Keynote at Ethnography Museum in Osaka, Japan
- 1. 1.
この度の展示学会の創立 30 周年を、心からお祝い申し上げます。記念すべき
年の総会にお招きにあずかり、この日を皆さまとご一緒できるのを光栄に存じま
す。先ずこの場をお借りし、基調講演にわたしを指名してくださった、京都国立
博物館、副館長の栗原祐司さんと、講演原稿を翻訳してくださった国立歴史民俗
博物館、客員教授の三木美裕さんにお礼を申し上げたいと存知ます。
2.
さて、以下の三つのミュージアムは、展示学会が設立されたと同じ 1982 年に
開館しました。神戸市立博物館、岐阜県美術館、そして熱海のMOA美術館です。
博物館建設ラッシュが続いた 1980 年代ではありますが、それは何も経済成長下
でブームに便乗したからだけではないと思います。
3.
博物館は市民の生活に深く関わり、展示や活動をこえて、人々の暮らしに欠か
せない存在となっています。一昨年の地震と津波のあと、例えば大船渡の博物館
のように、ミュージアムが被害にあった方々の心の拠り所となったのは、皆様も
ご記憶と思います。
4.
職業を同じくする同志が、一丸となって被害を受けた資料の救出にあたりまし
た。国内外で募金活動が繰り広げられました。ここにある森美術館の活動もその
一つです。日本でも海外でも、ミュージアムは時代の良いときも悪いときも市民
と共にあり、信頼されるところと思われています。それが、皆様がここにお集ま
りになられている理由でもあると思います。
5.
今日は、わたしたちの将来を見据えて、これまで現場で検証してきた中から学
んだことを、皆さんに話しようと思います。アメリカのミュージアムが題材とな
りますが、それが皆さまのお働きの、何かの参考となれば幸いです。といいます
のも、歴史は何事も繰り返すもので、わたしたちはそこから学べるからです。
全米博物館協会、百周年記念事業の一環として、わたしは市民に開かれたミュ
ージアムの歴史について書いたものを出版しました。2006 年のことでした。
『Riches, Rivals, and Radicals: 100Years of the Museums in America』という題です。
百年の間、ミュージアムが発展していく中で、資金集めの苦労や、互いが競争す
る中で起こった問題、そこから学んだ教訓、またいくつかの興味深い、リスクを
伴った大胆な変革が行われたこと、などを述べました。幸い初版は売り切れ、今
年になって改訂第二版が出ました。
6.
執筆にあたって、わたしがどのように調査したかお話します。先ず全米博物館
協会の書庫で保存されている、資料の数々に目を通しました。百年分の広報誌、
ミュージアム・マガジンなどの出版物、会議録、理事会の議事録、そのほか諸々
の記録です。次にこれは、と考えたいくつかのミュージアムを回り、そこでも書
庫を漁りました。二百人以上の、ご高齢の先輩方にもインタビューし、彼らの記
憶と見識を仰ぎました。既に引退された方も多く、とっておきの秘密話も聞かせ
てもらえました。ゴシップも含め、実に様々な話を聞きましたが、ある種のパタ
ーンがあるのに気づき、おかげで調査が益々面白くなりました。
7.
- 6. 有名な例は、最古のジオラマと言われるピッツバーグ、カーネギーミュージア
ムの(向かって右側のスライドです)、ライオンがラクダの上のガイドに襲いか
かる、恐ろしい情景のものです。もし展示デザイナーが、収蔵品をその展示のス
トーリーに落とし込めなければ、無理して展示ケースに押し込まず、当時発明さ
れたばかりの収蔵庫の整理棚に戻されました。
31.
ジオラマは、1930 年代までにはこのニューヨーク・アメリカ自然史博物館の
写真にあるような、草原や岩を再現した、リアルな背景を持つ舞台設定型に変わ
っていきます。まだ YouTube や、テレビの野性ドキュメンタリー番組もない時
代です。これらの展示は、当時都市部に住む人たちに大きなインパクトがありま
した。
32.
専門家は、新しいタイプの展示の前で、来館者の滞空時間が伸びたのを確認し
ています。1920 年代は 4 秒だったとお話ししました。それでは、この物語展示
の前では、それがどれほど伸びたか、平均時間をお答え下さいませんか。こんど
も正解者には賞品を差し上げます。(答えは、4 分)
33.
60 年代になると、ジオラマの成功だけでなく、ボランティアのフロアスタッ
フによる、ギャラリーツアーが行われるようになったこともあり、来館者の滞空
時間はまた伸びています。他にも、展示室に入る前に荷物を預かれるようにした
り、教育遊具や展示カタログなども売るミュージアムショップ、簡単な軽食で空
腹を満たせるカフェテリアなど、多彩な来館者サービスが提供されるようになり
ます。当時は、このレストラン、ショップなどは、あくまでも来館者サービスの
一環と考えていました。
34.
ご存知のように科学技術の発達は日進月歩で、目新しかったジオラマや舞台仕
立ての展示も、60 年から 70 年代には新鮮ではなくなってしまいます。科学的に
正確でないとか、なかには不気味だと感じる人もでてきました。義務教育の普及
により就学児童の数も増えました。教育心理学者は、「こどもの学び」について
研究を始めます。そこから、来館者は見るだけより、触れたり自分の手で操った
ことはもっと記憶に残りやすい、という結論を得ました。この教育原理は、「イ
ンタラクティブ」とよばれる「参加体験型の展示」手法となり、チルドレンズミ
ュージアムや科学館のみならず、美術館の展示にも波及ました。
35.
いまでは参加体験型はすっかり普及しましたが、当時はとても大胆な試みと捉
えられ、旧来の研究職の学芸員や、保守的な保存修復の専門家から強い抵抗を受
けました。一方で大賛成するところもありました。それは連邦政府でした。
36.
ここで、参加体験型の展示で皆さんもよくご存知の、フランク・オッペンハイ
マーさんが創設した、サンフランシスコの「エクスプロラトリウム」
(Exploratorium)についてお話します。1969 年に、連邦政府の援助により始められ
ました。第二次対戦中は原子爆弾を研究し、その後平和主義者に転じた人で、彼
は、アメリカ人はこれから科学的知識を、賢明に使いこなさないといけないと考
え、エキスプロラトリウムを創設しました。
場所はゴールデンゲイト・ブリッジ近くの、大きな飛行機の格納庫で、家賃は
- 9. サービスにも力を入れることでした。これら長年かけて培っていくべきものを置
き去りにして、目先の利益に囚われてしまうと、そこには落とし穴があります。
それを説明しましょう。
47.
90 年代から 2000 年代初頭、この起業家的精神の最たるものは、新館の建築事
業でした。なかでも特に大胆で象徴的とだったのが、グッゲンハイムミュージア
ムが、スペインのビルバオに建てた分館、「グッゲンハイムミュージアム・ビル
バオ」です。この時期多くのミュージアムが新館や分館を建設しました。グッゲ
ンハイムのように、ほかにも海外に分館をオープンさせた館があります。
新館や分館が急増したのは、文化施設は観光資源にもなると考えられるように
なったからです。その陰には国内の航空運賃が急落し、旅行が盛んになっていた
背景があります。ミュージアムの新しい建物はその町の顔になり、ブランド力も
高められる、という読みです。90 年代から 2000 年初頭までのおよそ十年間、な
んと毎週のように、複数の新館工事が着工される状況が続きました。もう一度繰
り返しますが、毎週、二つか三つの町のミュージアムが、新館工事に着手する事
態が十年近くも続いたのです。それぞれの館は、起債したり、銀行から融資を受
けて資金を調達し、よりユニークで注目される外観の建物の建設を目ざしました。
その結果、我われは昔ながらの、ミュージアムが互いに競い合う姿に戻ってしま
いました。資金調達に血道を開け、奇抜な外観で人を呼び込むのに夢中になりま
した。その影で地元民を大切にし、手を携えて文化の振興に歩むという、本来あ
るべき姿を忘れてしまいました。
48.
最も残念なのは、このとき資金力にあかせて、歴史的価値のある建物や展示室
を壊してしまったことです。何よりも問題なのは、経済のパターンを知っていれ
ば、バブル経済はいつか弾けるということ、そして地元市民や利用者のニーズに
応える地道な事業を継続するのがミュージアム本来の姿、というのを忘れてしま
ったことです。わたしが何を言おうとしているか、皆さんはもうご存知と思いま
す。この時代、建物は増えましたが、増えたのは建築家のエゴによる奇抜なデザ
インであって、利用者のこれが見たいという展示や活動のニーズは置き去られて
しまいました。
例えば、デンバー美術館の巨大な新館を覆う奇抜な大屋根は、開館三週間後に
雪と雨で雨漏りをはじめ、修復に三年を要しました。ラスベガスのリブレイスミ
ュージアムは、建物のデザインで人を呼び込もうとしましたが、その建築費用が
高騰して支払いきれず、閉館に追い込まれました。新館建設ブームは、2008 年
には事実上破綻し、大多数のミュージアムで、予算が 5%~25%%近く削減され
ました。拡張工事のための資金集めは停止され、展示や教育プログラムの予算も
縮小を余儀なくされました。悪いニュースが続く中、希望を感じるものもありま
す。この長びく経済不況下でも、この国全体を見渡すと、来館者数は依然として
増加を続けていました。なぜでしょうか。
49.
特に成功を収めていたのは、身近かな利用者である地元市民に的を絞ったプロ
グラムでした。観光客や大型展覧会企画での観客動員にも努めますが、いま利用
者から期待されているのは、新しい技術を使ったもの、余計なものに無駄遣いせ
ず、みんなが一緒になって、やってみたいことに挑戦できるような企画だと思わ
- 12. たい誘惑に駆られるものです。建物を大きくして観光客を呼び込もうとした、
90 年代から 2000 年にかけての失敗は、目先の華やかな事業に気を取られて、歴
史の教訓を読み取らないとどうなるのか、を示しています。
新しいチャレンジは、資金集めにまい進するのではなく、創造力と柔軟性、情
熱を持って、仕事に打ち込む中から生れます。これは、次世代のミュージアムス
タッフの育成を担う、私たちが忘れてならないことでもあると思うのですが、い
かがでしょうか。
58.
我われが地域に欠かせない存在である限り、お客さんはミュージアムに期待し、
信頼していてくださると思います。
ありがとうございました。