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20110820 保立道久
            講演


はじめにー歴史学にとっての「未来」
Ⅰ世界史の時代範疇と社会構成
Ⅱ東北ユーラシアの中の日本列島史
Ⅲ歴史教育と歴史知識学・歴史環境学
おわりに
未来を語らない日本社会。未来を語らなくなった歴史学。
     1967年の石母田正氏の講演「国家史のための前提について」が最後
     「戦後的価値」を維持するための努力。しかし、防衛的姿勢のみでは、どこへ?
     現实の社会の中の新しいものにどうついていけるか。
歴史学ー過去の管理に責任をもつ学問。熟考・熟議の社会意識を支える役割。
     討論と熟議をへて過去をふり返り、未来を展望するという社会原則の希薄化?
     歴史学の社会的にマイナーな地位はさらに狭くなっていく。
二〇世紀歴史学の蓄積は膨大。
     個人が全体を展望し、現在と未来について考えることが、ほとんど不可能な量
     読んでまとめるだけでも相当のエネルギー
歴史家の仕事ーー史料にもとづいて過去の歴史像の歪みをできるだけ尐なくすること
     歴史学は本質的に保守的な仕事
     歴史家が直接に「未来」を語ることには限度。
     政治家ではない。市民としての立場を直接に歴史学に持ち込むことも許されない。
人文科学・社会科学としての歴史学、極限まで論理的である必要
     現代社会に対する論理的な理解を方法的につきつめ延長する形で、過去を理解する
     社会観・世界観の一部としての歴史学。
     過去の歴史は過ぎ去った実観的な世界==過去と現在の繋がり
     現代を理解する科学の過去への応用。人文社会科学・自然科学をふくめた学問全体の
      仕事。
     現代も過去も未来への目がなければ認識できない。
特定の過去の社会全体の論理的なイメージ<未来へむけての評価>(という
 意味での「物語」をつくること)が重要。
目次
Ⅰ世界史の時代範疇と社会構成
Ⅱ東北ユーラシアと日本列島史
1異文明(Barbarei)縄文=新石器時代
 ① 「野性」(Wildheit、旧石器)からの移行(13000年前)
 ②縄文時代の開始
2列島の文明化と弥生時代。前8C~後2C
 ①弥生農耕の開始
 ②弥生社会の地域・民族性と首長国
3部族連合国家(前方後円墳国家)の成立と展開
 ①邪馬台国の成立ー政治センター移動
 ②崇神(ハツクニシラス)の实在性と前方後円墳神話
 ③高句麗戦「戦後」と倭の五王(5世紀)
4中世貢納制王国の形成ーー東アジア中世へのcatchup
 ①貢納制王国の原型ーー継体・蘇我王統と国家機構の芽生え(6・7世
  紀)
 ②律令型国家と王権ーー本格的な文明国家へ
 ③平安過渡期国家
5近世荘園制国家への移行(院政期国家)
 ①院政期王権と内乱。步家貴族
 ②院政期国家と荘園制ー地頭・古老・地主
 ③世界史上の「近世前期」と東北アジア
6荘園制をどう教えるかーー社会構成としての荘園制
Ⅰ世界史の時代範疇と社会構成            下記は試論
            ①異文明(Barbarei)
宮崎市定『東洋的近    イデオロギーーーエロス
世』
             産業形態ーーーー商業(低級な農耕と動物利用・牧
              畜は「野性」からの移行期に獲得ずみ)
            ④古代BC4000~3000
             起点ーーー地中海・インド洋間世界?
             イデオロギーーー神話
             産業形態ーーーー都市、鉱業・馬牛・奴隷
            ⑤中世、紀元前300?
             起点ーー民族大移動(ユーラシア北辺、漢・ロー
              マの崩壊)
             イデオロギーー世界宗教(経典・巻物による瞑想)
             産業形態ーー農業と大地(灌漑、山野の非農耕開
              発)
            ⑥近世10世紀から
             起点、東アジア(キタイ帝国と宋帝国)ーモンゴル
             イデオロギー知識(本)・技術のグローバル化、商
              品化
             産業形態ーーーー手工業
            ⑦近代 16世紀
             起点ーーヨーロッパ
             イデオロギーーー欲求、人類の年代記の最悪の一節
             産業形態ーーーー機械・資本(全産業の包摂)
(イ)宮崎シェーマ 起点地域と波及期間の設定。文明の胎内時計。「古
 代・中世・近世」用語は便宜的なもの。
(ロ)世界史の時代範疇の枠組み
(異文明)商業発見→(古代)都市・道具(生産施設としての都市)→(中
  世)大地開発→(近世)技術開発→(近代)機械工場
使用価値→媒体・ミッテル→使用価値の基盤→道具と頭脳の内部の発見。
 順々に重層する。世界史の蓄積と展開は文明間、社会間で行われる。
(ハ)東アジア型ー中国大陸の巨大な「量」と統一性の影響。ヨーロッパ
   との相違
・広域平野。しかも狩猟・牧畜・農耕など自然的差異が大。逆に統一へ。
・春秋・戦国都市国家からの出発。都市間経済・軍事関係の強い規定性。
・ユーラシアの東端に位置。文明間交流に不利。北方遊牧民防衛の重圧。
・社会構成上の特徴。頭でっかち。基礎は地主制(形態と規模は多様。
   領主権は国家)。
(ニ)「個別社会の社会構成論」との区別
「中世」は、大地の上での領有・所有・占有の関係の入り組みが社会の基
 礎的なベースとなる。 「大地開発=封建制」という図式はヨーロッパ
 にのみ通用。東アジアには別の構成がある。日本列島社会は、異文明段
 階から、チーフダム的な過渡期はあるものの、古代を半ば飛び越えて、
 中世段階へ。体制としての文明と階級の発生が6世紀とすると、すぐに
(ホ)私的所有と集団的所有
社会構成を決定する所有構造。階級的私的所有のみではないことが重要。
①構造的所有(外枠)、私的所有のみでなく集団的所有
    私的所有のみで社会構成を決定してはならない。階級的な集団所有。
②境界的所有(内側・緑色)=領有・国土高権
                            国土高権とは国土
   環境・エネルギーの領有・ 社会的分業の場     全体に対する最高
                                      の領有権限。網野
                                      善彦の言い方では
             従属的(
                階級的)       自立的(
                              勤労的)    「大地と海原の領
                                      有」ということに
      集団所有    ①集団支配          ②共同性     なります。この点
             境界的所有    (庭」
                       「 的所有、 無所有」
                             「    )   を中心に網野の学
      環境・エネルギ 1)
             ( 自然的テリ リ
                    ト ー所有(山野河海)       説をどう考えるか
             ( 社会的テリ リ
              2)    ト ー所有(市庭・
                            縄張り )
                                      は、参照、保立
      私的所有    ③私的支配         ④自由な個性    「網野善彦氏の無
                                      縁論と社会構成史
                                      研究」『年報中世
                                      史研究』32号)。
(へ)日本の社会構成=社会構成は東アジア型。
弥生、氏族制(母権制)社会、古墳、部族連合社会、6
~8東アジア型貢納制、8・9~11荘園制的社会構成
への過渡。院政・鎌倉期、東アジア近世型、荘園=領主
的社会構成、审町期、荘園=地主的社会構成。戦国、領
国=地主的社会構成、江戸期東アジア型国家=地主的社
会構成
Ⅱ東北ユーラシアと日本列島史
1異文明(Barbarei)縄文=新石器時代
① 「野性」(Wildheit、旧石器)からの移行(13000年前)
    野性(原始的群団=自然的・性的分業)。そこからの個人性の発展
(イ)地質年代、更新世から完新世への移行期、間氷期気候の到来
      大型獣の絶滅、定住テリトリー生活、採集・狩猟・漁撈の組み合わ
      せ。この移行段階で低級な農業・動物利用は男女間分業の形態として
      獲得ずみ。
(ロ)一時的な寒冷期ヤンガー・ドリアス期(12800年から11500年頃)
      堅果等の生育障害→→野性ムギ・イネに注目→栽培化ドライヴ
         イスラエル、レパント南部のムギ(13000年前)
         長江流域、江西省仙人洞、湖南省玉蟾岩(10000、13000年前)
      世界同時に農耕化(四大河文明論の破産)
(ハ)温暖湿潤期、ヒプシサーマル期(BC6000年~BC3000年)
      農耕の北への拡大。
      温暖期の終了による冷涼乾燥化→遊牧地帯の形成。
      農耕・狩猟・漁撈の分業ー牧畜の地帯分離ー商業の成立
(ニ)地理的分業の境界地帯に「古代」文明が発達する。
     この時期に最初の国家形成の方向が生まれる。BC4000~3000。
     「帝国」的支配の中で首長層が上位統括体に融解し、原始商業と「富
      のための富」という欲求が成立した場合。貢納制帝国。後背地域にお
      ける原始的な首長制の存在を条件とし、精神労働と暴力の自立前提と
      し、租税・領域支配・公的暴力などをともなう固有の意味での国家性
②縄文時代の開始
(イ)ユーラシアの地帯構造の形成
    狩猟採集民ー牧畜ー農耕という地理的な地帯区分の登場
    東西交流をユーラシア北部の遊牧民が担う。
(ロ)北方ユーラシア文化の中国周縁部回り込み
     シャーマニズム、ヴィーナス裸像、竪穴住居ー北方系文
     化
     縄文後期後葉、勾玉・管玉の移入が想定される。
     ユーラシア北部→樺太・朝鮮→日本
(ハ)豊かな狩猟・漁撈・採集文化
    東アジアの特徴、最終氷期終了と同時に土器が出現。
        10000年以上前の土器を各地で確認、「縄文=世界最古」は錯
         誤
    「縄文農耕」は「畑作」補助的なもの(ヒエ以外の栽培穀
     物は列島には不在)。
     九州、栽培植物移入。縄文後期中葉、打製石包丁(アワ
     キビ穂摘具)
③東北アジアの農業化の諸段階
年代        山東    遼東半島    韓半島北部    同南部      北部九州
                                 新石器早期    縄文早期   縄文期の北九州と朝
BC4500 ̄   大汶口           智塔里      新石器前期    縄文前期
                                                 鮮
                小珠山中層
                                                  両岸地域の交流、
BC3500 ̄         呉家村     南京1期     新石器中期    縄文中期
                                                 BC5000縄文早期末か
                                                 ら、
BC2500 ̄   龍山    小珠山上層   南京2期     新石器後期
BC2000          双砣子1期            新石器晩期    縄文後期
                                                  土器の移動(漁撈
          岳石    双砣子2期
BC1500 ̄   殷     双砣子3期   コマ形土器    突帯文土器
                                                 を媒介)ー佐賀伊万
                                 横斜線文土器
                                                 里の黒曜石→対馬→
BC1000 ̄   西周                     孔列文土器    縄文晩期
                                                 朝鮮
          春秋                     松菊里      弥生早期
東北アジア農耕化の諸段階            宮本一夫『農耕の起源を探る』吉川弘文館
黄色        農耕化第一期、華北からアワ・キビ農耕が広がる
薄紫        農耕化第二期、イネの拡大、まだ補助的食料
青         農耕化第三期、灌漑農耕、大陸磨製石器、朝鮮半島の無文土器
BC8世紀     農耕化第四期、朝鮮半島における集約的農耕化と人口圧



     BC1500(朝鮮、灌漑農耕開始期)、両岸の地域交流が途
     絶
      朝鮮側には九州との交流・協業のメリット喪失(黒曜石
2列島の文明化と弥生時代。前8C~後2C
①弥生農耕の開始
(イ)「縄文時代晩期」の水田遺跡の発見
    福岡板付、佐賀唐津など。
    歴博。弥生開始を約BC500から500年古く(2003年)
(ロ)寒冷化(寒冷期BC1000年前後以降)による東北アジア農耕化
   の第四段階
    朝鮮における水田稲作小経営の展開(ジャポニカ)
    人口圧。寒冷化の中で、耕作適地をもとめて移住、BC8世紀。
(ハ)朝鮮半島南部よりの移住。新文明のセット
    水田・支石墓・大陸系磨製石器・土器組成(甕・壺・鉢)
    遼東半島→朝鮮「無文土器」→日本「弥生式土器」
(ニ)部族の基礎単位は小部族または氏族
    社会的結合の紐帯、部族の内部編成は性的紐帯が基本。
    部族はそれ自体が小部族の連合であり、小部族自身はしばしば
     氏族(「母方の血縁による集団」)に一致する。
    基本的には氏族社会=母権制社会
    弥生後期にも女性族長も多いとはいえ、母権制の敗北が始まる。
     戦争の時代に男権制が伸張する。
(イ)縄文文化=全国性←→弥生文化=大きな地域性、多文化列島
   「北の文化」(北海道)「南の文化」(鹿児島・沖縄)の独自化
        水田稲作ー東北北部、前4世紀から前1世紀で中断
        関東前2世紀から開始。
(ロ)朝鮮半島からのコロニーの持続(繰り返す移住)
   朝鮮半島からの移住者集落(基本は東北アジア系、無文土器、青銅剣)
         一支国域の辻遺跡。港湾周辺に移住集団。一支国の「外交」に参画
         弥生中期後半から後期伊都国邑、三雲遺跡から楽浪土器集中出土
        「弥生人集団」の朝鮮半島南部居住(甕棺、弥生式土器の出土)
               步末純一「考古学から見た渡来人」(『倭人のクニから日本へ』)
(ハ)弥生文化への長江流域の影響
  九州西北から有明海、九州中南部は長江流域の影響が強い。
          (米と人骨の分析)
    ギリシャのトルコ半島コロニーに類似。リネージ観念の維持
      朝鮮からの「渡来人村」に何世代にもわたって渡来してくる(土居が浜遺跡)。親族意識をたもった
    まま。
    文化の移住性。「吹きだまり」。氏族的多元性=多文化列島
(ニ)弥生後期「百余国」(部族または部族連合)の戦争と
   戦争の展開。北九州から全国化。弥生前期後半から中期。部族国。この中
   に朝鮮との同族意識を維持したままの部族国もあったか(後にヤマトへ)。
  各地域における上位部族による下位部族・氏族支配。
  各「地域国家」(門脇禎二)の「王(族長・クニヌシ)」の形成(階級性
   は半熟)
3部族連合国家(前方後円墳国家)の成立と展開

(イ)「倭国乱」から「九州・畿内連合」へ。
        BC108年漢步帝による楽浪郡の設置
        「奴国金印」、AD57年(『後漢書』)。直後から「倭国乱」状況。
       AD0~2世紀の瀬戸内・近畿の高地性集落(大型石製步具)が対応
       1世紀末~2世紀「政治センター移動、九州から近畿」(吉村步彦『ヤ
    マト王権』)
(ロ)卑弥呼「共立」(3世紀初頭)。ヤマトの地理的位置
   「United Cheefdom」=首長・族長(「国王・国主」)連合の形
   成
   調停と対外関係のための談合。纏向遺跡は共立の王都
       184年、黄巾の乱(後漢实質崩壊)。220年、魏、帝位を奪う。
       遼東大守公孫氏の一族による楽浪郡の分割(帯方郡設置、AD204)
       卑弥呼、景初三年(239年)に「親魏倭王」(『魏志倭人伝』)
  神話(前方後円墳神話)の共有の形式での連合(中央権力未発達)
(ハ)箸墓古墳ーー「壺形墳(柄鏡墳)」・被葬者卑弥呼説
   卑弥呼の死は247年直後。女性の墓。壺甕は女性の象徴。円墳部
   は女性の胎を表現(三品彰英)。『日本書紀』の伝承。崇神のオバ。
   大物主との神婚伝説。
 倭「ト・ト・ヒ・モモソ」姫(「日」姫)。義江明子『つくられた
   卑弥呼』
(イ)「ヤマト(奈良)」の始祖「国主」崇神、相対的に優勢な部族国家にすぎな
   い。
   稲荷山鉄剣(「辛亥年」471年)ー王統譜の实在。
        雄略(崇神の8代後)に仕えるオワケ(大彦崇神のオジの7代後)。
       『古事記』崇神の没年(「戊寅年」258年)。ただし崇神陵4世紀前半説
       崇神の实在→→天孫降臨神話も王統譜に付属していた可能性。
        前方後円墳=「壺山+火山(イザナミによる火神出産)」説
全国の古墳をヤマト王権の伸張と等置し、歴史過程を「ヤマト朝廷」の発展過
   程とのみえがくのは、皇国史観の残滓・陵墓イデオロギー(門脇禎二「古
   代社会論」岩波講座『『日本歴史』』1975)
(ロ)「高千穂のクシフル峯」「添山(ソホリヤマ)峯」(『日本書紀』)
   伽耶国始祖の「亀旨(キシ)峯」降臨神話
        「キシ」と「クシ」は音通、「フル」は韓語で村の意。ソホリは韓語の「都」、ソ
        ウル
   三品彰英の日本神話と朝鮮神話の比較研究
   韓国と九州の共通神話ーヤマト王族の任那・加羅族意識の表現
  四世紀「騎馬民族侵入」神話ではなく、弥生以来のリネージ共有意識の神
   話化
(ハ)加耶同族神話ー部族連合における民族複合のイデオロギー
   「天皇族」継続・権威の一条件
        加羅での列島関係出土物、3Cまでは北九州、4C以降、畿内ヤマト産
        三世紀後半に対外関係中枢が北九州からヤマトに移る。
(ニ)広開土王碑文、391年倭「渡海」して新羅を破る(応神天皇即位前か)。
  中国311年に、西晋の皇帝首都洛陽が匈奴の部隊に蹂躪されは彼らの本拠に
応神ー仁徳の後。宋へ「讃」(履中?)421年遣使、弟「珍」(反正)、
   「済」(允恭?)421年遣使451年遣使、世子「興」(安康?)461年以前
   遣使、弟「步」(雄略)
(イ)ヤマト部族国家の支配組織
(1)府官制。ヤマト王は、王族などに「征西将軍」などの府官称号を要求。
       倭王の将軍号とその他の将軍号は隔絶したものではない。
       实態は「皇親」さらにヤマト内部の有力部族長を含むか。
(2)臣系部族
       ヤマト部族国家内部の部族(臣系部族。葛城・巨勢・平群ほか。步内宿弥伝承)
(3)連系部族。
       連系部族は、「天皇族」の家政組織(大伴・忌部その他)
(4)人制・奉仕組織
       「杖刀人」オワケ。王族子孫自称者が郷里・步蔵に帰って死去。人的な下向はあるが
        首長の機構的従属の証拠ではない。
(ロ)「步」(雄略)の上表文。
   戦争と軍事的統一のイメージは過大。「治天下」は主観。
(ハ)5世紀の朝鮮との関係ーーヤマト王権の発展は対外戦争太り。
   高句麗戦争「後」、大量のヒト・モノが流入し、ヤマト王の発展の契機
  渡来人(政治的招聘)の「第一次ピーク」
        河内の須恵邑、韓式硬質土器→須恵器へ
        馬・馬具、金工技術とセット。この時に朝鮮半島を経由して騎馬民族が侵入して国
        家をつくったという学説は無理。
            熊谷公男『大王から天皇へ』
       5世紀後半の加耶西部、栄山江流域の前方後円墳は九州出身者。
             朴天秀『加耶と倭』
4中世貢納制王国の形成ーー東アジア中世へのcatchup

(イ)8Cからの温暖化(「中世温暖期」)年平均、0,5~2度の上昇。
 (1)これ以降の東北アジア遊牧民族の活動の活発化の一つの背景と
   なったのではないか?
 (2)朝鮮半島・日本・韓国では気候不安定、旱魃多発の原因となる。
       日本、田植・牛耕は既に存在。長距離灌漑は不足?
  (3)天然痘の流行。気候変化とも関係したPandemicであろうか?
(ロ)東アジア諸民族のめまぐるしい攻防
        五胡十六国(304-439)、南北朝(宋と北魏の対抗)
        東アジア型中世貴族階級の形成。中国型の「士」の組織が形成され、
        中国中世の支配層の基本形態が形成される。
        581隋による中国統一、618唐。
           隋も唐も、その王族は北魏の鮮卑・拓跋系の出自をもつ。
               川勝義雄『魏晋南北朝』(『中国の歴史③、講談社)
   「中国統一」は一時的なもの。東アジア激動の持続と激化
         白村江(663年)後、百済王族・貴族の日本亡命が政局に影響
         670新羅・唐戦争の開始、チベット吐蕃の台頭、682突厥の再興起、
        7C末、渤海建国、755年に安禄山反乱(ソグド)
               日本との関係での東アジア情勢の推展状況については吉川真司『飛鳥の都』(岩波新
                書)を参照。
畿内王権                                 蘇我
       東アジアの状況をうけて、日本が「中世化」そして中世的貴族層の形成に入ることは谷川道雄『世
        界帝国の形成』(講談社現代新書)を参照。
       この時期に日本列島における全国的規模をもった国家がはじめて形成される。その意味では日本で
        は国家形成時にはすでに世界史的な中世の段階で、「古代」はなかったということになる。
(イ)継体王統の登場と強権の獲得
  高句麗戦後の権力と富の拡大とヤマト王族の自己破綻
  応神・仁徳王統が、国家形成期にはしばしば見られるような激しい悪行・乱行の噂の中で
   断絶。しかし、王家交替は起きなかった。その理由は次の二つにある。
       「皇親制」が機能し、継体の登場(507年即位ーー530前後没)
       ヤマト王族の血統=加耶同族の血統意識は体制的に必要。
(ロ)地域国家の権限接収と破壊
   筑紫「国主」磐井の反乱。527年。朝鮮への軍勢派遣に賛同せず討伐される。糟屋屯倉
   の献上。
   続いて各地に屯倉が設定される。
(ハ)原初国家機構、貢納・仕奉の人脈的支配組織
   中枢。皇親+臣・連系ヤマト部族(支配共同体)。
       蘇我ー東漢氏、渡来系官人に依拠ー百済の影響
   「氏姓制度」ー氏の名負い「仕奉」
   「国主(くにぬし)」から「国造」。有力者の仕奉へ(官人ではない)
   「屯倉(みやけ)」の設置・拡大(土地支配ではなく倉庫領有)。
   「部民」制(職能支配ではなく、身分と人脈支配)
(ニ)「神話」から「世界宗教」(中世の時代性格)
   欽明(即位535年頃)以降、王家同族・蘇我の覇権
       欽明ー敏達ー用明ー崇峻ー用命ー推古ー舒明ー皇極ー孝徳
       敏達で前方後円墳=神話の物的徴証は終了。首長連合体制の終了の象徴
    蘇我氏による仏教の推進
   「王の中の王」「神話の中心の王」としての性格を残す。
(イ)王権の純化と「大化改新」
(1)王権のヤマト直接掌握の動き
     上宮王家(聖徳太子)による斑鳩掌握
     敏達・舒明王統(忍坂王家)による広瀬郡掌握
         平林章仁『七世紀の古代史』(白水社)
     蘇我氏の性格ー継体王統の姻戚として発展
     ヤマトに地域拠点をもつ有力なヤマト部族(平安期の摂関家とは違う)。
(2)上宮王家・忍坂王家・蘇我の間の騒乱
  国家形成期にほぼ法則的に起こるの支配層内部の激しい闘争
  上宮王家、聖徳ー山背大兄の退場
  皇極・孝徳・天智による蘇我入鹿暗殺(645)
  有力なヤマト内部族の消滅ーー国家らしい国家への転生
     「大化改新」否定論の否定に賛成(吉川真司『飛鳥の都』岩波新書)。むしろ主唱者
      の門脇自身がいう「地域国家」のヤマト国内における清算であったと考える。
(ロ)天智・近江令の時代ーー律令制の整備
(1)6世紀前半ー任那の滅亡(562新羅への統合)ー百済との連携
    唐の高句麗戦争から白村江における日本の敗北
(2)軍国体制の中での統一的国家機構の構築ー近江令
  近江令の实在についても吉川真司『飛鳥の都』に賛成。
(3)天智の死去と「壬申の乱」
(ハ)天步の覇権
(1)天智・天步戦争ー白村江の敗北責任、防衛問題が基底
   天智・天步王統間の平和ーー現实には天步王統の殺し合い
   天步王統内部での天步と天智の両流王統への固執
         天智の娘・持統ー草壁(母持統の妹)ー文步
         不比等(天智の息子)とその娘たちとの婚姻血統への固執
         不比等の女子、宮子(文步妻・聖步母)、光明子(聖步妻、孝徳
        母)
                    『大鏡』などによる。孤説。保立『かぐや姫と王権神話』
(2)皇親+ヤマト部族から貴族制の方向へ
   奈良期藤原氏は「皇親」。貴族トップへ。
   畿内氏族も「家」をもった貴族へ(支配共同体としての性格を残
   すが)く、
(3)民族複合国家の解消への変化
 百済王族を妻とする王族・貴族増加。融合。桓步の母、高野新笠
    (百済王族出身)
   8C官人組織の基本は渡来系→→国家の「諸道」官人へ
       「諸司官人等所蔵の倭漢惣歴帝譜図」「天御中主尊を標して始祖とな
        り、魯王・呉王・高麗王・漢高祖の命などの如きにいたり、その後裔
        に接す。倭漢雑あえて天宗を垢す」(8世紀末)
   蝦夷戦争ーー西を閉ざされ、百済系王族を先頭に東に向かう。
     帝国意識の維持、光仁天皇(桓步の父)から38年戦争の開始。
    ヤマト「民族」一体性→→蝦夷の排除・抑圧
(ニ)律令制的貢納制とその集団支配
①東アジア型「国家社会主義」。共同体の貢納・奉仕を国家的に組織。
貢納制の本質は不変。支配共同体の機構化。都城制と地方支配機構
        クニとその支配層の解体・再編成。郡レヴェルの単位共同体の直接支配。
        共同体の代表の資格における自然との関係の統括権限。いわば開発独裁
        共同体間世界(市場・交通・対外関係)の支配機構への編成
②貢納制地方支配と王民支配(一次的)
貢納制的な人身負担。共同体の公的負担の形式をとる。
・「国造」(旧「国主」の奉仕)→「評造」「郡司」(官人)
・調庸の中央貢納制。個別人身賦課。
    共同体的社会関係の単位は家族関係よりも個人の側面が残る。
    庸(チカラシロ)(京都上番者の仕送り)、調(ツキ)(貢上物。年々の奉り物)。
・共同体レヴェルの公的負担、租・雑徭の負担。
       租(初穂、種籾分の量。収穫の約3% )を拠出するものとしての王民。
       「部民」(身分)→「負名」(租税支者の土地占有)。
③律令的土地所有と班田収受「頒田と賜田」(二次的)
王の国土高権=領域支配・境界領域所有(無主地・開発・条里設定)を根拠
  に
「中世」的な土地所有体系にも踏み入る。
・「屯倉(みやけ)」(倉管理)→「条里」(土地支配)。
・「班田:あがつ」=「勧農」
        (1)春の耕営督励、(2)不作地の割付、(3)営料貸与、(4)灌漑修理
        共同体的耕作の国家的関与。条里維持。「倉」管理にとどまらない。
・「賜田:たまひ田」=「貴族寺社の土地所有の法認」                宮原步夫「班田収
    受制の成立」
       公地制と初期荘園制、班田制と三世一身・墾田永年私財法は矛盾しない。
(ニ)疫病・地震・旱魃と政治史ー大地動乱の8・9世紀
   678年筑紫地震(水縄断層)、684年南海地震(南海トラフ海溝地震)、715年遠江・三河
    地震 (天龍上流平岡断層・中央構造線)ーーこれが9世紀まで続く。
                          保立「貞観津波と大地動乱の8・9世紀」(『東北学』28号)
       温暖化・大地動乱(地震・噴火)の同時進行
(1)727年、渤海遣使、同盟申し入れ
     9月男子誕生、11月立太子、12月渤海使、翌年9月皇子死去(天然痘の第一次流行か?)
     新羅出兵準備本格化(731)、渤海、732年、山東半島攻撃
(2) 734年畿内地震、M7.1、誉田山古墳の前方後円形を破壊。
     家屋倒壊・山崩・断層・余震。飢饉と疫病の中、衝撃大。
     聖步の恐怖、まず山陵(天皇陵と有功の皇親)の調査。
           大和の地震=地霊=スサノオが「山陵を動がした」のではないか。
           聖步、周の文王の故事により「責任は我一人、恐れず遷都しない」と宠言。
(3)736年(天平八)に日本、は新羅に使者を派遣、接待「常礼を失う」
     737年、内裏会議、新羅戦の態度決定、年末藤原四卿の天然痘連続死、
     738年、阿倍内親王立太子(五節舞)。橘諸兄が右大臣
(4)聖步、結局、仏教帰依を強め、739年大仏建立宠言。「副都」建設を決断。
     740年、広嗣の反乱。山城恭仁京建設ー近江紫香楽京大仏建設に着手。
     745年美濃地震ー紫香楽・恭仁京直撃ー大仏は奈良へ。
(5)東大寺大仏の建立(戦争事業よりも宗教事業を重視)
     745年、大仏の鋳造開始。747年、鋳込み開始。749年2月、陸奥国黄金
     聖步出家、孝謙即位、大仏開眼752年
(6)淳仁・仲麻呂による代替戦争計画ー称徳が拒否。
     758年大炊王即位(淳仁天皇)。遣渤海使小野田守、759年帰国。755年に発生した安禄
    山の反乱を通知。対新羅攻撃へ。759年(天平宝字三)9月、北陸・山陰・山陽・南海諸道,
    新羅追討の五百艘の兵船の建造を命令。
           参照、保立「東大寺大仏と新羅出兵計画」『歴史地理教育』673号。保立『黄金国家』(青木書
                                                      店)
(1)王統分裂と摂関家
・9Cの王統分裂ー桓步の三人の皇子の対立
 平城(809嵯峨に譲位。息子高丘を立太子させ、院政を志向)。失敗。
 823,嵯峨譲位,淳和即位,仁明(嵯峨の子)立太子。
 833年,淳和譲位,仁明即位,恒貞(淳和子)立太子,
 嵯峨系・淳和系の迭立。840淳和死,842嵯峨死,直後恒貞廃太子事件
   この中で北家、内麻呂ー良房の調停権力上昇
・10世紀の王統分裂ー冷泉の鬱病
村上ーー冷泉ー花山・三条
    |ー円融ー一條ーー後一条・後朱雀
冷泉の鬱病にともなう迭立。
 この中で両統を調停した兹家ー道長が権威を上昇。
「天皇×皇太子(皇太弟)」「摂関家の兄×弟」の矛盾の結合。つねに
 紛議。
(2)初期荘園と貴族の地方留住・分裂
・王統+摂関家兄弟による荘園群蓄積(勅旨田由来など)ー党派闘争
・京都貴族身分の前任国司・荘園ルートの地方留住、支配層分裂
 「あるいは婚姻につき、あるいは農商に遂ひ、外国に居住し、業、土民に
  同じ」
・班田収受の「賜田」範囲をこえ、国郡組織を超越・攪乱。
(3)都市王権ーー王の中の王から貴族の代表へ
・890寛平国制改革ー宇多・道真の主導
・「班田収受」の「あがち田・賜ひ田」の二側面を「公田・免
  田」に再編成
       初期荘園の統制・管理、王族・貴族の地方留住の禁止。
       京に戻るか、留住か、選択させる。留住者(桓步平氏etc)は地方
        貴族化
       国司の裁量権・請負制の導入。国司と荘園の折衝による処理
・都市貴族の成立(私的性格と集団性)
       畿内氏族(支配共同体メンバー)→→私的家産制をもった都市貴
        族
       平安京(巨大な富と経済中枢)の下部機構、港湾・交通路と都市
        住人(芋粥の五位。「侍」)を共有し、都市が農村に対してもつ
        経済的支配力を組織。
・都市王権の性格。
   「王の中の王」「神話的王」→→都市貴族の代表としての
  王
       繰り返される王統分裂の中で、王権の自然的・対外的代表性の失
        墜。
     都と地方の分裂でありながら、地域国家「クニ」への再分
    裂をせず、「中央貢納制」の枠組みを残したまま、都市貴族集
    団による地方支配が展開。都市的な奢侈生活のサークル。地方
    社会は「もの」さえだせば自由。ある意味で地方切り捨て。切
「土地国有、アジア的官人
          などなどをもついわゆる
          『アジア的封建制』は、こ
          の貢納関係における征服者
          被征服者の共同体的関係が
          いつとはなしに静かに消滅
「人呼びの岳」   して、一定地方から他の全
「此の辺の下人   地方への支配の形骸だけが
承れ。明旦の卯   残った時にみられるもので
の時(6時)に   ある。とはいえそこに共同
切口三寸、長さ   体的遺制は鞏固に保存され
五尺の芋各一筋   るのが普通である」(早川
づゝ持て参れ」   二郎「いわゆる東洋史にお
・「声の及ぶ限
          ける『奴隷所有者的構成の
りの下人」(農
奴)        欠如』をいかに説明すべき
・「のきたる従   か」1935『唯物論研究』)
者」
(隷農)
保立「説話芋粥と荘園制支配」『物語の中世』
(1)桓步王統の内紛と代替遣唐使
・東アジアの激動、唐(907)、新羅(935)崩壊(实質は9C末)
・桓步王統への交替、自己意識=非交替の王権。万世一系。民族多元性の解消
     君が代の背後にあった対外意識(天皇賛歌の歴史的本質)。
・延暦遣唐使(桓步ー平城の代替)
      801、前東宮大夫・大宰大貳の藤原葛野麻呂を遣唐使に任命
       805年、皇帝徳宗の死去、吐蕃の侵攻、節度使の反乱を現場確認。
       帰国後には、平城天皇事件、遣唐使・葛野麻呂の失脚
・承和遣唐使(淳和ー仁明の代替)
 833、嵯峨の子、仁明即位、皇太子は淳和子・恒貞、翌年遣唐使任命
 840年、恒貞廃太子事件(承和の変)
 841年、前筑前守文审宮田麻呂+新羅の張弓福の「通謀」摘発
      宮田麻呂=恒貞関係者、張弓福=新羅王家に反逆、承和遣唐使の世話人
      恒貞事件の残党狩り。新羅・日本王家の「謀反」が直接の関係
・寛平遣唐使(宇多→醍醐)
 遣唐使に道真を起用。宇多、急遽、譲位・院政の意思。
 家庭事情で遣唐使計画中止。
 宇多ー醍醐親子間紛争ー道真失脚
      「遣唐使の中止」=「公的国際関係の消失」論は、事大主義、時代錯誤
      国家間の官使往来という外交スタイル自身が例外的なものとなっていた。
     保立『黄金国家』
   10C中国、「五代十一国」の内乱、960宋建国、遼建国(916)
・呉越商人ー新羅商人ルート(海商世界)
   宋代中国の海上発展→→アジア各地に居留地(日本では博多・敦
   賀)、
   遼(契丹)は万里長城南部の十六州を完全占領
   女真族(「金」)が台頭(遼の東北隅の森林地帯)、11C後半台
   頭
・呉越とは、摂関家が中継してほぼ恒常的な国交が存在
   入宋僧、道長ー寂昭、頼通ー成尋
・天皇「唐物」天覧儀式ー対価、蔵人所収納の陸奥の金
   陸奥の金ー王権の外交権の物質的基礎
(3)陸奥境界権力ーー巨大な利益
   陸奥に下向し、蝦夷戦の中で活動した安倍氏、物部氏などは蝦夷
   と通婚するとともに、鎮守府を奧六郡権力に改編したー→平泉へ
   ある意味で特殊な留住。蝦夷を包括した境界権力。民族多元性。
    日本列島は、ユーラシア交易の東端を受けとめるカム
    チャッカからインドネシアまでの富の胎盤の中枢に位
    置。境界権力によってアイヌの富(北海の産物、黄金・
    北海道を含む)を中継する権利を握ったことは重大な権
    力基盤。
(1)貢納制の動揺(調庸未進、正税用尽)
・貢納制の基底、共同体の分解、富豪層と下人、流亡
 9C。旱魃・疫病・地震の連続→大量死・流亡は継続。社会がもたな
   い。
              (保立「貞観津波と大地動乱の九世紀」『東北学』28号)
   貧窮逃亡のみでなく、経済は発展。富豪浪人が全国的に存在。
・国司苛政上訴闘争。藤原元命(花山天皇の乳兄弟、藤原惟成の聟、
   惟成は源満仲の聟)花山の出家・退位の直後に狙い打ち。元命には
   満仲郎等が荷担。(保立『平安王朝』)
   行動主体は、富豪層。こういう事態の中で、共同体的貢納制は不
   可能。
(2)領主と富豪層ー土地の所有・占有の関係
 ・都市貴族ー留住地方貴族ー富豪層ー民衆ー下人

 ・留住した地方貴族が、中央・地方を媒介。

 ・私的な人格隷属保護関係の連鎖。

 ・荘園民衆は「庄子」とされ、国衙臨時雑役(租税)を免除。
 ・下人は農奴および隷農
  ・律令制期にあった人身賦課の貢納制と土地支配の混ざり合いは整
   理され、土地支配を基本とした社会構成への展開に対応して、官物
   (土地の地代・租税)、臨時雑役(臨時租税)に整理される。
 ・土地は、公田(国衙)と免田(荘園)として扱われる。しかし、
   どちらも請負・請作。
 ・国土高権にもとづく「班田収受」は「散田請作」に形をかえて維
   持され発展する。「班田」=「勧農」=「散田」であることは实際
   上の意味があるし、請作者が「負名」といわれるのも八世紀以来の
   伝統である。
 ・「散田請作」の地域行政は、「郡司刀禰」の在村役人

   富豪を中心とした集団の公的機能
   条里管理、検田の図師、灌漑水路管理、「地頭」(地界)管理
   (荘郷堺をまわる)(保立「中世における山野河海の領有と支配」
   『日本の社会史』2巻、岩波書店)
 ・「田刀禰」=田刀→田堵(10C末期から) 。「堵(=垣)に囲ま
   れた田と住居の所有者」。
   大名田堵=地主。田堵=自由農民
(4)灌漑用水路の開発・管理
   灌漑用水路の発達は、8/9C旱魃の経験をへたもの。
   水田条里制の本格的な開発。
   温暖化の環境の中での乗り越え。
保立「海から見た川、山から見た川」『月刊
『一遍聖絵』福原荘の灌漑、木樋・土樋の絵百科』
5近世荘園制国家への移行(院政期国家)
①院政期王権と内乱。步家貴族
(イ)王統分裂と步家貴族
・後三条→白河→堀河→鳥羽→崇徳・後白河→二条・高倉
   代替りにかならず分裂と紛議
   崇徳上皇クーデター事件(保元の乱)、二条天皇重婚騒動(平治
   の乱)
   この内紛に摂関家と步家貴族が参加し、問題を複雑にする。
・王権中枢=上皇+天皇(皇太子不在)+摂関家(家宰・副王)
    天皇は早期に譲位し上皇となり、上皇として摂関家も支配。
・都市貴族の集団性は軍事的な集団性になる。
   王権中枢の直下に步家貴族、次ぎに公家貴族。位置が逆転。
(ロ)国土高権の軍事化と集中(「地方の時代」の終わり)
 ・都市貴族的土地所有の王領荘園への集中構造
       官省符省(内印)から院の手印起請荘園に推転。
       膨大な御願寺領や女院領の領域的な荘園体系の形成
   ・国司制は知行国制への編成(数カ国におよぶ広域的支配の構造)
   ・軍事的な集中。敗北者荘園の没官(保元の乱以降の内乱)
   ・院領荘園を中心とした領域型荘園(山野河海を広くおおう)。
②院政期国家と荘園制ー地頭・古老・地主
(イ)地頭領主制と村落
 ・地頭立券(地堺の行列による確認)。従来は刀禰の役割
       この行列の主催者=地頭
       国土高権の下で直接に境界領有を認められた領主=地頭領主。
   院直結の留住型領主。步家郎従を兹ねることが多い。
   土地所有関係の軍事化。地頭は郡郷司刀禰がになっていた勧農と
   地頭の境界管理を継受し、11Cまでの「公田・免田制を転換させた。
   頼朝は一時、「日本国惣官」(日本国惣地頭)の地位について、
   地頭設置の国土高権を分有(实質上の副王、步家王)。ただし、東
   国・九州分以外は返却したため、「東国惣官+元步家王」ともいう
   べき地位。これが步家の地頭成敗の根拠となる。
(ロ)地頭の成立と村落・地主
   地頭は京都に直結する広域的活動の主体。地頭領主制の都市的性
   格。
   →刀禰的権限の地頭による吸収→村落組織の純化。「古老」の登
   場
 ・地主的な諸関係が、地主制村落へ

   地主制は、①富豪層経営に原基をおくが、領主権力の拡大・広域
   化の隙間を埋めるようにして関係を拡大。②農民的土地所有を原基
   として集積。この段階から本格的に出発したものとしてよい。
『一遍聖絵』常陸の地主の家。ニオ、種籾の冬の貯蔵状態。これを出挙
する




                                   銭
                                   が
                                   溝
                                   か
                                   ら
                                   で
                                   た
地主経営の中にはすで
                        に貨幣経済との深い関
                        係がはぐくまれていた。


                       腰袋

                        保立「腰袋と桃太郎」『物語の
                        中世』
                     『春日権現験記絵』巻19


腰袋の中には「銭」。   石山寺縁起
寄附のために腰をさぐ
る。



                                 腰袋の
                                 形と赤
                                 紐
銭、サシ
をもつ男
数える女


       腰袋
皮細
工の
店棚

  『
  一
  遍
  聖
  絵
  』
  福
  岡
  市
頁赤
 い
 紐
 保
 立
 『
 物
 語
 の
 中   (ハ) 貨幣流通と代官制
 世   ・宋銭の流入と貨幣流通の活発化(貨幣とリテラシー)
 』
 2   ・沙汰人=代官
 1
 9       实務代理権のある代官。都市住人から步士の従者まで多様。

         平氏政権の中で地頭代、地頭又代などの組織が発展したはず。

          経営の实力、「器量」が問題。流通・交通と深く関わる存
(イ)世界史の「近世」
 ・東アジア、キタイ帝国と宋帝国の時代の中国から開始。

   モンゴル大帝国につながり、世界史的な近世
 ・技術と知識の刷新。羅針盤、火薬、紙、印刷(「本」)など。

 ・宋の王安石の国制改革。中小商人や庶民の保護。官僚機構の合理
   化。近代的な内容。王安石の青苗法において市庭が農村内部に出現
   した。
                     小島毅『中国思想と宗教の奔流』
(ロ)巨大な富ーー倭寇的世界の開始
   東アジア全体で貿易の活発化。巨大な流通が日本近海にも及ぶ。
   院の行動。平氏政権の行動
   倭寇的状況。
 1093年、朝鮮半島西海岸.「宋人・倭人」が乗り組み、「水銀・真
   珠・硫黄」を積載した步装商船が拿捕。高麗「我が辺鄙を侵さんと
   ほっす」と警戒。
(ハ)日本の近世前期・院政期(学界では普通、中世の開始)
 ①東アジアとの否応なしの一体化。

 ②東アジア型軍事国家への接近
   日本史上始めての軍事国家化。東アジアに接近
   対外軍事問題ではなく、院政期の王家の内部闘争の中から
6荘園制をどう教えるかーー社会構成としての荘園制。
     鈴木哲雄「公田制から荘園公領制へ」『社会史と歴史教育』
①荘園制の諸段階
(1)班田制~散田制(公田・免田制)ーー奈良後期から摂関期
  国衙に管理された荘園、荘園制的社会構成
(2)荘園公田制(+步家領)ーー院政期・鎌倉期
  地頭付きの荘園制。荘園=領主的社会構成
(3)荘園公田制(+守護領)ーー审町時代
  守護在京制。     荘園=地主的社会構成
②社会構成・社会システムとしての荘園制
   国家の国土高権の下で、京都集中型の土地所有
   都市貴族集団が共同的かつ個々家産制的に領有
      都市貴族(公家貴族・步家貴族、院政期以降は順位
   逆転)
   京都と地域を媒介する領主権力(留住領主→地頭領主)
   地域の側では相当の広域的権限を握る。
   発展した首都の「都市の力」に依拠して農村を支配。
   都市と農村との社会的分業を条件。代官制
   地域には地主制、後期には地主制村請
    「日本だけがアジアでヨーロッパの歴史と同じ様な
    中世や近代化をもっているという考え方は社会の歴史
    的な特徴からみても歴史の捉え方からいっても適当で
    はない」「十世紀から一九世紀半ばにいたるわが国の
    歴史は一六世紀末(秀吉段階ー保立)を境にして、経
    済・社会、政治、文化、対外関係などの諸分野で大き
    く変化した」「それ以前を前近世、以後を近世と呼
    ぶ」(佐々木潤之介『江戸時代論』一九七頁)。
    もちろん、佐々木が「前近世」というのは消極的な
    意味であるが、佐々木が近世アジアの前提にアジア諸
    地域の広域的関係の展開をおいている以上、アジア史
    の現实からして、そのような広域関係が形成されたキ
    タイおよび宋帝国からやや遅れて日本列島も「前近
    世」に入ったというのは、世界史の波動の捉え方とし
    てはありうるものと考える。
Ⅲ歴史教育と歴史知識学・歴史環境
        学
1時代区分の絶対的必要ー世界複合発展段階論へ
①時代区分、
  「世界史の時代範疇」、東アジア、個別社会の社会構成の全体の問
  題。
 現状では、「古代・中世・近代」という言葉に勝手な意味を盛り込
  んでも無意味。
 ただの「言葉」で、わかったような無内容な余計な知識を強制する
  のはさけたい。信じていない言葉は使わない。
        保立道久『歴史学をみつめ直すー封建制概念の放棄』
②当面の区分
 縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・审町・戦国・安土桃
  山・江戸を利用。
 首都を基準にした時代区分ーー日本は東アジア型の集中国家。時代
  区分としてもそれなりの意味。社会的通用性と知識としての価値。
③研究の状況と教育の側からの要求
 研究の細分化と全体像の喪失。細分化は望ましいが、全体像の喪失
  は困る。
 形式的な「通史」ではなく、「時代区分」による「時代の全体的な
  論理イメージ」「評価」への強力な要求と提案を
   私は、一時期コミットした「社会史研究」の退潮を盛り返していくために、人間の観
        念・感情の現象世界をより系統的に研究する歴史知識学の共同研究を、データベー
        ス・知識ベースを支えとして作り出すことができないかと考えてきた(「社会史研究
        から歴史知識学へ」『メトロポリタン史学』3号、2007)。それは歴史学研究を細部
        へのこだわりから解放し、歴史情報を公開・共有して共同研究のあり方を変えていく
        ために必須のものであると思う。
①歴史情報の商品化・グローバル化
  マスコミの方が歴史情報が豊かという事態をどう突破するか。
 現代は「情報の時代」(外部脳の存在と瞑想・内省の時代)。
       自然科学の基礎、現代数学と情報学が基礎である。数学は同一の構造を諸学の内部に
        発見する手法として発展しており、それを基礎に情報学が展開した。それと同じ関係
        を人文社会科学の中に作り出す。
②歴史知識学の構想
 歴史データベース・知識ベースをもとに、歴史像=文化・用語体系(ター
  ミノロジー)の変革へ
 歴史像はイメージではなく、文化=言葉の体系自身によって支えられるも
  の。
       人文科学も機械をもつ(内田義彦『読書と社会科学』)→アカデミーの自己解体→(イ)
        アカデミーの社会化・情報化、(ロ)アカデミーがその基礎となるアーカイヴズを外側に
        解放する。
       知識世界を俗世界と直結させていく。それなしに社会の変革はない。情報革命の位置。
 アカデミー科学の全体としての歴史科学化。人文社会科学の歴史学化と自
  然科学の歴史科学化。科学の歴史化とは文理融合そのもの。
③「学界の共有財産」(遠山茂樹)を一目瞭然に
  歴史研究者も異なる時代についての最新の確認事項を知らない。
  歴史教育、「歴史学関係者の共有財産」を社会に伝える
①歴史的環境の破壊とエネルギー問題
        初心に帰って日本社会の基軸部分の変革について考えなければならないと思う。
        しかし、その際、強く反省するのは資源・エネルギー問題、そして環境問題に
        もっと集中した姿勢をとるべきであったということである。日本社会の変革の道
        筋にとってエネルギー問題が中心にすわるということは、いわゆる石油ショック
        以来、明瞭なことであった。私たちは尐年の頃、60年代の筑豊の炭坑つぶしを
        目撃したが、その背後には原発の推進があった。そして私たちの眼前で展開した
        ユーラシア南部とアフリカのきびしい運命の根元には「先進」諸国のエネル
        ギー・資源戦略があった。さらに、スリーマイル島、チェルノブイリからイラク
        の务化ウラン弾による被爆という状況の展開も熟知していたはずである。しかし、
        私は、原発を自分の行動原理に関わる緊迫した問題と实感しないままでいたよう
        に思う。
 生産諸力、物質文明は危機の中で社会の行き止まりの中から発展す
  る。地球環境とエネルギー問題は協同社会の基礎。「無所有」の世
  界を共同的に領有する。
②社会史から歴史環境学へ
 「社会史」と歴史環境学ーヨーロッパ社会史研究では大きな持続的
  発展。
 文理融合の体制。環境学をめぐっての自然科学との協働の体制

 火山・地震のデータの共有

③危機の認識と地質学的・生態学的自然史
 どのように歴史知識学(歴史情報学)と歴史環境学を組織し
  ていくかを関係者全体で議論するべき時。
①大量の知識の存在(高校歴史教科書)
  これを本当に学者と教師が身体化すること。
  实際にはよくわからないということを重視すること。
②歴史学内部の職能性を重視しつつ、多様なコミュニティを
教師のネットワークと学者のネットワーク
  歴史学関係者の中での媒体=教科書
  教師の執筆が必要
  教案、史料の共有
  地域史料組み立ての共有
③情報の時代の可能性と病理ー教育の役割がきわめて大きい。
 歴史学にとっては次世代は本質的に大事。
 とくに身体的自然の荒廃。自己脳と外部脳の統括の困難

 壊れ物としての人間の心。五味太郎のいう「じょうぶな頭」
  と「かしこい身体」のために。
 未来の不在と精神的な危機。
    将来社会の理想=社会というものがどういうものであるかを全員が
       知って、それを教養としてもった上で、社会のアソシエーションを作
       り出していくこと。集団所有とは何か。市場経済とは何か、資本主義
       とは何か、それを人類史の長い経過の中で、論理的に位置づけること
       が、ほとんど常識に近くなっている社会にならないと「協同社会」と
       いうものは实現できない。歴史的・世界史的「批判」ということが終
       局的には必要なのである。
       世界史が世界において共通理解が形成された時、世界は確实に変わ
       る。
       過去の歴史をのぞき込むための巨大装置=歴史科学。
1「民族」の問題ー東アジアとの歴史像の討論と共有
 大きな鍵が前近代にある。
2「所有」の問題ー集団所有と国土高権。
       律令制を「国家社会主義」のようなものと説明。「古典的な」規定。
  集団所有抜きに社会構成を考えることはできない。「個人的所
  有の再建」
3「労働」の問題。今回はふれられず
       精神労働と肉体労働の対立=従属形態でのみ社会構成体を考えることは
       できない。
  「奴隷」とは?=上記分業の極端な形態。労働の疎外の「肉
  体」化。従属形態は精神労働と肉体労働の対立(都市と農村関
  係など)の全体の中で問題とすべき。「労働のアソシエーショ
  ン」

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歴史教育と時代区分論(スライドシェア用)

  • 1. 20110820 保立道久 講演 はじめにー歴史学にとっての「未来」 Ⅰ世界史の時代範疇と社会構成 Ⅱ東北ユーラシアの中の日本列島史 Ⅲ歴史教育と歴史知識学・歴史環境学 おわりに
  • 2. 未来を語らない日本社会。未来を語らなくなった歴史学。  1967年の石母田正氏の講演「国家史のための前提について」が最後  「戦後的価値」を維持するための努力。しかし、防衛的姿勢のみでは、どこへ?  現实の社会の中の新しいものにどうついていけるか。 歴史学ー過去の管理に責任をもつ学問。熟考・熟議の社会意識を支える役割。  討論と熟議をへて過去をふり返り、未来を展望するという社会原則の希薄化?  歴史学の社会的にマイナーな地位はさらに狭くなっていく。 二〇世紀歴史学の蓄積は膨大。  個人が全体を展望し、現在と未来について考えることが、ほとんど不可能な量  読んでまとめるだけでも相当のエネルギー 歴史家の仕事ーー史料にもとづいて過去の歴史像の歪みをできるだけ尐なくすること  歴史学は本質的に保守的な仕事  歴史家が直接に「未来」を語ることには限度。  政治家ではない。市民としての立場を直接に歴史学に持ち込むことも許されない。 人文科学・社会科学としての歴史学、極限まで論理的である必要  現代社会に対する論理的な理解を方法的につきつめ延長する形で、過去を理解する  社会観・世界観の一部としての歴史学。  過去の歴史は過ぎ去った実観的な世界==過去と現在の繋がり  現代を理解する科学の過去への応用。人文社会科学・自然科学をふくめた学問全体の 仕事。  現代も過去も未来への目がなければ認識できない。 特定の過去の社会全体の論理的なイメージ<未来へむけての評価>(という 意味での「物語」をつくること)が重要。
  • 3. 目次 Ⅰ世界史の時代範疇と社会構成 Ⅱ東北ユーラシアと日本列島史 1異文明(Barbarei)縄文=新石器時代  ① 「野性」(Wildheit、旧石器)からの移行(13000年前)  ②縄文時代の開始 2列島の文明化と弥生時代。前8C~後2C  ①弥生農耕の開始  ②弥生社会の地域・民族性と首長国 3部族連合国家(前方後円墳国家)の成立と展開  ①邪馬台国の成立ー政治センター移動  ②崇神(ハツクニシラス)の实在性と前方後円墳神話  ③高句麗戦「戦後」と倭の五王(5世紀) 4中世貢納制王国の形成ーー東アジア中世へのcatchup  ①貢納制王国の原型ーー継体・蘇我王統と国家機構の芽生え(6・7世 紀)  ②律令型国家と王権ーー本格的な文明国家へ  ③平安過渡期国家 5近世荘園制国家への移行(院政期国家)  ①院政期王権と内乱。步家貴族  ②院政期国家と荘園制ー地頭・古老・地主  ③世界史上の「近世前期」と東北アジア 6荘園制をどう教えるかーー社会構成としての荘園制
  • 4. Ⅰ世界史の時代範疇と社会構成 下記は試論 ①異文明(Barbarei) 宮崎市定『東洋的近  イデオロギーーーエロス 世』  産業形態ーーーー商業(低級な農耕と動物利用・牧 畜は「野性」からの移行期に獲得ずみ) ④古代BC4000~3000  起点ーーー地中海・インド洋間世界?  イデオロギーーー神話  産業形態ーーーー都市、鉱業・馬牛・奴隷 ⑤中世、紀元前300?  起点ーー民族大移動(ユーラシア北辺、漢・ロー マの崩壊)  イデオロギーー世界宗教(経典・巻物による瞑想)  産業形態ーー農業と大地(灌漑、山野の非農耕開 発) ⑥近世10世紀から  起点、東アジア(キタイ帝国と宋帝国)ーモンゴル  イデオロギー知識(本)・技術のグローバル化、商 品化  産業形態ーーーー手工業 ⑦近代 16世紀  起点ーーヨーロッパ  イデオロギーーー欲求、人類の年代記の最悪の一節  産業形態ーーーー機械・資本(全産業の包摂)
  • 5. (イ)宮崎シェーマ 起点地域と波及期間の設定。文明の胎内時計。「古 代・中世・近世」用語は便宜的なもの。 (ロ)世界史の時代範疇の枠組み (異文明)商業発見→(古代)都市・道具(生産施設としての都市)→(中 世)大地開発→(近世)技術開発→(近代)機械工場 使用価値→媒体・ミッテル→使用価値の基盤→道具と頭脳の内部の発見。 順々に重層する。世界史の蓄積と展開は文明間、社会間で行われる。 (ハ)東アジア型ー中国大陸の巨大な「量」と統一性の影響。ヨーロッパ との相違 ・広域平野。しかも狩猟・牧畜・農耕など自然的差異が大。逆に統一へ。 ・春秋・戦国都市国家からの出発。都市間経済・軍事関係の強い規定性。 ・ユーラシアの東端に位置。文明間交流に不利。北方遊牧民防衛の重圧。 ・社会構成上の特徴。頭でっかち。基礎は地主制(形態と規模は多様。 領主権は国家)。 (ニ)「個別社会の社会構成論」との区別 「中世」は、大地の上での領有・所有・占有の関係の入り組みが社会の基 礎的なベースとなる。 「大地開発=封建制」という図式はヨーロッパ にのみ通用。東アジアには別の構成がある。日本列島社会は、異文明段 階から、チーフダム的な過渡期はあるものの、古代を半ば飛び越えて、 中世段階へ。体制としての文明と階級の発生が6世紀とすると、すぐに
  • 6. (ホ)私的所有と集団的所有 社会構成を決定する所有構造。階級的私的所有のみではないことが重要。 ①構造的所有(外枠)、私的所有のみでなく集団的所有 私的所有のみで社会構成を決定してはならない。階級的な集団所有。 ②境界的所有(内側・緑色)=領有・国土高権 国土高権とは国土 環境・エネルギーの領有・ 社会的分業の場 全体に対する最高 の領有権限。網野 善彦の言い方では 従属的( 階級的) 自立的( 勤労的) 「大地と海原の領 有」ということに 集団所有 ①集団支配 ②共同性 なります。この点 境界的所有 (庭」 「 的所有、 無所有」 「 ) を中心に網野の学 環境・エネルギ 1) ( 自然的テリ リ ト ー所有(山野河海) 説をどう考えるか ( 社会的テリ リ 2) ト ー所有(市庭・ 縄張り ) は、参照、保立 私的所有 ③私的支配 ④自由な個性 「網野善彦氏の無 縁論と社会構成史 研究」『年報中世 史研究』32号)。 (へ)日本の社会構成=社会構成は東アジア型。 弥生、氏族制(母権制)社会、古墳、部族連合社会、6 ~8東アジア型貢納制、8・9~11荘園制的社会構成 への過渡。院政・鎌倉期、東アジア近世型、荘園=領主 的社会構成、审町期、荘園=地主的社会構成。戦国、領 国=地主的社会構成、江戸期東アジア型国家=地主的社 会構成
  • 7. Ⅱ東北ユーラシアと日本列島史 1異文明(Barbarei)縄文=新石器時代 ① 「野性」(Wildheit、旧石器)からの移行(13000年前) 野性(原始的群団=自然的・性的分業)。そこからの個人性の発展 (イ)地質年代、更新世から完新世への移行期、間氷期気候の到来  大型獣の絶滅、定住テリトリー生活、採集・狩猟・漁撈の組み合わ せ。この移行段階で低級な農業・動物利用は男女間分業の形態として 獲得ずみ。 (ロ)一時的な寒冷期ヤンガー・ドリアス期(12800年から11500年頃)  堅果等の生育障害→→野性ムギ・イネに注目→栽培化ドライヴ イスラエル、レパント南部のムギ(13000年前) 長江流域、江西省仙人洞、湖南省玉蟾岩(10000、13000年前)  世界同時に農耕化(四大河文明論の破産) (ハ)温暖湿潤期、ヒプシサーマル期(BC6000年~BC3000年)  農耕の北への拡大。  温暖期の終了による冷涼乾燥化→遊牧地帯の形成。  農耕・狩猟・漁撈の分業ー牧畜の地帯分離ー商業の成立 (ニ)地理的分業の境界地帯に「古代」文明が発達する。  この時期に最初の国家形成の方向が生まれる。BC4000~3000。  「帝国」的支配の中で首長層が上位統括体に融解し、原始商業と「富 のための富」という欲求が成立した場合。貢納制帝国。後背地域にお ける原始的な首長制の存在を条件とし、精神労働と暴力の自立前提と し、租税・領域支配・公的暴力などをともなう固有の意味での国家性
  • 8. ②縄文時代の開始 (イ)ユーラシアの地帯構造の形成  狩猟採集民ー牧畜ー農耕という地理的な地帯区分の登場  東西交流をユーラシア北部の遊牧民が担う。 (ロ)北方ユーラシア文化の中国周縁部回り込み  シャーマニズム、ヴィーナス裸像、竪穴住居ー北方系文 化  縄文後期後葉、勾玉・管玉の移入が想定される。  ユーラシア北部→樺太・朝鮮→日本 (ハ)豊かな狩猟・漁撈・採集文化  東アジアの特徴、最終氷期終了と同時に土器が出現。  10000年以上前の土器を各地で確認、「縄文=世界最古」は錯 誤  「縄文農耕」は「畑作」補助的なもの(ヒエ以外の栽培穀 物は列島には不在)。  九州、栽培植物移入。縄文後期中葉、打製石包丁(アワ キビ穂摘具)
  • 9. ③東北アジアの農業化の諸段階 年代 山東 遼東半島 韓半島北部 同南部 北部九州 新石器早期 縄文早期 縄文期の北九州と朝 BC4500 ̄ 大汶口 智塔里 新石器前期 縄文前期 鮮 小珠山中層 両岸地域の交流、 BC3500 ̄ 呉家村 南京1期 新石器中期 縄文中期 BC5000縄文早期末か ら、 BC2500 ̄ 龍山 小珠山上層 南京2期 新石器後期 BC2000 双砣子1期 新石器晩期 縄文後期 土器の移動(漁撈 岳石 双砣子2期 BC1500 ̄ 殷 双砣子3期 コマ形土器 突帯文土器 を媒介)ー佐賀伊万 横斜線文土器 里の黒曜石→対馬→ BC1000 ̄ 西周 孔列文土器 縄文晩期 朝鮮 春秋 松菊里 弥生早期 東北アジア農耕化の諸段階 宮本一夫『農耕の起源を探る』吉川弘文館 黄色 農耕化第一期、華北からアワ・キビ農耕が広がる 薄紫 農耕化第二期、イネの拡大、まだ補助的食料 青 農耕化第三期、灌漑農耕、大陸磨製石器、朝鮮半島の無文土器 BC8世紀 農耕化第四期、朝鮮半島における集約的農耕化と人口圧 BC1500(朝鮮、灌漑農耕開始期)、両岸の地域交流が途 絶 朝鮮側には九州との交流・協業のメリット喪失(黒曜石
  • 10. 2列島の文明化と弥生時代。前8C~後2C ①弥生農耕の開始 (イ)「縄文時代晩期」の水田遺跡の発見  福岡板付、佐賀唐津など。  歴博。弥生開始を約BC500から500年古く(2003年) (ロ)寒冷化(寒冷期BC1000年前後以降)による東北アジア農耕化 の第四段階  朝鮮における水田稲作小経営の展開(ジャポニカ)  人口圧。寒冷化の中で、耕作適地をもとめて移住、BC8世紀。 (ハ)朝鮮半島南部よりの移住。新文明のセット  水田・支石墓・大陸系磨製石器・土器組成(甕・壺・鉢)  遼東半島→朝鮮「無文土器」→日本「弥生式土器」 (ニ)部族の基礎単位は小部族または氏族  社会的結合の紐帯、部族の内部編成は性的紐帯が基本。  部族はそれ自体が小部族の連合であり、小部族自身はしばしば 氏族(「母方の血縁による集団」)に一致する。  基本的には氏族社会=母権制社会  弥生後期にも女性族長も多いとはいえ、母権制の敗北が始まる。 戦争の時代に男権制が伸張する。
  • 11. (イ)縄文文化=全国性←→弥生文化=大きな地域性、多文化列島  「北の文化」(北海道)「南の文化」(鹿児島・沖縄)の独自化  水田稲作ー東北北部、前4世紀から前1世紀で中断  関東前2世紀から開始。 (ロ)朝鮮半島からのコロニーの持続(繰り返す移住)  朝鮮半島からの移住者集落(基本は東北アジア系、無文土器、青銅剣)  一支国域の辻遺跡。港湾周辺に移住集団。一支国の「外交」に参画  弥生中期後半から後期伊都国邑、三雲遺跡から楽浪土器集中出土  「弥生人集団」の朝鮮半島南部居住(甕棺、弥生式土器の出土) 步末純一「考古学から見た渡来人」(『倭人のクニから日本へ』) (ハ)弥生文化への長江流域の影響 九州西北から有明海、九州中南部は長江流域の影響が強い。 (米と人骨の分析) ギリシャのトルコ半島コロニーに類似。リネージ観念の維持 朝鮮からの「渡来人村」に何世代にもわたって渡来してくる(土居が浜遺跡)。親族意識をたもった まま。 文化の移住性。「吹きだまり」。氏族的多元性=多文化列島 (ニ)弥生後期「百余国」(部族または部族連合)の戦争と 戦争の展開。北九州から全国化。弥生前期後半から中期。部族国。この中 に朝鮮との同族意識を維持したままの部族国もあったか(後にヤマトへ)。  各地域における上位部族による下位部族・氏族支配。  各「地域国家」(門脇禎二)の「王(族長・クニヌシ)」の形成(階級性 は半熟)
  • 12. 3部族連合国家(前方後円墳国家)の成立と展開 (イ)「倭国乱」から「九州・畿内連合」へ。  BC108年漢步帝による楽浪郡の設置  「奴国金印」、AD57年(『後漢書』)。直後から「倭国乱」状況。  AD0~2世紀の瀬戸内・近畿の高地性集落(大型石製步具)が対応  1世紀末~2世紀「政治センター移動、九州から近畿」(吉村步彦『ヤ マト王権』) (ロ)卑弥呼「共立」(3世紀初頭)。ヤマトの地理的位置  「United Cheefdom」=首長・族長(「国王・国主」)連合の形 成  調停と対外関係のための談合。纏向遺跡は共立の王都  184年、黄巾の乱(後漢实質崩壊)。220年、魏、帝位を奪う。  遼東大守公孫氏の一族による楽浪郡の分割(帯方郡設置、AD204)  卑弥呼、景初三年(239年)に「親魏倭王」(『魏志倭人伝』)  神話(前方後円墳神話)の共有の形式での連合(中央権力未発達) (ハ)箸墓古墳ーー「壺形墳(柄鏡墳)」・被葬者卑弥呼説  卑弥呼の死は247年直後。女性の墓。壺甕は女性の象徴。円墳部 は女性の胎を表現(三品彰英)。『日本書紀』の伝承。崇神のオバ。 大物主との神婚伝説。  倭「ト・ト・ヒ・モモソ」姫(「日」姫)。義江明子『つくられた 卑弥呼』
  • 13. (イ)「ヤマト(奈良)」の始祖「国主」崇神、相対的に優勢な部族国家にすぎな い。  稲荷山鉄剣(「辛亥年」471年)ー王統譜の实在。  雄略(崇神の8代後)に仕えるオワケ(大彦崇神のオジの7代後)。  『古事記』崇神の没年(「戊寅年」258年)。ただし崇神陵4世紀前半説  崇神の实在→→天孫降臨神話も王統譜に付属していた可能性。  前方後円墳=「壺山+火山(イザナミによる火神出産)」説 全国の古墳をヤマト王権の伸張と等置し、歴史過程を「ヤマト朝廷」の発展過 程とのみえがくのは、皇国史観の残滓・陵墓イデオロギー(門脇禎二「古 代社会論」岩波講座『『日本歴史』』1975) (ロ)「高千穂のクシフル峯」「添山(ソホリヤマ)峯」(『日本書紀』)  伽耶国始祖の「亀旨(キシ)峯」降臨神話  「キシ」と「クシ」は音通、「フル」は韓語で村の意。ソホリは韓語の「都」、ソ ウル  三品彰英の日本神話と朝鮮神話の比較研究  韓国と九州の共通神話ーヤマト王族の任那・加羅族意識の表現  四世紀「騎馬民族侵入」神話ではなく、弥生以来のリネージ共有意識の神 話化 (ハ)加耶同族神話ー部族連合における民族複合のイデオロギー  「天皇族」継続・権威の一条件  加羅での列島関係出土物、3Cまでは北九州、4C以降、畿内ヤマト産  三世紀後半に対外関係中枢が北九州からヤマトに移る。 (ニ)広開土王碑文、391年倭「渡海」して新羅を破る(応神天皇即位前か)。  中国311年に、西晋の皇帝首都洛陽が匈奴の部隊に蹂躪されは彼らの本拠に
  • 14. 応神ー仁徳の後。宋へ「讃」(履中?)421年遣使、弟「珍」(反正)、 「済」(允恭?)421年遣使451年遣使、世子「興」(安康?)461年以前 遣使、弟「步」(雄略) (イ)ヤマト部族国家の支配組織 (1)府官制。ヤマト王は、王族などに「征西将軍」などの府官称号を要求。  倭王の将軍号とその他の将軍号は隔絶したものではない。  实態は「皇親」さらにヤマト内部の有力部族長を含むか。 (2)臣系部族  ヤマト部族国家内部の部族(臣系部族。葛城・巨勢・平群ほか。步内宿弥伝承) (3)連系部族。  連系部族は、「天皇族」の家政組織(大伴・忌部その他) (4)人制・奉仕組織  「杖刀人」オワケ。王族子孫自称者が郷里・步蔵に帰って死去。人的な下向はあるが 首長の機構的従属の証拠ではない。 (ロ)「步」(雄略)の上表文。 戦争と軍事的統一のイメージは過大。「治天下」は主観。 (ハ)5世紀の朝鮮との関係ーーヤマト王権の発展は対外戦争太り。  高句麗戦争「後」、大量のヒト・モノが流入し、ヤマト王の発展の契機  渡来人(政治的招聘)の「第一次ピーク」  河内の須恵邑、韓式硬質土器→須恵器へ  馬・馬具、金工技術とセット。この時に朝鮮半島を経由して騎馬民族が侵入して国 家をつくったという学説は無理。  熊谷公男『大王から天皇へ』  5世紀後半の加耶西部、栄山江流域の前方後円墳は九州出身者。  朴天秀『加耶と倭』
  • 15. 4中世貢納制王国の形成ーー東アジア中世へのcatchup (イ)8Cからの温暖化(「中世温暖期」)年平均、0,5~2度の上昇。  (1)これ以降の東北アジア遊牧民族の活動の活発化の一つの背景と なったのではないか?  (2)朝鮮半島・日本・韓国では気候不安定、旱魃多発の原因となる。  日本、田植・牛耕は既に存在。長距離灌漑は不足?  (3)天然痘の流行。気候変化とも関係したPandemicであろうか? (ロ)東アジア諸民族のめまぐるしい攻防  五胡十六国(304-439)、南北朝(宋と北魏の対抗)  東アジア型中世貴族階級の形成。中国型の「士」の組織が形成され、 中国中世の支配層の基本形態が形成される。  581隋による中国統一、618唐。  隋も唐も、その王族は北魏の鮮卑・拓跋系の出自をもつ。  川勝義雄『魏晋南北朝』(『中国の歴史③、講談社)  「中国統一」は一時的なもの。東アジア激動の持続と激化  白村江(663年)後、百済王族・貴族の日本亡命が政局に影響  670新羅・唐戦争の開始、チベット吐蕃の台頭、682突厥の再興起、 7C末、渤海建国、755年に安禄山反乱(ソグド)  日本との関係での東アジア情勢の推展状況については吉川真司『飛鳥の都』(岩波新 書)を参照。
  • 16. 畿内王権 蘇我  東アジアの状況をうけて、日本が「中世化」そして中世的貴族層の形成に入ることは谷川道雄『世 界帝国の形成』(講談社現代新書)を参照。  この時期に日本列島における全国的規模をもった国家がはじめて形成される。その意味では日本で は国家形成時にはすでに世界史的な中世の段階で、「古代」はなかったということになる。 (イ)継体王統の登場と強権の獲得  高句麗戦後の権力と富の拡大とヤマト王族の自己破綻  応神・仁徳王統が、国家形成期にはしばしば見られるような激しい悪行・乱行の噂の中で 断絶。しかし、王家交替は起きなかった。その理由は次の二つにある。  「皇親制」が機能し、継体の登場(507年即位ーー530前後没)  ヤマト王族の血統=加耶同族の血統意識は体制的に必要。 (ロ)地域国家の権限接収と破壊  筑紫「国主」磐井の反乱。527年。朝鮮への軍勢派遣に賛同せず討伐される。糟屋屯倉 の献上。  続いて各地に屯倉が設定される。 (ハ)原初国家機構、貢納・仕奉の人脈的支配組織  中枢。皇親+臣・連系ヤマト部族(支配共同体)。  蘇我ー東漢氏、渡来系官人に依拠ー百済の影響  「氏姓制度」ー氏の名負い「仕奉」  「国主(くにぬし)」から「国造」。有力者の仕奉へ(官人ではない)  「屯倉(みやけ)」の設置・拡大(土地支配ではなく倉庫領有)。  「部民」制(職能支配ではなく、身分と人脈支配) (ニ)「神話」から「世界宗教」(中世の時代性格)  欽明(即位535年頃)以降、王家同族・蘇我の覇権  欽明ー敏達ー用明ー崇峻ー用命ー推古ー舒明ー皇極ー孝徳  敏達で前方後円墳=神話の物的徴証は終了。首長連合体制の終了の象徴  蘇我氏による仏教の推進  「王の中の王」「神話の中心の王」としての性格を残す。
  • 17. (イ)王権の純化と「大化改新」 (1)王権のヤマト直接掌握の動き  上宮王家(聖徳太子)による斑鳩掌握  敏達・舒明王統(忍坂王家)による広瀬郡掌握  平林章仁『七世紀の古代史』(白水社)  蘇我氏の性格ー継体王統の姻戚として発展  ヤマトに地域拠点をもつ有力なヤマト部族(平安期の摂関家とは違う)。 (2)上宮王家・忍坂王家・蘇我の間の騒乱  国家形成期にほぼ法則的に起こるの支配層内部の激しい闘争  上宮王家、聖徳ー山背大兄の退場  皇極・孝徳・天智による蘇我入鹿暗殺(645)  有力なヤマト内部族の消滅ーー国家らしい国家への転生  「大化改新」否定論の否定に賛成(吉川真司『飛鳥の都』岩波新書)。むしろ主唱者 の門脇自身がいう「地域国家」のヤマト国内における清算であったと考える。 (ロ)天智・近江令の時代ーー律令制の整備 (1)6世紀前半ー任那の滅亡(562新羅への統合)ー百済との連携 唐の高句麗戦争から白村江における日本の敗北 (2)軍国体制の中での統一的国家機構の構築ー近江令 近江令の实在についても吉川真司『飛鳥の都』に賛成。 (3)天智の死去と「壬申の乱」
  • 18. (ハ)天步の覇権 (1)天智・天步戦争ー白村江の敗北責任、防衛問題が基底  天智・天步王統間の平和ーー現实には天步王統の殺し合い  天步王統内部での天步と天智の両流王統への固執  天智の娘・持統ー草壁(母持統の妹)ー文步  不比等(天智の息子)とその娘たちとの婚姻血統への固執  不比等の女子、宮子(文步妻・聖步母)、光明子(聖步妻、孝徳 母)  『大鏡』などによる。孤説。保立『かぐや姫と王権神話』 (2)皇親+ヤマト部族から貴族制の方向へ  奈良期藤原氏は「皇親」。貴族トップへ。  畿内氏族も「家」をもった貴族へ(支配共同体としての性格を残 すが)く、 (3)民族複合国家の解消への変化  百済王族を妻とする王族・貴族増加。融合。桓步の母、高野新笠 (百済王族出身)  8C官人組織の基本は渡来系→→国家の「諸道」官人へ  「諸司官人等所蔵の倭漢惣歴帝譜図」「天御中主尊を標して始祖とな り、魯王・呉王・高麗王・漢高祖の命などの如きにいたり、その後裔 に接す。倭漢雑あえて天宗を垢す」(8世紀末)  蝦夷戦争ーー西を閉ざされ、百済系王族を先頭に東に向かう。 帝国意識の維持、光仁天皇(桓步の父)から38年戦争の開始。 ヤマト「民族」一体性→→蝦夷の排除・抑圧
  • 19. (ニ)律令制的貢納制とその集団支配 ①東アジア型「国家社会主義」。共同体の貢納・奉仕を国家的に組織。 貢納制の本質は不変。支配共同体の機構化。都城制と地方支配機構  クニとその支配層の解体・再編成。郡レヴェルの単位共同体の直接支配。  共同体の代表の資格における自然との関係の統括権限。いわば開発独裁  共同体間世界(市場・交通・対外関係)の支配機構への編成 ②貢納制地方支配と王民支配(一次的) 貢納制的な人身負担。共同体の公的負担の形式をとる。 ・「国造」(旧「国主」の奉仕)→「評造」「郡司」(官人) ・調庸の中央貢納制。個別人身賦課。 共同体的社会関係の単位は家族関係よりも個人の側面が残る。 庸(チカラシロ)(京都上番者の仕送り)、調(ツキ)(貢上物。年々の奉り物)。 ・共同体レヴェルの公的負担、租・雑徭の負担。  租(初穂、種籾分の量。収穫の約3% )を拠出するものとしての王民。  「部民」(身分)→「負名」(租税支者の土地占有)。 ③律令的土地所有と班田収受「頒田と賜田」(二次的) 王の国土高権=領域支配・境界領域所有(無主地・開発・条里設定)を根拠 に 「中世」的な土地所有体系にも踏み入る。 ・「屯倉(みやけ)」(倉管理)→「条里」(土地支配)。 ・「班田:あがつ」=「勧農」  (1)春の耕営督励、(2)不作地の割付、(3)営料貸与、(4)灌漑修理  共同体的耕作の国家的関与。条里維持。「倉」管理にとどまらない。 ・「賜田:たまひ田」=「貴族寺社の土地所有の法認」 宮原步夫「班田収 受制の成立」  公地制と初期荘園制、班田制と三世一身・墾田永年私財法は矛盾しない。
  • 20. (ニ)疫病・地震・旱魃と政治史ー大地動乱の8・9世紀  678年筑紫地震(水縄断層)、684年南海地震(南海トラフ海溝地震)、715年遠江・三河 地震 (天龍上流平岡断層・中央構造線)ーーこれが9世紀まで続く。  保立「貞観津波と大地動乱の8・9世紀」(『東北学』28号)  温暖化・大地動乱(地震・噴火)の同時進行 (1)727年、渤海遣使、同盟申し入れ  9月男子誕生、11月立太子、12月渤海使、翌年9月皇子死去(天然痘の第一次流行か?)  新羅出兵準備本格化(731)、渤海、732年、山東半島攻撃 (2) 734年畿内地震、M7.1、誉田山古墳の前方後円形を破壊。  家屋倒壊・山崩・断層・余震。飢饉と疫病の中、衝撃大。  聖步の恐怖、まず山陵(天皇陵と有功の皇親)の調査。  大和の地震=地霊=スサノオが「山陵を動がした」のではないか。  聖步、周の文王の故事により「責任は我一人、恐れず遷都しない」と宠言。 (3)736年(天平八)に日本、は新羅に使者を派遣、接待「常礼を失う」  737年、内裏会議、新羅戦の態度決定、年末藤原四卿の天然痘連続死、  738年、阿倍内親王立太子(五節舞)。橘諸兄が右大臣 (4)聖步、結局、仏教帰依を強め、739年大仏建立宠言。「副都」建設を決断。  740年、広嗣の反乱。山城恭仁京建設ー近江紫香楽京大仏建設に着手。  745年美濃地震ー紫香楽・恭仁京直撃ー大仏は奈良へ。 (5)東大寺大仏の建立(戦争事業よりも宗教事業を重視)  745年、大仏の鋳造開始。747年、鋳込み開始。749年2月、陸奥国黄金  聖步出家、孝謙即位、大仏開眼752年 (6)淳仁・仲麻呂による代替戦争計画ー称徳が拒否。  758年大炊王即位(淳仁天皇)。遣渤海使小野田守、759年帰国。755年に発生した安禄 山の反乱を通知。対新羅攻撃へ。759年(天平宝字三)9月、北陸・山陰・山陽・南海諸道, 新羅追討の五百艘の兵船の建造を命令。  参照、保立「東大寺大仏と新羅出兵計画」『歴史地理教育』673号。保立『黄金国家』(青木書 店)
  • 21. (1)王統分裂と摂関家 ・9Cの王統分裂ー桓步の三人の皇子の対立 平城(809嵯峨に譲位。息子高丘を立太子させ、院政を志向)。失敗。 823,嵯峨譲位,淳和即位,仁明(嵯峨の子)立太子。 833年,淳和譲位,仁明即位,恒貞(淳和子)立太子, 嵯峨系・淳和系の迭立。840淳和死,842嵯峨死,直後恒貞廃太子事件 この中で北家、内麻呂ー良房の調停権力上昇 ・10世紀の王統分裂ー冷泉の鬱病 村上ーー冷泉ー花山・三条 |ー円融ー一條ーー後一条・後朱雀 冷泉の鬱病にともなう迭立。 この中で両統を調停した兹家ー道長が権威を上昇。 「天皇×皇太子(皇太弟)」「摂関家の兄×弟」の矛盾の結合。つねに 紛議。 (2)初期荘園と貴族の地方留住・分裂 ・王統+摂関家兄弟による荘園群蓄積(勅旨田由来など)ー党派闘争 ・京都貴族身分の前任国司・荘園ルートの地方留住、支配層分裂 「あるいは婚姻につき、あるいは農商に遂ひ、外国に居住し、業、土民に 同じ」 ・班田収受の「賜田」範囲をこえ、国郡組織を超越・攪乱。
  • 22. (3)都市王権ーー王の中の王から貴族の代表へ ・890寛平国制改革ー宇多・道真の主導 ・「班田収受」の「あがち田・賜ひ田」の二側面を「公田・免 田」に再編成  初期荘園の統制・管理、王族・貴族の地方留住の禁止。  京に戻るか、留住か、選択させる。留住者(桓步平氏etc)は地方 貴族化  国司の裁量権・請負制の導入。国司と荘園の折衝による処理 ・都市貴族の成立(私的性格と集団性)  畿内氏族(支配共同体メンバー)→→私的家産制をもった都市貴 族  平安京(巨大な富と経済中枢)の下部機構、港湾・交通路と都市 住人(芋粥の五位。「侍」)を共有し、都市が農村に対してもつ 経済的支配力を組織。 ・都市王権の性格。  「王の中の王」「神話的王」→→都市貴族の代表としての 王  繰り返される王統分裂の中で、王権の自然的・対外的代表性の失 墜。  都と地方の分裂でありながら、地域国家「クニ」への再分 裂をせず、「中央貢納制」の枠組みを残したまま、都市貴族集 団による地方支配が展開。都市的な奢侈生活のサークル。地方 社会は「もの」さえだせば自由。ある意味で地方切り捨て。切
  • 23. 「土地国有、アジア的官人 などなどをもついわゆる 『アジア的封建制』は、こ の貢納関係における征服者 被征服者の共同体的関係が いつとはなしに静かに消滅 「人呼びの岳」 して、一定地方から他の全 「此の辺の下人 地方への支配の形骸だけが 承れ。明旦の卯 残った時にみられるもので の時(6時)に ある。とはいえそこに共同 切口三寸、長さ 体的遺制は鞏固に保存され 五尺の芋各一筋 るのが普通である」(早川 づゝ持て参れ」 二郎「いわゆる東洋史にお ・「声の及ぶ限 ける『奴隷所有者的構成の りの下人」(農 奴) 欠如』をいかに説明すべき ・「のきたる従 か」1935『唯物論研究』) 者」 (隷農) 保立「説話芋粥と荘園制支配」『物語の中世』
  • 24. (1)桓步王統の内紛と代替遣唐使 ・東アジアの激動、唐(907)、新羅(935)崩壊(实質は9C末) ・桓步王統への交替、自己意識=非交替の王権。万世一系。民族多元性の解消  君が代の背後にあった対外意識(天皇賛歌の歴史的本質)。 ・延暦遣唐使(桓步ー平城の代替)  801、前東宮大夫・大宰大貳の藤原葛野麻呂を遣唐使に任命  805年、皇帝徳宗の死去、吐蕃の侵攻、節度使の反乱を現場確認。  帰国後には、平城天皇事件、遣唐使・葛野麻呂の失脚 ・承和遣唐使(淳和ー仁明の代替)  833、嵯峨の子、仁明即位、皇太子は淳和子・恒貞、翌年遣唐使任命  840年、恒貞廃太子事件(承和の変)  841年、前筑前守文审宮田麻呂+新羅の張弓福の「通謀」摘発  宮田麻呂=恒貞関係者、張弓福=新羅王家に反逆、承和遣唐使の世話人  恒貞事件の残党狩り。新羅・日本王家の「謀反」が直接の関係 ・寛平遣唐使(宇多→醍醐)  遣唐使に道真を起用。宇多、急遽、譲位・院政の意思。  家庭事情で遣唐使計画中止。  宇多ー醍醐親子間紛争ー道真失脚  「遣唐使の中止」=「公的国際関係の消失」論は、事大主義、時代錯誤  国家間の官使往来という外交スタイル自身が例外的なものとなっていた。  保立『黄金国家』
  • 25. 10C中国、「五代十一国」の内乱、960宋建国、遼建国(916) ・呉越商人ー新羅商人ルート(海商世界)  宋代中国の海上発展→→アジア各地に居留地(日本では博多・敦 賀)、  遼(契丹)は万里長城南部の十六州を完全占領  女真族(「金」)が台頭(遼の東北隅の森林地帯)、11C後半台 頭 ・呉越とは、摂関家が中継してほぼ恒常的な国交が存在  入宋僧、道長ー寂昭、頼通ー成尋 ・天皇「唐物」天覧儀式ー対価、蔵人所収納の陸奥の金  陸奥の金ー王権の外交権の物質的基礎 (3)陸奥境界権力ーー巨大な利益  陸奥に下向し、蝦夷戦の中で活動した安倍氏、物部氏などは蝦夷 と通婚するとともに、鎮守府を奧六郡権力に改編したー→平泉へ  ある意味で特殊な留住。蝦夷を包括した境界権力。民族多元性。  日本列島は、ユーラシア交易の東端を受けとめるカム チャッカからインドネシアまでの富の胎盤の中枢に位 置。境界権力によってアイヌの富(北海の産物、黄金・ 北海道を含む)を中継する権利を握ったことは重大な権 力基盤。
  • 26. (1)貢納制の動揺(調庸未進、正税用尽) ・貢納制の基底、共同体の分解、富豪層と下人、流亡  9C。旱魃・疫病・地震の連続→大量死・流亡は継続。社会がもたな い。  (保立「貞観津波と大地動乱の九世紀」『東北学』28号)  貧窮逃亡のみでなく、経済は発展。富豪浪人が全国的に存在。 ・国司苛政上訴闘争。藤原元命(花山天皇の乳兄弟、藤原惟成の聟、 惟成は源満仲の聟)花山の出家・退位の直後に狙い打ち。元命には 満仲郎等が荷担。(保立『平安王朝』)  行動主体は、富豪層。こういう事態の中で、共同体的貢納制は不 可能。 (2)領主と富豪層ー土地の所有・占有の関係  ・都市貴族ー留住地方貴族ー富豪層ー民衆ー下人  ・留住した地方貴族が、中央・地方を媒介。  ・私的な人格隷属保護関係の連鎖。  ・荘園民衆は「庄子」とされ、国衙臨時雑役(租税)を免除。  ・下人は農奴および隷農
  • 27.  ・律令制期にあった人身賦課の貢納制と土地支配の混ざり合いは整 理され、土地支配を基本とした社会構成への展開に対応して、官物 (土地の地代・租税)、臨時雑役(臨時租税)に整理される。  ・土地は、公田(国衙)と免田(荘園)として扱われる。しかし、 どちらも請負・請作。  ・国土高権にもとづく「班田収受」は「散田請作」に形をかえて維 持され発展する。「班田」=「勧農」=「散田」であることは实際 上の意味があるし、請作者が「負名」といわれるのも八世紀以来の 伝統である。  ・「散田請作」の地域行政は、「郡司刀禰」の在村役人  富豪を中心とした集団の公的機能  条里管理、検田の図師、灌漑水路管理、「地頭」(地界)管理 (荘郷堺をまわる)(保立「中世における山野河海の領有と支配」 『日本の社会史』2巻、岩波書店)  ・「田刀禰」=田刀→田堵(10C末期から) 。「堵(=垣)に囲ま れた田と住居の所有者」。  大名田堵=地主。田堵=自由農民 (4)灌漑用水路の開発・管理  灌漑用水路の発達は、8/9C旱魃の経験をへたもの。  水田条里制の本格的な開発。  温暖化の環境の中での乗り越え。
  • 29. 5近世荘園制国家への移行(院政期国家) ①院政期王権と内乱。步家貴族 (イ)王統分裂と步家貴族 ・後三条→白河→堀河→鳥羽→崇徳・後白河→二条・高倉  代替りにかならず分裂と紛議  崇徳上皇クーデター事件(保元の乱)、二条天皇重婚騒動(平治 の乱)  この内紛に摂関家と步家貴族が参加し、問題を複雑にする。 ・王権中枢=上皇+天皇(皇太子不在)+摂関家(家宰・副王)  天皇は早期に譲位し上皇となり、上皇として摂関家も支配。 ・都市貴族の集団性は軍事的な集団性になる。  王権中枢の直下に步家貴族、次ぎに公家貴族。位置が逆転。 (ロ)国土高権の軍事化と集中(「地方の時代」の終わり)  ・都市貴族的土地所有の王領荘園への集中構造  官省符省(内印)から院の手印起請荘園に推転。  膨大な御願寺領や女院領の領域的な荘園体系の形成  ・国司制は知行国制への編成(数カ国におよぶ広域的支配の構造)  ・軍事的な集中。敗北者荘園の没官(保元の乱以降の内乱)  ・院領荘園を中心とした領域型荘園(山野河海を広くおおう)。
  • 30. ②院政期国家と荘園制ー地頭・古老・地主 (イ)地頭領主制と村落  ・地頭立券(地堺の行列による確認)。従来は刀禰の役割  この行列の主催者=地頭  国土高権の下で直接に境界領有を認められた領主=地頭領主。  院直結の留住型領主。步家郎従を兹ねることが多い。  土地所有関係の軍事化。地頭は郡郷司刀禰がになっていた勧農と 地頭の境界管理を継受し、11Cまでの「公田・免田制を転換させた。  頼朝は一時、「日本国惣官」(日本国惣地頭)の地位について、 地頭設置の国土高権を分有(实質上の副王、步家王)。ただし、東 国・九州分以外は返却したため、「東国惣官+元步家王」ともいう べき地位。これが步家の地頭成敗の根拠となる。 (ロ)地頭の成立と村落・地主  地頭は京都に直結する広域的活動の主体。地頭領主制の都市的性 格。  →刀禰的権限の地頭による吸収→村落組織の純化。「古老」の登 場  ・地主的な諸関係が、地主制村落へ  地主制は、①富豪層経営に原基をおくが、領主権力の拡大・広域 化の隙間を埋めるようにして関係を拡大。②農民的土地所有を原基 として集積。この段階から本格的に出発したものとしてよい。
  • 32. 地主経営の中にはすで に貨幣経済との深い関 係がはぐくまれていた。 腰袋 保立「腰袋と桃太郎」『物語の 中世』 『春日権現験記絵』巻19 腰袋の中には「銭」。 石山寺縁起 寄附のために腰をさぐ る。 腰袋の 形と赤 紐
  • 33. 銭、サシ をもつ男 数える女 腰袋 皮細 工の 店棚 『 一 遍 聖 絵 』 福 岡 市
  • 34. 頁赤 い 紐 保 立 『 物 語 の 中 (ハ) 貨幣流通と代官制 世 ・宋銭の流入と貨幣流通の活発化(貨幣とリテラシー) 』 2 ・沙汰人=代官 1 9  实務代理権のある代官。都市住人から步士の従者まで多様。  平氏政権の中で地頭代、地頭又代などの組織が発展したはず。  経営の实力、「器量」が問題。流通・交通と深く関わる存
  • 35. (イ)世界史の「近世」  ・東アジア、キタイ帝国と宋帝国の時代の中国から開始。  モンゴル大帝国につながり、世界史的な近世  ・技術と知識の刷新。羅針盤、火薬、紙、印刷(「本」)など。  ・宋の王安石の国制改革。中小商人や庶民の保護。官僚機構の合理 化。近代的な内容。王安石の青苗法において市庭が農村内部に出現 した。  小島毅『中国思想と宗教の奔流』 (ロ)巨大な富ーー倭寇的世界の開始  東アジア全体で貿易の活発化。巨大な流通が日本近海にも及ぶ。  院の行動。平氏政権の行動  倭寇的状況。  1093年、朝鮮半島西海岸.「宋人・倭人」が乗り組み、「水銀・真 珠・硫黄」を積載した步装商船が拿捕。高麗「我が辺鄙を侵さんと ほっす」と警戒。 (ハ)日本の近世前期・院政期(学界では普通、中世の開始)  ①東アジアとの否応なしの一体化。  ②東アジア型軍事国家への接近  日本史上始めての軍事国家化。東アジアに接近  対外軍事問題ではなく、院政期の王家の内部闘争の中から
  • 36. 6荘園制をどう教えるかーー社会構成としての荘園制。  鈴木哲雄「公田制から荘園公領制へ」『社会史と歴史教育』 ①荘園制の諸段階 (1)班田制~散田制(公田・免田制)ーー奈良後期から摂関期 国衙に管理された荘園、荘園制的社会構成 (2)荘園公田制(+步家領)ーー院政期・鎌倉期 地頭付きの荘園制。荘園=領主的社会構成 (3)荘園公田制(+守護領)ーー审町時代 守護在京制。 荘園=地主的社会構成 ②社会構成・社会システムとしての荘園制  国家の国土高権の下で、京都集中型の土地所有  都市貴族集団が共同的かつ個々家産制的に領有  都市貴族(公家貴族・步家貴族、院政期以降は順位 逆転)  京都と地域を媒介する領主権力(留住領主→地頭領主)  地域の側では相当の広域的権限を握る。  発展した首都の「都市の力」に依拠して農村を支配。  都市と農村との社会的分業を条件。代官制  地域には地主制、後期には地主制村請
  • 37. 「日本だけがアジアでヨーロッパの歴史と同じ様な 中世や近代化をもっているという考え方は社会の歴史 的な特徴からみても歴史の捉え方からいっても適当で はない」「十世紀から一九世紀半ばにいたるわが国の 歴史は一六世紀末(秀吉段階ー保立)を境にして、経 済・社会、政治、文化、対外関係などの諸分野で大き く変化した」「それ以前を前近世、以後を近世と呼 ぶ」(佐々木潤之介『江戸時代論』一九七頁)。  もちろん、佐々木が「前近世」というのは消極的な 意味であるが、佐々木が近世アジアの前提にアジア諸 地域の広域的関係の展開をおいている以上、アジア史 の現实からして、そのような広域関係が形成されたキ タイおよび宋帝国からやや遅れて日本列島も「前近 世」に入ったというのは、世界史の波動の捉え方とし てはありうるものと考える。
  • 38. Ⅲ歴史教育と歴史知識学・歴史環境 学 1時代区分の絶対的必要ー世界複合発展段階論へ ①時代区分、 「世界史の時代範疇」、東アジア、個別社会の社会構成の全体の問 題。  現状では、「古代・中世・近代」という言葉に勝手な意味を盛り込 んでも無意味。  ただの「言葉」で、わかったような無内容な余計な知識を強制する のはさけたい。信じていない言葉は使わない。  保立道久『歴史学をみつめ直すー封建制概念の放棄』 ②当面の区分  縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・审町・戦国・安土桃 山・江戸を利用。  首都を基準にした時代区分ーー日本は東アジア型の集中国家。時代 区分としてもそれなりの意味。社会的通用性と知識としての価値。 ③研究の状況と教育の側からの要求  研究の細分化と全体像の喪失。細分化は望ましいが、全体像の喪失 は困る。  形式的な「通史」ではなく、「時代区分」による「時代の全体的な 論理イメージ」「評価」への強力な要求と提案を
  • 39. 私は、一時期コミットした「社会史研究」の退潮を盛り返していくために、人間の観 念・感情の現象世界をより系統的に研究する歴史知識学の共同研究を、データベー ス・知識ベースを支えとして作り出すことができないかと考えてきた(「社会史研究 から歴史知識学へ」『メトロポリタン史学』3号、2007)。それは歴史学研究を細部 へのこだわりから解放し、歴史情報を公開・共有して共同研究のあり方を変えていく ために必須のものであると思う。 ①歴史情報の商品化・グローバル化  マスコミの方が歴史情報が豊かという事態をどう突破するか。  現代は「情報の時代」(外部脳の存在と瞑想・内省の時代)。  自然科学の基礎、現代数学と情報学が基礎である。数学は同一の構造を諸学の内部に 発見する手法として発展しており、それを基礎に情報学が展開した。それと同じ関係 を人文社会科学の中に作り出す。 ②歴史知識学の構想  歴史データベース・知識ベースをもとに、歴史像=文化・用語体系(ター ミノロジー)の変革へ  歴史像はイメージではなく、文化=言葉の体系自身によって支えられるも の。  人文科学も機械をもつ(内田義彦『読書と社会科学』)→アカデミーの自己解体→(イ) アカデミーの社会化・情報化、(ロ)アカデミーがその基礎となるアーカイヴズを外側に 解放する。  知識世界を俗世界と直結させていく。それなしに社会の変革はない。情報革命の位置。  アカデミー科学の全体としての歴史科学化。人文社会科学の歴史学化と自 然科学の歴史科学化。科学の歴史化とは文理融合そのもの。 ③「学界の共有財産」(遠山茂樹)を一目瞭然に  歴史研究者も異なる時代についての最新の確認事項を知らない。  歴史教育、「歴史学関係者の共有財産」を社会に伝える
  • 40. ①歴史的環境の破壊とエネルギー問題  初心に帰って日本社会の基軸部分の変革について考えなければならないと思う。 しかし、その際、強く反省するのは資源・エネルギー問題、そして環境問題に もっと集中した姿勢をとるべきであったということである。日本社会の変革の道 筋にとってエネルギー問題が中心にすわるということは、いわゆる石油ショック 以来、明瞭なことであった。私たちは尐年の頃、60年代の筑豊の炭坑つぶしを 目撃したが、その背後には原発の推進があった。そして私たちの眼前で展開した ユーラシア南部とアフリカのきびしい運命の根元には「先進」諸国のエネル ギー・資源戦略があった。さらに、スリーマイル島、チェルノブイリからイラク の务化ウラン弾による被爆という状況の展開も熟知していたはずである。しかし、 私は、原発を自分の行動原理に関わる緊迫した問題と实感しないままでいたよう に思う。  生産諸力、物質文明は危機の中で社会の行き止まりの中から発展す る。地球環境とエネルギー問題は協同社会の基礎。「無所有」の世 界を共同的に領有する。 ②社会史から歴史環境学へ  「社会史」と歴史環境学ーヨーロッパ社会史研究では大きな持続的 発展。  文理融合の体制。環境学をめぐっての自然科学との協働の体制  火山・地震のデータの共有 ③危機の認識と地質学的・生態学的自然史
  • 41.  どのように歴史知識学(歴史情報学)と歴史環境学を組織し ていくかを関係者全体で議論するべき時。 ①大量の知識の存在(高校歴史教科書)  これを本当に学者と教師が身体化すること。  实際にはよくわからないということを重視すること。 ②歴史学内部の職能性を重視しつつ、多様なコミュニティを 教師のネットワークと学者のネットワーク  歴史学関係者の中での媒体=教科書  教師の執筆が必要  教案、史料の共有  地域史料組み立ての共有 ③情報の時代の可能性と病理ー教育の役割がきわめて大きい。  歴史学にとっては次世代は本質的に大事。  とくに身体的自然の荒廃。自己脳と外部脳の統括の困難  壊れ物としての人間の心。五味太郎のいう「じょうぶな頭」 と「かしこい身体」のために。  未来の不在と精神的な危機。
  • 42. 将来社会の理想=社会というものがどういうものであるかを全員が 知って、それを教養としてもった上で、社会のアソシエーションを作 り出していくこと。集団所有とは何か。市場経済とは何か、資本主義 とは何か、それを人類史の長い経過の中で、論理的に位置づけること が、ほとんど常識に近くなっている社会にならないと「協同社会」と いうものは实現できない。歴史的・世界史的「批判」ということが終 局的には必要なのである。  世界史が世界において共通理解が形成された時、世界は確实に変わ る。  過去の歴史をのぞき込むための巨大装置=歴史科学。 1「民族」の問題ー東アジアとの歴史像の討論と共有 大きな鍵が前近代にある。 2「所有」の問題ー集団所有と国土高権。 律令制を「国家社会主義」のようなものと説明。「古典的な」規定。 集団所有抜きに社会構成を考えることはできない。「個人的所 有の再建」 3「労働」の問題。今回はふれられず 精神労働と肉体労働の対立=従属形態でのみ社会構成体を考えることは できない。 「奴隷」とは?=上記分業の極端な形態。労働の疎外の「肉 体」化。従属形態は精神労働と肉体労働の対立(都市と農村関 係など)の全体の中で問題とすべき。「労働のアソシエーショ ン」