎的秩序化—相手方の「何にせよ」の特定において、かれの語がきみの言葉のその語の代わりになるように、また
そしてかれの用語法がそこできみの言葉のきみの語の用語法/意味にかかわらず、再産出されるような—の図式として用いよ。
この過程のどこでも、「相手がかれの語で意味するいかなること」によりきみの語を定義させるようにせよ。この手続きは、き
みの語が現実に何を意味するかを定義する。
4 解(Gloss) と言語ゲーム—まとめ
(Language Games, p.162)
(Language Games, p.164)
p.18
Wittgenstein がいうかもしれないように、人は、印をつけ、記号化し、シンボル化、等々するとき、いかにするのか?
人が印をつけたとか、記号化したとか、シンボル化した等々のとき、その人は何をしてしまったのか?産物と過程は、
産物が、一つ一つ最終の段階として処遇されるプロセスの時間的継起のどの段階からも成り立つという仕方で関連づけ
られている。・・・この路線の調査を進めるとき、われわれは、Wittgenstein (1958: 17) が「一般性への渇望」(’craving
for generality’)として記述し、一連の虚偽の想定の基礎にたち、必要な研究を追求することを誰にも難しくしているも
の、に直面する。
5-1 解(記号化等)は一般化ではない。それは具体性の中で言葉と現実を対応づける多様な実践を行う方法の一部
だ。
(Wittgenstein (1958), The Blue and Brown Books: p.17
(Language Games, p.166)
“If we want to study the problems of truth and falsehood, of the agreement and disagreement of propositions with reality, of
the nature of assertion, assumption, and question, we shall with great advantage look at primitive forms of language in which
these forms of thinking appear without the confusing background of highly complicated processes of thought….We see that
we can build up the complicated forms from the primitive ones by gradually adding new forms.“ Now what makes it dif
fi
cult
for us to take this line of investigation is our craving for generality. “
我々が、真や偽の問題、諸命題と現実との一致不一致の問題、肯定、仮定、問いの本性の問題を研究しようとするなら、
言語の原初的諸形式を見ることがおおいに役に立つだろう。そこでは、これらの思考形式が、高度に複雑な思考過程の
背景によって混乱させられることなく現れているからだ。・・・この原初的形式に少しづつ新形式を付け加えていくこと
で、原初的なものから複雑な諸形態を組み上げていくことができよう。ところで、この方向での研究を進めることを困難
にしているのは、われわれが一般性への渇望をもつからだ。
5 一般化しない研究プログラム
5-2 単純形から複雑形へ
p.19
5-3 Indexicality: No Need for Remedy: Settings
われわれは、欠陥のある仕方で進んでいる人々がいると言っているのではない。われわれが言っているのは、人々が、かれらの会
話やその他の通常的諸活動の経過の中で、ある秩序ある仕方で振舞うためには、そこにつぎのような一組の事物—かれらがいつで
も、たとえば、かれらの役割関係を定式化でき、それらの諸帰結に体系的に述べることができること—が含まれていなければなら
ないということを想定するべきでないということだ。・・・
(2)インデクシカル語はすくなくとも「場面」の観念をめぐるインデクシカル語は、諸困難からの救済を必要としないことを見た。
その代わりに「場面」は、それを利用可能にする一つの組織化、すなわち「機構」をもっていた。「場面」とその用語の集成だけ
が救済を必要としないのではない。われわれは、用語の修復されるべきだと主張される様相が、圧倒的にどこにもあることを見
た。そういうわけで、それらのどれも救済を必要としないという事実を認める必要がある。・・・このすべてから、われわれは、
あなたがたの誰もが必要としているが、誰も求めていない助言を与える。あなたが次にインデクシカル表現に出会ったなら、それ
らを急いで除去したり修復したりせず、その代わりに、それらが何をしているのか?と問いなさい。ユダヤ人と同じように、かれ
らは200年にわたる批判、改宗、その他の修復の働きかけを生き延びてきた。かれらは何かをもっているにちがいない。
インデクシカリティは、ひとびとが「場面 setting」を使用するための方法が必然的にもつ性質である。そして、
われわれは、あらゆる瞬間に「場面の中にいる。」したがって、それはいつも利用されているのであり、「背景
としての社会組織」をひとびとが文化的に有能な仕方で取り扱うために、不可避的な方法的性質をもつと想定で
きる。
つぎの所見は、Setting 論文(Gar
fi
nkel & Sacks (1967) “On ‘Setting’ of Conversation” )の末尾にある。そしてそれは、
Gar
fi
nkel が一般化しないというこの路線の研究を続けようとしていたことを示している。(末尾の部分は、本論文を
拡張した、Formal Structures 論文 にはない。)
(Setting, pp. 17-19)
5 一般化しない研究プログラム
ガーフィンケルを読む II


EMCA研究会


古典読解講義
Part II. エスノメソドロジーの基礎(続)
2021.11.27
“What is Ethnomethodology?,” Chapter I of Studies in Ethnomethodology. (1967): 1-34.
Part III. エスノメソドロジーの実践
p.20
6 文化の発見
a. Schutz (1945b) が指摘しているように、それらを審査するには、「特別の動機」が必要である。その場面(setting) が制度的
に規制され、またルーティン化されていればいるほど、「相手方と共に知られている」それらの様相は当然のものとして受け入
れられている。こうして、そのような様相は、この論文の目的にとってだけでなく、社会学的探求一般にしても重要である。と
いうのも、社会学的研究の永遠の課題は、人々が、自覚せずに、それでもある<要求された>様相として反応するような、かれ
らの状況の様相を見いだし、定義することだからである。・・・日常生活の態度は、人の知覚された環境に、共通に知られる
社会的現実の環境としてのその定義を与える。社会学者は、この環境を、「共通文化」という用語で、 解する (gloss) 。日
常生活の態度は、実践的日常生活の組織化と「内側から from within 」見られたものとしての社会の作用の、制度化された共通
理解にとって本質構成的である。その前想定の変容は、それによって、社会の成員の現実の環境を変容させる。そのような変容
は、現実の対象の一つの社会的に定義された環境を、現実の対象の別の環境へと変換する。
文化は「場面」となっている状態(実践的環境)として必要に応じた「 釈」実践のなかで経験的に作用してい
るのが発見される。
文化は、Trust 論文 において、構成的期待により構築される知識体系=常識としてテクニカルな意味を与えられ
ていた。それは「場面(setting)」とよばれていた。この用語法は、Gar
fi
nkel & Sacks の共著論文(1967,1969)に
受け継がれていると見られる。
ここでいう「文化」は、Thomas (& Znaniecki )の社会学で、「状況の定義」とよばれていたものの一つの解釈だろ
う。
6-1 「信頼」論文における文化の概念—基盤(場面)として
(Trust, p.216)
p.21
6 文化の発見
第4の変容は、人類学者と社会学者による「文化の発見」である。この発見は、社会的構造の常識的知識の、
社会の内側からの発見であり、また、常識的行為と常識的知識をひとえに理論的な社会科学的関心の対象とし
て取り扱う努力からなる。常識的行為の態度と対象の変容は、社会学者が、それによって常識的態度、行為お
よび社会構造の知識が社会学的理論の管轄のもとに、それらの本質的様相の定義として持ち込まれるような手
続を、態度と方法の中に、提供しようという試みの中で探索される。かれらの理念において、おそらく実際の
実践においてはそうなっていないか、まだそうなっていないが、社会学者はそれによって「現実の社会構造」
の歴史的に新しく前例のない定義を発見しようと言う課題に着手したのである。常識的活動と環境が同時に主
題であるとともに社会学的探求の様相であるという点で、社会学の態度と方法を常識の態度と方法の可能な変
容—「文化の発見」—として記述するという関心は、知識の社会学の諸問題を再構築し、社会学的活動の中心
にそれらを位置づけ、そして全くの真剣さで取り扱う。
6-2 Gar
fi
nkel は文化の発見を、人類学と社会学の成果として、受容している。EMは、人類学と社会学が発見した
文化を、真剣に記述するという実践と言える。
(Trust, p.236)
p.22
6 文化の発見
c. メンバーの手続ルールは、かれにとって、「正しい推測」、「正しい証拠」、「正しい知見」等々の諸定義として役
立つ。かれがわれわれの注意を呼び起こす多くの手続ルールのなかで、かれがそのデータのなかの論理的に必要的な諸
関係をその点から決定し、かれがある議論が適合的になされたとかある推測がそこから必然的に出てくるとか、意味深
い一貫性や矛盾や反対のある挙証が正しく行われたと考える、現在的観点(the actual terms)として役立つなんらかの
集合を見出す。一言で言うと、かれが、かれの理論化の意味深さ(sensibility)をその観点から決定する、手続のそうし
た諸ルールがあるだろう。・・・私は「解決」という語を機能的意味(functional sense)で用いる。問題は、ひとがこ
れらの問題を解くのかどうかではなく、いかにそうするのかだ。かれが現在的に使用するのはどんな解決なのか?
6-3 [文化の不可避性] 現在的行為の説明を行う上で、文化は、「あるのか?」ではなく「いかにあるのか?」だけ
が問題だ。それは基盤的だから、メンバーはそれを使用しなければなにもできない。今日でも多くの社会学者が
問いがちであるように、「文化なのか制度、権力、合理的選択なのか?」などの問いは無意味である。すでに
1961年にProgram 論文でかれはこう書いていた。
(Program, p.239)
p.23
6 文化の発見
日常的諸事態(everyday affairs)の管理と統御のために、ひとびとは、科学的研究者のように、事実と空想、真実と虚
偽、推測、仮説、個人的意見等々の間の区別(the distinction)に関心をもつ。かれらは、かれらがそれについて語って
いることがわかっているとか、かれらの諸環境をそれらが現実に何であるかをわかることについて、また、可能性とし
てありうる多くのことのなかでそれらのさらなる推測や行為の根拠の適合性を認識することについて、科学者や科学哲
学者に助言を求めたりしない。・・・私は、一つの社会のメンバーたちのそのような方法論的諸関心を理論的社会学的
探求の諸対象としたく思う。私はそのような関心からの研究に言及するため「エスノメソドロジー」という語を用い
る。「エスノ」という接頭辞は、そのような諸関心をわれわれの注意に固定するために役立つだろう。この接頭辞は、
「その日常的諸事態を管理し、折り合いをつけていく経路での、社会のメンバーの常識的諸関心の観点から見られた」
という意味である。
6-4 文化は、必然的に(われわれの文化世界がそうなっているから)、方法論的関心を本質的に含む。1961年に
行われたトークで、Gar
fi
nkel は、冒頭、こう述べた。
(Program, p.327)
p.21
世界の異なった描写(portrayals)の存在を予想しなければならないし、ひとびとが推測と行為の正しい根拠と
して取り扱うであろう、社会的構造の諸様相を措定する(propose)異なった知識集積(corpus of knowledge)の
存在を予想しなければならない。これらは社会のなかの生活の諸記述からなりたち、それらの中には、ある群
のメンバーたちが承認可能な根拠として用いるが、他の群のひとびとは、それを判断する機会が与えられると
して、承認可能としないものがあるであろう(may)。この「であろう」が事実の多数の集まりがあると、そし
てそれによって、多元的現実性(multiple realities)について警告しているとすれば、それは統一された現実と諸
科学の統一についても警告している。
6 アイロニカルな方法とその描写について
ひとびとが想定し合う共通世界が、世界の一つの描写であり、文化的メンバーの達成だとすることは、EMの手続を、必然
的に、アイロニーの手続に接近させる。
EMはすぐれた「文字通りの描写」が(常識をくつがえす)アイロニカルな描写に類似する手続であることを認識すべき
だ。
実際には、それを方法として利用することもできる。そうすると、多元的現実性の問題をより適切に扱えるだろう。
ただし、アイロニーを不発にすることが当然要求される。
それは、EMの諸概念が、EM研究者とEM利用者の双方の間で、方法的にされていなければ、達成されにくいだろう。
p.26
7 エスノメソドロジストの避けるべきエラー
エラーの型 症状 原因 EMによる救済
Etic-side Error
観察される詳細が場の認識さ
れる合理性を回復しない
文化的認識とその能力の軽視・
欠如
文化の特定を行いそれを理解する
こと
Emic-side Error
場の認識される合理性が方法
的詳細として説明されない
メンバーの訓練された無能力
メンバーの実践的詳細を他の文化
メンバーにも理解可能な仕方で特
定すること
EM/CA Dope
分析により何が認識されたの
かが不明
実践的文化的問題意識の欠如 社会学的想像力を行使すること
p.24
7 EMの研究方針とその実践
(What is, pp.31-34)
(1)メンバーによる探求を対象とすること
(2)メンバーは組織された編成のメンバーであること
(3)メンバーによる実践の外側からの記述等という方針を拒絶すること
(4)組織された社会的編成はそれを達成するメンバーの方法から成り立つこと
(5)メンバーの探求は合理的諸特性の達成のための実践であること
p.25
7-1 Gar
fi
nkel (1967) の3つの例示の要点
なぜなら、
[1] 共通理解というものは、解釈的ワークのある「内的」(”inner”)時間的経路を伴うのだが、必然的にある操作的構造をもつ。
[2] 分析者(the analyst)がその操作的構造を無視することは、まさにメンバーたちが、ひとびとが現実には何をしているのか、あ
るいは現実には何「について語っているのか」をあきらかにしなければならないときに、使うまさに同じ方法で社会の常識的知識
を用いること、つまり、社会構造の常識的知識を探求の主題および資源の双方として用いることである。
[3] 別なやり方は、協調された諸行為の諸方法と共通理解の諸方法との研究に排他的優先性を与えることだ。理解のための一つの方
法ではなく、理解のきわめて多様な諸方法が、職業的社会学者によって、これまで研究されてこなかった、決定的な現象である。
その多数性は、ひとびとが話す方法の限りのないリスト・・・われわれが、印をつけること、ラベルを貼ること、象徴化するこ
と、暗号文、類比、アナグラム、指し示すこと、ミニチュアをつくること、真似ること、模型をつくること、シミュレートするこ
とに注意をむける—要するに、一定の文化的諸場面の「内部」(”within”)からそれらの秩序あるあり方(the orderly ways of
cultural settings from “within” these settings)を、認識し、使用し、産出する—場合に、社会的に入手可能な多数の記号関数の 解
(socially available glosses of a multitde of sign functions)のなかにおこっている(occur in)のである。
日常的行為(例えば、日常的会話、コーディングされるべき出来事、死の諸態様)の意味を「あきらかにしなさい」と求
めることは、その意味を「見て取れるように教示する」よう求めることだ。しかし、それは、日常会話を内側から認
識、使用、産出する秩序ある多数のやり方を<文字通りに>描写することではない。
7 EMの研究方針とその実践
(What is, p.31)
p.26
Gar
fi
nkel はかれの「日常会話の意味の定式化」の実験の意味を以上のように結論した。(図1, 図2 参照。)
私は、かれらに、当事者たちが話すときに用いた方法を、当事者がそれについて話したことを話すために従われるべき手続
ルールを、状況、想像、展開のあらゆる緊急性に耐えうるようなルールとして、定式化するよう求めたのだ。私は、かれら
に、当事者たちの話す諸方法を、それらの諸方法が、その方法を指示可能な事柄として定式化するような手続のルールに厳
密に従いつつ、諸行為と同型的であったかのように、記述することを求めたのだ。
図1: Normative Practical Action 図2: Speaking English Recognizably
話すこと 話される客体
手続ルールにしたが
っていること
当事者が話す仕方の
認識可能性
=
Action Object
話すこと 英語の単語
その単語が英語に属す
ることを示すルール
英語の秩序ある話し
方
=
Action Object
7-2 日常生活を「行為者の観点から」観察可能にする(描写する)方法
7 EMの研究方針とその実践
(What is, p.30)
p.27
図1: Normative Practical Action 図2: Speaking English Recognizably
話すこと 話される客体
手続ルールにしたが
っていること
当事者が話す仕方の
認識可能性
=
Action Object
話すこと 英語の単語
その単語が英語に属す
ることを示すルール
英語の秩序ある話し
方
=
Action
Object
組織された社会的編成
メンバーの探求 メンバーの探求
エスノサイエンス
エスノメソドロジー
7-2 日常生活を「行為者の観点から」観察可能にする(描写する)方法
7 EMの研究方針とその実践
p.28
[科学の方法論の定式化では] 歴史的再構築と非常ににた仕方で、アカウントの初めにおいて、手続的段階がそこにむけて不
可避的に進んでいく事象として、結末が知られている。エスノメソドロジストは、その代わりに、その結末が、それぞれの
当面の事態に対しての現在的操作の経路を通じて、せいぜい到来すると予期された可能な未来からなりたつとき、時間的に
拡張される[それぞれの]つぎの諸段階を通じての、<それがいかになされるか>(how-it-is-done)を記述しようとする。
7-2-1 その描写は、実践的行為(者)の経験する、未確定性と合理性をもつ、現在的時間経験に即することが必要
だ。[ =手続(方法論)の対照的イメージ]
現在的諸手続とそれらの現在的諸手続の現在的諸結果の双方の記述のために、良い手続の諸ルールと適合的な答えの諸基準
にかんするわれわれの諸知見の記述にあたっては、探求者の環境の「内部で」(”within”)、その環境に折り合いをつける
関心にもとづいてその環境を段階を踏んで管理する経路を通じて、生じる、諸手続と諸結果にもっぱらの注意を向けなけれ
ばならない。
7-2-2 その描写は、また、実践的行為(者)が不可避的に巻き込まれている、文化的に有意味な、現在的環境の
諸客体とその処遇に即することが必要だ。
7 EMの研究方針とその実践
7-2 日常生活を「行為者の観点から」観察可能にする(描写する)方法
(Program, p.333)
(Program, p.334)
p.29
エスノメソドロジストは、その探求者の諸結果の「妥当性」(”validity”)に関心をもたないということにはならない。この
手続的強調は、いかなる手続の結果についてもその「現実的」(”realistic”)性格についての問題を無視することは決してど
んな形でもできない。社会学的手続の受容された諸結果の現実世界に対する問題的な対応性(the problematic
correspondence)は、大いにエスノメソドロジストの関心対象だ。・・・社会学的調査者—素人のまたは職業的な—がわれ
われの関心の対象であるところでは、この問題はつぎのように立てられる—これらのひとびとは、かれらが何について語っ
ているかを知っており、かれらが何を見ていたのかを知っていることを決定するために、何を、かれらが他者とともに実際
に当然のこととしているものとして扱っているのか。この問題が生じる理由は、特性上、そしておそらく必然的に、社会学
者たちは、いま、ここの外見にかれらの記述を限定することがなく、また、そうするつもりもなく、もしかれらの記述に
ついて、それらがルールに支配された諸行為の適合的記述であるべきだという要求を満たさなければならないとしたら、そ
のように限定するわけにはいかないからである。私は記述的に語っているのであり、皮肉に語っているのではない。
7-2-3 その描写は、また、実践的行為(者)が、その資格において認められている現在的メンバーシップの諸要請
に即すること、その他の仕方で関連性をもつことを含んでいることが必要だ。
7-2-4 まとめると、EM的事物の描写には、持続的に達成されているものとしての「現実性」(認識的、評価的、道徳
的)への言及が必要だ。また、その描写には、EM研究にとって<おおまかに>可能な限りの理解可能性と明白性が必
要だ。
7 EMの研究方針とその実践
7-2 日常生活を「行為者の観点から」観察可能にする(描写する)方法
(Program, p.334)
ガーフィンケルを読む III


EMCA研究会


古典読解講義
2022.1.29
“The Central Claims of Ethnomethodology: Working Out Durkheim’s Aphorism.”
 

Chapter 1 of Ethnomethodology’s Program: Working Out Durkheim’s Aphorism, 2002, pp. 91-120.
Part I.
p.1
1-1 背景1—1967年以後の Gar
fi
nkel とEM(1968-1974)
April 7-8 The Purdue Symposium was held. (Gar
fi
nkel. Sacks, Sudnow, Rose, & Churchill attended representing Ethnomethodology.)
(some two days in 1967 (Coulon 1995) )(Source: Final Report:Decision Making and Practical Action, 1969: 10)
Sacks, Harvey (1967) "The search for help: no one to turn to", In E. Schneidman (ed.) Essays in Self-Destruction. Science House Inc.:
203–223.「救助の吟味:誰も頼れる人がいないこと」『自殺の病理—自己破壊行動』(上下2巻,大原健士郎=岩井寛=本間
修=小幡利江訳,岩崎学術出版社,上巻1971年,下巻1972年)上巻第II部第10章(190-209ページ)
Sudnow, David (1967) Passing On: The Social Organization of Dying. (Englewood Cliffs, Prentice Hall). 『病院でつくられる死―
「死」と「死につつあること」の社会学』(岩田啓靖=山田富秋=志村哲郎訳,せりか書房,1992年)
Bittner, Egon. 1967. The police on skid row: A study of peacekeeping. American Sociological Review, 32 (5): 699–715.
Cicourel, A. V., The Social Organization of Juvenile Justice. John Wiley
Schegloff, E. `Sequencing in Conversational Openings', American Anthropologist 70: 1075-1095
.

November 30 FINAL REPORT: DECISION MAKING AND PRACTICAL ACTION Principal Investigators: Harold Gar
fi
nkel(UCLA),
Harvey Sacks (U.C. Irvine) & Lindsey Churchill(Russell Sage),p.1-p.14
Douglas, J.D. ed., Understanding Everyday Life: Toward a Reconstruction of Sociological Knowledge. (London,Routledge and
Kegan Paul.) 論文集
D. Sudnow (ed.), Studies in Social Interaction. New York: Free Press. 論文集
1967
1968
1969
1970
Wieder, D. L, Language and social reality. The Hague: Mouton.
1971
Turner (ed.), Ethnomethodology. Harmondsworth: Penguin 論文集
1974
Pepinsky,H.B. ed. People and Information (Gar
fi
nkel, Zimmerman が参加)
1967-68 (Sabbatical)
Visiting Lecturer in
Sociology, Laboratory
in Social Psychiatry,
Department of
Psychiatry, Harvard
Medical School.
1970-73 Visiting
Professor, UC Irvine
1973 Simon Visiting
Professor of Sociology,
University of
Manchester, England.
1967年の著書ののち、次世代のEM研究の単著、論文集が増加していく。Gar
fi
nkel はさまざまな大学で教えたり、会合に参加したりするように
なる。次世代研究者の支援ともなっていたGrant が終了する。
Gar
fi
nkel’s appointment
outside UCLA
Events & Publications
(より詳しくは、参照: https://sites.google.com/site/shirokashimura/em/em-steps-2)
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan
2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan

More Related Content

Featured

How Race, Age and Gender Shape Attitudes Towards Mental Health
How Race, Age and Gender Shape Attitudes Towards Mental HealthHow Race, Age and Gender Shape Attitudes Towards Mental Health
How Race, Age and Gender Shape Attitudes Towards Mental Health
ThinkNow
 
Social Media Marketing Trends 2024 // The Global Indie Insights
Social Media Marketing Trends 2024 // The Global Indie InsightsSocial Media Marketing Trends 2024 // The Global Indie Insights
Social Media Marketing Trends 2024 // The Global Indie Insights
Kurio // The Social Media Age(ncy)
 

Featured (20)

2024 State of Marketing Report – by Hubspot
2024 State of Marketing Report – by Hubspot2024 State of Marketing Report – by Hubspot
2024 State of Marketing Report – by Hubspot
 
Everything You Need To Know About ChatGPT
Everything You Need To Know About ChatGPTEverything You Need To Know About ChatGPT
Everything You Need To Know About ChatGPT
 
Product Design Trends in 2024 | Teenage Engineerings
Product Design Trends in 2024 | Teenage EngineeringsProduct Design Trends in 2024 | Teenage Engineerings
Product Design Trends in 2024 | Teenage Engineerings
 
How Race, Age and Gender Shape Attitudes Towards Mental Health
How Race, Age and Gender Shape Attitudes Towards Mental HealthHow Race, Age and Gender Shape Attitudes Towards Mental Health
How Race, Age and Gender Shape Attitudes Towards Mental Health
 
AI Trends in Creative Operations 2024 by Artwork Flow.pdf
AI Trends in Creative Operations 2024 by Artwork Flow.pdfAI Trends in Creative Operations 2024 by Artwork Flow.pdf
AI Trends in Creative Operations 2024 by Artwork Flow.pdf
 
Skeleton Culture Code
Skeleton Culture CodeSkeleton Culture Code
Skeleton Culture Code
 
PEPSICO Presentation to CAGNY Conference Feb 2024
PEPSICO Presentation to CAGNY Conference Feb 2024PEPSICO Presentation to CAGNY Conference Feb 2024
PEPSICO Presentation to CAGNY Conference Feb 2024
 
Content Methodology: A Best Practices Report (Webinar)
Content Methodology: A Best Practices Report (Webinar)Content Methodology: A Best Practices Report (Webinar)
Content Methodology: A Best Practices Report (Webinar)
 
How to Prepare For a Successful Job Search for 2024
How to Prepare For a Successful Job Search for 2024How to Prepare For a Successful Job Search for 2024
How to Prepare For a Successful Job Search for 2024
 
Social Media Marketing Trends 2024 // The Global Indie Insights
Social Media Marketing Trends 2024 // The Global Indie InsightsSocial Media Marketing Trends 2024 // The Global Indie Insights
Social Media Marketing Trends 2024 // The Global Indie Insights
 
Trends In Paid Search: Navigating The Digital Landscape In 2024
Trends In Paid Search: Navigating The Digital Landscape In 2024Trends In Paid Search: Navigating The Digital Landscape In 2024
Trends In Paid Search: Navigating The Digital Landscape In 2024
 
5 Public speaking tips from TED - Visualized summary
5 Public speaking tips from TED - Visualized summary5 Public speaking tips from TED - Visualized summary
5 Public speaking tips from TED - Visualized summary
 
ChatGPT and the Future of Work - Clark Boyd
ChatGPT and the Future of Work - Clark Boyd ChatGPT and the Future of Work - Clark Boyd
ChatGPT and the Future of Work - Clark Boyd
 
Getting into the tech field. what next
Getting into the tech field. what next Getting into the tech field. what next
Getting into the tech field. what next
 
Google's Just Not That Into You: Understanding Core Updates & Search Intent
Google's Just Not That Into You: Understanding Core Updates & Search IntentGoogle's Just Not That Into You: Understanding Core Updates & Search Intent
Google's Just Not That Into You: Understanding Core Updates & Search Intent
 
How to have difficult conversations
How to have difficult conversations How to have difficult conversations
How to have difficult conversations
 
Introduction to Data Science
Introduction to Data ScienceIntroduction to Data Science
Introduction to Data Science
 
Time Management & Productivity - Best Practices
Time Management & Productivity -  Best PracticesTime Management & Productivity -  Best Practices
Time Management & Productivity - Best Practices
 
The six step guide to practical project management
The six step guide to practical project managementThe six step guide to practical project management
The six step guide to practical project management
 
Beginners Guide to TikTok for Search - Rachel Pearson - We are Tilt __ Bright...
Beginners Guide to TikTok for Search - Rachel Pearson - We are Tilt __ Bright...Beginners Guide to TikTok for Search - Rachel Pearson - We are Tilt __ Bright...
Beginners Guide to TikTok for Search - Rachel Pearson - We are Tilt __ Bright...
 

2021-2022 Shiro Kashimura, Reading Harold Garfinkel. The 3-Part-series lecture for Ethnomethodology and Conversation Analysis Study Group of Japan

  • 1. ガーフィンケルを読む I EMCA研究会 古典読解講義 Part I. 2021.09.25 Parsons’Primer, Chapter V, “An Illustrative Reading of Parsons’ Revised Paradigms of the Components and Processes of Action Systems of Rules (A Theory) For Assembling Stable Social Structures.”
  • 2. 1. 準備的論点 2. 講義の目的 3. Parsons (1960) 4. パターン変数図式 5. 安定的行為経路 6. 文化的自動人形のメタファー 7.「適正な」結合 8.困難 9. 困難の解決 10. 結論と展望 タイトルについて、Parsons’Primer の構成について、第V章の構成について Garfinkel とParsons の関係、Garfinkel自身の解釈 Garfinkel による全体的評価、社会学理論の性質、行為経路(行為者)、単位行為 現在的(actual)、変数の組み合わせ図式、行為経路の可変性の記述 社会的機能的編成、統合的諸標準、分析的に提供される記述の問題 「規範性」の意味、不適正な対の「強行」、期待破棄実験 時間的過程の中の安定的対作成の生起の保障、「環境的緊急要件」、「ゲームが提供する条件」 ルールに支配される行為の適合的な記述方法 ゲームのモケイ、環境への適応、環境のシンボライゼーション、Garfinkelによる探求 GarfinkelのEMとParsonsのパターン変数図式、行為経路の強調、「現実」社会 目次 Parsons の行為者は文化的自動人形ではない
  • 3. p.3 1-1 この章のタイトルと本書の構造は、1963年2月8日までに変更されている。第IV章末尾にはつぎの書き込みがある(Gar fi nkel 2019 では削 除)。 準備的論点:1-1 本章のタイトル; 1-2 本書の構造 Insert at this point a summary of the preceding four chapters so as to make a transition to Chapter V which presents an illustrative case of a structured analysis by Parsons.) (ここ で 、先行する4つの章の要約を挿入し、Parsons による構造的分析の一例証を提示する第V章への移行を行う。) 1-1-2 この後の章(第V章「Parsons の解決」または「An Illustrative Reading of Parsons’ …」)に続く4つの章の原稿に章番号が付されていない。 1-2 本書は、前半5章(第I ∼V章)が、Parsons の方法の説明、後半4章(第VI~IX章)がParsons の方法の適用の例証になっている。
  • 4. p.3 1-3 第V章の節構造はつぎの通り。()はGar fi nkel 2019, []は樫村手持ち原稿(1963年版)のページ番号 準備的論点:1-3 本章の組み立て まえがき(pp.169~172)[p.121~ ] I. Parsons の方法の解説(pp.172~177)[p.123~ ] II. 可能な諸客体(pp.177~179)[p.134~ ] III. 可能な諸志向(pp.179~181)[p.137~ ] IV. 協調的行為の安定的組み合わせとしてこれらの集合を関係づけるルール(pp.181~185)[p.141~ ] V. 時間的諸過程(pp.185~187)[p.149~ ] VI. 諸前提/緊急条件(pp.187~195)[p.154~ ] VII. 緊急条件に対する行為システムの適応(pp.195~201)[p.167~[
  • 5. p.4 1-3-2 Garfinkel自身の要約 説明は7つの部分からなる。第I節(Part I)は、「単位行為」を議論する。これは、ある客体に向けられた(directed to an object)行為経路(a course of action)からなる。行為者という用語は行為経路を指示する。客体という用語は、環境的様相の集合(an ensemble of environmental features)であって、そ の処遇経路にとって有意義な(relevant to the courses of treatment)ものを言う。第II節は、パターン変数を扱う。これらは、カテゴリー的観念であって、 それを用いることで「可能な行為経路」と「可能な客体」が観念されるものだ。残りの第III節から第VII節は、社会諸構造の安定的結合(a stable sets of social structures)を集成し関連づけるルールを提示する。第III節は、安定的行為諸経路(stable courses of action)(諸志向(orientations))、安定的客 体、安定的な統合諸標準、そして環境的緊急要件の安定的知識を、集成するルールを提示する。第IV節は、協調行為の安定的結合としてそれらを関連づ けるルールを提示する。第V節は、時間的過程の維持される産出物としての安定的社会諸構造を定義するルールを提示する。第VI節は、第III,IV,V節のル ールの集合が、ルールのシステムとして定義されるために用いられる前想定(presuppositions)を提供する。[第VII節は、記号のシステムとしての複数セ ルの表を議論し、その記号の文法的ルールを提示する。第II,IV,V節の集成ルールのそれぞれには、ひとつづつの定理が対応し、それぞれの定理には経験 的命題の集合が対応するということが示されるだろう。]・・・[ ]は書かれていない。
  • 6. p.5 2-1 今回の講義では、GarfinkelのEMがParsons の理論とどんな関係にあるのかを、この第V章を読むことにより、理解していきたい 2 講義の目的 2-1 講義の目的 この問題については、これまでいくつかの解釈が示されてきた。 両者の関係を「対立的」に見るもの 両者の関係を「生活史的」に見るもの 両者の関係を「順接的」に見るもの
  • 7. p.6 最初のものは、博士論文(Garfinkel 1952)であり、その前後に書かれたものがある(Garfinkel 2002)。『エスノメソドロジー研究』にも言及が ある(Garfinkel 1967、樫村 2019, p.443)。また、Parsons の『社会的行為の構造』の発刊50周年をきっかけとして書かれたものがある(Garfinkel 1988[Evidence for..], 2007[Lebenswelt Origins])。 これらには、一貫して、Parsons に対する恩義の念と、内容上、表現上からはっきりした差異ないし断絶とが表明されている。しかし、両者の関 係を明確に理解するには、これらの表現は少なすぎた。  以上から、Parsons’ Primer でGarfinkel がParsons 理論の解説を行なっているということが、非常に興味深い研究対象となることが理解される。 2 講義の目的 2-2 Garfinkel自身の言及
  • 8. p.7 3-1 「まえがき」の部分では、Gar fi nkel による本章と密接に関連するParsons の論文へのGar fi nkelによる評価が述べられている。 3 Parsons (1960) Parsons’ paper furnished revised paradigms of the “components and processes of action systems”. The revised paradigms consist of rules for looking at everyday activities so as to make observable their essential features as assembled stable social structures of interaction. In exactly the sense of the discussion in the previous chapter, “The Problem of Social Order and the Concept of Ad- equate Description of Social Structures”, these rules of interpretive procedure have the methodological status of a solution to the problem of social order. This is to say that the usage of Parsons’ concept, “adequate description of social structures” is explained by the orderly exposition of these rules. Parsonsの論文は、「行為システムの諸構成要素と諸過程」の修正された範型を与え た。この修正された範型 は、相互行為の編成された安定的社会的諸構造としてのそれらの 本質的諸様相を観察可能にするために日常 的諸活動を見るための諸ルールから構成されて いる。前章「社会秩序の問題と社会諸構造の適合的記述の概 念」 で 議論されたまさに その意味 で 、解釈的手続のこれらのルールは、社会秩序の問題の解決という方法論 的地位をもつ。これはつ ぎ のこと だ −Parsonsの概念「社会諸構造の適合的記述」の使用法は、 これらのルール の秩序 だ った解説によって説明されるの で ある。 p.170, §2
  • 9. p.8 3-2  Gar fi nkelはParsons に限らず—とりわけSchutzも—社会学理論が社会秩序の問題の社会学者による解決だと考えている。Parsons も結果的にこの 考えに同意できていた。 3-2 社会学理論の作用 Parsons の理論(概念システム)は、もともと、社会を適切に記述するためのカテゴリーの必要十分なシステムとなることを 意図していた。Parsons が、功利主義システムを採用せず、システムに「規範的カテゴリー」が必要だとした理由は、規範的カ テゴリーがなければ、経験的社会の適合的記述を行うことができないからだ。Parsons が念頭においていた事例は、なにより も、プロテスタンティズムと経済活動の関係だった。
  • 10. p.9 複数の行為者(a set of actors)、環境(environments)、処遇(treatments) 行為経路(処遇経路)(以下は同義。actions-in-their-course, courses-of-action or courses-of-treatment)、諸客体(objects)とその集成 (ensumbles)(Parsons の用語では、modalities of objects)、単位行為(unit acts) 3-3 行為の参照枠組(Action Frame of Reference = AFR) 3-4 単位行為 Grammatically speaking, the “unit act” speci fi es the constituent ideas that make up the meaning of the general concept, “an event of conduct.” It furnishes the two sets of terms that a description of an empirical instance of an “event of conduct” must provide for if it is to be counted an adequate description. Courses of treatment can be described without describing objects, but not without presupposing the parameter of objects. 「単位」は 経験的というよりは文法的な言い方 だ 。文法的に言うと、「単位行為」とは、一般的概念 としての「行為とい う出来事(am event of conduct)」の意味を作り出す本質構成的 (constituent)な観念を特定している。それは、「行為という出 来事」の経験的事例の記 述 が 、それ が 適合的記述(an adequate description)とみなされうるなら、提供しなけれ ば ならない、 二集合の条件(terms)を特定している。処遇経路は客体を記述することなく記述 で きる が 、諸客体の基底変数を前想定するこ となしには記述 で きない。 p.172
  • 11. p.10 When any actual features whatsoever of an object are attended under a rule of relevance that assigns priority of relevance to expected use of these features as facilities in the attainment of some goal of the actor, this object is spoken of as an object of utility. ある対象の ど のようなもの で あれ現在的な様相 が 、その行為者のなんらかの目標の達 成において便宜(facilities)とし てのそれらの様相の期待される仕様に、関連性の優先性を 割り当てるような、関連性ルールのもと で 、注目される とき、この対象は、効用の対象と呼 ば れる。 4-1 図式の読み方p.177 Table 1 4-2  ここで「現在的actual」というのは、「まさにそこにある」という意味。それは、注目されている その行為経路の処遇の客体となっているということ。これは、Parsons にしたがってGar fi nkelは、パター ン変数を、(しばしば批判される)抽象的概念として扱っていず、具体的にそこに現前するものの記述の 装置として理解し利用していることを示す。Parsons理論が、抽象的概念の閉じたシステムではなく(その ような外観をもつが)、現実の記述のために用いられているのだという立場は、Gar fi nkelがParsons を弁 護するために重要視した論点だ。 4 パターン変数図式 4-2  「現在的actual」
  • 12. p.11 表1はParsons が客体の様式(modalities of objects)と呼んだものを定義する2組の変数(普遍主義-特別主義、遂行-存在)を表現する。Parsons- Gar fi nkelによれば、それらは、志向様式を定義する別の2組の変数(中立性-感情性、限定性-非限定性)と組になることで、行為経路を適合的 に記述する。 4-3 パターン変数の2つの結合 4-4 中間まとめ 4-3までに、Parsons-Gar fi nkel が達成したことは、行為経路の可変性を適切に記述することができる概念システムを構成すること。 議論は、つぎにこの可変性を限定することに進む。 これは、行為経路の安定性を実現する組み合わせとそうでない組み合わせを区別することである。
  • 13. p.12 5 安定的行為経路の(理論家による)選択  観察された諸活動のいかなる現在的な集合 で あれそれ が 安定的社会構造の4つのシステム問題への解決として分析される とき、もし理論家 が その観察された社会構造の安定的様相を予測 で きるとすれ ば 、適応、目標達成、統合、およ び パ ター ン維持の4つの条件のそれ ぞ れについて、同等の関連性(equivalent relevance)を割り当てることは で きない。そう で はなく て、安定性 が 一つの要請された推測として述 べ られうるのは、その解決 が それら自体位階的な優先性 で 並 べ られるとき、ま たそのときのみ で ある。たとえ ば 、理論家の行為者の立場からは、理論家は、その行為者 が 、動機 づ けと意味の維持とと もに、諸便益の産出と配分における緊急要件に同等の価値をあたえ、同等の仕方 で それらに注意を向けることは で きな い、と言わなけれ ば ならない。もし理論家 が そう言えるなら ば 、観察された諸活動 が 安定的様相を展示する だ ろう。 pp.180~181 When any actual set of observed activities are analyzed as solutions to the four system problems of stable social structures, the analysis cannot assign equivalent relevance to each of the four conditions of adaptation, goal attainment, integration, and pattern maintenance if the theorist is to predict stable features of the observed social structures. Instead, stability can be stated as a required inference if and only if the solutions are themselves arranged in a hierarchical priority. For example, from the standpoint of the theorist’s actors, the theorist must say that the actor cannot simultaneously assign equivalent value to, and attend in equivalent fashion, the exigencies in the production and allocation of facilities, together with the maintenance of motivation and meaning, if the theorist is to say that the observed activities will exhibit stable features. 研究者は、一方で、パターン変数により人々の行為経路を観察するとともに、パターン変数によって記述 される行為経路について、パターン変数から引き出される根拠(表2のラベルが意味するもの)にもとづ き、安定性の予測ができる。
  • 14. p.13  Parsons のAFRは、この根拠を「社会的機能(達成)」に求めた。これに対して、Gar fi nkelはあきら かに留保的な仕方でつぎのように言う。 しかしな が ら、諸標準の「機能的」編成(”functional “ arrangement) が 行為のそれ ぞ れの具体的経路に対応する(corresponds to each concrete course of action)と想定して、出発してはならない。そう で はなくて、正しい出発点(the correct point of departure)は、 具体的記述の形式でその場面についてそのほかに何をいえるかにかかわらず(what else one might be prepared to say about that setting by way of concrete description)、安定的活動の観察された現象(the observed phenomenon of stable activities)) で ある。機能 的 パ ラ ダ イム(The functional paradigm)は、理論家 が それらを別の仕方でどう把握しようと決定するかにかかわらず (regardless of how the theorist might otherwise choose to conceive them)、本質的かつ関連する活動という現象—観察された協調 的所活動の安定的性質をそれらが決定する—を決定する際に、研究者(the investigator)によって利用される べ き一方法として 用いられる べ き で あり、また完全にそれのみから成り立つの だ 。  これま で 述 べ てきた パ ターン変数の選択肢のいろいろな対 が 、理論家により、つぎのもの—理論家の行為者 が 処遇と対象様 相の評価的関連性の諸標準としてそれにコミットしている(be committed)といわれる、ある相互行為状態の評価的諸標準—とし て扱われるとき、理論家によるこの点でのそれらの使用は、それらの対を「統合的標準」と呼 ぶ ことにより、名付けられる。 そのそれ ぞ れの対に、一つの代替的対 が 対応するのだ。 5 安定的行為経路の(理論家による)選択(続き)
  • 15. ガーフィンケルを読む I EMCA研究会 古典読解講義 Part II. 2021.09.25 Parsons’Primer, Chapter V, “An Illustrative Reading of Parsons’ Revised Paradigms of the Components and Processes of Action Systems of Rules (A Theory) For Assembling Stable Social Structures.”
  • 16. p.14 統合的諸標準についての考え方は、Parsons (1960)の「パターン変数再考」の主要なテーマの一つだった。大きく言うと、Parsons が「主意主義」 理論から、「機能主義」理論へと変化する転換点を構成する論点。Gar fi nkel の説明もそれを示唆する。p.176, §5. 5-3 統合的諸標準 Parsons の当初の議論は、これらの評価的基準はなにかという問題に関わって いた。それらの標準は、そのような諸標 準の諸特性を直接に提供していた パ ターン変数を用いること で 決定された。その修正—「 パ ターン変数再考」— で は、 パ ターン変数はそのかわりに、制度化されること が で きる標準の集合と、そのよう で ないものの集合とを導出する (generate)ために用いられている。 Parsons’ early argument was concerned with the problem of what these evaluative standards were. They were decided by using the pattern variables to furnish directly the properties of such standards. In the revision, Pattern Variables Revisited, the pattern variables are used instead to generate those sets of standards that are capable of being institutionalized as well as the set of those that are not.
  • 17. p.15 この議論は、上の機能的組み立ての使用についての注意に引き続く部分。p.182, §3. Gar fi nkelは、パターン変数による分析的記述が、行為経路の具体性を犠牲にする危険性に気づいているが、Parsons 理論を擁護可能なものと見 ている。「文化的自動人形」の議論は、Parsons 理論が、その危険を回避するものとみられる理由として述べられる。 6 文化的自動人形のメタファー さて、Parsonsの行為者は、思考しない、記憶しない、価値を知った、一意的に確約している、文化的 ゲ ームを演 じ る 人形(dope)—その行為者 が 何をするかを決定するという理論家の問題のために、その行為者に直面させる、想定され た環境にかれ が 直面するとき、その行為者は、かれは環境の諸対象の諸様相に典型的様相の諸事例として注意を向け ると言われるから、その際に、その対象 が 同時的に唯一的 で 特別な(particular)諸様相をもまた持っているという側面 を世界から放逐してしまう—そのような存在 で はない。 ド ア ベ ル が なり、私はかれ が こういうの で はないかと心配す る(wonder if)こと が で きる—「私はあなたへの郵便を配達する が 、た だ しつ ぎ の条件 が ある。あなた が 昨日私に友 人としての挨拶をしなかったことの説明をするなら。もしあなた が 十分な説明をしないなら、私は、あなた が 振る舞 い方を改めると決めたのちにのみ、あなたに郵便を配達しよう。」私はこれを心配すること が で きる(can)。しかし、 それ が 相互行為の筋としてはありそうにないと考え、また誤っていると、またまさにそれ が 誤っているから(because it is wrong)それはありそうにないと考える。もしかれ が 私にこのような処遇をするなら、私 は、われわれ が 互いに好意 をもっているかいなかにかかわら ず かれがそれでもなお私の郵便を配達することを固執 で き、また同時に、この一方 のことは他方のことと「なんら関係 が ない」ことを主張するこ とについて社会的支持を期待 で きる。Parsons の行為 者は同 じ こと が で きる。 p.182
  • 18. p.16 6-2 中間的まとめ  以上までで、Gar fi nkel はつぎのことを説明した。 (1) 社会学理論の課題は、社会秩序の問題を解決することだということ、 (2) 社会秩序の問題の解決は、「適合的な」記述とParsons-Gar fi nkel が呼ぶものを通じて与えられること、 (3) Parsons のAFR が一つの「適合的な」記述を与えること、 (4) とりわけ、その記述はパターン変数による記述(分析的記述)によって与えられること、 (5) したがってそれは理論家に対して与えられること、 (6) 理論家はこのようにして社会秩序の問題を解決していること。  Gar fi nkelは、Parsons 理論について、このような理解と判断をもっていたことがわかる。多くの解釈者が想定しがちなこととは異なって、Gar fi nkel は Parsons 理論を全面的に/根本から/拒絶したわけではなかった。
  • 19. p.17 「それ以外の組み合わせは不安定 だ 」という句は、「正しい」(”correct”、または”proper”)選択を定義す る規範 とは異なる規範への同調へのコミットメントを強行するいかなる試みも、行為者の諸対象の環境を 「非規範化(anomicize=アノミー化)」し、その社会的諸構造の非組織化された諸特性(disorganized properties)を倍加 させる だ ろうということを意味する。 7 パターン変数の「適正な」結合(”proper” matching)と文化的自動人形 p.184 The phrase, “alternative combinations are unstable,” means that any attempts to enforce commitments to compliance with the alternative norms to those that de fi ne “correct” choices will anomicize the actor’s environment of objects and multiply the disorganized properties of the social structures. Parsons のAFRにおいて、「規範性」は、(理論家によるものだが)行為者(行為経路)を通じて維持/達成される、行 為の性質となる、「正しい/または正しくない」認識、表出、判断を特定する。 7-1 「適正な結合」の意味 7-2 「規範性」のAFRにおける意味 たとえば、ある特定の意義深い瞬間にある人が表情を作ることは、もしかれが友人なら「正しい」が、もしかれがプロの 相談者なら「正しくない」ことになる。この判断は、理論家が、理論家の行為者としてとらえられる人(行為経路)につ いて行うもので、その判断の科学的な真理性は観察によって検証される—たとえば「正しくない」と判断される行為経路 に対しては、相互行為相手から否定的サンクションが引き続くことでわかる。
  • 20. p.18 7-4  ここまでのまとめ  前ページの引用では、「強行する」という語も大事。 「強行」とは、たんに「正しくない」行為経路を実行するだけにとどまらず、「正しくない」行為経路を「正しいもの」として相手に押し付けること。 Gar fi nkelの「期待破棄実験」の基礎にあるのは、この論理だ。 7-3 パターン変数を利用する試みが、EMを発展させた 安定的な相互性の集成のための条件は、行為者の行為 が 、この集成のルールの集合によって代表 されている規範によっ て支配されているときに、満たされる。 p.185 The conditions for the assembly of stable reciprocities are satis fi ed when the actor’s actions are governed by the norms represented in the set of assembly rules. 「規範」を適合的に記述できるためには、パターン変数を利用する必要があり、規範は、パターン変数の特定の組み合わせとして表現され る。
  • 21. p.19 ひとつの重要な問い が 残されている—これらの安定的相互性 が 、時間的諸過程( temporal processes)としてのそれらの生起の経路を通 じ て保証されるのか?もしParsons が これ以上のものを提 供しないとすれ ば 、理論家 が 、この限りの パ ラ ダ イム(this much of the paradigm)を用いて、安定的遂 行と裁可を構築することができるのだ—もし理論家が、つぎのこと—行為者たち が た だ その諸選択 が 選択可能 で あったという理由 だ け で そう選択したということ—を仮定 で きるとすれ ば だが。 8 時間的諸過程における安定的結合の生起の保障 p.185 A large question remains: How are these stable reciprocities guaranteed over the course of their occurrence as temporal processes? If Parsons provided nothing more the theorist could use this much of the paradigm to construct stable performances and sanctions if he could assume that actors made the choices they did only because the alternatives were there to be chosen. 安定的行為経路を表現する規範(パターン変数によって表現された組み合わせ)が選択可能であるという理由だけで、行為者はそれを選択できるのか。 さきほどの郵便配達人の例をもちいれば、郵便配達人がその遂行の前提として友情の充足をもとめないことが観察されるのだが、配達人がその理由は、 そうすることが安定的行為経路だからという理由ないし事情だけか。 言い換えると、
  • 22. 困難は、適合的な記述という課題に関係があり、それは人がゲームを行うという状況を適 合的に記述できないということ( =保障がないこと)。 p.20 この困難は、つ ぎ の事実の中に存在する—「チェ スの ゲ ームのひとつの プ レイ」という出 来事の、規範的に規制された産出の一事例として の、ひとつのチェス ゲ ームのある観察さ れた プ レイの産出 が 、(a) プ レイの諸ルールを 考慮することにより、また(b)行動の基準とし てこれらの諸ルールを確約している、す なわちひと び と が プ レイヤーのように行為するも のとして、想定することにより、アカウ ントされるときには、その結果は、ルールに支配 された行動の記述的理論 で はなく、その 規範的理論になるという事実。 8 時間的諸過程における安定的結合の生起の保障 p.187 The dif fi culties reside in the fact that when the production of an observed play of a chess game as an instance of a normatively regulated production of the event “a play of a game of chess” is accounted for (a) by consulting the rules of play and (b) by assuming that persons are committed to these rules as maxims of conduct, i. e. that persons acted like players, the result is a normative instead of a descriptive theory of rule-governed conduct.
  • 23. この条件は、Parsons のAFR においては、「環境的緊急要件」という概念でとらえられて いた。この概念は、AFRを現実の社会の観察に結びつけるため(それを検証可能なものと して維持するため)に不可欠のものだった。 p.21 これに対して、Gar fi nkel がさまざまなゲーム状況を利用して研究を進めていたこと、ゲー ムを構成する構成的、選好的ルール、「ゲーム提供的条件(game-furnished conditions)」 などの概念を用いたことは、Gar fi nkel (1963) を通じて、よく知られている。Gar fi nkel は、 これをゲームというモケイ(mock-up)の利用と言った。 8 時間的諸過程における安定的結合の生起の保障
  • 24. たとえ ば 、 プ レイヤーは、かれ が 一つ一つの手を指 す前に ポ ーン(pawns)を交換すること が かれのチ ャンスを増やすの だ と主張するかもし れない。ひと が これに返答して、結局、チェスの基礎的ルー ルを正しく理解しているあら ゆる プ レイヤーは、そのようなやり方 が 駒の実質的位置(material positions)を変えること が ないことを理解すること が で きると言っても、 プ レイヤーたちの現在的な 諸例(actual instances of players) が この仕方 で 事態を扱う だ ろうか、という疑問 が それにもかかわら ず 残る。こうした予測不可能事態(contingencies) が 「現実の ゲ ーム(real game)」の「そと(outside)」にあ ると言うことは、つ ぎ の理由 で 十分 で ない—そのようなことを言い張ると、記述的理論 が 必要なの に、基礎的およ び 選好的ルールからチェス プ レイの規範的理論を作り出してしまう。 p.22 8-4 それは、行為者がルールを知っていることとは同じでない p.188 For example a player might insist that his chances were aided by interchanging pawns before he made each move. Even if one asserts in reply that after all players who just understood the basic rules of chess could see that such a maneuver in no way altered the material positions of the pieces, the question would nevertheless remain whether actual instances of players would treat the matter in this way.To say that such contingencies are “outside” the “real game” is not satisfactory since such an insistence makes of the basic and preferred rules of chess a nor- mative theory of chess play, whereas a descriptive theory is needed.
  • 25. これらの困難は、ルールに支配された行為の研究(the study of rule-governed actions)に特有的 (particular)なもの だ 。それらにうまく調和して(coming to terms with)、規範的に規制された行動のある 記述的理論の成立を可能にするために、Parsons は緊急諸要件についてのかれの見方を提供する。 p.23 9 Parsons とGar fi nkel による困難の解決 p.189 These dif fi culties are particular to the study of rule-governed actions. For the purpose of coming to terms with them so as to permit a descriptive the- ory of normatively regulated conduct to be constructed Parsons furnishes his version of the exigencies. われわれ が ゲ ームを用いるのは、つ ぎ の問いについて生 じ る決定的諸論点の提示を 助けるため だ — いかにして、安定的相互性 が 、時間的過程としてのそれらの生起の経路を通 じ て、保証される (guaranteed)のか?Parsons の定式化は、日常生活の規範的に規制さ れた行為の特徴を明確にすること に向けられており、 ゲ ームの行為のそれらに向けられたもの で はない。それにもかかわら ず 、われわ れは、のちに見るように、日常的行為の安定的社会的諸構 造の緊急要件の性質を明確化するため に、 ゲ ームを参考にする だ ろう。 ゲーム利用についての注釈 We have used the game to aid our presentation of critical issues that arise with respect to the question: how are stable reciprocities guaranteed over the course of their occurrence as temporal processes? Parsons’ formulation is directed to clarifying the character of normatively regulated actions of everyday life, and not of games. Nevertheless as we shall see later we can consult games to clarify the nature of the exigencies for the stable social structures of everyday actions.
  • 26. Parsons のこの間の考えでは、行為システムは、その「外部」(環境)と「内部」の双方について、安定化されていなければならなかった。行為シス テムのサブシステムのうち、LとGは、欲求と充足にかかわり、行為システムを活動させる役割をもつ。これに対して、AとIは、それぞれ、外部と内 部の安定化を担当するものだ。ここでA(適応)が問題になるのは、この理由による。 p.24 9-4 Parsons の解決—行為の環境への適応の問題  Parsons のパターン変数の枠組みは、Parsons & Shils (1951) で詳しく展開されていた。Dubin (1960) は、パターン変数枠組みの「操作化」をめざす、 当時としては友好的生産的な反応だったが、パターン変数枠組みを単なる行為の経験的分類学と見ていた点でParsons-Gar fi nkel の意図と無関係な方向 を向いていた。Parsons 自身の「操作化」の独自の努力は、Parsons, Shils, Bales (1953)[Working Paper]、Parsons, Bales (1955)などを中心に行われ、その 達成がParsons (1960)であった。
  • 27. (1)ひとつの行為システムの環境のなかの諸客体の適応的意義(adaptive signi fi cance)をシンボライズするため(たとえば、それらを認 知的に「理解する」ことのため)には、それらの諸客体が現在的にまたは潜在的に「する」(遂行(performance))ことの観点からそれ らをカテゴライズし、かつ(and)、感情的(affective)に中立的(neutral)に、すなわち、その行為者を充足するためのそれらの潜在能力 から独立に、それらに志向しなければならない。この「パターン」は、それを構成する諸客体の「客観的」理解を最大化することができ る外部的環境へのあるオリエンテーションの安定性のための一条件として定義できる。パーソナリティ分析から用語を採用して、われわれ はこのパターンを経験的「認知的シンボライゼーション(cognitive symbolization)」と呼ぶことができる[図1の左上のセルの左上の部分]。 (2)そのシステムにとって外部的な客体を、目標達成に対するそれらの有意義性にしたがってシンボライズしカテゴライズするために は、限定的な関心の基礎—ないし「動機付け(motivation)」(限定性(speci fi city))にもとづき、かつ(and)、行為のそのシステムを も定義づける諸意味のあるシステムへの潜在的な「共属性(blongingness)」(特別主義(particularism))にもとづいて、それらの可能な 意味に焦点を合わせることが必要だ。われわれはこれを「表現的シンボライゼーション(expressive symbolization)」—これは、特別主義 的意味の普遍主義的意味の水準への一般化だ—とよぶ[同じく右上の部分]。(3)そのシステムにとって外部的な諸規範(norms)の意義を シンボライズしカテゴライズするためには、ある客観的に「所与の」事態(”given” state of affairs)あるいは「秩序(order)」の諸側面と してそれらを扱うこと(属性(quality))、かつ(and)、それらを感情性をもって扱うこと—すなわち、その行為者は、問題の諸規範に コミットメントを感じるかどうかについて、感情的に無関心であることはできないこと—が必要だ。これをわれわれは「道徳的—評価的 カテゴライゼーション(moral-evaluative categorization)」とよぶ[同じく右下の部分]。(4)「規範的権威の諸源泉」の意義をシンボライ ズしカテゴライズするためには、そのシステムへの包摂に依存しない特性をもつものとしての、諸客体の普遍主義的定義を、非限定的な (diffuse)関心の基礎と組み合わせ、その結果、問題の意味が志向する行為者と環境の間の揺れ動く関係に依存して取り扱われえないよう にする必要がある。これをわれわれは「実存的解釈(existential interpretation)」とよぶ[同じく左下の部分]。 p.25 9-5 Parsons の解決—行為の環境への適応の問題(補充)
  • 28. (1) In order to symbolize the adaptive signi fi cance of objects in475the environment of an action system (for example, to “understand” them cognitively),it is necessary to categorize them in terms of what actually or potentially they “do” (performance), and to orient to them with affective neutrality, that is, independently of their potentialities for gratifying the actor.This “pattern” is de fi ned as a condition for stability of an orientation to the external environment which can maximize “‘objective”understanding of the objects comprising it; adopting a term from personality analysis we may term the pattern empirical “cognitive symbolization.” (2) In order to symbolize and categorize objects that are external to the system according to their signi fi cance for goal-attainment, it is necessary to focus their possible meaning on speci fi c bases of interest or “motivation”(speci fi city), and on their potential “belongingness” in a system of meanings which also de fi nes the system of action (particularism).This we call “expressive symbolization,”’ the generalization of particularistic meanings to a universalistic level of signi fi cance. (3) In order to symbolize and categorize the signi fi cance of norms that are external to the system, it is necessary to treat them as aspects of an objectively “given” state of affairs or“order” (quality), and to treat them with affectivity—that is, the actor cannot be emotionally indifferent to whether or not he feels committed to the norms in question. This we name “moral-evaluative categorization.” (4)In order to symbolize and categorize the signi fi cance of “sources of normative authority,” it is necessary to combine a universalistic de fi nition of the object, as having properties not dependent on its inclusion in the system, with a diffuse basis of interest, so that the meaning in question cannot be treated as contingent on the fl uctuating relations between the orienting actor and the environment. This we call “existential interpretation.” p.25 9-5 Parsons の解決—行為の環境への適応の問題(補充) Parsons 1960, p.475.
  • 29. Parsons は、これらの解決は、その緊急諸条件への、そのシステムの「適応」なの だ という。システムの行為は、この緊 急諸条件と「うまく折り合いをつけること(coming to terms with)」と考えよ。この適応、またはうまく折り合いをつける ことは、いかに記述 で きる だ ろうか。支配的な概念はこれらの緊急諸条件をシステムの様相の決定要因と定式化する が、Parsons は拒否する。例:文化の生物学的基礎について述 べ る教科書。経済的、政治的、地理的、生物学的、領地的、 気候的決定論。「もちろんそれらはす べ て重要 だ 」というのは、つまらぬ自明の理だ。残されている問題は、行為者と 理論家 が これらの緊急諸条件に同一の仕方 で —すなわち、かれら自身の行為の諸条件の彼らの知識を通 じ て—出会うと いう事実を認めつつ、いかにこの重要性 が 理解される べ きか だ 。この問題は、自然的因果(naturalistic causation)の問題 で はなく、行為の諸帰結 が いかなるもの で あれそうなるための行為の諸戦術(strategies of action whereby the consequences of action are whatever they are)の問題 だ 。Parsons の解決は、これらの「諸対象」の意味を「シン ボ ライ ズ 」する行為者と いうもの だ 。つまり、行為者は、これらの緊急諸条件の知識を通 じ ての適応の「メカニ ズ ム」の仕方 で —すなわち、シ ステムの環境、すなわち、その行為のその還元不可能な基盤としての行為のシステムにとっての現実世界(the real world for the system of action as its irreducible grounds of action)のシン ボ リックな代理表象を通 じ て—のみ、これらの緊急諸条件 に出会うということ だ 。Parsons の行為者は、現実世界の知識を持たなけれ ば なら ず 、そして、かれ が それを述べること が で きるか ど うかにかかわら ず 、その処遇に指向しなけれ ば ならない。かれの行為 が それを示しているの だ 。 p.26 9-6 Gar fi nkel の解決—ゲームというモケイの利用 pp.200~201
  • 30. 10-1 この講義では、Gar fi nkel がParsons 理論、とりわけパターン変数枠組みの改良に協力するなかから、文化的自動人 形のメタファーと、ゲームという模造品の利用を通じて、EMの構想を発展、充実させていったかを、断片的ながら説明 した。  文化的自動人形は、Parsons 理論にも濃厚な、文化的決定論の拒絶を表現するものだ。  すくなくともParsons においてはその一面は、1940年代まで支配的であった文化人類学における文化的相対主義の拒絶 でもあった(これについては、研究に値する問題があります。これに対してEMは、より人類学的相対主義に受容的と感 じられます。)  ゲームというモケイの使用は、行為経路の、有能で、固有適合的な、観察と記述によって、置き換えられる。その典型 の一つは会話分析のプログラムと言える。 p.27 10 結論と展望
  • 31. 10-2 行為の時間的過程と行為経路の強調は、行為説明の現実性の要請とともに、Parsons にもかれなりの仕方で共有さ れていた(Parsons & Bales 1953)。しかし、この点を、Parsons を(一部は促しながら)さらに超えて推し進めたのは、 Gar fi nkel だった。  なおParsons は、EMに対して否定的な発言をしたとも伝えられ(Lidz 2009, p.59)、彼自身がコメントもあまりしてい ないが、シュッツとの往復書簡の回顧(ガーフィンケルに言及)はよく知られている。  その他に、1978年10月に関西学院大学に招待された際の見解がある。  そこでParsons は、1960年代以来の社会学について触れ、「3つの主要な別の考え方について語ることができ、・・そ れらは中心的[ウェーバー=デュルケム的]な伝統から逸脱しているものというりは若干考えを異にするもの」として、ネオ マルクス主義、新実証主義とともに、現象学運動をあげ、シュッツの名とともにガーフィンケルの名を挙げて、「大切な 点はこれが日常生活の研究に強い関心を示している」と述べている(パーソンズ(中野秀一郎訳) 1979)。  このエピソードは、Parsons がGar fi nkelのEMに晩年にいたるまで強く注目していたことを示唆する。   本講義では、以上のいくつかの意味で、Gar fi nkel のEMは、Parsons 社会学の発展であるといえるということを述べ た。 p.28 10 結論と展望(続)
  • 32. ガーフィンケルを読む II EMCA研究会 古典読解講義 Part I. 序論 2021.11.27 “What is Ethnomethodology?,” Chapter I of Studies in Ethnomethodology. (1967): 1-34.
  • 33. 1-1 EMCA研究実践の再発見・再確認 p.1 1 Gar fi nkel (1967) Chapter 1を読む理由 (1) Gar fi nkel (1967) Chapter 1はEMのもっとも「権威ある」教示の一つ (2) Gar fi nkel (1967) Chapter 1の読解を通じて、EMの一つの解釈を提示する —EMの独特性を理解することも大事 (3) EMの「定義」:「日常生活を『行為者の観点から』観察可能にする独特の一方法」 1967年の時点で、EMは何を指示対象としていたか? What was EM as of 1967 ? なぜそう言えるか?EMはどんなゲームなのか?何が得られるのか? Why so? What for? What’s the reward? 1-2 問いの焦点—What, How, and Why の問い アイロニカルな解釈方法について(省略) 日常生活を「行為者の観点から」観察可能にする方法の実践的要点 エスノメソドロジストの避けるべきエラー(省略) 1-3 EM研究への教示または諸方針をどのように実践すべきか? How to practice EM studies?
  • 34. p.2 1-3 実践的行為の 解(Glosses)としてのEMの用語集(表1) ACTION系の用語 ENVIRONMENT系の用語 Treatments of Objects(諸客体の処遇) Practical Circumstances(実践的諸環境) Methods(諸方法) Accomplishments(諸達成) Competencies(諸能力) Members(メンバーたち) Indexicality(指標性) Reflexivity(相互反映性) Glosses( 解) Natural Language(自然言語) Formulating(定式化) Settings(場面) Accountability(アカウンタビリティ) Organization of Events(諸事象の組織化) 表1:EMの用語集
  • 35. p.3 1-4 目次 1 Gar fi nkel (1967) Chapter 1を読む理由 2 Gar fi nkel (1967) Chapter 1 の内容 3 文献一覧 4 Gloss と言語ゲーム 5 Schutz 社会学と文化の発見 7-1 Gar fi nkel (1967) の3つの例示の要点 7-2 日常生活を「行為者の観点から」観察可能にする方法 Part I. 序論 Part II. エスノメソドロジーの方法的基盤 Part III. EMの研究方針とその実践
  • 36. p.4 2 Gar fi nkel (1967) Chapter 1 の内容 2-1 宣言 2-2 方法と結果の両義性 2-3 歴史的法則の緩さ(”looseness” of historical law) 2-4 メンバーのアカウントの「緩い」性質 2-5 「進行中の、実践的達成としての実践的行為の合理的アカウンタビリティ」の3つの本質構成的様相 2-6 3つの例示 2-7 EMの研究方針 2-6–1 検死官の手続 2-6–2 データのコーディング実践 2-6–3 日常生活におけるいわゆる共通理解
  • 37. p.5 2-1 宣言 本書の諸研究は The following studies seek t o [1] 実践的諸活動、実践的諸環境、実践的社会学的推論を、経験的研究のトピックとして扱うこと、 [1] treat practical activities, practical circumstances, and practical sociological reasoning as topics of empirical study, [2] 日々の生活のきわめてどこにもある諸活動に、異例な(extraordinary)事象に普通は(usually)与えられる注意を払うこと によって、それら自身の資格での現象として、それらについて学ぼうとするものだ [2] and by paying to the most commonplace activities of daily life the attention usually accorded extraordinary events, seek to learn about them as phenomena in their own right. [3] これらの諸研究の中心的勧告は、組織された日常的な事態(organized everyday affairs)の場面(settings)を産出し管理す る、メンバーの活動が、それらの場面を「<アカウント-可能>(”account-able”)」にするメンバーの手続きと同一のものだ ということである。 [3] Their central recommendation is that the activities whereby members produce and manage settings of organized everyday affairs are identical with members’ procedures for making those settings “account-able.” (What is, p.1)
  • 38. p.6 2-2 方法と結果の両義性 素人であれ専門家であれ、社会学を行う人々の用いる実践的諸活動を観察可能にする諸方法と諸結果のある構造的 に両義的な様相は・・・ Some structurally equivocal features of the methods and results by persons doing sociology, lay and professional, of making practical activities observable … 日常的諸活動のメンバーによるアカウント(members’ accounts of everyday activities)が、比較可能な諸機会を見つけ、わ かり、分析し、分類し、認識可能にし、あるいはその中で自らの道を見出すための指示(prescriptions)として用いられ るとき、それらの指示は、かれらによれば、<擬似法則的(law-like)>であって、時間空間的に制約され、かつ「ゆる い(”loose”)」。「ゆるい」という意味は、それらのアカウントが意図的にその論理的形式において「その内容が完全 にまたはすべて明細にする(spell out)ことがしばしばできないようなしかたで、諸条件の本質」に依存するということ だ。 (What is, p.2) 2-3 歴史的法則の緩さ(looseness of historical law) 歴史的法則のゆるさの一帰結は、それらが普遍的でなく、単に擬似一般的で(quasi-general)あるにすぎないこと—それ らが諸例外を許すこと—である。その法則の適用の領域を限定する条件がしばしば明細化されないので、その法則の違 反と見られるものも、その事例において、その法則の適用可能性の、正当だが、いまだに定式化されていない、前提条 件が満たされていないことを示すことで、説明可能になるのである。* a. b. c. (What is, p.2) (Olaf Helmer & Nicholas Rescher (1958) On the Epistemology of the Inexact Sciences. Rand.) * 樫村志郎(2016) 「アカウントの社会学的解釈—Florian Znaniecki の社会学方法論を手掛かりにして—」『振る舞いとしての法』法律文化社: 3-25.
  • 39. p.7 2-4 メンバーのアカウントの「緩い」性質 アカウントの『認識可能な』意味、あるいは事実、または方法的特徴、または非人格性、あるいは客観性は、それ らの使用の社会的に組織された機会から独立的ではない。それらの合理的諸様相は、この社会的に組織された実際 のそれらの使用機会において、メンバーがそれをどう扱うか、それをどう『理解する』かにより成立する。・・・ メンバーのアカウントに見出されるべき合理的様相は、社会的に組織されたその使用機会(socially organized occasions of their use)に、状況内在的かつ本質的に(re fl exively and essentially)結びついている(tied)のである。と いうのは、それらの様相は、社会的に組織されたその使用機会の様相であるからだ。 進行中の、実践的達成としての実践的行為の合理的アカウンタビリティ・・・の3つの本質構成的、問題的現象を検 討することで、このトピックを特定化したい。実践的行為と実践的推論の研究がかかわるところではどこでも、それ ら[実践的行為と実践的推論]はつぎのものから成り立つ — (1) インデクシカル表現と客観的(文脈から自由な)表現の区別および前者の後者による代替可能性が、実行不可能 なプログラムであること、 (2) 実践的行為のアカウントの本質的リフレクシヴィティが「興味を惹かない」ものだということ、 (3) <コンテクストの中の行為>は実践的達成として分析可能であること。 (What is, p.3) 2-5 3つの本質構成的様相 d. e. (What is, pp.9-10) (What is, pp.7-9) (What is, pp.4-7)
  • 40. p.8 2-6 3つの例示(インデクシカリティの修復不可能性・レフレクシヴィティの目立たなさ・状況の中の行為) 2-6–1 検死官の手続—不可避的に組織的実践的なアカウント作成 (What is, p.17) 2-6–2 データのコーディング実践—アドホックすること 2-6–3 日常生活におけるいわゆる共通理解 SPCの調査は、検死官が死の様式に関して両義的だとする死から始まる。その死をかれらは一つの先行条件(a precedent )として、 その死によって終了したかもしれない社会における生のさまざまなあり方を探索し、「遺物の中に」読む。 コーダーが、かれがそのアカウントを与えようとする編成(arrangements)の能力あるメンバーの「立場(position)」をとるので、 かれは、フォルダの現在的内容の中に「そのシステムを見る(”see the system”)」ことができる。これをかれが達成するのは、< 英語のなかの単語>としてある発話を認識するために英語の用法の秩序あるやり方をしらなければならないことや、<あるゲームに おける動き>を理解するためにあるゲームのルールを知らなければならないこと—ある発話をや盤上の動きを理解する別のやり方が いつでも想像可能であるという条件で—と同じようなやり方によってだ。 言われたことを認識することは、ある人がいかに話すことかを認識することだ—たとえば、この妻が「あなたのローファーは新しい 踵をつけるべきだ」と言うことで、物語的に、また隠喩的に、または婉曲的に、あるいはごまかして話していると認識することだ。 [だから] かれらがつまづいたのは、ひとがいかに話しているかの問題、あるひとの話しの方法を記述するという課題が、そのひとが 言ったことが、意味の一貫性、両立可能性、そして整合性を挙証する(demonstrate)ルールに従っていると示すことと同じでない、 という事実だ。 (What is, p.23) (What is, p.30)
  • 41. p.10 3 文献一覧(1960-1963): 青字は略称 [1] "The Rational Properties of Scientific and Common Sense Activities." Behavioral Science vol. 5(1): 72-83 (January, 1960). [2] “Notes on Language Games as a Source of Methods for Studying the Formal Properties of Linguistic Events,” European Journal of Social Theory 2019 (written in 1960), Vol. 22(2) 148–174. →[3], [4],[5] [Language Games] [3]“The Program of Ethnomethodology” (Talk, 10/16/1961), A.W. Rawls (Ed.), Harold Garfinkel: Parsons’Primer, 327- 338.[Program] [4] "A Conception of, and Experiments with, 'Trust' as a Condition of Stable Concerted Actions" In O.J. Harvey ed. Motivation and Social Interaction (New York: Ronald Press. 1963): 187-238. (a paper presented at symposium on "Social Self" (University of Colorado & The Group Psychology Branch of Office of Naval Research(ONR) (University of Colorado, Oct. 7-9, 1961) . [Trust] [5] “Common sense knowledge of social structures: the documentary method of interpretation in lay and professional fact finding.” In: Scher J M (ed.) Theories of Mind. Glencoe, IL: Free Press, pp. 689-712.(1962) (Presumably, a Paper presented at World Affairs Conference at University of Colorado 1961) [Documentary Method] [6, 7]”Mocking Up the Rules of Everyday Activities,”& "Reasonable Accounts" April 11 & 12, 1963.talks on "Reasonable Accounts" at The Sixteenth Annual Conference on World Affairs, University of Colorado. (By invitation from E. Rose.)—(Participants: Bittner, Garfinkel, Sacks , Rose) * [8] “Parsons' Solution of the Problem of Social Order as a Method for Making Everyday Activities Observable ‘From the Point of View of the Actor’." (Chapter IV "Adequate Description of Social Structures" of Parsons Primer: Ad-Hoc Uses, pp. 121-179. (Dated, 2/8/1963)[Solution] 1960 1961 1963 → → → → * 参照、樫村「社会構造の産出—エスノメソドロジーの生成と社会秩序の問題」『法の経験的社会科学の確立に向けて』信山社,2019: 439-464 →
  • 42. p.11 [9] "Studies of the Routine Grounds of Everyday Activities" Social Problems vol. 11(1964) :225-250. [10] “Remarks on Ethnomethodology”. In: Gumperz, John J. & Hymes, Dell. Directions in Sociolinguistics. New York: Holt, Rinehart and Winston. p. 301-324. (1972). (Presumably, "Remarks on Ethnomethodology", a paper presented to the Methodology Section of ASA meeting. 1965 (Source: Procedings of Purdue symposium p.v, p.1). → [11], [12] [Remarks] [11] “The Origin of the Term ‘Ethnomethodology’.” In Roy Turner (ed.) Ethnomethodology, (Penguin): 15-18 (Talk at The Purdue Symposium on Ethnomethodology, April 7-8 1967 .) [12] "Practical Sociological Reasoning: Some Features in the Work of the Los Angeles Suicide Prevention Center", In E. Schneidman (ed.) Essays in Self- Destruction. Science House Inc.: 171-187.→[12] [Practical] [13]“What is Ethnomethodology?” Studies in Ethnomethodology Prentice-Hall (1967): 1- 34. [What is] [14] Garfinkel & Sacks "On 'Setting' in Conversation" (Invited presentation of a joint paper reporting their work on language" The San Francisco Annual Meetings of American Sociological Association, Section on Sociolinguistics, August 31, 1967) . →[14][Setting] 1964 1965 1967 1969 [15] Garfinkel & Sacks "On Formal Structures of Practical Actions," in Theoretical Sociology: Perspectives and Developments, John C. McKinney & Edward Tiryakian (eds.), Appleton-Century-Crofts.(1969) [Formal Structures] [16] Final Report: Decision Making and Practical Action. (Principal Investigators: Harold Garfinkel(UCLA), Harvey Sacks (U.C. Irvine) & Lindsey Churchill(Russell Sage)) ,p.1-p.14 (as of November 30, 1969, )(Garfinkel Papers Archive, at Young Library UCLA) → 3 文献一覧(1964-1969) → → → →
  • 43. ガーフィンケルを読む II EMCA研究会 古典読解講義 Part II. エスノメソドロジーの基礎 2021.11.27 “What is Ethnomethodology?,” Chapter I of Studies in Ethnomethodology. (1967): 1-34.
  • 44. p.12 4 解(Gloss) と言語ゲーム Yesterday I fi nished a paper titled ‘Common Sense Knowledge of Social Structures: I. The Documentary Method of Interpretation”. I shall submit it to AJS or ASR … The paper is the fi rst of a series of six which lead up to the program of ethnoscience as a way of formulating and solving the problem of literal description of social reality, i.e. the evidence problem in sociology. The fi rst paper formulates the thing we are up against i.e. the work of documenting and the fact that this occurs in common sense situations of choice, both of which describe innumerable situations of actual sociological inquiry, lay and professional, whereas prevailing discussions and text suppress these features by the idealization ((some expressions deleted by x)) that adequate evidence is the product of rules of procedure employed in calculable situations of choice . I started to write the combined paper, The Problem of Literal Description of Social Reality and the Program of Ethnoscience”. Yesterday I bought all of Wittgenstein’s stuff and began to read. I must now delay the statement of the ethnoscience program except in gross characterization. Wittgenstein permits me to get into marvelous details, but they consist of enumerated remarks which I shall not be able to formulate under the auspices of a uni fi ed program by the time of the meetings even if I thought it was a wise thing to do, which I don’t. Wittgenstein’s stuff is touching off a fl ow of fresh and interesting thoughts and I want to keep it going.” --[Late March 1960. Gar fi nkel participated the panel on “Social Reality” at the World Affairs Conference at University of Colorado.] 4-2-1 [March 11, 1960 Gar fi nkel wrote in a letter to Ed Rose, Gar fi nkelが示唆しているWittgenstein の著作は、Gar fi nkel (1961) によれば主としてつぎのものと思われる。 Wittgenstein L (1953) Philosophical Investigations (translated by G. E. M. Anscombe). Oxford: Blackwell . Wittgenstein L (1958) The Blue and Brown Books. Oxford: Blackwell .
  • 45. p.13 (Language Games, pp.149-150) a. この論文が主として言語的事象にかかわるということは、まったく選好的手続きの問題にすぎない。この選択は、言語的事象が原 型的な文化的事象だということによる。二者の本質的様相は一対一の対応にたつ。言語的事象についてなりたつことは、より一般的 に文化的事象についてなりたつことになる。この論文では、その関連する対応を指摘していくことにする。 b.「適合的認識」(”adequate recognition”)の問題:主張(claims)と挙証(demonstrations)の間の離隔—そうしたいくつかの離隔は、 私の論文「社会構造の常識的知識—解釈の証拠的方法」(Gar fi nkel 1963b)で記述された。その主旨はつぎのことだ— [3] 文化的事象は、本質的に<規範的秩序のなかの諸事象>だということ、それらの生起は、このことによって、ひとびとが、行動の 格率(maxims of conduct)の組としてこの規範的秩序に服従しようとする可能性に本質的に依存し、 [4] また、そのような事象の文字通りの記述は、研究の対象たるそのコミュニティの、同時に一人のメンバーであり、かつ研究者でも あるような観察者がいなければならないこと [1] 人間行動の事象を記述するという課題に関する限り、文字通りの記述はまれだ。その代わりに、人々の証拠立てられた (documeneted)代理表象が見出され、そのような代理表象は、解釈の証拠的方法により達成され、 [2]そして、そのワークは私が「常識的選択状況(Common sense situations of choice)」として記述した、探究の状況で実行され、そし て、そのような諸結果は探究者により「相当な知見(reasonable fi ndings)」と呼ばれる。 4-2-2 言われたことから語られたものを知る—証拠的方法の記述と代替的記述 4 解(Gloss) と言語ゲーム
  • 46. p.14 (Language Games, pp.152-153) 4-2-3 社会構造としての「言語的秩序」の記述の代替的方法としての「言語ゲーム」 4 解(Gloss) と言語ゲーム d. 「社会における言語」のいかなる理論も、一つの「解決」を代表している。われわれが使用するその解決は、二つの定理で述べう る。 1. 現在的または観察された言語的事象の画一性、すなわち現在的画一性—それらが「発話事象」または「意味」のどちらの画一性で あるにせよ—は、一つの正当的秩序としてのその言語を構成する、使用の制度化された諸可能性から成り立つ。Wittgenstein の言葉で は、言語は意図された可能な使用の範型である—すなわち、言語は一つの正当的秩序である。 2. 言語的諸構造の安定的様相は、一つの正当的秩序としての、すなわち意図された使用の範型としての(Wittgenstein参照)言語への 動機づけられた同調によって保障される。 e. まとめて考えると、これらの定理はつぎのことになる—社会学的観察者の(言語学者とも考えよ)記述の文字通りの記述という現 実的性質、およびその可能性は、つぎのものに依存し、また決定される—それは、言語使用者にとっての、意図された使用の範型と しての正当的秩序としての言語の存在である。またそれは、次の可能性—かれらの言語的産出の中で使用者たちは、かれらの言語的 行動の格率としてこの範型への同調へと動機づけられていること—に依存する。構造的言語学の課題は、この範型の発見だ。使用者 の社会の中の使用法(usages)を効果的に再産出する方法を使用者から学習することというエスノサイエンスの準則(rule)は、この 発見の達成のための手続きの中心問題の表明として理解されるべきだ。(参照、Ward Goodenough) (Language Games, p.152)
  • 47. p.15 4-2-4 使用の範型の発見 4 解(Gloss) と言語ゲーム (Language Games, p.152) Parsons’ solution consists of two theorems: (1) The real social structures consist of institutionalized patterns of normative culture. (2) The stable properties of the real social structures are guaranteed by motivated compliance to a legitimate order.4 (Parsons’Primer, p.115) これとともにいわゆるParsons の二つの定理の表現は、複雑になったことがわかる。 左右の表現を比較すると、これは主として「規範的構造」という概念が、Language Game 論文では「使用の範型」と いう概念に置き換えられていることによる。 1. Actual or observed uniformities of linguistic events — i.e. actual uniformities —whether they be uniformities of ‘speech events’ or ‘meanings’ — consist of institutionalized possibilities of usage which comprise the language as a legitimate order. In Wittgenstein’s phrase, the language is a paradigm of intended possible usage, i.e. language is a legitimate order . 2. The stable features of linguistic structures are guaranteed by motivated compliance to the language as a legitimate order, i.e. as a paradigm of intended usag e (cf. Wittgenstein).'°
  • 48. p.16 f. [景観的参照(Scenic reference)]—私は理論家の決定としてつぎのようにいうことにする—文化的諸事象は完全にまた一重に、 人の「行動的環境」の中の事象である。そのような諸環境は、テーブル、諸神、淡水湖、塩水魚などから成り立ち、そのメンバ ーは貨幣、タバコ、等々について語っている。そこには脳しか見出されないから、頭蓋の中を見る理由はない。あらゆる文化的 事象は行為者に関する景観的参照(scenic reference)を与えられる—なぜなら、エスノサイエンスのプログラムそれ自体の前想 定により、それらはかれの行為の諸客体だ(they are objects of his actions)からだ。・・・問いは、その人にとって景観的な (scenic)「事象」について遂行される作用(operations)に向けられる。その人「現実に頭のなかにあるもの」は、なんであ れ、普通の言い方をすれば、「その人が直面するものごと」、「その人が対応するものごと」である。 g. [正常と知覚される環境(Perceivedly Normal Environment)]—一人の人が他者を「信頼する(’trusts’)」ということは、その人 がつぎのような仕方で—プレイの基礎的ルールの中で描出される事象の秩序(the order of events depicted in the basic rules of play)を、かれの行為を通じて産出するか、あるいはプレイの条件として尊重するように—行為しようとすることだ。 f. はGar fi nkel の一定理ともいうべきもので、理論的決定だ。これはJames Olds によるParsons 理論の大脳 生理学的参照と代替的な方向性として選択されていた(Parsons Primerで見た)。 g. は、いずれにせよ、信頼とは、規範的秩序のものとでの(認識や信念ではなく)行為だという意味。 上の表現から、Gar fi nkel は大まかに言ってParsons ないしParsons Primer によって設定される行為論的準拠 枠のもとでこの問題を定式化している部分がある。 4-2-4 使用の範型の発見—「景観的参照」と「正常と知覚される環境」 4 解(Gloss) と言語ゲーム (Language Games, p.153)
  • 49. p.17 社会秩序の諸条件についての今日の観念は、ルールが聖的にみなされる程度を、安定的社会秩序の決定的条件と共通して見ている。しかし、 事象の構成的特性がゲームに限定されないことがわかると、モーレス、フォークウェイズ、等々[諸ルール]に描出される可能な事象の諸画一 性は、集団メンバーが「だれでもわかる(’anyone can see’)」と想定する意図された行為の諸事例として、その観点から、行為者が、行動的 事例に注意を向ける、「より基盤的な(’more fundamental’)」前想定の集合を通じて、構成されると想定すべきことになる。 4-3-1このもとで、Trust 論文(1963) の議論は行われている。その一つの見通しはつぎのものだ。尊重されるのは「ルール」で はなく、「ゲーム」(正常なものと知覚される持続的状態)なのだということ。この所見はParsons とSchutz の視角の総合と 言える。 4-3-2 メンバーの方法としての 解(Glossing)—「何かについて言うこと= 解(glossing)」(=実践的言語使用)につ いての、表現における対応中心の言語(構造)観ではなく使用における対応中心の言語(構造)観がとられた。 解とい う視点は、現在的な現実的意味(ことばと現実の現在的対応性)を、ことばと現実の一般的対応性の想定を用いずに、理 解するという研究プログラムを表す。 たとえば、あなたが 解し(gloss)たいなら?きみがつぎのようにすればきみは 解している。より適切には、 解するには、 つぎのように行え—最初きみが他の人の言葉を知らないのときには、きみの言葉の中の、君がそこでのその意味を知っている語 を、相手がその語をもちいるときにかれが意味したいことを意味するために用いよ。二つの語をそれらの使用上の代替可能性に ついて対応するようにして、君の語を文法的に正しく使う機会が、同時に相手方の語を正しく使用する機会であるように用い よ。きみの語の意味を、相手方がかれの語で意味することが「なんであれ」その観点から、解釈せよ。その際、この観点は、つ ぎのような基礎的秩序化—相手方の「何にせよ」の特定において、かれの語がきみの言葉のその語の代わりになるように、また そしてかれの用語法がそこできみの言葉のきみの語の用語法/意味にかかわらず、再産出されるような—の図式として用いよ。 この過程のどこでも、「相手がかれの語で意味するいかなること」によりきみの語を定義させるようにせよ。この手続きは、き みの語が現実に何を意味するかを定義する。 4 解(Gloss) と言語ゲーム—まとめ (Language Games, p.162) (Language Games, p.164)
  • 50. p.18 Wittgenstein がいうかもしれないように、人は、印をつけ、記号化し、シンボル化、等々するとき、いかにするのか? 人が印をつけたとか、記号化したとか、シンボル化した等々のとき、その人は何をしてしまったのか?産物と過程は、 産物が、一つ一つ最終の段階として処遇されるプロセスの時間的継起のどの段階からも成り立つという仕方で関連づけ られている。・・・この路線の調査を進めるとき、われわれは、Wittgenstein (1958: 17) が「一般性への渇望」(’craving for generality’)として記述し、一連の虚偽の想定の基礎にたち、必要な研究を追求することを誰にも難しくしているも の、に直面する。 5-1 解(記号化等)は一般化ではない。それは具体性の中で言葉と現実を対応づける多様な実践を行う方法の一部 だ。 (Wittgenstein (1958), The Blue and Brown Books: p.17 (Language Games, p.166) “If we want to study the problems of truth and falsehood, of the agreement and disagreement of propositions with reality, of the nature of assertion, assumption, and question, we shall with great advantage look at primitive forms of language in which these forms of thinking appear without the confusing background of highly complicated processes of thought….We see that we can build up the complicated forms from the primitive ones by gradually adding new forms.“ Now what makes it dif fi cult for us to take this line of investigation is our craving for generality. “ 我々が、真や偽の問題、諸命題と現実との一致不一致の問題、肯定、仮定、問いの本性の問題を研究しようとするなら、 言語の原初的諸形式を見ることがおおいに役に立つだろう。そこでは、これらの思考形式が、高度に複雑な思考過程の 背景によって混乱させられることなく現れているからだ。・・・この原初的形式に少しづつ新形式を付け加えていくこと で、原初的なものから複雑な諸形態を組み上げていくことができよう。ところで、この方向での研究を進めることを困難 にしているのは、われわれが一般性への渇望をもつからだ。 5 一般化しない研究プログラム 5-2 単純形から複雑形へ
  • 51. p.19 5-3 Indexicality: No Need for Remedy: Settings われわれは、欠陥のある仕方で進んでいる人々がいると言っているのではない。われわれが言っているのは、人々が、かれらの会 話やその他の通常的諸活動の経過の中で、ある秩序ある仕方で振舞うためには、そこにつぎのような一組の事物—かれらがいつで も、たとえば、かれらの役割関係を定式化でき、それらの諸帰結に体系的に述べることができること—が含まれていなければなら ないということを想定するべきでないということだ。・・・ (2)インデクシカル語はすくなくとも「場面」の観念をめぐるインデクシカル語は、諸困難からの救済を必要としないことを見た。 その代わりに「場面」は、それを利用可能にする一つの組織化、すなわち「機構」をもっていた。「場面」とその用語の集成だけ が救済を必要としないのではない。われわれは、用語の修復されるべきだと主張される様相が、圧倒的にどこにもあることを見 た。そういうわけで、それらのどれも救済を必要としないという事実を認める必要がある。・・・このすべてから、われわれは、 あなたがたの誰もが必要としているが、誰も求めていない助言を与える。あなたが次にインデクシカル表現に出会ったなら、それ らを急いで除去したり修復したりせず、その代わりに、それらが何をしているのか?と問いなさい。ユダヤ人と同じように、かれ らは200年にわたる批判、改宗、その他の修復の働きかけを生き延びてきた。かれらは何かをもっているにちがいない。 インデクシカリティは、ひとびとが「場面 setting」を使用するための方法が必然的にもつ性質である。そして、 われわれは、あらゆる瞬間に「場面の中にいる。」したがって、それはいつも利用されているのであり、「背景 としての社会組織」をひとびとが文化的に有能な仕方で取り扱うために、不可避的な方法的性質をもつと想定で きる。 つぎの所見は、Setting 論文(Gar fi nkel & Sacks (1967) “On ‘Setting’ of Conversation” )の末尾にある。そしてそれは、 Gar fi nkel が一般化しないというこの路線の研究を続けようとしていたことを示している。(末尾の部分は、本論文を 拡張した、Formal Structures 論文 にはない。) (Setting, pp. 17-19) 5 一般化しない研究プログラム
  • 52. ガーフィンケルを読む II EMCA研究会 古典読解講義 Part II. エスノメソドロジーの基礎(続) 2021.11.27 “What is Ethnomethodology?,” Chapter I of Studies in Ethnomethodology. (1967): 1-34. Part III. エスノメソドロジーの実践
  • 53. p.20 6 文化の発見 a. Schutz (1945b) が指摘しているように、それらを審査するには、「特別の動機」が必要である。その場面(setting) が制度的 に規制され、またルーティン化されていればいるほど、「相手方と共に知られている」それらの様相は当然のものとして受け入 れられている。こうして、そのような様相は、この論文の目的にとってだけでなく、社会学的探求一般にしても重要である。と いうのも、社会学的研究の永遠の課題は、人々が、自覚せずに、それでもある<要求された>様相として反応するような、かれ らの状況の様相を見いだし、定義することだからである。・・・日常生活の態度は、人の知覚された環境に、共通に知られる 社会的現実の環境としてのその定義を与える。社会学者は、この環境を、「共通文化」という用語で、 解する (gloss) 。日 常生活の態度は、実践的日常生活の組織化と「内側から from within 」見られたものとしての社会の作用の、制度化された共通 理解にとって本質構成的である。その前想定の変容は、それによって、社会の成員の現実の環境を変容させる。そのような変容 は、現実の対象の一つの社会的に定義された環境を、現実の対象の別の環境へと変換する。 文化は「場面」となっている状態(実践的環境)として必要に応じた「 釈」実践のなかで経験的に作用してい るのが発見される。 文化は、Trust 論文 において、構成的期待により構築される知識体系=常識としてテクニカルな意味を与えられ ていた。それは「場面(setting)」とよばれていた。この用語法は、Gar fi nkel & Sacks の共著論文(1967,1969)に 受け継がれていると見られる。 ここでいう「文化」は、Thomas (& Znaniecki )の社会学で、「状況の定義」とよばれていたものの一つの解釈だろ う。 6-1 「信頼」論文における文化の概念—基盤(場面)として (Trust, p.216)
  • 54. p.21 6 文化の発見 第4の変容は、人類学者と社会学者による「文化の発見」である。この発見は、社会的構造の常識的知識の、 社会の内側からの発見であり、また、常識的行為と常識的知識をひとえに理論的な社会科学的関心の対象とし て取り扱う努力からなる。常識的行為の態度と対象の変容は、社会学者が、それによって常識的態度、行為お よび社会構造の知識が社会学的理論の管轄のもとに、それらの本質的様相の定義として持ち込まれるような手 続を、態度と方法の中に、提供しようという試みの中で探索される。かれらの理念において、おそらく実際の 実践においてはそうなっていないか、まだそうなっていないが、社会学者はそれによって「現実の社会構造」 の歴史的に新しく前例のない定義を発見しようと言う課題に着手したのである。常識的活動と環境が同時に主 題であるとともに社会学的探求の様相であるという点で、社会学の態度と方法を常識の態度と方法の可能な変 容—「文化の発見」—として記述するという関心は、知識の社会学の諸問題を再構築し、社会学的活動の中心 にそれらを位置づけ、そして全くの真剣さで取り扱う。 6-2 Gar fi nkel は文化の発見を、人類学と社会学の成果として、受容している。EMは、人類学と社会学が発見した 文化を、真剣に記述するという実践と言える。 (Trust, p.236)
  • 55. p.22 6 文化の発見 c. メンバーの手続ルールは、かれにとって、「正しい推測」、「正しい証拠」、「正しい知見」等々の諸定義として役 立つ。かれがわれわれの注意を呼び起こす多くの手続ルールのなかで、かれがそのデータのなかの論理的に必要的な諸 関係をその点から決定し、かれがある議論が適合的になされたとかある推測がそこから必然的に出てくるとか、意味深 い一貫性や矛盾や反対のある挙証が正しく行われたと考える、現在的観点(the actual terms)として役立つなんらかの 集合を見出す。一言で言うと、かれが、かれの理論化の意味深さ(sensibility)をその観点から決定する、手続のそうし た諸ルールがあるだろう。・・・私は「解決」という語を機能的意味(functional sense)で用いる。問題は、ひとがこ れらの問題を解くのかどうかではなく、いかにそうするのかだ。かれが現在的に使用するのはどんな解決なのか? 6-3 [文化の不可避性] 現在的行為の説明を行う上で、文化は、「あるのか?」ではなく「いかにあるのか?」だけ が問題だ。それは基盤的だから、メンバーはそれを使用しなければなにもできない。今日でも多くの社会学者が 問いがちであるように、「文化なのか制度、権力、合理的選択なのか?」などの問いは無意味である。すでに 1961年にProgram 論文でかれはこう書いていた。 (Program, p.239)
  • 56. p.23 6 文化の発見 日常的諸事態(everyday affairs)の管理と統御のために、ひとびとは、科学的研究者のように、事実と空想、真実と虚 偽、推測、仮説、個人的意見等々の間の区別(the distinction)に関心をもつ。かれらは、かれらがそれについて語って いることがわかっているとか、かれらの諸環境をそれらが現実に何であるかをわかることについて、また、可能性とし てありうる多くのことのなかでそれらのさらなる推測や行為の根拠の適合性を認識することについて、科学者や科学哲 学者に助言を求めたりしない。・・・私は、一つの社会のメンバーたちのそのような方法論的諸関心を理論的社会学的 探求の諸対象としたく思う。私はそのような関心からの研究に言及するため「エスノメソドロジー」という語を用い る。「エスノ」という接頭辞は、そのような諸関心をわれわれの注意に固定するために役立つだろう。この接頭辞は、 「その日常的諸事態を管理し、折り合いをつけていく経路での、社会のメンバーの常識的諸関心の観点から見られた」 という意味である。 6-4 文化は、必然的に(われわれの文化世界がそうなっているから)、方法論的関心を本質的に含む。1961年に 行われたトークで、Gar fi nkel は、冒頭、こう述べた。 (Program, p.327)
  • 57. p.21 世界の異なった描写(portrayals)の存在を予想しなければならないし、ひとびとが推測と行為の正しい根拠と して取り扱うであろう、社会的構造の諸様相を措定する(propose)異なった知識集積(corpus of knowledge)の 存在を予想しなければならない。これらは社会のなかの生活の諸記述からなりたち、それらの中には、ある群 のメンバーたちが承認可能な根拠として用いるが、他の群のひとびとは、それを判断する機会が与えられると して、承認可能としないものがあるであろう(may)。この「であろう」が事実の多数の集まりがあると、そし てそれによって、多元的現実性(multiple realities)について警告しているとすれば、それは統一された現実と諸 科学の統一についても警告している。 6 アイロニカルな方法とその描写について ひとびとが想定し合う共通世界が、世界の一つの描写であり、文化的メンバーの達成だとすることは、EMの手続を、必然 的に、アイロニーの手続に接近させる。 EMはすぐれた「文字通りの描写」が(常識をくつがえす)アイロニカルな描写に類似する手続であることを認識すべき だ。 実際には、それを方法として利用することもできる。そうすると、多元的現実性の問題をより適切に扱えるだろう。 ただし、アイロニーを不発にすることが当然要求される。 それは、EMの諸概念が、EM研究者とEM利用者の双方の間で、方法的にされていなければ、達成されにくいだろう。
  • 58. p.26 7 エスノメソドロジストの避けるべきエラー エラーの型 症状 原因 EMによる救済 Etic-side Error 観察される詳細が場の認識さ れる合理性を回復しない 文化的認識とその能力の軽視・ 欠如 文化の特定を行いそれを理解する こと Emic-side Error 場の認識される合理性が方法 的詳細として説明されない メンバーの訓練された無能力 メンバーの実践的詳細を他の文化 メンバーにも理解可能な仕方で特 定すること EM/CA Dope 分析により何が認識されたの かが不明 実践的文化的問題意識の欠如 社会学的想像力を行使すること
  • 59. p.24 7 EMの研究方針とその実践 (What is, pp.31-34) (1)メンバーによる探求を対象とすること (2)メンバーは組織された編成のメンバーであること (3)メンバーによる実践の外側からの記述等という方針を拒絶すること (4)組織された社会的編成はそれを達成するメンバーの方法から成り立つこと (5)メンバーの探求は合理的諸特性の達成のための実践であること
  • 60. p.25 7-1 Gar fi nkel (1967) の3つの例示の要点 なぜなら、 [1] 共通理解というものは、解釈的ワークのある「内的」(”inner”)時間的経路を伴うのだが、必然的にある操作的構造をもつ。 [2] 分析者(the analyst)がその操作的構造を無視することは、まさにメンバーたちが、ひとびとが現実には何をしているのか、あ るいは現実には何「について語っているのか」をあきらかにしなければならないときに、使うまさに同じ方法で社会の常識的知識 を用いること、つまり、社会構造の常識的知識を探求の主題および資源の双方として用いることである。 [3] 別なやり方は、協調された諸行為の諸方法と共通理解の諸方法との研究に排他的優先性を与えることだ。理解のための一つの方 法ではなく、理解のきわめて多様な諸方法が、職業的社会学者によって、これまで研究されてこなかった、決定的な現象である。 その多数性は、ひとびとが話す方法の限りのないリスト・・・われわれが、印をつけること、ラベルを貼ること、象徴化するこ と、暗号文、類比、アナグラム、指し示すこと、ミニチュアをつくること、真似ること、模型をつくること、シミュレートするこ とに注意をむける—要するに、一定の文化的諸場面の「内部」(”within”)からそれらの秩序あるあり方(the orderly ways of cultural settings from “within” these settings)を、認識し、使用し、産出する—場合に、社会的に入手可能な多数の記号関数の 解 (socially available glosses of a multitde of sign functions)のなかにおこっている(occur in)のである。 日常的行為(例えば、日常的会話、コーディングされるべき出来事、死の諸態様)の意味を「あきらかにしなさい」と求 めることは、その意味を「見て取れるように教示する」よう求めることだ。しかし、それは、日常会話を内側から認 識、使用、産出する秩序ある多数のやり方を<文字通りに>描写することではない。 7 EMの研究方針とその実践 (What is, p.31)
  • 61. p.26 Gar fi nkel はかれの「日常会話の意味の定式化」の実験の意味を以上のように結論した。(図1, 図2 参照。) 私は、かれらに、当事者たちが話すときに用いた方法を、当事者がそれについて話したことを話すために従われるべき手続 ルールを、状況、想像、展開のあらゆる緊急性に耐えうるようなルールとして、定式化するよう求めたのだ。私は、かれら に、当事者たちの話す諸方法を、それらの諸方法が、その方法を指示可能な事柄として定式化するような手続のルールに厳 密に従いつつ、諸行為と同型的であったかのように、記述することを求めたのだ。 図1: Normative Practical Action 図2: Speaking English Recognizably 話すこと 話される客体 手続ルールにしたが っていること 当事者が話す仕方の 認識可能性 = Action Object 話すこと 英語の単語 その単語が英語に属す ることを示すルール 英語の秩序ある話し 方 = Action Object 7-2 日常生活を「行為者の観点から」観察可能にする(描写する)方法 7 EMの研究方針とその実践 (What is, p.30)
  • 62. p.27 図1: Normative Practical Action 図2: Speaking English Recognizably 話すこと 話される客体 手続ルールにしたが っていること 当事者が話す仕方の 認識可能性 = Action Object 話すこと 英語の単語 その単語が英語に属す ることを示すルール 英語の秩序ある話し 方 = Action Object 組織された社会的編成 メンバーの探求 メンバーの探求 エスノサイエンス エスノメソドロジー 7-2 日常生活を「行為者の観点から」観察可能にする(描写する)方法 7 EMの研究方針とその実践
  • 63. p.28 [科学の方法論の定式化では] 歴史的再構築と非常ににた仕方で、アカウントの初めにおいて、手続的段階がそこにむけて不 可避的に進んでいく事象として、結末が知られている。エスノメソドロジストは、その代わりに、その結末が、それぞれの 当面の事態に対しての現在的操作の経路を通じて、せいぜい到来すると予期された可能な未来からなりたつとき、時間的に 拡張される[それぞれの]つぎの諸段階を通じての、<それがいかになされるか>(how-it-is-done)を記述しようとする。 7-2-1 その描写は、実践的行為(者)の経験する、未確定性と合理性をもつ、現在的時間経験に即することが必要 だ。[ =手続(方法論)の対照的イメージ] 現在的諸手続とそれらの現在的諸手続の現在的諸結果の双方の記述のために、良い手続の諸ルールと適合的な答えの諸基準 にかんするわれわれの諸知見の記述にあたっては、探求者の環境の「内部で」(”within”)、その環境に折り合いをつける 関心にもとづいてその環境を段階を踏んで管理する経路を通じて、生じる、諸手続と諸結果にもっぱらの注意を向けなけれ ばならない。 7-2-2 その描写は、また、実践的行為(者)が不可避的に巻き込まれている、文化的に有意味な、現在的環境の 諸客体とその処遇に即することが必要だ。 7 EMの研究方針とその実践 7-2 日常生活を「行為者の観点から」観察可能にする(描写する)方法 (Program, p.333) (Program, p.334)
  • 64. p.29 エスノメソドロジストは、その探求者の諸結果の「妥当性」(”validity”)に関心をもたないということにはならない。この 手続的強調は、いかなる手続の結果についてもその「現実的」(”realistic”)性格についての問題を無視することは決してど んな形でもできない。社会学的手続の受容された諸結果の現実世界に対する問題的な対応性(the problematic correspondence)は、大いにエスノメソドロジストの関心対象だ。・・・社会学的調査者—素人のまたは職業的な—がわれ われの関心の対象であるところでは、この問題はつぎのように立てられる—これらのひとびとは、かれらが何について語っ ているかを知っており、かれらが何を見ていたのかを知っていることを決定するために、何を、かれらが他者とともに実際 に当然のこととしているものとして扱っているのか。この問題が生じる理由は、特性上、そしておそらく必然的に、社会学 者たちは、いま、ここの外見にかれらの記述を限定することがなく、また、そうするつもりもなく、もしかれらの記述に ついて、それらがルールに支配された諸行為の適合的記述であるべきだという要求を満たさなければならないとしたら、そ のように限定するわけにはいかないからである。私は記述的に語っているのであり、皮肉に語っているのではない。 7-2-3 その描写は、また、実践的行為(者)が、その資格において認められている現在的メンバーシップの諸要請 に即すること、その他の仕方で関連性をもつことを含んでいることが必要だ。 7-2-4 まとめると、EM的事物の描写には、持続的に達成されているものとしての「現実性」(認識的、評価的、道徳 的)への言及が必要だ。また、その描写には、EM研究にとって<おおまかに>可能な限りの理解可能性と明白性が必 要だ。 7 EMの研究方針とその実践 7-2 日常生活を「行為者の観点から」観察可能にする(描写する)方法 (Program, p.334)
  • 65. ガーフィンケルを読む III EMCA研究会 古典読解講義 2022.1.29 “The Central Claims of Ethnomethodology: Working Out Durkheim’s Aphorism.” Chapter 1 of Ethnomethodology’s Program: Working Out Durkheim’s Aphorism, 2002, pp. 91-120. Part I.
  • 66. p.1 1-1 背景1—1967年以後の Gar fi nkel とEM(1968-1974) April 7-8 The Purdue Symposium was held. (Gar fi nkel. Sacks, Sudnow, Rose, & Churchill attended representing Ethnomethodology.) (some two days in 1967 (Coulon 1995) )(Source: Final Report:Decision Making and Practical Action, 1969: 10) Sacks, Harvey (1967) "The search for help: no one to turn to", In E. Schneidman (ed.) Essays in Self-Destruction. Science House Inc.: 203–223.「救助の吟味:誰も頼れる人がいないこと」『自殺の病理—自己破壊行動』(上下2巻,大原健士郎=岩井寛=本間 修=小幡利江訳,岩崎学術出版社,上巻1971年,下巻1972年)上巻第II部第10章(190-209ページ) Sudnow, David (1967) Passing On: The Social Organization of Dying. (Englewood Cliffs, Prentice Hall). 『病院でつくられる死― 「死」と「死につつあること」の社会学』(岩田啓靖=山田富秋=志村哲郎訳,せりか書房,1992年) Bittner, Egon. 1967. The police on skid row: A study of peacekeeping. American Sociological Review, 32 (5): 699–715. Cicourel, A. V., The Social Organization of Juvenile Justice. John Wiley Schegloff, E. `Sequencing in Conversational Openings', American Anthropologist 70: 1075-1095 . November 30 FINAL REPORT: DECISION MAKING AND PRACTICAL ACTION Principal Investigators: Harold Gar fi nkel(UCLA), Harvey Sacks (U.C. Irvine) & Lindsey Churchill(Russell Sage),p.1-p.14 Douglas, J.D. ed., Understanding Everyday Life: Toward a Reconstruction of Sociological Knowledge. (London,Routledge and Kegan Paul.) 論文集 D. Sudnow (ed.), Studies in Social Interaction. New York: Free Press. 論文集 1967 1968 1969 1970 Wieder, D. L, Language and social reality. The Hague: Mouton. 1971 Turner (ed.), Ethnomethodology. Harmondsworth: Penguin 論文集 1974 Pepinsky,H.B. ed. People and Information (Gar fi nkel, Zimmerman が参加) 1967-68 (Sabbatical) Visiting Lecturer in Sociology, Laboratory in Social Psychiatry, Department of Psychiatry, Harvard Medical School. 1970-73 Visiting Professor, UC Irvine 1973 Simon Visiting Professor of Sociology, University of Manchester, England. 1967年の著書ののち、次世代のEM研究の単著、論文集が増加していく。Gar fi nkel はさまざまな大学で教えたり、会合に参加したりするように なる。次世代研究者の支援ともなっていたGrant が終了する。 Gar fi nkel’s appointment outside UCLA Events & Publications (より詳しくは、参照: https://sites.google.com/site/shirokashimura/em/em-steps-2)