古代、関東平野のかなりの部分は海だった。そして、取手は海に突き出した岬だった。 やがて阿波(徳島)から黒潮に乗ってやってきた人たちが総(ふさ・麻)を持ち込み、その地は「総国」と呼ばれるようになった。 かつて岬だった取手を、水運で四国とつなぐ。阿波国があった吉野川流域が理想的だ。双方に空き家を活用したコミュニティ拠点と集落をつくり、同じ響き(同音異字)の「村」の名をつける。食べ物や文化、人が行き来する。同じ日に同じお祭をする。 彼らは郊外を開拓し直す入植民たちであり、離れてはいるが水路で結ばれた共同体だ。その象徴として、双子のような2艘の船をつくる。