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要旨
2009 年以来、ユーロ圏ではギリシャ・アイルランド・ポルトガルで債務危機が生じた。
その中でもギリシャ危機は特に深刻で、欧州金融機関の債務超過問題となり、ユーロ加盟国
の首脳会議によって包括戦略が決定されても動揺は収まらず、ギリシャとイタリアの首相
の退陣にまで至り、さらにフランスやスペインの国債金利の上昇も生じるなど、当事国のみ
ならず EU 諸国全体にまで波及する大きな問題となった。これに対してトロイカの支援策な
ど多くの支援策がとられたが、未だにギリシャ危機は収束に向かっていないのが現状であ
る。これほど大きな打撃を与え、世界中から注目され、様々なアクターが支援などアプロー
チをしているのにも関わらず、ギリシャ危機が収束していないのはなぜだろうか。この論文
ではその理由を探ることを目的としている。
本論文では、ギリシャ危機の長期化の要因をトロイカの支援策から探し、述べている。ま
ず、第1章で、ギリシャ危機が発生した流れとそれに対応したトロイカの支援策は他の4つ
の国(キプロス・アイルランド・スペイン・ポルトガル)と同じ流動性危機対するもので、支
払い能力危機に陥ったギリシャには適さなかったという問題点と、支援策をさらに5つの
項目に分け、それぞれの現状と問題点を述べた。それらの問題点から、ギリシャにはまず国
の土台をしっかり改善しなければ、改革がうまくいかない、特に民営化に関しては構造改革
の中の労働市場改革を先に行うべきではないかという疑問が浮かび、第2章で民営化の問
題点と民営化するために必要なこと、また労働市場改革の利点や実際に労働市場改革で経
済が回復した国(ドイツとスペイン)の実例について述べ、仮説の検証を行った。第3章で
は、ギリシャ危機長期化を回避するためには、欧州ばかりを見本にするのではなく、中国と
ベトナムに用いることができた市場経済発展促進的アプローチを参考にすることも手段の
一つであると考え、先に述べた労働市場改革に加え、新しく「市場経済発展アプローチ」と
いう観点で、民営化がこのいずれかでうまくいくようになるのか、第2章での調査内容を見
て、考察した。政治、経済、国内の多くの問題が絡み合う複雑な事態となっているギリシャ
危機だが、トロイカの支援が段階を追って行われるべきであったと仮定し、それにおいて優
先して行われるべきなのは国営企業の民営化や労働市場改革であることを論じた。
2
ギリシャ危機はなぜ長期化しているのか
― 労働市場改革と国有企業民営化の関係性 ―
国際政治経済学部
越智広貴
清水美香
鈴木千乃
藤田修平
はじめに
2009 年以来、ユーロ圏ではギリシャ・アイルランド・ポルトガルで債務危機が生じた。
その中でもギリシャ危機は特に深刻で、欧州金融機関の債務超過問題となり、ユーロ加盟国
の首脳会議によって包括戦略が決定されても動揺は収まらず、ギリシャとイタリアの首相
の退陣にまで至り、さらにフランスやスペインの国債金利の上昇も生じるなど、当事国のみ
ならず EU 諸国全体にまで波及する大きな問題となった。これに対してトロイカの支援策な
ど多くの支援策がとられたが、未だにギリシャ危機は収束に向かっていないのが現状であ
る。これほど大きな打撃を与え、世界中から注目され、様々なアクターが支援などアプロー
チをしているのにも関わらず、ギリシャ危機が収束していないのはなぜだろうか。この論文
ではその理由を探ることを目的としている。
私たちは、ギリシャ危機が長期化しているのは、トロイカ支援策で構造改革と財政改革を
同時に行ってしまったという問題点があるからであると考え、きちんと順を追って取り組
むべきであると主張する。例えばトロイカ支援策でうまくいかなかった国有企業民営化を
進めるためには、構造改革の中の一つである労働市場改革を先に進めるべきである。また、
ギリシャ危機長期化を回避するためには、欧州ばかりを見本にするのではなく、中国とベト
ナムに用いることができた市場経済発展促進的アプローチを参考にすることも手段の一つ
であると考える。
以降、第 1 章でギリシャ危機とトロイカの支援策を概観し、第 2 章でギリシャにおける
国有企業民営化および労働市場改革について理解を深める。そして第 3 章で国有企業民営
化をギリシャで成功させるためには構造改革のうちの一つである労働市場改革をまず先に
行うべきであると考察する。それに加えて市場経済発展促進的アプローチをギリシャにも
参考にすることを提案し、さらにギリシャの政治体制の立て直しも経済危機長期化を回避
には必要であると考察する。
3
本論文の構成
0 初めに
問題意識・仮説を述べる
1章ギリシャ危機とトロイカの支援策
1−1 ギリシャ危機の起きた経緯、現状
1−2 先行研究(なぜ田中氏の先行研究を選んだのか)
1−3 トロイカ支援策の問題点(なぜギリシャでは上手くいかなかったのか)
1−4 1章のまとめ
2章 民営化と労働市場改革の関係性
2−1 民営化に必要なこと
2−2 労働市場改革が成功した国の事例(スペインとドイツ)
3章 考察と結論
3−1 考察(労働市場改革と民営化を円滑化するには)
3−2 結論
4
第 1 章 ギリシャ危機とトロイカの支援策の概要
1
1-1 ギリシャ危機とは
2009 年 10 月、ギリシャでは政権交代が行われ、新政権(全ギリシャ社会主義運動)下
で旧政権(新民主主義党)が行ってきた財政赤字の隠蔽が明らかになった。従来、ギリシ
ャの財政赤字は、GDP の 4%程度と発表していたが、実際は 13%近くに膨らみ、債務残高も
国内総生産の 113%にのぼっていた。その後、2010 年 1 月 12 日、欧州委員会がギリシャの
統計上の不備を指摘したことが報道され、ギリシャの財政状況の悪化が表面化した。
2010 年 1 月 15 日、財政赤字を対 GDP 比 2.8%以下にするなどとした「3 カ年財政健全化計
画」を閣議で発表するが、楽観的な経済成長が前提であった。格付け会社は、ギリシャ国
債の格付けを引き下げ、債務不履行の不安からギリシャ国債が暴落した。株価も影響を受
け、世界各国の平均株価が下落し、ユーロも多くの通貨との間で下落した。2010 年 4 月
23 日にはギリシャが金融支援を要請した。欧州では、ギリシャのほか、スペインやポルト
ガルなども財政赤字の拡大に苦しんでおり、こうした国へ飛び火することも懸念されたた
め欧州各国が協調して問題に取り組むこととなった。
「IMF」、「欧州委員会」、「ECB」の 3 つはトロイカと呼ばれる。2010 年からトロイカはギ
リシャに金銭支援を行っている。その中でもドイツの融資割合はもっとも高い。トロイカ
は金融支援の条件としてギリシャに緊縮財政政策をとるように要求している。
2010 年 4 月にユーロスタットが発表した財政赤字は 13.6%であることが発表され、2010
年 2 月から断続的にストライキ、デモが行われており 2 月と 3 月には追加の財政再建策撤
回を求めてギリシャ労働総同盟・ギリシャ公務員連合が 24 時間のゼネラル・ストライキ
を行い、275 万人が参加した。
トロイカはギリシャがデフォルト(債務不履行)回避に必要な次回融資を受けるにふさ
わしいかを判断するため、新たな緊縮措置や民営化計画の進捗について綿密に調査する見
通しとなった。2011 年 10 月 3 日ギリシャ政府が、財政赤字削減目標未達となる見通しを
発表したため、欧州金融市場は再び悪化。2011 年 10 月 27 日、欧州諸国は債務危機に対応
するために、ギリシャ債務の民間投資家の損失負担を 50%とし、欧州金融安定ファシリテ
ィの融資能力を拡充するほか、2012 年 6 月 30 日まで銀行の資本増強を決めたものの、パ
パンドレウ首相が 11 月 1 日に第 2 次支援策の受け入れについて国民投票を実施すると発
言したために、金融市場は再び不安定化、内外での反発が強まった。そこで 11 月 2 日に
はアンゲラ・メルケル、ニコラ・サルコジの独仏首脳がパパンドレウ首相に対し、支援凍
結とユーロ離脱をちらつかせながら圧力をかけ事態収拾に動いた。
11 月 4 日に国民投票を撤回、翌 11 月 5 日にはパパンドレウ内閣の信任投票で僅差なが
1 平石隆司[2010]「欧州ソブリン債務危機とユーロ圏の行方」欧州三井物産戦略情報課」
P2〜4
5
らも信任されたものの、大連立交渉に失敗しパパンドレウは首相を辞任。11 月 11 日、前
欧州中央銀行副総裁のルーカス・パパデモスを首班とする大連立政権が発足した。このと
き総選挙を 2012 年に繰り上げ実施することで連立政権内の合意ができていた。2012 年 5
月ギリシャ議会総選挙では財政緊縮反対を掲げる左翼政党が大幅に躍進。連立交渉がまと
まらず、翌月に再選挙が行われることとなった。緊縮財政政策について政党により賛否が
はっきりしているため、一連の選挙結果は欧州連合(EU)による財政緊縮を堅持するか否
かの動向に直結することから世界より注視されたが、6 月の選挙では財政緊縮支持派の第
1 党が票を伸ばし連立政権の樹立に成功したことで、ようやく事態は一時沈静化した。こ
の一連の経済危機とその対策の不手際により、ギリシャの実質的な国内総生産は 2009 年
から 2012 年の間に 17%減少した。
2012 年以降、ギリシャは、緊縮財政等に取り組み、財政面は徐々に改善していったが、
景気は大きく落ち込み、国民の生活はさらに苦しくなり、大規模なデモや暴動が度々発生
した。そして、2015 年 1 月の総選挙では、最大野党で反緊縮派の急進左派連合(SYRIZA)
が緊縮疲れの国民の支持を受けて勝利し、チプラス政権が誕生。これによって、一層の緊
縮策を求める EU との交渉が行き詰まり、ギリシャは 6 月末に返済期限を迎えた IMF から
の借入を延滞すると共に、EU の第 2 次金融支援も終了した。
2016 年 7 月 5 日、チプラス政権は、改めて民意を問うため、緊縮財政策を受け入れるか
否かについて国民投票を実施したが、結果は反対(緊縮拒絶)が圧倒的多数を占めた。し
かし、国民投票で拒んだはずの緊縮政策受け入れを決めた。同年 7 月 13 日、ユーロ圏の
首脳は会談を開き、ギリシャが財政改革の具体策を法制化することを条件に支援継続で合
意した。その後、ギリシャ議会は、年金給付の抑制や付加価値税の引上げ、離島への軽減
税率廃止などを盛り込んだ財政改革関連法を可決し、同年 8 月 14 日、EU は欧州安定メカ
ニズム(ESM)に基づき、3 年間で最大 860 億ユーロを融資する第 3 次支援で合意し、当面
の危機が回避された。
※ギリシャとユーロゾーン平均 GDP 対
比債務残高(ユーロスタットより引
用)
6
1−2 先行研究
ギリシャ危機が長期化した原因について述べている論文は多数あるが、そこで述べられ
ている原因は様々である。
まず、村松恭平氏による「ギリシャ危機をめぐる言説の考察 ―『ル・モンド・ディプ
ロマティーク』を分析対象として」という論文では、村松氏は「ギリシャ危機の発生と深
刻化の背景にあるもの」という章の中で、投機家と金融市場、国民政治の腐敗と国民の憤
慨、EU の制度としての不備をギリシャ危機長期化の理由として挙げている。
また、尾田温俊氏による「ギリシャ危機とユーロ」という論文では、尾田氏は、救済の
議論が長引いた理由を合意形成に時間をかけてしまった主な責任を持つドイツにあるとし
ている。
だが、本論文では、田中素香氏による「ギリシャ危機とユーロ圏 ―危機対応はなぜ対
立したのか―」という論文を先行研究とする。この論文で田中氏はギリシャ危機長期化の
要因はトロイカの支援策にあると述べている。まず EU・ECB・IMF の「トロイカ」はギリ
シャへの支援と引き換えに包括的な改革を要求した。ギリシャに要求したものは①財政緊
縮②中期財政戦略の支援措置③構造的財政改革④金融部門の規制と監督見直し⑤構造改革
の大きく 5 つに分けられる。つまり財政措置だけではなく経済の大幅な構造改革を条件と
し、縁故主義と規制でがんじがらめの「途上国型」ギリシャ経済を自由化し、「公務員型
国民経済」を開放された近代的な国民経済に転換しようとした。しかし、「トロイカ」の
当初の見通しは余りに楽観的で第一次支援計画はほぼ完全に失敗、第二次支援も成果はあ
がらなかった。では何が原因で失敗したのだろうか。まず一つ目の理由として、ギリシャ
は「支払い不能危機2
」に陥っていたのに、「トロイカ」は「流動性危機3
」に対する処方箋
を与えてしまったことが挙げられる。つまり、政府債務の軽減ないしは削減を当初に思い
切ってやるべきだったということである。二つ目は、西欧大銀行救済をギリシャ支援より
優先するユーロ圏諸国の政治判断があり、IMF の主張にも関わらず政府債務カットがなさ
れなかったことが挙げられる。そして三点目には、ギリシャ人の意志に反して構造改革を
押し付ける暴挙であり、ギリシャのナショナル・プライドが深く傷つき、国民がやる気を
失ってしまったことも述べられている。
以下本論文第2章では、トロイカが要求した5つの項目の中でも労働市場改革と国有企
業民営化に焦点をあてて、原因を探り解決策を提案する。
2支払い能力(ソルベンシー)問題とは、返済能力以上の債務を抱えてしまっており、一時的
な 返済猶予を施しても事態が解決しない状態を意味する。土田陽介 著 「なぜギリシ
ャ危機は終息しないのか ~求められる「ソルベルシー問題」への支援~ p.3。
3流動性(リクイディティ)問題とは、そもそもの返済能力は高いものの、何らかの一時的な
理由によって 債務の支払いが滞る状態を意味する。土田陽介 前掲書 p.3。
7
1-3 トロイカの支援策とは
2015 年8月 14 日、EU・IMF・ECB(欧州中央銀行)の 3 者で構成されるトロイカに
よって、ギリシャ債務危機に対する第 3 次支援が行われることが決定した。2009 年 10
月の危機発覚以来、三度にもわたる危機救済を経て、今日にいたるまで危機が沈静化し
ないのはなぜだろうか。その原因をトロイカの支援にあると仮定するために、トロイカ
による支援策とその問題点について検討する。
①トロイカの支援策
トロイカはこれまで、ギリシャに返済期限の差し迫った債務の返済や財政赤字の補填
のために、第 1 次救済は総額 1100 億ユーロ、第 2 次救済は総額 1300 億ユーロを融資
し、第 3 次救済では 2018 年末までに 860 億ユーロ融資することを決定してきた。加え
て、それらの資金救済と引き換えに、ギリシャに財政緊縮と構造改革を義務づけてきた。
②トロイカの支援策の問題点
トロイカによる支援策は、同時期に発生したスペイン、ポルトガル、アイルランド、
キプロスの 4 ヵ国にも同様の資金救済と引き換えに国内の財政緊縮と構造改革を要求
するかたちで行われ、いずれも金融支援を卒業した。一方で、ギリシャに対する金融支
援は未だに続いている。トロイカによる支援策は、ギリシャにとって適していなかった
のではないか。ギリシャの債務危機は、他の 4 ヵ国とは性質の異なったものであったの
ではないか。
一般に、政府の累積債務危機の性質は、流動性(リクイディティ)危機と支払い能力危
機(ソルベンジー)危機に大別される。流動性危機問題の特徴は、①そもそもの返済能力
は高いものの、何らかの一時的な理由によって債務の支払いが滞る状態であり、②債権
者は債務者に対して、借入の支払を一時的に猶予する(分割払いを認め、期日を先延ば
しにする)などの措置をとれば、ほとんどの場合、債権を回収することができることで
ある。対して、支払い能力危機の特徴は、①返済能力以上の債務を抱えてしまっており、
一時的な返済猶予を施しても事態が解決しない状態であり、②通常の経済活動に用いら
れるべき資源までもが返済に費やされるため、経済は単純再生産すら困難となり、③政
府の信用力低下を受けて企業も資金調達に窮することから、設備投資なども滞るように
なり、雇用は悪化し、家計の消費も減少するため、④結果、債務の支払い能力もさらに
低下するという負のスパイラルに陥ることになることである。トロイカの金融支援が前
者の流動性危機型の対応であるのは、①債務カットを行うことなく,原則 3 カ月に一度
財政赤字を補填する形式をとったこと、②貸与形式であり、その場しのぎの返済は出来
ても結局新たな債務が生まれる、という要素から明らかである。
ギリシャ以外の 4 ヵ国が流動性危機型の対応で対処できたのは、債務の大きさやその
8
健全度合いの深刻さに違いがあったためである。なぜなら、欧州債務問題が顕在化する
直前の2007年時点における公的債務残高(図表1)は、アイルランドが対GDP比24.0%、
キプロスが同 54.1%、スペインが同 35.5%と、いずれの国も安定・成長協定(SGP)の財
政基準(同 60%)を下回っていた。他方でポルトガル 2007 年時点の公的債務残高は対
GDP 比 68.4%と他の 3 ヶ国と比べると膨らんでおり、SGP 違反の状態にあった。反面
で、銀行部門の総資産4は 07 年時点でアイルラドの銀行の総資産は対 GDP 比 845.5%、
キプロスは同 533.7%と、ユーロ圏全体の水準(238.0%)をはるかにしのぐ規模に膨らん
でいたのに対し、ポルトガルは対 GDP 比 250.7%と、ユーロ圏全体よりは膨らんでい
たものの、その程度は他の 3 ヶ国よりも軽微であった。
しかし、ギリシャの 2007 年時点における公的債務残高は対 GDP 比 103.0%と、他の
4 ヶ国に比べて債務の規模は突出していた。更にギリシャは財政統計の改ざんによって
元々の債務返済能力の低さをひた隠しにしながら債務を膨らませていたとも言えるた
め、その債務規模の大きさも相まって債務の信用度を失うには十分であった。現状公的
債務残高は 2013 年以降ほぼ横ばいで推移しているが、ギリシャの GDP はマイナス成
長を続けているため、公的債務残高の対 GDP 比は膨らみ続けている。そのため、ギリ
シャは債務の「自己増殖プロセス」に陥っていると言える。経済規模の縮小によってギ
リシャの支払い能力はますます低下していっているのだ。
このような危機への対応策としては、債務の返済期限の延長や債務そのものの軽減な
どが一般的に考えられるが、ギリシャ側が債務に対する猶予が与えられること自体に味
をしめる懸念などから、このような政策に対して EU 側の同意を得るのは難しくなって
いる。そのため、トロイカのすすめる改革の内容を調整することもより現実的な対応策
として考えられる。
4土田陽介 前掲書 p.4。
9
以上の点から、トロイカの改革の内容について検討する。
③トロイカによって要求された改革
ギリシャに対するトロイカの改革は3度にわたってすすめられたが、その根本にある
軸は一貫して、財政緊縮と構造改革をいっぺんに推し進める政策である。その内容5
を
整理すると、Ⅰ)増税や税制改革、政府支出削減等による財政緊縮、Ⅱ)国営企業民営
化や公共投資削減による中期財政戦略の支援措置、Ⅲ)年金改革などによる財政構造改
革、Ⅳ)労働市場改革や競争などによる構造改革、Ⅴ)金融部門の監督と規制の見直し
の5つに大別される。以下、これらの改革の内容や実施状況について検討する。
Ⅰ)財政緊縮
財政支出という経済の活性化手段が制限され、増税や年金抑制などにより消費も縮小
したため、ギリシャの GDP は危機が起こった 2008 年比で約 25%縮小してしまい、財
政緊縮政策のため債務の膨らみは抑えられてきたため名目値としては 2008 年値を 100
とすると 13 年以降公的債務残高は 126 ほどのままほぼ横ばいだが、その間も GDP は
縮小し続けたため対 GDP 比でいえば約 180%に膨れ上がってしまった(図 1)。
図 1
5 IMF[2011a], Greece:Third Review under the Stand-By Arrangementより抜粋。
10
公務員供与削減については、政策は実行されたものの、軍人と治安警護官に対する給
与の削減は違憲に当たるのではという申し立てがなされ、ギリシャ最高裁も近々違憲判
決を下すという見込みが高まっている。もし違憲判決が出されれば、軍人と治安警護官
に対しては 5 億ユーロ、また他の一部の公務員にも同様に適応されれば計 10 億ユーロ
ほどの遡及支払いが要求され、財政緊縮の一環である公務員給与削減政策は振り出しに
戻されるおそれもある。6
増税に関しては、そもそも増税はインフレ期に行われ、景気の過熱化を防ぐ機能があ
り、いくら基礎的財政収支を改善したいという目的があるとはいえ、消費が落ち込んで
いるデフレ期に増税をしても更に消費を落ち込ませてしまい、逆効果になりかねない。
確かに 2013 年に一時的に基礎的財政収支(図3)はプラスになったが、その後再び下
降傾向に陥ってしまっている。
財政赤字を 2014 年までに 3%まで削減という目標は、図4を見てもらえばわかると
おり、達成できていない。対 GDP 比(図5)なら一旦は 2%台まで削減できているが
その後また増加傾向にある。
6田中 理 著 「動き出すギリシャ政局 〜公務員給与削減に待った〜」
11
図3 図4
図5
出典:世界経済のネタ帳 http://ecodb.net/country/GR/imf_ggxcnl.html
以上の点から、ギリシャが支払い能力危機を脱するには、経済成長を促すために財
政緊縮は緩和されるべきであると考えられる。むしろ経済を刺激するための政策が求
められうるのである。
Ⅱ)中間財政戦略の支援措置
 国営企業民営化
(1)国有企業民営化の現状
ギリシャの主要産業の企業のほとんどは国有企業であるために、多くの制限と国と企業の
癒着が多かった。そのため、IMF や EU 諸国はギリシャに対して長年に渡って企業の民営化
を促してきた。しかし依然として民営化があまり進んでいない現状である。実際、2011 年
の第一次支援プログラムでギリシャ政府が発表した民営化計画では、53 件の民営化対象資
産を挙げ、2015 年までに民営化による収益で 500 億ユーロを調達することが目標としてい
たが、2014 年の第2次支援プログラムでは、2020 年までに 223 億ユーロを調達するとい
う計画に下方修正された。現状、2015 年までの民営化収入は 32 億ユーロにとどまってい
る。(図1)
12
一方で、ギリシャ政府は基本的に、事業体またはその運営を担う特定目的会社
の株式を入札形式で売却するという民営化の方法をとった。証券市場での株式公開という
方法だと、民営化対象資産の価値を損ねる可能性があるが、この方法であれば、短期間で民
営化が実現でき、政府の判断は正しかった(土田陽介)7
(2)民営化の対象となる産業
では、どのような産業がギリシャで民営化されるのであろうか。大きな特徴として国内
向けにサービスを提供する産業である。運輸や保管業(空港,港湾,道路,鉄道,ガス)は
19 件、芸術や娯楽、レクレーション業(競馬や宝くじなどの公営賭博事業)は7件、鉱業
及び採石業と情報通信業や金融、保険業は6件ずつ民営化される予定である。
公益事業(ガス供給,電力供給,水道,空港・港湾)は株式の売却を進めるものの,引き続
き政府がその一部を保有し続ける。2016 年 4 月 9 日にやっとギリシャ最大のピレウス港の
株式売却の正式契約が中国国有の海運集団との間で結ばれた。
Ⅲ)構造的財政改革
年金改革
トロイカの支援策では、構造的財政改革も行われ、そのうちの一つとして年金改革が行わ
れた。ギリシャでは、債務返済コスト以前に賃金と年金が主要歳出の80%を占め、残りの
20%はすでにぎりぎりまで切り詰められていると指摘もあったため、年金制度の見直し
が求められたのである。
まず初めに、年金制度の見直しが行われたが、そもそも年金のどの点が問題であった
のか考察する。主に問題点として 3 点挙げられる。一つは支出が大きいことである。現行
の緊縮策によって 16%に下がったものの、EU統計局(ユーロスタット)によると、2012
年のギリシャの年金支出額は対国内総生産(GDP)比 17.5%であり、他のどの EU 諸国
7土田陽介 「ギリシャにおける国有企業民営化の現段階」
証券経済研究 第91号 [2015/09] P111
(図1)
13
よりも高い数値となっていた。二つ目の問題は、その受給額の高額さである。ギリシャの
平均年金受給額は同国最大の労働組合の研究所「INE-GSEE」によると、2009 年時点の同
1350 ユーロからは減少しているが、未だに月額 833.3 ユーロと高額になっている。三つ目
の問題は、その受給者の増加である。2009 年以降は、年金受給者の数が右肩上がりで増加
している。その要因には、国が賃金コスト削減の一環として労働者に早期退職を奨励して
いることや、政府が定年年齢を引き上げる前に退職を急ぐ「駆け込み」もあると考えられ
ている。
それでは、トロイカの支援策でギリシャに対してどのような年金改革が行われたのだろ
うか。以下主な政策である。
まず、年金受給開始年齢を 2012 年には 67 歳まで(EU の平均的)引き上げ、2021 年には 65
歳時点ての平均寿命によって調整することが決定された。また、年金額を決める要素を、退
職直前 5 年間の平均賃金から生涯の平均賃金に変更し、1 年間ごとの年金給付額確定率の
大幅引き下げが行われた。加えて、年金の不正受給に関しては、従業員数やその賃金に関す
る申告に偽りがあった場合には、1 万ユーロ(約 130 万円)の罰金がルール化され、
社会保障番号の導入に伴い、同番号を申告しない年金受給者に対する支払いを停止する等
の措置で、二重受給などの防止に努めている。従来 12,000 ユーロ(約 156 万円)までの非課
税が 2012 年には 9,000 ユーロ(約 117 万円)に引き下げられた。
次に、このような数々の策が投じられたことの今までの成果について述べる。
まず、プライマリーペンション(年金の中心となる部分)は通常で 20%、最大で 40%削減さ
れ、年金支出額が減少したことである。その結果として、特に年金額の高い層(月額 1,700
ユーロ、約 22 万円以上)の受給者の減少が顕著である(図表 1)。加えて、ギリシャの財政
危機前から GDP と比べてギリシャの年金支出の規模が大きすぎることは問題視されてお
り、2007 年当時の推計では年金制度を当時のまま放置した場合、年金支出総額(対 GDP)は
11.7%から 24.1%まで上昇すると予測されていたが、その後 2010-2013 年の推計では足許
の比率は上昇傾向にあるものの、2060 年に向けては 14%程度で安定するという見通しに
なったという。さらに、OECD の手法による所得代替率(平均的な就業者の平均生涯賃金と
それに基づく年金額の比率)が 2010 年の数値では、所得階層に関係なく 95.7%と極めて高
い値になっていたが、2012 年の数値では、所得階層が高いほど代替率が下がるという一
般的な姿に改善された。また、2010-2014 年に年金受給額は平均で 27%、最大で 50%カ
ットされ、2013 年には定年退職年齢が平均で2年引き上げられた。ギリシャは年金前倒し
受給をさらに制限する意向を示しているが、未だに年金の前倒し受給も可能な点が問題視
される。
14
このようにトロイカの支援策の年金改革はある一定の成果をあげているが、今後の年金
改革の課題は何があるだろうか。まず 1 つ目の課題として、年金必要性の高まりと年金支出
削減のジレンマが挙げられる。ギリシャは今後、人口の減少とそれに伴う労働人口の減少、
更に高齢化に伴う 65 歳以上の老齢人口比率の上昇が進むと予想されており、これまで以
上に年金が社会保障制度の中心として重要な役割を果たすことになる。しかし経済活動の
停滞、失業率の上昇等の影響によって年金掛金は 2011 年の 176 億ユーロ(約 2 兆 2,800
億円)から 2014 年の 113 億ユーロ(約 1 兆 4,700 億円)へと著しく減少している。EU は
年金関連の支出を対 GDP で更に 1%削減することを求めているが、これまで実施されてい
る財政改革案では、年金連支出は 2015 年の 233 億ユーロ(約 3 兆 300 億円)から 2018
年の 242 億ユーロ(約 3 兆 1,460 億円)への増加が予想されているため、この数字から
GDP の 1%削減するということになると、新たに 18 億ユーロ(約 2,340 億円)の削減とい
う計算になり、既に年金受給者の約 45%が貧困水準の 665 ユーロを下回る年金しか受け取
っていないという現状もあり、今後の適切は対応が求められている。また、2 つ目の課題と
して、国民の理解を得ることが挙げられる。2016 年予算案については国内でも野党の反対
のみならず、農業従事者や船員、鉄道職員や技術者、医師等幅広い業種によるストライキや
デモが頻発し、年金改革や増税に対する国内の反発は広がりを見せている。中でも、燃料の
補助金が大幅に削減され、肥料や飼料にかかる税が引き上げられたこと等が背景にある農
業従事者の憤りは深刻である。チプラス政権による緊縮財政路線に沿った改革案が支持を
得るにはまだ時間がかかりそうだ。
このように年金改革はギリシャの立て直しには必要不可欠な要素であるが、今の段階で
手を付けても受け入れられることは容易ではなく、課題もある。長期的に取り組み続けると
ともに、より効率よく取り組める方法が必要である。
Ⅳ) 労働市場改革8
8平野泰朗[2015]「EU の社会保障・労働政策とユーロ危機――イタリアの事例を中心に
――」オンライン版研究報告書第6章 P8-10
15
ギリシャにおいて国有企業の民営化が起こらない理由の一つとしてギリシャの経済基盤
が恒常的に不安定化していたことが挙げられる。長期的な視点から見ると今回の危機は、競
争力の危機と認識されている。国際競争力の弱い国の政府が赤字国債を発行しやすく、これ
が国家債務危機を招いたと考えられる。そして、この国家債務危機を解決する要の1つとな
るのが、労働政策である。雇用を促進する、または労働生産性を上げる効果があると期待さ
れる。労働市場の柔軟性と低い労働コストが主な政策内容なのでEU中枢部にとって労働
政策は競争政策でもある。また労働市場が流動化することによって失業による貧困が避け
られ、マクロ的にみても所得の上昇に繋がる。正規社員の解雇規制緩和などのルール作りや
法整備を行い、人材のスムーズな移動を促すとともに、正規社員と非正規社員の雇用保障の
差を小さくして、中間層を増やし、社会を安定させる必要があるとされる。ギリシャにおい
てもまた労働市場を流動化させるためにトロイカの主導の労働市場改革が行われた。それ
は高失業の原因を時代遅れで硬直的な制度にあると断じた上で改革を実行する「構造改革」
政策である。
ギリシャの労働市場改革の内容は以下の 4 点にまとめられる。①最低賃金の切り下げ、②
解雇補償金の削減、③大統領、国家情報院、議会、医療関係者等、削減が免除されていた職
員に対するすべての特別給与の廃止、④公務員給与の削減と上限の設定である。最低賃金の
切り下げに関しては標準最低賃金が 22%引き下げられ、25 歳未満については 32%カットす
る。また、現在 21%となっている失業率が 10%を下回るまで、公務員の賃金を凍結すると
いう内容のものだ。それまでギリシャでは、最低賃金は法的に決められるのではなく、全国
的な労働協約によって決められていたので賃金形成に大きな変化をもたらした。2009 年ま
での 10 年間は、ほとんどのEU諸国で実質賃金が上昇していたが、2010 年には逆転し、
ギリシャでは結果的に下落幅は 20%を達成した。
Ⅴ)金融部門の監督と規制の見直し9
ギリシャが財政赤字を隠していたことを受けて、トロイカは金融部門の監督と規制の見
直し・強化を要求した。EU でも資本要求指令(CRD)の段階的な改定を進めているほか、格
付け機関やヘッジファンド・デリバティブへの規制強化など、金融危機を教訓とする広範な
規制改革が進行中である。
まず、金融監督体制の見直しとして二元的監督体制が構築された。EUの新たな金融監督
体制は、個別の金融機関経営の監督(ミクロ・プルーデンス監督)で関係当局間の連携体制
を強化するのと同時に、経済全体や金融システム全体の健全性(マクロ・プルーデンス監督)
を監視する機関を設置し、両者の連携による危機の再発防止を図る二元的体制である。ミク
9経済調査部門 主任研究員 伊藤 さゆり
「金融・財政危機を教訓とするEUの制度見直しの動き 金融監督体制と財政規律の見直しにつ
いて」
16
ロ・プルーデンス監督権限は、引き続き各国が有するものの、金融監督分野での助言と域内
の金融監督機関の協力促進のために設置されてきた業態別の3つの規制監督委員会(欧州
銀行監督委員会(CEBS)、欧州証券監督委員会(CESR)、欧州保険年金監督委員会(CEIOPS))
を、それぞれ法人格のある欧州金融監督当局(ESAs)に格上げして権限を強化し、ESAs と各
国の金融当局を結ぶネットワークとして欧州金融監督システム(ESFS)を創設した。マクロ・
プルーデンス監督に関しては、アメリカでは金融監督当局のトップで構成する金融安定監
視評議会(FSOC)を設置、イギリスでは中央銀行のイングランド銀行(BOE)内への金融監督
委員会(FPC)の創設を決め、EU では欧州システミック評議会(ESRB)が創設された。こうし
た考えに基づき、ESFS は、ESRB に個別金融機関の情報を提供すると同時に、ESRB は、
欧州議会や理事会・欧州委員会や加盟国・ESAs に対して経常収支の不均衡や実質実効為替
相場・資産価格などマクロ的な観点からシステミックリスクの早期警戒のシグナルである
「警告」や「勧告」を発するようになった。
次に、財政規律の見直しとして、事前審査制の導入・監督対象の拡充・制裁の強化が行わ
れた。まず1つ目として、「ヨーロピアン・セメスター」という財政の事前審査制が導入さ
れた。事前審査制の主な流れは、①1月に欧州委員会がEUとユーロ圏経済の課題を検討し
た「年次成長サーベイ」を公表すること、②4月に加盟国が最低向こう3年間の財政運営方
針を示した「安定・収斂プログラム」と、向こう 10 年間のEUの成長戦略である「欧州 2020」
の目標達成のための構造改革などの方針を示した「国家改革計画」を提出すること、③欧州
委員会 が両計画を審査して各国ごとのガイダンスをまとめ、ECOFIN 理事会が採択し首脳
会議が承認すること、④加盟国はガイダンスを踏まえて次年度の予算案を編成することと
いうものである。2つ目は監視対象とする指標の拡大である。従来の「過剰な財政赤字是正
手続き」は、財政赤字に着目するものであったが、新たな枠組みでは政府債務残高も重視す
る。ギリシャ危機で、ファイナンス環境が急変した場合には、高水準の政府債務残高が深刻
な問題となることが明確になったことが背景にある。新たな枠組みでは、政府債務残高の水
準が基準値の GDP 比 60%を上回る国については、債務削減の数値目標未達成の場合には
財政赤字が基準値の同3%を下回っていても「過剰な財政赤字」とみなすなどのルール変更
が行なわれる見通しである。そして3つ目は「制裁」の強化などによる予防と是正機能の強
化である。「過剰な財政赤字是正手続き」について、ユーロを導入している違反国への「制
裁」として用意されている預託金を無利子から有利子に切り替えるほか、農業や漁業分野へ
のEUの補助金も停止が提案されている。構造改革については、「リスボン戦略」期には「開
かれた政策協調手法」で、EUとしての共通の ガイドラインは設けるものの、実行は各国
の自主性に委ねるアプローチが採られてきた。このような強制力・拘束力を欠く運営体制が
「リスボン戦略」の失敗の原因になったとの反省から、「欧州 2020」の推進にあたっては構
造改革への取り組みが不十分な国には「勧告」を発し、欧州委員会が直接「早期警戒」を発
する運営に切り替える。また、これに加えて、ユーロ圏の周辺諸国が財政規律を守らないことに
ついては、2011 年 12 月に、Six-Pack と呼ばれる新しい経済・財政サーベイランスのルールが発
17
効した。このルールにはこれまで見られなかった制裁条項が含まれているものの、市場を納得さ
せることはできなかった。ドイツは、ユーロ圏各国がそれぞれの憲法に財政均衡主義を盛り込み、
その上で、欧州委員会および欧州資本裁判所がこの実施を担保するというアイディアを提示し
ている。中長期的に財政規律の強化が必要となることについては、欧州各国当局者の間でほぼ意
見の一致を見ているが、市場はこの政策が短期的に実施可能かどうかについて疑念を持ってい
ると考えられ未だに課題が残っている。10
1− 4 1章のまとめ
まず①財政緊縮については、その政策意図は従来のギリシャの大規模な財政出導による
公共事業投資と公務員給与、そして社会保障などによる需要創出型で「大きな政府」型の経
済体制から財政支出を抑えて市場の自助作用に委ねる「小さな政府」型の体制への転換を促
すための政策であったが、増税や公務員給与の削減などにより消費が落ち込み、結果として
GDP の縮小を招き、それを受けて公的債務残高も対 GDP 比では更に膨れ上がるという負
のスパイラルを招き、この政策はギリシャの債務危機状態を更に悪化させてしまったと言
える。
②中間財政戦略の支援措置における核とも言える国営企業民営化については、上述の通り、
2011 年の第一次支援プログラムでギリシャ政府が発表した民営化計画(2015 年までに 500
億ユーロ調達)は、2014 年の第二次支援プログラムでは下方修正された(2020 年までに 223
億ユーロ調達)し、2015 年までには当初の目標の 1 割にも満たない 32 億ユーロしか調達で
きなかったことから、順調に進んではいないことが明らかであり、また、国営事業は国内向
けのサービス業が中心であることから、不況のギリシャにおいてそれらの企業の株が海外
向けにも売却が進みにくいのもまたこの政策が進みにくい要因と言えるだろう。
③構造的財政改革における年金改革については、年金受給者数が増加傾向にあるからには
高額であったその一人当たりの受給額を引き下げたり、対象年齢を EU 諸国並みに引き上
げたり、その捕捉率をあげるために規制を強化したりしたのは年金システムの維持のため
に不可欠であるため評価するべきであるが、国が賃金コストの削減のために公務員の早期
退職を奨励したのは民営化が進めばその必要性も省けたはずであり、定年年齢が引き上げ
られる前に退職を急ぐという「駆け込み」の横行に対する規制が欠如したりと、国側が年金
受給者の増加を助長してしまった面もあり、未然に対策がなされるべきであった。また、上
述の諸政策が実施されたにもかかわらず、年金システムの維持が未だに危ぶまれる危険因
子として、失業率の増加などによる年金掛金の減少があり、一方で年金受給者の増加により、
近い将来、年金支出が再び膨れ上がってしまうという予想がなされていることや、既に年金
受給者の半数近くが貧困水準を下回る年金しか受けとれていないことから、そのシステム
の維持のためには、これ以上の年金支出の削減よりも年金掛金の回復とそのための雇用の
10絹川直良 経営論集 第 21 巻第 1 号 2011 年 49~58 頁
「欧州ソブリン危機への対応」 P49~58
18
回復が不可欠であろう。
④労働市場改革には、失業率の改善という役割も求められるべきであるが、現状におい
ては、国営企業を民営化に伴う企業構造の変化に耐えうるようにするための地盤固めの一
環として、雇用形態と解雇法制の柔軟化、そして賃金決定方式の透明化など、企業側の雇
用や賃金決定の自由度を高め、各々の企業が労働者に選ばれるように努力するという労働
者獲得の面での競争原理の導入という意図の政策が中心にすすめられているが、それが新
たな雇用の創出に結びついているとは言えない状況である。そのため、新たに労働市場に
労働力需要が見いだされなければ失業率は改善に向かわないため、雇用機会を生み出すよ
うな政策がもたらされるべきである。
⑤金融部門の監督と規制の見直しに関しては、EFSF や ESRB のような機関がなぜこれま
で存在しなかったのかと思うくらい EU の金融監督面では重要な役割を果たしうるもので
あるし、ギリシャ危機以前に存在していれば危機を未然に防ぐことも出来たのではないか
と思われる。そのため、ギリシャ危機を教訓として取り入れられた制度機関としては評価
すべきであるが、一方で、ユーロ圏における財政同盟の形成は今後の欧州の財政・金融政
策の一層の安定に寄与しうるが、その導入には各国やその市場が未だ慎重な目を向けてい
て、早期の達成は難しそうである。
国営企業の民営化の低調さがまずギリシャの経済が回復しない一因であるし、また年金
システムの維持のために年金掛金も改善させるためにも落ち込んでいるギリシャの景気を
拡大させること、更にそのために国民の収入の改善と消費の活性化をもたらすための雇用
の改善が必要であるため、労働市場改革によって雇用が流動化されるべきであると仮定
し、以下の章ではギリシャにおける現状の国営企業の民営化と労働市場改革の課題につい
て検討しようと思う。
19
第 2 章 国有企業民営化と労働市場改革
2-1 国有企業民営化が進まない原因
EU と IMF は主張する停滞の原因は、HRADF(ギリシャ資産開発基金)の独立性
の弱さで、HRADF の経営の独立性を高まれば、政治的影響力が弱まり民営化が進みやすく
なると主張している。
一方、土田陽介氏の先行研究(2015/09)1
では経済的・政治的・制度的・社会的な4つの
大きな要因を挙げている。(1)経済的要因は、経済自体の不安定性である。上記した通
り、長年に渡って債務危機に陥っているギリシャ経済では、民営化を実行しようとして
も、投資家の意欲は高まりがたく、民営化は停滞する。もう一つの経済的要因は収益率の
悪化である。民営化の対象になっている産業の多くが国内向けのサービスを提供する産業
であるギリシャでは、財政の悪化や失業率の上昇によって国民の消費は減っているため、
自ずと企業の収益率も低下する。企業を売却する外国投資家の収益も減ってしまう。(2)
政治的要因はギリシャが政治危機に陥ったことで、政府の民営化政策に一貫性が担保され
なかったことである。同じくトロイカから支援を受けた他の国々の政権交代は1回なのに
比べて、ギリシャでは社会主義色の強い PASOK と自由主義色の強い ND の二大政党の連立
体制の中で、4回も政権交代が行われており、政権が変わる度に、民営化戦略の一時凍結
などが行われ、民営化が停滞した。(3)制度的要因は HRADF の独立性の弱さである。政治
的影響が排除されたはずの HRADF の運営が政治的要求に左右されがちであったのだ。 (4)
社会的要因は、巨大な企業複合体を率いる政商による「国家捕獲」(=個人や団体、企業
などが国家の政策方針を自らの利益に適うように誘導する行為)の常態化である。ギリシ
ャでは、昔から政商の世襲は行われており、国家捕獲も伝統的なものであった。そのた
め、政商の政府の政策決定への影響力は強い。
以上の先行研究からわかったことは、ギリシャは極度な政治的・経済的混乱の下で民営化
の推進を求められたが、民営化を行う土台がきちんとできないのに民営化を無理矢理行っ
ているということだ。民営化の方法は間違っていなかったとしても土台ができていなけれ
ば、多くの問題が発生し、民営化は停滞してしまうのではないだろうか。では、民営化を行
うための土台には何が必要なのであろうか。ギリシャにおいて国営企業の民営化を進める
には(1)~(4)の要因の解決がまず必要なのではないか。
2−2 ドイツとスペインの労働市場改革の成功事例
労働市場改革とは労働市場の流動化のことを指す。企業レベルでも産業レベルでも、運悪く
自分が働いている会社や産業が業績不振に陥る。そうした際に、個々の労働者が他の会社や
1土田陽介 「ギリシャにおける国有企業民営化の現段階」
証券経済研究 第91号 P108〜115
20
産業へとスムーズに転職することが出来れば、失業による貧困が避けられ、マクロ的にみて
も所得の上昇に繋がる。以下、労働市場改革が成功した事例としてドイツとスペインを取り
上げる。
成功事例 1 ドイツ
ドイツの労働市場改革では以下 2 つの成果を得られた。①長期失業率の大幅な低下、②
若年層の就業率の上昇(就業率の世代間格差の是正)である。
ドイツの労働市場改革の成功要因は以下 3 つに要約される。第一に雇用斡旋機能や就労
支援の強化が、長期失業率の低下をもたらしたことだ。正当な理由なしに紹介された仕事を
拒否した場合には、失業給付が減額されるなど、政府による雇用斡旋と失業給付との連動が
図られた。二点目として人的資本の再構築が挙げられる。その内容は職業訓練システムの充
実化、実務経験、企業でのインターンシップなどである。三点目としては社会保障制度(失
21
業手当や生活保護など)や年金・税制改革などと同時に行ったことだ。労働者は労働市場だ
けをみて就労行動を決めている訳ではないからだ。
成功事例2 スペイン
2009 年から始まったユーロ危機の影響で、スペインでもバブル危機が生じ、2012 年には
失業率が約 25%(25 歳未満の若年層に限ってみれば 50%超)という深刻な経済危機にみまわ
れた。労働市場を回復させるため、スペイン政府は構造改革の 3 本柱の 1 つとして「労働市
場改革法」は緊急立法された。政府がこの改革の最優先事項として挙げたのは「いかに解雇
せずに企業を維持・存続させるか」という点だ。不況に入ってから、企業が経営環境の変化
に対応するために事業再編・集約を行う上で、地域や業種別に細かく職務内容や労働条件が
決められた集団労働協約が足かせとなり、解雇や企業倒産増加の一因になってきた。この労
働市場の硬直性が、既得権益で手厚く保護された正規労働者と、同一労働でも賃金や福利厚
生の水準が低い非正規労働者の間の格差を生み、労働市場が二重構造化した。非正規労働者
はリーマン・ショック以降、大規模な解雇や雇い止めの影響を直接受けており、過去 4 年間
で働き口が減ったのは、正規が 53 万人減(4.6%減)だったのに比べ、非正規は 151 万人減
(29.0%減)だった。景気回復の見通しが不透明な中、経営者は解雇時のコストを考え、正
規労働者の雇用をためらい、新規雇用の 9 割以上は非正規となっている。また、スペインの
高失業率の要因として以下の3つが挙げられる。一つ目に、季節や景気の変動の影響を受け
やすい観光や建設に依存した産業構造であること。二つ目に、400 万人が従事しているとも
言われる地下経済(税金や社会保険料を払わない)が存在すること。三つ目に働き口が過去
4年間で 13%減少した一方で、失業した世帯主に代わり仕事を探そうとする家族が雇用事
務所に失業者として登録したことである。これらの問題点を考慮し、改善できる改革が求め
られた。
①実行された労働市場改革
2012年に施行された労働市場改革法では賃金や労働条件の変更が大幅に柔軟化され、
特に正規・非正規間の格差是正に重点が置かれた。例えば、地域・業種を限らない共通規定
を作成された。職業カテゴリーを廃止すること、年間勤務時間の5%を原則自由配分するこ
と、個人・集団の転勤・勤務地変更手続きを迅速化することなどで労働協約の内容の簡略化
が行われた。次に、集団解雇(または一時帰休)手続きの際に、自治州の事前承認が不要とな
り、労使間合意がなくても、解雇することができるようになった。また、正規雇用契約の不
当解雇補償金を、従来の「45 日分給与×勤続年数」から「33 日分給与×勤続年数」にし、
上限額も 42 ヵ月から 24 ヵ月分に引き下げたことで、EU 諸国の水準と並んだ。他には、正
規雇用契約の客観的解雇の要件が具体化された。2
2JETRO [2012] 労働市場改革法がゼネストの引き金に-新政権の「聖域なき改革」-
22
②改革の結果
2013 年には 26%近くまでなった失業率は、2015 年から下がっていき、2016 年の6月には
20%まで下がった。
(出処: Trading Economics http://www.tradingeconomics.com/spain/unemployment-
rate)
ドイツやスペインの労働市場改革との比較
ドイツにおける失業給付の引き下げや給付期間の短縮は、失業者の労働意欲の向上のた
めに有効な手段であり、ギリシャにも適応できるかもしれない。一方で、職業訓練の充実な
どは、財政面で余裕のあるドイツとは違い、財政緊縮を強いられているギリシャにおいては
その運営は難しいのではないかと思われる。また、スペインにおいては、正規・非正規雇用
者間の格差の是正が中心であり、公務員の賃金削減などが中心であったギリシャとは労働
市場に存在した問題の種類が違っていたといえる。
23
第3章 考察・結論
本論文ではギリシャ危機の長期化について労働市場改革と国有企業民営化の関係性から
論じている。以下①労働市場改革の考察と②市場経済発展促進アプローチという視点から
の考察を記す。
① 労働市場改革
結果的に、労働市場改革により 2008 年に 7.3%であった完全失業率は、2014 年には 26.6%
と上昇した。世代別で見ると、最も高い水準にあるのが、15~24 歳の労働人口の 44%であ
る。早期退職者は民間セクターでは 14%増加したのに対して、公務員の間では 48%の増加
があった。明らかに、財政緊縮策を実践するための公務員減らしの政策の影響がみられるが、
早期退職者が増えたことで、社会保障や年金制度にさらなる負担が掛かることになった。勤
続年数が 25 年以上の公務員は、給料の減給や年金受給額のカットを避けるため、財政緊縮
策を実施して間もなく早期退職を希望したためだ。
また、トロイカの労働市場改革は労働者間の所得格差拡大に繋がってしまった。これはギ
リシャの国際競争力の弱さにあると考える。現状、ギリシャは通貨切り下げではなく、デフ
レによってギリシャの製品・サービス、そして労働賃金が名目・実質共に、下落していくこ
とを通じて、国際競争力を取り戻そうとしている。しかし、賃金給与額が低下し続ける社会
(デフレ下)で、景気回復や失業率の改善は不可能で、ギリシャは国際競争力の回復、つま
り債務返済のために、失業率を増大させなければならないという、矛盾した状況に陥ってい
る。このため、やはり雇用の回復のためには、ギリシャのマクロ経済の回復は不可欠であり、
債務返済の実現性を高めるためにも景気の回復は不可欠であるかもしれないが、ドイツに
おける失業給付の引き下げや給付期間の短縮のような政策は社会保障に甘えがちなギリシ
ャ国民に対して労働インセンティブを刺激しうるため、有用性があるかもしれない。
② 市場経済発展促進的アプローチ
1.市場経済発展促進的アプローチ
ギリシャ危機が長引く要因をトロイカの改革の妥当性にあると仮定すれば、トロイカの
改革は一体どのように行われるべきであっただろうか。この問題を考える上で、石川氏の
「市場経済発展促進アプローチ」1
を参考にしようと思う。1980 年代に入り、世界銀行の開
発援助政策において、1929 年の世界恐慌以来の大きな政府的アプローチから小さな政府的
1石川 滋 「市場経済発展促進的アプローチ−理論的位置づけと応用−」1997 年
JICA p.8~10。
24
アプローチへの転換の潮流があり、その論拠としては、政府の市場への介入は市場の効率性
を阻害する、というものであったが、1990 年代に入り市場における「政府の役割」が再評
価されていく。その背景としては、東アジアの高度成長(アジア NIEs、中国など)は各国政
府が開発政策において主導的な役割を果たしたのにも関わらず、高度成長を成し遂げた事
実があった。ここから導き出されたのは、東アジアの政府の市場への介入は市場の効率性を
阻害せず、むしろ市場の発展の促進を手助けした、というものであり、途上国においては市
場経済の枠組みが未発達・低開発で、形成途上にあり、したがって政策の中に市場経済の育
成を意識的に取り入れるべき、というのが、1990 年代に現れてきたき新しい開発政策アプ
ローチであり、そこに対象国の政策分野ごとの発展段階モデルを作成し、そのモデルにおい
ての原段階を特定し、その発展段階に適した政策を検討しようというのが「市場経済発展促
進アップローチ」である。そのアプローチにおいて中国の国有企業発展段階をレベル分けし
た場合、次のようになり、それぞれの段階によって適する政策処方箋はかわってくるという。
国有企業発展の5段階:中国のモデル2
①家産制国有企業(官僚資本的国有企業)
②兵器工廠的国有企業(計画経済的国有企業)
③経営自主権の強化された企業
④国有企業の法人(株式会社)化
⑤国有企業の民営化
2石川 滋 前掲書 10 ページ。
25
出典:石川 滋 前掲書 p.12。
2.市場経済発展促進的アプローチのギリシャへの応用
もちろん、この中国の国有企業の発展段階モデルをギリシャに適応することが適切かど
うかは定かではないが、このアプローチを鑑みれば、上述の中国のモデルを見る限り、政商
との癒着が強く、「国家捕獲」によりレントシーキングが常態化3
し、経営が彼らの利益に方
向付けられやすいという③の段階の課題を表 1 の「残りかす」として残してしまったままギ
リシャの国有企業はトロイカの改革によって④や⑤に向けたアプローチが急進的にすすめ
られてしまったのではないか。トロイカの改革のような典型的な「文化伝播4
」を経験した
経済は、それによって生じた国内経済体制とのギャップを埋めることが必要であり、そのこ
とがギリシャの国有企業の民営化の足かせになっていると言えるのではないか。また、トロ
イカや IMF のすすめるような欧米先進国的アプローチである小さな政府的経済開発が他の
国にも適切とは関わらず、地域ないしは国の現状の構造や分野ごとの発展段階によって適
切な経済発展アプローチは違ってくるのではないかということを示す上でも有用なアプロ
ーチになるかもしれない。
3土田陽介 著 「ギリシャにおける国有企業民営化の現段階」 2015 年 三菱 UFJ
リサーチ&コンサルティング(株) p.12。
4 石川 滋 前掲書 p.10。
26
ギリシャは 70〜80 年代に社会主義計画経済的な経済体制を経験しており、適切な市場経
済への転換モデルは中国やベトナムのような社会主義を維持しながら市場経済への移行を
成し遂げた国々の方がむしろ参考になるかもしれない。また、その両者においても、中国は
IMF の構造調整貸付の資金支援は受けず、IMF のコンディショナリティの義務を受けなかっ
たが、一方でベトナムはその資金支援を受ける引き換えに IMF のコンディショナリティに
より、早急な市場経済システムの適応を急がされた面で違いがあり、どちらがよりギリシャ
に対して適当な材料になるかも検討の余地があり、その結果によってトロイカの改革の妥
当性を計ることもできそうである。もちろん、ギリシャは現在市場経済体制ではあるが、社
会主義市場経済的な体制を経験し、その市場経済への移行の際の「残りかす」と言える市場
効率性の阻害要因(政商によるレントシーキングの横行や国有企業の労組の影響力など)が
多く存在しているため、いわば市場経済への適応が不十分であったといえるし、それ故にト
ロイカのすすめる改革、とりわけ国有企業の民営化がスムーズに進んでいないのである。も
ちろん、ギリシャ国内を取り巻く政権の不安定性やマクロ経済の不安定性なども無視する
ことはできないが、少なくともギリシャの国有企業の民営化を軌道に乗らせるためにはま
ず政商によるレントシーキングなどの前段階の「残りかす」を処理するための政策も必要に
なってくるであろう。
本論文では、ギリシャ危機の長期化の要因をトロイカの支援策から探し、述べている。第
1章で、ギリシャ危機が発生した流れとそれに対応したトロイカの支援策は他の4つの国
(キプロス・アイルランド・スペイン・ポルトガル)と同じ流動性危機に対するもので、支払
い能力危機に陥っていたギリシャには適さなかったのではないかという指摘と、支援策を
さらに5つの項目に分け、それぞれの内容を述べた。第 2 章ではそれらの問題点から、ギリ
シャにはまず国の土台をしっかり改善しなければ、改革がうまくいかない、特に民営化や労
働市場改革を優先的に行うべきではないかという疑問から、両者の問題点を整理し、第3章
でまた労働市場改革や民営化を進めるためにすべきことについて述べ、仮説の検証を行っ
た。政治、経済、国内の多くの問題が絡み合う複雑な事態となっているギリシャ危機だが、
トロイカの支援が段階を追って行われるべきであったと仮定し、それにおいて優先して行
われるべきなのは国営企業の民営化や労働市場改革であり、それをより円滑に進めるため
には急進的に改革を行うよりもむしろ順序立てて段階的に進めていくべきであることを論
じた。
27
参考文献
・新居 まき、井出 和貴子 経済調査部 エコノミスト
「主要統計からみるギリシャ経済 2009 年の危機発生以降、低迷が顕著に」[2015/07]
http://www.dir.co.jp/research/report/overseas/europe/20150716_009931.pdf
最終アクセス[2016/11/01]
・石川 滋 「市場経済発展促進的アプローチ−理論的位置づけと応用−JICA」[1997]
・伊藤 さゆり 経済調査部門 主任研究員
「金融・財政危機を教訓とするEUの制度見直しの動き 金融監督体制と財政規律の見直
しについて」[2010]
・尾田温俊 「ギリシャ危機とユーロ」[2010]
・川辺 賢一[2015]「ギリシャ危機は終わらない。――根本解決に必要なこと」HRP News
Files
http://hrp-newsfile.jp/2015/2331/
最終アクセス[2016/11/01]
・絹川直良 経営論集 第 21 巻第 1 号 49~58 頁「欧州ソブリン危機への対応」[2011]
・JETRO [2012]
労働市場改革法がゼネストの引き金に-新政権の「聖域なき改革」-
https://www.jetro.go.jp/biznews/2012/05/4f9a2aac785c8.html
最終アクセス[2016/10/29]
・竹端 克利 株式会社 野村総合研究所 公共経営コンサルティング部 副主任コンサルタ
ント「[第 5 回] 「小さな政府」の向こうにあるもの —前編:ギリシャで進む構造改革」
・田中 理 [2014]「動き出すギリシャ政局 〜公務員給与削減に待った〜」
第一生命経済研究所 経済調査部
・田中素香[2016]『ユーロ危機とギリシャ反乱』岩波新書
・田中素香 [2016]「ギリシャ危機とユーロ圏−危機対応はなぜ対立したのか−」
阪南論集. 社会科学編
・土田陽介 「ギリシャにおける国有企業民営化の現段階」
証券経済研究 第91号 [2015/09]
・土田陽介 [2015]「なぜギリシャ危機は終息しないのか〜求められる「ソルベンジー問題」
への支援〜」 三菱 UFJ リサーチ&コンサルティング調査部
・遠山弘徳[2011]「流動的なヨーロッパ労働市場の出現と労働市場制度改革」
静岡大学経済研究. 15(4), p. 213-223 http://doi.org/10.14945/00005741
・内閣府 [2012]「世界経済の潮流 2012Ⅱ 第2章ヨーロッパ経済」
http://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sa12-02/s2_12_1_2.html
最終アクセス 2016/09/23
・濱口桂一郎[2014]「欧州諸国の解雇法則-デンマーク、イタリア、スペインに関する調
28
査-」独立行政法人労働政策研究・研究機構,資料シリーズ No.142
・平石隆司[2010]「欧州ソブリン債務危機とユーロ圏の行方」欧州三井物産戦略情報課」
・平野泰朗[2012]「EU の社会保障・労働政策とユーロ危機――イタリアの事例を中心に
――」オンライン版研究報告書第6章
・平野泰朗[2015]「EU の社会保障・労働政策とユーロ危機――イタリアの事例を中心に―
―」オンライン版研究報告書第6章
http://www.setsunan.ac.jp/~k-yagi/6hiranosocialpolicy.pdf
・村松恭平 [2015]
「ギリシャ危機をめぐる言説の考察 ―『ル・モンド・ディプロマティーク』を分析対
象として」
・山中 崇 [2013/07/05] 公益財団法人 国際通貨研究所
「2013 年中の支援プログラム卒業が見込まれるアイルランド 」

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ギリシャ危機はなぜ長期化しているのか

  • 1. 1 要旨 2009 年以来、ユーロ圏ではギリシャ・アイルランド・ポルトガルで債務危機が生じた。 その中でもギリシャ危機は特に深刻で、欧州金融機関の債務超過問題となり、ユーロ加盟国 の首脳会議によって包括戦略が決定されても動揺は収まらず、ギリシャとイタリアの首相 の退陣にまで至り、さらにフランスやスペインの国債金利の上昇も生じるなど、当事国のみ ならず EU 諸国全体にまで波及する大きな問題となった。これに対してトロイカの支援策な ど多くの支援策がとられたが、未だにギリシャ危機は収束に向かっていないのが現状であ る。これほど大きな打撃を与え、世界中から注目され、様々なアクターが支援などアプロー チをしているのにも関わらず、ギリシャ危機が収束していないのはなぜだろうか。この論文 ではその理由を探ることを目的としている。 本論文では、ギリシャ危機の長期化の要因をトロイカの支援策から探し、述べている。ま ず、第1章で、ギリシャ危機が発生した流れとそれに対応したトロイカの支援策は他の4つ の国(キプロス・アイルランド・スペイン・ポルトガル)と同じ流動性危機対するもので、支 払い能力危機に陥ったギリシャには適さなかったという問題点と、支援策をさらに5つの 項目に分け、それぞれの現状と問題点を述べた。それらの問題点から、ギリシャにはまず国 の土台をしっかり改善しなければ、改革がうまくいかない、特に民営化に関しては構造改革 の中の労働市場改革を先に行うべきではないかという疑問が浮かび、第2章で民営化の問 題点と民営化するために必要なこと、また労働市場改革の利点や実際に労働市場改革で経 済が回復した国(ドイツとスペイン)の実例について述べ、仮説の検証を行った。第3章で は、ギリシャ危機長期化を回避するためには、欧州ばかりを見本にするのではなく、中国と ベトナムに用いることができた市場経済発展促進的アプローチを参考にすることも手段の 一つであると考え、先に述べた労働市場改革に加え、新しく「市場経済発展アプローチ」と いう観点で、民営化がこのいずれかでうまくいくようになるのか、第2章での調査内容を見 て、考察した。政治、経済、国内の多くの問題が絡み合う複雑な事態となっているギリシャ 危機だが、トロイカの支援が段階を追って行われるべきであったと仮定し、それにおいて優 先して行われるべきなのは国営企業の民営化や労働市場改革であることを論じた。
  • 2. 2 ギリシャ危機はなぜ長期化しているのか ― 労働市場改革と国有企業民営化の関係性 ― 国際政治経済学部 越智広貴 清水美香 鈴木千乃 藤田修平 はじめに 2009 年以来、ユーロ圏ではギリシャ・アイルランド・ポルトガルで債務危機が生じた。 その中でもギリシャ危機は特に深刻で、欧州金融機関の債務超過問題となり、ユーロ加盟国 の首脳会議によって包括戦略が決定されても動揺は収まらず、ギリシャとイタリアの首相 の退陣にまで至り、さらにフランスやスペインの国債金利の上昇も生じるなど、当事国のみ ならず EU 諸国全体にまで波及する大きな問題となった。これに対してトロイカの支援策な ど多くの支援策がとられたが、未だにギリシャ危機は収束に向かっていないのが現状であ る。これほど大きな打撃を与え、世界中から注目され、様々なアクターが支援などアプロー チをしているのにも関わらず、ギリシャ危機が収束していないのはなぜだろうか。この論文 ではその理由を探ることを目的としている。 私たちは、ギリシャ危機が長期化しているのは、トロイカ支援策で構造改革と財政改革を 同時に行ってしまったという問題点があるからであると考え、きちんと順を追って取り組 むべきであると主張する。例えばトロイカ支援策でうまくいかなかった国有企業民営化を 進めるためには、構造改革の中の一つである労働市場改革を先に進めるべきである。また、 ギリシャ危機長期化を回避するためには、欧州ばかりを見本にするのではなく、中国とベト ナムに用いることができた市場経済発展促進的アプローチを参考にすることも手段の一つ であると考える。 以降、第 1 章でギリシャ危機とトロイカの支援策を概観し、第 2 章でギリシャにおける 国有企業民営化および労働市場改革について理解を深める。そして第 3 章で国有企業民営 化をギリシャで成功させるためには構造改革のうちの一つである労働市場改革をまず先に 行うべきであると考察する。それに加えて市場経済発展促進的アプローチをギリシャにも 参考にすることを提案し、さらにギリシャの政治体制の立て直しも経済危機長期化を回避 には必要であると考察する。
  • 3. 3 本論文の構成 0 初めに 問題意識・仮説を述べる 1章ギリシャ危機とトロイカの支援策 1−1 ギリシャ危機の起きた経緯、現状 1−2 先行研究(なぜ田中氏の先行研究を選んだのか) 1−3 トロイカ支援策の問題点(なぜギリシャでは上手くいかなかったのか) 1−4 1章のまとめ 2章 民営化と労働市場改革の関係性 2−1 民営化に必要なこと 2−2 労働市場改革が成功した国の事例(スペインとドイツ) 3章 考察と結論 3−1 考察(労働市場改革と民営化を円滑化するには) 3−2 結論
  • 4. 4 第 1 章 ギリシャ危機とトロイカの支援策の概要 1 1-1 ギリシャ危機とは 2009 年 10 月、ギリシャでは政権交代が行われ、新政権(全ギリシャ社会主義運動)下 で旧政権(新民主主義党)が行ってきた財政赤字の隠蔽が明らかになった。従来、ギリシ ャの財政赤字は、GDP の 4%程度と発表していたが、実際は 13%近くに膨らみ、債務残高も 国内総生産の 113%にのぼっていた。その後、2010 年 1 月 12 日、欧州委員会がギリシャの 統計上の不備を指摘したことが報道され、ギリシャの財政状況の悪化が表面化した。 2010 年 1 月 15 日、財政赤字を対 GDP 比 2.8%以下にするなどとした「3 カ年財政健全化計 画」を閣議で発表するが、楽観的な経済成長が前提であった。格付け会社は、ギリシャ国 債の格付けを引き下げ、債務不履行の不安からギリシャ国債が暴落した。株価も影響を受 け、世界各国の平均株価が下落し、ユーロも多くの通貨との間で下落した。2010 年 4 月 23 日にはギリシャが金融支援を要請した。欧州では、ギリシャのほか、スペインやポルト ガルなども財政赤字の拡大に苦しんでおり、こうした国へ飛び火することも懸念されたた め欧州各国が協調して問題に取り組むこととなった。 「IMF」、「欧州委員会」、「ECB」の 3 つはトロイカと呼ばれる。2010 年からトロイカはギ リシャに金銭支援を行っている。その中でもドイツの融資割合はもっとも高い。トロイカ は金融支援の条件としてギリシャに緊縮財政政策をとるように要求している。 2010 年 4 月にユーロスタットが発表した財政赤字は 13.6%であることが発表され、2010 年 2 月から断続的にストライキ、デモが行われており 2 月と 3 月には追加の財政再建策撤 回を求めてギリシャ労働総同盟・ギリシャ公務員連合が 24 時間のゼネラル・ストライキ を行い、275 万人が参加した。 トロイカはギリシャがデフォルト(債務不履行)回避に必要な次回融資を受けるにふさ わしいかを判断するため、新たな緊縮措置や民営化計画の進捗について綿密に調査する見 通しとなった。2011 年 10 月 3 日ギリシャ政府が、財政赤字削減目標未達となる見通しを 発表したため、欧州金融市場は再び悪化。2011 年 10 月 27 日、欧州諸国は債務危機に対応 するために、ギリシャ債務の民間投資家の損失負担を 50%とし、欧州金融安定ファシリテ ィの融資能力を拡充するほか、2012 年 6 月 30 日まで銀行の資本増強を決めたものの、パ パンドレウ首相が 11 月 1 日に第 2 次支援策の受け入れについて国民投票を実施すると発 言したために、金融市場は再び不安定化、内外での反発が強まった。そこで 11 月 2 日に はアンゲラ・メルケル、ニコラ・サルコジの独仏首脳がパパンドレウ首相に対し、支援凍 結とユーロ離脱をちらつかせながら圧力をかけ事態収拾に動いた。 11 月 4 日に国民投票を撤回、翌 11 月 5 日にはパパンドレウ内閣の信任投票で僅差なが 1 平石隆司[2010]「欧州ソブリン債務危機とユーロ圏の行方」欧州三井物産戦略情報課」 P2〜4
  • 5. 5 らも信任されたものの、大連立交渉に失敗しパパンドレウは首相を辞任。11 月 11 日、前 欧州中央銀行副総裁のルーカス・パパデモスを首班とする大連立政権が発足した。このと き総選挙を 2012 年に繰り上げ実施することで連立政権内の合意ができていた。2012 年 5 月ギリシャ議会総選挙では財政緊縮反対を掲げる左翼政党が大幅に躍進。連立交渉がまと まらず、翌月に再選挙が行われることとなった。緊縮財政政策について政党により賛否が はっきりしているため、一連の選挙結果は欧州連合(EU)による財政緊縮を堅持するか否 かの動向に直結することから世界より注視されたが、6 月の選挙では財政緊縮支持派の第 1 党が票を伸ばし連立政権の樹立に成功したことで、ようやく事態は一時沈静化した。こ の一連の経済危機とその対策の不手際により、ギリシャの実質的な国内総生産は 2009 年 から 2012 年の間に 17%減少した。 2012 年以降、ギリシャは、緊縮財政等に取り組み、財政面は徐々に改善していったが、 景気は大きく落ち込み、国民の生活はさらに苦しくなり、大規模なデモや暴動が度々発生 した。そして、2015 年 1 月の総選挙では、最大野党で反緊縮派の急進左派連合(SYRIZA) が緊縮疲れの国民の支持を受けて勝利し、チプラス政権が誕生。これによって、一層の緊 縮策を求める EU との交渉が行き詰まり、ギリシャは 6 月末に返済期限を迎えた IMF から の借入を延滞すると共に、EU の第 2 次金融支援も終了した。 2016 年 7 月 5 日、チプラス政権は、改めて民意を問うため、緊縮財政策を受け入れるか 否かについて国民投票を実施したが、結果は反対(緊縮拒絶)が圧倒的多数を占めた。し かし、国民投票で拒んだはずの緊縮政策受け入れを決めた。同年 7 月 13 日、ユーロ圏の 首脳は会談を開き、ギリシャが財政改革の具体策を法制化することを条件に支援継続で合 意した。その後、ギリシャ議会は、年金給付の抑制や付加価値税の引上げ、離島への軽減 税率廃止などを盛り込んだ財政改革関連法を可決し、同年 8 月 14 日、EU は欧州安定メカ ニズム(ESM)に基づき、3 年間で最大 860 億ユーロを融資する第 3 次支援で合意し、当面 の危機が回避された。 ※ギリシャとユーロゾーン平均 GDP 対 比債務残高(ユーロスタットより引 用)
  • 6. 6 1−2 先行研究 ギリシャ危機が長期化した原因について述べている論文は多数あるが、そこで述べられ ている原因は様々である。 まず、村松恭平氏による「ギリシャ危機をめぐる言説の考察 ―『ル・モンド・ディプ ロマティーク』を分析対象として」という論文では、村松氏は「ギリシャ危機の発生と深 刻化の背景にあるもの」という章の中で、投機家と金融市場、国民政治の腐敗と国民の憤 慨、EU の制度としての不備をギリシャ危機長期化の理由として挙げている。 また、尾田温俊氏による「ギリシャ危機とユーロ」という論文では、尾田氏は、救済の 議論が長引いた理由を合意形成に時間をかけてしまった主な責任を持つドイツにあるとし ている。 だが、本論文では、田中素香氏による「ギリシャ危機とユーロ圏 ―危機対応はなぜ対 立したのか―」という論文を先行研究とする。この論文で田中氏はギリシャ危機長期化の 要因はトロイカの支援策にあると述べている。まず EU・ECB・IMF の「トロイカ」はギリ シャへの支援と引き換えに包括的な改革を要求した。ギリシャに要求したものは①財政緊 縮②中期財政戦略の支援措置③構造的財政改革④金融部門の規制と監督見直し⑤構造改革 の大きく 5 つに分けられる。つまり財政措置だけではなく経済の大幅な構造改革を条件と し、縁故主義と規制でがんじがらめの「途上国型」ギリシャ経済を自由化し、「公務員型 国民経済」を開放された近代的な国民経済に転換しようとした。しかし、「トロイカ」の 当初の見通しは余りに楽観的で第一次支援計画はほぼ完全に失敗、第二次支援も成果はあ がらなかった。では何が原因で失敗したのだろうか。まず一つ目の理由として、ギリシャ は「支払い不能危機2 」に陥っていたのに、「トロイカ」は「流動性危機3 」に対する処方箋 を与えてしまったことが挙げられる。つまり、政府債務の軽減ないしは削減を当初に思い 切ってやるべきだったということである。二つ目は、西欧大銀行救済をギリシャ支援より 優先するユーロ圏諸国の政治判断があり、IMF の主張にも関わらず政府債務カットがなさ れなかったことが挙げられる。そして三点目には、ギリシャ人の意志に反して構造改革を 押し付ける暴挙であり、ギリシャのナショナル・プライドが深く傷つき、国民がやる気を 失ってしまったことも述べられている。 以下本論文第2章では、トロイカが要求した5つの項目の中でも労働市場改革と国有企 業民営化に焦点をあてて、原因を探り解決策を提案する。 2支払い能力(ソルベンシー)問題とは、返済能力以上の債務を抱えてしまっており、一時的 な 返済猶予を施しても事態が解決しない状態を意味する。土田陽介 著 「なぜギリシ ャ危機は終息しないのか ~求められる「ソルベルシー問題」への支援~ p.3。 3流動性(リクイディティ)問題とは、そもそもの返済能力は高いものの、何らかの一時的な 理由によって 債務の支払いが滞る状態を意味する。土田陽介 前掲書 p.3。
  • 7. 7 1-3 トロイカの支援策とは 2015 年8月 14 日、EU・IMF・ECB(欧州中央銀行)の 3 者で構成されるトロイカに よって、ギリシャ債務危機に対する第 3 次支援が行われることが決定した。2009 年 10 月の危機発覚以来、三度にもわたる危機救済を経て、今日にいたるまで危機が沈静化し ないのはなぜだろうか。その原因をトロイカの支援にあると仮定するために、トロイカ による支援策とその問題点について検討する。 ①トロイカの支援策 トロイカはこれまで、ギリシャに返済期限の差し迫った債務の返済や財政赤字の補填 のために、第 1 次救済は総額 1100 億ユーロ、第 2 次救済は総額 1300 億ユーロを融資 し、第 3 次救済では 2018 年末までに 860 億ユーロ融資することを決定してきた。加え て、それらの資金救済と引き換えに、ギリシャに財政緊縮と構造改革を義務づけてきた。 ②トロイカの支援策の問題点 トロイカによる支援策は、同時期に発生したスペイン、ポルトガル、アイルランド、 キプロスの 4 ヵ国にも同様の資金救済と引き換えに国内の財政緊縮と構造改革を要求 するかたちで行われ、いずれも金融支援を卒業した。一方で、ギリシャに対する金融支 援は未だに続いている。トロイカによる支援策は、ギリシャにとって適していなかった のではないか。ギリシャの債務危機は、他の 4 ヵ国とは性質の異なったものであったの ではないか。 一般に、政府の累積債務危機の性質は、流動性(リクイディティ)危機と支払い能力危 機(ソルベンジー)危機に大別される。流動性危機問題の特徴は、①そもそもの返済能力 は高いものの、何らかの一時的な理由によって債務の支払いが滞る状態であり、②債権 者は債務者に対して、借入の支払を一時的に猶予する(分割払いを認め、期日を先延ば しにする)などの措置をとれば、ほとんどの場合、債権を回収することができることで ある。対して、支払い能力危機の特徴は、①返済能力以上の債務を抱えてしまっており、 一時的な返済猶予を施しても事態が解決しない状態であり、②通常の経済活動に用いら れるべき資源までもが返済に費やされるため、経済は単純再生産すら困難となり、③政 府の信用力低下を受けて企業も資金調達に窮することから、設備投資なども滞るように なり、雇用は悪化し、家計の消費も減少するため、④結果、債務の支払い能力もさらに 低下するという負のスパイラルに陥ることになることである。トロイカの金融支援が前 者の流動性危機型の対応であるのは、①債務カットを行うことなく,原則 3 カ月に一度 財政赤字を補填する形式をとったこと、②貸与形式であり、その場しのぎの返済は出来 ても結局新たな債務が生まれる、という要素から明らかである。 ギリシャ以外の 4 ヵ国が流動性危機型の対応で対処できたのは、債務の大きさやその
  • 8. 8 健全度合いの深刻さに違いがあったためである。なぜなら、欧州債務問題が顕在化する 直前の2007年時点における公的債務残高(図表1)は、アイルランドが対GDP比24.0%、 キプロスが同 54.1%、スペインが同 35.5%と、いずれの国も安定・成長協定(SGP)の財 政基準(同 60%)を下回っていた。他方でポルトガル 2007 年時点の公的債務残高は対 GDP 比 68.4%と他の 3 ヶ国と比べると膨らんでおり、SGP 違反の状態にあった。反面 で、銀行部門の総資産4は 07 年時点でアイルラドの銀行の総資産は対 GDP 比 845.5%、 キプロスは同 533.7%と、ユーロ圏全体の水準(238.0%)をはるかにしのぐ規模に膨らん でいたのに対し、ポルトガルは対 GDP 比 250.7%と、ユーロ圏全体よりは膨らんでい たものの、その程度は他の 3 ヶ国よりも軽微であった。 しかし、ギリシャの 2007 年時点における公的債務残高は対 GDP 比 103.0%と、他の 4 ヶ国に比べて債務の規模は突出していた。更にギリシャは財政統計の改ざんによって 元々の債務返済能力の低さをひた隠しにしながら債務を膨らませていたとも言えるた め、その債務規模の大きさも相まって債務の信用度を失うには十分であった。現状公的 債務残高は 2013 年以降ほぼ横ばいで推移しているが、ギリシャの GDP はマイナス成 長を続けているため、公的債務残高の対 GDP 比は膨らみ続けている。そのため、ギリ シャは債務の「自己増殖プロセス」に陥っていると言える。経済規模の縮小によってギ リシャの支払い能力はますます低下していっているのだ。 このような危機への対応策としては、債務の返済期限の延長や債務そのものの軽減な どが一般的に考えられるが、ギリシャ側が債務に対する猶予が与えられること自体に味 をしめる懸念などから、このような政策に対して EU 側の同意を得るのは難しくなって いる。そのため、トロイカのすすめる改革の内容を調整することもより現実的な対応策 として考えられる。 4土田陽介 前掲書 p.4。
  • 9. 9 以上の点から、トロイカの改革の内容について検討する。 ③トロイカによって要求された改革 ギリシャに対するトロイカの改革は3度にわたってすすめられたが、その根本にある 軸は一貫して、財政緊縮と構造改革をいっぺんに推し進める政策である。その内容5 を 整理すると、Ⅰ)増税や税制改革、政府支出削減等による財政緊縮、Ⅱ)国営企業民営 化や公共投資削減による中期財政戦略の支援措置、Ⅲ)年金改革などによる財政構造改 革、Ⅳ)労働市場改革や競争などによる構造改革、Ⅴ)金融部門の監督と規制の見直し の5つに大別される。以下、これらの改革の内容や実施状況について検討する。 Ⅰ)財政緊縮 財政支出という経済の活性化手段が制限され、増税や年金抑制などにより消費も縮小 したため、ギリシャの GDP は危機が起こった 2008 年比で約 25%縮小してしまい、財 政緊縮政策のため債務の膨らみは抑えられてきたため名目値としては 2008 年値を 100 とすると 13 年以降公的債務残高は 126 ほどのままほぼ横ばいだが、その間も GDP は 縮小し続けたため対 GDP 比でいえば約 180%に膨れ上がってしまった(図 1)。 図 1 5 IMF[2011a], Greece:Third Review under the Stand-By Arrangementより抜粋。
  • 10. 10 公務員供与削減については、政策は実行されたものの、軍人と治安警護官に対する給 与の削減は違憲に当たるのではという申し立てがなされ、ギリシャ最高裁も近々違憲判 決を下すという見込みが高まっている。もし違憲判決が出されれば、軍人と治安警護官 に対しては 5 億ユーロ、また他の一部の公務員にも同様に適応されれば計 10 億ユーロ ほどの遡及支払いが要求され、財政緊縮の一環である公務員給与削減政策は振り出しに 戻されるおそれもある。6 増税に関しては、そもそも増税はインフレ期に行われ、景気の過熱化を防ぐ機能があ り、いくら基礎的財政収支を改善したいという目的があるとはいえ、消費が落ち込んで いるデフレ期に増税をしても更に消費を落ち込ませてしまい、逆効果になりかねない。 確かに 2013 年に一時的に基礎的財政収支(図3)はプラスになったが、その後再び下 降傾向に陥ってしまっている。 財政赤字を 2014 年までに 3%まで削減という目標は、図4を見てもらえばわかると おり、達成できていない。対 GDP 比(図5)なら一旦は 2%台まで削減できているが その後また増加傾向にある。 6田中 理 著 「動き出すギリシャ政局 〜公務員給与削減に待った〜」
  • 11. 11 図3 図4 図5 出典:世界経済のネタ帳 http://ecodb.net/country/GR/imf_ggxcnl.html 以上の点から、ギリシャが支払い能力危機を脱するには、経済成長を促すために財 政緊縮は緩和されるべきであると考えられる。むしろ経済を刺激するための政策が求 められうるのである。 Ⅱ)中間財政戦略の支援措置  国営企業民営化 (1)国有企業民営化の現状 ギリシャの主要産業の企業のほとんどは国有企業であるために、多くの制限と国と企業の 癒着が多かった。そのため、IMF や EU 諸国はギリシャに対して長年に渡って企業の民営化 を促してきた。しかし依然として民営化があまり進んでいない現状である。実際、2011 年 の第一次支援プログラムでギリシャ政府が発表した民営化計画では、53 件の民営化対象資 産を挙げ、2015 年までに民営化による収益で 500 億ユーロを調達することが目標としてい たが、2014 年の第2次支援プログラムでは、2020 年までに 223 億ユーロを調達するとい う計画に下方修正された。現状、2015 年までの民営化収入は 32 億ユーロにとどまってい る。(図1)
  • 12. 12 一方で、ギリシャ政府は基本的に、事業体またはその運営を担う特定目的会社 の株式を入札形式で売却するという民営化の方法をとった。証券市場での株式公開という 方法だと、民営化対象資産の価値を損ねる可能性があるが、この方法であれば、短期間で民 営化が実現でき、政府の判断は正しかった(土田陽介)7 (2)民営化の対象となる産業 では、どのような産業がギリシャで民営化されるのであろうか。大きな特徴として国内 向けにサービスを提供する産業である。運輸や保管業(空港,港湾,道路,鉄道,ガス)は 19 件、芸術や娯楽、レクレーション業(競馬や宝くじなどの公営賭博事業)は7件、鉱業 及び採石業と情報通信業や金融、保険業は6件ずつ民営化される予定である。 公益事業(ガス供給,電力供給,水道,空港・港湾)は株式の売却を進めるものの,引き続 き政府がその一部を保有し続ける。2016 年 4 月 9 日にやっとギリシャ最大のピレウス港の 株式売却の正式契約が中国国有の海運集団との間で結ばれた。 Ⅲ)構造的財政改革 年金改革 トロイカの支援策では、構造的財政改革も行われ、そのうちの一つとして年金改革が行わ れた。ギリシャでは、債務返済コスト以前に賃金と年金が主要歳出の80%を占め、残りの 20%はすでにぎりぎりまで切り詰められていると指摘もあったため、年金制度の見直し が求められたのである。 まず初めに、年金制度の見直しが行われたが、そもそも年金のどの点が問題であった のか考察する。主に問題点として 3 点挙げられる。一つは支出が大きいことである。現行 の緊縮策によって 16%に下がったものの、EU統計局(ユーロスタット)によると、2012 年のギリシャの年金支出額は対国内総生産(GDP)比 17.5%であり、他のどの EU 諸国 7土田陽介 「ギリシャにおける国有企業民営化の現段階」 証券経済研究 第91号 [2015/09] P111 (図1)
  • 13. 13 よりも高い数値となっていた。二つ目の問題は、その受給額の高額さである。ギリシャの 平均年金受給額は同国最大の労働組合の研究所「INE-GSEE」によると、2009 年時点の同 1350 ユーロからは減少しているが、未だに月額 833.3 ユーロと高額になっている。三つ目 の問題は、その受給者の増加である。2009 年以降は、年金受給者の数が右肩上がりで増加 している。その要因には、国が賃金コスト削減の一環として労働者に早期退職を奨励して いることや、政府が定年年齢を引き上げる前に退職を急ぐ「駆け込み」もあると考えられ ている。 それでは、トロイカの支援策でギリシャに対してどのような年金改革が行われたのだろ うか。以下主な政策である。 まず、年金受給開始年齢を 2012 年には 67 歳まで(EU の平均的)引き上げ、2021 年には 65 歳時点ての平均寿命によって調整することが決定された。また、年金額を決める要素を、退 職直前 5 年間の平均賃金から生涯の平均賃金に変更し、1 年間ごとの年金給付額確定率の 大幅引き下げが行われた。加えて、年金の不正受給に関しては、従業員数やその賃金に関す る申告に偽りがあった場合には、1 万ユーロ(約 130 万円)の罰金がルール化され、 社会保障番号の導入に伴い、同番号を申告しない年金受給者に対する支払いを停止する等 の措置で、二重受給などの防止に努めている。従来 12,000 ユーロ(約 156 万円)までの非課 税が 2012 年には 9,000 ユーロ(約 117 万円)に引き下げられた。 次に、このような数々の策が投じられたことの今までの成果について述べる。 まず、プライマリーペンション(年金の中心となる部分)は通常で 20%、最大で 40%削減さ れ、年金支出額が減少したことである。その結果として、特に年金額の高い層(月額 1,700 ユーロ、約 22 万円以上)の受給者の減少が顕著である(図表 1)。加えて、ギリシャの財政 危機前から GDP と比べてギリシャの年金支出の規模が大きすぎることは問題視されてお り、2007 年当時の推計では年金制度を当時のまま放置した場合、年金支出総額(対 GDP)は 11.7%から 24.1%まで上昇すると予測されていたが、その後 2010-2013 年の推計では足許 の比率は上昇傾向にあるものの、2060 年に向けては 14%程度で安定するという見通しに なったという。さらに、OECD の手法による所得代替率(平均的な就業者の平均生涯賃金と それに基づく年金額の比率)が 2010 年の数値では、所得階層に関係なく 95.7%と極めて高 い値になっていたが、2012 年の数値では、所得階層が高いほど代替率が下がるという一 般的な姿に改善された。また、2010-2014 年に年金受給額は平均で 27%、最大で 50%カ ットされ、2013 年には定年退職年齢が平均で2年引き上げられた。ギリシャは年金前倒し 受給をさらに制限する意向を示しているが、未だに年金の前倒し受給も可能な点が問題視 される。
  • 14. 14 このようにトロイカの支援策の年金改革はある一定の成果をあげているが、今後の年金 改革の課題は何があるだろうか。まず 1 つ目の課題として、年金必要性の高まりと年金支出 削減のジレンマが挙げられる。ギリシャは今後、人口の減少とそれに伴う労働人口の減少、 更に高齢化に伴う 65 歳以上の老齢人口比率の上昇が進むと予想されており、これまで以 上に年金が社会保障制度の中心として重要な役割を果たすことになる。しかし経済活動の 停滞、失業率の上昇等の影響によって年金掛金は 2011 年の 176 億ユーロ(約 2 兆 2,800 億円)から 2014 年の 113 億ユーロ(約 1 兆 4,700 億円)へと著しく減少している。EU は 年金関連の支出を対 GDP で更に 1%削減することを求めているが、これまで実施されてい る財政改革案では、年金連支出は 2015 年の 233 億ユーロ(約 3 兆 300 億円)から 2018 年の 242 億ユーロ(約 3 兆 1,460 億円)への増加が予想されているため、この数字から GDP の 1%削減するということになると、新たに 18 億ユーロ(約 2,340 億円)の削減とい う計算になり、既に年金受給者の約 45%が貧困水準の 665 ユーロを下回る年金しか受け取 っていないという現状もあり、今後の適切は対応が求められている。また、2 つ目の課題と して、国民の理解を得ることが挙げられる。2016 年予算案については国内でも野党の反対 のみならず、農業従事者や船員、鉄道職員や技術者、医師等幅広い業種によるストライキや デモが頻発し、年金改革や増税に対する国内の反発は広がりを見せている。中でも、燃料の 補助金が大幅に削減され、肥料や飼料にかかる税が引き上げられたこと等が背景にある農 業従事者の憤りは深刻である。チプラス政権による緊縮財政路線に沿った改革案が支持を 得るにはまだ時間がかかりそうだ。 このように年金改革はギリシャの立て直しには必要不可欠な要素であるが、今の段階で 手を付けても受け入れられることは容易ではなく、課題もある。長期的に取り組み続けると ともに、より効率よく取り組める方法が必要である。 Ⅳ) 労働市場改革8 8平野泰朗[2015]「EU の社会保障・労働政策とユーロ危機――イタリアの事例を中心に ――」オンライン版研究報告書第6章 P8-10
  • 15. 15 ギリシャにおいて国有企業の民営化が起こらない理由の一つとしてギリシャの経済基盤 が恒常的に不安定化していたことが挙げられる。長期的な視点から見ると今回の危機は、競 争力の危機と認識されている。国際競争力の弱い国の政府が赤字国債を発行しやすく、これ が国家債務危機を招いたと考えられる。そして、この国家債務危機を解決する要の1つとな るのが、労働政策である。雇用を促進する、または労働生産性を上げる効果があると期待さ れる。労働市場の柔軟性と低い労働コストが主な政策内容なのでEU中枢部にとって労働 政策は競争政策でもある。また労働市場が流動化することによって失業による貧困が避け られ、マクロ的にみても所得の上昇に繋がる。正規社員の解雇規制緩和などのルール作りや 法整備を行い、人材のスムーズな移動を促すとともに、正規社員と非正規社員の雇用保障の 差を小さくして、中間層を増やし、社会を安定させる必要があるとされる。ギリシャにおい てもまた労働市場を流動化させるためにトロイカの主導の労働市場改革が行われた。それ は高失業の原因を時代遅れで硬直的な制度にあると断じた上で改革を実行する「構造改革」 政策である。 ギリシャの労働市場改革の内容は以下の 4 点にまとめられる。①最低賃金の切り下げ、② 解雇補償金の削減、③大統領、国家情報院、議会、医療関係者等、削減が免除されていた職 員に対するすべての特別給与の廃止、④公務員給与の削減と上限の設定である。最低賃金の 切り下げに関しては標準最低賃金が 22%引き下げられ、25 歳未満については 32%カットす る。また、現在 21%となっている失業率が 10%を下回るまで、公務員の賃金を凍結すると いう内容のものだ。それまでギリシャでは、最低賃金は法的に決められるのではなく、全国 的な労働協約によって決められていたので賃金形成に大きな変化をもたらした。2009 年ま での 10 年間は、ほとんどのEU諸国で実質賃金が上昇していたが、2010 年には逆転し、 ギリシャでは結果的に下落幅は 20%を達成した。 Ⅴ)金融部門の監督と規制の見直し9 ギリシャが財政赤字を隠していたことを受けて、トロイカは金融部門の監督と規制の見 直し・強化を要求した。EU でも資本要求指令(CRD)の段階的な改定を進めているほか、格 付け機関やヘッジファンド・デリバティブへの規制強化など、金融危機を教訓とする広範な 規制改革が進行中である。 まず、金融監督体制の見直しとして二元的監督体制が構築された。EUの新たな金融監督 体制は、個別の金融機関経営の監督(ミクロ・プルーデンス監督)で関係当局間の連携体制 を強化するのと同時に、経済全体や金融システム全体の健全性(マクロ・プルーデンス監督) を監視する機関を設置し、両者の連携による危機の再発防止を図る二元的体制である。ミク 9経済調査部門 主任研究員 伊藤 さゆり 「金融・財政危機を教訓とするEUの制度見直しの動き 金融監督体制と財政規律の見直しにつ いて」
  • 16. 16 ロ・プルーデンス監督権限は、引き続き各国が有するものの、金融監督分野での助言と域内 の金融監督機関の協力促進のために設置されてきた業態別の3つの規制監督委員会(欧州 銀行監督委員会(CEBS)、欧州証券監督委員会(CESR)、欧州保険年金監督委員会(CEIOPS)) を、それぞれ法人格のある欧州金融監督当局(ESAs)に格上げして権限を強化し、ESAs と各 国の金融当局を結ぶネットワークとして欧州金融監督システム(ESFS)を創設した。マクロ・ プルーデンス監督に関しては、アメリカでは金融監督当局のトップで構成する金融安定監 視評議会(FSOC)を設置、イギリスでは中央銀行のイングランド銀行(BOE)内への金融監督 委員会(FPC)の創設を決め、EU では欧州システミック評議会(ESRB)が創設された。こうし た考えに基づき、ESFS は、ESRB に個別金融機関の情報を提供すると同時に、ESRB は、 欧州議会や理事会・欧州委員会や加盟国・ESAs に対して経常収支の不均衡や実質実効為替 相場・資産価格などマクロ的な観点からシステミックリスクの早期警戒のシグナルである 「警告」や「勧告」を発するようになった。 次に、財政規律の見直しとして、事前審査制の導入・監督対象の拡充・制裁の強化が行わ れた。まず1つ目として、「ヨーロピアン・セメスター」という財政の事前審査制が導入さ れた。事前審査制の主な流れは、①1月に欧州委員会がEUとユーロ圏経済の課題を検討し た「年次成長サーベイ」を公表すること、②4月に加盟国が最低向こう3年間の財政運営方 針を示した「安定・収斂プログラム」と、向こう 10 年間のEUの成長戦略である「欧州 2020」 の目標達成のための構造改革などの方針を示した「国家改革計画」を提出すること、③欧州 委員会 が両計画を審査して各国ごとのガイダンスをまとめ、ECOFIN 理事会が採択し首脳 会議が承認すること、④加盟国はガイダンスを踏まえて次年度の予算案を編成することと いうものである。2つ目は監視対象とする指標の拡大である。従来の「過剰な財政赤字是正 手続き」は、財政赤字に着目するものであったが、新たな枠組みでは政府債務残高も重視す る。ギリシャ危機で、ファイナンス環境が急変した場合には、高水準の政府債務残高が深刻 な問題となることが明確になったことが背景にある。新たな枠組みでは、政府債務残高の水 準が基準値の GDP 比 60%を上回る国については、債務削減の数値目標未達成の場合には 財政赤字が基準値の同3%を下回っていても「過剰な財政赤字」とみなすなどのルール変更 が行なわれる見通しである。そして3つ目は「制裁」の強化などによる予防と是正機能の強 化である。「過剰な財政赤字是正手続き」について、ユーロを導入している違反国への「制 裁」として用意されている預託金を無利子から有利子に切り替えるほか、農業や漁業分野へ のEUの補助金も停止が提案されている。構造改革については、「リスボン戦略」期には「開 かれた政策協調手法」で、EUとしての共通の ガイドラインは設けるものの、実行は各国 の自主性に委ねるアプローチが採られてきた。このような強制力・拘束力を欠く運営体制が 「リスボン戦略」の失敗の原因になったとの反省から、「欧州 2020」の推進にあたっては構 造改革への取り組みが不十分な国には「勧告」を発し、欧州委員会が直接「早期警戒」を発 する運営に切り替える。また、これに加えて、ユーロ圏の周辺諸国が財政規律を守らないことに ついては、2011 年 12 月に、Six-Pack と呼ばれる新しい経済・財政サーベイランスのルールが発
  • 17. 17 効した。このルールにはこれまで見られなかった制裁条項が含まれているものの、市場を納得さ せることはできなかった。ドイツは、ユーロ圏各国がそれぞれの憲法に財政均衡主義を盛り込み、 その上で、欧州委員会および欧州資本裁判所がこの実施を担保するというアイディアを提示し ている。中長期的に財政規律の強化が必要となることについては、欧州各国当局者の間でほぼ意 見の一致を見ているが、市場はこの政策が短期的に実施可能かどうかについて疑念を持ってい ると考えられ未だに課題が残っている。10 1− 4 1章のまとめ まず①財政緊縮については、その政策意図は従来のギリシャの大規模な財政出導による 公共事業投資と公務員給与、そして社会保障などによる需要創出型で「大きな政府」型の経 済体制から財政支出を抑えて市場の自助作用に委ねる「小さな政府」型の体制への転換を促 すための政策であったが、増税や公務員給与の削減などにより消費が落ち込み、結果として GDP の縮小を招き、それを受けて公的債務残高も対 GDP 比では更に膨れ上がるという負 のスパイラルを招き、この政策はギリシャの債務危機状態を更に悪化させてしまったと言 える。 ②中間財政戦略の支援措置における核とも言える国営企業民営化については、上述の通り、 2011 年の第一次支援プログラムでギリシャ政府が発表した民営化計画(2015 年までに 500 億ユーロ調達)は、2014 年の第二次支援プログラムでは下方修正された(2020 年までに 223 億ユーロ調達)し、2015 年までには当初の目標の 1 割にも満たない 32 億ユーロしか調達で きなかったことから、順調に進んではいないことが明らかであり、また、国営事業は国内向 けのサービス業が中心であることから、不況のギリシャにおいてそれらの企業の株が海外 向けにも売却が進みにくいのもまたこの政策が進みにくい要因と言えるだろう。 ③構造的財政改革における年金改革については、年金受給者数が増加傾向にあるからには 高額であったその一人当たりの受給額を引き下げたり、対象年齢を EU 諸国並みに引き上 げたり、その捕捉率をあげるために規制を強化したりしたのは年金システムの維持のため に不可欠であるため評価するべきであるが、国が賃金コストの削減のために公務員の早期 退職を奨励したのは民営化が進めばその必要性も省けたはずであり、定年年齢が引き上げ られる前に退職を急ぐという「駆け込み」の横行に対する規制が欠如したりと、国側が年金 受給者の増加を助長してしまった面もあり、未然に対策がなされるべきであった。また、上 述の諸政策が実施されたにもかかわらず、年金システムの維持が未だに危ぶまれる危険因 子として、失業率の増加などによる年金掛金の減少があり、一方で年金受給者の増加により、 近い将来、年金支出が再び膨れ上がってしまうという予想がなされていることや、既に年金 受給者の半数近くが貧困水準を下回る年金しか受けとれていないことから、そのシステム の維持のためには、これ以上の年金支出の削減よりも年金掛金の回復とそのための雇用の 10絹川直良 経営論集 第 21 巻第 1 号 2011 年 49~58 頁 「欧州ソブリン危機への対応」 P49~58
  • 18. 18 回復が不可欠であろう。 ④労働市場改革には、失業率の改善という役割も求められるべきであるが、現状におい ては、国営企業を民営化に伴う企業構造の変化に耐えうるようにするための地盤固めの一 環として、雇用形態と解雇法制の柔軟化、そして賃金決定方式の透明化など、企業側の雇 用や賃金決定の自由度を高め、各々の企業が労働者に選ばれるように努力するという労働 者獲得の面での競争原理の導入という意図の政策が中心にすすめられているが、それが新 たな雇用の創出に結びついているとは言えない状況である。そのため、新たに労働市場に 労働力需要が見いだされなければ失業率は改善に向かわないため、雇用機会を生み出すよ うな政策がもたらされるべきである。 ⑤金融部門の監督と規制の見直しに関しては、EFSF や ESRB のような機関がなぜこれま で存在しなかったのかと思うくらい EU の金融監督面では重要な役割を果たしうるもので あるし、ギリシャ危機以前に存在していれば危機を未然に防ぐことも出来たのではないか と思われる。そのため、ギリシャ危機を教訓として取り入れられた制度機関としては評価 すべきであるが、一方で、ユーロ圏における財政同盟の形成は今後の欧州の財政・金融政 策の一層の安定に寄与しうるが、その導入には各国やその市場が未だ慎重な目を向けてい て、早期の達成は難しそうである。 国営企業の民営化の低調さがまずギリシャの経済が回復しない一因であるし、また年金 システムの維持のために年金掛金も改善させるためにも落ち込んでいるギリシャの景気を 拡大させること、更にそのために国民の収入の改善と消費の活性化をもたらすための雇用 の改善が必要であるため、労働市場改革によって雇用が流動化されるべきであると仮定 し、以下の章ではギリシャにおける現状の国営企業の民営化と労働市場改革の課題につい て検討しようと思う。
  • 19. 19 第 2 章 国有企業民営化と労働市場改革 2-1 国有企業民営化が進まない原因 EU と IMF は主張する停滞の原因は、HRADF(ギリシャ資産開発基金)の独立性 の弱さで、HRADF の経営の独立性を高まれば、政治的影響力が弱まり民営化が進みやすく なると主張している。 一方、土田陽介氏の先行研究(2015/09)1 では経済的・政治的・制度的・社会的な4つの 大きな要因を挙げている。(1)経済的要因は、経済自体の不安定性である。上記した通 り、長年に渡って債務危機に陥っているギリシャ経済では、民営化を実行しようとして も、投資家の意欲は高まりがたく、民営化は停滞する。もう一つの経済的要因は収益率の 悪化である。民営化の対象になっている産業の多くが国内向けのサービスを提供する産業 であるギリシャでは、財政の悪化や失業率の上昇によって国民の消費は減っているため、 自ずと企業の収益率も低下する。企業を売却する外国投資家の収益も減ってしまう。(2) 政治的要因はギリシャが政治危機に陥ったことで、政府の民営化政策に一貫性が担保され なかったことである。同じくトロイカから支援を受けた他の国々の政権交代は1回なのに 比べて、ギリシャでは社会主義色の強い PASOK と自由主義色の強い ND の二大政党の連立 体制の中で、4回も政権交代が行われており、政権が変わる度に、民営化戦略の一時凍結 などが行われ、民営化が停滞した。(3)制度的要因は HRADF の独立性の弱さである。政治 的影響が排除されたはずの HRADF の運営が政治的要求に左右されがちであったのだ。 (4) 社会的要因は、巨大な企業複合体を率いる政商による「国家捕獲」(=個人や団体、企業 などが国家の政策方針を自らの利益に適うように誘導する行為)の常態化である。ギリシ ャでは、昔から政商の世襲は行われており、国家捕獲も伝統的なものであった。そのた め、政商の政府の政策決定への影響力は強い。 以上の先行研究からわかったことは、ギリシャは極度な政治的・経済的混乱の下で民営化 の推進を求められたが、民営化を行う土台がきちんとできないのに民営化を無理矢理行っ ているということだ。民営化の方法は間違っていなかったとしても土台ができていなけれ ば、多くの問題が発生し、民営化は停滞してしまうのではないだろうか。では、民営化を行 うための土台には何が必要なのであろうか。ギリシャにおいて国営企業の民営化を進める には(1)~(4)の要因の解決がまず必要なのではないか。 2−2 ドイツとスペインの労働市場改革の成功事例 労働市場改革とは労働市場の流動化のことを指す。企業レベルでも産業レベルでも、運悪く 自分が働いている会社や産業が業績不振に陥る。そうした際に、個々の労働者が他の会社や 1土田陽介 「ギリシャにおける国有企業民営化の現段階」 証券経済研究 第91号 P108〜115
  • 20. 20 産業へとスムーズに転職することが出来れば、失業による貧困が避けられ、マクロ的にみて も所得の上昇に繋がる。以下、労働市場改革が成功した事例としてドイツとスペインを取り 上げる。 成功事例 1 ドイツ ドイツの労働市場改革では以下 2 つの成果を得られた。①長期失業率の大幅な低下、② 若年層の就業率の上昇(就業率の世代間格差の是正)である。 ドイツの労働市場改革の成功要因は以下 3 つに要約される。第一に雇用斡旋機能や就労 支援の強化が、長期失業率の低下をもたらしたことだ。正当な理由なしに紹介された仕事を 拒否した場合には、失業給付が減額されるなど、政府による雇用斡旋と失業給付との連動が 図られた。二点目として人的資本の再構築が挙げられる。その内容は職業訓練システムの充 実化、実務経験、企業でのインターンシップなどである。三点目としては社会保障制度(失
  • 21. 21 業手当や生活保護など)や年金・税制改革などと同時に行ったことだ。労働者は労働市場だ けをみて就労行動を決めている訳ではないからだ。 成功事例2 スペイン 2009 年から始まったユーロ危機の影響で、スペインでもバブル危機が生じ、2012 年には 失業率が約 25%(25 歳未満の若年層に限ってみれば 50%超)という深刻な経済危機にみまわ れた。労働市場を回復させるため、スペイン政府は構造改革の 3 本柱の 1 つとして「労働市 場改革法」は緊急立法された。政府がこの改革の最優先事項として挙げたのは「いかに解雇 せずに企業を維持・存続させるか」という点だ。不況に入ってから、企業が経営環境の変化 に対応するために事業再編・集約を行う上で、地域や業種別に細かく職務内容や労働条件が 決められた集団労働協約が足かせとなり、解雇や企業倒産増加の一因になってきた。この労 働市場の硬直性が、既得権益で手厚く保護された正規労働者と、同一労働でも賃金や福利厚 生の水準が低い非正規労働者の間の格差を生み、労働市場が二重構造化した。非正規労働者 はリーマン・ショック以降、大規模な解雇や雇い止めの影響を直接受けており、過去 4 年間 で働き口が減ったのは、正規が 53 万人減(4.6%減)だったのに比べ、非正規は 151 万人減 (29.0%減)だった。景気回復の見通しが不透明な中、経営者は解雇時のコストを考え、正 規労働者の雇用をためらい、新規雇用の 9 割以上は非正規となっている。また、スペインの 高失業率の要因として以下の3つが挙げられる。一つ目に、季節や景気の変動の影響を受け やすい観光や建設に依存した産業構造であること。二つ目に、400 万人が従事しているとも 言われる地下経済(税金や社会保険料を払わない)が存在すること。三つ目に働き口が過去 4年間で 13%減少した一方で、失業した世帯主に代わり仕事を探そうとする家族が雇用事 務所に失業者として登録したことである。これらの問題点を考慮し、改善できる改革が求め られた。 ①実行された労働市場改革 2012年に施行された労働市場改革法では賃金や労働条件の変更が大幅に柔軟化され、 特に正規・非正規間の格差是正に重点が置かれた。例えば、地域・業種を限らない共通規定 を作成された。職業カテゴリーを廃止すること、年間勤務時間の5%を原則自由配分するこ と、個人・集団の転勤・勤務地変更手続きを迅速化することなどで労働協約の内容の簡略化 が行われた。次に、集団解雇(または一時帰休)手続きの際に、自治州の事前承認が不要とな り、労使間合意がなくても、解雇することができるようになった。また、正規雇用契約の不 当解雇補償金を、従来の「45 日分給与×勤続年数」から「33 日分給与×勤続年数」にし、 上限額も 42 ヵ月から 24 ヵ月分に引き下げたことで、EU 諸国の水準と並んだ。他には、正 規雇用契約の客観的解雇の要件が具体化された。2 2JETRO [2012] 労働市場改革法がゼネストの引き金に-新政権の「聖域なき改革」-
  • 22. 22 ②改革の結果 2013 年には 26%近くまでなった失業率は、2015 年から下がっていき、2016 年の6月には 20%まで下がった。 (出処: Trading Economics http://www.tradingeconomics.com/spain/unemployment- rate) ドイツやスペインの労働市場改革との比較 ドイツにおける失業給付の引き下げや給付期間の短縮は、失業者の労働意欲の向上のた めに有効な手段であり、ギリシャにも適応できるかもしれない。一方で、職業訓練の充実な どは、財政面で余裕のあるドイツとは違い、財政緊縮を強いられているギリシャにおいては その運営は難しいのではないかと思われる。また、スペインにおいては、正規・非正規雇用 者間の格差の是正が中心であり、公務員の賃金削減などが中心であったギリシャとは労働 市場に存在した問題の種類が違っていたといえる。
  • 23. 23 第3章 考察・結論 本論文ではギリシャ危機の長期化について労働市場改革と国有企業民営化の関係性から 論じている。以下①労働市場改革の考察と②市場経済発展促進アプローチという視点から の考察を記す。 ① 労働市場改革 結果的に、労働市場改革により 2008 年に 7.3%であった完全失業率は、2014 年には 26.6% と上昇した。世代別で見ると、最も高い水準にあるのが、15~24 歳の労働人口の 44%であ る。早期退職者は民間セクターでは 14%増加したのに対して、公務員の間では 48%の増加 があった。明らかに、財政緊縮策を実践するための公務員減らしの政策の影響がみられるが、 早期退職者が増えたことで、社会保障や年金制度にさらなる負担が掛かることになった。勤 続年数が 25 年以上の公務員は、給料の減給や年金受給額のカットを避けるため、財政緊縮 策を実施して間もなく早期退職を希望したためだ。 また、トロイカの労働市場改革は労働者間の所得格差拡大に繋がってしまった。これはギ リシャの国際競争力の弱さにあると考える。現状、ギリシャは通貨切り下げではなく、デフ レによってギリシャの製品・サービス、そして労働賃金が名目・実質共に、下落していくこ とを通じて、国際競争力を取り戻そうとしている。しかし、賃金給与額が低下し続ける社会 (デフレ下)で、景気回復や失業率の改善は不可能で、ギリシャは国際競争力の回復、つま り債務返済のために、失業率を増大させなければならないという、矛盾した状況に陥ってい る。このため、やはり雇用の回復のためには、ギリシャのマクロ経済の回復は不可欠であり、 債務返済の実現性を高めるためにも景気の回復は不可欠であるかもしれないが、ドイツに おける失業給付の引き下げや給付期間の短縮のような政策は社会保障に甘えがちなギリシ ャ国民に対して労働インセンティブを刺激しうるため、有用性があるかもしれない。 ② 市場経済発展促進的アプローチ 1.市場経済発展促進的アプローチ ギリシャ危機が長引く要因をトロイカの改革の妥当性にあると仮定すれば、トロイカの 改革は一体どのように行われるべきであっただろうか。この問題を考える上で、石川氏の 「市場経済発展促進アプローチ」1 を参考にしようと思う。1980 年代に入り、世界銀行の開 発援助政策において、1929 年の世界恐慌以来の大きな政府的アプローチから小さな政府的 1石川 滋 「市場経済発展促進的アプローチ−理論的位置づけと応用−」1997 年 JICA p.8~10。
  • 24. 24 アプローチへの転換の潮流があり、その論拠としては、政府の市場への介入は市場の効率性 を阻害する、というものであったが、1990 年代に入り市場における「政府の役割」が再評 価されていく。その背景としては、東アジアの高度成長(アジア NIEs、中国など)は各国政 府が開発政策において主導的な役割を果たしたのにも関わらず、高度成長を成し遂げた事 実があった。ここから導き出されたのは、東アジアの政府の市場への介入は市場の効率性を 阻害せず、むしろ市場の発展の促進を手助けした、というものであり、途上国においては市 場経済の枠組みが未発達・低開発で、形成途上にあり、したがって政策の中に市場経済の育 成を意識的に取り入れるべき、というのが、1990 年代に現れてきたき新しい開発政策アプ ローチであり、そこに対象国の政策分野ごとの発展段階モデルを作成し、そのモデルにおい ての原段階を特定し、その発展段階に適した政策を検討しようというのが「市場経済発展促 進アップローチ」である。そのアプローチにおいて中国の国有企業発展段階をレベル分けし た場合、次のようになり、それぞれの段階によって適する政策処方箋はかわってくるという。 国有企業発展の5段階:中国のモデル2 ①家産制国有企業(官僚資本的国有企業) ②兵器工廠的国有企業(計画経済的国有企業) ③経営自主権の強化された企業 ④国有企業の法人(株式会社)化 ⑤国有企業の民営化 2石川 滋 前掲書 10 ページ。
  • 25. 25 出典:石川 滋 前掲書 p.12。 2.市場経済発展促進的アプローチのギリシャへの応用 もちろん、この中国の国有企業の発展段階モデルをギリシャに適応することが適切かど うかは定かではないが、このアプローチを鑑みれば、上述の中国のモデルを見る限り、政商 との癒着が強く、「国家捕獲」によりレントシーキングが常態化3 し、経営が彼らの利益に方 向付けられやすいという③の段階の課題を表 1 の「残りかす」として残してしまったままギ リシャの国有企業はトロイカの改革によって④や⑤に向けたアプローチが急進的にすすめ られてしまったのではないか。トロイカの改革のような典型的な「文化伝播4 」を経験した 経済は、それによって生じた国内経済体制とのギャップを埋めることが必要であり、そのこ とがギリシャの国有企業の民営化の足かせになっていると言えるのではないか。また、トロ イカや IMF のすすめるような欧米先進国的アプローチである小さな政府的経済開発が他の 国にも適切とは関わらず、地域ないしは国の現状の構造や分野ごとの発展段階によって適 切な経済発展アプローチは違ってくるのではないかということを示す上でも有用なアプロ ーチになるかもしれない。 3土田陽介 著 「ギリシャにおける国有企業民営化の現段階」 2015 年 三菱 UFJ リサーチ&コンサルティング(株) p.12。 4 石川 滋 前掲書 p.10。
  • 26. 26 ギリシャは 70〜80 年代に社会主義計画経済的な経済体制を経験しており、適切な市場経 済への転換モデルは中国やベトナムのような社会主義を維持しながら市場経済への移行を 成し遂げた国々の方がむしろ参考になるかもしれない。また、その両者においても、中国は IMF の構造調整貸付の資金支援は受けず、IMF のコンディショナリティの義務を受けなかっ たが、一方でベトナムはその資金支援を受ける引き換えに IMF のコンディショナリティに より、早急な市場経済システムの適応を急がされた面で違いがあり、どちらがよりギリシャ に対して適当な材料になるかも検討の余地があり、その結果によってトロイカの改革の妥 当性を計ることもできそうである。もちろん、ギリシャは現在市場経済体制ではあるが、社 会主義市場経済的な体制を経験し、その市場経済への移行の際の「残りかす」と言える市場 効率性の阻害要因(政商によるレントシーキングの横行や国有企業の労組の影響力など)が 多く存在しているため、いわば市場経済への適応が不十分であったといえるし、それ故にト ロイカのすすめる改革、とりわけ国有企業の民営化がスムーズに進んでいないのである。も ちろん、ギリシャ国内を取り巻く政権の不安定性やマクロ経済の不安定性なども無視する ことはできないが、少なくともギリシャの国有企業の民営化を軌道に乗らせるためにはま ず政商によるレントシーキングなどの前段階の「残りかす」を処理するための政策も必要に なってくるであろう。 本論文では、ギリシャ危機の長期化の要因をトロイカの支援策から探し、述べている。第 1章で、ギリシャ危機が発生した流れとそれに対応したトロイカの支援策は他の4つの国 (キプロス・アイルランド・スペイン・ポルトガル)と同じ流動性危機に対するもので、支払 い能力危機に陥っていたギリシャには適さなかったのではないかという指摘と、支援策を さらに5つの項目に分け、それぞれの内容を述べた。第 2 章ではそれらの問題点から、ギリ シャにはまず国の土台をしっかり改善しなければ、改革がうまくいかない、特に民営化や労 働市場改革を優先的に行うべきではないかという疑問から、両者の問題点を整理し、第3章 でまた労働市場改革や民営化を進めるためにすべきことについて述べ、仮説の検証を行っ た。政治、経済、国内の多くの問題が絡み合う複雑な事態となっているギリシャ危機だが、 トロイカの支援が段階を追って行われるべきであったと仮定し、それにおいて優先して行 われるべきなのは国営企業の民営化や労働市場改革であり、それをより円滑に進めるため には急進的に改革を行うよりもむしろ順序立てて段階的に進めていくべきであることを論 じた。
  • 27. 27 参考文献 ・新居 まき、井出 和貴子 経済調査部 エコノミスト 「主要統計からみるギリシャ経済 2009 年の危機発生以降、低迷が顕著に」[2015/07] http://www.dir.co.jp/research/report/overseas/europe/20150716_009931.pdf 最終アクセス[2016/11/01] ・石川 滋 「市場経済発展促進的アプローチ−理論的位置づけと応用−JICA」[1997] ・伊藤 さゆり 経済調査部門 主任研究員 「金融・財政危機を教訓とするEUの制度見直しの動き 金融監督体制と財政規律の見直 しについて」[2010] ・尾田温俊 「ギリシャ危機とユーロ」[2010] ・川辺 賢一[2015]「ギリシャ危機は終わらない。――根本解決に必要なこと」HRP News Files http://hrp-newsfile.jp/2015/2331/ 最終アクセス[2016/11/01] ・絹川直良 経営論集 第 21 巻第 1 号 49~58 頁「欧州ソブリン危機への対応」[2011] ・JETRO [2012] 労働市場改革法がゼネストの引き金に-新政権の「聖域なき改革」- https://www.jetro.go.jp/biznews/2012/05/4f9a2aac785c8.html 最終アクセス[2016/10/29] ・竹端 克利 株式会社 野村総合研究所 公共経営コンサルティング部 副主任コンサルタ ント「[第 5 回] 「小さな政府」の向こうにあるもの —前編:ギリシャで進む構造改革」 ・田中 理 [2014]「動き出すギリシャ政局 〜公務員給与削減に待った〜」 第一生命経済研究所 経済調査部 ・田中素香[2016]『ユーロ危機とギリシャ反乱』岩波新書 ・田中素香 [2016]「ギリシャ危機とユーロ圏−危機対応はなぜ対立したのか−」 阪南論集. 社会科学編 ・土田陽介 「ギリシャにおける国有企業民営化の現段階」 証券経済研究 第91号 [2015/09] ・土田陽介 [2015]「なぜギリシャ危機は終息しないのか〜求められる「ソルベンジー問題」 への支援〜」 三菱 UFJ リサーチ&コンサルティング調査部 ・遠山弘徳[2011]「流動的なヨーロッパ労働市場の出現と労働市場制度改革」 静岡大学経済研究. 15(4), p. 213-223 http://doi.org/10.14945/00005741 ・内閣府 [2012]「世界経済の潮流 2012Ⅱ 第2章ヨーロッパ経済」 http://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sa12-02/s2_12_1_2.html 最終アクセス 2016/09/23 ・濱口桂一郎[2014]「欧州諸国の解雇法則-デンマーク、イタリア、スペインに関する調
  • 28. 28 査-」独立行政法人労働政策研究・研究機構,資料シリーズ No.142 ・平石隆司[2010]「欧州ソブリン債務危機とユーロ圏の行方」欧州三井物産戦略情報課」 ・平野泰朗[2012]「EU の社会保障・労働政策とユーロ危機――イタリアの事例を中心に ――」オンライン版研究報告書第6章 ・平野泰朗[2015]「EU の社会保障・労働政策とユーロ危機――イタリアの事例を中心に― ―」オンライン版研究報告書第6章 http://www.setsunan.ac.jp/~k-yagi/6hiranosocialpolicy.pdf ・村松恭平 [2015] 「ギリシャ危機をめぐる言説の考察 ―『ル・モンド・ディプロマティーク』を分析対 象として」 ・山中 崇 [2013/07/05] 公益財団法人 国際通貨研究所 「2013 年中の支援プログラム卒業が見込まれるアイルランド 」