新・キンカントマト物語
野生の証明
2018年8月4日
芦田寒吉・田中フミメイ
野口種苗研究所
野口勲氏
2018年7月1日
茨木市講演会
※2017年秋の
日本遺伝学会で
「顕性・潜性」
と用語が改められた。
優劣ではないので。
野口勲氏のキンカントマト起源説
「キンカントマトの元は昭和30年(1955年)頃の
F1大玉トマト〈福寿〉のこぼれダネかもしれない」
(2017年4月交流会での話)
1948(昭和23)年
タキイ種苗が
「福寿二号」(大玉)を商業化
民間企業として交配種販売の先鞭をつける
※青字は野口氏の見解
2017年の茨木市講演のあと、
僕は野口さんにキンカントマトの話をした。
野口さんは今年の講演で、F1トマトのつくりかた
(除雄)の解説をしたあとに、いきなりキンカントマトの
話を始めたので、僕は驚いた。
何しろ、昨年、野口さんに渡した「キンカントマト物語」の
フライヤーまで取り出したのだから。
会場には僕以外にもマイファーム関係者がいたらしく
その人も、頭のなかで?マークが点滅したらしい。
一代雑種の作り方(1)
雑種作りのキーワード
は「除雄」
ナス科(両全花)のトマトの場合
蕾のうちに雄しべを取り除き、求める
父株から集めた花粉を付ける。
※大正時代から知られていた方法
実際の講演を聞いてください
2分
キンカントマトの由来を訂正しましょう
日本のトマトにも野生の時期があったといいます。
その野生トマトの血を引き継いでいるのがキンカントマトです。
キンカントマトは在来種です。交配種(F1)ではありません。
つくる人、土、場所によって味と形がちがってきます。
基本は中玉トマトです。
産毛が際立ち、六枚のガクがダンスをしているようにピンと立ちます。
在来種 野生種交配種
(F1)
今までの見解
キンカントマトは
昭和23年(1948年)にタキイ種苗が商業化した
F1大玉トマト「福寿2号」などのこぼれタネが
北摂の山で野生化したものなのかもしれません。
この頃は他にもたくさんのF1トマトが誕生しています。
キンカントマトの元になったのが、
どのF1トマトだったのかは特定できません。
野口勲氏のキンカントマト起源説(2018)
高山では「福寿」の声は聞こえてきません。
亀岡の東別院湯谷あたりで
キンカンのことを覚えている人がいるかも。
寒吉談。最初の400粒をもらったときの
「キンカン初期ストーリー」の再取材が必要。
在来種
福寿の誕生年から推察すると、
60年ほどタネが繋がっていることになります。
本来、在来種というのは農民が代々、自家採種を続けてきて
地域に何世代にも渡って伝承し、
品種名で共通認識される伝統野菜です。
そういう意味で言えば、
キンカントマトを現状で在来種と呼ぶことはできません。
交配種
(F1)
何かの
大玉トマト
トマトは南米原産
梅雨の高温多湿では
病気にかかりやすい
南米の野生種
耐病性が強い
ミニトマトメンデルの優性の法則
タキイの
福寿など
1948年にタキイが先鞭をつけたF1トマトの「福寿」には、
「福寿一号」と「福寿二号」の二品種がありました。
このうち「福寿二号」がF1トマトの代表品種と言われ普及しました。
以後、タキイだけでも「大型福寿(1954)」「新福寿(1955)」などを発表し
、同じ京都の高山種苗(現タカヤマシード)が「福寿100号(1954)」、東
京のヤマト種苗農具が「花農大型福寿(1958)」を販売するなど、
「福寿」と冠した(たぶん「福寿」の親血筋の)F1トマトは沢山生まれています。
もちろん「福寿」名称でないF1トマトも昭和2,30年代に数多く生まれており、
(サカタの「平和(?)」「たから(1958)」、
馬越種苗の「あかつき(1956)、みかどの「星交5号」など。
キンカントマトの元になったF1トマトが、
この中のどれなのかは、まったくわかりません。
メンデルの分離の法則
F1の片親に使う固定種は、それぞれ品種名の付いた在来種のトマトに、
野生種を交配し、「耐病性を付与したポンデローザの一系統」のように固定して、
新たに生まれた大玉の固定種同士を人工交配して、F1トマトを作ります。
そのF1トマトのタネがこぼれ、メンデルの分離の法則で、
様々な先祖系統が発芽したなかで、生命力がやたら強い野生種の系統が繋がって、
日本でも野生化したものがキンカントマトだと思います。
晴れて「キンカントマトは北摂の在来種トマトです」
と言える日までタネをつないでください。
このまま、自家採種を持続したら、
現状の様々な形や味のものから、
徐々に性質が固定してくるかもしれません。
野口勲氏の「キンカントマト物語」へのメッセージ
野生種
そもそもトマトの起源とは?
南米原産の原種はすべてミニトマトだった。
16世紀、アステカ王国を征服したスペインがトマトを
ヨーロッパに運んだ時期に突然変異して大玉になった。
南米では食用だったが、ヨーロッパでは18世紀まで鑑賞用だった。
ヨーロッパで最初にトマトを食べたのはイタリア人。
パリで食べられるようになったのはフランス革命(1789年)の時。
「ピンネホリウム」
「ヒルスツム」
耐病性育種のために使われた野生種の例
栽培種と野生種
野生種(花弁が5枚)栽培種(花弁が6枚)
2
0
1
8
年
7月
12日
5枚花弁6枚花弁
7月12日の時点では圧倒的に5枚ガクが多かった。
野生の証明
でも、なぜか一つの株、一つの房に5本と6本が同居しているものもある。
5枚ガクと6枚ガクを
野口勲さんに送って試食してもらった。
五枚花弁も六枚花弁も、
あまり味には違いがないようですね。
タネが入るゼリー状の部屋が二室で、
実にジューシーな肉質はいいですね。
ただ味の方は、酸味も甘味もあまりないので、
生食用としては物足りません。
7月12日収穫分を試食した野口さんの感想
そのとおりです。水っぽい味でした。
しかし、8月2日収穫分では酸味も甘味も旨味も
強くなっているように思える。
(フミメイ感想)
キンカントマトは戦後に種苗会社が開発したF1トマトのこぼれタネが
北摂の山で野生化したものだと思われます。
この頃のF1トマトは耐病性を持たせるため
南米原産のミニトマトを交配させたものが多いということです。
そのこぼれタネが野生化してキンカントマトと呼ばれるようになり、
北摂でタネがつながってきました。
代表的なF1トマト「福寿2号」の商業化年から推察すると、
60年ほどタネが繋がっていることになります。
本来、在来種というのは農民が代々、
自家採種を続けてきて地域に何世代にも渡って伝承し、
品種名で共通認識される伝統野菜です。
そういう意味で言えば、キンカントマトを現状で在来種と呼ぶことはできません。
F1トマトのタネがこぼれ、様々な先祖系統が発芽したなかで、
生命力がやたら強い野生種の系統が繋がっているのがキンカントマトでしょう。
このまま、自家採種を持続したら、現状の様々な形や味のものから、
徐々に性質が固定してくるかもしれません。
晴れて「キンカントマトは北摂の在来種トマトです」
と言える日までタネをつないでいきましょう。
新・キンカントマト物語
日本のトマトの起源とは?
江戸時代、17世紀に狩野派の絵師が「唐なすび」
として写生している。鑑賞用。
明治時代になって、日本にも食用トマトが来た。
それは調理用の真っ赤なトマト。
1923年(大正12年)関東大震災の頃、
野口勲氏の父がはじめてトマトを食べた。
「なんとも変な味だったから砂糖をつけて食べた」
大正時代、トマトケチャップとチキンライス。
1935年、野口種苗がアメリカの固定種「ポンテローザ」を
仕入れ始めた。桃色トマト志向の始まり。
F1トマト、桃太郎の誕生(1985年)
アメリカの甘いミニトマト強力米寿愛知ファースト フロリダMH-1
桃太郎は複雑な四元交配種
F1桃太郎から5年以上かけて、
もっと甘くて美味しいトマトに固定されたのが
「アロイトマト」(岐阜県在住奥田氏による)
野生の証明はできた!
目指せ、北摂在来種!
F1からスタートしたアロイトマトの例も
あるじゃないか・・・。
タネと苗が行きついた様々な地域で
それぞれの在来種になるといいな。
あと100年かかりそうだけど・・・。
参考書籍
『タネが危ない』(野口勲)
『固定種野菜の種と育て方』
(野口勲/関野幸生)
『品種改良の日本史~作物と日本人の歴史物語』
(鵜飼保雄/大澤良)
『新・種苗読本』(日本種苗協会/農文協)
『野菜園芸大百科2 トマト』(農文協)
ご静聴ありがとうございました。
フミメイ農園、2018キンカントマト 8月2日収穫
はじめて、下ふくれではない丸型の
キンカントマトができた。
今年はガクつきで収穫してみる。
試食用17個のガクの数をチェックした。
5ガクが4個
6ガクが9個
7ガクが3個
8ガクが1個
なるほど5枚と6枚が混在していますね。
F1トマトから分離した一粒にも多様な遺伝子が発現するのかな?
と、したら、やはりこのトマトは、固定したとは言い難いですね。
農文協『野菜園芸大百科 2 トマト』では、東北大学農学部教授の
斎藤 隆 氏がトマトは「6枚のがく片と6枚の花弁を有している。」
また「各花房の第一花などはよく発達して、がく片や花弁が7~10
枚になることもある。」と言っています。
栽培時に栄養が行き渡った花は花弁数が増え、養分が不足すると
花弁数が戻るのかな? 6枚花弁のキンカントマトは、花房の最初
の花なのでしょうか? 観察しないと、どうもよくわかりませんね。

新・キンカントマト物語20180805