価値観についてちょっと考察してみたい。 ?
価値観のベースにあるのは、「対比」するという意味ので二元論である。 善 悪 善 悪 光 闇 光 闇 幸せ 不幸
A B そこで、時空間上に A と B という 2 点が存在しているとして、、、
それらが、ある人間の人生での、 A から B への変化だったとする。 A B
A B プラス (良) マイナス (悪) 生きていて、 A と B を比較して、 A の時期に比べて B の時は悪くなったなぁ、 という意識があったとき、それを規定している「価値観」とは一体なんであるか?
価値観とは、事象の変化の2つのポイントを、時間の軸と、それぞれの2つのポイントに 設けられた軸によって、ただ相対的に規定しているだけに過ぎないのではなかろうか。 過去 未来 + プラス (良) - マイナス (悪) 二 元 化 時 間 軸 + プラス (良) - マイナス (悪) + プラス (良) - マイナス (悪) + プラス (良)
時 間 軸 過去 未来 実際には、 2 点間は緩やかに変化 (※) するのであって、良かった、あるいは悪かったのかは、 その期間での時間経過上で比べても、良い悪いはそれぞれは等しい大きさである。 同じ面積 - マイナス (悪) + プラス (良) 二 元 化 ※ 一瞬で奈落の底に落ちたような体験であっても、その一瞬はどんなに短い時間であっても緩やかに変化している。
そもそも、これらの軸を規定するということが、価値観なのではないだろうか。
価値観をはずして考えれば、もともとはただ2点が時空に存在するだけであって、
視点を変えれば、どっちが A だか B だかもわからない 横並びの点どうしだったかもしれないし、、、。
もっと視点を変えれば、すごい近接点同士だったのかもしれないし、、、。 ここにあります!
価値観は、ある狭い範囲での相対的な対比をしてるに過ぎず、 絶対的なものではない。 それにも関わらず、人間の行動は価値観の支配を強く受けてしまう。
ところで、人間は、価値観を持たずにひたすら「見てるだけ」ということが、 けっこう苦手である。
では、価値観が何をやっているのかというと、それは「計測」することではないか。 意識で対象を観察し、価値観がその対象を相対的に計測し続けている。
もしかしたら、対比をベースにした価値観そのものがデータ(情報)を 生成するために存在するのではないだろうか・・・・? データ(情報)を生成するための最小単位は、  2  たとえば、0と1 0100110111110011010100010011100・・・・・・・・ 「対比」できれば、データ(情報)が生成できる。
我々は、価値観を使って、データ(情報)を保持(記憶)し続けているのではないか。 そのデータは、二元論的であるが故に、デジタルであろう。 - マイナス (悪) + プラス (良) 価値観がフィルタリング
そのデジタルデータは、だれのためのものかというと、、、 たとえば、神、だとしよう、汗。 + プラス (良) - マイナス (悪) + プラス (良)
でも、神は、どっちかというと、こんな感じかもしれない、笑 つまり、白と黒しか見分けがつかないし、わからない。 + プラス (良) - マイナス (悪) + プラス (良) デジタル野郎
情報は何か媒体がないと単独では存在できない。しかし、媒体については、 その大きさや距離(≒時間)、形状、性質を問わない。 音楽
デジタルしか知覚できない神であっても、様々な個(角度)からのデジタルデータを合成すれば、 神は世界を正確に知ることができるかもしれない。それが人間が多数存在する理由? 神と人間が別の次元に居たとしても、デジタル情報であれば通信できる可能性がある。 + プラス (良) いろんな視点で観察 いろんな価値観で フィルタリングされた デジタルデータ いろいろな視点の デジタルデータから、 世界を知ることが できる。 対象 神の居所 人の居所
女と男、夜と昼、陰と陽、 世界は、本質的に2つの要素から成り立っている。 価値観は、この本質に則って意識が作り上げているフィルターなのではないか。 意識で観測し、価値観がそれをフィルタリングして、データ=情報を作っている。 データをビット(0と1)形式に置き換えられれば、例えば、交わりのない別次元の存在とも、お互いに情報を通信することが可能だろう。

価値観について