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沼津の商店街―戦後昭和史縦書最新版
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徹 長谷川
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沼津の商店街―戦後昭和史縦書最新版
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1 沼 津 の 商 店 街 ― 戦 後 昭 和 史 ― 焼 け 野 原 か ら 逞 し く 起 ち 上 が っ た 沼 津 の 商 人 た ち ― 沼 津 上 本 通 り 商 店 街 振 興 組 合 理 事 長 谷 川 徹 • 記 録 を ま と め た 理 由 は ?昭 和 32年 ( 1957 ) に 地 方 第 1 号 の 支 店 と し て 沼 津 店 が 進 出 し て か ら 半 世 紀 に わ た り 沼 津 市 民 や 周 辺 地 域 の 住 民 に 親 し ま れ て き た 西 武 百 貨 店 。 平 成 25年 ( 2013 ) 1月 31 日 の 西 武 沼 津 店 の 撤 退 、 そ の 日 の 夜 の 閉 店 セ レ モ ニ ー を 記 録 し よ う と し て 出 か け た と き 、 そ の 現 場 で 多 く の 人 た ち が 送 別 の 悲 し み を 感 じ て い る 様 子 を 目 の 当 た り に し た こ と が 主 な 理 由 で す 。 沼 津 商 業 界 昭 和 戦 後 史 昭 和 20年 8月 中 島 飛 行 機 株 式 会 社 三 島 製 作 所 木 瀬 川 分 工 場 、 富 士 産 業 株 式 会 社 と 改 称 昭 和 20年 10月 沼 津 駅 引 揚 ・ 復 員 者 案 内 所 開 設 昭 和 20年 11月 米 軍 60名 千 本 中 央 青 年 学 校 に 進 駐 昭 和 20年 12月 本 田 町 海 軍 共 済 病 院 、 沼 津 市 立 病 院 と な る 昭 和 21年 復 興 が 始 ま る 上 本 通 り 昭 和 21年 映 画 館 建 設 ラ ッ シ ュ 《 平 和 館 : 収 容 人 員 306 人 ( 城 内 元 龍 信 亭 跡 ) ・ 沼 津 松 竹 : 収 容 人 員 408 人 ( 本 町 元 杉 本 旅 館 跡 ) ・ 沼 津 映 画 劇 場 : 収 容 人 員 506 人( 大 手 町 元 城 内 呉 服 店 跡 ) : 復 興 》( 本 通 り 東 宝 劇 場 : 収 容 人 員 570 人 ・ 本 町 演 劇 館 ; 収 容 人 員 270 人 ・ 本 通 り 沼 津 第 一 東 宝 館 : 収 容 人 員 509 人 : 新 築 )( 静 岡 新 聞 昭 和 20年 12月 21日 号 ) 昭 和 21年 1月 15日 御 殿 場 線 大 岡 駅 開 設 昭 和 21年 2月 下 香 貫 旧 海 軍 技 研 の 建 物 を 市 立 第 二 病 院 と す る 昭 和 21年 3月 煙 草 ピ ー ス ・ コ ロ ナ 発 売 ( 県 内 静 岡 ・ 浜 松 ・ 沼 津 ・ 熱 海 四 都 市 の み 販 売 ) 昭 和 21年 5月 1日 沼 津 駅 前 で 戦 後 初 め て の メ ー デ ー 3500 名 参 加 昭 和 21年 6月 17日 昭 和 天 皇 沼 津 行 幸 、 片 倉 工 業 等 視 察 昭 和 21年 8月 富 士 製 作 所 賠 償 指 定 管 理 工 場 と な る ( 昭 和 27年 4月 ま で ) 昭 和 21年 不 二 家 食 品 沼 津 工 場 水 飴 製 造 で 復 興 ( 昭 和 11年 4 月 沼 津 工 場 設 立 : 缶 詰 製 造 、 乳 製 品 の 食 品 工 場 )( ミ ル キ ー は 沼 津 工 場 で 生 産 さ れ た 水 飴 と 練 乳 で 開 発 製 造 昭 和 26年 銀 座 不 二 家 で 発 売 ) 昭 和 21年 東 京 麻 糸 紡 績 株 式 会 社 沼 津 工 場 ス フ と 麻 の 混 紡 製 造 で 復 興 昭 和 21年 大 川 螺 子 製 作 所 民 需 に 転 換 製 造 再 開 ( 片 浜 村 出 身 の 大 川 栄 作 氏 が 大 正 13年 東 京 で 創 業 、 昭 和 13年 沼 津 工 場 新 設 本 社 所 在 地 と し た ) 昭 和 21年 10月 5日 東 部 商 工 会 議 所 創 立 : 岡 野 豪 夫 会 頭 ( 昭 和 30年 現 在 の 沼 津 商 工 会 議 所 へ 認 可 ) 昭 和 21年 11月 1日 ~ 3日 沼 津 復 興 祭 ( 狩 野 川 花 火 大 会 復 活 ) 昭 和 21年 11月 3日 新 憲 法 発 布 祝 賀 ・ 沼 津 港 開 港 祝 賀 ・ 沼 津 港 線 開 通 ( 狩 野 川 河 口 内 港 ) 昭 和 22年 旧 百 貨 店 法 廃 止昭 和 22年 戦 後 第 1回 歳
2.
2 末 売 り 出 し ( 主 催 商 工 会 議 所 ・ 後 援 市 役 所 ) 昭 和 22年 10月 全 国 木 工 機 械 展 覧 会 : 富 士 製 作 所 会 場 昭 和 23年 4月 1日 大 洋 無 尽 株 式 会 社 沼 津 市 上 土 町 東 側 に 進 出 ( 昭 和 26 年 10月 20日 株 式 会 社 太 陽 相 互 銀 行 と 改 称 、 そ の 後 合 併 を し て 静 岡 相 互 銀 行 さ ら に 静 岡 中 央 銀 行 と な る ) 昭 和 23年 6月 観 光 協 会 再 発 足 ( 昭 和 27 年 観 光 協 会 社 団 法 人 で 新 発 足 ) 昭 和 23年 6月 高 島 町 ・ 本 田 町 よ り 市 議 会 へ 沼 津 駅 北 口 設 置 請 願 昭 和 23年 戦 後 第 1回 中 元 売 り 出 し ( 主 催 商 工 会 議 所 ) 昭 和 23年 8月 沼 津 市 警 察 署 発 足 ( 内 務 省 警 察 か ら 自 治 体 警 察 へ 移 管 ) 昭 和 23年 8月 1日 沼 津 夏 祭 り 開 幕 昭 和 23年 10月 大 阪 麻 糸 株 式 会 社 が 工 場 を 沼 津 市 東 熊 堂 に 建 設 昭 和 23年 11月 上 滝 圧 力 機 株 式 会 社 再 建 昭 和 23年 12月 株 式 会 社 産 業 科 学 研 究 所 設 立 ( 元 沼 津 海 軍 技 術 研 究 員 集 団 : 千 本 郷 林 ) 昭 和 23年 12月 第 3代 会 頭 石 橋 治 郎 八 就 任 ( 前 任 者 第 2代 会 頭 岡 野 豪 夫 か ら ) 昭 和 24年 2月 沼 津 商 工 会 議 所 第 1回 役 員 会 ( 議 題 沼 津 駅 北 口 設 置 ・ 仮 称 片 浜 駅 新 設 請 願 ) 昭 和 24年 3月 芝 浦 機 械 製 作 所 再 発 足 ( 企 業 再 建 整 備 法 施 行 発 令 ) 昭 和 24年 3月 国 産 電 機 再 発 足 ( 企 業 再 建 整 備 法 発 令 ) ( 昭 和 21年 2月 20日 軍 政 部 よ り 民 需 品 転 換 許 可 が で る ) 昭 和 24年 3月 昌 和 洋 行 ( 昌 和 製 作 所 ) 沼 津 工 場 再 稼 働 ( 企 業 再 建 整 備 法 ・ 昭 和 35年 山 葉 発 動 機 傘 下 ) 昭 和 24年 3月 旧 海 軍 工 廠 跡 地 を め ぐ り 金 岡 開 拓 組 合 と 岳 南 組 合 と の 乱 闘 事 件 昭 和 24年 3月 24日 沼 津 市 大 門 町 大 火 122 戸 消 失 『 大 門 の 火 事 は 二 十 四 日 午 後 三 時 頃 に 五 十 メ ー ト ル ば か り 北 に あ る 大 通 り を 渡 っ た か ぶ と や 玩 具 店 の セ ル ロ イ ド に 何 か の 火 が 移 り 、 無 風 状 態 だ っ た の に 出 火 と 共 に 火 勢 は 強 く な り 火 勢 は 西 へ と 拡 大 し た 。 安 田 屋 の 計 ち ゃ ん と 二 人 で 火 元 の 隣 の 下 駄 屋 の 荷 物 を 、 往 来 へ 運 び 出 し て い た の だ が 。 火 勢 と 共 に 吹 き 出 し た 強 い 風 に 煽 ら れ て 、 い つ し か 火 は 大 通 り を 南 に 渡 っ て 今 は 裏 の 方 か ら 、 凄 ま じ い 火 勢 で 紅 蓮 の 炎 は 戦 災 バ ラ ッ ク を 瞬 時 に 舐 め 尽 し て 我 が 家 に 迫 っ て 来 る 。 あ の 広 い 道 路 の 向 い 側 に 出 し た 家 具 も 輻 射 熱 で 今 に も 燃 え 出 し そ う だ っ た 。 火 も な い の に 突 然 軒 先 か ら 発 火 し た 。 乾 燥 し 切 っ た 上 に 、 あ の 高 温 に 達 す る と 火 の 気 は 無 く と も 燃 え 上 っ た 。 バ ケ ツ の 水 を こ の 家 具 に か け る と 一 瞬 に し て 水 蒸 気 と な り 激 し い 音 だ け が 残 っ た あ の 日 の こ と が 今 も 眼 底 に 残 る 。 水 の 便 が 悪 く て 消 防 車 か ら の 放 水 は 殆 ん ど 無 か っ た 。 僅 か に 清 水 村 の 消 防 団 が 狩 野 川 か ら 中 継 で 送 水 し て い た か ら 、 こ の 消 防 士 に 頼 ん で 地 下 室 の あ た り に 放 水 し て 貰 っ た 。 若 い 三 人 が 道 路 上 の 荷 物 の 夜 番 を し て く れ た の で 、 く た く た に 疲 れ た 体 を 八 幡 町 で 仮 眠 し た 。 一 夜 明 け た 火 事 場 で は 焼 け 残 っ た 畳 や 建 具 の 争 奪 戦 が 展 開 さ れ て い た 。 戦 災 バ ラ
3.
3 ッ ク の と ん と ん 葺 の 屋 根 ば か り だ っ た か ら 意 外 に 火 の 廻 り が 早 か っ た し 、 又 思 い 掛 け な い 飛 び 火 の 原 因 に な っ た 。 吾 が 二 階 家 も 流 石 の 火 勢 に 骨 組 み だ け 残 す 姿 に な る の に 三 十 分 と は か か ら な か っ た 。 眼 の 前 で 総 べ て が 灰 燼 に 帰 し 、 羽 目 板 は 宛 も 紙 切 れ 同 然 に バ リ バ リ 音 を 立 て 、 四 散 し た 。 戦 災 バ ラ ッ ク は 火 災 を よ り 大 き く す る ば か り だ っ た 。 隣 の 岡 田 さ ん が 火 事 の 最 中 に 男 泣 き し て い る 姿 に は 哀 れ を 催 し た 。 尤 も 百 数 十 軒 の 罹 災 者 の 中 で 、 火 災 保 険 加 入 の 最 高 が 古 安 肉 店 の 百 万 円 で あ り 、 三 番 目 に 多 い 自 分 が 七 十 万 円 だ っ た 。 材 木 も ま だ 統 制 品 で あ っ た が 、 火 事 見 舞 に 来 て く れ た 下 河 原 の 鈴 木 製 材 に こ の 時 既 に 出 荷 の 承 諾 を 得 て 居 た 。【 類 焼 と 発 病 ( 一 杉 和 一 著 「 古 希 」 自 叙 伝 よ り ) 】』 昭 和 24年 6月 1日 沼 津 ― 静 岡 間 電 化 ( 昭 和 24年 6月 日 本 国 有 鉄 道 設 立 ) 昭 和 24年 7月 中 小 企 業 等 協 同 組 合 法 公 布昭 和 24年 7月 1日 三 島 信 用 金 庫 沼 津 支 店 開 店 : 大 手 町 ( 昭 和 26年 7月 幸 町 支 店 開 設 : 昭 和 35年 5月 4日 カ ト リ ッ ク 教 会 跡 地 に 移 転 新 築 ・ 平 成 19年 12月 10日 建 替 新 築 ) 昭 和 24年 12月 沼 津 ・ 三 島 間 直 通 電 話 開 通 ( 市 外 交 換 不 要 に な る ) 昭 和 25年 3月 1日 東 京 ― 沼 津 間 に 湘 南 電 車 運 転 開 始 ( 東 京 ・ 沼 津 間 2 時 間 30分 の 快 速 電 車 ) 昭 和 25年 5月 「 弘 報 ぬ ま づ 」 創 刊 第 一 号 発 行 昭 和 25年 4月 3日 沼 津 信 用 組 合 設 立 ( 昭 和 26年 沼 津 信 用 金 庫 に 改 組 ) 組 合 長 名 取 栄 一 ・ 出 資 者 1109 人 ・ 出 資 金 4,464,600 円『 昭 和 20年 の 八 月 十 五 日 に 戦 争 は 終 わ っ た も の の 、 市 街 地 は 焼 野 原 と 化 し て し ま っ た 。 市 民 は 家 を 焼 か れ 財 を 失 な っ て 、 芒 然 自 失 し た 。 農 ・ 漁 民 や 俸 給 生 活 者 は と に か く 、 一 番 困 ま っ た の は 、 中 小 企 業 、 商 店 街 の 人 た ち で あ っ た 。 復 興 に 先 立 た つ も の は 金 で あ っ た 。 バ ラ ッ ク の 借 店 舗 は 何 と か 建 て た が 、 商 品 を 仕 入 れ る 資 金 を 簡 単 に 貸 し て く れ る と こ ろ が な か っ た 。 名 取 翁 は 、 沼 津 市 の 戦 災 復 興 の た め に は 、 何 よ り も さ き に こ の 中 小 企 業 者 た ち を 再 起 さ せ る 金 融 機 関 を つ く ら な け れ ば な ら な い と 考 え た 。 岡 田 吾 市 、 勝 亦 干 城 、 竹 内 鉄 次 郎 、 寺 尾 利 平 、 木 村 清 太 郎 、 諏 訪 健 次 郎 、 塩 谷 六 太 郎 、 植 松 与 三 郎 、 杉 山 金 次 郎 、 宇 野 秀 吉 氏 等 と 相 談 し て 、 中 小 企 業 等 協 同 組 合 法 に よ る 沼 津 信 用 組 合 の 創 設 に と り か か っ た 。 名 取 翁 が 発 起 人 代 表 と な り 、 当 時 の 商 工 会 議 所 議 員 が 発 起 人 と な っ て 、 昭 和 二 十 五 年 四 月 三 日 に 沼 津 商 工 会 議 所 ホ ー ル で 創 立 総 会 を ひ ら い た 。 組 合 長 に 名 取 栄 一 が 満 場 一 致 で 推 さ れ 、 専 務 理 事 に 寺 尾 利 平 、 常 務 理 事 に 木 村 清 太 郎 、 理 事 に 岡 田 吾 市 、 竹 内 鉄 次 郎 、 杉 山 金 次 郎 、 増 田 慶 三 、 諏 訪 健 次 郎 、 西 山 倉 吉 、 渡 辺 好 郎 、 石 橋 治 郎 八 、 塩 谷 六 太 郎 、 勝 亦 干 城 、 植 松 与 三 郎 、 小 池 直 次 郎 、 鈴 木 万 吉 、 宇 野 秀 吉 、 杉 山 猪 作 、 山 田 長 次 郎 、 山 本 清 、 金 子 一 六 、 渡 辺 唯 吉 、 矢 田 唯 雄 、 後 藤 寿 雄 、 監 事 に 佐 藤 英 一 、 大 古 田 金 太 郎 、 柴 田 正 、 植 松 興 作 、 小 川 藤 太 郎 の 諸 氏 が 選 出 さ れ た 。 そ し て 同 年 四 月 二 十 日 か ら 商 工 会 議 所 階 下 の 一 部 を 利 用 し て 業 務 を 開 始 し た 。 出
4.
4 資 者 は 千 百 九 人 、 出 資 額 は 四 百 四 十 六 万 四 千 六 百 円 で あ っ た 。 : 名 取 栄 一 翁 小 伝 よ り 』 昭 和 25年 4月 千 本 公 園 に 市 営 水 族 館 開 館昭 和 25年 5月 駿 河 無 尽 株 式 会 社 本 店 三 枚 橋 か ら 大 手 町 へ 移 転 ( 昭 和 27年 6月 30日 静 神 相 互 銀 行 に 改 称 、 昭 和 32年 9月 21日 静 岡 相 互 銀 行 と 合 併 、 そ の 後 静 岡 中 央 銀 行 と 改 称 ) 昭 和 25年 6月 22日 沼 津 商 工 会 議 所 : 「 全 市 連 合 中 元 大 売 出 し 実 施 要 綱 」 ( 七 夕 祭 り : 七 夕 飾 り ・ 七 夕 行 列 ) 昭 和 25年 6月 25日 朝 鮮 動 乱 勃 発 昭 和 25年 7月 泉 水 源 の 沼 津 市 営 水 道 、 給 水 開 始 昭 和 25年 7月 内 浦 湾 周 遊 龍 宮 丸 運 行 昭 和 25年 10月 国 有 財 産 千 本 公 園 の 市 へ 払 い 下 げ 決 定 ( 28000 坪 ・ 90 万 円 ) 昭 和 26年 6月 矢 崎 電 線 ( 株 ) ( 昭 和 4 年 5月 藤 倉 電 線 社 員 矢 崎 卓 美 が 東 京 芝 に 電 線 販 売 会 社 設 立 ) 沼 津 兵 器 跡 に 沼 津 製 作 所 進 出 ( 昭 和 33年 沼 津 工 場 完 工 ) 昭 和 26年 6月 富 士 ロ ビ ン ( 株 ) 沼 津 製 作 所 進 出 ( 昭 和 18年 中 島 飛 行 機 三 島 製 作 所 木 瀬 川 分 工 場 跡 ) 昭 和 26年 8月 清 水 銀 行 大 手 町 に 沼 津 支 店 開 設 ( 昭 和 35年 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト で 新 築 す る ) 昭 和 26年 9月 8日 サ ン フ ラ ン シ ス コ 平 和 条 約 ・ 日 米 安 全 保 障 条 約 調 印 昭 和 26年 12月 沼 津 専 門 店 会 設 立 ( 月 賦 販 売 シ ス テ ム ) ( 沼 津 リ ン ク ス ス ト ア か ら 27年 専 門 店 会 へ 名 称 変 更 ) 『 石 橋 治 郎 八 著 シ ル ク 紳 士 ま か り 通 る よ り : 次 に 力 を 入 れ た の は 専 門 店 会 の 育 成 で あ る 。 そ の こ ろ チ ケ ッ ト で 月 賦 販 売 す る 専 門 店 会 が 関 西 か ら は や っ て き た 。 沼 津 で も 有 志 が 集 ま っ て 専 門 店 会 を 結 成 す る 計 画 が 進 め ら れ た と こ ろ が そ の 資 金 は わ ず か に 三 十 万 円 だ と い う 私 は 顧 問 の 資 格 で そ の 総 会 に 出 席 し て 一 席 ぶ っ た 「 三 十 万 円 の 資 金 で は せ っ か く 専 門 店 会 を つ く っ て も 動 き が と れ な い の で は な い か せ め て 百 万 円 に し な さ い そ の か わ り 私 が 貴 任 を も っ て 静 岡 銀 行 か ら 一 千 万 円 の 信 用 融 資 を 取 り つ け ま し ょ う 、 も ろ ん 会 員 た ち は 一 も 二 も な く 賛 成 し た 出 資 金 を 百 万 円 に 増 額 す る 件 は た だ ち に 可 決 さ れ た の で あ る 。 こ う し て 専 門 店 会 が で き る と 、 そ の PR の た め 大 口 消 費 者 で あ る 沼 津 を 中 心 と し た 有 力 工 場 の 総 務 関 係 者 を 招 い て パ ー テ ィ を 開 い た 。 私 は そ の 席 上 、 商 工 会 議 所 会 頭 と し て 次 の よ う な 挨 拶 を 述 べ た 。 「 専 門 店 会 が チ ケ ッ ト で 月 賦 販 売 を や る と い う と 、 あ な た 方 は お そ ら く 市 価 よ り 高 く 売 り つ け る の で は な い か と お 考 え に な る か も し れ な い 。 ま た 、 そ れ が 従 来 の 月 賦 販 売 の 常 識 で も あ り ま す 。 し か し 私 が 顧 問 と し て 専 門 店 会 に 関 係 す る 以 上 、 現 金 正 価 と 変 わ ら な い 値 段 で 販 売 す る と い う こ と を こ こ で 約 束 い た し ま す 。 ど う し て そ う い う こ と が で き る か と 不 思 議 に 思 う 方 も い る か も し れ ま せ ん が 当 会 で は 静 岡 銀 行 か ら 一 千 万 円 の 融 資 を 受 け る こ と に な っ て お リ 商 品 は み な 現 金 で 仕 入 れ る の で 安 く 入 手 で き る の で す だ か ら あ な た 方 に も 安 い 商 品 を 提 供 で き る わ け で あ り ま す 。 ど う か 、 そ の 点 は 安 心 し て 当 会 と お 取
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5 引 き 願 い た い 」 正 価 で 月 賦 こ の 方 針 は 図 に 当 た っ た 。 そ の 後 沼 津 専 門 店 会 は 年 々 発 展 し 、 静 岡 県 下 で も 優 秀 な 成 績 を あ げ る よ う に な り 、 全 国 の 専 門 店 会 の な か か ら 表 彰 さ れ る ま で に な っ た 。 同 会 が 現 在 な お 発 展 途 上 に あ る こ と は 、 ま こ と に よ ろ こ ば し い こ と で あ る 。 大 き な 企 業 は 放 っ て お い て も 自 分 で や っ て い け る が 、 小 さ な 企 業 は そ う は い か な い 。 私 は 会 頭 と し て の 仕 事 の 重 点 を 中 小 企 業 の 育 成 に お い て 努 力 し た つ も り で あ る 。 』 『 沼 津 専 門 店 会 と は ど ん な 組 識 な の だ ろ う か 。 そ の 発 足 は 31年 前 の 昭 和 26年 に 遡 る 。 当 時 、 全 国 的 に 日 専 連 運 動 が 展 開 さ れ て お り 、 静 岡 に 専 門 店 会 が で き た こ と に よ り . 沼 津 に も 創 っ て は ど う か と 、 市 内 の 有 力 専 門 店 の 有 志 が 集 ま り 、 設 立 準 備 を 初 め た と い う 。 当 時 は 「 沼 津 リ ン ク ス ト ァ 」 と い う 名 称 で 、 発 起 人 に は 、 柴 田 屋 柴 田 正 、 正 札 堂 田 村 靖 雄 、 タ チ カ ワ 洋 装 店 立 川 松 吉 、 仁 藤 履 物 店 仁 藤 英 一 、 光 音 カ ン パ ニ ー 牧 野 洋 三 、 大 橋 果 物 店 大 橋 規 一 、 ヌ マ ヅ 薬 局 岡 田 仁 、 高 村 洋 服 店 高 村 銀 作 、 ヨ シ ム ラ 眼 鏡 店 吉 邨 勇 、 ト モ エ ヤ 靴 店 佐 野 薫 、 伊 豆 屋 呉 服 店 土 屋 秀 夫 の 諸 氏 が 並 ん だ 。 加 盟 店 は 一 業 種 一 店 が 原 則 で あ っ た が 、 一 業 種 三 店 程 度 に ワ ク を 広 げ 、 参 加 を 募 っ た と い う 。 ( 昭 和 56 年 7 月 ペ ル ソ ン 誌 )』 昭 和 26年 丸 高 パ チ ン コ 店 転 業 開 店 ( 昭 和 5年 大 手 町 で 丸 高 家 具 店 開 業 )( こ の こ ろ 沼 津 市 内 に 102 軒 の パ チ ン コ 店 あ り ) 昭 和 27年 2月 沼 津 商 店 街 連 盟 設 立 昭 和 27年 2月 29日 沼 津 ロ ー タ リ ー ク ラ ブ 発 足 ( チ ャ タ ー メ ン バ ー 28名 ) 昭 和 27年 3月 沼 津 観 光 協 会 社 団 法 人 で 新 発 足 『 石 橋 治 郎 八 著 シ ル ク 紳 士 ま か り 通 る よ り : 私 は 沼 津 観 光 協 会 長 を 兼 任 し て い た 。 昭 和 二 十 七 年 の こ と 、 夏 の 人 寄 せ に 夏 祭 り を 計 画 し 、 手 は じ め に 西 条 八 十 、 中 山 晋 平 両 先 生 に 作 詞 作 曲 を 依 頼 し て 「 沼 津 音 頭 」 と 「 沼 津 夜 曲 」 を つ く っ て も ら い 、 レ コ ド ー に も 吹 き 込 ん で 、 振 リ 付 け も 頼 み 、 こ れ を 町 内 を 通 じ て 普 及 す る と 同 時 に 、 夏 祭 り の 気 分 を 高 め る よ う に 努 め た 。 夏 祭 り は 八 月 一 日 か ら 三 日 問 と し 観 光 協 会 の 主 催 で 狩 野 川 河 口 の 御 成 橋 を 中 心 に 仕 掛 け 花 火 な ど も 用 意 し て 盛 大 な 花 火 大 会 を 開 い た 。 私 は こ の 夏 祭 り の 宣 伝 の た め 、 沼 津 の 芸 者 を 狩 り 集 め 、 満 艦 飾 の ト ラ ッ ク に 乗 せ て 沼 津 音 頭 の お 披 露 目 を し 近 村 か ら 修 善 寺 伊 豆 半 島 と 静 岡 県 東 部 一 帯 を 巡 ら せ た 。 こ の 三 日 間 に 集 ま っ た 人 波 は ざ っ と 二 十 万 商 店 街 に 落 ち た 金 は 一 億 円 に も な っ た 。 祭 り は 造 る も の で あ る 。 人 は 集 め る も の で あ る 。 思 い が け ぬ 盛 大 な 夏 祭 り に な っ て 商 店 街 も ホ ク ホ ク だ っ た 。 私 も 生 ま れ て は じ め て の よ う な 大 音 声 で 狩 野 川 河 口 で 群 衆 に あ い さ つ し た お そ ら く 〃 街 道 " 一 の 〃 い い 男 " に な っ て い た だ ろ う 、 翌 年 の 夏 は ち ょ う ど 沼 津 御 用 邸 に お 出 で に な っ て い た 皇 太 子 殿 下 を お 祭 り に ご 招 待 し 、 ご 観 覧 の 光 栄 に 浴 し た 。 こ の 夏 祭 り は 、 い ま で は 東 海 道 の 名 物 と な り 、 毎 夏 盛 大 に 行 な わ れ て い る の で あ る 。 』 昭 和 27年 4月 富 士 製 作 所 、 製 品 海 外 輸 出 再 開 さ れ る 昭 和 27年 5月 「 耐 火 建 築 促 進 法 」 公 布 施 行
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6 昭 和 27年 5月 沼 津 市 立 図 書 館 、 千 本 に 開 館 昭 和 27年 沼 津 サ ー ビ ス 店 会 設 立 ( 月 賦 シ ス テ ム ) 昭 和 27年 本 通 り 共 同 住 宅 建 設 組 合 設 立 昭 和 27年 沼 津 市 商 店 街 連 盟 設 立 昭 和 27年 ( 1952 年 ) 9月 20 日 西 武 百 貨 店 第 一 期 開 店 ( 池 袋 ) 昭 和 28年 沼 津 チ ェ ン ス ト ア ー 設 立 ( 月 賦 販 売 シ ス テ ム ) 昭 和 28年 1月 石 橋 製 糸 沼 津 工 場 ( 昭 和 8年 林 組 倒 産 に よ り 引 き 継 い た ) は 二 十 八 年 一 月 個 人 商 店 か ら 株 式 会 社 と し て 認 め ら れ た 。 昭 和 28年 2月 1日 N H K 東 京 テ レ ビ 放 送 開 始昭 和 28年 3月 沼 津 新 駅 庁 舎 竣 工 昭 和 28年 3月 沼 津 駅 デ パ ー ト 開 業 『 石 橋 治 郎 八 著 シ ル ク 紳 士 ま か り 通 る よ り 。 【 私 が 任 期 中 に 力 を 入 れ た の は 沼 津 駅 の 改 築 で あ る 。 戦 災 を 受 け た 沼 津 駅 は 終 戦 後 も ず っ と バ ラ ッ ク 建 て の ま ま で あ っ た 。 当 時 、 駅 の 改 築 は 地 元 の 寄 付 が 相 当 な い と 許 可 に な ら な い 建 て 前 だ っ た 。 あ る と き 、 塩 谷 沼 津 市 長 が 御 殿 揚 で 静 養 中 の 吉 田 首 相 か ら 耳 よ り な 話 を 聞 い て き た 。「 こ れ か ら の 駅 の あ り 方 は 構 造 を 立 体 的 に し 、 会 社 の 事 務 所 や い ろ い ろ な 商 店 を 置 く よ う に し な け れ ば な ら ぬ 」 と い う 、 い わ ゆ る 民 衆 駅 の 構 想 で あ る 。 こ れ に 力 を 得 て 私 た ち は 工 費 一 億 円 で 鉄 筋 四 階 建 て の 駅 を 建 築 す る 計 画 を 立 て た 。 し か し 国 鉄 側 と 話 し 合 っ て み る と 、 民 間 が 使 用 す る 分 の 建 築 費 に つ い て は 民 間 の 全 額 寄 付 と す る 、 さ ら に そ れ を 借 り る と き は こ ち ら が 権 利 金 を 出 し た う え 毎 月 賃 貸 料 を 払 う 、 そ し て 契 約 期 間 は 八 十 年 か ら 百 年 と い う 条 件 で な け れ ば 応 じ な い と い う 。 す こ ぶ る む ず か し い 条 件 だ 。 こ れ で は 寄 付 金 を 集 め る わ け に は い か な い 。 残 念 な が ら 沼 津 駅 改 築 計 画 は 一 時 見 送 り と な っ た 。 そ れ で 私 は 沼 津 駅 の 改 築 の こ と は 半 ば 諦 め て い た の だ が 、 そ の こ と が あ っ て か ら 六 、 七 年 た っ た 頃 、 こ ん ど は 国 鉄 側 か ら 話 が 持 ち 込 ま れ て き 。 沼 津 駅 改 築 の 予 算 が 四 千 万 円 ほ ど と れ た が 、 地 元 か ら 千 五 百 万 円 の 寄 付 が 必 要 で あ る 。 そ の た 金 が 見 込 が つ か な け れ ば 、 改 築 は で き な い か ら 予 算 も 他 に ま わ す こ と に な る だ ろ う 、 と い う こ と で あ っ た 。 千 五 百 万 円 の 寄 付 を 集 め る こ と は 容 易 で は な い 。 し か し こ の 機 を 逸 す る と 、 沼 津 駅 の 改 築 は 当 分 お 預 け と な る 。 あ れ や こ れ や と 思 い あ ぐ ね た 末 、 私 は 国 鉄 側 に 沼 津 駅 改 築 の 図 面 を み せ て も ら う こ と に し た 。 図 面 を み れ ば 、 な に か い い 考 え が 湧 く か も し れ な い と 考 え た の で あ る 。 詳 細 に 図 面 を 検 討 し た と こ ろ 、 改 札 口 の 上 が 百 二 、 三 十 坪 空 い て い る の を 発 見 し た 。 こ れ だ ! こ れ を 活 用 す る 以 外 に 手 は な い 。 私 は 早 速 こ の 「 空 所 を 七 、 八 十 年 の 賃 貸 契 約 で 貸 し て く れ る な ら 千 五 百 万 円 の 寄 付 は 引 き 受 け ま す 」 と 国 鉄 に 申 し 入 れ た 。 し か し 国 鉄 側 で は 七 、 八 十 年 の 賃 貸 契 約 で は む ず か し い 、 こ ち ら の 条 件 を の む な ら 応 じ よ う と の 返 事 で 譲 ら な い 。 結 局 国 鉄 側 の 言 い な り に な る よ り ほ か な か っ た 。 す で に 駅 弁 を 入 れ て い る 桃 中 軒 が 二 、 三 十 坪 を 二 百 五 十 万 円 で 引 き 受
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7 け る こ と に な っ て い た の で 、 会 議 所 と し て は あ と の 百 坪 を 借 り る 条 件 で 千 二 百 五 十 万 円 の 寄 付 を 引 き 受 け る こ と に な っ た 。 こ れ は い い さ さ か 独 断 専 行 の き ら い が あ っ た 。 し か し 、 あ る 場 合 は 、 こ の 程 度 の 蛮 勇 を ふ る わ な け れ ば 何 事 も 成 就 し が た い も の で あ る 。 私 は 国 鉄 と の 契 約 は 伏 せ た ま ま 、 し ば ら く 形 勢 を み る こ と に し た 。 そ の う ち に い よ い よ 国 鉄 側 は 改 築 に 取 り か か り 、 新 し い 駅 に 対 す る 一 般 の 関 心 が 高 ま っ て き た 。 こ ろ は よ し 、 私 は 会 議 所 の 役 員 会 を 招 集 し 、 百 坪 の 賃 貸 と 寄 付 問 題 を は か っ た 。 「 新 駅 が で き る に つ い て 階 上 の 百 坪 を 借 り る こ と が で き る 。 た だ し 、 こ れ に は 条 件 が あ る 。 場 所 に 甲 乙 は つ け る に し て も 、 平 均 坪 十 三 万 円 の 権 利 金 が い る 。 権 利 金 と い っ て も 、 そ の 内 容 は 寄 付 金 だ か ら 権 利 証 を も ら う わ け で は な い 。 さ ら に 毎 月 賃 貸 料 を 払 わ ね ば な ら ぬ 。 ま た 不 良 品 を 客 に 販 売 す る よ う な こ と が あ れ ば 、 解 約 す る と い っ た 条 件 も つ い て い る 。 し た が っ て 百 坪 を 細 か く 分 割 し て 個 人 に や ら せ る と 解 約 さ れ る も の が 出 な い と は か ぎ ら な い 。 そ こ で 私 が 責 任 者 に な っ て " 沼 津 ス テ ー シ ョ ン ・ デ パ ー ト 株 式 会 社 " を つ く り 、 設 備 の 一 部 を 整 え 、 あ と は 個 人 で 経 営 す る と い っ た 形 を と っ た ら ど う だ ろ う か 。 一 応 会 社 が 金 を 出 し て 、 そ の う え で み な さ ん に ま た 貸 し し た と い う 形 を と れ ば 、 個 人 に 不 手 際 が あ っ て も 解 約 さ れ る こ と は あ る ま い 。 こ う い う 条 件 で 坪 十 三 万 円 で 借 り る 人 が い る だ ろ う か 。 希 望 者 が 少 な け れ ば 、 東 京 方 面 に 有 力 な 借 り 手 が あ る か ら 、 そ ち ら へ 頼 む こ と に な る 。 私 は 地 元 の 発 展 の た め に 、 沼 津 で 全 部 引 き 受 け て く れ れ ば そ れ に 越 し た こ と は な い と 思 う の だ が … … 」 「 問 口 一 問 、 奥 行 四 尺 ぐ ら い の と こ ろ が 十 三 万 円 と は 高 過 ぎ る 。 坪 十 三 万 円 か け れ ば 新 し い 店 が で き る じ ゃ な い か 」 こ ん な 反 対 論 が ガ ヤ ガ ヤ と 出 は じ め た 。 「 商 工 会 議 所 と し て は 、 一 応 引 き 受 け た か ら 、 み な さ ん に お は か り し た が 、 希 望 者 が 少 な け れ ば 東 京 の 有 力 者 に 貸 す こ と に な る 。 希 望 者 は 二 週 間 以 内 に 申 し 出 て も ら い た い 」 こ れ 以 上 話 し 合 っ て も 、 こ こ で は ま と ま る ま い 、 考 え る 時 間 を 与 え た 方 が い い と 思 っ た の で 、 私 は そ う 言 っ て 役 員 会 を 打 ち 切 っ た 。 二 週 間 経 っ て 、 ふ た を 開 け て み る と 、 な ん と 申 し 込 み は 二 ・ 七 倍 も あ り 、 こ ん ど は 割 当 に 困 る ほ ど だ っ た 。 予 想 通 り 私 の 作 戦 が 奏 効 し た わ け で あ る 。 】』 昭 和 28年 7月 八 幡 町 に 沼 津 市 公 会 堂 竣 工昭 和 28年 7月 市 制 施 行 30周 年 協 賛 行 事 実 施 沼 津 市 30周 年 記 念 沼 津 商 店 主 の 宣 伝 自 転 車 部 隊昭 和 28年 7月 本 通 り で 仮 装 踊 り ・ 沼 津 夏 祭 り 駅 前 で 商 店 会 の 沼 津 音 頭 踊 り ・ 千 本 浜 公 園 で ミ ス 沼 津 審 査 会 昭 和 28年 7月 松 菱 沼 津 店 進 出 ( 昭 和 31年 エ レ ベ ー タ ー 運 転 ・ 昭 和 48年 閉 店 ) 昭 和 28年 12月 ア ー ケ ー ド 西 側 が 完 成 ( 東 西 総 工 費 1億 6千 万 円 ・ 総 面 積 約 2300 坪 ) 昭 和 29年 3月 7日 沼 津 青 年 会 議 所 発 足 昭 和 29年 4月 17日 藤 倉 電 線 ( 株 ) ( 明 治 18年 藤 倉 善 八 東 京 神 田 絹 綿 捲 線 会 社 創 業 : 富 士 根 村 王 子 製 紙 第 二 工 場 の
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8 疎 開 か ら 【 東 京 人 絹 → 沼 津 海 軍 工 廠 → 小 糸 車 両 工 場 】 跡 に ) 沼 津 進 出 昭 和 29年 7月 沼 津 市 警 察 署 か ら 県 沼 津 警 察 署 に ( 市 警 か ら 県 警 に ) 昭 和 29年 7月 仲 見 世 商 店 会 「 七 夕 ま つ り 」 始 ま る 昭 和 29年 11月 ア ー ケ ー ド 東 側 完 成 し 本 通 り ア ー ケ ー ド 街 全 面 完 成 ア ー ケ ー ド 街 『 ア ー ケ ー ド 街 は 西 側 が 昭 和 二 十 八 年 十 二 月 に 、 東 側 が 同 二 十 九 年 十 一 月 に 完 成 し た が 、 総 工 費 は 約 一 億 六 千 万 円 、 総 延 面 積 七 、 五 九 〇 平 方 メ ー ト ル ( 約 二 、 三 〇 〇 坪 ) 商 店 数 五 〇 に 及 ぶ 大 規 模 な も の で あ っ た 。 こ の 商 店 街 の 二 階 以 上 が 歩 道 に 突 出 し て い る の は 、 都 市 計 画 に よ る 道 路 拡 張 の た め 各 店 舗 を 後 退 さ せ る 必 要 が あ っ た の を 、 松 菱 百 貨 店 の 建 物 の 移 動 が 困 難 な た め 、 便 宜 的 に 松 菱 の 一 階 に 歩 道 を 貫 通 さ せ 、 他 の 商 店 は こ れ に 準 じ て 一 階 だ け 後 退 さ せ 、 二 階 以 上 は 店 舗 兼 住 宅 に 利 用 さ せ る と い う 苦 肉 の 策 が と ら れ た も の で あ る 。 こ れ は 全 国 で も 類 の な い 建 築 方 式 で 沼 津 の 一 名 所 と な り 、 四 季 を 通 じ て 各 地 か ら 視 察 に 来 る 特 異 建 築 と な っ た 。 ま た こ の 地 区 は 沼 津 市 美 観 地 区 条 令 に よ っ て 、 こ の 商 店 街 は 美 観 地 区 に 指 定 さ れ る こ と に な っ た 。 こ れ に よ り 電 気 看 板 の 大 き さ 、 螢 光 灯 の 位 置 な ど も 一 定 さ れ 、 美 観 を 害 す る 造 作 物 の 設 置 を 禁 じ ら れ て い る 。 要 す る に 商 店 街 共 同 建 築 の モ デ ル ケ ー ス と な っ た の で あ る 。 ( 沼 津 市 誌 ) 』「 戦 後 復 興 事 業 と 防 火 建 築 帯 事 業 合 併 事 業 : 沼 津 市 史 」 昭 和 29年 11月 9日 防 火 帯 共 同 建 築 関 係 識 者 報 告 会 : セ メ ン ト 協 会 主 催 社 団 法 人 セ メ ン ト 協 会 • 後 援 沼 津 市 ・ 昭 和 29 年 11 月 9日 • 場 所 沼 津 市 庁 • 御 出 者 ・ 建 設 省 村 井 建 築 防 災 課 長 • 住 宅 金 融 公 庫 関 東 支 所 松 本 貸 付 課 長 、 藤 沢 建 設 課 長 補 佐 • 静 岡 県 庁 久 保 田 建 築 企 画 係 長 • 沼 津 市 • 松 下 建 築 課 長 、 落 合 都 市 計 画 課 長 、 鈴 木 建 築 課 長 補 佐 、 内 田 住 宅 営 繕 係 長 、 鍵 山 建 築 指 導 係 長 、 内 海 建 築 課 主 事 、 袴 田 都 市 計 画 課 書 記 • 沼 津 市 美 観 審 査 委 員 会 望 月 委 員 長 • 沼 津 市 本 通 共 同 住 宅 建 設 組 合 • 岡 田 理 事 長 、 杉 山 ( 猪 ) 副 理 事 長 、 海 野 副 理 事 長 、 鈴 木 副 理 事 長 、 杉 山 ( 進 ) 副 理 事 長 • 建 設 工 学 研 究 会 小 芦 専 務 理 事 、 今 泉 常 務 理 事 、 高 田 現 場 監 督 • 清 水 建 設 株 式 会 社 後 藤 静 岡 出 張 所 長 、 坂 現 場 主 任 、 成 瀬 現 場 主 任 、 蜷 川 現 場 主 任 • セ メ ン ト 協 会 徳 永 専 務 理 事 昭 和 29年 中 ノ 島 水 族 館 ( 昭 和 5年 開 館 ) が 三 津 水 族 館 に 改 称 、 高 台 に 新 館 を 建 設 昭 和 29年 9月 12日 沼 津 牧 水 祭 始 ま る 昭 和 29年 百 貨 店 の 特 殊 指 定 昭 和 30年 4月 1日 愛 鷹 ・ 大 平 ・ 内 浦 ・ 西 浦 4 カ 村 沼 津 と 合 併 4月 29日 浮 島 村 、 原 町 と 合 併 昭 和 30年 4月 1日 駿 河 銀 行 、 旧 本 店 跡 地 ( 通 横 町 ) に 戦 後 大 手 町 仮 本 店 社 屋 か ら 新 築 開 店 ( 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト 地 下 1 階 地 上 4 階 ) 昭 和 30年 8月 沼 津 本 通 り ア ー ケ ー ド 竣 工 祝 い 大 売 り 出 し 昭 和 30年 伊 豆 国 立 公 園 指 定 さ れ る 。 昭 和 30年 ( 1 9 5 5年 ) 堤 清 二 が 西 武 百 貨 店 取 締 役 店 長 に 就 任 昭 和 30年 稲 村 椎 茸 問 屋 上 本 通 り へ
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9 進 出 昭 和 31年 3月 第 4代 会 頭 田 中 清 一 就 任昭 和 31年 第 二 次 百 貨 店 法 成 定 昭 和 31年 3月 15日 沼 津 宝 塚 劇 場 開 館 『 " 沼 津 寶 塚 劇 場 " 完 工 ( 東 宝 系 ) い よ い よ 3月 15日 開 館 上 本 通 り 東 海 劇 場 前 に 昨 年 1 月 か ら 清 水 市 鈴 与 建 設 が う け お つ て 着 工 始 め た 総 面 積 二 百 二 十 五 坪 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト 三 階 建 の 工 事 は 、 最 後 の 追 い 込 み に 日 夜 懸 命 の 作 業 を 続 け て い る が 、 い よ い よ 十 五 日 春 の 陽 ざ し に 柔 か く 映 え る ク リ ー ム 色 の 劇 場 、 沼 津 宝 塚 劇 場 と 命 名 ( 社 長 猪 俣 勝 人 氏 、 支 配 人 松 本 一 己 氏 ) し 開 舘 す る 。 東 宝 系 、 冷 暖 房 装 置 、 客 席 六 百 、 収 容 人 員 千 名 、 シ ネ ス コ ・ ス ク リ ー ン 常 備 、 ほ う 画 ワ イ ド ス ク リ ー ン 使 用 、 富 士 セ ン ト ラ ル 最 新 式 影 写 機 、 発 声 器 ビ ク タ ー 二 階 喫 茶 室 に テ レ ビ 、 公 衆 電 話 を 備 え 客 の サ ー ビ ス に 当 り 、 化 粧 室 は 全 部 水 洗 便 所 で 県 東 部 一 を ほ こ る 劇 場 と な る わ け 。 開 館 披 露 第 一 週 目 は 十 五 日 か ら 二 十 日 ま で 鶴 田 三 船 出 演 の 「 暗 黒 街 」、 香 川 、 木 村 出 演 の 「 奥 様 は 大 学 生 」 を 上 映 す る 。 ( 黎 明 新 聞 昭 和 31年 3月 15日 号 ) 』 こ の 時 点 で の 沼 津 の 映 画 館 は 沼 津 文 化 劇 場 、 沼 津 第 一 劇 場 、 沼 津 映 画 劇 場 、 沼 津 宝 塚 劇 場 、 沼 津 銀 星 座 、 沼 津 東 海 劇 場 、 沼 津 セ ン ト ラ ル 劇 場 7 館 。 昭 和 31年 上 本 通 り 商 店 街 ( 沼 津 文 化 劇 場 前 歩 道 ) を 行 く 若 い 女 性 。 昭 和 31年 御 殿 場 線 、 蒸 気 機 関 車 か ら ジ ー ゼ ル に ( 昭 和 42年 か ら 電 車 が 走 る ) 昭 和 31年 小 田 急 デ ィ ー ゼ ル カ ー 御 殿 場 乗 り 入 れ に 対 し 沼 津 駅 ま で 延 長 を 国 鉄 ・ 小 田 急 に 陳 情 ( 第 1 次 小 田 急 沼 津 乗 り 入 れ 運 動 ) 昭 和 31年 5月 第 2次 百 貨 店 法 公 布 昭 和 31年 東 海 道 線 全 線 電 化 完 成 ( 昭 和 9年 丹 那 ト ン ネ ル 開 業 、 東 京 駅 ― 沼 津 駅 間 電 化 完 成 ) 昭 和 31年 6月 1日 松 菱 デ パ ー ト : エ レ ベ ー タ ー 設 置 運 転 。 昭 和 31年 6月 5日 銀 星 座 映 画 館 新 装 開 館 ( 松 竹 ・ 東 映 ) 昭 和 31年 7月 2日 沼 津 法 人 会 創 立 総 会 ( 沼 津 商 工 会 議 所 ホ ー ル に て ) 昭 和 31年 7月 喫 茶 店 プ リ ン ス 新 築 開 店 『 新 装 開 店 新 築 改 名 御 挨 拶 新 名 プ リ ン ス 旧 名 沼 津 名 産 喫 茶 部 皆 様 に 愛 さ れ た 喫 茶 「 め い さ ん 」 を 今 度 「 プ リ ン ス 」 と 呼 ん で 下 さ い 。 プ リ ン ス は 新 築 の 落 着 い た 雰 囲 気 で 心 か ら 皆 様 を お 待 ち し て お り ま す 。 喫 茶 プ リ ン ス 「 沼 津 駅 前 TEL 四 七 九 六 六 八 」 ( 沼 朝 昭 和 31年 7 月 26日 号 広 告 ) 』 昭 和 31年 8月 23日 『日 限 地 藏 尊 蓮 光 寺 へ 建 立 三 枚 橋 と 三 芳 町 の 町 内 会 で は 、 予 算 六 十 万 円 で 蓮 光 寺 境 内 へ日 限 地 藏 尊 を 建 立 す る こ と に な っ た 。 二 十 万 円 は 鈴 木 製 材 が 寄 付 、 十 万 円 は 両 町 内 の お 婆 さ ん が 托 鉢 で 集 め 、 残 り 三 十 万 円 を 両 町 内 で 十 五 万 円 ず つ 献 出 し 、 八 月 二 十 三 日 の 祭 典 ま で に 完 成 す る ( 沼 朝 昭 和 31年 5月 26日 号 )』 昭 和 31年 8月 西 武 沼 津 店 進 出 問 題 ( こ の 時 点 、 既 に 駿 鉄 ビ ル 建 設 は 着 工 さ れ て い た ) 商 店 街 連 盟 ( 会 長 大 橋 規 一 氏 ) で は 二 十 七 日 午 後 二 時 か ら 商 工 会 議 所 で 役 員 会 を ひ ら き 、 対 策 に つ い て 協 議 、 意 見 書 を と り ま と め て 九 月
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10 五 日 ま で に 通 産 省 企 業 局 商 務 課 へ 提 出 。 『 駅 前 に 西 武 百 貨 店 廿 七 日 商 連 が 対 策 協 議 駅 前 、 駿 鉄 の 角 へ 西 武 百 貨 店 沼 津 支 店 が 建 設 さ れ る 。 地 下 一 階 、 地 上 六 階 、 三 三 七 〇 ・ 六 九 一 平 方 米 の 近 代 百 貨 店 で 、 駅 前 の 一 偉 観 と な る が 東 京 資 本 に よ る こ の デ パ ー ト 進 出 に 対 し て 、 商 店 街 連 盟 で は 、 二 十 七 日 午 後 二 時 か ら 役 員 会 を ひ ら き 、 対 策 を 講 ず る と 共 に 、 意 見 書 を 通 産 省 企 業 局 商 務 課 に 堤 出 す る 。 地 上 六 階 の ビ ル 来 年 二 月 か ら 開 業 西 武 百 貨 店 ( 東 京 都 豊 島 区 池 袋 二 丁 目 一 一 八 八 ) で は 大 手 町 五 番 地 駿 鉄 角 へ 、 沼 津 支 店 の 新 設 を 計 画 し 〃 西 武 鉄 道 、 駿 豆 鉄 道 ビ ル 〃 と し て 清 水 組 に よ っ て 工 事 が 進 め ら れ て い る が こ れ は 鉄 筋 コ ン ク リ ー と 六 階 建 三 、 五 七 〇 ・ 六 九 一 平 方 米 ( 地 下 一 階 四 二 四 ・ 一 〇 四 平 方 米 地 上 六 階 三 、 一 四 六 ・ 七 平 方 米 ) の 近 代 百 貨 店 で 、 松 坂 屋 静 岡 支 店 よ り は 小 さ い が 、 松 菱 沼 津 支 店 の 二 倍 ほ ど の 大 き さ 。 塔 屋 に は 、 さ ら に も う 一 階 延 べ 七 階 の ビ ル で 、 衣 料 、 家 庭 用 品 、 雑 貨 、 食 料 品 、 加 工 修 理 、 卸 売 な ど の 売 場 の ほ か 、 美 容 室 ( 三 三 平 方 米 ) 食 堂 ( 四 〇 二 平 方 米 ) が 計 画 さ れ 営 業 開 始 は 三 十 二 年 二 月 末 日 か ら と 予 定 さ れ て い る 。 商 店 街 に 脅 威 ? 五 日 ま で に 意 見 書 松 菱 に つ づ い て 、 そ れ よ り も 更 に 大 き い こ の 西 武 百 貨 店 の 進 出 に 対 し て 、 商 店 街 で は 生 命 線 を 脅 か さ れ る も の と し て 強 硬 に 反 対 す る 向 と 却 っ て 商 店 街 の 繁 栄 に な る も の と 、 意 見 は さ ま ざ ま 商 店 街 連 盟 ( 会 長 大 橋 規 一 氏 ) で は 廿 七 日 午 後 二 時 か ら 商 工 会 議 所 で 役 員 会 を ひ ら き 対 策 に つ い て 協 議 意 見 書 を と り ま と め て 九 月 五 日 ま で に 通 産 省 企 業 局 商 務 課 へ 提 出 す る こ と に な っ た 。 《 沼 朝 昭 和 3 1 年 8月 24日 ( 金 ) 号 》 』 『 西 武 百 貨 に 街 の 聲 廿 九 日 に 諮 問 委 員 会 本 紙 既 報 の と お り 、 西 武 百 貨 店 で は ( 駅 前 駿 鉄 角 に 地 下 一 階 地 上 六 階 、 三 三 五 七 〇 ・ 六 九 一 平 方 米 ) 沼 津 支 店 の 建 築 に 着 手 、 来 年 二 月 末 開 業 の 準 備 を 進 め て い る が 、 市 民 間 で は 市 の 繁 栄 策 と し て 歓 迎 す る 者 と 、 商 店 街 は 生 命 線 か 脅 か さ れ る と 反 対 す る 者 と 、 二 つ の 意 見 か 対 立 し て い る 。 こ れ に 対 し 商 工 会 議 所 で は 二 十 九 日 午 後 一 時 か ら 卸 売 業 者 、 小 売 業 者 、 百 貨 店 、 消 費 者 各 代 表 、 学 識 経 験 者 、 公 共 団 体 職 員 、 商 議 所 役 員 な ど 二 十 数 名 で 構 成 す る 諮 問 委 員 会 ( 商 業 活 動 調 整 協 議 会 ) を ひ ら き 、 九 月 五 目 ま で に 通 産 省 企 業 局 商 業 課 に 意 見 書 を 提 出 す る 。 生 命 線 を 脅 か す " 西 武 デ パ ー ト 沼 津 進 出 に 対 し て 、 今 日 午 後 三 時 か ら 大 手 共 栄 会 、 仲 見 世 商 店 街 、 上 土 振 興 会 、 上 本 通 共 栄 会 、 ア ー ケ ー ド 街 大 成 会 、 南 部 商 店 街 、 沼 津 専 門 店 会 、 沼 津 サ ー ビ ス 店 会 、 沼 津 チ エ ー ン ス ト ア 会 の 代 表 者 は 商 工 会 議 所 に 集 っ て 協 議 し た が 、 商 店 街 連 盟 と し て は 生 命 線 を 脅 す も の と し て 反 対 を 表 明 、 諮 問 委 員 会 に こ れ を 具 申 す る と 共 に 、 通 産 省 企 業 局 商 業 課 に 陳 惰 を 行 う こ と に な っ た 。 各 代 表 者 の 意 見 ー 田 村 靖 雄 氏 ( ア ー ケ ー ド 街 大 成 会 ) 沼 津 の 人 口 は 周 辺 を 入 れ て 十 五 万 人 だ 。 静 岡 や 浜 松 の よ う に 周 辺 人 口 を 加 え て 三 十 万 も あ る 都 市 な ら 影 響 は 少 い だ ろ う が 、 沼 津 で は 共 倒 れ に な る 公 算 大 だ 。 将 来 は ど う か 知 ら な い が 、 現 状
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11 で は 反 対 だ 。 柴 田 正 氏 ( 上 土 振 興 会 ) 駅 前 に 大 資 本 の デ パ ー ト が 出 来 る と い う こ と は 、 商 店 街 に と つ て 非 常 な 脅 威 だ 。 た だ さ え 立 地 条 件 の わ る い 上 土 の 商 店 街 は 大 打 撃 に な る 。 多 数 の 地 元 商 店 の 死 活 問 題 と し て 遠 慮 し て も ら い た い と い う の が 、 大 部 分 の 意 見 だ 。 加 藤 俊 輔 氏 ( 上 本 通 共 栄 会 ) 市 の 発 展 の た め に は 結 構 だ と い う 人 が あ る か も 知 れ な い 、 ま た 商 店 と し て も 、 立 場 に よ っ て は 喜 ぶ 人 が あ る か も 知 れ な い 。 そ れ ぞ れ 利 害 の 立 場 に 於 い て 違 う と 思 う が 、 商 店 街 と し て は 脅 威 だ 。 反 対 せ ざ る を 得 な い と 思 う 。 杉 山 猪 作 氏 ( 沼 津 サ ー ビ ス 店 会 ) 大 反 対 だ 。 駅 前 に 六 階 層 も の 大 デ パ ー ト が 出 来 た ら 、 大 手 も 、 上 土 も 、 本 通 り も 、 木 町 の 商 店 街 も 客 が こ こ で 、 食 い と め ら れ し て し ま い 。 苦 し い や り く り を 続 け て い る 商 店 街 に と つ て は 大 打 撃 だ 。 消 費 人 口 は 増 え る だ が 商 店 街 は 大 打 撃 大 川 角 太 郎 氏 ( 仲 見 世 商 店 街 ) 狭 い 見 地 か ら 賛 否 を き め る の は い け な い と 思 う 。 早 計 に き め ず 、 静 岡 や 浜 松 の 事 例 を よ く 調 整 し た い 。 大 竹 新 太 郎 氏 ( 南 部 商 店 街 ) み ん な の 意 見 は ま だ ま と ま っ て い な い 。 し か し 個 人 の 考 え と し て は 、 困 る に は 困 る が 、 防 げ な い で は な い か と 思 う 。 大 デ パ ー ト が 来 る こ と に よ っ て 、 市 は 繁 栄 し 、 ま た 消 資 人 口 も ふ え る と 思 う が 、 こ れ が は た し て 商 店 街 に い い 結 果 に な る か ど う か 、 デ パ ー ト は よ く と も 、 わ れ わ れ は 駄 目 に な る の で は な い か と 心 配 だ 。 山 本 義 重 氏 ( 沼 津 専 門 店 会 ) 専 門 店 会 で は チ ケ ツ ト を 利 用 し て 、 長 期 分 割 収 入 を 行 っ て い る が 、 東 京 あ た り の デ パ ー ト で も 、 こ れ と 同 じ 方 法 で 月 賦 販 売 を は じ め て い る 。 大 資 本 の デ パ ー ト で 、 同 じ こ と を さ れ た ら と て も か な わ な い 。 渡 辺 盛 作 氏( 沼 津 チ エ ー ン ス ト ア ) 反 対 も あ り 、 贅 成 も あ る 人 の 利 害 に よ っ て い ろ い ろ 違 う が 、 大 勢 は 反 対 の 線 だ 。 《 沼 朝 昭 和 31年 8月 28日 ( 火 ) 》』 『 沼 朝 新 聞 昭 和 31年 8月 30 日 号 記 事 : 賛 否 両 意 見 を 提 出 " 西 武 百 貨 の 公 聴 会 “ 駅 前 に 建 築 工 事 を は じ め て い る 西 武 百 貨 店 沼 津 支 店 の 新 設 に 対 し て 、 利 害 閣 係 あ る 事 業 者 及 び 団 体 、 学 識 経 験 者 な ど を 以 て 構 成 す る 沼 津 市 商 業 活 動 調 整 協 議 会 は き の う 午 後 一 時 か ら 商 工 会 議 所 会 議 室 で 公 聴 会 を ひ ら い た が 、 東 京 資 本 の デ パ ー ト の 進 出 は 商 店 街 を 脅 か す と し て 反 対 す る も の と 時 期 尚 早 を 論 ず る も の と 、 こ れ と は 別 の 見 地 か ら 、 大 局 的 に 市 の 繁 栄 に な る と し て 賛 成 す る も の 場 か ら 活 発 な 意 見 が 開 陳 さ れ た 。 同 協 議 会 で は 、 九 月 五 日 ま で に 通 産 省 企 業 局 商 務 諜 に 意 見 書 を 提 出 す る こ と に な っ て い る が 、 結 論 に 至 ら な い で の 、 公 聴 会 そ の ま ま 発 言 を ま と め て 提 出 す る こ と に な っ た 。 市 の 発 展 に な る だ が 商 店 街 は 反 対 西 武 百 貨 店 の 新 設 に つ い て 意 見 か 求 め る た め 商 業 活 動 調 整 協 議 会 で は 、 各 階 層 か ら 次 の 二 十 三 氏 を 委 嘱 、 き の う 午 後 一 時 か ら 公 聴 会 を ひ ら い た 。 ◇ 商 業 活 動 調 整 協 議 会 委 員 百 貨 店 代 表 西 川 伝 九 郎 ( 松 菱 沼 津 支 店 長 ) 卸 売 業 者 代 表 岡 田 吾 市 ( 酒 類 卸 商 ) 同 増 田 慶 三 ( 魚 類 卸 商 ) 同 大 橋
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12 規 一 ( 沼 津 青 果 市 場 専 務 取 締 役 ) 小 売 代 表 吉 邨 勇 ( 大 手 町 大 栄 会 々 長 ) 同 柴 田 正 ( 上 土 振 興 会 会 長 ) 田 村 靖 雄 ( ア ー ケ ー ド 大 成 会 会 長 ) 同 加 藤 俊 輔 ( 上 本 通 り 共 栄 会 会 長 ) 消 費 者 代 表 大 野 虎 雄 ( 市 社 会 福 祉 協 議 会 副 会 長 ) 井 関 幸 子 ( 市 連 合 婦 人 会 会 長 ) 稲 玉 む め ( 市 赤 十 字 奉 仕 団 長 ) 竹 内 鉄 次 郎 ( 県 士 木 建 協 会 東 部 支 部 長 ) 学 識 経 験 者 西 脇 仁 ( 商 業 高 校 校 長 ) 中 江 斎 ( 工 業 高 校 々 長 ) 加 藤 ふ じ ( 女 子 商 業 高 校 々 長 ) 地 方 公 共 団 体 職 員 内 藤 政 次 ( 沼 津 電 話 局 長 ) 土 持 留 男 ( 市 商 工 観 光 課 長 ) 杉 山 善 四 郎 ( 市 農 林 水 産 課 長 ) ( 沼 朝 昭 和 31 年 8月 30日 号 )』 『 西 武 反 対 不 可 能 か 百 貨 店 審 査 会 五 月 ま で 見 送 り 駅 前 に 建 設 中 の 西 武 デ パ ー ト 開 店 を め ぐ っ て 地 元 小 売 商 の 反 対 と 消 費 者 の 賛 成 意 見 が 衝 突 、 営 業 許 司 の 実 際 的 発 言 権 を 持 つ 百 貨 店 審 査 会 が 十 六 日 開 か れ 、 最 終 的 決 定 が で る も の と 注 目 さ れ て い た が 、 中 村 東 京 通 産 局 長 は 、 地 元 商 店 街 連 盟 と 西 武 側 と が 折 り 合 わ ず 、 正 面 衝 突 の 状 態 で い る た め 遂 に 審 査 会 を 延 期 、 建 物 が 竣 工 す る 五 月 ま で 双 方 の 歩 み よ り を 期 待 す る 態 度 を み せ て い る 。 沼 津 商 店 街 連 盟 杉 山 会 長 は じ め 幹 部 八 名 は 森 商 議 事 務 長 と 同 行 、 十 六 日 東 京 通 産 局 を 訪 れ 、 中 村 局 長 と 会 見 、 反 対 陳 情 を 行 い 、 種 々 懇 談 し た が 、 百 貨 店 審 査 会 開 催 を 通 産 大 臣 に 答 申 す る 権 限 を 持 つ 局 長 は 、「 建 築 も 現 在 進 行 中 の こ と で は あ る し 、 絶 対 的 に 反 対 は 扱 い に 困 る し 、 影 響 に つ い で は 今 後 に 待 た な け れ ば 好 結 果 か 悪 結 果 は 判 断 は で き ず 、 む し ろ 地 元 側 と し て は 夜 間 営 業 、 貸 売 、 外 売 或 い は 売 場 な ど の 制 限 や 、 商 品 の 地 元 製 造 品 や 卸 品 の 買 い 上 げ な ど 協 定 を 結 ん で 相 携 え て い っ た ら 却 っ て 好 影 響 も 期 待 さ れ な い か 、 無 論 デ パ ー ト 側 の 地 元 と の 不 協 力 的 な や り 方 に つ い て は 注 意 す る 」 と の 希 望 意 見 を 述 べ て い る 。 こ れ に つ い て 近 く 局 長 斡 旋 で デ パ ー ト 側 と 地 元 商 連 と の 会 見 が 行 わ れ る も の と み ら れ る 。 ( 沼 朝 昭 和 32年 1月 18日 号 ) 西 武 百 貨 店 に 制 限 商 連 が き ょ う 申 入 れ 百 貨 店 審 議 会 を 無 期 延 期 ざ せ た 沼 津 商 店 街 連 盟 の 西 武 デ パ ー ト 開 店 反 対 運 動 は 、 去 る 十 六 日 通 産 局 に 陳 情 の 折 、 中 村 通 産 局 長 か ら 「 絶 対 反 対 で な く 、 何 ん ら か の 話 し 合 い で 、 歩 み よ っ て も ら い た い 」 と の 意 向 が 伝 え ち れ た が 、 き よ う 二 十 五 日 午 前 十 一 時 か ら 東 京 通 産 局 で 杉 山 商 連 会 長 ら 五 名 と 西 武 デ パ ー ト 代 表 五 名 が 初 会 見 を 行 い 、 意 見 の 交 換 を 行 う こ と に な っ た 。 西 武 側 と し て は 地 上 五 階 地 下 一 階 を 全 部 デ パ ー ト と し て 使 用 し た い 気 持 ら し い が 、 地 元 商 連 側 と し は 売 り 場 階 数 や 外 売 り な ど の 制 限 を 粗 当 強 く 申 入 れ る も よ う で あ る 。 ( 沼 朝 昭 和 32年 1月 25日 号 ) 西 武 商 戦 異 状 あ り 商 連 と 話 合 い . 物 分 れ 沼 津 駅 前 に 進 出 、 着 々 と 工 事 を 進 め て い る 西 武 デ パ ー ( 駿 豆 ビ ル ) の 全 階 営 業 ( 地 下 一 階 、 地 上 六 階 ) に 反 対 す る 地 元 沼 津 市 商 店 街 連 盟 ( 会 長 杉 山 猪 作 氏 ) は 二 十 五 日 東 京 通 産 局 長 の 斡 旋 に よ り 同 局 で 西 武 側 代 表 と 初 会 見 を し た が 「 全 階 は 認 め ぬ 」 と い う 地 元 側 と “ 通 産 局 の 妥 協 案 に 応 じ ら れ ぬ ” の 西 武 と 双 方 の 主 張 意 見 は 真 向 う か ら 対 立 し て 物 別 れ と な り 五 月 上 旬 竣 工 す る 同 ビ ル を め ぐ り 開 店 の 裁 断
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13 は 通 産 局 の 腹 一 つ と な っ た が 両 者 が 譲 ら な い と こ ろ か ら 今 後 の 成 り 行 き が 注 目 さ れ て い る 。 仲 裁 案 は 二 割 削 減 双 方 と も に 譲 ら ず 両 代 表 の 会 議 は 二 十 五 日 午 前 十 一 時 か ら 通 産 局 で 、 地 元 沼 津 商 店 街 連 盟 か ら 杉 山 会 長 、 吉 邨 田 村 副 会 長 、 土 屋 理 事 と 森 商 議 所 事 務 局 長 、 西 武 側 か ら は 堤 清 二 社 長 ( 平 成 25年 11 月 25日 死 亡 ) 、 伊 藤 総 務 課 長 以 下 代 表 五 名 が 出 席 し 、 中 村 通 産 局 長 と 地 元 の 世 論 を 調 査 に き た 江 下 商 工 課 長 が 立 ち 会 っ て 行 わ れ た 。 こ の 会 見 で 西 武 側 は 全 階 営 業 面 積 千 八 十 坪 の 一 割 百 八 十 坪 使 用 削 減 で 地 元 の 同 意 を 受 け 付 け ず 中 村 局 長 は 二 割 の 二 百 六 坪 を 削 っ た ら ど う か と 提 案 し た が “ こ れ 以 上 の 譲 歩 は 絶 対 に 出 来 な い ” と 断 っ た 。 こ れ に 対 し 地 元 沼 津 商 店 街 側 は 百 貨 店 法 に ふ れ ぬ 範 糊 内 で 営 業 ( 二 階 で 営 業 場 所 四 百 五 十 坪 ) す る な ら ば よ い が そ れ 以 上 で は 許 せ な い と 云 い 張 り 、 双 方 の 主 張 は 大 き な 開 き を み せ 、 物 別 れ と な っ て し ま っ た 。 こ の 意 見 の 対 立 を よ そ に 工 事 は 一 億 二 千 万 円 の 工 費 で 着 々 進 め ら れ 、 す で に 五 階 ま で を 完 了 、 残 る 一 階 と 内 外 の 装 飾 を す る だ け と な っ て い る だ け に 、 早 期 結 論 が 望 ま れ て い る 。 し か し 今 後 の 考 慮 を 約 し て 別 れ た も の の 両 者 の 歩 み 寄 り は 不 可 能 な 状 態 な の で 、 通 産 省 の 判 断 で 決 定 さ れ る 状 勢 と な っ た 。( 沼 朝 昭 和 3 2 年 1 月 27 日 号 )』 『 周 辺 業 者 も 困 る " 西 武 " に 重 ね て 反 対 駅 煎 に 建 設 中 の 西 武 デ パ ー ト 開 店 を め ぐ っ て 、 地 元 商 店 街 連 盟 は 百 貨 店 法 に ふ れ な い 売 り 場 面 積 ( 地 下 と 二 階 ま で 四 百 五 十 坪 ) を 条 件 に 出 し た の に 対 し 、 西 武 側 は 売 場 総 面 積 干 八 十 坪 の 一 割 減 を 主 張 通 産 局 の 二 割 減 の 提 案 も お 流 れ に な っ て 通 産 省 の 断 を 待 つ こ と に な っ た が 、 沼 津 商 連 と は 別 個 に 沼 津 市 周 辺 の 小 売 業 者 ( 駿 東 郡 、 富 士 郡 ) も 再 度 反 対 陳 情 を 行 う こ と に な り 、 二 月 一 日 、 森 沼 津 商 議 事 務 局 長 の 案 内 で 駿 東 郡 商 工 会 連 合 会 長 中 野 英 太 郎 氏 は じ め 長 泉 、 裾 野 、 原 各 商 工 会 、 富 士 商 議 な ど の 代 表 十 名 が 上 京 通 産 局 に 反 対 陳 情 を 行 い 、 石 橋 総 理 大 臣 、 永 田 通 産 大 臣 、 徳 永 企 業 局 長 、 中 村 通 産 局 長 、 工 藤 百 貨 店 審 議 会 長 に 、 大 旨 次 の よ う な 陳 情 書 を 提 出 す る 。 「 西 武 沼 津 店 の 開 店 で 、 富 士 川 以 東 の 小 売 業 者 の 打 撃 は 大 き い 。 殊 に 沼 津 駅 を 起 点 と す る 御 殿 場 線 沿 線 中 小 山 町 ま で の 各 地 と 西 隣 原 町 以 西 富 士 郡 下 の 零 細 小 売 業 者 は 手 痛 い 影 響 を 受 け 倒 産 者 も 多 い と 案 じ て い る 。 昨 年 十 一 月 八 日 反 対 陳 情 を 行 つ た が 、 遠 か ら ず 竣 工 の 運 び な の で 再 度 陳 情 す る 。 不 許 可 か 、 売 場 面 積 の 削 減 を 希 望 す る 。 」 な お 沼 津 商 連 で は 三 十 日 午 後 一 時 か ら 商 工 会 議 所 で 役 員 会 を 開 き 、 西 武 側 と の 交 渉 経 過 報 告 を 行 い 、 今 後 の 対 策 を 協 議 し た 。 ( 沼 朝 昭 和 32年 1月 31日 号 )』 昭 和 31年 11月 2日 丸 共 総 合 食 品 デ パ ー ト ( ス ー パ ー ) 開 店 。 昭 和 31年 11月 16日 十 字 屋 沼 津 店 大 手 町 ( 南 仲 見 世 ) 進 出 。 ( 昭 和 3 8年 仲 見 世 有 明 軒 ビ ル へ 移 転 ) 昭 和 31年 12月 復 明 館 医 院 仲 見 世 か ら 現 在 の 大 手 町 へ 移 転 新 築 開 院 ( 沼 朝 昭 和 31年 12月 13日 広 告 ) 昭 和 31年 12月 石 橋 湛 山 、 内 閣 総 理 大 臣 に 就 任
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14 昭 和 32年 の 映 画 館 沼 津 市 ( 7 ) 沼 津 文 化 劇 場 、 沼 津 第 一 劇 場 、 沼 津 映 画 劇 場 、 沼 津 宝 塚 劇 場 、 沼 津 銀 星 座 、 沼 津 東 海 劇 場 、 沼 津 セ ン ト ラ ル 劇 場 昭 和 32年 1月 沼 津 軒 駅 前 広 場 東 側 移 転 新 築 開 店 ( 沼 朝 昭 和 32年 1 月 29日 号 ) 昭 和 32年 3月 西 武 百 貨 店 沼 津 進 出 反 対 決 議 書 ( 沼 津 市 商 店 街 連 盟 : 会 長 杉 山 猪 作 ) 昭 和 32年 6月 1日 駿 豆 鉄 道 株 式 会 社 か ら 伊 豆 箱 根 鉄 道 株 式 会 社 社 名 変 更昭 和 32年 6月 8日 西 武 デ パ ー ト 沼 津 店 本 館 開 店 ( 伊 豆 箱 根 鉄 道 所 有 土 地 建 物 : 建 築 施 工 清 水 組 ) ( 地 下 1階 地 上 6階 約 950 坪 、 建 設 費 2億 5 千 万 円 、 従 業 員 230 人 ) 《平 成 12 年 7 月 ( 2000 年 ) 株 式 会 社 西 洋 環 境 開 発 株 式 会 社 負 債 5 5 3 8億 円 で 清 算 し 、 「セ ゾ ン グ ル ー プ 」 が 実 質 的 に 崩 壊 す る 。 》 《平 成 25年 ( 2013 年 ) 1月 31日 西 武 沼 津 店 閉 店 ・ 5 5年 の 歴 史 に 幕 が 降 り る 》 『西 武 沼 津 店 5 5年 歴 史 に 幕3万 人 来 店 、 別 れ 惜 し む JR 沼 津 駅 南 口 の 西 武 沼 津 店 ( 沼 津 市 大 手 町 ) が 31日 、 閉 店 し た 。 1997 年 の 浜 松 店 、 2006 年 の 静 岡 店 に 続 く 閉 店 で 、 県 内 か ら 「 SEIBU 」の 看 板 が 消 え た 。 商 都 ・ 沼 津 の シ ン ボ ル と し て 君 臨 し た 県 東 部 唯 一 の デ パ ー ト は 5 5年 の 歴 史 に 幕 を 下 ろ し 、 多 く の 市 民 が 別 れ を 惜 し ん だ 。 JR 沼 津 駅 南 口 の 西 武 沼 津 店 ( 沼 津 市 大 手 町 ) が 31日 、 閉 店 し た 。 1997 年 の 浜 松 店 、 2006 年 の 静 岡 店 に 続 く 閉 店 で 、 県 内 か ら 「 SEIBU 」 の 看 板 が 消 え た 。 商 都 ・ 沼 津 の シ ン ボ ル と し て 君 臨 し た 県 東 部 唯 一 の デ パ ー ト は 5 5年 の 歴 史 に 幕 を 下 ろ し 、 多 く の 市 民 が 別 れ を 惜 し ん だ 。 午 後 7時 半 に 営 業 を 終 え る と 、 名 残 惜 し む 買 い 物 客 を 従 業 員 が 深 々 と 頭 を 下 げ て 見 送 っ た 。 店 舗 前 で 行 っ た 式 典 で 、 山 本 辰 美 店 長 は 「 長 ら く ご 愛 顧 い た だ い た 当 店 は 本 日 、 営 業 終 了 し ま す 。 多 く の お 客 さ ま に 深 く 感 謝 し ま す 」 と 述 べ た 。 山 本 店 長 に は 地 元 の 沼 津 大 手 町 商 店 街 振 興 組 合 ( 松 田 和 孝 理 事 長 ) か ら 花 束 が 贈 ら れ た 。 沼 津 店 は 旧 西 武 百 貨 店 が 1957 年 、 地 方 第 1号 店 と し て 開 業 し た 。 「 沼 津 で 東 京 の お 買 い も の 」 が 当 時 の キ ャ ッ チ フ レ ー ズ だ っ た 。 ピ ー ク の 92年 2月 期 は 約 206 億 円 を 売 り 上 げ た 。 し か し 、 郊 外 型 商 業 施 設 の 台 頭 な ど で 2012 年 2月 期 は 74億 円 ま で 縮 小 。 10年 2月 期 か ら 3期 続 け て 赤 字 を 計 上 し て い た 。 《 静 新 平 成 25年 2月 1日 ( 金 ) 朝 刊 》』 昭 和 32年 10月 26日 ~ 30日 第 12回 国 民 体 育 大 会 ( 上 本 通 り 商 店 会 歓 迎 ア ー チ ) 昭 和 32年 10月 沼 津 駅 北 口 開 設 ( 開 設 工 事 3年 半 か か る ) 『 石 橋 治 郎 八 著 シ ル ク 紳 士 ま か り 通 る よ り : 以 前 、 沼 津 駅 は 南 口 だ け で 北 口 に 駅 が な か っ た た め 、 駅 北 へ 行 く 人 は 南 口 で 降 り て か ら ガ ー ド を く ぐ ら ね ば な ら な か っ た 。 と こ ろ が 、 こ の ガ ー ド は お 粗 末 で 雨 が 降 る と 水 び た し で 通 れ な い 。 年 々 駅 北 の 商 店 街 も 発 展 し て く る し 、 北 口 に 駅 を つ く ろ う と い う 声 は 十 年 ほ ど 前 か ら 聞 か れ て い た 。 だ が 線 路 が 十 三 本 も あ る 沼 津 駅 に 跨 線 橋 を か け る と 国 鉄 の 古 材 を 使 っ て も 一 千 万 円 は か か り そ れ を 含 め て 工 事 費 は 全 額 地 元 負 担 で な け れ ば 着
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15 工 で き な い と 、 国 鉄 で は 言 っ て い た 。 こ れ が 北 口 に 駅 を 実 現 す る 上 の 最 大 の 障 害 と な っ て い た の で あ る 。 し か し 、 な ん と か 実 現 し よ う と い う 地 元 の 強 い 盛 り 上 が り を バ ッ ク に し て 、 沼 津 駅 北 開 発 促 進 同 盟 会 が 発 足 し 、 私 が 会 長 に な っ て 運 動 に と り か か っ た 。 が 地 元 で 集 め ら れ る 金 は せ い ぜ い 一 千 万 円 ど ま り と あ っ て 容 易 に 実 現 し そ う に な か っ た 。 私 は 高 木 沼 津 市 長 と 何 回 も 国 鉄 静 岡 鉄 道 管 理 局 へ 足 を 運 ん で 陳 情 し た が 、 う ま く い か な い 。 そ こ で 地 元 選 出 の 遠 藤 代 議 士 に 一 肌 脱 い で も ら い 、 中 央 で 建 設 省 の 建 設 局 長 に 便 宜 を は か ら う よ う 頼 ん で も ら っ た と こ ろ 「 な に か 特 別 の 理 由 が あ り ま す か 」 と 聞 か れ た 。 「 雨 が 降 る と ガ ー ド に 水 が た ま っ て 、 子 供 達 が 北 部 の 学 校 へ 通 え な く な り ま す 。 学 校 を 休 む わ け に い か な い の で 、 学 生 達 は 危 険 な 線 路 の 上 を 歩 い て 通 っ て い る の が 現 状 で す 。 ど う し て も 北 口 に 駅 を つ く ら な け れ ば な り ま せ ん 」 学 生 を 持 ち 出 し た の は 、 わ れ な が ら 上 出 来 だ っ た 。 そ れ な ら な ん と か し よ う と い う わ け で 、 建 設 省 か ら 国 鉄 に 話 が 持 ち 込 ま れ た 。 す る と 、 す ぐ 静 岡 鉄 道 管 理 局 長 が 本 庁 に 呼 ば れ 、 沼 津 北 口 駅 工 事 の 計 画 案 を つ く る よ う 命 ぜ ら れ た 。 そ の あ と で 管 理 局 長 に 私 が 会 う と 「 石 橋 さ ん 、 東 京 で ど ん な こ と を 言 っ た の で す か 。 う ま く や り ま し た な 」 と ほ め て く れ た 。 国 鉄 が 見 込 ん だ 工 費 は 二 千 万 円 あ ま り だ っ た 。 う ち 地 元 負 担 は 、 七 、 八 百 万 円 で 、 あ と は 鉄 道 利 用 公 債 で ま か な う こ と に な っ た 。 い よ い よ 話 が ま と ま っ た の で 、 私 達 は 遠 藤 さ ん と い っ し ょ に 国 鉄 総 裁 室 へ 行 っ た 。 ち ょ う ど 総 裁 が 外 遊 中 だ っ た の で 副 総 裁 と 会 っ た 。 結 局 、 副 総 裁 は 鉄 道 利 用 公 債 を 使 う こ と に 応 じ た が 条 件 付 き だ っ た 。 「 い ま 国 鉄 運 賃 の 値 上 げ 問 題 が 起 き て い ま す が 、 遠 藤 さ ん が こ れ に 骨 折 っ て く れ る な ら 、 鉄 道 利 用 公 債 の 件 を 考 慮 し ま し ょ う 。 反 対 さ れ る よ う な こ と は な い で し ょ う ね 」 遠 藤 さ ん は ち ょ っ と 渋 い 顔 を し た が 「 も ち ろ ん だ 」 と 答 え た 。 こ う し た 政 治 的 掛 け 引 き に 異 論 を は さ む 向 き も あ ろ う が 、 と も か く こ う し て 沼 津 北 口 に 駅 が 五 年 前 に 実 現 し た の で あ っ た 。 こ れ に は ほ か の 人 の 力 も あ っ た が 、 な ん と い っ て も 遠 藤 さ ん の 力 に 負 う と こ ろ が 大 き か っ た の で あ る 。 』 昭 和 32年 11月 中 小 企 業 団 体 の 組 織 に 関 す る 法 律 公 布 昭 和 32年 11月 18日 浅 間 町 商 店 街 ビ ル 完 成 ( 平 成 21年 閉 鎖 : 静 鉄 マ ン シ ョ ン 建 設 ) 『 浅 間 町 商 店 街 は 多 層 家 屋 建 築 と 称 し 、 総 延 坪 数 一 、 六 八 三 平 方 メ ー ル( 約 五 一 〇 坪 ) 、 総 工 費 三 、 一 五 五 万 円 で 昭 和 三 十 二 年 十 一 月 十 八 日 に 完 成 し た 。 店 舗 の 数 は 六 戸 で 二 階 は 住 宅 と な し 三 階 と 四 階 は 十 二 戸 の 貸 住 宅 と な っ て い る 。( 沼 津 市 誌 ) 』 『 沼 津 朝 日 新 聞 昭 和 31年 1月 8日 号 記 事 : 防 火 共 同 建 築 第 二 陣 大 手 町 浅 間 町 三 月 早 々 に 着 工 ア ー ケ ー ド に 続 く 防 火 帯 の 第 二 陣 と し て 、 浅 間 町 お よ び 駅 南 小 島 屋 百 貨 店 が 四 階 建 の 防 火 建 築 に 三 月 早 々 着 工 す る 。 浅 間 町 は 神 社 東 側 八 軒 延 建 坪 五 百 八 坪 、 一 ・ 二 階 が 店 舗 併 用 住 宅 、 三 ・ 四 階 が 分 譲 住 宅 十 六 戸 。 小 島 屋 百 貨 店 は 延 建 坪 四 百 十 五 坪 、 二
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16 階 以 上 が 分 譲 住 宅 二 十 二 戸 と な る 。 工 費 は 浅 間 町 二 千 九 百 万 円 、 小 島 屋 二 千 六 百 万 円 で 住 宅 公 庫 融 資 が そ れ ぞ れ 千 九 百 六 十 万 円 一 千 八 百 六 十 万 円 。 な お こ の 分 譲 住 宅 は 五 十 年 賦 で 分 譲 さ れ る 。 ( 沼 朝 昭 和 31年 1月 8日 号 )』 『 四 階 建 の 不 燃 建 築 浅 間 町 六 月 ご ろ 完 成 か 全 国 に 先 き が け て ア ー ケ ー ド 街 が 本 通 り に お 目 見 得 し た が 、 不 燃 材 料 に よ る 横 の デ パ ー ト が 六 月 ご ろ ま で に 浅 間 町 に 完 成 さ れ 観 光 沼 津 の 名 物 と な る 。 浅 間 町 北 側 の 九 軒 が 三 干 百 五 十 万 円 で 四 階 建 の 不 燃 鉄 筋 建 築 を 行 い 、 一 、 二 階 を 商 店 と 横 の デ パ ー ト に し て 三 、 四 階 を 住 宅 に す る も の 工 事 は 現 在 行 わ れ て い る 下 水 工 事 が 完 了 と 同 時 に 始 め ら れ る も の で 三 月 ご ろ と み ら れ 、 竣 工 予 定 は 五 月 二 十 日 と な っ て お り 、 防 火 地 帯 と し て の 認 定 が 、 こ の ほ ど 許 可 さ れ た と こ ろ か ら 着 手 さ れ た も の 。 な お 工 費 は 公 社 借 入 八 百 七 十 一 万 円 、 公 庫 千 九 百 万 円 、 自 己 負 担 が 六 百 四 十 五 万 円 で ま か な う 。 ま た こ れ は 駅 前 十 宇 路 の 四 百 坪 に 二 千 八 百 八 十 三 万 円 の 工 費 で 、 基 礎 工 事 中 の 地 下 一 階 、 地 上 四 階 の 小 島 屋 と 同 様 に 、 横 の デ パ ー ト と し て 各 地 商 店 街 か ら も 注 目 さ れ て い る 。 ( 沼 朝 昭 和 32 年 1月 25日 号 ) 』 昭 和 32年 商 店 街 公 共 用 歩 廊 施 設 の 建 設 助 成 を 県 知 事 に 陳 情 昭 和 33年 3月 10日 赤 線 廃 止 前 夜 記 事 『 昭 和 33年 3月 10日 沼 朝 記 事 よ り : 昭 和 33年 4月 1 日 よ り 売 春 禁 止 法 に 先 ん じ て 、 沼 津 の 特 飲 街 は 3月 10日 か ら 転 廃 業 。 西 条 、 八 幡 町 、 市 場 町 、 錦 町 、 西 宮 後 、 上 本 通 り 、 出 口 ( 青 線 、 白 線 ) 緑 新 地 ( 赤 線 )。 緑 新 地 = 5軒 10人 、 添 地 = 18 軒 46人 、 八 幡 町 = 5軒 10 人 、 そ の 他 5軒 8人 。 計 特 殊 飲 食 33軒 、 女 74人 。 昭 和 32年 12月 末 で は 39軒 女 127 人 で あ っ た 。 』 昭 和 33年 4月 1日 売 春 防 止 法 ( 1 9 5 6年 5月 制 定 ) の 完 全 施 行 昭 和 33年 4月 沼 津 仲 見 世 商 店 会 ( 大 橋 光 雄 会 長 就 任 ) 昭 和 33年 7月 8日 朝 日 新 聞 「 東 海 道 新 線 」 着 工 い そ げ 記 事 よ り [ コ ー ス ] 国 鉄 は 昭 和 十 五 年 当 時 の 案 で 東 京 ー 大 阪 間 で は 平 塚 ー 小 田 原 、 熱 海 ー 三 嶋 、 清 水 ー 焼 津 、 二 川 ー 蒲 郡 、 大 高 ー 枇 杷 島 、 大 阪 駅 付 近 の 用 地 を 二 ・ 九 万 ア ー ル ( 八 十 七 万 坪 ) を す で に 買 収 し て い る 。 こ れ は 全 線 に 要 す る 用 地 の 約 二 割 に 当 る 。 資 金 の 関 係 で 、 ど う し て も 買 収 し た 用 地 を 通 過 す る 線 が 予 想 さ れ る 。 つ ま り 東 京 か ら 国 府 津 ま で は 直 線 コ ー ス を と る た め 、 横 浜 、 藤 沢 、 平 塚 な ど 大 カ ー ブ の と こ ろ は 通 ら な い 。 国 府 津 か ら 小 田 原 、 熱 海 は 現 在 線 と 平 行 に 走 り 、 掘 り 残 さ れ た 新 丹 那 ト ン ネ ル ( 現 在 は 七 八 〇 三 ㍍ 、 新 し い の は 山 側 で 七 九 一 〇 ㍍ ) を 通 り 、 沼 津 を よ け て 駿 河 湾 ぞ い に 静 岡 の 中 心 部 か ら 焼 津 、 掛 川 付 近 を 経 て 、 浜 松 か ら 浜 名 湖 の 新 鉄 橋 を 渡 る 。 そ こ か ら 再 び 直 線 コ ー ス で 現 在 の 名 古 屋 駅 に 入 る 。 名 古 屋 ー 京 都 間 は 鈴 鹿 山 脈 の 下 を 直 線 に 抜 け て 大 阪 へ 。 こ れ は 決 定 案 で は な い が 、 全 線 約 五 百 ㌔ 、 い ま よ り 五 十 ㌔ 短 か く な っ て い る 。 昭 和 33年 5月 消 防 庁 ( 八 幡 町 ) 完 成 昭 和 33年 8月 21日 沼 津 駅 前 「 愛 の 母 子 像 」 除 幕 式 ( 像 作 和 田 金 剛 ・ 詩 文 井 上 靖 : 沼 津 赤 十 字 奉 仕 団
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17 設 団 十 周 年 記 念 ) 『 す べ て の 人 の 幸 せ 沼 津 赤 十 字 奉 仕 団 十 周 年 に 記 念 式 す べ て の 人 々 の し あ わ せ を ね が い 、 蔭 の 力 と な っ て 人 人 に 奉 仕 し ま し よ う ー と 、 沼 津 市 赤 十 字 奉 仕 団 が 設 団 さ れ て こ と し は 十 周 年 、 同 団 で は 二 万 団 員 の う ち か ら 代 表 者 二 千 五 百 名 が 集 っ て 、 き の う 二 十 一 日 朝 十 時 二 十 分 か ら 駅 前 広 場 で 〃 愛 の 母 子 像 〃 の 除 幕 式 を 行 い 、 引 き つ づ き 午 後 一 時 か ら 市 公 会 堂 で 記 念 式 典 を 挙 げ 、 赤 十 字 の 旗 の も と 、 さ ら に 「 身 近 な 奉 仕 を ひ ろ げ 、 す べ て の 人 人 と 手 を つ な ぎ 、 世 界 の 平 和 に つ く し ま し よ う 」 と 誓 い を 新 た に し た 。 千 羽 の 鳩 舞 い 上 る 母 子 像 と 詩 碑 の 除 幕 沼 津 日 赤 奉 仕 団 で は 、 き の う 設 団 十 周 年 記 念 式 典 に 先 立 ち 、 朝 十 時 二 十 分 か ら 駅 前 広 場 に 団 員 一 一 千 五 百 名 が 集 ま っ て 〃 愛 の 母 子 像 〃 の 除 幕 式 を 行 っ た 。:( 沼 朝 昭 和 33年 8 月 22日 記 事 )』 昭 和 33年 9月 26日 狩 野 川 台 風 災 害 沼 津 ― 三 島 間 電 車 停 止 昭 和 33年 11月 1日 東 海 道 本 線 ビ ジ ネ ス 特 急 「 こ だ ま 号 」 登 場 昭 和 33年 12月 19日 新 幹 線 の 建 設 計 画 が 承 認 さ れ る 昭 和 34年 仲 見 世 商 店 街 組 合 設 立 昭 和 34年 4月 20日 東 海 道 新 幹 線 起 工 式 : 十 河 総 裁 ( 新 丹 那 ト ン ネ ル 熱 海 口 ) 昭 和 34年 9月 17日 沼 津 ラ イ オ ン ズ ク ラ ブ 設 立 ( 会 長 塩 谷 六 太 郎 ・ 幹 事 宇 野 紳 七 郎 ) 認 証 式 産 業 会 館 で お こ な わ れ た 。 昭 和 34年 11月 第 5代 会 頭 岡 田 吾 一 就 任 昭 和 35年 2月 8日 「 東 海 道 広 軌 新 幹 線 」 コ ー ス 内 示 説 明 会 東 海 道 線 は 昭 和 三 一 年 ( 一 九 五 六 ) に 全 線 電 化 を 完 了 し た が 、 増 加 す る 輸 送 需 要 に こ た え る に は 抜 本 的 な 対 策 が 必 要 と さ れ た 。 そ こ で 昭 和 三 三 年 一 二 月 、 新 幹 線 の 増 設 が 決 ま っ た 。 国 鉄 は 昭 和 三 三 年 度 か ら 調 査 ・ 測 量 を は じ め 、 翌 年 度 か ら 着 工 し た ( 『 東 海 道 広 軌 新 幹 線 』 日 本 国 有 鉄 道 ) 。 新 幹 線 の ル ー ト や 駅 の 設 置 場 所 な ど の 情 報 は 厳 重 に 秘 匿 さ れ 、 変 更 は 至 難 と い わ れ た 。 市 域 の ル ー ト が 地 元 に 示 さ れ た の は 、 昭 和 三 五 年 二 月 八 日 十 時 、 静 岡 市 の 町 村 会 館 で 開 か れ た コ ー ス 内 示 会 が 最 初 で あ っ た 。 内 示 会 に は 勝 又 沼 津 市 助 役 が 出 席 し 説 明 を う け た 。 沼 津 市 で は 戦 時 中 に 計 画 さ れ た 弾 丸 列 車 の ル ー ト を 前 提 に 都 市 計 画 を 進 め て い た が 、 内 示 会 で 示 さ れ た ル ー ト は ず っ と 北 寄 り の 愛 鷹 山 麓 で あ っ た 。 こ の 地 域 は 、 北 に 向 か っ て 発 展 中 の 沼 津 市 に と っ て は 、 将 来 に 残 さ れ た 希 少 な 開 発 可 能 地 で あ っ た 。 助 役 は 、 地 元 の 意 向 と し て 、 弾 丸 列 車 の ル ー ト を 希 望 す る と 伝 え た が 、 地 盤 の 関 係 で 難 し い と い う の が 国 鉄 側 の 説 明 で あ っ た ( 「 沼 津 朝 日 」 昭 和 35年 2月 10日 ) 。 こ れ よ り 先 の 昭 和 三 四 年 七 月 、 沼 津 商 工 会 議 所 常 議 員 会 は 、 新 幹 線 沼 津 駅 設 置 運 動 を 起 こ す こ と を 決 め た 計 画 は 極 秘 だ が 、 県 内 の 駅 は 三 駅 程 度 、 う ち 静 岡 と 浜 松 は 決 ま り 、 東 部 地 区 は 未 定 と 噂 さ れ て い た た め で あ る 。 こ の 運 動 は 立 ち 消 え と な っ た ら し く 、 新 た な 動 き は コ ー ス 内 示 後 と な っ た 。 ( 静 新 昭 和 35年 2月 9日 朝 刊 ) 国 鉄 新 幹 線 坂 本 静 岡 工 事 局 長 は 「 ・ ・ 総 裁 の 決 裁 、 運 輸 大 臣 の 認 司 を 経 て コ ー ス
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18 が 決 定 ず る が 、 ボ ー リ ン グ そ の 他 で 支 障 な い 限 り こ の コ ー ス が 選 定 さ れ よ う ・ ・ ・ 」 【 神 奈 川 県 か ら 】 ー 鍛 冶 屋 ー 城 堀 ー 伊 豆 山 ー 桃 山 ー 湧 水 所 ー ( 新 丹 那 ト ン ネ ル ) ― 大 竹 ― 壱 丁 田 南 側 ― 石 田 北 側 ― 西 熊 堂 ― 椎 路 北 側 ― 鳥 谷 ― 青 野 ― 井 出 ― 境 ( こ こ ま で は 根 方 街 道 北 側 を 通 る ) ― 大 坪 ― 日 産 自 動 車 南 側 ― 津 田 ― 東 芝 富 士 工 場 西 南 端 で 現 東 海 道 線 と 交 差 南 側 へ ー 森 島 ― ( 富 士 川 を 渡 る ) 昭 和 35年 3月 三 枚 橋 に 沼 津 市 立 病 院 落 成 ( 昭 和 63年 7月 東 椎 路 に 移 転 新 築 ) 昭 和 35年 3月 裁 判 所 ・ 検 察 庁 ・ 法 務 局 完 成昭 和 35年 新 幹 線 起 工 式 昭 和 35年 5月 三 信 沼 津 支 店 聖 マ リ ア 跡 新 築 移 転 ( 昭 和 24年 大 手 町 に 沼 津 支 店 進 出 ) 昭 和 35年 6月 理 研 光 学 ( 株 ) 沼 津 工 場 完 成 ( 昭 和 11年 2月 市 村 清 「 理 研 感 光 紙 株 式 会 社 」 設 立 東 京 大 田 区 ) 昭 和 35年 7月 上 土 セ ン タ ー 街 共 同 ビ ル 完 成 『 上 土 商 店 街 は 当 初 東 西 両 側 の 全 商 店 が 、 四 階 建 中 高 層 耐 火 建 築 を 造 り 、 二 階 の 全 面 を 歩 道 と な し 、 こ こ に も 商 店 街 を 設 け る 特 異 な 建 築 を な す 計 画 で あ っ た が 、 全 部 の 足 並 み が 揃 わ ず 、 中 途 で 脱 落 者 が 出 て き た 。 そ の 結 果 三 階 建 て と 四 階 建 て の ま ち ま ち な 店 舗 が で き て 一 貫 し た 建 築 と は な ら な か っ た が 昭 和 三 十 五 年 七 月 ま で に 二 十 七 戸 の 店 舗 が 完 成 し 、 い わ ゆ る セ ン タ ー 街 と し て 営 業 を 開 始 し た 。 こ の 総 工 費 は 約 一 億 八 千 万 円 、 総 面 積 七 一 五 〇 平 方 メ ー ト ル ( 二 一 六 七 坪 ) で 、 こ の 中 に は 最 後 に 建 築 さ れ た マ キ バ 百 貨 店 は 含 ま れ て い な い 。 ( 沼 津 市 誌 )』 『 沼 津 朝 日 新 聞 昭 和 31年 11月 7日 号 記 事 : 四 階 の ア ー ケ ー ド 上 土 振 興 会 が 建 設 上 土 商 店 街 と 通 横 町 の 一 部 を ふ く む 商 店 街 を 以 っ て 組 織 し て い る 上 土 振 興 会 で は 、 仮 設 日 除 け の 撤 去 を 契 機 と し て 四 十 三 店 舗 ( 五 十 一 軒 ) が 総 工 費 三 億 円 の 予 算 、 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト 四 階 建 の 準 不 燃 大 ア ー ケ ー ド を 建 設 す る こ と に な っ た 。 来 年 三 月 着 工 、 来 年 末 ま で に 完 成 す る 計 画 を 進 め て い る 完 成 の 暁 は 上 本 通 り ア ー ケ ー ド 街 と 相 ま っ て 沼 津 の 偉 観 と な る も の と 見 ら れ て い る 。 名 実 と も に " 名 店 街 ” 間 仕 切 り な し 横 の デ パ ー ト に 上 土 振 興 会 ( 通 横 町 の 一 部 を 含 む 四 十 三 店 舗 、 五 十 一 軒 ) で は 、 仮 設 日 除 け の 撤 去 を 契 機 と し て 、 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト 四 階 建 の 横 の デ パ ー ト と も 言 う べ く 大 ア ー ケ ー ド を 建 設 す る こ と に な っ た 。 室 賀 薬 局 と 太 洋 相 互 銀 行 か ら 、 大 坂 屋 本 店 と 長 倉 ガ ラ ス 約 二 〇 〇 米 の 予 定 で 、 一 ・ 二 階 は 商 業 目 的 、 三 、 四 階 は ア バ ー ト 貸 室 と し 、 屋 上 は テ ニ ス コ ー ト な ど も 備 え る 遊 園 地 を 計 画 し て い る 。 店 舗 は 一 軒 あ た り 間 口 三 間 、 奥 行 十 間 ぐ ら い と す る が 、 各 店 舗 の 間 切 り を と り 払 っ て 、 横 の デ パ ー ト 式 に し た い と 言 っ て お り 、 ヒ サ シ は プ ラ ス チ ッ ク と し 、 エ レ ベ ー タ ー や エ ス カ レ ー タ ー も 設 備 す る 計 画 だ と 言 う 。 こ の ア ー ケ ー ド 建 設 の 目 的 と す る と こ ろ は 、 大 資 本 に 立 向 う た め に は 、 各 店 舗 が 個 々 の 利 益 を 誘 え る こ と な く 一 町 内 が カ を 結 集 し て 、 相 互 の 繁 栄 を は か ら な け れ ば な ら な い と す る も で 名 称 も 「 沼 津 名 店 街 」 と し て 名 実 と も に 名 店 街 た ら し
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19 め よ う と し て い る 総 工 費 予 算 は 三 億 円 で 、 こ の う ち 約 八 割 五 分 は 県 住 宅 公 社 と 住 宅 金 融 公 瞳 か ら 借 り 受 け 後 の 頭 金 一 割 五 分 は す で に 各 店 平 均 十 万 円 ほ ど の 積 立 貯 金 を し て お り 準 備 が 進 め ら れ て い る 。 上 土 振 興 会 の 内 田 祥 司 氏 の 話 に よ れ ば 来 年 一 月 中 に 設 計 を す ま せ 、 三 月 ご ろ か ら 着 工 、 来 年 未 ま で に 四 プ ロ ツ ク に 分 け て 建 設 、 完 成 す る 計 画 だ 。 ( 沼 朝 昭 和 3 1 年 11 月 7 日 号 )』 『 上 土 ア ー ケ ー ド 今 週 中 に 具 体 化 町 方 町 か ら 通 横 町 を 結 ん で 一 大 商 業 セ ン ダ ー を 築 き あ げ よ う と す る 上 土 ア ー ケ ー ド 建 設 の 構 想 は 、 一 時 ス ト ッ プ 状 態 に な っ て い だ が 、 新 年 に 入 っ て 急 速 に 話 が 進 展 、 今 週 中 に は 具 体 的 に 決 る も よ う で あ る 。 同 ア ー ケ ー ド は 全 国 初 め て の 両 側 五 十 一 軒 を 結 ぶ 四 階 建 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト 建 築 で 二 階 に も 歩 道 を 設 け 階 上 商 店 街 も 建 設 し よ う と す る も の で 、 更 に 東 西 商 店 街 を 結 ぶ 地 下 道 を 二 ヵ 所 作 り 、 こ こ に も 地 下 商 店 街 を 設 け る 構 想 で あ る 。 こ れ に 要 す る 工 費 は 三 億 二 千 万 円 か ら 四 千 万 円 が 見 積 ら れ 住 宅 公 庫 の 融 資 は 愛 け る が 、 全 階 自 己 権 利 と な り 、 自 己 資 金 も 二 年 前 か ら 日 掛 け を 行 い 資 金 面 で も 明 る い 見 通 し と な っ て い る 。 ( 沼 朝 昭 和 32 年 1月 25日 号 )』 昭 和 36年 1月 郡 是 製 糸 沼 津 蚕 種 製 作 所 閉 鎖 ( 跡 地 5年 後 下 河 原 団 地 と な る ) 昭 和 36年 4月 ( 株 ) 明 電 舎 沼 津 事 業 所 竣 工 ( 明 治 30年 三 吉 工 場 よ り 重 宗 芳 水 独 立 創 立 ) 昭 和 36年 4月 29日 ほ て い や ( ユ ニ ー ) 沼 津 店 開 店 昭 和 36年 10月 1日 2日 日 枝 神 社 ・ 浅 間 神 社 ・ 八 幡 神 社 ( 市 場 町 ) 沼 津 秋 合 同 祭 典 ( 人 出 15万 人 ) 昭 和 36年 11月 沼 津 電 報 電 話 局 舎 新 築 ・ 自 動 式 と な る 昭 和 36年 12月 第 1 次 仲 見 世 ア ー ケ ー ド 完 成 、 開 通 式 昭 和 37年 4月 商 店 一 斉 休 日 に 制 定 ( 毎 月 第 二 ・ 第 三 ・ 第 四 水 曜 日 ) 昭 和 37年 4月 1日 中 央 ガ ー ド 改 装 開 通 ( 中 央 ガ ー ド は も と 川 で あ っ た 、 大 正 12年 関 東 大 地 震 時 に は 通 じ て い た ) 『 石 橋 治 郎 八 著 シ ル ク 紳 士 ま か り 通 る よ り : 北 口 駅 は で き た が 、 ガ ー ド の 方 は 相 変 ら ず で 、 雨 が 降 れ ば 水 浸 し 、 ま た 狭 く て 大 き な 車 は 通 れ な い 。 こ ん ど は ガ ー ド の 拡 張 工 事 を や ら ね ば な ら ぬ 。 こ れ な く し て は 沼 津 の 発 展 は な い 。 こ う い う 声 が 地 元 で 高 ま っ て い た 。 そ の こ ろ 、 遠 藤 代 議 士 が 岸 内 閣 の 建 設 相 に 就 任 し た の で 地 元 の 沼 津 市 で 祝 賀 会 が 開 か れ た 。 市 内 千 本 の 遠 藤 邸 に 永 野 運 輸 相 と 藤 山 外 相 が み え た の で 挨 拶 に 伺 う と 、 私 は 三 人 が 話 を し て い た 奥 の 座 敷 に 通 さ れ た 。 こ ん な チ ャ ン ス は ま た と な い 。 こ こ で ガ ー ド 拡 張 の 糸 口 を つ か ま ね ば な ら な い 。 さ て 、 ど う 切 り 出 し た も の か ー 。 「 遠 藤 さ ん こ の た び は 大 臣 に ご 就 任 で お め で と う ご ざ い ま す 。 と こ ろ で 一 つ 私 は う ま い こ と を 考 え つ い た の で す が 如 何 で し ょ う 。 こ れ は 昼 寝 し て い て も 代 議 士 に 当 選 す る 方 法 な の で す が … … 」 選 挙 と い え ば 大 臣 で も 眼 の 色 を 変 え る 。 私 は 第 一 球 を 投 げ て 相 手 の 出 方 を う か が っ た 。「 な ん だ 、 な ん の 話 だ 」 は た し て 永 野 さ ん が 身 を 乗 り 出 し て き た 。 「 そ れ は 沼 津 の 南 北 の 問 、 盲 腸 の 手 術 を や る の で す 。 こ の 手 術 を し な い と 沼 津 は
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20 発 展 し ま せ ん 。 こ い つ を 遠 藤 さ ん に や っ て も ら い た い の で す 。 も し 、 ガ ー ド の 拡 張 が 実 現 す れ ば 駅 北 住 民 の 遠 藤 さ ん へ の 感 謝 は た い へ ん な も の だ と 思 い ま す 。 幸 い 所 管 大 臣 の 永 野 運 輸 相 も お ら れ る こ と だ し 、 ぜ ひ ご 尽 力 願 い た い も の で す 」「 遠 藤 君 、 そ う い う こ と が あ る の か ね 」 永 野 運 輸 相 が い う と 遠 藤 さ ん が 「 ど の く ら い か か る か ね 」 と 私 に 聞 い た 。 「 駅 長 の 話 で は ガ ー ド の 改 築 を や る と 一 億 五 、 六 千 万 円 ぐ ら い は か か る そ う で す 」 永 野 さ ん が ま た 一 膝 乗 り 出 し て 「 そ ん な わ ず か な も ん か い 。 そ ん な い い こ と が あ る な ら 君 や ろ う じ ゃ な い か 」 と い と も 簡 単 に 遠 藤 さ ん に そ う 言 っ た 。 そ の 間 、 五 分 も 経 っ た ろ う か 。 こ れ で ガ ー ド の 改 築 が き ま っ て し ま っ た 。 予 算 は 建 設 省 で と る の だ が 、 仕 事 は 運 輸 省 が や る の だ か ら 両 者 の 連 絡 が う ま く つ か な け れ ば 仕 事 に な ら な い 。 そ れ が 所 管 大 臣 が 二 人 、 そ れ も 時 の 首 相 岸 信 介 と 親 分 、 子 分 の 関 係 に あ り た 二 人 が 同 席 し て い る と き に 話 を 持 ち 出 し た の で 、 た ち ま ち ま と ま っ て し ま っ た 。 す ぐ 陳 情 書 を 出 せ と い う の で 、 私 が 会 長 を し て い た 駅 北 開 発 促 進 同 盟 会 の 名 で 陳 情 書 を 出 し た 。 ガ ー ド は 三 十 七 年 四 月 一 日 つ い に 開 通 し た 。 』 昭 和 37年 5月 商 店 街 振 興 組 合 法 公 布 昭 和 38年 2月 5日 沼 津 ・ 三 島 間 路 面 電 車 ( チ ン チ ン 電 車 ) 廃 止 ( 明 治 39 年 11月 28日 沼 津 三 枚 橋 ・ 三 島 広 小 路 間 路 面 電 車 開 通 ) 昭 和 38年 2月 6日 駿 豆 肥 料 店 火 災 ( 幼 い 兄 5歳 、 妹 2歳 焼 死 ) 昭 和 38年 3月 沼 津 石 油 コ ン ビ ナ ー ト 反 対 運 動 盛 り 上 昭 和 38年 昭 和 34年 か ら 着 工 し た 東 海 道 新 幹 線 。 モ デ ル 線 で の テ ス ト 走 行 を 繰 り 返 し 、 試 作 車 が 開 業 の 前 年 、 最 高 速 度 時 速 256k m を 達 成 し た 。 夢 の 超 特 急 が 、 東 京 − 大 阪 間 を 結 ぶ の を 、 人 々 は 心 待 ち に し て い た 。 昭 和 38年 4月 ス パ ー マ ル ト モ 本 社 ビ ル 建 設 ( 地 上 6階 地 下 1階 ) 昭 和 38年 10月 15日 長 崎 屋 沼 津 店 、 セ ン タ ー 街 よ り 移 転 開 店 ( 平 成 14年 1 月 閉 店 ) 昭 和 38年 十 字 屋 、 南 仲 見 世 ( 新 仲 見 世 ) か ら 仲 見 世 移 転 開 店 ( 有 明 軒 ビ ル ) ( 仲 見 世 店 平 成 6年 11月 末 閉 店 ) 昭 和 38年 12月 沼 信 本 店 ビ ル 上 本 通 り に 新 築 ( 昭 和 25年 4月 20日 大 手 町 商 工 会 議 所 内 に て 沼 津 信 用 組 合 営 業 開 始 名 取 栄 一 理 事 長 ) 昭 和 39年 1月 23日 大 手 町 会 館 落 成 昭 和 39年 3月 16日 沼 津 信 用 金 庫 本 店 新 ビ ル 移 転 営 業 開 始 昭 和 39年 4月 市 営 千 本 浜 水 族 館 廃 止 ( 昭 和 25年 4月 15日 千 本 公 園 に 開 館 ) 昭 和 39年 4月 15日 上 本 通 り 共 栄 会 、 水 銀 街 灯 設 置 計 画 発 表 ( 白 壁 明 敏 会 長 ) 「 水 銀 灯 の 街 造 り 上 本 通 り で も 6 5灯 上 本 通 り 商 店 街 ( 白 壁 明 敏 会 長 ) は 、 夜 の 商 店 街 を 明 る く す る た め 、 水 銀 灯 を 新 設 す る 。 昨 年 上 土 町 が お こ な っ た も の と ほ ぼ 同 様 で 五 月 末 ご ろ 着 工 の 予 定 。 約 六 百 万 円 の 費 用 を 投 じ 町 方 町 ア ー ケ ー ド 商 店 街 の 北 側 か ら 東 映 劇 場 前 交 差 点 ま で に 六 十 五 灯 の 水 銀 灯 を と り つ け る 。 工 事
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21 は 現 在 の ネ ォ ン 灯 の 柱 を 利 用 す る こ と に な っ て お り 、 中 元 大 売 出 し ま で に は 完 成 す る 。 で き あ が れ ば 夜 の 街 が こ れ ま で よ り 数 倍 明 る く な り 、 買 物 客 の 増 加 が 期 待 さ れ て い る 。 ( 沼 朝 昭 和 3 9年 4月 1 5日 号 )」 昭 和 39年 5月 6日 株 ス ー パ ー マ ル ト モ 第 二 種 大 規 模 店 舗 表 示 昭 和 39年 6月 10日 旧 国 道 地 下 道 開 通 昭 和 39年 7月 1日 淡 島 海 洋 交 園 オ ー プ ン 昭 和 39年 9月 5日 沼 津 ゴ ル フ ク ラ ブ オ ー プ ン ( 27ホ ー ル ) 昭 和 39年 9月 5日 い さ み や ア ー ケ ド 街 よ り 仲 見 世 進 出 開 店 昭 和 39年 9月 13日 コ ン ビ ナ ー ト 反 対 住 民 運 動 、 石 油 コ ン ビ ナ ー ト 進 出 反 対 沼 津 市 民 総 決 起 大 会 ( 第 一 小 学 校 校 庭 ) に 25,000 人 集 ま り 、 9月 18日 、 市 長 、 誘 致 断 念 を 発 表 昭 和 39年 10月 1日 午 前 6 時東 海 道 新 幹 線 開 通 昭 和 39年 10月 3日 沼 津 軒 駅 前 本 店 新 築 オ ー プ ン 昭 和 39年 10月 10日 東 京 オ リ ン ッ ピ ク 開 催 昭 和 39年 10月 ボ ウ ル ビ ル オ ー プ ン ( 上 本 通 り 商 店 街 ) 昭 和 39年 12月 リ コ ー 通 り ア ー ケ ー ド 完 成 ( 昭 和 3 7年 高 島 町 大 通 り 商 店 会 か ら リ コ ー 通 り 商 店 会 と 改 名 昭 和 39年 12月 商 工 会 議 所 が 「 上 本 通 り 商 店 街 総 合 診 断 」 実 施 決 定 ( 昭 和 40年 1月 ~ 3月 診 断 ) 昭 和 40年 3月 無 形 文 化 財 : 加 藤 唐 九 朗 壁 陶 板 画 :( 静 岡 商 工 資 金 協 同 組 合 ビ ル 竣 工 : 添 地 ) 昭 和 40年 3月 20日 旧 国 道 地 下 街 「 味 の 近 道 」 開 店 ( 8店 舗 ) 昭 和 40年 4月 1日 振 興 組 合 沼 津 ア ー ケ ー ド 名 店 街 設 立 昭 和 40年 4月 沼 津 警 察 署 、 新 庁 舎 落 成 ( 三 園 町 ) 昭 和 40年 7月 狩 野 川 放 水 路 竣 工 昭 和 40年 12月 1日 富 士 急 名 店 会 館 開 店 ( 実 質 平 成 25年 3月 末 で 営 業 終 了 ) 「 明 二 日 い っ せ い 開 店 の 沼 津 駅 前 富 士 急 名 店 会 館 は 、 東 京 、 横 浜 な ど 全 国 に そ の 名 を 知 ら れ た 老 舗 、 有 力 店 が 八 十 店 近 く 出 店 す る が 、 当 沼 津 市 内 か ら は 、 太 陽 堂 ヵ メ ラ 店 、 丸 一 高 橋 、 杉 浦 洋 服 店 、 増 山 食 品 、 旭 園 本 店 、 秋 月 、 マ ル サ ン 書 店 、 大 岡 農 園 、 サ サ ー ル 洋 装 店 、 庄 司 産 業 、 木 村 屋 、 三 島 屋 酒 店 、 魚 新 商 店 、 森 田 菓 子 店 な ど が 進 出 す る こ と に な っ た 。 ( 沼 朝 昭 和 40年 12月 1日 号 広 告 記 事 )」 昭 和 40年 1月 沼 津 セ ン タ ー 街 振 興 組 合 設 立 昭 和 41年 5月 い さ み や 倒 産 ( 負 債 8億 円 ) 昭 和 40年 頃 の 沼 津 の タ ク シ ー 会 社 名 ○ ベ ル タ ク シ ー ( 株 ) ○ 共 栄 自 動 車 ( 株 ) ○ 御 殿 場 自 動 車 ( 株 ) 芙 容 タ ク シ ー 沼 津 営 業 所 ○ ツ バ メ 自 動 車 ( 株 ) ○ 沼 津 交 通 ( 株 ) ○ 三 津 観 光 タ ク シ ー ( 株 ) ○ 新 東 海 交 通 ( 株 ) ○ 伊 豆 箱 根 鉄 道 ( 株 ) 沼 津 ハ イ ヤ ー 営 業 所 ○ 大 国 タ ク シ ー ( 株 ) ○ 平 和 タ ク シ ー ( 株 ) ○ 三 園 タ ク シ ー ( 株 ) ○ 大 洋 交 通 ( 株 ) 昭 和 41年 7月 1日 沼 津 市 役 所 新 庁 舎 完 成 昭 和 41年 9月 25日 丸 井 沼 津 店 進 出 開 店 ( 平 成 16年 5月 閉 店 ) 『 ( 静 岡 新 聞 平 成 15年 12月
22.
22 10日 朝 刊 よ り ) 丸 井 沼 津 店 5月 閉 店 中 心 商 業 地 集 客 力 低 下 は 必 至丸 井 ( 東 京 ) が 沼 津 市 大 手 町 の 丸 井 沼 津 店 を 来 年 五 月 の 大 型 連 休 明 け に 閉 店 し 、 撤 退 す る 方 針 を 決 め た こ と が 九 日 、 分 か っ た 。 同 店 は JR 沼 津 駅 南 口 に 広 が る 商 店 街 の 中 核 店 舗 。 市 が 進 め る 駅 前 再 開 発 ビ ル が 商 業 施 設 か ら 住 居 中 心 の 構 成 に な っ た こ と に 加 え 、 撤 退 で 中 心 商 業 地 と し て の 集 客 力 低 下 は 確 実 で 、 地 元 商 店 街 や 沼 津 商 工 会 議 所 は 深 刻 に 受 け 止 め て い る 。 同 店 は 七 階 建 て 、 売 り 場 面 積 三 干 八 百 六 十 八 平 方 ㍍ 。 一 九 六 六 年 ( 昭 和 四 十 一 年 ) 九 月 に オ ー プ ン し た 。 し か し 、 売 リ 場 が 狭 い 上 に エ ス カ レ ー タ ー 設 備 も な く 、 「 店 舗 大 型 化 を 進 め て い る 中 で 、 品 ぞ ろ え や 設 備 面 で 十 分 な レ ベ ル に す る こ と が で き な か っ た 」 ( 広 報 部 ) と い う 。 一 時 は 駅 前 再 開 発 ビ ル の 核 テ ナ ン ト と し て 入 居 す る 話 も 浮 上 し た が 折 り 合 わ ず 、 最 終 的 に 閉 店 を 決 め た 。 跡 地 利 用 は 決 ま っ て い な い 。 中 心 商 店 街 に 衝 撃 「 街 の 真 ん 中 に 爆 弾 が 落 ち た よ う な 衝 撃 」 。 沼 津 市 の 中 心 商 店 街 を 引 っ 張 っ て き た 丸 井 沼 津 店 の 閉 店 が 明 ら か に な っ た 九 日 、 地 元 商 店 街 は 驚 き を 隠 さ な か っ た 。 歳 末 商 戦 を 迎 え る 中 、 商 業 関 係 者 か ら は 「 沼 津 全 体 の イ メ ー ジ 低 下 が 気 掛 か り 」 「 駅 前 と い う 立 地 が も は や 有 利 に 働 か な い と い う こ と か 」 と 不 安 視 す る 声 が 相 次 い だ 。 JR 沼 津 駅 南 口 か ら 同 店 を 経 て 仲 見 世 商 店 街 に 抜 け る の が 、 市 内 で も っ と も 通 行 客 の 多 い 場 所 と 言 わ れ る 。 し か し 、 駅 前 で は 近 年 、 十 字 屋 、 ニ チ イ 、 長 崎 屋 が 撤 退 す る な ど 大 型 店 が 振 る わ な い 。 同 市 商 店 街 連 盟 の 芦 川 勝 年 会 長 も 「 こ れ か ら の 商 業 地 は 立 地 で は な く 、 魅 力 あ る 個 店 が ど れ だ け 多 く あ る か が 問 わ れ る の で は な い か 」 と 指 摘 す る 。 同 市 が 中 心 商 業 地 再 生 の 目 玉 と し て 、 駅 南 口 で 進 め る 再 開 発 ビ ル の 専 門 店 誘 致 に も 、 丸 井 の 撤 退 が イ メ ー ジ 的 に マ イ ナ ス に 働 く こ と を 市 関 係 者 は 危 ぐ す る 。 山 田 寧 助 役 は 「 商 店 街 の に ぎ わ い に は 買 い 物 客 の 回 遊 性 確 保 が 重 要 。 影 響 は 大 き い 」 と 懸 念 し て い る 。 』 昭 和 41年 11月 25 日 沼 津 上 本 通 り 商 店 街 振 興 組 合 設 立 総 会 ( 上 本 通 り 共 栄 会 よ り ) 『 発 展 期 す 上 本 通 り 商 店 街 振 興 組 合 を 結 成 昭 和 四 十 一 年 十 一 月 二 十 五 日 創 立 総 会 水 銀 灯 設 置 な ど 、 商 店 街 整 備 に 意 欲 を 見 せ て い た 上 本 通 り 商 店 街 で は 、 さ ら に そ の 振 興 を は か る た め 、 現 在 の 商 店 会 を 発 展 的 に 解 消 新 た に 商 店 街 振 興 法 に の っ と っ た 「 上 本 通 り 商 店 街 振 興 組 治 」 を 結 成 す る こ と に な り 二 十 五 日 午 後 一 時 か ら 沼 津 僧 用 金 庫 会 議 室 で 創 立 総 会 を 開 く 。 ア ー ケ ー ド 街 、 上 土 セ ン タ ー 街 、 仲 見 世 通 り 、 そ の 他 駅 前 周 辺 な ど 市 内 の 商 店 街 は 年 々 整 備 が す す ん で 来 て い る た め 、 こ れ ら に 負 け な い 新 時 代 に 即 し た 商 店 街 作 り を 実 現 す る よ う 同 組 合 が 結 成 さ れ る こ と に な っ た も の で 、 市 内 で こ の 種 法 組 合 を 結 成 す る の は 仲 見 世 、 上 土 、 ア ー ケ ー ド 街 に つ づ き 、 上 本 通 り が 四 番 目 。 創 立 総 会 で は 定 款 、 事 業 計 画 を 決 定 し た あ と 、 役 員 の 選 出 な ど を 行 う が 、 新 組 合 員 に は 同 地 区 九 十 九 店 舗 が 加 入 、 ア ー ケ ー ド ( 公 共 歩 廊 ) の 補 修 、 歩 車 道 の 整 備 、
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