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金4 レジュメ

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社会学

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金4 レジュメ

  1. 1. 金4 卒論概要 0100-25-0392 文学部3回 佐々木海 ◎社会学的な分析 ・デュルケーム的な分析・・・「社会」の類型を語ることに重点を置く。あるテーマと、特定の 特徴を持った「社会」との関連性について語る。統計・帰納主義的、非行為論的。 (例)『自殺論』:近代ヨーロッパの自殺率は、プロテスタントよりカトリック、戦時より平時、 大家族より核家族で高いことを実証し、その共通原因として「自由度」の高さを見出した。 ・ウェーバー的な分析・・・「個人の行動の動機」の類型を語ることに重点を置く。行為論的。 (例)ウェーバー行為論の4類型 目的合理的・価値合理的・感情的・伝統的←論理的に矛盾    井上俊(京都大学)の遊び論 俗=実利 聖=まじめ 遊=遊び ①目的合理的・「実利的」行動・・・損得勘定。主に資本主義下では経済学が扱う領域 ②価値合理的・「まじめ」な行動・・・イデオロギー、理念・思想、宗教に基づく行為 ③感情的・「遊=遊び」的な行動・・・何かに魅了されて行動してしまうもの。                   行動の動機として語るのが難しく、あまり議論されてい                    ない。(個別の事象自体に着目するカルチャー研究は盛                   んかもしれないが・・・)しかし、                   人間にとって重要な位置を占めるものではある                   (例)恋愛、何か夢中になっていることなど・・・                   ✴③のようないわば行動の動機として定義し難い感情は、特定の「対象」との出会いや結びつきを 必要とするが、行動の動機として説明のつけにくいものにはもう一つある。 それは、「他者の苦しみを放っておけない」という感情。 (例)東日本大震災の際、被災していなくても体調が悪くなってしまった人 この感情はむしろ、上記の項目における②の類型=価値合理的行動の契機であると言える。 →1960年代前半の学生運動や成田空港建設への反対抗議、三里塚闘争などに影響を与えた?
  2. 2. ◎仮説 ・1960年代以降、マルクス主義の衰退・学生運動の失敗、左翼の過激化、経済政策路線への転換 で②価値合理的な行為が減少。70年代・80年代にかけて、ゆるやかに減少していく。 ・90年代初頭、冷戦の終結により社会主義が壊滅し、②価値合理的な行為は社会においてほとん ど見られなくなる。①目的合理的・③感情的行為がより肥大化。→この頃からオタク文化(=感 情的)が活性化し始めるのは偶然ではない?社会の非婚化にも影響?ジャンルの消滅と関係? ・90年代以降、バブル崩壊とそれに伴う不景気(=失われた20年)、小泉政権下の新自由主義 政策等で貧困層が拡大。(=格差社会の到来)多くの人々は「将来への不安」を感じ、①目的合 理的な行為へ向かう癖がつき、「無駄なこと」にお金や時間を掛けない・そもそも掛けられなく なっているため、相対的に③感情的な行為は減少する。現在、爆発的に広まっているSNSの特徴 は、「無料で手軽にできる」こと。  ②価値合理的な行為が見られる瞬間は、例えば災害のボランティアなど現在でも当然あるが、 あくまで瞬間的なものと言える。近年では新興宗教が関わった事件や原理主義者によるテロなど の増加で、②価値合理的な行為そのものにかなり悪いイメージがつきまっとっている。    芸術・創作活動は個人の思想を発信するものとして、②価値合理的な行為としての側面も持つ。 先述の通り、そもそも②価値合理的行為と③感情的行為は根源的な部分に繋がりがあると言える。 1960年代はプロテストソングの流行や、ベトナム戦争に反対するヒッピー文化の発生など、②と ③の繋がりが多く見られたが・・・  当時は芸術の②と③の結びつきに対し、警察や国家といった公権力が規制をかけるが、人々に は支持されることが多かった(気がする・・・)  現在では芸術の②と③の結びつきを、作り手側が意識的に分断している。(=自主規制。)世 論も②と③の結びつきには以前より批判的(な気がする・・・) (例)紅白歌合戦での首相批判パフォーマンスを批判されたサザンオールスターズ  そもそも、政治的な話は個人の思想だからという理由で避けられる傾向にある。 イメージ:人々の行為選択 0 100 200 300 1960 1970 1980 1990 2000 2010- 目的合理的 価値合理的 感情的
  3. 3. ◎音楽と反体制運動∼京都を通じて見えるもの∼  「70年安保、ベトナム戦争問題、三里塚闘争といった全共闘運動が激化した1960年代後半か ら70年代初頭。新宿西口の地下広場にはフォーク・ゲリラによる反戦集会に7000人が参加し、 多くの人々が憤りをフォークソングにのせ訴えた。関西から生まれた「抗議の歌」、いわゆるプ ロテストソング・ブームが全国で旋風を巻き起こしてたのだ。・・・しかし、 アングラ と呼ばれ た関西フォークは、ブームの一方でいつしか商業主義的であるとして反体制運動の対象ともなっ ていく。そんな中でも京都だけはインディペンデントな場所として、自由にミュージシャン同士が 親交を深め、運動としてのフォークソングを問い、見つめ、守っていた。・・・京都にはベ平連 (ベトナムに平和を!市民連合)などにかかわる運動家やヒッピーたちが理想郷を求め東京から 流れてきたこともあり、「自分たちの自由な空間をつくろう」という意識が強かった。ブームに より関西が見失いかけていたものが、京都のコミュニティのなかでは生き続けたのである。」 (※1)  「京都のミュージック・スポットで伝説に事欠かないのが『京都大学西部講堂』である。・・・ そもそも西部講堂(以下、西部)は、37年、平成天皇の誕生記念に建てられた由緒ある建物。そ れが御所かどこかから63年、現在の場所に移築されてきたといういわくがある。たちまち、大島 渚らが在籍した劇団「想像座」を筆頭に、演劇、舞踏、映画などの人間が出入りするアングラの 根城となるのだから、建物もさぞかしびっくりしたことだろう。  まもなく時代は学生運動の季節へと赤熱。京大がバリケード封鎖された60年代末、ヘルメット をかぶった学生たちが機動隊に火炎瓶や石を投げに行っては逃げ帰る・・・西部はそんな場所に なっていった。やがて下火になる学生運動だが、たぎるエネルギーを持て余した若者たちのなか には、ホコ先をロックに見いだす者も少なくなかった。ロックで革命を!というわけである。  折しも、京都は世界中のヒッピーが集まる場所になっていた。自由を求めて極東の国・日本、 しかも京都にやって来た彼らは、 禅 などの東洋思想にイカれると同時に、ロックの伝道師として の役割も果たすことになる。当時、ロックが聴ける場所といえばロック喫茶だったが、ロック喫 茶のなかには京都に住み始めた外国人たちが作ったものも多かった。そんな情報を嗅ぎつけて、 日本中からおもしろいものを求めて有象無象が京都に集まってくることにもなる。何かが起こり そうな空気は京都の街に充満していた。」(※2)  「西部は自主管理運営を旨として、74年より京大生であるないを問わず、音楽、演劇、映画、 美術など、あらゆる表現活動に携わる「西部講堂連絡協議会」が管理運営を行っている。しかし、 80年頃まではインディペンデントにこだわるあまり、一般京大生に理解されないまま運営が行わ れていた嫌いがあったという。ポリス公演(80年2月※)をきっかけに、西部は京大生とのコネ クションを大切にし、むしろ京大生が中心となる形で運営されるようになっていくのである。特 に京大軽音楽部の果たす役割は大きくなっていった。」(※3)  ⭐70年代に西部講堂でライブを行った有名アーティスト※  矢沢永吉、PYG(沢田研二・萩原健一)、Char、村八分、かまやつひろし、頭脳警察(以上邦 楽)、フランク・ザッパ、XTC、ポリス(以上洋楽)など  73年にライブハウス『拾得』、74年に『磔磔』がロック喫茶の延長としてオープン。80年以 降、京都におけるメジャーミュージシャンの活躍の場はそのようなライブハウスが中心へ。
  4. 4.  以下、漫画家のひさうちみちお氏が当時の京都の音楽シーンを回想する。重要なものを抜粋。 「・・・音楽活動なんかにしても、芸能プロダクションに所属するとか、ものすごく嫌われたんで す。・・・京都らしさで言えば、金で解決せえへんところが京都にはありますよね。なんぼ得にな るような商売を持ちかけられても、それまで取引のないところとは商売やらんような。」(※4) 「そんなヒッピーな感じやったり、ロック喫茶やったりも、僕が東京行くころ(75年)あたりか らちょっと下火になってきたんですかね。西部講堂なんかでも実行委員会と学校で揉め事があっ たり。・・・いわゆる80年代というもんが迫りつつあったんですよ。80年代はすごくカラフルな イメージで、僕ももうウッドストック(※)がどうのこうのと言ってたのも薄れてきていて、自分 のスタイルに対して何も思わんようになってきた頃に、そういうカラフルなものがやってきた。店 もおしゃれなところがいっぱい出来て、ハイテックな、どこ探してもゴムはあっても木材が見当 たらへんような。「おっしゃれやなぁ。楽しくなってるやん」って(笑)」(※5) 「・・・世のなか全体が今のように中心志向っていうかね、東京志向じゃなかったという流れも ありましたけど、さっきも言いました『MOJO WEST』(※)が象徴的ですが、大袈裟にいえば 京都が中心で、東京は京都のマネをしてたって感じだったんです。」(※6)  (※5より)75年という年は、「ニューミュージック」という言葉が広がった年と言われてい る。このジャンルは、初めて「個人の繊細な内面を表現」したことが特徴としばしば言われる。 代表として井上陽水や松任谷由美(ユーミン)など。  現在、東京が音楽の中心であることに異論を唱える人はいないだろう。しかし少なくとも70年 代までは、京都が東京に匹敵しうる音楽空間であったことは確かなようだ。当時の京都の音楽シー ンの回想からは、人々の①目的合理的行為に対する嫌悪感が強く感じられる。 →80年代以降音楽の中心が東京=経済の中心(目的合理性の塊のような街)へ集中していく過程 で、そのような①への嫌悪感が薄れていったのでは?    そもそも京都という街は全国的に見て反体制運動、突っ込んで言えば左翼運動が活発な街であ る。京都大学という大学自体さえも、官僚養成学校としての東京大学に対抗する形で誕生したと いう歴史的経緯がある。  72年8月16日、「三里塚空港粉砕」をスローガンとして京大で開催されたイベントに際して、 美大生が西部講堂の大屋根をライトブルーに塗り、赤いオリオン座の三ツ星を書いた。これを見 た日本共産党が「テルアビブ空港乱射事件(※)に参加した日本赤軍の三人の兵士だ」と指摘 し、物議をかもすこととなる。本来そのようなメッセージは無かったのだが、西部講堂のメンバー は開き直り、イベントの当日、彼らは乱射事件で死亡した赤軍の兵士の追悼集会を行った。現在 も西部講堂にはオリオンの三ツ星は現存するが、星の色は赤から黄色に変えられている・・・  京都大学軽音楽部の一員として、ひとつ言っておきたいのは、この三ツ星の秘密を知っている 部員は現在、実感としておそらくほとんどいないということ。70年代に世界的に有名なアーティ ストが来た、ということを知っている部員も、半分いればいい方という感じである。ならば部員 以外の京大生はもちろん、他大生がその事実を知っている可能性は・・・ →②価値合理的な行為が衰弱した社会では、「歴史」への興味が薄れる? ①目的合理的行為や③感情的行為は、「過去への洞察」を必要としない。 ②価値合理的行為は、「何を大事だと感じるのか=感じてきたのか」という視点が伴う。
  5. 5. 参考・補足  ※ポリス公演(ポリス事件)・・・西部講堂連絡協議会が、プロモーターの通常では考えられ ない運営(多数の警備員、カメラチェック、アルコールの持ち込み禁止)、キャパを超える観客の 動員など、自主管理の逸脱・商業主義的運営を問題視し、公演の中止を求めた。    ※「ローリングストーン誌が選ぶ偉大なアーティストベスト100」において、ポリスが70位、 フランク・ザッパが71位。参考までに、クイーンが52位、エリック・クラプトン(ソロ)が 55位、エミネムが83位。1位はビートルズ。先日亡くなったデビッド・ボウイは39位。    ※ウッドストック・・・1969年にアメリカで開かれた伝説的なロックの「野外フェス」。ジャ ニス・ジョップリン(46)やザ・フー(29)などが出演し、トリをジミ・ヘンドリックス(6)が務めた。 ビートルズやレッド・ツェッペリン(14)、前述のフランク・ザッパなどは出演を依頼されたが、 辞退している。(カッコ内はローリングストーン誌が選ぶ・・・の順位)  ※MOJO WEST・・・西部、円山野外音楽堂を拠点に定期的に開催されたロック・イベント。 第1回ではPYGがデビューを飾った。  ※テルアビブ空港乱射事件・・・1972年5月30日、イスラエルのテルアビブ近郊都市ロッドの ロッド国際空港で発生した、のちに「日本赤軍」を名乗る日本人極左過激派組織によるテロ事件。 3名の実行犯のうち一人は京大生だった。無差別乱射により26名が死亡、73名が重軽傷を負う。 その際実行犯の2名は警備隊の反撃射殺・自爆により死亡したとされるが、詳細は不明。一方、 唯一生存した岡本公三は終身刑となるが捕虜交換で釈放され、イスラエルと敵対する勢力の庇護 を受けレバノンで暮らしている。おそらく世界初の、テロリストが一般市民を無差別に大々的に 襲撃するという事件であり、国際的な非難を受ける中で、パレスチナの一部の民衆の中で実行犯 は英雄視された。イスラム教では自殺が禁じられているが、一説ではイスラム過激派が「自爆テロ をジハードである」と解釈するのに影響を与えたとも言われる。 参考文献・引用 ・安田英樹『新版 京都音楽空間』2007年、青幻舎 ※1 p80 L1-12, L41-50, p81 L2-11 ※2 p82 L12-14, L19- p83 L8 ※3 p82 L65- p83 L6 ※4 p76 L30-33, L48-53 ※5 p76 L77-82, L100- p77 L10 ※6 p76 L51-58

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