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フルダミニストリヌ 平成幎 月 月報
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第号 平成幎月日
∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜
䞻がむスラ゚ルをダビデの家から匕き裂かれたずき、圌らはネバテの子ダロブアムを王ずしたが、ダロブアムは、
むスラ゚ルを䞻に埓わないようにしむけ、圌らに倧きな眪を犯させた。むスラ゚ルの人々は、ダロブアムの犯したすべ
おの眪に歩み、
それをやめなかったので、
぀いに、
䞻は、
そのしもべであるすべおの預蚀者を通しお告げられたずおり、
むスラ゚ルを埡前から取り陀かれた。こうしお、むスラ゚ルは自分の土地からアッシリダぞ匕いお行かれた。今日もそ
のたたである。アッシリダの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そしお、セファルワむムから人々を連れお来お、
むスラ゚ルの人々の代わりにサマリダの町々に䜏たせた。それで、圌らは、サマリダを占領しお、その町々に䜏んだ 
 バビロンの人々はスコテ・ペノテを造り、クテの人々はネレガルを造り、ハマテの人々はアシマを造り、アワ人はニ
ブハズずタルタクを造り、
セファルワむム人はセファルワむムの神々アデラメレクずアナメレクずに自分たちの子ども
を火で焌いおささげた  圌らは䞻を瀌拝しながら、
同時に、
自分たちがそこから移された諞囜の民のならわしに埓っ
お、自分たちの神々にも仕えおいた。圌らは今日たで、最初のならわしのずおりに行っおいる。圌らは䞻を恐れおいる
のでもなく、䞻が、その名をむスラ゚ルず名づけたダコブの子らに呜じたおきおや、定めや、埋法や、呜什のずおりに
行っおいるのでもない  このようにしお、
これらの民は䞻を恐れ、
同時に、
圌らの刻んだ像に仕えた。
その子たちも、
孫たちも、その先祖たちがしたずおりに行った。今日もそうである。 列王蚘第二 172124、
3034、
41
アッシリダの王はむスラ゚ル人をアッシリダに捕らえ移し、圌らをハラフず、ハボル、すなわちゎザンの川のほず
り、メディダの町々に連れおいった。 列王蚘第二 1811
北むスラ゚ル王囜が背信のゆえに滅びたずき、アッシリダが取った悪埳政策は、むスラ゚ルの指導者たち、芁人を
囜倖远攟し、代わりにアッシリダの指導者を銖郜サマリダに䜏たわせ、同時に倚くの倖囜人をバビロン、アラム、ナヌ
フラテス川沿いの地域から移䜏させ、
むスラ゚ル人ず結婚させるこずによっお玔血郚族を根絶し、
謀反が起こらないよ
うにするこずでした。冒頭に挙げた箇所は、アッシリダの混血政策によっお、サマリダはじめ、北むスラ゚ル王囜の領
土に異端信仰がはびこり、
ダヌりェを瀌拝するかたわら、
偶像の神々をも瀌拝するずいう混成宗教が蔓延したこずを語
っおいたす。背信のゆえに神が投げ捚おられたむスラ゚ルの地は、皮肉なこずに、たすたす異端信仰に花開くこずにな
ったのです。しかし、ここで繰り返されおいる「今日もそのたたである」ずいう蚀葉は、埌䞖、誀っお解釈され、むス
ラ゚ルの十の郚族は远攟され、倱われた、すなわち「倱われた

むスラ゚ルの十の郚族」ずいう説が生み出され、远攟埌
の郚族の移動先を探求する詊みがなされお来たした。゚ルサレムに蚭立された「アミシャブ」ずいうむスラ゚ルの調査
機関は、むスラ゚ル人ず認められた人々に無条件で本囜垰還の手続きをし、二十䞖玀以降、アフリカ、ロシア、東ペヌ
ロッパから倚くがむスラ゚ルに垰還しおいたす。
先月号で考察したように、
憐れみの神は、
背信のダロブアムで始たった北むスラ゚ル王囜に預蚀者を送っお䜕床も
䜕床も悔い改めお立ち返るようにず譊告されたのですが、
二癟十幎間、
むスラ゚ルの二十人の王たちの䞀人ずしお民を
背信から救い出そうずした者はいたせんでした。このように背信で固められた王囜は、
神が宣蚀された通り滅びたので
す。十郚族の䞭の真の神を恐れる者たちには、この長期にわたる王囜の存圚期間のい぀でも、真のダヌりェ信仰を維持
しおいた南ナダ王囜に移るチャンスが䞎えられおおり、
サマリダが陥萜した 721BCEの時点では、
十郚族はナダ王囜の
統治䞋で存続しおおり、以降、神の掟に埓う十郚族の「残りの者」は南ナダの二぀の郚族やレビ族ず生死をずもにする
こずになったのです。むザダず同䞖代の預蚀者ミカが、甚語「むスラ゚ル」ず「ナダ」を区別しないで、党むスラ゚ル
ずしお語っおいるこずからも、圓時の囜家構成がうかがえたす。しかし、聖曞は、背信の北むスラ゚ルの指導者たちが
远攟された埌、ナヌフラテス川を越えお、新倩地を求めお東に向かった可胜性を吊定しおはおらず、たた、70CE の゚
ルサレム第二神殿厩壊埌、党むスラ゚ルが党地に散らされたこずを明らかにしおいたす。したがっお「倱われた」郚族
ではなく、党囜に離散した神の民、党むスラ゚ルを玄束の地に戻す詊みは無駄ではないのです。聖曞は、究極的には、
神が党むスラ゚ルを玄束の地に戻すこずを預蚀しおいたすから、人間的な埒劎は必芁ないようにも思われたすが、
「倱
われたむスラ゚ルの十の郚族」を探求する過皋で、非垞に興味深い倚くのこずが明らかにされおきおいたす。
「ハラフず、ハボル、すなわちゎザンの川のほずり、メディダの町々」
、すなわち、トルコ東郚のクルディスタ
ン、アフガニスタン北郚のアム・ダリア川沿いのハラトやハボルから始たっおさらに東に向かううちに、北むスラ゚ル
の郚族の䞀団は、
その途䞊、
アフガニスタンずパキスタンの遊牧民族
「パタン族」
ずしお、
むンド北郚、
チベットの
「カ
シミヌル族」ずしお、ミャンマヌやむンドの「メナシュ族」ずしお、たた䞭囜の「矌族」ずしおその地に定着し、最埌
の集団はカむファン開封を経お日本に枡ったようです。これら郚族の䜏み぀いた地は、䞭囜ず西方を結んだ叀代の
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亀通路「シルクロヌド絹の道
」䞊にあり、聖曞倖兞の゚ズラ蚘ラテン語133950には、おそらくこの集団ヘ
の蚀及ず思われる出来事が蚘されおいたす。
「  しかし、圌らは、倚くの異邊の民を離れお、人がただだれも䜏んだ
こずのないほかの地方に行こうず決心した。圌らは、それたでいた地方では守るこずのできなかった掟を、そこで守り
たかったのである  その地方は、
アルザルず呌ばれおいる。
圌らは、
最近たでそこに䜏んでいたのである。
そしお今、
圌らは再び垰囜の途に぀き  」
。このくだりは、458BCE にバビロンからの第二次本囜垰還団を率いお゚ルサレムに
移䜏した祭叞゚ズラに䞎えられたずしお、
倖兞に蚘されおいる終末の末期に関する䞃぀のビゞョンの六番目で、
ナヌフ
ラテス川を越えお東方に離散したず思われる十の郚族が究極的には来臚のメシダの蚱に集められる奇蹟を描いおいた
す。
「アルザル」は、申呜蚘 2928 で「ほかの地地の果お
」ず邊蚳されおいるヘブル語で、東の果おの地に倪叀の
昔、むスラ゚ル人集団がたどり぀き、背信の結果の囜家滅亡ずいう苊い䜓隓をふっしょくしお、心機䞀転、信仰䜓系の
立お盎しを図ろうず定着したのが日本であったずいうこずは十分考えられるこずです。
五月に沖瞄を蚪ねたずき、
沖瞄に叀代むスラ゚ルの足跡が今日も息づいおいるこずに開県させられたした。
本土ず
違っお、沖瞄には仏教が浞透しなかったこずにより、祭壇はあっおも偶像が存圚しない神道の原初圢態「叀神道」が民
間信仰ずしお根匷く残っおおり、
叀代むスラ゚ルの信仰圢態ずキリストの教えが他宗教や儒教などの思想に圱響されず
に反映されおいるこずを知らされたのです。
沖瞄のむスラ゚ル性探玢はすでに未信者の人たちによっおも積極的に進め
られおおり、調査結果は、沖瞄に叀代むスラ゚ル集団が䜏み、ルヌツ、地名、人名、颚習にその痕跡が疑う䜙地なく刻
たれおいるこずを明らかにしおいたす。むスラ゚ルでは玀元前十䞖玀の゜ロモンの時代、ツロの王ヒラムの支揎で、む
ンドやアフリカに向けお船団が送りだされ、䞖界的な亀易がなされおいたしたが、玀元前䞀、二䞖玀頃には、むンドシ
ナ半島、マレヌ半島を経お、゚ドムの地の銅の粟錬技術は日本にも䌝えられおいたず蚀いたす。このように、陞だけで
なく、海のシルクロヌドを通っお、むスラ゚ル人が沖瞄の南東郚の「久高島くだかじた
」に䞊陞したこずは十分考
えられるのです。久高島には菊の埡王があり、倩皇家ず深いかかわりがあるず蚀われおいるそうですが、゚ドム人の王
ヘロデの王が菊の王ず䌌たひたわり王であるこずからその関連も指摘されおいたす。
ぞびが女を惑わしたずいう倚くの物語、
神が女を男のあばら骚から造られたずいう創䞖蚘の蚘述を明らかに反映し
おいる「男は肋骚が䞀本足りないので、女に倢䞭になるず愚かになる」ずいう意味の蚀葉が那芇地方の人たちの間で亀
わされおいるこず、出゚ゞプト埌の荒野でのマナを思い起こさせる「倩から降る逅の話」
、措氎神話、塩の柱になっお
したったロトの劻を思い起こさせる「埌ろを振り返るな」ず花嫁に呌びかける結婚匏の慣習、過越の祭りを思い起こさ
せる「島クサラシ」―ほふった牛の血を怍物に浞しお家の入口や鎚居に塗る「厄陀け」―ずいう叀来からの颚習、沖瞄
至る所に「埡嶜うたき
」ず呌ばれる自然の厇拝所、聖域や小芏暡の厇拝所「りガンゞュ」があり、祭祀儀瀌が執り
行われおきたが、銙壇はあっおも偶像はないこず、沖瞄人は豚肉をよく食べるが、祭祀儀瀌に携わった叀代のナタやノ
ロ祝女は豚を「汚れた動物」ずしお食べなかったこず、旧暊で行われる䌝統的な行事がむスラ゚ルの䟋祭ず䞀臎し
おいるこずなど、沖瞄にはむスラ゚ル性が深く浞透しおいるのです。倪陰倪陜暊旧暊を甚いる沖瞄では、十九幎に
䞃回「うるう幎」を蚭けお調敎するそうですが、これは、ナダダ暊ず同じで、沖瞄の旧暊䞀月の行事ず「ニサンの月」
を第䞀の月ずするナダダの宗教暊に埓っお執り行われる䞻の䟋祭ずの完党な䞀臎は驚くべきです。
沖瞄の䞀月は①元旊、
旧正月で始たる ②十日は「十日拝み」
、十二支祝いがなされ、その八番目は「未ひ぀じ
」 ③十四日は正月、
「ト
ゥシヌナルヌ幎の倜、倧晊日
」で、正月甚豚をほふる ④「島クサラシ」
看過牛―厄陀け― ⑥「マルチャゞシ」
―煮た肉を䞭腰で玠手で食べる儀匏― ⑊正月逅、苊菜を食べる ⑧骚付き肉を食べる ⑚眠らずに倜を明かす ⑩十
五日から䞃日間、小正月を祝うこずが定められおいたすが、これらはすべお、ヘブル語聖曞のレビ蚘 23 章、出゚ゞプ
ト蚘 12 章に蚘されおいる「過越の祭り」に䞀臎するものです。しかし、䞻食が「米」の日本では、むスラ゚ルの「マ
ツァ皮なしパン
」を逅ずみなすこずはできるかもしれたせんが、―米、逅は膚れ、パン皮の効果を衚すので、モヌ
セの掟では「皮なしパン」ずはみなされない― 矊の代わりに「豚」が甚いられるこずや肉を焌かないで「煮る」こず
には、
「圌らは䞻を恐れおいるのでもなく、䞻が、その名をむスラ゚ルず名づけたダコブの子らに呜じたおきおや、定
めや、埋法や、呜什のずおりに行っおいるのでもない」ず列王蚘の著者が蚘しおいるように、沖瞄に䌝えられた掟の守
り方が背信のむスラ゚ルによっおもたらされたものであったこずを裏づけおいるずいえるかもしれたせん。たた、
旧暊
䞀月十六日「ゞュりルクニチヌ」は、
「グ゜ヌあの䞖の正月」ず呌ばれ、重箱入りのご銳走を墓前で広げ、盛倧な
祝いをするそうです。蚀うたでもなく、ナダダ暊の「ニサン第䞀の月の十六日」は、
「初穂の祭り」の日で、―キ
リストが十字架䞊で亡くなられた週は「倧いなる安息日」ず「週ごずの安息日土曜日
」ずが続いたため、甊られた
のは十六日ではなく、ニサンの月の十䞃日であった― この日は、埩掻祭の祝日なのです。たた、旧暊八月十五日に祝
われる沖瞄の「十五倜」は豊幎豊䜜を神に感謝する祭りで、やぐらを立おお村人は螊り続けたず蚀いたす。これは、ナ
ダダ暊の「ティシュリ第䞃の月の十五日」から䞃日間祝われるむスラ゚ルの収穫祭「仮庵の祭り」ず同じですが、
䞀か月遅れの祭り日は背信の王ダロブアムに起因するのです。
子牛カルトを蚭立したダロブアムは
「自分で勝手に考え
出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえをささげ  銙をたいた」
列王蚘第䞀 1233
のでした。ダロブアムが祭叞職を䟵害した王であったこずは、次号で考察する神道の特城ず無瞁ではないようです。

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  • 1. フルダミニストリヌ 平成幎 月 月報 www.huldahministry.com 1 第号 平成幎月日 ∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜∜ 䞻がむスラ゚ルをダビデの家から匕き裂かれたずき、圌らはネバテの子ダロブアムを王ずしたが、ダロブアムは、 むスラ゚ルを䞻に埓わないようにしむけ、圌らに倧きな眪を犯させた。むスラ゚ルの人々は、ダロブアムの犯したすべ おの眪に歩み、 それをやめなかったので、 ぀いに、 䞻は、 そのしもべであるすべおの預蚀者を通しお告げられたずおり、 むスラ゚ルを埡前から取り陀かれた。こうしお、むスラ゚ルは自分の土地からアッシリダぞ匕いお行かれた。今日もそ のたたである。アッシリダの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そしお、セファルワむムから人々を連れお来お、 むスラ゚ルの人々の代わりにサマリダの町々に䜏たせた。それで、圌らは、サマリダを占領しお、その町々に䜏んだ   バビロンの人々はスコテ・ペノテを造り、クテの人々はネレガルを造り、ハマテの人々はアシマを造り、アワ人はニ ブハズずタルタクを造り、 セファルワむム人はセファルワむムの神々アデラメレクずアナメレクずに自分たちの子ども を火で焌いおささげた  圌らは䞻を瀌拝しながら、 同時に、 自分たちがそこから移された諞囜の民のならわしに埓っ お、自分たちの神々にも仕えおいた。圌らは今日たで、最初のならわしのずおりに行っおいる。圌らは䞻を恐れおいる のでもなく、䞻が、その名をむスラ゚ルず名づけたダコブの子らに呜じたおきおや、定めや、埋法や、呜什のずおりに 行っおいるのでもない  このようにしお、 これらの民は䞻を恐れ、 同時に、 圌らの刻んだ像に仕えた。 その子たちも、 孫たちも、その先祖たちがしたずおりに行った。今日もそうである。 列王蚘第二 172124、 3034、 41 アッシリダの王はむスラ゚ル人をアッシリダに捕らえ移し、圌らをハラフず、ハボル、すなわちゎザンの川のほず り、メディダの町々に連れおいった。 列王蚘第二 1811 北むスラ゚ル王囜が背信のゆえに滅びたずき、アッシリダが取った悪埳政策は、むスラ゚ルの指導者たち、芁人を 囜倖远攟し、代わりにアッシリダの指導者を銖郜サマリダに䜏たわせ、同時に倚くの倖囜人をバビロン、アラム、ナヌ フラテス川沿いの地域から移䜏させ、 むスラ゚ル人ず結婚させるこずによっお玔血郚族を根絶し、 謀反が起こらないよ うにするこずでした。冒頭に挙げた箇所は、アッシリダの混血政策によっお、サマリダはじめ、北むスラ゚ル王囜の領 土に異端信仰がはびこり、 ダヌりェを瀌拝するかたわら、 偶像の神々をも瀌拝するずいう混成宗教が蔓延したこずを語 っおいたす。背信のゆえに神が投げ捚おられたむスラ゚ルの地は、皮肉なこずに、たすたす異端信仰に花開くこずにな ったのです。しかし、ここで繰り返されおいる「今日もそのたたである」ずいう蚀葉は、埌䞖、誀っお解釈され、むス ラ゚ルの十の郚族は远攟され、倱われた、すなわち「倱われた  むスラ゚ルの十の郚族」ずいう説が生み出され、远攟埌 の郚族の移動先を探求する詊みがなされお来たした。゚ルサレムに蚭立された「アミシャブ」ずいうむスラ゚ルの調査 機関は、むスラ゚ル人ず認められた人々に無条件で本囜垰還の手続きをし、二十䞖玀以降、アフリカ、ロシア、東ペヌ ロッパから倚くがむスラ゚ルに垰還しおいたす。 先月号で考察したように、 憐れみの神は、 背信のダロブアムで始たった北むスラ゚ル王囜に預蚀者を送っお䜕床も 䜕床も悔い改めお立ち返るようにず譊告されたのですが、 二癟十幎間、 むスラ゚ルの二十人の王たちの䞀人ずしお民を 背信から救い出そうずした者はいたせんでした。このように背信で固められた王囜は、 神が宣蚀された通り滅びたので す。十郚族の䞭の真の神を恐れる者たちには、この長期にわたる王囜の存圚期間のい぀でも、真のダヌりェ信仰を維持 しおいた南ナダ王囜に移るチャンスが䞎えられおおり、 サマリダが陥萜した 721BCEの時点では、 十郚族はナダ王囜の 統治䞋で存続しおおり、以降、神の掟に埓う十郚族の「残りの者」は南ナダの二぀の郚族やレビ族ず生死をずもにする こずになったのです。むザダず同䞖代の預蚀者ミカが、甚語「むスラ゚ル」ず「ナダ」を区別しないで、党むスラ゚ル ずしお語っおいるこずからも、圓時の囜家構成がうかがえたす。しかし、聖曞は、背信の北むスラ゚ルの指導者たちが 远攟された埌、ナヌフラテス川を越えお、新倩地を求めお東に向かった可胜性を吊定しおはおらず、たた、70CE の゚ ルサレム第二神殿厩壊埌、党むスラ゚ルが党地に散らされたこずを明らかにしおいたす。したがっお「倱われた」郚族 ではなく、党囜に離散した神の民、党むスラ゚ルを玄束の地に戻す詊みは無駄ではないのです。聖曞は、究極的には、 神が党むスラ゚ルを玄束の地に戻すこずを預蚀しおいたすから、人間的な埒劎は必芁ないようにも思われたすが、 「倱 われたむスラ゚ルの十の郚族」を探求する過皋で、非垞に興味深い倚くのこずが明らかにされおきおいたす。 「ハラフず、ハボル、すなわちゎザンの川のほずり、メディダの町々」 、すなわち、トルコ東郚のクルディスタ ン、アフガニスタン北郚のアム・ダリア川沿いのハラトやハボルから始たっおさらに東に向かううちに、北むスラ゚ル の郚族の䞀団は、 その途䞊、 アフガニスタンずパキスタンの遊牧民族 「パタン族」 ずしお、 むンド北郚、 チベットの 「カ シミヌル族」ずしお、ミャンマヌやむンドの「メナシュ族」ずしお、たた䞭囜の「矌族」ずしおその地に定着し、最埌 の集団はカむファン開封を経お日本に枡ったようです。これら郚族の䜏み぀いた地は、䞭囜ず西方を結んだ叀代の
  • 2. フルダミニストリヌ 平成幎 月 月報 www.huldahministry.com 2 亀通路「シルクロヌド絹の道 」䞊にあり、聖曞倖兞の゚ズラ蚘ラテン語133950には、おそらくこの集団ヘ の蚀及ず思われる出来事が蚘されおいたす。 「  しかし、圌らは、倚くの異邊の民を離れお、人がただだれも䜏んだ こずのないほかの地方に行こうず決心した。圌らは、それたでいた地方では守るこずのできなかった掟を、そこで守り たかったのである  その地方は、 アルザルず呌ばれおいる。 圌らは、 最近たでそこに䜏んでいたのである。 そしお今、 圌らは再び垰囜の途に぀き  」 。このくだりは、458BCE にバビロンからの第二次本囜垰還団を率いお゚ルサレムに 移䜏した祭叞゚ズラに䞎えられたずしお、 倖兞に蚘されおいる終末の末期に関する䞃぀のビゞョンの六番目で、 ナヌフ ラテス川を越えお東方に離散したず思われる十の郚族が究極的には来臚のメシダの蚱に集められる奇蹟を描いおいた す。 「アルザル」は、申呜蚘 2928 で「ほかの地地の果お 」ず邊蚳されおいるヘブル語で、東の果おの地に倪叀の 昔、むスラ゚ル人集団がたどり぀き、背信の結果の囜家滅亡ずいう苊い䜓隓をふっしょくしお、心機䞀転、信仰䜓系の 立お盎しを図ろうず定着したのが日本であったずいうこずは十分考えられるこずです。 五月に沖瞄を蚪ねたずき、 沖瞄に叀代むスラ゚ルの足跡が今日も息づいおいるこずに開県させられたした。 本土ず 違っお、沖瞄には仏教が浞透しなかったこずにより、祭壇はあっおも偶像が存圚しない神道の原初圢態「叀神道」が民 間信仰ずしお根匷く残っおおり、 叀代むスラ゚ルの信仰圢態ずキリストの教えが他宗教や儒教などの思想に圱響されず に反映されおいるこずを知らされたのです。 沖瞄のむスラ゚ル性探玢はすでに未信者の人たちによっおも積極的に進め られおおり、調査結果は、沖瞄に叀代むスラ゚ル集団が䜏み、ルヌツ、地名、人名、颚習にその痕跡が疑う䜙地なく刻 たれおいるこずを明らかにしおいたす。むスラ゚ルでは玀元前十䞖玀の゜ロモンの時代、ツロの王ヒラムの支揎で、む ンドやアフリカに向けお船団が送りだされ、䞖界的な亀易がなされおいたしたが、玀元前䞀、二䞖玀頃には、むンドシ ナ半島、マレヌ半島を経お、゚ドムの地の銅の粟錬技術は日本にも䌝えられおいたず蚀いたす。このように、陞だけで なく、海のシルクロヌドを通っお、むスラ゚ル人が沖瞄の南東郚の「久高島くだかじた 」に䞊陞したこずは十分考 えられるのです。久高島には菊の埡王があり、倩皇家ず深いかかわりがあるず蚀われおいるそうですが、゚ドム人の王 ヘロデの王が菊の王ず䌌たひたわり王であるこずからその関連も指摘されおいたす。 ぞびが女を惑わしたずいう倚くの物語、 神が女を男のあばら骚から造られたずいう創䞖蚘の蚘述を明らかに反映し おいる「男は肋骚が䞀本足りないので、女に倢䞭になるず愚かになる」ずいう意味の蚀葉が那芇地方の人たちの間で亀 わされおいるこず、出゚ゞプト埌の荒野でのマナを思い起こさせる「倩から降る逅の話」 、措氎神話、塩の柱になっお したったロトの劻を思い起こさせる「埌ろを振り返るな」ず花嫁に呌びかける結婚匏の慣習、過越の祭りを思い起こさ せる「島クサラシ」―ほふった牛の血を怍物に浞しお家の入口や鎚居に塗る「厄陀け」―ずいう叀来からの颚習、沖瞄 至る所に「埡嶜うたき 」ず呌ばれる自然の厇拝所、聖域や小芏暡の厇拝所「りガンゞュ」があり、祭祀儀瀌が執り 行われおきたが、銙壇はあっおも偶像はないこず、沖瞄人は豚肉をよく食べるが、祭祀儀瀌に携わった叀代のナタやノ ロ祝女は豚を「汚れた動物」ずしお食べなかったこず、旧暊で行われる䌝統的な行事がむスラ゚ルの䟋祭ず䞀臎し おいるこずなど、沖瞄にはむスラ゚ル性が深く浞透しおいるのです。倪陰倪陜暊旧暊を甚いる沖瞄では、十九幎に 䞃回「うるう幎」を蚭けお調敎するそうですが、これは、ナダダ暊ず同じで、沖瞄の旧暊䞀月の行事ず「ニサンの月」 を第䞀の月ずするナダダの宗教暊に埓っお執り行われる䞻の䟋祭ずの完党な䞀臎は驚くべきです。 沖瞄の䞀月は①元旊、 旧正月で始たる ②十日は「十日拝み」 、十二支祝いがなされ、その八番目は「未ひ぀じ 」 ③十四日は正月、 「ト ゥシヌナルヌ幎の倜、倧晊日 」で、正月甚豚をほふる ④「島クサラシ」 看過牛―厄陀け― ⑥「マルチャゞシ」 ―煮た肉を䞭腰で玠手で食べる儀匏― ⑊正月逅、苊菜を食べる ⑧骚付き肉を食べる ⑚眠らずに倜を明かす ⑩十 五日から䞃日間、小正月を祝うこずが定められおいたすが、これらはすべお、ヘブル語聖曞のレビ蚘 23 章、出゚ゞプ ト蚘 12 章に蚘されおいる「過越の祭り」に䞀臎するものです。しかし、䞻食が「米」の日本では、むスラ゚ルの「マ ツァ皮なしパン 」を逅ずみなすこずはできるかもしれたせんが、―米、逅は膚れ、パン皮の効果を衚すので、モヌ セの掟では「皮なしパン」ずはみなされない― 矊の代わりに「豚」が甚いられるこずや肉を焌かないで「煮る」こず には、 「圌らは䞻を恐れおいるのでもなく、䞻が、その名をむスラ゚ルず名づけたダコブの子らに呜じたおきおや、定 めや、埋法や、呜什のずおりに行っおいるのでもない」ず列王蚘の著者が蚘しおいるように、沖瞄に䌝えられた掟の守 り方が背信のむスラ゚ルによっおもたらされたものであったこずを裏づけおいるずいえるかもしれたせん。たた、 旧暊 䞀月十六日「ゞュりルクニチヌ」は、 「グ゜ヌあの䞖の正月」ず呌ばれ、重箱入りのご銳走を墓前で広げ、盛倧な 祝いをするそうです。蚀うたでもなく、ナダダ暊の「ニサン第䞀の月の十六日」は、 「初穂の祭り」の日で、―キ リストが十字架䞊で亡くなられた週は「倧いなる安息日」ず「週ごずの安息日土曜日 」ずが続いたため、甊られた のは十六日ではなく、ニサンの月の十䞃日であった― この日は、埩掻祭の祝日なのです。たた、旧暊八月十五日に祝 われる沖瞄の「十五倜」は豊幎豊䜜を神に感謝する祭りで、やぐらを立おお村人は螊り続けたず蚀いたす。これは、ナ ダダ暊の「ティシュリ第䞃の月の十五日」から䞃日間祝われるむスラ゚ルの収穫祭「仮庵の祭り」ず同じですが、 䞀か月遅れの祭り日は背信の王ダロブアムに起因するのです。 子牛カルトを蚭立したダロブアムは 「自分で勝手に考え 出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえをささげ  銙をたいた」 列王蚘第䞀 1233 のでした。ダロブアムが祭叞職を䟵害した王であったこずは、次号で考察する神道の特城ず無瞁ではないようです。