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李彦宏の百度世界

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本書では、全面的に百度10年の歴史を紹介している。作者がRobinから始め、百度すべてのキーマンを密着取材したため、普段知られていない百度の裏話を披露した。
ただし、本書が百度を宣伝する意味も含まれていると個人的に思うため、皆様の客観的な見方を持って、この紹介を読んで頂ければと思うのである。

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李彦宏の百度世界

  1. 1. 「李彦宏の百度世界」 紹介 Tom Rong|2009/11/08 1
  2. 2. Robin’s Profile 名前: 李彦宏'Robin Li( 生年月日: 1968年11月17日 出身地: 中国山西省陽泉 学歴: 北京大学情報管理学専門学部卒業 ニューヨーク州立大学バッファロー校へ留学、 コンピュータサイエンス修士学位 職歴: 8年に及ぶ米国生活では、ダウ・ジョーンズ社グループの『ウォール・ストリート・ジャーナル』オ ンライン版のリアルタイム金融情報システム設計、インフォ シーク社の検索エンジンの設計、 GO.COMの画像サーチエンジンの開発等に従事。1996年には、米国にて、現在の Baidu テクノ ロジーのベースとなる検索アルゴリズムに関する特許を取得。 2000年1月1日、ベンチャーキャピタルから120万ドルの融資を受けてアメリカシリコンバレーよ り帰国、Baidu, Inc. を北京中関村に設立。「中国人のための中国語検索エンジンを作り出す」こ とを目標に、大手ポータルサイトへ検索技術の提供を開始。Baidu, Inc. は急速に中国の検索エ ンジン市場を席巻し検索エンジンサービスを提供する最も重要な企業となる。2001年にBeta 'ベータ(版をスタートした検索サー ビス Baidu.com は、現在中国において70%を超える市場 シェアを占めるまでに成長。2006年12月には、米国のビジネス雑誌『Business Week』において、 世界中のリーダーの中から「2006年度ベストビジネスリーダー」第4位に選出されている。 ※出所:Baidu 会社情報 作者:程東昇 知名ファイナンス報道人。10年以上のメディア関連仕事経験を持ち、歴史、人文、経済の3つの角度から中国企業と企業家の成長を観察し続けている。99 年以来、中国通信大手メーカー華為を継続的に追跡および研究して、業界内部で華為研究専門と呼ばれる。03年に出版された「華為真相」で一世風靡した。 現在、中国大手ファイナンス新聞社 「21世紀経済報道」を属している。 2
  3. 3. Baidu’s Profile •社名: 百度'Baidu( 5,000.0 •設立日: 2000年1月 4,500.0 •所在地: 北京理想国際大廈 4,000.0 3,500.0 •代表者: Robin Li 3,000.0 •社員数: 7000人'2009年現在( 2,500.0 •理念: User First, User Friendly 2,000.0 1,500.0 •使命・責任: 1,000.0 Baidu は最も速く、便利に、的確に、ユー 500.0 ザーが求めるものを探し出せる検索 0.0 サービスを提供していきます。 (500.0) 誰もがより便利な世界へ。 2009 (単位:百万元) 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 (見込) •性格: シンプル、頼れる Total revenues 6.5 11.0 40.6 117.5 319.2 837.8 1,744.4 3,198.3 4,416.9 •文化: Net income (15.9) (18.6) (8.9) 12.0 47.6 301.8 629.0 1,048.1 1,531.3 ユーザーニーズ すべての指針は、 ユーザーニーズです。 ※出所:Baidu Financial Reports 知識共有 絶えず学び、共有します。 事実追究 事実に即して率直に議論し、 誠実に取り組みます。 体系思考 体系的に考え、問題を解決し ます。 挑戦卓越 最高の存在を目指し、挑戦し ていきます。 効率追求 時間を有効に使い、効率を 追求します。 ※出所:Baidu 会社情報 ※出所: 3
  4. 4. Baidu’s Profile 2001年 2006年 •2000年01月 百度創立 •2000年10月 Sinaに検索サービス提供 •2001年08月 Baidu.comと 「競価排名」 リリース •2002年11月 mp3検索リリース •2003年12月 「百度貼バー」リリース •2004年03年 GoogleChinaを抜き、中国検索No.1 •2004年08年 hao123買収 •2005年06月 「百度知道」リリース •2005年08月 NASDAQ上場 2009年現在 •2005年09月 地図検索リリース •2006年03月 NOKIAモバイルに検索提供 2002年 •2006年04月 「百度百科」リリース •2006年07月 「百度空間」リリース •2006年09月 「ランキング総合指数」導入 •2006年12月 ブログ検索リリース •2007年03月 Baidu.jpベータ版リリース •2007年09月 ゲームチャンネルリリース •2008年02月 百度IM 「百度Hi」リリース •2008年09月 百付宝リリース •2008年10月 百度C2C YouAリリース Baidu’s new office 「BoxWorld」 •2009年02月 「娯楽沸点」開催 2003年 •2009年05月 「李彦宏の百度世界」出版 •2009年07月 蘇寧電器と提携 •2009年08月 「Box Computing」 構想発表 •2009年09年 日本版モバイル検索リリース •2009年10月 百度旗艦店チャンネルリリース •2009年10月 百度パーソナライズTOPリリース 4
  5. 5. 前書き 本書では、全面的に百度10年の歴史を紹介してい る。作者がRobinから始め、百度すべてのキーマンを 密着取材したため、普段知られていない百度の裏話 を披露した。 ただし、本書が百度を宣伝する意味も含まれていると 個人的に思うため、皆様の客観的な見方を持って、こ の紹介を読んで頂ければと思うのである。 5
  6. 6. 目次 第一篇 灯火阑珊处 第一章 シリコンバレーから中関村へ 第二章 百度真正の誕生 第三章 アメリカでの中国概念株神話 第二篇 轻舟万重山 第四章 検索ソーシャル化への道 第五章 熟成なチャンネル 第六章 「後羿計画」:伝統転覆 第七章 もうひとつの支点:電子商務へ進出 第八章 マルチ産業チェーン構築 6
  7. 7. 目次 第三篇 会当凌绝顶 第九章 日本進出 第十章 技術で天下取り 第十一章 ビジネスモデル調整 第十二章 李彦宏の管理哲学 第十三章 世界級企業の雛形 7
  8. 8. 第一篇 灯火阑珊处 …人込みの中を幾度となく探し回った。 ふと振り返ると、あの人はいた。消え入りそうな灯火のそばに。 「百度'Baidu(」の名前は、この中国宋時代の古い漢詩の一節に由来。 文字通り、幾度も探すという意味の「百度'Baidu(」という言葉は、検索エンジンのカタチそのもの。 どんなに偉大な、長く続く会社であろうとも、だれも「消え入りそうな灯火のそば」からやってきった... 8
  9. 9. 第一章 シリコンバレーから中関村へ 94年夏にState University of New York at Buffaloで院卒したRobin、Dow Jonesの一つの子会社のオファーをも らった。Wall Streetでの三年間に毎日金融ニュースを相手にした。当時Robinが作ったシステムが今でもWall Street の様々な企業に使われている。 97年夏、RobinがWall Streetから離れ、シリコンバレーのある検索エンジン会社-Infoseekに入り、 Chief Software Architectを担当していた。Robinが開発したESP技術はInfoseek/GO.COM のサーチエンジンに応用されているほ か、GO.COMの画像サーチエンジンも開発していた。Robinが技術で世界を変えるという夢があって、それを実現す るために、技術だけでは足りなく、創業という思いがだんだん強くなってきた。 99年10月、中国建国50周年。Robinが留学代表として招請された。同年、Infoseekがディズニーに買収された。それをきっかけに、Infoseekの 株式オプションを捨て、Robinの妻が推薦された徐勇氏と一緒に120万ドルのベンチャー資金を集まって99年末に帰国した。最初に考えたモデ ルはポータルサイトに検索エンジンOEMを提供する。創社メンバーはRobinと徐勇、そして中国初検索サイト天綱の開発者北京大学副教授劉 建国、あと4人の北京大学生、合わせて7人'後称:7人の侍(。 創社からの4ヶ月後の00年5月に、最初の百度検索エンジンを作り上げた。Sina、Sohu、Neteaseなどのポータルは 相次いで百度のユーザになった。 2000年ネットバブル崩壊の影響で、第2回ベンチャー資金調達は非常に辛かった。Robinは会社を売ることまでも 考えた。毎日徹夜の百度メンバーのやる気に投資ベンチャーを引っかかれたかもしれないが、最終的に1000万ドル を調達できた。 2001年夏に、国内80%のポータルサイトを百度の検索技術を利用するようになった。百度経由のトラフィックがますます増えていたが、なかな かお金には置き換えられなかった。アメリカ株主の意見で、Akamaiのモデルをまねってコンテンツ配信システムを作っちゃったが、アメリカと中 国の市場の違いであんまり受けられなかった。Robinは検索市場の潜在力がまだ発揮されてないため、独立の検索サービスを作りたいと考え た。だが、取締役らが猛反発。 9
  10. 10. 第二章 百度真正の誕生 独立検索サービスのビジネスモデルは?Robinは当時のGoto.comが作った「Pay Per Click」モデルを参考し、 中国特有 の事情を考慮し、「競価排名」というサービスを考えた。 「競価排名」は当時の中国検索業界でよく使われている「キーワー ド年費制」と「走馬灯制」のモデルと違って、効果'ユーザサイトに流れたトラフィック量(を基づく課金仕組み。キーワードの 単価は百度で決めている訳ではなく、市場の需要に任せている。 Robinは「競価排名」を取締役会に提出したが、取締役らの猛反発を招いた。理由1:ネットバブル崩壊直後に着実に進め ていくべき。理由2:今までのOEMを取りやめ、一旦「競価排名」がうまくいかなかったら、百度の収入が切られてしまうリス クがある。いつも冷静なRobinは「百度に独立検索ビジネスをやらせないなら、会社を終わりにしよう!」と叫んだ。最終的 に取締役らは妥協した。取締役らの話によると、論拠に説得されたわけではなく、Robinの断固とした態度のためだった。01 年9月22日にbaidu.com と「競価排名」同日リリース。百度が本格的にスタート。 百度が最初に知られたのはある事件の影響だった。02年3月のある日、Sinaで検索すると、「Sinaが利用料を支払ってないため、百度がサー ビス停止した。引き続き検索サービス利用を利用したい場合に、www.baidu.comへ。」という赤字が表示された。当時のSinaはすでに中国ポー タルのNo1になったため、この事件で大量なトラフィックが百度へ流されていた。 Googleは2000年に中国に進出し、01年までにすでに中国検索No1になっていた。成立したばかりの百度がGoogleに対抗 するためにRobinはある対策を考えた。02年から1年間の開発期間を設けて、Googleの弱み-文字検索をしっかり対応して いくという「カミナリ計画」が始動した。さらに、賛否両論のMP3検索の導入することによって、百度のシェアが上昇しつつ、 04年までにGoogleと対等になった。 「競価排名」リリース後、初日売上1.9元、01年末にデイリー1000元まで持ってきたが、02年売上目標をRobinに無理やりに600万元までに上 げられた。最初に営業に苦戦した百度は、顧客を拡大するために代理店という営業方式を考えた。営業をしっかり管理するため、ある大手企 業の専門経営者を雇った。足並みもちゃんとそろえたため、「競価排名」はしっかり伸びていた。 10
  11. 11. 第三章 アメリカでの中国概念株神話 03年末から百度は上場の準備をし始めた。Robinは百度の総資産を1.5億ドルと評価し、04年6月に3回目のベンチャー資金調達でGoogle を含む8社から1470万ドルを集まった。Googleの投資を受け入れた1つ目の理由とは、Googleの世界中の影響力を利用して、NASDAQに上場 する前に、アメリカ人に百度を知ってもらうためだった。もう1つ目の理由は、Google引き延し策だった。Googleの油断する間に、中国市場を巻 き取ろうというRobinの考えだった。同年、様々な原因で創社メンバー徐勇が百度から離れた。 04年9月にCFO Shawnの到来に伴い、本格的にNASDAQ上場準備は始まった。外国の投資者たちに世界最大の中国語検索エ ンジンという位置づけの百度を知ってもらうために、右側の図を目論見書の表紙として採用された。英語の私という意味の「I」を3 8種類の中国語の「私」にて支えられているイメージ。中国語表現の多様性や、百度の中国語検索エンジンの本質をよく現れた。 05年7月13日、百度は正式的にNASDAQに上場申請書類を提出した。 アナリストの分析によると、百度の上場は2つの優位がある。1つ目は一年前SNDAのNASDAQ上場の成功、2つ目は百度のモ デルと似たGoogleも上場当年度の最高のIPOだった。このため、上場前の公募はすぐ終わってしまった。 百度上場のカウントダウンのときに、Google CEO Ericは百度に訪ねた。百度が買収されるではないかとい ううわさも出てきた。EricはRobinに上場しないように勧告したが、Robinにやんわりと断った。悪意買収を防止 するため、百度がある対策を考えた。上場後に、百度の株をA類とB類に分け、A類は公開発行、すべての元 株はB類とする。B類の1株の表決権はA類の10株と相当するという計画を策定した。 05年8月5日、投資家の値下げ意見を左右されずに、Robinは1株27ドルという値段で取引を始めさせた。その 後、すぐに100ドルを突破した。当日の引け値は122.54ドル、百度の時価総額は39.58億ドルに至った。Robinは 22.9%の株式を持ち、約9億ドルの資産を相当する。あるテレビ局でRobinへのインタビューでどのくらいの野望が あるかと聞かれて、「自分の実力と同じくらい」とRobinが答えた。 右側の写真は百度本社にある上場当時に作れたポスター 「百度人民很行」'※很行:凄い(。 05年百度の売 上は2.96億元、その翌年の06年8.5億元まで伸びたが、競合相手のGoogle、Yahoo、MSなどと比べ、先長い挑 戦。 11
  12. 12. 第二篇 轻舟万重山 早发白帝城 唐・李白 朝辞白帝彩云间 千里江陵一日还 两岸猿声啼不住 轻舟已过万重山 朝に辞す 白帝彩雲の間 千里の江陵 一日にして還る 両岸の猿声 啼いてやまざるに 軽舟 已に過ぐ 万重の山 NASDAQ上場の成功は、短期間の運という風に取られたのかもしれないが、 百度成長の源泉は、ユーザのシンプルなニーズを基づいた創新である。 まさに、李白の詩のように、最も重要なのは「軽舟」... 12
  13. 13. 第四章 検索ソーシャル化への道 05年から話題となっているWeb2.0。ブログ、 Wikipedia 、YoutubeなどのUGCモデルと、Myspace、FacebookなどのSNSモデル。ウェブ上の情 報は極わずかだが、大量の情報は人の頭の中にある。どうやって沢山隠された情報を掘り出して、さらに人と人のコミュニケーションを強化す るのか。検索ソーシャル化という概念が生まれた。 03年12月3日に「貼バー」サービスリリース。キーワードを検索しながら、そのキーワードと紐付くソーシャルサイト-「貼 バー」で発言できるようなサービス。ユーザが自分と同じ興味を持っている人たちとディスカッションしたり、ウェブで検索し ても出てこない問題を質問したりとかはできる。さらに、サービスを充実させるため、ソーシャル詳しい当時北京大学BBSの 管理者李明遠氏を採用し、「貼バー」のサービス担当とした。 当時の調査によると、ブロガーたちがサービス安定性や、スピードに不満がある。また、人気度すでに高い 「貼バー」が キーワードをベースとした縦軸だけだが、人と人の繋がりの横軸が必要。06年7月13日に「快適、安定、簡単」な「百度空 間」をリリース。パーソナライズを重視するため、ユーザにとって余計なものを隠せる。百度のLogoまで。 検索エンジンのキーワードIndex方式とユーザの自然言語表現方式の間に大きなギャップがある。このキャップを埋める ために、「知道」サービスが生まれた。ユーザが具体的な質問を提出し、懸賞方式で回答を募集する。さらに募集された答 えを検索結果とし、類似な質問を持つユーザに共有させるというサービス。05年6月公開テスト、11月正式リリース。リリー スから1年後に1000万問題登録達成。今毎日数万問題が提出・解決されている。 「知道」に「○○とは」というような質問が多くて、ユーザが物事の定義を求めてるではないかと考えて、06年4月に「百科」 サービスが生まれた。 Wikipediaのように、誰でも記事を編集したり、作成したりできるため、記事の質がどんどんあげてい ける。2年後の08年に、累計110万記事を収録し、しかも270万回の改修。中国最大級の百科全書となる。 「貼バー」でQQ番号交換が頻繁に行われてる事に気付き、百度は「百度Hi」'IM(を作り始めた。完全に自社開発、1年掛 けて作った。通常のテキスト・音声・動画チャット機能や、ファイル転送機能のほかにも、百度のほかのサービスとの連携も 考慮されていた。08年3月26日に外部公開。 13
  14. 14. 第五章 熟成なチャンネル 「競価排名」の発展と共に1つの問題にぶつかった。すべてのキーワードが同じ開始価格を設置され、ユーザに自由に競売してもらうという 一見して市場のルールを沿ったモデルだが、すべてのキーワードの価値が市場に認識してもらう前提が必要。あるキーワードが多くのユーザ に気付かれずに、唯一の入札者が幸運児になるわけ。すべてのキーワードの価値が体現されるために、市場経済にマクロ調整が必要と同 様に、 「競価排名」にも微調整が必要。 06年6月1日に、 「競価排名」が統一開始価額制度を取りやめ、「スマート開始価額」を導入した。創新性のあ る調整だが、ユーザが簡単には納得してなかった。本来ユーザが随時に登録内容を編集できたが、新しい仕組 みだと開始価額はユーザの設定価額より上回った場合にユーザの編集が出来なくなるため、導入初日から ユーザ問い合わせに巻き込まれた。百度が自己反省し、会社利益とユーザ利益のバランスをよく検討すべきと いう教訓を学んだ。同年9月に各要因を総合的に考慮し、「ランキング総合指数」を導入した。順位を決定する要 因となった入札価額に関連性指標を加えた。入札価額とキーワードとの関連性が合わせて順位を決定するよう になった。キーワードの価値をよく体現できたし、ユーザの投入もバランスよくなった。 「競価排名」はもう1つの抜け穴、無効クリック。悪意のあるクリックや、ユーザの無意識なクリックなど、いずれもカウントしてはいけない。百 度には無効クリックを検出するための専門チームがある。数年を渡って、数多くの検出ノウハウを積み重ねた。時間や、地域、歴史データな ど数十から百以上のアルゴリズムを利用し、クリックが有効であるかを判断している。 どうな優れたシステムであれ、メンバーサービスが抜けてはいけない。更に、中国のネット普及率がまだ低い ので、ユーザの教育が非常に重要である。百度の充実なメンバーサービスにより、本来の経費消費部門から利 益部門に変わった。百度のメンバーサービスはユーザの問い合わせ対応だけでなく、ユーザの実情に応じて提 案することもできる。ユーザと共に成長、品質のいいサポートに応え、ユーザが更新料を払ってくれる。 03年売 上実績に、4割が営業活動の取得、残りの6割がメンバーサービス経由で常連客の更新料。 規模の拡大と共に、体制問題が浮上した。営業タスクの細分化、標準化管理、人事考課の統一化などさまざまな対策を打ってた。 14
  15. 15. 第六章 「後羿計画」:伝統転覆 今現在の消費者が求めてるのは大衆化からパーソンナライズ化に変えていく中に、大 規模、大範囲の広告投入の効果がだんだん薄くなっている。06年7月に行われた百度カ ンファレンスで百度精準広告'行動ターゲティング広告(が発表された。 精準広告を実現するため2つの前提が必要。1つ目は先進な分析技術:ユーザの検索内容や、閲覧履歴や、更にネット上での発言などさま ざまの角度からユーザの好みを分析する。2つ目は膨大なユーザ数:百度は90%の中国ネット人口をカバーできていて、膨大なトラフィックだけ でなく、最大級のネット人口行動&意識データベースにもなる。百度の精準広告は百度のすべてのチャンネルをカバーしているだけでなく、百 度の提携先まで幅広い範囲で配信できるようになっている。広告主が細かいターゲットを設定できるし、広告の効果を基づいて支払う仕組み となっているので、最大限にユーザの支出を節約できる。 精、準の意味を示すため、後羿が太陽を射落とした伝説を引用し、「後羿計画」と命 名し、精準広告開発がスタートした。ユーザの検索内容、「貼バー」のコメント、「百科」 の記事、「空間」のブログなどをすべて百度のDBに入り込む。ユーザの足跡情報と広 告主の設定内容との関連度に基づいて、ユーザの順序を決める。それを実現するため に、いろんなアルゴリズムを利用したが、最も重要なのは重み付け係数。時間、行動、 内容の3つの方面から重みをつけている。'※詳細は右下にて参考( 数十名のエンジ ニアが2ヶ月を掛け、システムが出来上がった。 伝統の広告と比べ、精準広告の特徴としては、1.ターゲット明確'関連性の高いユー ザにしか配信しない(、2.柔軟性'キーワード数と配信人数が自由に設定できる(、3. 効果可視性'配信後のユーザ行動を更に追跡・分析し、広告効果を見える化へ( ・時間軸:検索行為が近れば近いほど関連性が高 い。・行動軸:検索<クリック<「知道」で発言という順 ユーザの行動をしっかり把握できたため、個人情報保護に違反してるではないかと 番で関連性を決まる。・内容軸:同類内容に対し、検 いう疑問があった。08年1月、Robinがイギリス首相ブラウンと会談する際に、Robinは 索キーワードがより具体的なほうが関連性が高い。 こう答えた、「あなたのありうる情報を取得できたが、あなたが誰だかは知らないし、把 握した情報にてあなたに傷つけることも出来ないよ。」 15
  16. 16. 第七章 もうひとつの支点:電子商務へ進出 この数年、EC企業は相次ぎ立ち上げ、国際大手の参入、EC業界の買収案件も次々と進んでるという中国EC市場。06年末に百度の分析に よると、TaobaoがeBayを勝ったわけではなく、eBayが相次ぎとEC発展に逆行する対策を打ってしまった。一方、Taobaoではやるべきことを継 続的にやっているために成長が速い。百度を使って、商品情報や、商品レビューを探すユーザが増えてることに気付き、ユーザのニーズを満 足させるため、百度はEC進出と決めた。いくつか主要なC2Cサイトを分析し、購買双方の間にスムーズなチャンネルがまだ整備されてなく、顧 客が自分のほしいものを探しにくいし、店舗がプラットフォームを利用してアピールすることも難しい状態。また、大体のECサイトの検索エンジ ンがいけてなくて、百度には十分なチャンスが与えられた。以上のことに基づいて、百度はESE' E-commerce based on search engine (、い わゆる検索エンジンをベースした電子商取引というモデルを採用した。 07年6月に、当時「貼バー」を担当した李明遠氏が任命され、EC開発部隊と百度初の事業部 - EC事業部を立ち上がった。この部門は独自 なヒト、カネ、モノの支配権を持つ。人員方面、2台P3/866で12万人同時オンラインの北大BBSを構築した人物が始め、当時清華BBSで活躍し たメンバーたちも加入した。07年10月18日に百度のC2C進出が外部公開、中国EC業界で大きな波瀾を起こした。 Robinが考えたC2C進出の切り口としては、やはり「検索+ソーシャル」。中国EC業界は、現在のところは資本競争の初期段階、いかに低コ スト、ハイスピードで集客できるかは勝負のカギとなってる。次の段階の競争中核はサービスであって、より品質のいい、付加価値のある サービスを提供できる企業は勝ち残す。サービス競争段階が終わった後に、消費者たちは定着でき、C2Cプラットフォームは膨大なソーシャ ルサイトになりがちである。Appleはまさかにこのソーシャルマーケティング段階となっている。百度は、既存の検索エンジンと、「貼バー」、「知 道」、「百科」などのソーシャルサービスをベースとしたC2Cプラットフォームを構築することによって、シナジー効果が期待されている。 信用問題と決済問題を解決するために、今まで利用した様々な決済システムを統合し、「百付宝」というエスクローサー ビスが生まれた。 全国で様々な企業誘致活動を行った末に、1万店舗、100万商品と百度ソーシャルサイトから集まった5万ユーザを持っ て、08年10月18日に百度C2Cプラットフォーム – YouA は正式リリースした。実際YouAリリースの1ヶ月前に、Taobaoとの 戦いはすでに始まった。Taobaoは悪意店舗防止の名目で百度spiderを遮断したことに対し、Taobao店舗にリンクを直接に 提供してもらうため、百度はグリーンチャンネルを用意した。アリババのTaobaoに5年間50億投資プランに対し、Robinは ユーザニーズに合わせ百度のペースで進むと語った。アリババと百度のEC戦争は一触即発! 16
  17. 17. 第八章 マルチ産業チェーン構築 04年、百度連盟'Google AdSense と似たようなモデル(を創立した。百度連盟は百度以外分野で百度の影響力を高まっ ていけるし、競争相手を抑制することも出るので、Robinは積極的にサポートしてあげた。連盟のパートナーの信頼を得る には、、ほかの企業みたいに連盟の収入の割合を削って目標を達成させることが消してやらない。 06年初、3Gライセンス年内に発給といううわさに対し、各ネット企業が動き出そうとしてる中に、上場したおかげで膨大の資本を集 まった百度は市場を分析した上に、大手メイカーと提携し、ケータイに百度の検索アプリを埋め込むというプランを考えた。大手メイ カーの中に、Motorolaや、SonyErrisonや、 SumsungなどはすでにGoogleと提携したが、唯一提携してないのはNokiaだった。 Nokiaを 説得するために、百度の市場シェアをアピールすることと、リスク分散するため国によって提携相手が変わってくることを納得までに 言い続いた。06年3月17日に、両社の提携が発表。2つのモバイル検索派閥' Google+MotorolaとBaidu+Nokia (が成り立った。 Nokia との提携は百度の初の国際連携だった。これを促したのは任旭陽氏が率いた戦略合作部'Business Department(だった。 任旭陽氏はBD部主管になってから、デジタル音楽産業を固めようと考え、音楽業界のパートナーを探し始めた。百度のBD 部は提携相手選別には1つの原則があって、最初に必ず該当分野のTopOneと交渉する。困難は当たり前のことだが、一旦 合意を取れたら、この分野に顕著な影響力を与える。中国音楽業界において、百代'EMI中国(、Sony、UNIVERSAL、 Warner の4社は中国市場の70%を占めてる。その中、百度が選んだのは中国で歴史一番長い百代だった。当時、百度と百代傘下 の1つ音楽業社の間に著作権を巡る訴訟があって、それをきっかけに百代の経営陣と接触する機会をつくった。任旭陽氏は 音楽業界今後の動向について詳細に分析をし、両社が共にメリットを出せるようなプランを提案した。EMIのコンテンツを合法 的に無料で広告付のストリーミング配信するという新しいビジネス。07年1月16日に両社の提携を発表した。第1回目の交渉 から1年半経った。しかも、この交渉は超極秘で全社においてRobinと任旭陽氏の二人しか知らなかった。その後、百度続々と ほかのレコード会社と提携した。「無料配信+広告収入」モデルは、今まで対立したレコード会社と検索エンジンを結ばれた。 07年末に、デジタル音楽業務をBD部から独立させ、レコード会社と交渉することを専念に。更に08年末に、当時の UNIVERSAL中国総経理梁康妮氏を招いて、デジタルエンターテインメント事業部を創立した。デジタル音楽からデジタ ルエンターテインメントに幅広く事業を展開した。09年2月19日に、百度が地方大手テレビと提携し、北京ウォーター キューブで「娯楽沸点」というイベントを成功に開催した。視聴率は、CCTVの次に2番目という記録が作られた。 17
  18. 18. 第三篇 会当凌绝顶 望岳 唐・杜甫 岱宗夫如何 齐鲁青未了 造化钟神秀 阴阳割昏晓 荡胸生层云 决眦入归鸟 会当凌绝顶 一览众山小 岱宗夫れ如何 齋魯青は未だ了らず 造化は神秀を鐘め 陰陽は昏暁を割つ 胸を盪かせば層雲生じ 眥を決すれば帰鳥入る 会ず当に絶頂を凌ぎて 一覧すべし衆山の小なるを 成長が旅だとすれば、終点がなく、次の目標のみである。 「青春期」を過ごした百度は「成長期」を迎え、日本進出の成功がただのもう一つの出発点だ。 「絶頂を凌ぎて」というのはすべてのネット企業の追求であり、百度も例外なく... 18
  19. 19. 第九章 日本進出 06年、百度上場から1年たった。「大国崛起」という特番、過去500年の間に大国へと成り上がった国々の歩みを紹介した もので、Robinに大きなヒントを与えた。国家の成長が国際へ影響を与える大手企業の成長と伴ってるわけで、Robinの国 際進出の思いが固まった。次は進出先の選定、Googleと衝突しないように英語圏を避けて、中国と文化近いの日本、韓 国、ベトナムの3つに絞ったが、韓国本土の検索エンジンが強い、ベトナム市場が小さい。残りの選択肢は日本のみ。 06年6月に、Robin、CFO王湛生、任旭陽の3人が日本に尋ねた。楽天、Mixi、電通などの大手と接触し、更にGoldman Sachsに日本進出の可 能性を分析したもらった。Robinの決意を社内で共有し、反対の声に対し、Robinが日本進出の4つの理由を挙げた。1.距離が近い、本社開 発の効率がいい。2.文化が近い、現地のニーズを理解しやすい。3.競争相手のGoogle、Yahooは熟知であり、しかも相手のローカライズ化 が不完全。4.日本発の影響力のある検索エンジンがない。ただ、日本人に先入観の偏見があるため、よほどのいいサービスでなきゃ…百度 に日本語堪能の技術者が尐ないため、既存のエンジニア+通訳者という組み合わせで、06年7月に日本版検索エンジンの開発が始めた。 開発と共に、日本支社の構築も着々と進めていた。「中国エンジニア+日本営業」というRobinの構想。当時DAC北 京現地法人COO 陳海騰氏が自薦して、日本駐在首席代表として一人で日本に飛び込んだ。06年12月7日に、日本 進出が正式に発表したが、住所の選定、設備の購入、IDCの構築など、日本で認知度のない百度にとっては難し かった。3ヵ月後に、IDCが構築できていて、予定とおりの07年3月20日に日本版百度をリリースできた。タスクをきっ ちり分解することによって、どんなに大規模のプロジェクトと言っても予定とおりに完成できるという「百度Way」。 07年4月温家宝総理訪日で、注目すべき中国企業がHaier、Lenovo、百度などと挙げられた。百度の認知度は一躍 高まった。更に、ソニー前会長兼グループCEOの出井伸之氏が社外取締役として就任。 07年3Q前に日本業務への投入は700万ドル、百度創業当時の5、6倍だった。日本人に合わせた画像・動画検索や、 ブログ検索などのサービスも続々とリリースされた。一部日本企業向けのbaidu.comへ広告配信サービスをやってる が、ほかに収益を得るサービスは一切ない。Robinが考えたのは、まず広告なしのシンプルUIで日本のシェアを奪うこと だ。一旦日本ユーザに納得してもらえば、「競価排名」という世界通用なサービスを出していく。 08年8月1日に元Yahoo検索事業部長井上俊一氏がBaidu.jpの日本総裁に就任、百度のローカライズ化の決心が明 らかになった。 19
  20. 20. 第十章 技術で天下取り Googleとの戦いは、百度創社から一度も止まったことがない。05年、百万ドル級でCNドメインの買収や、中国研究所の創 立や、MS副総裁李開復の中国総裁の就任などの対策をGoogleが打ち出した。Googleの大規模の投入に対して、百度は小 さいな歩幅で速いスピードでGoogleを追いかけ、そして追い抜く。検索エンジンの応用レベルで、常にユーザのニースに反 VS 応しないといけないので、大投入、短期間で解決できるものではない。技術の面においても、最初はシステムダウンなどの 大きな障害を何度も経験したが、積み重ねることによって、最適なアーキテクチャや、リリース手順が残された。世界大手と の戦いで百度の技術者たちがよく鍛えられた。 百度がGoogleともう1つ大きな違いとは、Googleは圧倒的な技術でユーザに刺激を与えてユーザ粘着性を高めるという「利己主義」に対し て、百度ではユーザの要求を出発点としてヒトを助けるためにサービスを作るという「利他主義」。Robinの話に言い換えれば、「市場に納得し てもらえない技術はビジネス価値になれない」。例えば、SEO対策のMETAタグ利用について、自分のページを検索結果の前に持ってる来るた め、あんまりに大量のキーワードをMETAタグに埋め込むという不正行為に対して、百度はそれを検出するため専門部隊を設置した。 技術を更なる進歩するため、そして世界との距離を短縮するため、Robinの恩師William I. Chang氏をCSOに任命。二人の出 会いは96年、当時Infoseek CTOのWilliamは、ある学術会議でRobinと出合った。RobinのESP検索技術にすごく興味をもって、こ の技術を2000万ユーザ持つInfoseekで実現してみたいなとRobinに呼びかけた。WilliamがInfoseekの一代目の検索エンジン Ultraseekを作ったが、Robinは第二代目のESP検索エンジンを実現できたと言える。10年後06年12月6日に正式にWilliamが CSOと任命された。Williamが入社して、技術者の視点から人材採用、育成、考課などの多方面を改革した。例えば、今まで開 発効率を考課規準としたが、それに技術価値'アーキテクチャ面や、拡張性など(、人材価値'成長できたか、能力発揮できた か(を加え、客観的な評価仕組を作った。更に、技術委員会の設立、マネージャー評価からエンジニア同士評価に変わった。 08年10月6日に、2年ほど空いたCTOの職位は、元華為副総裁の李一男氏に任命した。27歳の若さで中国大手通信会 社華為の副総裁になったのは、抜群な実力を持ってるわけ。一度華為から離れて創業し、華為の競合になって、更に華 為に買収されという伝説な経歴。ここまで、百度の技術管理部隊を揃えた。CSO William、製品副総裁兪軍、最高技術責 任者郭氏、崔氏が直接CTO李一男氏に報告、CTO李一男氏はRobinに報告というルートが決められた。李一男の到来に 伴って、千人が動員され、密かに開発を進行している「アラジン計画」も浮かび上がった。 20
  21. 21. 第十一章 ビジネスモデル調整 創社早期、ポータルにOEMを提供する百度が生き残るために、企業向けの検索ソフトを開発する部門'ES部(を設立し た。「綱事通」というソフトを開発した。更に02年7月に「競争情報システム」に進化させた。「競価排名」が始めてから、企業 向けソフト事業を拡大するため、ES部を事業として独立させた。すぐに業界No2になって、神州デジタルや、中国石化、中 国移動、国務院情報局など企業に採用された。売上伸び率も80%前後、05年の売上は2000万元だった。 一方、05年「競価排名」の売上は3億元。企業検索の要求ははるかにスピードダウンとなっている。ここで、Robinが経営陣と検討したうえ、ES 事業から撤退と決めた。売るか、切るかは悩みながら、ある欧州企業が1000万ドルの価格で買収するという意向があったが、最終的に、解雇 費用含め2000万ドルの損失にも拘らず、Robinは切ることにした。理由としては、人材を残したかった。当時ES部全部で57人、全員を客観的に 評価し、27人を残した。計算して一人当たりに1000万元を掛かった。 百度は「検索+ポータル」のモデルを試したいため、ファイナンス・チャンネルを構築した。 中国経済の高速発展と共に、 ほとんどのポータルサイト中のファイナンス・チャンネルのトラフィックが一番多いとう現象をWilliam氏が気付き、「百度ファ イナンス・チャンネル」を07年11月8日にリリースした。ただ、編集作業がほとんど、しかも専門的な分野だし、リリースしたわ ずか1年後に撤退。国内の大手ファイナンスサイト数社と交渉し、最終にhexun.com と合意し、百度の編集員16名全員を hexunに移した。08年8月12日に百度とhexunが「百度ファイナンス・チャンネル」の共同運営を発表した。同様に、大量な編 集者が必要となる百度映画チャンネルも、他社に移管した。 この先にはっきり見えたない場合、まずは試し、ダメと感じたら自己否定し、すぐに調整へという百度のやり方。百度内部にある「黄金分割」 原則があって、全体リソースの7割が検索サービスで使う、残りの3割が新しいサービスにチャレンジ。自分の得意分野をしっかりと守りなが ら、新しいものをどんどん作っていく。 21
  22. 22. 第十二章 李彦宏の管理哲学 経営理念:見定めたら、果敢に攻め込む、従わずに、揺らずに。 成功の3つの法則: 1. 好きなことだけやる:エンジニア出身のRobinは、いまでも1/3の時間で技術・開発 2. 得意なことだけやる:Robinの趣味が多いだが、最も得意なのはやはり検索 3. 最後まで専念:Robinは大学に入ってから今までの20年間、検索しかやってない リーダーシップスタイル:もの静か、穏やか、寛容、マラソンの考え方 Robinが百度を経営する際に、浮き沈みがなく穏やかな速度で発展させていく。企業の経営は100メートル走ではなく、マラソンなので、穏や かが大事。要事がない限りは、Robinのオフィスのドアが半開きになっている。誰でも気軽に入れるように。呼び方も肩書きを抜きで、Robinと 呼ばれている。会議の中で、Robinが話している途中に誰でも中断できる。寛容な心を持っているため、自分の性格と真逆のヒトでも仲良くな れる。 管理最も重要なこと 1. 知人善任:①最優秀な人材を雇う、②最大な権限を与える、③最終結果を見る 2. 最優秀な経営陣をつくる:一人の広報部部長を雇うために2年間説得し続いた 3. Kill ideaからスタート:CEOの役割がリソースを最適に配置すること 4. 高効率実施:プロセスを規準化することによって、効率向上へ繋がる 5. 新生児がいつも醜い:とにかく新しいサービスを出し、後で改善していく 6. ビジネスモデルは常に調整:ダメと分かってたら、すぐに止めておく 7. 失敗許し、卓越追求:中国語検索の先行者であり、失敗の中に成功を模索する 8. 細かいところまでに完璧追求:ユーザ体験が大事、細かい修正でもユーザに大きな影響を与える 意思決定:たくさんの意見を聞く、尐人数と相談、自分で決める。 22
  23. 23. 第十三章 世界級企業の雛形 企業の規模はもはや世界級企業を判断するための必須基準ではなくなった。百度08年の売上は30億元弱、世界において規模的に中小企 業のレベルだが、中国語検索分野において、百度は規模最大、市場シェア最高の企業である。しかも、この市場の規模がものすごく大きく て、大きな潜在力はまだ引き出されてないため、百度の上昇余地が十分にある。 04年に百度の発展スピードがすごく速くて、今までの大雑把な管理では通用できなくなった。一方、NASDAQ上場のため、SOX法'企業改革 法(を導入しないといけない。中に最も中核となっている404条'CEOとCFOは財務諸表に係る内部統制システムの構築・運用と、その有効性 の検証を義務づけられ、外部監査人がその監査・監査意見表明を行うこと。(を実施するため、百度の半分以上の部門がかかわって、150件 業務プロセスドキュメントを整理した。最も大変だったのは、高速発展による頻繁的に行われたドキュメントのアップデート。 企業文化は百度の成功の中に最も重要な要素。百度が技術会社であって、エンジニア主導のため、自由平等な仕事 雰囲気が重要。単純な人間関係、派閥争いがなく、生産性向上にも繋がってる。百度の文化特徴:ユーザー主導、分か ち合う、真実求める、システム化、卓越、時間を大事にする。 08年11月にCCTVが百度のリスティング広告不正問題を連続報道して、百度の株価は2週間で14%を下落した。百度は直ち に謝罪し、管理体制などの見直しも約束した。 09年年初CCTV主催の「春節聯歓晩会」に数千万元の広告費を打った。さら に、09年4月20日に「Phoenix Nest」という百度の次世帯広告システムを公開し、旧システムとの入替が09年年内に終わらせ ると発表した。 08年金融危機の影響で数多くの企業が倒産したが、百度08年3Qの営業利益は前年比119%アップ。不景 気だからこそ、企業たちはコスト・パフォーマンスのよい広告サービスを利用したいわけ。そいう意味では、 百度の広告モデルはやはり大半な中国企業に認められている。 改革開放以来、中国企業は外国の先進の管理方法を学びながら、中国本土にふさわしい管理モデルを一歩一歩と構築し ていて、世界級企業になりつつある。しかし、伝統の国有企業は自分の優位を利用し、中国市場を独占して世界500強に入 れるが、世界において競争力が低い。この世界級企業になれる歴史的使命は、インターネット企業始め、新しい経済企業た ちに背負ってもらうしかない。特に検索分野において、先進技術を持つ百度は、世界に注目されている。 23
  24. 24. 百度一下 你就知道 24

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