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TOSMOS 読書会
『自由からの逃走』(第 3・4 章)報告
報告日/2016.5.18
〔2016.5.21 補訂〕
報告者/須藤
※このレジュメは、エーリッヒ・フロム著『自由からの逃走』の第 3 章と第 4 章の主な内容を、要約と引用によっ
てまとめたものです。
※引用文およびページ数は、東京創元社刊『自由からの逃走〔新版〕』(日高六郎訳)によります。また、引用
に際しては、原文中の傍点は省略しました。
■第3章 宗教改革時代の自由
1 中世的背景とルネッサンス
●中世社会の特徴(52-55 頁)
○個人的自由の欠如
・階級間移動の機会の欠如、地理的移動の不可能性、職人・百姓・ギルド(同業組合)の例など
・「個人生活も経済生活も社会生活も、すべて規則と義務とにしばられ、実際に個人が自由に活動する余地
はまったくなかった。」(53 頁)
○安定感と帰属感の存在
・人は生まれながらに一定の経済的地位におかれる(百姓・職人・騎士の例など)。
・「社会的秩序は自然的秩序と考えられ、社会的秩序のなかではっきりした役割を果せば、安定感と帰属感
とがあたえられた。そこには競争はほとんどみられなかった。」(53 頁)
・「社会的地位の限界を破らないかぎり、自由に独創的な仕事をすることも、感情的に自由な生活をすること
も許されていた。」(53 頁)
○神にたいする関係
・「教会は罪の意識を助長したが、同時に神の絶対的な平等愛を保証し、神に許され愛されているという確
信をうるための道もあたえていた。神にたいする関係は、疑いや恐れであるよりも、むしろ信頼と愛情とであ
った。」(54 頁)
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○「個人」の自覚の欠如
・「人間はまだ第一次的な絆によって世界に結ばれていた。かれはまだ自己を個人としては認めず、ただ社
会的役割(それは当時においては自然的役割でもあった)という点でのみ、自分の存在を意識していた。」
(54 頁)
●中世社会の崩壊―イタリアにおけるルネッサンス(55-59 頁)
○イタリアから始まった中世社会の崩壊
・中世社会の崩壊がイタリアから始まった要因として、その地理的位置、そこから生ずる商業的利益、多くの
政治的団体の発生、東洋からの技術の伝播などがあげられる。
・「このような条件の結果、イタリアでは、創意と力と野心にみちた強力な有産階級が発生した。封建的な階
層制度は次第に重要さを失っていった。」(56 頁)
○近代的個人の出現
・中世社会の崩壊の結果、近代的個人が出現→「第一次的絆」からの個人の脱出
・自然に対する姿勢の変化→征服すべき対象物、かつその美しさを享楽すべき対象物として自然を「発見」
○上層階級の文化としてのルネッサンス
・「ルネッサンスは小さな商店主や小市民の文化ではなく、富裕な貴族とブルジョアの文化であった。」
(57-58 頁)
・力と富を得るための争い→大衆を支配し、同じ階級の競争者を抑える争いの登場
・「個人ははげしい自己中心主義と、力と富へのあくことのない欲望とのとりことなった。その結果、自分自身
にたいする健全な関係も、安定感や信頼感もまた毒された。」(58 頁)
・力の増大した感情、孤独と疑惑と懐疑主義、不安の感情の増大
・個人の不安を解消する方法としての、名誉を求めるはげしい感情の発生
●近代資本主義のより本質的な根源(59-60 頁)
○中西部ヨーロッパの経済的社会的情況と宗教改革
・「しかし、ルネッサンスの思想は、ヨーロッパ思想のその後の発展にたいして影響がなかったわけではない
が、近代資本主義の本質的な根源であるその経済的機構と精神とは、中世末期のイタリア文化のうちにで
はなく、中部および西部ヨーロッパの経済的社会的情況のうちに、また、ルッターやカルヴァンの教義のうち
にみいだされる。」(59-60 頁)
●ギルド(同業組合)の資本主義的発達(60-65 頁)
○中世的社会におけるギルドの特徴
・社会の必要に応じた親方の数、成員間の相互の協力にもとづく安定性の存在
・経済的活動に関する中世的倫理観(下記はトウニーの記述からの引用とされる箇所)
→「人間が身分相応な生活をするために、必要な富を追求することは正しい。それ以上求めればそれは事
業ではなく貪欲となる。貪欲は大きな罪である。取引は理に適ったことである。」(63 頁)
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○中世末期におけるギルド内部の分化の進展
・「ギルドの成員のなかには、他のものよりも多く資本をたくわえ、一人二人の職人のかわりに、五、六人の職
人を使うものがでてきた。」(64 頁)
・ギルドの独占的排他的性格の強化→職人の経済的社会的地位の悪化と不満の増大
●商工業などにおける資本主義的変化(65-67 頁)
○商業における変化
・大商事会社が 15 世紀にますます強力になり、独占の傾向を帯びていった。
→優越した資本の力によって、消費者や小規模な商人にとって脅威に。
○工業における変化
・「最初は、鉱山ギルドのメンバーは、それぞれ自分のした仕事の量に応じて分け前をもらっていた。しかし
十五世紀までに、分け前は多くのばあい、自分では働かない資本家のものとなり、多くの仕事は、賃金は貰
うが企業には参加しない労働者によっておこなわれるようになった。同じような資本主義的発達は、他の工
業にもみられた。」(66 頁)
○農民の状態の変化(下記はシャピロの記述からの引用とされる箇所)
・「これらのいちじるしい繁栄にもかかわらず、農民の状態は急速に悪化していった。〔中略〕領主の土地の
近くで、半独立的な生活をしていたこの中産的農民は、税金と夫役が次第に増加して、自分たちが実際に
は奴隷の状態に変りつつあり、公共の村が領主の所有地に変りつつあることを自覚するようになった」(67
頁)
●資本主義の経済的発展に伴う変化(67-71 頁)
○心理的雰囲気の変化
・近代的な意味の時間概念の発達→「時間を浪費してはならない」という考えの登場
・「仕事」や「能率」がもつ価値の上昇、富と物質的成功を求める欲望の発達
○資本主義的発達のもたらした各階級への影響
・都市の貧民や労働者や徒弟、農民、下層貴族
→「これらの階級にとっては、新しい発達は結局悪化を意味した」(68 頁)
・都市の中産階級
→大部分は、自分より多くの資本をもった独占者や競争者の優越した力を前に、状態は悪化した。
→なかには幸運にめぐまれて上昇的気運に参加したものもいたが、かれらも資本や市場の役割の増大によ
り、動揺や孤独や不安にかられるようになった。
○その他の変化
・資本の役割の増大(下記はトウニーの記述からの引用とされる箇所)
→(資本は)「召使いであることをやめて、主人となった。資本は分離した独立の姿をよそおって、自分の過
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酷な要求のままに、経済的組織を指令するような、支配者の権利を要求した」(69 頁)
・需要供給の関係が、市場の予測できない法則により決定されるようになった。
・競争の役割の増大→他人は協同の仕事をする仲間ではなく、競争相手へと変化
○資本主義による個人の解放の特徴
→「人間は自己の運命の主人となり、危険も勝利もすべて自己のものとなった。個人の努力によって、成功
することも経済的に独立することも可能になった。金が人間を平等にし、家柄や階級よりも強力なものとなっ
た。」(70-71 頁)
2 宗教改革の時代
●本書における研究方法について(72-77 頁)
○分析の対象について
・「プロテスタンティズムやカルヴィニズムの教義の心理的意味についてのわれわれの分析では、われわれ
はルッターやカルヴァンのパースナリティを論じるのではなく、かれらの思想を受けいれた社会階級の心理
的状態を問題にする。」(74 頁)
●中世の教会神学の特徴(77-82 頁)
○宗教改革以前のカトリック神学の考え方
・「人間の性質はアダムの罪によって堕落したが、もともとは善を求めており、また人間の意志は善を求める
自由をもっている。人間の努力は、かれの救済のために役にたち、キリストの死の功業にもとづいた教会の
秘跡によって、罪びとはすくわれるというのである。」(78 頁)
・「要約すれば、中世の教会は人間の尊厳や、人間の意志の自由や、また人間の努力の有効であることを強
調した。また神と人間との類似や神の愛を確信する人間の権利を強調した。人間はすべて神ににているとい
う点で、平等であり兄弟であると考えられた。」(81 頁)
●ルッターやカルヴァンの教義の 2 つの側面(82-83 頁)
○肯定的側面
・教会の権威をうばい、それを個人へと与えたこと
○否定的側面
・人間の根本的な悪と無力とを強調したこと
(→これ以降では主として、「自由の否定的側面」の根拠となった、この側面が取りあげられる。)
●ルッターの教義の特徴(83-92 頁)
○ルッターの教義の主な内容
・「人間の本性は自然的不可避的に悪であり背徳的である」(83 頁)
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・「自分の努力ではどのような善もなしえない人間の腐敗と無力とを確信することが、神の恩寵の成立する本
質的な条件である。」(83 頁)
・「人間は神の手のなかにある力のない道具であり、根本的に悪にみちており、かれのなすべきただ一つの
ことは神の意志に身をまかせることである。」(84 頁)…人間の自由意志を否定
・「人間は、もし信仰をもっているならば、救済を確信することができる。信仰は神によって人間にあたえられ
る。ひとたび人間が、信仰について疑いえない主観的な経験をもつならば、救済もまた確信することができ
る。」(85 頁)
○中産階級に受けいれられたルッターの教義
・資本主義の発達とともに、中産階級の地位は脅かされていた(前述)。
→「中産階級のひとびとは、ちょうどルッターが人間の神にたいする関係についてえがいていたのと同じよう
に、新しい経済力のまえには無力であった。」(89 頁)
・ルッターが中産階級に提供した解決
→「自分の無意味さを認めるだけでなく、自分を徹底的にないものにし、個人的意志を完全にすてさり、個
人的力を徹底的に拒絶し告発することによって、かれは神に受けいれられることを希望できるのである。ルッ
ターの神にたいする関係は、完全な服従であった。」(89 頁)
→「ルッターの『信仰』は、自己を放棄することによって愛されることを確信することであった。」(90 頁)
○「権威」に対するルッターの態度
・ルッターは、教会の権威には反抗していたが、他方では、専制的な神の権威と、皇帝という世俗的な権威
に対する服従を要請した。
・また、かれは、大衆が革命的企図にでたときには、無力な大衆である「愚民」にたいして嫌悪と軽蔑をいだ
いた。
・「われわれは逃避の心理学的メカニズムを取り扱うところで、権威を愛する気持と、無力な人間にたいする
憎悪の気持とが同時に存在することが、『権威主義的性格』の典型的な特徴であることを示すであろう。」(91
頁)
●カルヴァンの教義の特徴(92-102 頁)
○カルヴァンの教義とルッターの教義の共通点
・「カルヴァンもまた、保守的な中産階級のひとびとにたいして、教えを説いていた。かれらははげしい孤独
感とおそれとを感じていた。そしてかれらの感情は個人の無意味と無力、また個人の努力の無駄なことを説
くカルヴァンの教義のうちに、表現されていたのである。」(94 頁)
○カルヴァンの教義が、ルッターの教義とは異なる点(その 1)
・カルヴァンの予定説
→神はあるものには恩寵を予定し、他のものには永劫の罰を決定する。そしてこれは、この世での行いによ
るのではなく、人間が生まれる以前から神によって予定されている。
→この説は、人間の意志と努力には価値がない、ということを強く表現している。
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・「カルヴァンの予定説には、ここではっきりと指摘しておくべき一つの意味が含まれている。というのは、予定
説はもっともいきいきとした形で、ナチのイデオロギーのうちに復活したからである。すなわちそれは人間の
根本的な不平等という原理である。」(97 頁)
○カルヴァンの教義が、ルッターの教義とは異なる点(その 2)
・道徳的努力と道徳的生活の重要性の強調
→「この教えは、人間の努力がかれの救済にとって、なんの役にもたたないという教義と矛盾するようにみえ
る。」(98 頁)
→ところが、心理学的に考えると、人間はこの熱狂的な活動によって、不安の状態や、無力と無意味の感情
から逃避することができる。さらに、世俗的な仕事や道徳的な行為において成功するという事実は、選ばれ
た人間であることの証拠となるという、心理学的な意味ももっていた。
・カルヴィニズムにおける「努力」とは、最初は道徳的な努力と関係したものであったが、のちには職業上の
努力や仕事の上での成功にいっそう重点がおかれるようになった。
→「内的な強制はあらゆるエネルギーを仕事へと準備させるのに、どのような外的な強制よりも強力であった。
〔中略〕もし人間のエネルギーの大部分が、仕事の方向に向けられなかったならば、資本主義は明らかに発
達できなかったにちがいない。」(102 頁)
●中産階級が抱いていた敵意について(102-106 頁)
○中産階級の敵意をつのらせた要素と、その敵意の抑圧
・「中産階級は全体として、またなかでもとくに、台頭する資本主義の恩恵を受けなかったひとびとは、深刻
な脅威をうけていた。さらにかれらの敵意をつのらせたもう一つの要素がある。それは、教会の高位にあるも
のをはじめ、小数の資本家たちのみせびらかす奢侈と権力とである。」(102-103 頁)
・権力をくつがえそうとする下層階級が敵意を表現することができたのに対し、全体の発展にあずかりたいと
望む保守的な中産階級は、敵意を表現することができず、その敵意は抑圧されなければならなかった。
→「しかし、敵意を抑圧することは、ただ敵意を意識することをのぞくだけであり、敵意そのものをとりのぞきは
しない。そのうえ、閉じこめられた敵意は、直接的に表現されないままに、パースナリティ全体にも、他人にた
いする関係にも、また自己にたいする関係にも、いきわたるまでに増大した。―合理化され、変装した形を
とって。」(103 頁)
○ルッターやカルヴァンの教義にえがかれた敵意
・「さらに重要なことは、このような敵意でいろどられたかれらの教義が、抑圧されてはげしい敵意にかりたて
られていたひとびとにだけ、訴えることができたという意味においてである。」(103 頁)
・神はあるものを永劫の罰にさだめる、というカルヴァンの教義における神の概念は、敵意のもっともいちじる
しい表現である。
→「人間のうえに絶対的な権力をふるい、人間の服従と卑下とを要求するこの専制的な神の概念は、中産階
級自身の敵意と羨望とを反映したものである。」(104 頁)
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○他人にたいする関係のうちに表現された敵意
・道徳的な公憤の言葉や、「上層の人間たちは永遠の苦悩をうけて罰せられるであろう」という信念による合
理化
・万人の万人に対する猜疑と敵意によって特徴づけられた、ジュネーヴにおけるカルヴァンの制度
・カルヴィニズムの以後の発展をつうじて表れた、見知らぬものに親しくすることの警告や、貧しいものにたい
する残酷な態度や、猜疑の一般的な風潮
○自己にたいする関係のうちに表現された敵意
・ルッターやカルヴァンの教義において強調された、人間の罪悪性にもとづく、自己卑下と謙遜
・「良心」や「義務」という仮面をかぶってあらわれる敵意
→「『良心』とは、自分自身によって、人間のなかにひきいれられた奴隷監督者にほかならない。良心は、人
間が自分のものと信ずる願望や目的にしたがって行為するようにかりたてるが、その願望や目的は、じつは
外部の社会的要求の内在化したものである。」(106 頁)
■第4章 近代人における自由の二面性
●本章の目的(120 頁)
○本章で論じる内容について
・「本章では、資本主義社会のより高度な発達が、宗教改革時代にきざしはじめた変化と同じ方向へと、パー
スナリティに影響したことを示したいと思う。」(120 頁)
●自由の発達過程の弁証法的性格(120-122 頁)
○近代社会の機構が人間の自由にもたらした 2 つの傾向
・人間は、近代史における自由のための戦いにより、古い権威や束縛からみずからを解放したが、同時に、
新しい敵(自由の否定的側面)も台頭してきた。
・「その新しい敵というのは、本質的には外的な束縛ではなくて、パースナリティの自由を十分に実現すること
を妨げる、内面的な要素である。」(121 頁)
○自由の否定的側面のいくつかの例
・教会や国家権力に対する、信仰の自由の勝利→自然科学で証明されないものを信じる能力の喪失
・古い束縛に対する、言論の自由の勝利→その基礎である独創的な思考能力を獲得していないことの忘却
・外的権威からの解放と、自由な行動の保障→世論や「常識」などの匿名の権威の力を見失う。
→「すなわち伝統的な自由を守り、増大させるばかりでなく、われわれみずからの自我を実現させ、この自我
と人生とを信ずることができるような、新しい自由を獲得しなければならないことを忘れている。」(122 頁)
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●資本主義の発達が人間の自由にもたらした 2 つの側面(123-124 頁)
○肯定的側面
・「一言でいえば、資本主義はたんに人間を伝統的な束縛から解放したばかりでなく、積極的な自由をおお
いに増加させ、能動的批判的な、責任をもった自我を成長させるのに貢献した。」(124 頁)
○否定的側面
・「しかしこれは、資本主義が発展する自由の過程に及ぼした一つの結果であり、それは同時に個人をます
ます孤独な孤立したものにし、かれに無意味と無力の感情をあたえたのである。」(124 頁)
●経済的個人主義とプロテスタンティズムの教義の関係(124-125 頁)
○経済的個人主義がもたらした人間の孤立化
・個人主義的活動の原理がもたらしたもの
→「しかし『……からの自由』がますます進展していくとき、この原理は個人間のすべての紐帯を断ちきり、そ
の結果、個人は同僚から孤立し分離したものとなった。」(125 頁)
○その心理的準備となったプロテスタンティズムの教義
・カトリックでは、教会を通じて個人と神とを結びつけていたが、プロテスタンティズムは、個人をただひとり神
に向かわせた。
→「個人は神の前にひとりで立たされると、圧倒感に襲われ、完全な服従によって救済を求めざるをえなくな
った。〔中略〕神にたいする個人主義的な関係は、人間の世俗的活動における個人主義的な性格にたいし
て、心理的準備となった。」(125 頁)
●自己否定と禁欲主義(126-128 頁)
○資本主義のもとで経済的機構の「歯車」となった人間
・資本主義においては、経済的成功や物質的獲得、資本の蓄積が目的となる。
・人間は巨大な経済的機構の「歯車」となるが、その歯車は、自分の外にある目的(上記)に奉仕する。
(資本を多く持った人間=「重要な歯車」/資本をもっていない人間=「無意味な歯車」)
○その準備となった自己否定と禁欲主義の教義
・「人間をこえた目的に、たやすく自己を服従させようとするこの傾向は、実際には、プロテスタンティズムによ
って準備された。〔中略〕かれらはその神学的な教えにおいて、人間の精神的な支柱と、人間の尊厳と誇りと
の感情とを破壊することによって、またあらゆる活動というものは、人間の外部にある目的を、よりいっそう促
進させるためのものでなければならないと説くことによって、この傾向を発達させる基盤を作ったのである。」
(127 頁)
●資本主義的生産様式のもとにおける人間(128-130 頁)
○資本家における心理的影響
・「人間は利益を求めて働く。しかし獲得した利益は消費するためのものではなく、新しい資本として投資す
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るためのものである。そしてこの増大した資本はさらに投資されて新しい利潤を生みだし、このような過程が
引続きくりかえされる。」(128 頁)
・このことは、人間が人間をこえた目的のために働くことを意味し、個人の無意味と無力の感情を生みだし
た。
○労働者における心理的影響
・雇主に対する直接的・人間的な依存
→資本をもたない労働者は、自らの労働力を売って生活しなければならない。
→「雇われるということは、市場の法則、景気不景気、また雇主の握る技術的改良のいかんに左右されること
を意味した。かれらは雇主に直接あやつられ、雇主はかれらにとって、服従しなければならない優れた力の
代表者となった。」(129 頁)
・資本家の特徴である禁欲精神と、人間をこえた目的に服従する精神の労働者への影響
→「どんな社会にあっても、その文化全体の精神は、その社会のもっとも強力な支配階級の精神によって決
定される。その理由は、強力な支配階級が教育制度、学校、教会、新聞、劇場を支配する力をもち、それに
よって自分の思想を、すべての人間にあたえる力をもつからである。さらにまた、これらの支配階級は、非常
に多くの特権をもっており、下層階級は〔中略〕かれらと心理的にも合一しようとする傾向をもっているからで
ある。」(129-130 頁)
●プロテスタンティズムの精神と利己主義との関係(130-134 頁)
○生まれてくる疑問
・プロテスタンティズムの精神の基礎は「非利己的」(自己否定や禁欲主義)であるが、その一方で、近代人
の行動の原動力は「利己主義」であるとされている。
→(近代人が)「客観的には自己以外の目的に奉仕する召使いとなりながら、しかも主観的には、自分の利
益によって動いていると信じている事実を、一体われわれはどのようにして解決できるであろうか。」(130 頁)
→この疑問を解明するには、利己主義とは何か、について検討する必要がある。
○利己主義と愛の関係について
・ルッター、カルヴァン、カント、フロイトの思想の根底にある仮定…「利己主義=自愛」
→「これは、愛の性質について、理論的に誤った考えである。愛は、〔中略〕人間のなかに潜むもやもやした
もので、『対象』はただそれを、現実化するにすぎない。〔中略〕すなわち愛は『好むこと』ではなくて、その対
象の幸福、成長、自由を目指す積極的な追求であり、内面的なつながりである。それは原則として、われわ
れをも含めたすべての人間やすべての事物に向けられるように準備されている。」(131 頁)
・「原則的には、私自身もまた他人と同じように、私の愛の対象である。私自身の生活、幸福、成長、自由を
主張することは、そのような主張を受けいれる基本的な準備と能力とが存在していることに根ざしている。こ
のような準備をもつものは、自分自身にたいしても、それをもっている。他人しか『愛する』ことができないもの
は、まったく愛することはできないのである。」(132 頁)
・「利己主義と自愛とは同一のものではなく、まさに逆のものである。利己主義は貪欲の一つである。」(132
頁)
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○利己主義の本質は、自我の欲求不満にもとづく貪欲
・「よく観察すると、利己的な人間は、いつでも不安気に自分のことばかり考えているのに、けっして満足せず、
常に落ちつかず、十分なものをえていないとか、なにかを取り逃しているとか、なにかを奪われるとかいう恐
怖に、かり立てられている。〔中略〕この種の人間は、根本的には自分自身を好んでおらず、深い自己嫌悪
をもっていることがわかる。」(132-133 頁)
→利己主義は、自愛の欠如に根ざしており、そうした人間は常に自分自身に不安を抱いている。
・「近代人が行動するとき、その関心のもととなっている『自我』は、社会的な自我である。それは本質的には、
個人にたいして外から予想される役割によって構成されており、実際には、社会におかれた人間の客観的
な社会的機能を、たんに主観的に偽装したものにすぎない。近代的利己主義は真の自我の欲求不満にもと
づいた貪欲であり、その対象は社会的自我である。」(134 頁)
●個人的自我を弱め、孤独感・無力感を増大させた資本主義(134-140 頁)
○疎外された性質をおびる人間関係
・「あらゆる具体的な能力をもったかれの全体的な自我は、かれの手が作ったその機械の目的のための一つ
の道具となった。かれは依然として世界の中心であるという幻想を抱いているが、しかもかれは、かつて先祖
たちが神にたいして意識的に感じていたように、自分自身を無意味で無力なものと、強く感じている。」(135
頁)
・市場の法則が、社会的個人的人間関係を支配
→雇主と雇人との関係、商人とその客との関係、仕事に対する態度などが、手段的な性質を帯びる。
・「商品と同じように、これらの人間の性質の価値をきめるものは、いや、まさに人間存在そのものをきめるも
のは、市場である。もしある人間のもっている性質が役に立たなければ、その人間は無価値である。ちょうど、
売れない商品が、たとえ使用価値はあっても、なんの価値もないのと同じである。」(136 頁)
○不安な自我の支えとなった要素
・財産、社会的名声、家族、国家的な誇りなどが、弱体化した自我の支えとなった。
→「それらは不安や懸念を根絶させたのではなく、それらをおおったのである。そうした個人が意識的に安
定を感ずるようにしむけたのである。しかしこの意識的な安定感は表面的なもので、支えが存在するかぎり、
持続するものにすぎなかった。」(138 頁)
●個人の無力感に拍車をかける現代社会(140-150 頁)
○重要な要素としての、独占資本の力の増大
・「独占資本が勝利をえた部門では、多くの人間の経済的独立が破壊された。戦う人間、とくに中産階級の
大部分のものにとっては、戦いは人間の創意や勇気にたいする信頼感が、無力感や頼りなさにおきかえら
れる不条理への戦いという性格をおびてきた。」(140 頁)
○商人や雇人の状態の変化
・商人について
→かつては知識と熟練を必要としたが、いまでは分配という巨大な機械の 1 つの歯車になった。
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・ホワイトカラー労働者について
→大企業の拡大とともに増加したホワイトカラー労働者も、大企業の歯車になりさがっている。
○買手の役割における変化
・買手は、かつては店の主人から重要な人として迎え入れられたが、こんにちの百貨店では、数多く存在す
る買手の「1 人」としての意味しかもたない。
・この状態は、近代の広告方法によってより強められる。かつての商人の合理的なあきないの話とは異なり、
近代広告は感情に訴える非合理的なものとなっている。
→「それらは商品の性質には関係なく、阿片や完全な催眠術のように、買手の批判力を窒息させ殺している。
それらは、ちょうど映画のように、空想的な性質によってある満足を人間にあたえるが、それと同時に、人間
の卑小さ無力さの感情も高めるのである。」(145 頁)
○政治的領域における変化
・「デモクラシーの初期の時代には、個人があることの決定のために、あるいはある仕事の候補者をきめるた
めに、具体的積極的に選挙に参加するような、いろいろな取りきめがあった。決議事項は候補者と同様、か
れにもよく知られていた。〔中略〕いまでは、選挙人は巨大な政党に立ち向うことになり、政党はちょうど産業
の巨大な組織と同じように、遠いところにあるが、しかもおしつけがましいものとなっている。」(145-146 頁)
・政治宣伝の方法についても、スローガンをくりかえしたり、無関係のことがらを強調することにより、個々の選
挙人の批判力を麻痺させ、無力感を助長している。
○個人の無力さに拍車をかけるその他の要素
・何百万人という組織的な失業
・例外なくすべての人間をつつんでしまうほどに拡大した戦争の脅威
●孤独と無力の感情がもたらす「自由からの逃避」(150-151 頁)
○おおいかくされる孤独と無力の感情
・「個人の孤独と無力の感情を、一般の普通人はまったく意識していない。それはかれらにはあまりに恐ろし
すぎるのである。それは毎日の型のような活動、個人的また社会的な関係においてみいだす確信と賞賛、
事業における成功、あらゆる種類の気ばらし、『たのしみ』『つきあい』『遊覧』などによって、おおいかくされ
る。」(150 頁)
○「自由の重荷」がもたらす自由からの逃避
→「孤独や恐怖や昏迷は依然として残る。ひとはいつまでもそれにたえることはできない。かれは『……から
の自由』の重荷にたえていくことはできない。かれらは消極的な自由から積極的な自由へと進むことができな
いかぎり、けっきょく自由から逃れようとするほかないであろう。現代における逃避の主要な社会的通路はフ
ァッシスト国家におこったような指導者への隷属であり、またわれわれ民主主義国家に広くいきわたっている
強制的な画一化である。」(150-151 頁)
以 上

『自由からの逃走』第3・4章