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第9回VCASI公開研究会「障害の社会モデルから見た政策的インプリケーション
 ~法学、障害学、社会福祉学、経済学の対話」、2010年11月6日、東京財団




          障害学の主張
       その経済学的正当化の試み


              川越敏司
           公立はこだて未来大学
1. モチベーション
• 経済学は社会科学の女王
 – 障害学研究に応用可能か?
  • ここで障害学とは「障害の社会モデル」のこと
  • 障害とは、身体・知的・精神的インペアメントではなく、適切な
    配慮の提供がないために社会参加が阻まれたり、不利益を
    受ける状態
  • マルクス主義と社会構築主義が源泉
• 「近代」経済学は、近代的世界観・個人観に支配
  されている
 – そもそも原理の違う障害学と経済学は対話可能か?
 – 障害者も含めて「合理的な個人」と仮定することは妥
   当か?
2. 市場と外部性
• 希少な資源の配分こそが経済の根本問題
• 厚生経済学の基本定理
 – 市場は最も効率的な資源配分をもたらす
 – 市場は分権的に保有されている情報を効率的に集約
   できる制度
• 市場原理主義に対する立場
 – 効率性と公平性の両立困難性
 – 外部性の存在
  • 市場は効率的ではなくなる
  • ゲーム理論的分析の必要性
3. 経済学における合理性
• 自律した合理的個人が経済学の前提
 – 現実の人間は決して最適な選択を行なえない
  • 認知・計算論的限界
  • 情報の不確実性
 – 制度・ルール・ツールがその限界を補完
  • あらゆることに自己決定はできない
  • 慣習・ルール・ルーティンに従う
• 個人が合理的でなくても市場は効率的になりうる
 – 市場の利用は決して個人の合理性を前提としない
  • 知性ゼロの取引者モデル
 – ユニバーサル・デザインは市場原理を応用した戦略
4. ケイパビリティと HDI
• Senのケイパビリティ・アプローチ
 – 人間開発指標(HDI)の基礎
 – 帰結主義と効用主義の克服
 – 財・サービスの量だけでなく、教育やアクセス可能性
   もまた人々の厚生に影響する
   • テキストデータや点字の提供がなければ、盲の人は読書に
     よる知識獲得・快楽を得られない
 – 社会によって生み出された障害の存在を認め、それ
   を厚生判断に盛り込むことができる
 – 障害の社会モデルの視点を入れた障害者HDIの必要
   性
5. 差別と偏見:帰納的ゲーム理論
• Kaneko ansd Matsui (1999)のモデル
  – 偏見から差別を行なうのではなく、差別的行動の観察
    から偏見が生まれることを説明する
    • 人口はA, Bの2つの民族グループに分かれており(Aが多数
      派)、祭りの場所1, 2のどちらかを選ぶ
    • プレーヤーは、各場所でのA, Bの構成比率を見て、友好的
      か非友好的な行動を選ぶ
    • 非友好的な行動の場合、ゼロの利得で、友好的な行動の場
      合、友好的な行動を選ぶプレーヤーの数が多いほど利得が
      高い。誰も友好的でないと最悪の結果。
    • 多数均衡の中に、各グループはそれぞれ別の場所を選び、
      そこにいるのが同グループであるかぎり友好的で、一人でも
      他のグループがいると非友好的になる、という均衡がある。
    • 逆に、この経験の蓄積が他グループへの偏見を帰納的に生
      み出す
6. ネットワーク外部性と補完性
• ネットワーク外部性
 – 車イス利用者の地下鉄利用
 – アクセス可能な駅の数がnのとき、その便益はn(n-1)/2
   (約2乗)となる。
• 補完性
 – しかし、駅だけではなく、そこに至るまでの道路やバス
   もアクセス可能である必要がある
• 複数均衡の選択問題
 – アクセス可能性におけるネットワーク外部性と補完性
   の存在は、複数均衡を導く
 – アクセス可能性への要求がクリティカル・マスを超えな
   いと、悪い均衡にとどまる可能性がある。
7.応能負担と応益負担
• 応益負担
 – 自立支援法では、サービスを受ける障害者も
   利用に応じて負担をすべきとして導入された。
• しかし、福祉の基本原則は応能負担
 –   最適所得税の文脈で議論が続いている
 –   日本の所得税の累進度は低すぎる?
 –   分析結果は所得分布の仮定に大きく依存
 –   平等な犠牲による正当化
8. 自立支援策
 • ダイレクトペイメントの正当化
               aの予算の下で、障害者
               が自分で選択した場合
a              A点が消費されるが、他
               者が障害者の代わりに
b   A          B点を選択すると、 B点
               はbの予算で実現でき
               たはずだから、a-bの予
         B     算が無駄になる(非効
               率的)
9. 所得保障
• ベーシック・インカム
 – 老若男女を問わず、各個人に無条件で一定額の基本
   所得を保証する所得保障制度
 – 一人月額8万円とし、それ以外の所得に50%の所得
   税を課せば実現可能
• 負の所得税
 – 一定所得以下の場合に補助金を与える制度
 – モラルハザード(労働インセンティブ)に対する対処法
• 実験の結果、ベーシック・インカムには労働イン
  センティブを下げる傾向があることがわかった
10.アファーマティブ・アクション
• アファーマティブ・アクション(積極的差別是正処
  置、AA)
 – 例えば、障害者雇用制度
• 実験研究
 – 労働者の間での昇進を巡るトーナメントや、マイノリ
   ティによって運営される企業による入札では、AAの効
   果がある
• 理論研究
 – 学校選択制では、AAは非効率な結果を避けられない
11. 公共財としての合理的配慮
• 障害者への合理的配慮の提供
 – 費用対効果の関係で、個々の企業や自治体では対
   応できない場合がある
• 障害のユニバーサルモデルの視点
 – 誰もが怪我や病気、事故が原因で障害者になりうる
   →誰もが潜在的に障害者
• 公共財としての合理的配慮
 – ユニバーサリズムの視点からは、障害者への合理的
   配慮のための投資は、将来の自分に対する便益とな
   るので、公共財の性質をもつ
 – ただし、「フリーライダー」問題への対処が必要
12. 結論
• 障害学と経済学との対話は進んでいる
 – 特に、雇用制度、自立支援制度、所得保障制度の経
   済学的検討が進んでいる
 – 障害の社会モデルを反映した障害者HDIの作成は国
   際比較に有用
 – 合理的配慮の提供を根拠付ける議論がさらに必要
• さらなる対話の必要性
 – 知的障害者の場合、「合理的な個人」は仮定できない
  • 「合理的な個人」を仮定しない理論も発達している
 – 障害学におけるマイノリティ・アプローチとユニバーサ
   リズムの対立
  • 経済学ではどちらも正当化可能

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  • 2. 1. モチベーション • 経済学は社会科学の女王 – 障害学研究に応用可能か? • ここで障害学とは「障害の社会モデル」のこと • 障害とは、身体・知的・精神的インペアメントではなく、適切な 配慮の提供がないために社会参加が阻まれたり、不利益を 受ける状態 • マルクス主義と社会構築主義が源泉 • 「近代」経済学は、近代的世界観・個人観に支配 されている – そもそも原理の違う障害学と経済学は対話可能か? – 障害者も含めて「合理的な個人」と仮定することは妥 当か?
  • 3. 2. 市場と外部性 • 希少な資源の配分こそが経済の根本問題 • 厚生経済学の基本定理 – 市場は最も効率的な資源配分をもたらす – 市場は分権的に保有されている情報を効率的に集約 できる制度 • 市場原理主義に対する立場 – 効率性と公平性の両立困難性 – 外部性の存在 • 市場は効率的ではなくなる • ゲーム理論的分析の必要性
  • 4. 3. 経済学における合理性 • 自律した合理的個人が経済学の前提 – 現実の人間は決して最適な選択を行なえない • 認知・計算論的限界 • 情報の不確実性 – 制度・ルール・ツールがその限界を補完 • あらゆることに自己決定はできない • 慣習・ルール・ルーティンに従う • 個人が合理的でなくても市場は効率的になりうる – 市場の利用は決して個人の合理性を前提としない • 知性ゼロの取引者モデル – ユニバーサル・デザインは市場原理を応用した戦略
  • 5. 4. ケイパビリティと HDI • Senのケイパビリティ・アプローチ – 人間開発指標(HDI)の基礎 – 帰結主義と効用主義の克服 – 財・サービスの量だけでなく、教育やアクセス可能性 もまた人々の厚生に影響する • テキストデータや点字の提供がなければ、盲の人は読書に よる知識獲得・快楽を得られない – 社会によって生み出された障害の存在を認め、それ を厚生判断に盛り込むことができる – 障害の社会モデルの視点を入れた障害者HDIの必要 性
  • 6. 5. 差別と偏見:帰納的ゲーム理論 • Kaneko ansd Matsui (1999)のモデル – 偏見から差別を行なうのではなく、差別的行動の観察 から偏見が生まれることを説明する • 人口はA, Bの2つの民族グループに分かれており(Aが多数 派)、祭りの場所1, 2のどちらかを選ぶ • プレーヤーは、各場所でのA, Bの構成比率を見て、友好的 か非友好的な行動を選ぶ • 非友好的な行動の場合、ゼロの利得で、友好的な行動の場 合、友好的な行動を選ぶプレーヤーの数が多いほど利得が 高い。誰も友好的でないと最悪の結果。 • 多数均衡の中に、各グループはそれぞれ別の場所を選び、 そこにいるのが同グループであるかぎり友好的で、一人でも 他のグループがいると非友好的になる、という均衡がある。 • 逆に、この経験の蓄積が他グループへの偏見を帰納的に生 み出す
  • 7. 6. ネットワーク外部性と補完性 • ネットワーク外部性 – 車イス利用者の地下鉄利用 – アクセス可能な駅の数がnのとき、その便益はn(n-1)/2 (約2乗)となる。 • 補完性 – しかし、駅だけではなく、そこに至るまでの道路やバス もアクセス可能である必要がある • 複数均衡の選択問題 – アクセス可能性におけるネットワーク外部性と補完性 の存在は、複数均衡を導く – アクセス可能性への要求がクリティカル・マスを超えな いと、悪い均衡にとどまる可能性がある。
  • 8. 7.応能負担と応益負担 • 応益負担 – 自立支援法では、サービスを受ける障害者も 利用に応じて負担をすべきとして導入された。 • しかし、福祉の基本原則は応能負担 – 最適所得税の文脈で議論が続いている – 日本の所得税の累進度は低すぎる? – 分析結果は所得分布の仮定に大きく依存 – 平等な犠牲による正当化
  • 9. 8. 自立支援策 • ダイレクトペイメントの正当化 aの予算の下で、障害者 が自分で選択した場合 a A点が消費されるが、他 者が障害者の代わりに b A B点を選択すると、 B点 はbの予算で実現でき たはずだから、a-bの予 B 算が無駄になる(非効 率的)
  • 10. 9. 所得保障 • ベーシック・インカム – 老若男女を問わず、各個人に無条件で一定額の基本 所得を保証する所得保障制度 – 一人月額8万円とし、それ以外の所得に50%の所得 税を課せば実現可能 • 負の所得税 – 一定所得以下の場合に補助金を与える制度 – モラルハザード(労働インセンティブ)に対する対処法 • 実験の結果、ベーシック・インカムには労働イン センティブを下げる傾向があることがわかった
  • 11. 10.アファーマティブ・アクション • アファーマティブ・アクション(積極的差別是正処 置、AA) – 例えば、障害者雇用制度 • 実験研究 – 労働者の間での昇進を巡るトーナメントや、マイノリ ティによって運営される企業による入札では、AAの効 果がある • 理論研究 – 学校選択制では、AAは非効率な結果を避けられない
  • 12. 11. 公共財としての合理的配慮 • 障害者への合理的配慮の提供 – 費用対効果の関係で、個々の企業や自治体では対 応できない場合がある • 障害のユニバーサルモデルの視点 – 誰もが怪我や病気、事故が原因で障害者になりうる →誰もが潜在的に障害者 • 公共財としての合理的配慮 – ユニバーサリズムの視点からは、障害者への合理的 配慮のための投資は、将来の自分に対する便益とな るので、公共財の性質をもつ – ただし、「フリーライダー」問題への対処が必要
  • 13. 12. 結論 • 障害学と経済学との対話は進んでいる – 特に、雇用制度、自立支援制度、所得保障制度の経 済学的検討が進んでいる – 障害の社会モデルを反映した障害者HDIの作成は国 際比較に有用 – 合理的配慮の提供を根拠付ける議論がさらに必要 • さらなる対話の必要性 – 知的障害者の場合、「合理的な個人」は仮定できない • 「合理的な個人」を仮定しない理論も発達している – 障害学におけるマイノリティ・アプローチとユニバーサ リズムの対立 • 経済学ではどちらも正当化可能