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デザインの体幹
Vol.3 リフレーミング力
2015-07-23 棚橋弘季
1回目はドラクロワの「民衆を導く自由の女神」、2回目は雪舟の「天橋立図」ときて、今回はこれ。
ギュスターブ・モロー『オイディプスとスフィンクス』(1864年)
ギュスターブ・モローの『オイディプスとスフィンクス』。1回目に紹介したドラクロアより30年ほど遅れた画家で、パリに生まれパリで
亡くなっています。活躍した時代のパリは印象派の時代...
スフィンクスを
若い女の姿に描くことで
伝統的な物語を
男と女の 藤として
リフレーミング。
今回、この作品を取り上げた理由の1つめは、この作品でモローがスフィンクスを若い女の姿で描いているからです。そうすることで、モ
ローは神話の伝統的なオイ...
ジークムント・フロイト
(1856-1939年)
エディプス・コンプレックス
子供が母親を手に入れようと思い、また父親に対して強い対抗心を抱くという、幼児期においておこる現実の状況に対するアンビバレン
トな心理の抑圧のことを「エディプス・コンプ...
ドミニク・アングル
『スフィンクスの を解くオイディプス』(1808年)
先のモローの『オイディプスとスフィンクス』ですが、発表当時、このアングルの先行する作品『スフィンクスの を解くオイディプス』
との類似性を指摘されたりして良い評価を受けず...
ただ、こうして並べてみると、わかるように、あくまで古典的な神話の物語に忠実に怪物であり倒すべき敵としてのスフィンクスと対峙
するオイディプスの姿を描いた新古典主義の画家アングルに比較し、スフィンクスとオイディプスが交わし合う視線が男女のきわめて...
グラスゴー美術館での"Mackintosh and the Glasgow Style"展の様子
スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの建築家でありデザイナーであるチャールズ・レニー・マッキントッシュも象徴主義の影響
を受けた1人です。上は...
マッキントッシュ The Wassail (1900年)
それはこんな象徴主義的な女性を描いた絵なんですね。
マッキントッシュ House for an art lover のための装飾(1901年)
他にも生前には建築されずに、1996年にようやく実現された建築ハウス・フォー・アート・ラバーのための装飾でも同じような象徴主義
的女性像が用いられてます。
マッキントッシュ Hill House (1904年)との建物用にデザインされた椅子 Ladder Back Chair (1902年)
そのマッキントッシュで有名なのは、通称ラダーバックチェアと呼ばれるこの椅子だと思います。この椅子はもともと...
1600
2000
1800
1500
1700
1900
武野紹鴎
(1502-1555) 千利休
(1522-1591)
1527 ローマ劫略
1526 ポントルモ「十字架降下」
デザインの時代 1642 レンブラント『夜警』
1682
ヴ...
アルフォンス・ミュシャ『ジスモンダ』ポスター(1894年)
アール・ヌーヴォーは、グラフィック・アートの分野ではミュシャが有名です。その射程は広く、アーツアンドクラフト運動以降の世紀
末のヨーロッパにおける装飾美術や建築を含むもので、ドイツでは...
ナンシーを代表するアール・ヌーヴォーの作家エミール・ガレのガラス作品
一方、狭義のアール・ヌーヴォーは、ベル・エポック期のフランスの装飾美術を指していて、フランスではナンシー派とパリ派の2派に分
かれると言われています。ナンシー派の代表が、エミ...
アンリ・ソヴァージュ「マジョレル邸」(1901年)
ナンシーには、このアンリ・ソヴァージュによる「マジョレル邸」ほか、さまざまなアール・ヌーヴォー建築が残っています。
フランス・ナンシーの街のアール・ヌーヴォー建築
こんな感じで、いまもアール・ヌーヴォー建築が街のなかで普通に使われる建物としても存在しています。
エクトール・ギマールによるパリのメトロの出入り口
一方のパリではエクトール・ギマールがアール・ヌーヴォーの代表的作家として知られています。パリのメトロの出入り口で有名な建築
家です。
エクトール・ギマール「カステル・ベランジェ」 (1898年)
その代表的建築がカステル・ベランジェ。
エクトール・ギマール「ギマール邸」 (1909年)
そのカステル・ベランジェがあるパリの16区にはギマールの作品がいくつか残っていて、彼自身の家もあります。

こうしたアール・ヌーヴォーのスタイルは、統一されたものというより、作家個々人によるス...
ウィリアム・モリス
(1834-1896年)
その先駆けとなったウィリアム・モリスらのアーツアンドクラフト運動でした。
ブランチャード・ジェロルド著、ギュスターブ・ドレ画『ロンドン』(1872年出版)より
ヴィクトリア朝の時代、産業革命の結果として、大量生産による安価だが、粗悪な商品があふれていたことに対する批判として生まれた
のが、この運動でした。vol1で上...
1851年のロンドン万博の「水晶宮」
一方で繁栄の象徴ともいえるのが、1851年に世界最初の万国博覧会であるロンドン万博であり、
1887年のボン・マルシェ(建築はギュスターヴ・エッフェルとL. A. ボワロー)
その1年後に、世界最初の百貨店として、パリのボン・マルシェが百貨店のシステムを確立したりもしています。
ウィリアム・モリス
(1834-1896年)
役に立たないものや、
美しいとは思わないものを
家に置いてはならない。
こうしたヴィクトリア朝の時代、モリスは、産業革命の結果として大量生産による安価だが、粗悪な商品があふれていたことに対する批
判...
モリス協会の壁紙「いちご盗人」(1896年)
モリスはこうした考えを実際のものづくりに反映させていくため、1861年にモリス商会を設立。上のような壁紙や家具、ステンドグラス
などインテリア商品を製作しています。
ケルムスコット・プレス『チョーサー著作集』(1896年)
また、ケルムスコット・プレスというプライヴェート・プレスの印刷工房を1891年に創設。これも中世の手工業を理想とするモリスの芸
術活動の一環をなすもので、「理想の書物」を生み出すために、...
ケルムスコット・プレス
『チョーサー著作集』(1896年)
ケルムスコット・プレスの3つの原則
1.鮮明で読みやすい印刷面
2.芸術家が活字をデザインすべきこと
3.印刷面周囲に程よく余白を確保すること
この
オットー・ワグナー
「カールスプラッツ駅」(1899年)
このモリスの運動は結果として商品が高価すぎて一般に普及しないという問題があり、それを克服する形でアール・ヌーヴォーや、上の
オットー・ワグナーやグスタフ・クリムトらのウィーン分離派などの...
クライスラービル(1930年)
アールデコの代表的な建築としては、マンハッタンのクライスラービルやエンパイアステートビル。
アンリ・ラパンが内装設計した旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)(1933年)
さらには、現在の東京都庭園美術館である旧朝香宮邸なども、内装を、フランス人のインテリアデザイナーであるアンリ・ラパンや宝飾
デザイナーでガラス工芸家でもあったルネ・ラ...
ヴァルター・グロピウス「バウハウス・デッサウ校」(1925年)
1919年にバウハウスがヴァイマールで設立。前身はベルギーの建築家ヴァン・デ・ヴェルデが設立した「大公立美術工芸学校」。アー
ル・ヌーヴォーの影響を強く受けたヴェルデは規格化を重視...
ヨハネス・イッテン
(1888-1967年)
初期のバウハウスで予備課程を担当していたのがスイスの芸術家であるヨハネス・イッテン。イッテンの方針から初期のバウハウスでは、
合理主義=機能主義的なものと表現主義的、芸術的、手工業的なものの両方を志...
ヴァルター・グロピウス
(1883-1969年)
ところが、この方針が、1922年に招聘したワシリー・カンディンスキーがロシア・アヴァンギャルドの構成主義的な造形教育を開始した
後、グロピウスがオランダのデ・ステイルなどの影響も受け、より合理主...
対立
グロピウスとイッテンの2人は対立するようになります。

1923年にイッテンがバウハウスを去り、
モホリ=ナジ・ラースロー
(1895-1946年)
後継者にはハンガリー・アヴァンギャルド構成主義のモホリ=ナジ・ラースローが就任します。ユダヤ系のモホリ=ナジは、1933年のナ
チスによるバウハウス閉鎖の際に国外追放、1937年にはアメリカに...
ミース・フェン・デル・ローエ「イリノイ工科大学クラウンホール」(1956年)
このニュー・バウハウスが1944年にはシカゴデザイン研究所。ここでの教育方式はイリノイ工科大学のデザイン研究所に引き継がれま
す。
例えば、最近出たこの本なんかもイリノイ工科大学デザインスクール教授ヴィジェイ・クーマーによるものだったり、バウハウス的なも
のはしっかりと今につながっている。
HCDやデザイン思考などのメソッドを用いながら、上のような領域をカバーしています。一方の本家バウハウスのほうも、ヨーロッパに
おいてエルゴノミクスやHCIの分野でのユーザビリティの方法論へと発展していくわけです。
2000
1800
1900
1851
ロンドン万博・水晶宮
1856
ウィリアム・フリス『ダービーの日』
1852
ボン・マルシェ百貨店
1902
マッキントッシュ「ラダーバックチェア」
1864
ギュスターブ・モロー『オイディプスとスフィン...
2000
1800
1900
1851
ロンドン万博・水晶宮
1856
ウィリアム・フリス『ダービーの日』
1852
ボン・マルシェ百貨店
1902
マッキントッシュ「ラダーバックチェア」
1864
ギュスターブ・モロー『オイディプスとスフィン...
いまだに
アートとデザインとは別物だ と
言う/信じるのは馬鹿げている
つまり、いまだに“アートとデザインとは別物だ”と言ったり、信じたりするのは馬鹿げていることだと認識しなおしたほうがいいと思う
んです。リフレーミングをテーマにした回で僕がこ...
プロダクトデザインやグラフィックデザインが
あるのと同様に、
絵画デザインや小説デザインがあっただけ。
デザインが実用、アートは非実用なのではなく、実用的なものに価値があるか、非実用的・精神的なもののほうに価値があったかの違い。
そして、価値が...
20世紀的デザイン概念をリフレーミング。
自分たちの新しいフレームで見つめ直すことで…。
だから、このシリーズでは、そんな狭い20世紀デザインのフレームに回収されてしまわない視点で、デザインというものを見直すきっか
けを出してきたわけです。当然...
すべての思考がデザイン的思考。
僕らはそこから逃れられない。
すべての思考がデザイン的思考となり、僕らがそこから逃れられなくなった歴史的に大きなリフレーミングが起こった時代こそ、
1600
2000
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1500
1700
1900
武野紹鴎
(1502-1555) 千利休
(1522-1591)
1527 ローマ劫略
1526 ポントルモ「十字架降下」
デザインの時代 1642 レンブラント『夜警』
1682
ヴ...
その前に、
リフレーミングとは?
リフレーミングとは何か? なぜ大事なのかを最後にちょっと話しておきます。
思考の前提として理解は不可欠
思考と理解の関係をみなさん、自分でちゃんと見つめ直す必要があると思います。考えるためには、その素材としていろんなものを理解
した状態で頭のなかにアーカイブされている必要があります。
理解のために人は物事を抽象化をする
じゃあ、その理解は人間はどう得ているかというと、目の前のものをそのまま理解するなんてことはありえないので、物事の一部を抜き
出し抽象化した形で、自分の文脈にのせる形で理解する。あてはまる文脈がなければ理解でき...
その抽象化の方法がフレーミング
適切な文脈というのが、フレーム。のせる行為をフレーミングといえばいいのだと思います。フレームを決めることで抽象化し、人はも
のごとを理解できる。
しかし一旦、理解されるとフレームは固定される
でも、いったん理解するとフレームは固定される。知るということは諸刃の刃で、1つの理解が生まれると別の理解を生みづらくなる。
1つの理解が生まれると
別の理解を生まれづらくなる。
有名な錯視の絵と同じように…
そもそも他人のフレームで理解したつもり
それ以上に多くの場合、自分でフレームをつくって理解することはあまりなく、他人のフレームを使って理解したつもりになっているこ
とのほうが多い
アートとデザインとは別物 という
フレームが疑えないように
先の20世紀のデザインの概念を疑うこともなく鵜呑みにしてしまっているのと同様、フレームが意識できないと別のフレームで考える
きっかけも作れない。
すべての思考はデザインである。
だから、デザイン思考をあらためて学ぶのではなく、
知らずに使っているデザイン的な思考を
あらためて意識しなおす必要がある
だから、前の「デザインの深い森」シリーズから、この「デザインの体幹」シリーズで、一貫して僕...
なぜ、デザインの体幹の1つとして
リフレーミング を取り上げたか?
すべてのデザインは、リフレーミング
だからです。新しい物事を生む作業がデザインなのだから、既存の物事を規定しているフレームを見つけることからはじめなくては、新
たな理解やヴィジョンなんて生まれるわけがないんです。
オディロン・ルドン
『起源Ⅱ.おそらく花の中に最初の視覚が試み
られた』(1883年)
離見の見
物事を見つめるための
フレームが
見えているか?
世阿弥に「離見の見」という言葉があります。能を舞う自分自身の姿を離れた客席から見る。そういう目が...
オディロン・ルドン『キュクロプス』(1914年)
さて、スフィンクスではじまった今回は、一つ目の巨人キュクロープスを描いたオディロン・ルドン『キュクロプス』を紹介して終わり
ましょう。この怪物キュクロープスのなかで最も有名なポリュペーモスは水辺...
ギュスターブ・モロー『ガラティア』(1880年)
この絵です。モローのこの作品を含め、それまでの多くの作品が神話同様、ポリュペーモスをおそろしい生き物として描いていましたが、
オディロン・ルドン『キュクロプス』(1914年)
オディロン・ルドンは裸の無防備な姿で横たわったガラテイアをやさしく見つめる姿でポリュペーモスを描いています。しかも直に向き
合うことができず岩山のかげに隠れた姿で。ポリュペーモスの神話がリフレー...
オディロン・ルドン『眼=気球』(1878年)
印象主義全盛のパリで活動していたルドン。元は白黒の版画作品で、目だけの怪物を多く描き、ボードレールの悪の華の挿絵でも有名な
画家です。
オディロン・ルドン『キュクロプス』(1914年)
こうした白黒作品でルドンをしった僕ですが、ルドンの晩年、死の2年前に描かれたこの作品が好きだったりします。同じように1つ目の
怪物を描きながらも、ルドン自身が自分をリフレーミングしたようにも感じ...
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Vol3 リフレーミング

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イベント「デザインの体感 vol.3 リフレーミング力」のプレゼン資料
http://www.opencu.com/2015/06/core-for-design/

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Vol3 リフレーミング

  1. 1. デザインの体幹 Vol.3 リフレーミング力 2015-07-23 棚橋弘季 1回目はドラクロワの「民衆を導く自由の女神」、2回目は雪舟の「天橋立図」ときて、今回はこれ。
  2. 2. ギュスターブ・モロー『オイディプスとスフィンクス』(1864年) ギュスターブ・モローの『オイディプスとスフィンクス』。1回目に紹介したドラクロアより30年ほど遅れた画家で、パリに生まれパリで 亡くなっています。活躍した時代のパリは印象派の時代でもありましたが、モローは初期にはまドラクロアの影響も受けつつ、象徴主義 の代表的画家といわれています。象徴主義は美術に限らず19世紀後半のヨーロッパ芸術の1つの傾向としてあらわれたもので、文学でいえ ばボードレールやマラルメといった詩人、小説なら『さかしま』を書いたユイスマン、『ドリアン・グレイの肖像』のオスカー・ワイル ド、音楽でいえばドビュッシーなどが象徴主義の芸術家といわれています。
  3. 3. スフィンクスを 若い女の姿に描くことで 伝統的な物語を 男と女の 藤として リフレーミング。 今回、この作品を取り上げた理由の1つめは、この作品でモローがスフィンクスを若い女の姿で描いているからです。そうすることで、モ ローは神話の伝統的なオイディプスとスフィンクスの関係をリフレーミングして、男と女の 藤に変えているんですね。 それより、すこし遅れてですが、このオイディプス神話はさらにリフレーミングされています。そう、オイディプスがそうとは知らずに 自分の父親である前王を殺し、母である女王と結婚し王となったことになぞらえ、…
  4. 4. ジークムント・フロイト (1856-1939年) エディプス・コンプレックス 子供が母親を手に入れようと思い、また父親に対して強い対抗心を抱くという、幼児期においておこる現実の状況に対するアンビバレン トな心理の抑圧のことを「エディプス・コンプレックス」と名付けたフロイトです。 こんな風に、オイディプスの物語は、西洋において何度かリフレーミングされて異なる意味を与えられてきました。
  5. 5. ドミニク・アングル 『スフィンクスの を解くオイディプス』(1808年) 先のモローの『オイディプスとスフィンクス』ですが、発表当時、このアングルの先行する作品『スフィンクスの を解くオイディプス』 との類似性を指摘されたりして良い評価を受けず、物議を醸しました。
  6. 6. ただ、こうして並べてみると、わかるように、あくまで古典的な神話の物語に忠実に怪物であり倒すべき敵としてのスフィンクスと対峙 するオイディプスの姿を描いた新古典主義の画家アングルに比較し、スフィンクスとオイディプスが交わし合う視線が男女のきわめて私 的でメロドラマ的な関係にリフレーミングしたモローでは明らかに描いているものが別だということがわかります。 ドラクロアなどに代表される先行するロマン主義を引き継ぐ形で、古典主義が重視した伝統的な人間像よりも、現実の個人が抱く内面の 藤や夢などを象徴的に表現しようとした象徴主義芸術は、この個人の重視という観点から、直後に登場するアール・ヌーヴォーやウィー ン分離派などの世紀末芸術に大きな影響を与えます。これがモローの作品を紹介した2つめの理由です。
  7. 7. グラスゴー美術館での"Mackintosh and the Glasgow Style"展の様子 スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの建築家でありデザイナーであるチャールズ・レニー・マッキントッシュも象徴主義の影響 を受けた1人です。上はグラスゴー美術館で行われたマッキントッシュの回顧展の様子ですが、上に飾られている絵画に注目してくださ い。
  8. 8. マッキントッシュ The Wassail (1900年) それはこんな象徴主義的な女性を描いた絵なんですね。
  9. 9. マッキントッシュ House for an art lover のための装飾(1901年) 他にも生前には建築されずに、1996年にようやく実現された建築ハウス・フォー・アート・ラバーのための装飾でも同じような象徴主義 的女性像が用いられてます。
  10. 10. マッキントッシュ Hill House (1904年)との建物用にデザインされた椅子 Ladder Back Chair (1902年) そのマッキントッシュで有名なのは、通称ラダーバックチェアと呼ばれるこの椅子だと思います。この椅子はもともとヒルハウスという 個人集宅用にデザインされたもので、寝室に置かれているものです。
  11. 11. 1600 2000 1800 1500 1700 1900 武野紹鴎 (1502-1555) 千利休 (1522-1591) 1527 ローマ劫略 1526 ポントルモ「十字架降下」 デザインの時代 1642 レンブラント『夜警』 1682 ヴェルサイユ宮殿完成 1728 チェンバーズ『サイクロペディア』 1753 大英博物館設立 1794 ターナー『修道院廃墟の美』 1851 ロンドン万博・水晶宮 1856 ウィリアム・フリス『ダービーの日』 1658 コメニウス『世界図絵』 1680 ロラン『ヘリコン山のアポロンとミューズ』 1852 ボン・マルシェ百貨店 1902 マッキントッシュ「ラダーバックチェア」 1864 ギュスターブ・モロー 『オイディプスとスフィンクス』 このシリーズでは、みなさんに馴染みのない古いヨーロッパの歴史を追いながら「デザイン」というものを考えてきたわけですが、よう やく20世紀初頭まで時代が下ってきて、みなさんにも多少は馴染みがある時代までたどりつきました。 その世紀末から20世紀初頭のアール・ヌーヴォーについて、もうすこし見ていくと…
  12. 12. アルフォンス・ミュシャ『ジスモンダ』ポスター(1894年) アール・ヌーヴォーは、グラフィック・アートの分野ではミュシャが有名です。その射程は広く、アーツアンドクラフト運動以降の世紀 末のヨーロッパにおける装飾美術や建築を含むもので、ドイツではユーゲント・シュティール、オーストリアではウィーン分離派などと 呼ばれたりもします。
  13. 13. ナンシーを代表するアール・ヌーヴォーの作家エミール・ガレのガラス作品 一方、狭義のアール・ヌーヴォーは、ベル・エポック期のフランスの装飾美術を指していて、フランスではナンシー派とパリ派の2派に分 かれると言われています。ナンシー派の代表が、エミール・ガレ(1846-1904)です。
  14. 14. アンリ・ソヴァージュ「マジョレル邸」(1901年) ナンシーには、このアンリ・ソヴァージュによる「マジョレル邸」ほか、さまざまなアール・ヌーヴォー建築が残っています。
  15. 15. フランス・ナンシーの街のアール・ヌーヴォー建築 こんな感じで、いまもアール・ヌーヴォー建築が街のなかで普通に使われる建物としても存在しています。
  16. 16. エクトール・ギマールによるパリのメトロの出入り口 一方のパリではエクトール・ギマールがアール・ヌーヴォーの代表的作家として知られています。パリのメトロの出入り口で有名な建築 家です。
  17. 17. エクトール・ギマール「カステル・ベランジェ」 (1898年) その代表的建築がカステル・ベランジェ。
  18. 18. エクトール・ギマール「ギマール邸」 (1909年) そのカステル・ベランジェがあるパリの16区にはギマールの作品がいくつか残っていて、彼自身の家もあります。 こうしたアール・ヌーヴォーのスタイルは、統一されたものというより、作家個々人によるスタイルという方向性が強くあり、同時に機 械仕事からは距離を置いて職人の仕事を中心に据えようとするものでした。
  19. 19. ウィリアム・モリス (1834-1896年) その先駆けとなったウィリアム・モリスらのアーツアンドクラフト運動でした。
  20. 20. ブランチャード・ジェロルド著、ギュスターブ・ドレ画『ロンドン』(1872年出版)より ヴィクトリア朝の時代、産業革命の結果として、大量生産による安価だが、粗悪な商品があふれていたことに対する批判として生まれた のが、この運動でした。vol1で上のようなドレによる「ロンドン」の街の風景を描いた版画を紹介しましたが、産業革命により都市が繁 栄する一方で、スラム街が多く生まれるなど、その生活環境の悪化が問題視されたのもこの時代でした。
  21. 21. 1851年のロンドン万博の「水晶宮」 一方で繁栄の象徴ともいえるのが、1851年に世界最初の万国博覧会であるロンドン万博であり、
  22. 22. 1887年のボン・マルシェ(建築はギュスターヴ・エッフェルとL. A. ボワロー) その1年後に、世界最初の百貨店として、パリのボン・マルシェが百貨店のシステムを確立したりもしています。
  23. 23. ウィリアム・モリス (1834-1896年) 役に立たないものや、 美しいとは思わないものを 家に置いてはならない。 こうしたヴィクトリア朝の時代、モリスは、産業革命の結果として大量生産による安価だが、粗悪な商品があふれていたことに対する批 判として、中世の手仕事に帰り、生活と芸術を統一することを主張しました。この考えが先のアール・ヌーヴォーの作家たちの職人仕事 の中心に据える考えにつながっていきます。
  24. 24. モリス協会の壁紙「いちご盗人」(1896年) モリスはこうした考えを実際のものづくりに反映させていくため、1861年にモリス商会を設立。上のような壁紙や家具、ステンドグラス などインテリア商品を製作しています。
  25. 25. ケルムスコット・プレス『チョーサー著作集』(1896年) また、ケルムスコット・プレスというプライヴェート・プレスの印刷工房を1891年に創設。これも中世の手工業を理想とするモリスの芸 術活動の一環をなすもので、「理想の書物」を生み出すために、 中世の写本装飾やルネサンスの書物から多くを学んでいます。
  26. 26. ケルムスコット・プレス 『チョーサー著作集』(1896年) ケルムスコット・プレスの3つの原則 1.鮮明で読みやすい印刷面 2.芸術家が活字をデザインすべきこと 3.印刷面周囲に程よく余白を確保すること この
  27. 27. オットー・ワグナー 「カールスプラッツ駅」(1899年) このモリスの運動は結果として商品が高価すぎて一般に普及しないという問題があり、それを克服する形でアール・ヌーヴォーや、上の オットー・ワグナーやグスタフ・クリムトらのウィーン分離派などの運動に引き継がれていきます。ただし、このアール・ヌーヴォーな どの運動も、第一次世界大戦を境に、装飾を否定する低コストなモダンデザインが普及するようになると、アール・デコへの移行が起き ていきます。
  28. 28. クライスラービル(1930年) アールデコの代表的な建築としては、マンハッタンのクライスラービルやエンパイアステートビル。
  29. 29. アンリ・ラパンが内装設計した旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)(1933年) さらには、現在の東京都庭園美術館である旧朝香宮邸なども、内装を、フランス人のインテリアデザイナーであるアンリ・ラパンや宝飾 デザイナーでガラス工芸家でもあったルネ・ラリックらが担当したアールデコ様式のものです。
  30. 30. ヴァルター・グロピウス「バウハウス・デッサウ校」(1925年) 1919年にバウハウスがヴァイマールで設立。前身はベルギーの建築家ヴァン・デ・ヴェルデが設立した「大公立美術工芸学校」。アー ル・ヌーヴォーの影響を強く受けたヴェルデは規格化を重視した派閥と対立し、ドイツを去り、その後バウハウスの初代校長となるヴァ ルター・グロピウスに工芸学校を託した。 1925年にデッサウに移転。1932年にはベルリンに移転し、1933年にはナチスによって閉鎖。
  31. 31. ヨハネス・イッテン (1888-1967年) 初期のバウハウスで予備課程を担当していたのがスイスの芸術家であるヨハネス・イッテン。イッテンの方針から初期のバウハウスでは、 合理主義=機能主義的なものと表現主義的、芸術的、手工業的なものの両方を志向していました。
  32. 32. ヴァルター・グロピウス (1883-1969年) ところが、この方針が、1922年に招聘したワシリー・カンディンスキーがロシア・アヴァンギャルドの構成主義的な造形教育を開始した 後、グロピウスがオランダのデ・ステイルなどの影響も受け、より合理主義的・機能主義的な考え方をとるようになると
  33. 33. 対立 グロピウスとイッテンの2人は対立するようになります。 1923年にイッテンがバウハウスを去り、
  34. 34. モホリ=ナジ・ラースロー (1895-1946年) 後継者にはハンガリー・アヴァンギャルド構成主義のモホリ=ナジ・ラースローが就任します。ユダヤ系のモホリ=ナジは、1933年のナ チスによるバウハウス閉鎖の際に国外追放、1937年にはアメリカに亡命し、シカゴにニュー・バウハウスを立ち上げます。
  35. 35. ミース・フェン・デル・ローエ「イリノイ工科大学クラウンホール」(1956年) このニュー・バウハウスが1944年にはシカゴデザイン研究所。ここでの教育方式はイリノイ工科大学のデザイン研究所に引き継がれま す。
  36. 36. 例えば、最近出たこの本なんかもイリノイ工科大学デザインスクール教授ヴィジェイ・クーマーによるものだったり、バウハウス的なも のはしっかりと今につながっている。
  37. 37. HCDやデザイン思考などのメソッドを用いながら、上のような領域をカバーしています。一方の本家バウハウスのほうも、ヨーロッパに おいてエルゴノミクスやHCIの分野でのユーザビリティの方法論へと発展していくわけです。
  38. 38. 2000 1800 1900 1851 ロンドン万博・水晶宮 1856 ウィリアム・フリス『ダービーの日』 1852 ボン・マルシェ百貨店 1902 マッキントッシュ「ラダーバックチェア」 1864 ギュスターブ・モロー『オイディプスとスフィンクス』 1861 ウィリアム・モリス「モリス商会」設立 1898 エクトール・ギマール「カステル・ベランジェ」 1930 クライスラービル 1933 朝香宮邸 1919 バウハウス設立 1931 バウハウス閉鎖 1937 ニューバウハウス 1944 シカゴデザイン研究所 2004 スタンフォード大学d.school 1914-18 第1次世界大戦 1939-45 第2次世界大戦 もう一度、年表で整理しましょう。 ギュスターブ・モローの『オイディプスとスフィンクス』という象徴主義芸術の作品からはじめた今回の話がモホリ=ナジのニュー・バ ウハウスやシカゴデザイン研究所を経て、僕らのすぐ近くまでつながっているのがあらためて確認できます。それどころか、Vol1で話し たロマン主義や自然主義、そして、前シリーズで話したロンドン万博やボン・マルシェの話などもつながっている。 ポイントは、この歴史的変遷のなかでデザインというものの意味するものが何度もリフレーミングされている点です。いまでこそ、アー トと別物のように扱われているデザインですが過去にはそんな区別はなかったわけです。
  39. 39. 2000 1800 1900 1851 ロンドン万博・水晶宮 1856 ウィリアム・フリス『ダービーの日』 1852 ボン・マルシェ百貨店 1902 マッキントッシュ「ラダーバックチェア」 1864 ギュスターブ・モロー『オイディプスとスフィンクス』 1861 ウィリアム・モリス「モリス商会」設立 1898 エクトール・ギマール「カステル・ベランジェ」 1930 クライスラービル 1933 朝香宮邸 1919 バウハウス設立 1931 バウハウス閉鎖 1937 ニューバウハウス 1944 シカゴデザイン研究所 2004 スタンフォード大学d.school 1925 ムナーリ未来派に参加 例えば、これまで山崎先生の話に何度も登場しているブルーノ・ムナーリも18歳の頃、イタリアの芸術運動である未来派の活動に参加し ていたりするわけです。あらためてデザインという概念をリフレーミングしなおすと、同じデザインの産物が、芸術作品が中心だった時 代から、工業製品、そして、いまではICT的なものへと変化しているだけ。
  40. 40. いまだに アートとデザインとは別物だ と 言う/信じるのは馬鹿げている つまり、いまだに“アートとデザインとは別物だ”と言ったり、信じたりするのは馬鹿げていることだと認識しなおしたほうがいいと思う んです。リフレーミングをテーマにした回で僕がこんな話をしたのは、まさにデザインという概念をリフレーミングしたかったからです。 これまでみてきたように歴史を振り返れば、アートなのか、実用的なもののデザインなのかというのは、実はデザインの産物・対象とし て、その時代、時代に何が社会的に価値をもつか、ビジネス的に価値をもつかが違うだけということに気づく必要があります。
  41. 41. プロダクトデザインやグラフィックデザインが あるのと同様に、 絵画デザインや小説デザインがあっただけ。 デザインが実用、アートは非実用なのではなく、実用的なものに価値があるか、非実用的・精神的なもののほうに価値があったかの違い。 そして、価値があるほうにデザインの力が多く向けられているだけとみたほうがいい。プロダクトやグラフィックがデザインの対象で、 アートはその対象ではないなんてフレーミングしたのは単にバウハウスを中心とした20世紀デザインの単なる都合であって、その恣意的 なフレームをいつまでも信じきってるのはどうなのかと思います。
  42. 42. 20世紀的デザイン概念をリフレーミング。 自分たちの新しいフレームで見つめ直すことで…。 だから、このシリーズでは、そんな狭い20世紀デザインのフレームに回収されてしまわない視点で、デザインというものを見直すきっか けを出してきたわけです。当然、僕がだしたのはきっかけでしかないので、みなさんが自分の頭で自分のフレームを組み立てながら、意 味を生成しなおす必要があると思っています。
  43. 43. すべての思考がデザイン的思考。 僕らはそこから逃れられない。 すべての思考がデザイン的思考となり、僕らがそこから逃れられなくなった歴史的に大きなリフレーミングが起こった時代こそ、
  44. 44. 1600 2000 1800 1500 1700 1900 武野紹鴎 (1502-1555) 千利休 (1522-1591) 1527 ローマ劫略 1526 ポントルモ「十字架降下」 デザインの時代 1642 レンブラント『夜警』 1682 ヴェルサイユ宮殿完成 1728 チェンバーズ『サイクロペディア』 1753 大英博物館設立 1794 ターナー『修道院廃墟の美』 1851 ロンドン万博・水晶宮 1856 ウィリアム・フリス『ダービーの日』 1658 コメニウス『世界図絵』 1680 ロラン『ヘリコン山のアポロンとミューズ』 1852 ボン・マルシェ百貨店 1902 マッキントッシュ「ラダーバックチェア」 1864 ギュスターブ・モロー 『オイディプスとスフィンクス』 1930 クライスラービル 1933 朝香宮邸 1919 バウハウス設立 1931 バウハウス閉鎖 1937 ニューバウハウス 1925 ムナーリ未来派に参加 15世紀中頃から16世紀に入るころ、そして、それが完全に世界を席巻するようになったのが17世紀なかばだというのが、僕がずっとお話 してきたことだったりします。そして、今回までで、ほぼ現代まで歴史をたどったいま、次回の最終回では未来を語ろうと思っています。 その前に、
  45. 45. その前に、 リフレーミングとは? リフレーミングとは何か? なぜ大事なのかを最後にちょっと話しておきます。
  46. 46. 思考の前提として理解は不可欠 思考と理解の関係をみなさん、自分でちゃんと見つめ直す必要があると思います。考えるためには、その素材としていろんなものを理解 した状態で頭のなかにアーカイブされている必要があります。
  47. 47. 理解のために人は物事を抽象化をする じゃあ、その理解は人間はどう得ているかというと、目の前のものをそのまま理解するなんてことはありえないので、物事の一部を抜き 出し抽象化した形で、自分の文脈にのせる形で理解する。あてはまる文脈がなければ理解できません。その適切な文脈にのせるという行 為が抽象化であり、
  48. 48. その抽象化の方法がフレーミング 適切な文脈というのが、フレーム。のせる行為をフレーミングといえばいいのだと思います。フレームを決めることで抽象化し、人はも のごとを理解できる。
  49. 49. しかし一旦、理解されるとフレームは固定される でも、いったん理解するとフレームは固定される。知るということは諸刃の刃で、1つの理解が生まれると別の理解を生みづらくなる。
  50. 50. 1つの理解が生まれると 別の理解を生まれづらくなる。 有名な錯視の絵と同じように…
  51. 51. そもそも他人のフレームで理解したつもり それ以上に多くの場合、自分でフレームをつくって理解することはあまりなく、他人のフレームを使って理解したつもりになっているこ とのほうが多い
  52. 52. アートとデザインとは別物 という フレームが疑えないように 先の20世紀のデザインの概念を疑うこともなく鵜呑みにしてしまっているのと同様、フレームが意識できないと別のフレームで考える きっかけも作れない。
  53. 53. すべての思考はデザインである。 だから、デザイン思考をあらためて学ぶのではなく、 知らずに使っているデザイン的な思考を あらためて意識しなおす必要がある だから、前の「デザインの深い森」シリーズから、この「デザインの体幹」シリーズで、一貫して僕が「すべての思考はデザインである。 だから、デザイン思考をあらためて学ぶのではなく、知らずに使っているデザイン的な思考をあらためて意識しなおす必要がある」と 言っているのも、デザインという見えないフレームをあらためて理解しないと、自分を次のステージにあげるようなリフレーミングのきっ かけも作れないよと思っているからです。
  54. 54. なぜ、デザインの体幹の1つとして リフレーミング を取り上げたか?
  55. 55. すべてのデザインは、リフレーミング だからです。新しい物事を生む作業がデザインなのだから、既存の物事を規定しているフレームを見つけることからはじめなくては、新 たな理解やヴィジョンなんて生まれるわけがないんです。
  56. 56. オディロン・ルドン 『起源Ⅱ.おそらく花の中に最初の視覚が試み られた』(1883年) 離見の見 物事を見つめるための フレームが 見えているか? 世阿弥に「離見の見」という言葉があります。能を舞う自分自身の姿を離れた客席から見る。そういう目が大事だというのですが、これ は自分が立つ舞台のフレームを意識した上で、舞台をつくるということでしょう。つまり、能というのはリアルタイムでリフレーミング を行う芸術なんですね。
  57. 57. オディロン・ルドン『キュクロプス』(1914年) さて、スフィンクスではじまった今回は、一つ目の巨人キュクロープスを描いたオディロン・ルドン『キュクロプス』を紹介して終わり ましょう。この怪物キュクロープスのなかで最も有名なポリュペーモスは水辺の妖精であるガラテイアを愛した神話で有名です。神話に は、獲物を狩って食べ尽くす野生の生き物、悪役として登場するポリュペーモスは、画題としても多く登場していて、ギュスターヴ・モ ローも同じ題材の作品を描いています。
  58. 58. ギュスターブ・モロー『ガラティア』(1880年) この絵です。モローのこの作品を含め、それまでの多くの作品が神話同様、ポリュペーモスをおそろしい生き物として描いていましたが、
  59. 59. オディロン・ルドン『キュクロプス』(1914年) オディロン・ルドンは裸の無防備な姿で横たわったガラテイアをやさしく見つめる姿でポリュペーモスを描いています。しかも直に向き 合うことができず岩山のかげに隠れた姿で。ポリュペーモスの神話がリフレーミングされているわけです。
  60. 60. オディロン・ルドン『眼=気球』(1878年) 印象主義全盛のパリで活動していたルドン。元は白黒の版画作品で、目だけの怪物を多く描き、ボードレールの悪の華の挿絵でも有名な 画家です。
  61. 61. オディロン・ルドン『キュクロプス』(1914年) こうした白黒作品でルドンをしった僕ですが、ルドンの晩年、死の2年前に描かれたこの作品が好きだったりします。同じように1つ目の 怪物を描きながらも、ルドン自身が自分をリフレーミングしたようにも感じるので。

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