第5回
支配の諸類型と権力・暴力装
置
2013年5月17日
担当:中川 翔平
「プロテスタンティズムの
倫理と資本主義の精神」
• 視点の転換 : 方法的個人主義
☆ヴェーバーの問い
なぜ合理的な産業資本主義が西欧にだけ現
れたのか?
→ 人々(大衆[プロテスタト]信徒)が
禁欲的・合理的な職業生活に励んだため。
禁欲
=すべての欲望をなくすことではなく、一
定の方向にエネルギーを集中させること。
☆ 目的のために、余計なことや無駄を廃
して合理的に行為すること。
禁欲的プロテスタンティズム
神は超越的存在であり、神の意志は人間
には測り知れないものであるから、現世の
人為は神の救いを得るためにはなんら関係
ないと考える。 或る個人が救われるか否か
は、神によってすでに決定されているが、
それは人間には知ることができない。
宗教的達人(カルヴァン1など)には、こ
うしたきびしい教義を耐えることができた
が、 一般信徒はそうではなかった。そし
て、なんらかの救いの確証を求めた。した
がって、ひたすら神の道具として地上に神
の栄光を実現するよう努めることで救いの
確信を得ようとした。
=【職業(天職)】に励むこと。信仰に誠
実な民衆が産業資本主義の担い手となっ
た。
1 Jean Calvin, 1509-1564。フランスの宗教改革運動の指導者。ジュネーブを中心に宗教改
革を指導,神政政治といわれるように,市民生活を信仰にもとづいて厳格に 統制した。
カルヴァンの教えを信者はイギリスではピューリタンと呼ばれ,フランスではユグノー
「下から」社会を見る視点と
は?
☆ 社会階層
→ 身分制度、宗派、職業等に着目
☆ カソリック/プロテスタント
→ 伝統的な身分制社会では,僧侶,宮廷
貴族,騎士など,収入をえるために働くこ
とが必要でない人々が尊ばれ,実際に職業
をもって働く人々はいやしい身分とみなさ
れた。
小括
「近代資本主義」は、従来の資本主義とは大いに異なっている。
「自由な労働の合理的組織」「家政と経営の分離」「合理的な簿記」
の三点を挙げる。
1.「自由な労働の合理的組織」・・・カルヴァン派の個人主
義的職業観は、身分制やギルドを支えたカソリックや他の宗教
とは正反対である。このプロテスタンティズムは、【自由競
争】と【個人の努力】を推奨するものである。
2.「家政と経営の分離」
3.「合理的な簿記」・・・「合理的な経営」に不可欠なのが、
「家政」からの独立である。簿記上で計算される経営上の支出
は、家計簿の収支から分離されるのである。「合理的な簿記」
の上での分離は不可欠なものとなる。
合理性と「支配」について
• 支配=上からの一方的な強制だけでは維
持できない。
• 【上位者】と【下位者】との相互作用 が
不可欠。ヴェーバーは、特に【下からの
支持】に注目した。
• 支持根拠=正当性(Legitimitaet)
(「正統性」の訳語は誤解を招くので、社会学では多くの場合「正当
性」の方を使用する。)
「支配」とは、その定義からして、特定の
(またはすべての)命令に対して、挙示しうる
一群のひとびとのもとで、服従を見出しうる
チャンスをいう。したがって、他人に対して
「権力」や「影響力」をおよぼしうる
て「支配
はない。
≪中略≫
すべての支配は、その「正当性
、
いかなる種類の正当性が要求されるかに応じ
て、服従の類型も、この服従を保証すること
を任務としている行政幹部の類型も、支配の
行使の性格も、根本的に異なったものになっ
てくる。
マックス・ヴェーバー(世良晃志郎訳)『支配
の諸類型』創文社,1970.
支配の類型
• 【伝統的支配】
或る行為が過去から一貫してされてきたこと
に正当性を持つ支配。
• 【合法的支配】
正当な手続きにより定められた法律により支配
や権威の正統性が担保されるとするもの。
• 【カリスマ的支配】
個人的資質(パーソナリティ)により大多数の大
衆の心を捉え、大衆的帰依による圧倒的な支持と賛
同を集めたカリスマ的為政者によって支配や権威の
正統性を担保するものである。
合法的支配
• 制定規則による【合法的支配】。
形式的に正しい手続きで定められた制定規則
によって、任意の【法】を創造し、変更しうる
という観念による。
最も純粋な型は、【官僚制的支配】。継続的
な仕事は、主として官僚制的な力によって行わ
れるが、最高権力者は、君主(世襲カリスマ的
支配)であるか、国民によって選ばれた大統領
(カリスマ的主人)であるか、議会団体によっ
て選挙されるかである。
※官僚制への注意点
• 官僚制は「訓練を受けた専門的労働の特殊化・権
限の区画・勤務規則及び階層的に段階付けられた
服従関係」と定義されている。
• その優秀さから、官僚制は合理化を追求する資本
主義社会の申し子といって良い。だが、逆転させ
れば、官僚制は【「隷従の檻」(iron cage)】を容易
に作り出す。冷酷な非人間性は、形式合理性を貫
徹するその性格から明白である。官僚制は、形式
的に万人の平等に規則を適用するが、恣意的観点
から「正義」を主張する実質合理性と対立し、
個々の欲求を抑圧していく。
• 「隷従の檻」は人々から“創造性”をうばっていく
→創造性の喪失
国家と“暴力装置”
2010年の出来事
2010年11月18日の参院予算委員会で仙谷由
人官房長官(当時民主党衆議院議員)が
「暴力装置でもある自衛隊」と発言した。
『日経QUICKニュース』2010年11月18日「仙谷官房長官
「自衛隊は実質上、軍事組織」暴力装置発言に」
〈http://www.nikkei.com/article/DGXNASFL1809Y_Y0A111C100
0000/〉(2013年5月16日アクセス)
国家とは、或る特定の地域―この「地域」
ということが特徴なのですが―の内部で、
【正当な物的暴力性の独占】を要求する
(そして、それが成功した)人間共同体で
ある。というのは、国家の側が自分以外の
すべての団体または個人に許す範囲でしか
物的暴力性の権利を認めないということ、
つまり、国家が暴力性の「権利」の唯一の
源泉と看做されているということ、これが
現代の特徴だからであります。
マックス・ヴェーバー著,清水禮子、清水幾太郎訳『職業としての政
治』 河出書房『世界の大思想 23』 所収 p387 1965年=1919年
“暴力装置”のあいまいさ
• 前項書では国家の「暴力の独占」に
ついて説明されていている
• しかし、 “暴力装置”とは翻訳の際に
意訳されたもの(比喩表現としての
“装置”)。
• ちなみに前項での“暴力”の説明の際に
【善/悪の価値判断は含まれていな
い】
前述の発言を解きほぐす
☆自衛隊は国家の暴力装置である。
さらに「暴力の独占」する方向性には
1. 「外向きの暴力」=軍隊
2. 「内向きの暴力」=警察
となる。
☆日本では主として歴史的経緯によりこの両者
が相当明確に区別されている(憲法上軍隊を放
棄しているしね。日本国憲法第9条2項の『陸海
空軍その他の戦力は、これを保持しない』)。
暴力と文民統制
• シビリアン・コントロール(civilian control of
the military)
職業軍人でない【文民(政治家・官僚)】が、
軍隊に対して最高の指揮権を持ち、軍部の政治
への介入を抑制し、民主政治を守るための原
則。
日本の場合、防衛省のトップ防衛大臣は内閣総
理大臣が指名した議員・民間人閣僚が務める。
防衛省には「背広組(国家公務員)」と「制服
組(主に防衛大学校卒業者)」がある。
近年のシビリアン・コントロール
の例
 田母神俊雄航空幕僚長の解任・定年退
職
航空幕僚長としての日本の侵略行為を正当
化する論文を発表。
上記の行為は自衛官(一般的には軍人)
として【政治的・思想的中立性】を放棄
していると言える。
要は、現職自衛官は政治的・思想的な活動
を行なってはならないという原則に抵触
したため(国家公務員法第102条)
結びにかえて:近代社会の盲目
近代社会は宗教などを非科学的・非合理的とみなし、「脱呪術化」を推進した。真実や法則は「技術
と予測」により何でも知ることが出来るようにしました。
しかし、こうした「主知化・合理化」の危険性として、
(1) 「専門人」への依存・・・専門家の知識への依存が進行する。医者、技術者、科学者、あらゆ
る専門家の
力が増大していく
(2) 「主知化」と「進歩」は表裏一体であり、人間は満足して死ぬことがない。将来の更なる進歩
への【欲望】
は飽くなきものとなるので、欲望が満たされることはない。もはや人生の意義が失われる。
(3) 「自己決定」が重視され、最終的な責任は【個人】に課される。安楽死を例にとれば、「専門
人」である医
者は診断できても、患者の生死の決定は本人や家族に委ねられる。
ヴェーバーは近代という時代を発見した一人であるが、それは際限なき個人主義を推し進めた。
この結果、個々の責任倫理の重要性が増すことになる。
あらかじめ【(説明)責任】をしっかり考えに入れて相手に心をくばる

第5回支配の諸類型と権力・暴力装置(配布用)