10. Robert Smithson
“Floating Island to Travel Around
the Island of Manhattan”
1970-2005
アートは、世界で最もグローバル化した
領域のひとつ
しかし、グローバルなアートの概念を理解する
ための美術教育がなされていない為、
日本のアートが完全にドメスティックな文脈
にて成立してしまう
↓
日本のドメスティックなアートの文脈は
外部のアートの文脈と上手く接続することが
できず、海外で流通できない
すなわち、アートが近代的な資本・知識・労働
の集約物としての価値を持つことができない
↓
アートの集約的価値
→作品の流通
→市場価値という構図を作ることができない
11. Jonathan Borofsky
“Molecule Man”
1997
30 meters high
Spree River, Berlin, Germany
いわゆる地域系のアートプロジェクトは、
アートを「道具」とした街おこしが主眼
アートのルールが根本から消滅している
アートプロジェクトの事後処理:
作品は廃棄されて残らず、
アートヒストリーも蓄積されない
↓
「もの派」の変奏曲
街おこしをしたいのであれば、
東京への中央集権をやめて、
地方自治を優先する政治的判断を
国民が取るべきでは?
2)アートが道具として使われている現状について
12. Ana Mendiata
“Isla”
1981
black and white photograph
アートは専門性が要求される分野
しかし、地域系アートプロジェクトに関わる
行政の役人はアートと関係の無い部署
からの配属
さらに行政の担当者がほぼ毎年変わって
しまう為、継続した話し合いが行われず、
ノウハウの蓄積が行われない
↓
つまり、ややもすると、変われないことを
前提とした役人のアリバイ作りが目的化
してしまう
行政の側から文化に取り組む人の専門性
を高め、固定することはできないか?
13. Olafur Eliasson
“The New York City Waterfalls”
2009
街おこし的な地域系アートプロジェクトが全盛期
↓
ホワイトキューブ系のアート展には
数十万円程度の助成金しか発生しないが、
地域系アートプロジェクトには
数百万円の助成金が支払われている実態
文化の発展・育成目標とした公金からの助成が
ファインアートの育成を妨げ、
アーティストが地域振興に駆り出される、
という本末転倒な事態が発生
日本のアート界は狭い為、
それが仮に構築的なものであったとしても、
地域系アートプロジェクトに
批判的な発言をすることが困難
しかし、アートプロジェクト的なるものに構築的
批判を加えなくては、日本のアートを支える基盤
がメルトダウンしてしまう
14. Allora & Calzadilla
“Hope Hippo”
2005
Mud, whistle, daily newspaper,
and live person
51st Venice Biennale
3)根本的な問題として取り組まねばならない課題
日本における地域系アートプロジェクトの
最大の構造的限界は、
アートをアートたらしてめている
「概念」的思考を習得できていない点
明治以降の日本は、「アート」という西洋の
概念を、対訳・造語して取り入れた
↓
ポストモダンを迎えつつある現在の日本では、
それら輸入概念が少しずつメルトダウン
している
15. Christo and Jeanne Claude
“Surrounded Islands”
1980-83
Miami, Florida
日本のアートには、カントがファインアートの
定義で述べている様な
「目的なき合目的性」が求められる
「アートを使って」と述べる発話者は、
自身の言葉が文法的に既に破たんしていること
を自覚すべきではないか?