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《計画と記録》
カナダとアラスカ極北の自然と歴
史を
鉄道と船で訪ねる一人旅
第4部(3): BC 州太平洋内水
路の
    フィヨルドを旅し、日
本人苦闘
    の歴史を知った(最後
の旅)
旅人 :沖原さん(川口市)
2005年6月22日~7月1
8日
•広大なカナダのオンタリオ以西の5州
とアラ   スカを訪ねる
•カナダの歴史(先住民族、毛皮貿易、
ゴール  ドラッシュ、鉄道建設の跡
等)を辺境の地   に尋ねる
•鉄道で行ける極北の未開の自然を味わ
う
•ゆったりとした大陸鉄道の旅情を味わ
う
•クロンダイク・ゴールドラッシュの山
越え
  ルートを、ユ-コンからフィヨル
ド海岸へ
  鉄道と船で辿る
移動距離: 鉄道 4,800km
   航路1800km、バス1200
km
    空路 ( カナダ国内 ) 5700k
2005 年カナダ旅行
最後の計画 の特徴と成果
こ の 旅 の 概 要
1.旅程の中で、山岳、森林、湖沼、峡
谷、島嶼、
氷河、野生動物などのウイルダーネス
溢れる
場所をできる限り訪れる。
2.北方先住民族の永い歴史と、ヨー
ロッパ人の
開拓の歴史を学びとれる場所を訪れ
る。
3.南アラスカとカナダ沿岸の美しい
フィヨルド
内水路沿岸を全区間クルーズする。
4.カナダの水運に関する歴史上重要な
3都市を
訪れる。この最後の旅で太平洋に開い
た重要
拠点・ Prince Rupert を訪ねる。
カナダとアラスカ極北の自然と歴
史を
鉄道と船で訪ねる一人旅
今回訪問す
る
三大水運拠
点
欧州へ
日本へ
2500
km
4500
km
ハリファッ
クス
スーセントマ
リー
チャーチ
ル
サンダーベ
イ
プリンスルパー
ト
ウイニペッ
グ
ヴァンクー
バー
カナダの と水運 鉄道輸送
カナダの主な先住民
族
アリュー
ト
(Aleut)
ユピック
(Yupik)
イヌイッ
ト
(Inuit)
インヌ
( Innu)クリー
( Cree)
平原ク
リー
西部ク
リー
チペワイアン
( Chipewyan)
ドグリブ
(Dogrib)
ナコダ
( Nakod
a)
ツティナ
( Tsuut’in
a)
トリンギッ
ト (Tlingit)
ハイダ
( Haid
a)
スレーヴィ
(Slavey)
オジブワ
(Ojibwa)
ツィムシャ
ン
(Tsimishian)
アメリカ大陸の先住民とは、コロン
ブスの到達以前から住んでいた諸民族
を指し First Nation と呼ばれている。
紀元前2万年以前の氷河期にユーラシ
アから移住したと考えられているが、
ヨーロッパ人との混血も進んでいる。
一般にイヌイットやアリュート族を
除
く民族をインディアンまたはインディ
オと
呼ぶ。
日
順
月 日
( 曜)
行 動 予 定
交通機関・
移動手段
移 動 距 離
( km )
移 動 時 間(定
刻)
( 赤字は時差あり )
観光目的・ポイント 宿 泊 地
第一部 鉄道で訪ねるオンタリオ州の開拓史と自然(別ページ)
1

6
6月22
日
6月27
日
成田出発→空路→トロントで乗換え、カナダの大穀倉地とセンタオローレンス河を結ぶカナダの重要水路の町スーセントマリーへ。
翌日閘門式運河などを見スーセントマリーで見て、アルゴマセントラル鉄道でハーストへ。車窓には、アガワキャニオン、アルゴ
マ原野。
翌日バスでコクレーンを訪問、白熊保護センター、開拓史資料館等などを見てから、「白熊特急」を使った現地ツアーでムース
ニーと
  ムースファクトリーの自然と開拓史訪問、「オンタリオ・ノースランド鉄道」でオンタリオ州原野の車窓に見ながらトロント
に戻る。
第2部 北極の海へ2泊3日、マニト バ の大広原を行く列車の旅(別ページ)  
7

10
6月28
日
7月1
日
トロント→(空路)→ウイニペッグ、街を少し散策して、ウイニペッグ観光チャーチル行き「ハドソン・ベイ号」乗車( 1 泊 2 日)
車窓からマニトバ州原野風景を堪能してチャーチル到着、チャーチルにて極北の地を味わう
チャーチル観光して空路→ウイニペッグへ戻り 1 泊
第3部 ロッキーのキッキングホース峠 を列車で越える(別ページ)
1
1

1
5
7月2日
  
7月6日
ウイニペッグ→(空路)→カルガリーへ飛び、知人宅に 3 泊、世界遺産バッファロジャンプを見学してから、カムループスへ
カムループスで 1 泊してから、「ロッキーマウンテニア号」列車によるキッキングホース峠越え、
更に、列窓からホワイトキャニオン、フレーザーキャニオンを楽しみつつ、ヴァンクーヴァーへ。
第4部(1) 辺境の鉄道と船で極北の自然とゴールドラッシュの歴史をたどる
1
6

1
8
7月7日

7月9日
ヴァンクーヴァー→(空路)→ユーコン準州ホワイトホースへ、 1 泊して、翌日観光、更にフレーザーで
バスから鉄道へ乗り継いで、米国アラスカ州スカグウェーへ。翌日鉄道でベネットレークへ行きハイキングの後、
スカグウェへ戻って宿泊。翌日のプリンス・ルパート行きの船に乗船予定。(宿泊地をヘインズに変更した。)
第4部(3): BC 州太平洋内水路のフィヨルドを旅し、日本人苦難
の歴史を知った
●6 月 22 日に日本を発ち、ここまで来
ました
日 付
(宿泊場所)
ホ テ ル 名 所 在 地 電 話
料 金
日本円概算
そ の 他
2
1
2
2
7月12日 ( 火
)
7月13日 ( 水
)
プリンスルパー
ト
Aleeda
Motel
900 3rd Ave.
West,
Prince Rupert,
BC V8J 1 M8
1-888-460-2023
250-627-1367
250-624-3132(Fax)
Alleda@citytel.net
CD$ 60 . 0
0
  +10 .
20
キャンセル:1日前迄
(354号室)
2
3
7月14日 ( 木
)
ポートハーディ
ー
Pioneer Inn
4965 Byng Rd.,
Port Hardy,
Vancouver Island, BC
250-949-7271
250-949-7334 ( Fax)
Canadapioneer@island.net
CD$ 85 .
00
   + 15
%
予約#137390
(19号室)
2
4
7月15日 ( 金
)
ダンカン
Sunflower
Inn B & B
3415 Glenora Road,
R.R. #3 Duncan,BC,
V9L 6 S2
250-748-7910
rrensing@telus.net
CD $ 75. 0
0
 (税・朝食
込)
(1号室)
2
5
7月16日 ( 土
)
Barclay
1348 Robson St.
Vancouver, V6E 1 C5
604-688-8850 ¥9 , 000 ホテル・ヴァウチャー
予約#94203
第4部(3): BC 州太平洋内水路のフィヨルドを旅し、日本人苦難の歴史を知った
日
順
月 日 ( 曜) 行 動 予 定
交通機関・
移動手段
移 動 距 離
( km )
移 動 時 間(定
刻) ( 赤字は時差
あり )
観光目的・ポイント 宿 泊 地
2
1
7月12日
(火)
プリンスルパート滞在 船 (AMH) 午前 0900 到着 史跡探訪
プリンスルパート
2
2
7月13日
(水)
プリンスルパート滞在 史跡探訪
2
3
7月14日
(木)
プリンスルパート
  →ポートハーディー
船( BC Ferry) 450
0730
2230→
カナダ沿岸
内水路の旅
ポートハーディー
2
4
7月15日
(金)
ポートハーディー
  →ダンカン
バス 約700 0900 1545→
(変更後)
ヴァンクーヴァー島を
バスで縦断(車窓風景 )
ダンカン
2
5
7月16日
(土)
ダンカン→ナナイモ
 →ヴァンクーヴァー
   (ホーシュベ
イ)
バス+フェリー 90
1500
1915→
ダンカン市内 ヴァンクーヴァー
2
6
7月17日
(日)
ヴァンクーヴァー AC- 003便 7500 1315→ (移 動) 機 中
2
7
7月18日
(月)
成田着 AC- 003便 ー 1 525 着 ー
宿泊
最後の 1 週間、日程概略
今日の移動予定
Juneau Prince Rupert 宿 泊
0530(11
日発)
0900 ( 時差あ
り )
Prince Rupert
プリンス・ルパート
南北に長いブリティッシュ・コロンビア州の太平洋岸のほぼ中間に
位置するプリンスルパートはカイエン島にある。プリンスルパートの港
は、北米で3番目に深い不凍港であるとともに、北米で最も日本 ( アジ
ア)に近い港である。このため、太平洋側への輸出港としての重要性に
着目してウイニペッグからグランド・トランク・パシフィック・レイル
ウエー(太平洋大幹線鉄道)が建設されたが計画の中心となった鉄道
会社社長がタイタニック号事故の犠牲となったためにその後の進展は
はかばかしくなかったようだ。主な産業は漁業、パルプ、港湾、観光
”であり、人口は約16000人。“虹の町 として知られるカナダで最も降
雨量の多い町である。なお、プリンスルパート空港は隣のディグビー島
にある。またプリンスルパートとジャスパー間に VIA により旅客列車
「スキーナ号」が週に3往復運転されており、ジャスパーで「カナ
ディアン号」に乗り継ぐことが出来る。(駅は BC フェリーターミナ
ルと共用)
21日目[7月12
日] ( 火 )
プリンスルパート到着 (カナダ再入国)
8時50分に着いて入国審査だ。帰りの航空券の提示を求められた
り、なにしおうアメリカの入国より時間が掛かる。ここも、ジュノーと
同じくフェリーターミナルは町の中心部から離れており、公共の交通
機関はないためタクシーで予約のモーテルへ向かう。あいにく部屋の
準備が出来ていないとのことで、荷物を預け、早すぎた朝食だったの
でモーテルサービスのパンとコーヒーで腹ごしらえをすると、行動に
丁度良い時間となった。明後日の朝 BC フェリーに乗船するまで丸二
日あるので、まずカウベイにあるインフォメーションセンターへ向か
う。プリンスルパートの中心部はどこも徒歩10分の範囲内である。
幾つかのツアーがあることは分かっていたが、詳細が不明のため、
まず10分ほど歩いてカウベイにあるインフォメーションセンターに
行った。係員が親切に対応してくれる。一番の人気というのが船でカ
イエン島を一周しながら自然美と野生動物を観察するツアー(2時
間、$45 ) だと言うので、これに参加することにして、センターの隣
にある窓口に行ったが、残念ながら今日は既に満員で、明日は催行な
しとのこと。このあとバスでポートエドワードへ行ったのだが、島の
周囲の美しさは格別のものがあったので、残念さはひとしおであった。
この他に矢張り船で行くグリズリーベアのサンクチュアリツアー(6
時間、$145 ) があるのだが、これは日曜のみとのことで、今日は今
から参加できるツアーは他になかった。それで、係員に勧められて午
後のバスで1985年に国の歴史遺産の指定されたポートエドワード
にある「北太平洋缶詰工場」を訪れる事にして、それまでは「北ブリ
ティッシュ・コロンビア博物館」を見学することにした。明日は沖合
いのパイク島に残る1800年前の先住民集落のガイドツアー(4 .
北太平洋缶詰工場
フェリーターミナ
ル
空 港
ポートエドワー
ド
プリンスルパー
ト
歴史、自然、水運の町
プリンスルパート
ホテル
博物館
鉄道博物館 インフォメー
ション
カービング
シェッド
フェリーターミナ
ル
ホテル
カウベイ
見どころ
Cow Bay : 歴史的建造物、先住民の彫
像、土産物店等が集まるウオーターフロ
ント。インフォメーションセンターも近
くにある。 1905 年迄は埠頭がなく、連
れてこられた牛が泳いで上陸したのが名
前の由来。
北ブリティッシュコロンビア博物館
:
先住民 Haida,Tsimishian,Tlingit,
Nisaga’a の文化と歴史を展示。
Kwinitsa 駅舎鉄道博物館 : 初期の
プリンスルパートの発展に尽くした鉄道
の歴史と役割。 1911 年に建設された鉄
道駅舎で現存する4つのうちの一つ。
Carving Shed : 先住民の彫刻、ヒマ
ラヤスギ , 金属細工等。北 BC 博物館の
近く。
北太平洋缶詰工場 : 1889 年に作ら
れ、国の歴史遺産になっている。
Khutzeymateen バレイのグリズ
リーベア・サンクチュアリ : カナダで
只一つのサンクチュアリ。アクセスは海
上から。
スキーナ川
木造の北ブリティッシュ博物館と展
示物
歴史遺産「北太平洋漁業歴史村(缶詰工場 ) 」へ
博物館見学後、プリンスルパートに隣接するポート
エドワードにある国の指定歴史遺産である缶詰工場村
へ行くことにした。ここへ行く州営バスは5月から9
月迄で、昼間は僅か3本しかない。内2本は博物館前を
通り、12時05分にあるのでこれを利用する。所要
時間35分で$2 . 5である。バス停の標識は高い位置
にあるので中々目に入らない。
実は何の予備知識も持たずに行ったのだが、ここ
が日本人に縁の深い場所であったことを知るとともに
、人にここまで誠意を持って親切に接する出来るかと
いう思いがけない経験の一つに遭遇することになった
のである。
眺望
優秀
漁業歴史村へのバス時
刻
素晴らしい学生アルバイトに出会う
この歴史村は、このスキーナリバー沿いに40ほ
どあった鮭の缶詰工場の一つであったが、今はプリ
ンスルパートに一つ残るだけという。入ってすぐに
、12時からスキーナ・リバー・ストーリーという
一人芝居が上演されるというので見てみることにし
た。演ずるのは、後で知ったのだが、ビクトリアの
大学で演劇を専攻する Elizabeth Tomthon であった。過
去にこの村を支えた人達の苦労と生活を各人種ごと
に映写されるスライドに合せて7人のキャラクター
を素人とは思えない熱意で30分あまりを演じてい
た。これを見て、ここが日本人にも縁の深い場所で
あることを知ったので、他の展示を見る前ではあっ
たが、終わった後、彼女にこの村の歴史と日本人の
関わりを示す資料がないか訊ねてみた。しかし、フ
ランス語の本になったものはあるが簡単なものはな
いという。しかし、それで終わりにはならなかったの
である。何時までここにいるかと聞かれたので4時
のバスで帰る旨を言うと、それまでに自分がタイプ
を打って書いてやろうというのである。自分のほう
で私を探すからどこでも見ていてくれという。そし
て、4時少し前に売店にいた私のところに A4 1枚に
ワープロで打った紙を持ってきてくれたのである。
4時からの芝居が始まるからと急ぐ彼女に充分な礼
をいう暇もなかった。タイプの内容の出来・不出来
は問題ではない。一外国人が向けた関心に自分ので
きる範囲内で誠心誠意応えようとする姿勢が素晴ら
しい。7月末くらいまでしか居ないと言っていたの
で、届いたかどうかは分からないが、演劇科の学生
とのことだったので、礼状と共に歌舞伎の切手を1
0枚ほど送っておいた。
カナダ人、日本人、中国人を演ずる
Elizabeth
Elizabeth がタイプしてくれたこの村の歴史の
概要
歴史遺産・北太平洋漁業歴史村にて
(2) 感激
展示に示された漁業産業の、特に日系の労働者
たち
最初の漁師たち
初期の漁業と工場の労働力
の大部分を先住民族が占めて
いた。彼等は工場で働くシー
ズンになると、沿岸伝いに家族
連れでやってきた。彼等は自分
達の伝統や習慣を持ち込んだ
ので Steveston では踊りの儀式や
祝宴が見受けられた。
日本人漁業集団の気骨
日系カナダ人の漁師と船大工
の熟練度と生産性は有名で、
南部では早くから大きな漁業
集団のになっていた。彼等は漁
業に従事するために家族と共
に Steveston にやってきてこの地
方に住み着いた。彼等は自分
達の学校を作り、リッチモン
ドで最初の病院も建てた。
中国人工場労働者
中国人はさほど多くはなく
”“チャイナボス を通して集団で
契約したが、長年の間に熟練戦
力を形成していった。中国人
の移民が規制されていたので
女性はカナダに殆ど入国でき
なかった。男達は共同の飯場に
住んだが、単調な仕事に疲れ
、ギャンブル、酒、アヘンに
息抜きを見出したが、当局は
それを黙認していた。
工業におけるヨーロッパ人
漁業産業は欧州系カナダ人
の少数企業家によって始めら
れ、白人は監督、事務、技術職
として働き、村に住み、初期
日本人の漁業者は1890年代にスキーナ川の
缶詰工場で働き始め、冬は多くの者がバンクーバー
に戻ったが、次第に北部の Port Essington を中心に家
族と一緒に住み着くようになった。1920年代に
は日系カナダ人は Port Essington の人口の半分に達し
、寺が建てられ、多くの商店も店開きした。初期日
本人社会の一人がカメダ氏であり、彼は1942年
に追放されるまで商店を営み、 ABC 缶詰工場への
日本人引受人でもあった。スキーナリバー・コマー
シャル社は彼の最初の店を猟師たちの飯場として買
い取った。 学 校
日本人の子供達は公立学校の生徒の2 / 3を占め
たが、更に日本人学校にも通い、日本語の読み書き
を学んだ。先生はコザイ・シンクロであった。
1942年にカナダ政府は、二次世界大戦の陰り
のもとに、沿岸の全日系カナダ人を内部山岳地帯の
キャンプに追放することを決定した。
1942年3月21日 Port Essington の日本人は
ロープで引かれる無蓋のボロ舟に乗せられて川を渡
り、他のスキーナ川缶詰工場から連れてこられた日
系カナダ人と一緒にバンクーバー行きの特別列車に
乗せられた。 Port Essington の日本人は一日で半減
したのであった。
歴史遺産・北太平洋漁業歴史村に
て(3)
本日の行動経過
040
0
起床
050
0
コーヒーをもらって船室で
朝食
085
0
プリンスルパート着
092
0
モテルに荷物預け
100
0
博物館見学~1200
120
5
バス乗車~1240
カナダ人の贖罪意識?
このスキーナ川沿いの缶詰工場の労働者について、歴
史村の展示と記述には前ページのように日本人に関する
ものが多い。これは、この地方の漁業産業にとって日系カ
ナダ人の貢献が大きかったこともあるのだろう。しかし、
一番大きな理由は、1942年に、それまでカナダ社会に
溶け込んで平和に暮らしていた日本人社会を戦争の当事
国の一つだということで、不当にも葬り去ったことに対
して現在のカナダ人社会が贖罪意識のようなものを感じ
ているからだと思っている。実は、この後訪れたダンカ
ンでも偶然にも同じ問題に出会ったのは、当時米国の要請
でアメリカ大陸で広く行われたこの暴虐行為が、カナダの
有識層の心にとげのように突き刺さっているのではない
だろうか。
この「漁業歴史村」は、この地区に一時40もあって、
今は一つになってしまった缶詰工場跡をそのまま残して
見せているのだが、この歴史に目を向けなければ村内に
特別に目立つ展示物があるわけではない。入場料は少し高
いように思うが、この辺鄙な場所で夏季だけ公開しよう
と思えばコスト高なのは止むを得ないのかも知れない。
なお内部では、先の演劇のほかに、45分おきくらいに
漁法、缶詰製造工程、村の生活のガイドツアーが行われ
ている。内部に宿泊設備もあり、サーモンハウス・レス
トランがある。昼に食べたここのシーフード・チャウダー
はいける。正面入口の建物の2階が売店になっている。工
場内部にも丸紅とか三井物産などと刻印された梱包用の
木箱が積み上げられており労働者以外にも日本との結び
つきが深いことを窺わせる。これらの箱を土産物に仕立て
て売店で売っていたが、アメリカ人が買っていくという。
この売店のただ一人の店員はプリンスジョージの大学で
心理学を学んでいるという富山出身の坂田マキさんで
あった。
夕食はモーテルの親父さん推奨の向かいのシーフード
レストランで、本日の魚ということで Snapper (フエダイ)
の焼いたのを食べたが、淡白すぎてあまり旨いとは思わな
かった。
公開期間:5 / 15~9 / 30
公開時間:0900~1800
入 場 料:大人$12 . 79、シニア10 . 65
子供 無料
距 離:プリンスルパートから20km
2階が売店、右上は店員
の坂田さん、左は土産品に
なった三井物産の木箱、右
は丸紅の筋子の箱
歴史遺産・北太平洋漁業歴史村にて
(4)
22日目[7月13
日] ( 水 )
今日の予定
Prince Rupert 滞在
休 息 日
今日は空港のあるディグニー島の沖合
いにあるパイク島の先住民集落へのウオー
キングツアー参加を考えていたのだが、今
にも雨が降り出しそうな空模様 ) だったの
で、骨休めの日として未だ見ていない市内
見物で過ごすことにした。(結局は降らな
かった)。その前に明後日ポートハー
ディーからダンカンまで乗るグレイライ
ン・カナダのバスが予約できるならしてお
こうと考え、近くの営業所へ行ってみたが
事前予約は受け付けないとのことであっ
た。
ウオーターフロントにある移設した
1911 年の駅舎利用の「鉄道博物館」等見学
の後、北 BC 博物館の右脇にあるレストラ
ンでハリバット(おひょう)のフィッシュ
アンドチップスで昼食。この辺りはおひょ
うの本場で釣り客が押し寄せ、 2m 位の物
が揚がることがあるという。そろそろ帰国
する日も近付いたので不要な衣料や資料類
を送り返すことにして、スーパー内にある
郵便局で箱を購入。一番大きなものを買っ
て帰ったが大き過ぎた。ビニール袋を破い
て一度組み立ててしまったが、$5もする
のにもったいない。ダメもとと考えて、郵
便局に、持っていくと、ノープロブレムで
小さなものと交換して、要らないと言った
差額まで返してくれた。料金が半分の船便
で発送したが、 52 日目に到着した。カナ
ダのような人口希薄な国で郵便制度を維持
本日の行動経過
060
0
起床
070
0
モテルサービスのパン
とコーヒーを部屋に
持ってきて朝食
900
~
鉄道博物館等市内見物
13~ ハリバットの昼食
140
0
荷物発送(~170
0)
現存する4つの1911年建築の駅
舎の一つを70km先から1985
年に移設した鉄道博物館。下は近く
にある元プリンスルパート駅、現在
の駅は中心部から離れたフェリー
ターミナルと同居。
市内のあちこちで見かけるトー
テムポール、右はカーヴィング
シェッド
昼食はおひょうのフラ
イ
姉妹都市尾鷲市の
船「一丸」が遭難
して近くに流れ着
き、ここに来歴と共
に展示されている
。
プリンスルパー
ト
ポートハー
ディー
ヴァンクーヴァー
島
フィヨルドを行く
( その2:カナダ )
—就航船は「クイ ンオブザノース」
(750人乗り)で , 比較的安価な
クルーズとして利用者が多い。50
kmにわたって続く山並み、島々、
滝、氷河、アシカ、鯨、ハゲワシな
どを楽しむことができる。
6番デッキ右舷にある , ラウンジ座
席を予約してあるので , 乗船時に受
け取るスワイプカードで入室する。
ポーとハーディーでは , ホテルを廻
るシャトルバスを利用。 ( $6 . 5)
23日目[7月14
日] ( 木 )
今日の移動予定 (約450 km)
料金: CD$ 107+20(ラウンジ )
Prince Rupert Port Hardy 宿 泊
0730
BC フェリー「ク
イーン・
オブ・ザ・ノース
号」
2230 Port Hardy
船の旅
美しさで有名なプリンスルパートからヴァンクー
ヴァー島までの内水路を BC フェリーの大型客船が
ポートハーディーまで就航している。アラスカ沿岸
内水路クルーズの仕上げとして、この航路を乗船す
る。7月はプリンスルパート発が偶数日である。
ポートハーディー着は遅くなるので、当日はここ
で1泊し、翌日バスでヴァンクーヴァー島を南下す
る。
14 日
チケットとスワ
イプカード
フェリーターミナ
ル
インサイド・パッセージへ
雨降りの朝タクシーで BC フェリーのターミ
ナルへ向かう。ここも一般船客のターミナルは
優遇されておらず、ジュノー程ではないが、中心
部から離れており、タクシー以外の交通機関は
ない。 BC フェリーとアラスカマリン / ハイウ
エーのターミナルビルは別になっており、 BC
フェリーの方は乗り継げるわけでもないのに
VIA レールと同居している。共通点はどちらも
週に3~4便と言うだけである。今日木曜日は
0800に発車する列車「スキーナ号」の運転
日なのでこちらの乗客も集まり始めている。
窓口で予約番号を示してチケットを受け取る。
岸壁から船までは濡れないようになった歩廊が
あるが、岸壁までは小雨の中を濡れながら歩く。
$20奮発してラウンジを予約してあるのでそ
こに向かう。渡されたスナイプカード(ホテル
のカードキーと同じ)でドアを開けて出入りす
るようになっている。定員は50名程度。大き
な荷物を置き場に置いて座席に着くが残念なが
ら通路側の席。窓側の二人はハンブルグから来
て、トレーラーハウスで廻っているというドイ
ツ人夫婦。
定刻に出航するが、このパッセージでも屈指
の両側に千m級の山々が聳える水深500mの
グランヴィル水道に入っても何も見えない。
グランヴィル水
道
残念、何も見えな
い
クイーンオブザノース号、88
07 t 、750人乗リ、1968
年建造
プリンスルパー
ト
Prince Rupert 出航
カナダフィヨルド航路
(1)
フィレンソン水
道
フィッツフュー海
峡
ミルバンク海峡
ベラベラ
ベラクーダ
ユーモラスな漁船の隊
列
ボートブラフ ( ?)灯
台
(メ モ )
ベラベラ北東のフィヨ
ルドの奥ベラクーダには
内陸から道路が通じてお
り、 BC フェリーの便が
ある。またここは179
3年に A. マッケンジー
が初めて北アメリカ横断
に成功した基点でもある
。
ラウンジ「ノース・ス
ター」とその内部
Bute Dale Falls
カナダフィヨルド航路
(2)
本日の行動経過
050
0
起床、朝食
063
0
タクシーでフェリーターミ
ナルへ
073
0
プリンスルパート出航
130
0
カフェテリアで昼食(お
ひょう )
210
0
カフェテリアで夕食(たら )
224 ポートハーディ着
フィッツフュー海
峡
ポートハー
ディー
この辺りで海上に
突き出した角数本
を観察、姿ははっ
きり見えない。珍し
いイッカクの群の
ようだが確認でき
ず
ポートハーディー着
南下するにつれて少し明るくなって
きたものの、折角のインサイド・パッ
セージも雨天となり、眺望は殆ど利か
ず。動物もイッカクのものらしい角を
見ただけで終わった。昨日に続き骨休
めの一日となった感じだが、長い旅程
でほぼ終日雨となったのは今日だけな
ので、もって瞑すべしか。上陸後はホ
テルを廻るシャトルバスで予約のモテ
ルへ。車利用でない殆どの客がこれを
利用するので、乗車に手間取る。
($6 . 5 )
カナダフィヨルド航路
(3)
ポートハー
ディー
今日の目的地・ダン
カン
ヴィクトリ
ア
ヴァンクー
ヴァー
今日の移動 バス 約700km $74 . 65 (Senior)
Port Hardy Duncan 宿 泊
0900(予
定)
1750
キャンベルリバーで1時間
休憩
0900(実
際)
1545
キャンベルリバーとナナイ
モで乗換
Duncan
ヴァンクーヴァー島バス縦断の旅24日目[7月15
日] ( 金 )
ナナイモ
キャンベルリ
バー
(メ モ)
バンクーバー島といっても、広大な
ブリティッシュ・コロンビア州の州都
ヴィクトリアがあり、九州より僅か小
さいが四国よりはるかに大きな島であ
る。カナダの自然の美しさと先住民族
の歴史が凝縮したような島で、中・南
部は特に気候が良いことで知られてい
て、明るい雰囲気に満ちている。
乗車予定だったバス 実際に乗車したバス
最後の訪問地ダンカンへ
いよいよ最後の旅程に入った。帰国便乗り継ぎのため一泊するヴァ
ンクーヴァーを除いて最後の訪問地・宿泊地をどこにするか、コート
ニー、コモックス、ナナイモ等を考えたが、最終的にヴァンクーヴァー
島のダンカンに決めた。理由は2000年の旅行の際、ヴィクトリア
からナナイモまで列車に乗って通りかかった際に車窓から見た駅周辺
の街の佇まいが落ち着いたチャーミングなものに見えただけのことな
のだが、見掛けだけでない本当にチャーミングな街であり、期待は裏切
られなかった。
昨夜の就寝は遅かったが、8時にタクシーでバス乗場へ向かう。モ
テルのレストランは開いていなかったので、チケットを買い、荷物を預
けて近くのレストランで朝食を食べる、地元の人たちもここで食べて
いる人が多い。9時定刻に発車、昨日フェリーで一緒だった人も何人
か見かけた。ロータリークラブの大会で日本にも何回か行ったとい言
い、ヴィクトリアに寄った後帰国するというオーストラリア人老夫婦
と一緒に行動する。ネーティヴ・スピーカーと一緒に行動することは何
かあった場合には非常に役立つ。
ヴァンクーヴァー島バス縦断の旅
(1)
今夜の宿 Sunflower Inn B & B にバスステー
ションまでの出迎えを依頼してあり。
ポートハーディ全
景
バス乗場
モテル
フェリーターミ
ナル
ポートハー
ディー
ダンカン
キャンベルリ
バー
ナナイモ
ヴィクトリ
ア
高 速
高 速
バス走行路線
キャンベルリバー迄のバ
ス、行先表示はポート
ハーディーのまま
ナナイモ迄の急行バス
ナナイモ発別仕立てのバ
ス
ヴァンクーヴァー島バス縦断の旅
(続)
しばらくは北海道か東北の山道を行く感じのドライブ
が続き、たまに幹線から横道に入って落ち着いた小さ
な集落に寄りながら走っている。道路を横切って林に
飛び込むブラックベアも見えた。
3時間ほど走って右に海が見えたと思ったら間もなく
キャンベルリバーに着く。ところが、車輌の調子が悪
いのでこのバスはキャンベルリバーで打ち切りになる
ので、高速道路を走るナナイモ行きの急行バスに乗り
換えてくれと告げられ全員降ろされた。実は急行バス
があることは分かっていたのだが、夕方まで途中昼食
もできないのでは困るのでキャンベルリバーで一時間
停車するバスを選んだ次第であった。高速道を走るの
であまり風光を楽しむこともできずにナナイモに到着。
しかしナナイモ発のヴィクトリア行きは既に満席で乗
車できず、15分ほど遅れて別仕立てのバスで出発し
たが、それでも予定より2時間早くダンカンに着いて
しまった。
アクシデント
感激的な親切に出会う
ダンカンのバスデポに3時近くに着いたが、昼食がま
だなので遅い昼食を摂るため隣のピザ屋に入った。ピザ
屋とはいっても宅配かテークアウトが主体らしく、店内
には数脚の椅子が置いてあるだけで、飲物も缶入りだけ
である。そこで15センチ程の一番小さなものを注文し
た。店の外に公衆電話が見えたので、今夜の宿にはバス
の到着時間に出迎えてもらうことになっていたので、で
きたら早めに来てもらうよう待つ間に電話をしようと
思った。ところがうまく掛からない、テープでアナウン
スが流れているが理解できない。カナダの公衆電話には
何回かてこづっているので、店員に助けてもらおうと
思って店に戻って若い店員に状況を説明していると、話
を聞いていたらしい中年の男性(あとから店の主人と判
明)が奥から出てきて、この電話を使いなさいと店の電
話を私の方に向けてくれた。再びダイアルするが矢張り
掛からない。すると彼が受話器を取って聞いてくれ、該
当する7910なる番号の電話はないと言っているとい
う。用意していた他の資料も取り出してみたが間違いな
い。すると彼は所業別電話帳を取り出してきたが見付か
らない。僅か3室の B & B なので載せていないのかも
知れない。今度は電話局に聞いてあげようと言って、宿
の名前から聞いてくれたが間違いないという。再度掛け
てみてもダメだった。それから彼は何回かあちこちに電
話を掛けてくれて、どうして分かったのか聞く気力も失
せていたが、番号違いで79210が正しいという。そ
の上、私の英会話能力ではまだるっこしいと思ったのか
、あなたが早く着いてここで待っていることを電話して
あげようと言って宿に電話してくれた。そして、留守
だったので留守電にその旨入れておいた、ピザが冷める
から早く食べなさいという。冷めかかったピザの旨かっ
たこと。既にかれこれ1時間は経っていたので、約束の
時間までバス停で待つことにして、謝辞を言い、10回
以上は掛けたであろう電話代を払わせてくれと申し出た
が受け取ってくれなかった。更に、もし迎え出会えな
かったら、 BB の場所は判るから自分が送ってあげる、
必ずここに戻ってこいというのである。発端や内容はさ
ほど重要なことではなかったが、一旅行者に対するこれ
ほどの親切に目頭が熱くなってしまった。
親切だった Mr.Robert Smith 氏
とその店 Panago
73歳の Mr. Rensing 経営の B&B Sunflower
Inn 、
たった3室
Rensing 氏が夕
食のために案内
してくれた
Pioneer
House 、クラム
チャウダーが日
本人の口に合う
。
ダンカン到着
感激
ダンカンとカウイチャン・バレー
ダンカンは10余りの自治体と地域で構成するカウイチャンバ
レー地区に属している。 ヴァンクーヴァー島の東岸の殆どは山が海
に迫って落ち込んでいるが、カウイチャン地区は山と海に間に湖
や川、町や農場のための広い低地を有し、変化に富んだ地形となっ
”ている。ここは先住民の言葉で“同じ言葉を話す暖かい土地 を意味
し、彼等の独自の文化と歴史が今に生きている。この辺り一帯が
「カウイチャン・バレー」と呼ばれ、ワインの生産も盛んで、地区
一帯となって観光にも取り組んでいる。
市はトーテムポールの町を宣言しており、市内のトーテムポー
ルを巡る無料のガイドツアーも毎日催行されており、ダウンタウン
の近くには「カウイチャン文化センター」もあり、先住民族の文化
に触れることができる。また市の北部には州立の「 Forest Discovery
Centre (旧称: Forest Museum) 」があり、森林に関する博物館であると
同時に、センター内には2 . 5kmのカウイチャンバレー鉄道があ
り、保存鉄道としての役割も担っている。(10~18時、シニ
ア$8 )
州都ヴィクトリアから北のコートニー間に E&N 鉄道の路線を利
用して VIA が毎日1往復の旅客列車を運転していて、ダンカンに停
車する。トロント以西で毎日列車が走るのはこの路線だけである。
ヴィクトリア駅は線路脇に小さな駅舎がポツンとあるだけである
が、絵になる風景となっている。
カウイチャン・バレー地区
( Cowichan Valley)
VIA レール ヴィクトリア駅 ( 2
000年)
–ダンカン   トーテムポールの町
VIA 駅
サンフラワーイ
ン
バス駅
州立森林博物館
カウイチャン文
化センター
バス駅
VIA 駅
ダウンタウ
ン
ダ ン カ ン市
街
駅横のカブース(車掌車)とトー
テム
駅 裏
本日の行動経過
080
0
タクシーでバス乗場へ、
朝食
090
0
ポートハーディー発
121
0
キャンベルリバー着
144
0
ナナイモ着
160
0
ダンカン着、昼食
25日目[7月16
日] ( 土 )
今日の移動 ($30 . 10)
Duncan
Vancouver
(Downtown)
宿 泊
1500
(ナナイモでバス
乗換)
1915
Vancouver
BC フェ
リー部分
時刻
ナナイモ発
( Departure
Bay)
ヴァンクーヴァー
着( Horseshoe
Bay)
1700 1835
チケット購入上の注意
目的地までのチケットは通しでバス会社から購入する
必要がある。ナナイモ迄のバスチケットとフェリーのチ
ケットを別々に購入した場合は、ナナイモバスステー
ションから先のバス区間だけの利用はできないので、バ
スステーションからフェリーターミナル間、到着フェ
リーターミナルからバンクーバー市内間の交通機関は別
途見つけなければならなくなる。
ダンカン・フェスティバ
ルで
    賑わう市内
ダンカンの雰囲気を味わう
明日の帰国に備えて遅くならないうちにヴァンクーヴァーに入ることを考える
と、15時のバスに乗る必要がある。その前に短時間ではあるが、ダンカンの雰囲
気を味わいたいと思いその旨 Rensing 氏に伝えると、私の希望を的確に満たす
資料を自分のプリンターで9枚コピーして渡してくれた。一つは5月から10月
の間毎日10時から14時まで1時間ごとに行われるトーテムポールを巡るガ
イドツアー。(この後行ってみると、残念ながら本日はダンカン・フェスティ
ヴァルのため特別に休みであった ) もう一つは、1990年にオープンしたカウ
イチャン族の文化を紹介する「カウイチャン文化センター」の案内。それに、昼
食用にと、この文化センター内の「リバーウオーク・カフェ」の料理メニュー。
(但し行ってみると、これは去年のものということで少し違っていた)
時間的には、これだけで十分なので、 Hensing 氏の車でバスステーションに
荷物を預け、駅前で降ろしてもらって彼と別れた。ガイドツアーはダンカン・
フェスティバルのため休みだったので、駅舎内にある小さな「カウイチャンバ
レー博物館」に入る。 ( $2 ) これもよくある町の博物館だが、4ページ( A4)
の手作り日本語説明書があった。そのあと、
ダンカン・フェスティヴァルの最終日で賑わう市街を散歩して、
カウイチャン川のほとりにある徒歩10分ほどの「カウイチャン
文化・会議センター」に向かった。このセンターにも日本語の
案内所があった。ダウンタウンは本屋や絵画店が多く、小さい
町ながら文化の香り高い街である印象を受けた。
チャーミングな街 ダンカン
Charming City Duncan
July 16 , 25th
day
Quw’utsun’ Cultural And Conference Centre
この地区に現在3500人が住むという、カウイチャン族の歌と踊り、右
上の男性が説明役で、出演者の紹介もする。観光地によくあるお義理のよ
うな出しものと違って、誇りと熱意に満ちて演じられているのが感じら
れる。
リバーウオーク・カフェでの食事。
先住民の食べ物も別皿で付く。説
明があったが理解できず。
左上が正面入口、他は内部
シアターがあって、歴史、文化
等の紹介映画が上映されるが
、時間がなくスキップ、
ショップもあり充実している
。
年中無休
9~17時(5~9月)
10 ~17時(10~4月)
大人:$13、 シニア:$1
1
またも出合ったもう一つの日本人受難の歴史 (Stories)
宿泊した B&B の共用リビングルームでダンカンの歴史「 Small City
in a Big Valley : The Story of Duncan 」( Tom Henry 著)をふと手にし
た。そして、その中の第8章「 World War Ⅱ 」(p125~138 ) が目に
入った。ここでも、 ポート・エドワードの漁業村と同じ日本人受難の歴
史が14ページにわたって記述されていたのである。ゆっくり読んでい
るいとまはなかったので M r . Rensing に頼んでコピーしてもらった。そ
の概要は次の通りである。(この章は立派な文芸作品に仕上がっており
、少し難解、右は P125 と P129 )《太字が本の記述》
日本が真珠湾を攻撃すると、カナダも直ぐに宣戦布告した。州の
消防長官補佐の W.Oswald は“日本の飛行士の地図にはダンカンに
X 印が付けられている。ダンカンは中央から離れて、平野や森が広
がっているので攻撃を受けやすい。飛行機は西海岸を飛び立ち、
爆弾が雨のように落とされ、空にはパラシュートの花が咲き、パラ
シュート部隊は道路の北側と町の南を占領する。侵入勢力に僅か
な損失を与えるだけで、ダンカンは占領された太平洋の島々のよ
うに封鎖されてしまう。また空爆によって町は破壊されてしまう
” ”だろう、ダンカンは“斧を突きつけられた鶏 のようなものだ。 と
言って危機意識を煽り立てた。武装した防衛組織も作られ、戦時意
識が盛り上がっていき、必然的に日本人社会にその矛先がが向けら
れることになった。
ダンカンには1900年代の初めから日本人が住み着くように
なり、80~90人が製材所の労働者、雑貨屋、農業などで暮らし
を立て、中国人街ほどではないが小さなコミュニティーができて
いた。この戦争のビルマ戦線で戦死した二人のカナダ人のうちの一人で
あるダンカン出身の兵士の物語、カナダ人と結婚して子供のいるダンカ
ンに越してきた日本人の物語も挟み込まれて、この地方の風土や人種問
題が語られる。
結果的に、この戦争により最も深く傷ついたのは日本人社会で
あった。ダンカンの政界と事業界エリートの度重なる要請によって
、日本人はカナダの市民権を持った2万2千人の他の日系カナダ
人とともに沿岸地方から追放され、財産は没収され、売り払われた
のであった。この追放と抑留の事実は、戦争というものは、事実であ
ろうと、想像であろうとにかかわらず、理性ではなく感情に走ら
せるものであることを示すと共に、その感情は60年近く後になっ
た今でも殆ど理解できないものである。
日本人に対する偏見がダンカンの社会に根付いた原因や思想的な背景
まで掘り下げたあと次のように結ばれている。
ダンカンの日本人社会が元に戻ることはなかった。土地や家屋
ますますチャーミングな街に
アメリカ大陸では、第二次大戦関係国の中で、アジア人である日系人
だけが不当にも抑留・隔離された歴史がある。しかし、アメリカ本土以外
のその事実は一部の人以外にはあまり知られず、大陸諸国の汚点となって
いる。
”この事実がカナダの小さな町で出版されている“町の歴史 の中で、かな
りのページを割いて、自分の町の告発とも言うべき書き方で、記録に残さ
れていることに目を覚まされる思いを受けた。カナダの知識人が一般に
持つ贖罪意識なのか、この執筆者だけの見識なのかは分からない。また町
そのものが発行に関与しているかどうかも分からない。しかし、このよう
な内容の、この分厚い町の歴史が出版されて市民に読まれていることが素
晴らしいと思う。ある意味では国と町の恥であり、歴史の汚点であって、
一般的には公にはしたくない内容であろうに。ダンカンの小さなダウンタ
ウンを歩いて目につくのは書店の多さである。市民の意識の高さがこの
ような本の存在に結びついているのかなとも思う。五年前にチャーミン
グに映ったダンカンの街が、今回の旅で私にとって外見だけでなしに、ま
すますチャーミングな街となった。
それにしても、プリンスルパート(正確にはポートエドワード)
とダンカン、2つの地方の街で日本人の受難の歴史が一旅行者の私
ここでも出合った日本人受難の
歴史
(Tragic History of Japanese Canadians)
本日の行動経過
0600 起床、田園地帯散策
0730 朝食
1000 バスステーション
1020
~120
0
博物館、市内散策
1230
~
昼食
~143
0
文化センター見学
1500 ダンカン出発
1710 ナナイモ フェリー発
1845 フェリー バンクーバー
B&B サンフラワー・インのこと
ダンカンでは、 Smith の親切、日本人受難史との遭遇と、思
いがけないことに出会って、私にとってこの街が思い出深いと
なった。この思い出の記録にもう一つ付け加えてもいいと思う
ことがある。それは、ただ一日の宿 B&B の“サンフラワー・イ
”ン である。
予約のときから感触が良かった。幾つかの B&B の中から、
値段も安くて気安く感じの良さそうなここを選んだ。調べたバ
スの時刻は昨年夏より新しいものはなかったので、その旨を
断った上で到着時刻を知らせて迎えを依頼した。返事は新しい
時刻を調べてその時間に迎えに行きますというものであった。
当然と言えば当然なのだが、他のことも含めてメールのやり取
りは好感の持てるものであった。宿は割と当たり外れのあるも
のだが、日本でも海外でも、予約の際のやり取りで好感の持て
たものは、概して外れること少ないと言ってもいい。予想は的
中した。これが B&B の良さなのだろうが、ビジネスライクな
ところが微塵もなく、個人の自宅に泊まる心安さで、一歩退い
て細かな心配りをしてくれる。そのような宿と言うより、
Rensing 氏はそのような人であった。
農家を改造したという僅か3室の宿、靴を脱いで(カナダ
に多いらしい)小さな入口から2階に上がると、そこが共通の
リビングルームになっているが泊り客は私だけだった。夕食は
どうするかと言うので、昼が遅かったので余り腹が減っていな
いが余り高くない所で何か食べたいと答えた。近くのワイナ
リーがいいと言って電話してくれたが、あいにく満席とのこと
で、車で10分ほどのパイオニア・ハウスに連れて行ってくれ
、ここも結構混んでいたが、席を確保してくれ、済んだら迎えに
来るから電話してくれと言って帰っていった。
明日は自分にどうして欲しいかと尋ねるので、3時の
バスに乗るので、バスステーションに荷物を預けて、
その間ダンカンの観光をしたいというと、まずバス
ステーションの開いている時間を電話で聞いてメモを
くれ(私も調べてあったのだが)10時に連れて行って
くれるという。そして、先述の観光に必要な資料をプリント
してくれた。それに、翌朝依頼した14ページの“日本人
”受難史 のを快くスキャナーでコピーしてくれた。オランダ
系で、元石油会社に勤め、東京にも3回行ったことがある
と言う73歳の Rensing 氏は物静かな紳士であった。
帰国してからのメールには、お世辞であろうが“また何時
”の日かお会いできると信じています とあったが、彼と自
南イタリアの風情も感ず
るナナイモの海岸
近づいてきた本土の海岸
最後にヴァンクーヴァーへ
ヴァンクーヴァーへ行くには、バス
で昨日乗り換えたナナイモまで戻り、
ここでまたナナイモ発ヴァンクー
”ヴァー行き“バス に乗り換える。この
バスはそのままフェリーに積み込まれ
てヴァンクーヴァーダウンタウンの目
的地まで連れて行ってくれる。但し、
ナナイモまでのバス乗車券と、フェ
リー乗船券を別に購入した場合には、
ナナイモバスステーションとヴァン
クーヴァー ホーシュベイで放り出さ
れるので要注意である。予約ホテルに
近いホテル・バンクーバー前で降ろし
てもらって、10分ほど荷物を引き
ずってホテル着。カナダ旅行が終わっ
た。
今日の移動 7500km
Vancouver 成 田 宿 泊
1315 AC
03便
1525 ( 1
6日)
機 中
26日目[7月17
日] ( 日 )
ヴァンクーヴァーダウンタウン⇒
空港
「 Airporter 」 バス30分:シニア
$9
帰 国
本日の行動経過
0700
~080
0
ウオーターフロント散
策
0828 空港行きバス
0920 空港着
1315 ヴァンクーヴァー発
1540
(翌日)
成田着
27日目[7月18
日] ( 月 )
成 田 帰着
本日の行動経過
1540 成田着
1645 京成成田空港発
1755 日暮里着
1835 自宅着
座席:23
A
6 月 22 日成田を
発って
27 日目、久しぶり
の
我が家です。
費 目 支出実績 二人の場合
(一人当り予想額 ) 備 考
交
通
費
空
路
海外航空券(国内3区間含む) 143 , 000 143 , 000 AC 他
2区間別途購入 48 , 100 48 , 100 AC
空港税・保険等諸費用 21 , 990 21 , 990
小 計 213 , 09
0
213 , 090
鉄
道
アルゴマセントラル 9 , 350 9 , 350
ポーラーベア ( ツアー) 32 , 864 27 , 000 2泊3日
コクレーン・トロント間 8 , 578 8 , 578
ウイニペッグ・チャーチル間 30 , 856 30 , 856 列車寝台(2泊
)
ロッキーマウンテニア ( ツアー) 83 , 560 77 , 000 1泊2日、2等
ホワイトホース・スカグウエー間 10 , 485 10 , 485
ベネットレーク ( ツアー) 17 , 660 17 , 660
小 計 193 , 35
3
180 , 000
航
路
ジュノー・プリンスルパート間 32 , 124 26 , 000 船室寝台(1泊
)
スカグウエー・ヘインズ・ジュノー間 7 , 299 7 , 299
プリンスルパート・ポートハーディー間 11 , 058 11 , 058
小 計 50 , 481 43 , 000
バ
ス
ハースト・コクレーン間 3 , 000 3 , 000
ポートハーディー・ダンカン間 6 , 993 6 , 993
ダンカン・ヴァンクーヴァー間 2 , 819 2 , 819
小 計 12 , 812 12 , 812
他 タクシー他 27 , 288 20 , 000
合 計 497 , 02
4
468 , 902
以
外
宿 泊 費(16泊:ツアーに含まれるもの車船
泊除く)
139 , 421 75 , 000 8 , 710¥ / 泊
飲 食 費(25日) 52 , 368 52 , 368 2 , 100¥ / 日
観 光 費(現地ツアー、入場料等) 25 , 126 25 , 126
通 信 費 他 18 , 176 10 , 000
通貨レート(¥ / $ )
CN $ 両替 ( 14%
)
97.14
カード ( 86
% )
90.86
平 均 91.74
US $ 両替 ( 14%
)
116.50
カード ( 86
% )
107.54
平 均 108.76
費 用
費用の支払
手数料の必要な両替とクレジッ
トカードでは、実質レートにかな
りの差があるので、原則的に$5
以上はカード払いとし、現金払い
は極力避けた。この結果、現金利
用は470 CN$, 140 US$ のみ
で、全体の14%であった。また、
日本円現金利用は成田空港で両替
した3万円のみで、他は現地の
ATM を利用して日本の銀行口座
から現地通貨で引き出す方式を
とった。地方都市でも ATM が普及
しているので不便は全くなかった
。

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旅の設計図 4.九寨溝,中国四川省 / Jiuzhaigou,China (by 井上/inoue) - 旅の設計図会
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旅の設計図 4.九寨溝,中国四川省 / Jiuzhaigou,China (by 井上/inoue) - 旅の設計図会
 

旅の設計図 84-4-3. ブリティッシュコロンビア,アラスカ,カナダ / Canada - British Columbia,Alaska (by 沖原/okihara) - 旅の設計図会